はじめてのおつかい
「それじゃあもう一回教えるよ」
「うー」
そう言って、ぬしさまはわたしの肩に左手をおいて目を合わせました。空いた右手をわたしの前に出して人指し指を立てます。
「まず、今日は君一人でお使いに行ってくること。お金は払ってあるから品物を貰ってきてほしいんだ」
「あー」
ぬしさまの指が鼻の前まで来ました。わたしがこくんとうなずくと、ぬしさまと指がぶつかってわたしの鼻が少しだけへこみます。ぬしさまは小さくうなずくと、人指し指を立てたままぬしさまの顔の横まで持っていきました。
「最初に大通りのアラクネさんのお店に行くこと」
「うー」
ぬしさまが中指を立てました。
「次にマッドハッターさんのお店に行くこと、同じ大通りにあるからね」
「あー」
ぬしさまは薬指を立てました。
「最後に二丁目のキキーモラさんのお店に行くこと」
「うー」
そこまで言ってから、ぬしさまはどこからかお札を取り出しました。
ぺたり。
ぬしさまはわたしのおでこにお札を貼り付けると、さらさらと指先で何かを書くようになぞりました。ちょっぴり頭の中がふわふわしたかと思うと、これからどうすればいいか、はっきりくっきりしてきました。
「さ、もう一度言ってごらん? どこに行けばいいの?」
「おおどおりのあらくねさんとまっどはったーさん、にちょうめのききーもらさん」
「そこで何をしてくればいい?」
「しなものをもらってくる」
「はい、よくできました……一度行ったから大丈夫だと思うけど、一応場所も教えておくね」
ぬしさまはもう一度お札に指をなぞらせます。すると、やっぱりわたしの頭の中がふわふわして、どこに行けばいいのかはっきりくっきりしてきました。
「それじゃあ行ってらっしゃい、気をつけてね」
「うー」
いってらっしゃいと手を振るぬしさまに見送られて、わたしはまずアラクネさんのお店に向かうのでした。
§
「はい、こんにちは――って、あら、今日はアナタ一人かしら?」
「あー」
アラクネさんのお店では、アラクネさんが待っていました。アラクネさんはわたしを見ると首を横にかたむけて、少しへんな顔をしています。
「凄いわね……たしかアナタ、まだ生まれ変わったばっかりでしょ? なのにもう一人でお使いができるなんて。うん、立派立派」
「うー?」
アラクネさんはわたしの頭をなでてくれましたが、わたしはどうしてそんなことをするのかよく分かりませんでした。しばらくの間アラクネさんはわたしをなでなでしていましたが、とつぜん目を丸くすると固まってしまいました。そして、顔を真っ赤にすると店の奥まで走っていってしまいます。そして、奥からどたばたと大きな音がしたかと思うと、アラクネさんは大きな袋を持ってくるのでした。
「ごめんごめん、ほら、これが約束の物よ。きっとご主人も気に入ると思うわ」
「あー」
わたしはアラクネさんから大きな袋を受け取って右手に持つと、次のお店に行くためにこの場を後にするのでした。
「それじゃあご主人によろしくね」
「うー」
後ろを振り向くと、アラクネさんは手を振っていました。どうして手を振っているのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、わたしもおんなじように空いている左手で振り返しました。
§
「やあ。今日は君一人かい?」
「あー」
マッドハッターさんのお店ではマッドハッターさんが待っていました。マッドハッターさんはわたしをじっと見つめてきます。
「うーん、流石にまだ言葉は話せないか……ま、君のご主人は賢いだろうし、すぐに話せるようになるかな」
「うー?」
「ああ、すまないね。君には何のことかさっぱりだろう。気にしなくていいさ。それよりも、君がここに来たってことはあの件だろう? 安心してくれ、ちゃんと出来てるさ……今すぐ見てみたいかい?」
「あー」
「……今の君に言っても仕方ないか。ボクの悪い癖だね、これは」
マッドハッターさんは頭をかきながらお店の奥に行ってしまいます。そして小さな箱を持ってくると、それをわたしの左手に乗せてくれました。
「はい、毎度あり。……君さえ良ければ、次は君のご主人と一緒に来てほしいな。その時にはもう少し楽しくお喋りができるだろうさ」
「うー」
マッドハッターさんは帽子に手を当てながら、小さく頭を下げました。どうして頭を下げるのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、私もおんなじように頭を下げようとして――
「おっとストップ。帽子が落ちちゃうよ」
「あー」
「両手が塞がってるから無理にお辞儀しなくたっていいんだよ?」
「うー?」
「……君、本当に分かってるのかなぁ」
わたしはマッドハッターさんに帽子をかぶせてもらってから、次のお店に向かうのでした。
§
「いらっしゃいませ……あら、貴女は」
「あー」
キキーモラさんのお店ではキキーモラさんや他の人たちがたくさんいました。
「今は少しバタバタしててごめんなさいね、もう少しだけ待っててもらえるかしら?」
「うー」
キキーモラさんがそう言ったので、わたしはもう少し待つことにしました。
わたしがお店の中で立っていると、次から次へと人が入ってきます。男の人もいれば女の人もいましたが、大体は男の人と女の人の二人で入ってきていました。
「あー」
お店の中では、同じ格好をしたキキーモラさんや他の人たちが、あちこちを行ったり来たりしています。キキーモラさんたちが動く度にお店の中に甘い香りが漂います。そのキキーモラさんたちは、並んでいる人たちに小さな箱や小包を渡していました。
「うー」
箱や小包をもらった人たちは、キキーモラさんたちに頭を下げたり、手を振ったりしていました。キキーモラさんたちもおんなじことをしていました。
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしています」
「またどうかご贔屓に」
「お二人ともお幸せに」
キキーモラさんたちが何を言っているのか、わたしにはよく分かりませんでした。それを聞いてお店を出ていく人たちもみんなおんなじ顔をしていましたが、それもよく分かりませんでした。
「あー……うー?」
ただそれは、アラクネさんやマッドハッターさんがわたしにしてくれたこととおんなじような、そんな気がするのでした。
「あー」
わたしはふしぎな気持ちで、しばらくお店の中をながめるのでした。
「お待たせしました――って、ごめんなさい! い、椅子に座って待って頂けるかと思ってて……し、失礼しましたっ!」
お店から人が少なくなったころ、やってきたキキーモラさんはそう言って頭を下げました。どうして頭を下げているのかよく分からなかったけれど、何故か違うような気がして、わたしはキキーモラさんを起こしてあげました。
「す、すみません……あっ、えっとですね、これがご注文の御品です。美味しく召し上がってくださいね」
「うー」
キキーモラさんはそう言って小包を渡そうとしましたが、
「あっ……ごめんなさい、もう少し待っててくださいね」
わたしの両手がふさがっているのを見ると、振り返ってお店の奥へと小走りで駆けていきました。かと思ったらすぐに戻ってきて、小包が入った小さな袋をわたしの腕にかけてくれました。
「これで多分大丈夫だと思います、気をつけてくださいね」
「あー」
お店から去るわたしの後ろから、キキーモラさんたちの声が聞こえてきます。
「ありがとうございましたー!」
「うー」
そう言って頭を下げるキキーモラさんは、やっぱりあの時のアラクネさんやマッドハッターさんとおんなじような気がしました。
§
「お帰り。ちゃんとお使いできたみたいだね、ありがとう」
「あー」
家に帰ったわたしをぬしさまは出迎えてくれました。わたしが持っていた袋や箱を差し出すと、ぬしさまはそれを受け取ってくれました。ぬしさまは腕を曲げると、片腕で全部の荷物を持ってしまいます。それは体が硬いわたしにはできないことでした。
「初めてのお使いはどうだった? 緊張した?」
「うー?」
「その様子だと相変わらずだったみたいだねー……でも、これからは違うぞー?」
ぬしさまはそう言って、わたしの手を引くとどこかの部屋まで連れていくのでした。
「やっぱりここが一番いいかな」
そして鏡のある部屋まで来ると、わたしを鏡の前に立たせました。鏡にはいつものわたしと、その後ろに立つぬしさまの姿が映っています。ぬしさまはいつもと違っているような気がしましたが、わたしには何が違うのかまでは分かりませんでした。
「それじゃあ初めてのお使いの成果を発表しまーす!」
ぬしさまはわたしの後ろで、アラクネさんから貰った大きな袋と、マッドハッターさんから貰った小さな箱を開け始めました。何が入っているのかは、わたしが影になっているので見えません。
「じゃーん! 見て驚け! なんとなんと、これはよくできている! すごーい! 気になる、なるよね?」
「あー」
「……やっぱ反応ないと寂しいね」
ちょっと待っててと言って、ぬしさまは手にしたそれをわたしにも見えるような位置に動かしてくれました。
「新しい洋服と帽子! せっかく生まれ変わったんだし、格好も新しくしないとね!」
「うー」
「どう? 嬉しい? 今すぐ着る!? ここで脱いじゃう!?」
「あー」
「くすん。随分と冷たい子に育っちゃってまぁ……」
そう言いながら、ぬしさまはわたしに新しい服と帽子を着せてくれました。どうしてそんなことをしてくれるのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、
「あっ、こらっ! 手をバタバタさせない!」
「うー」
「動いちゃめーでしょ! ああっ、頭下げないの、帽子落ちちゃう!」
「あー」
「絶対分かってないよこの子……ほらっ、じっとするっ!」
わたしは、アラクネさんやマッドハッターさん、キキーモラさんの時とおんなじようなことをしました。
§
それから。
「はーくたびれた……ほらっ、あーんして」
「うー?」
「あーん」
「あー」
わたしとぬしさまは椅子に座っていました。テーブルには湯気の立つカップが二つと、キキーモラさんのところで貰った小包が置いてあります。ぬしさまは小包の封を開けると、中の茶色の塊をわたしの口に運ぶのでした。
「ほら、よく噛んで……美味しい?」
「うー」
「次はこのハートの奴にしよう。ほらっ、あーん」
「あー」
口の中で溶けていくそれが何なのか、どうしてぬしさまがわたしに食べさせてくれるのか、そもそもどうしてわたしに新しい服や帽子を着せてくれたのか、やっぱりわたしにはよく分かりませんでした。
「……やっぱまだちょっと早かったかなぁ……次はコレね。はい、あーん」
だけど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、
「ぬし、さま」
「――えっ!?」
わたしもおんなじように、
「ぬし、さま……ぬしさ、ま……あ、あり……」
みんなとおんなじように、
「ぬしさま……あり、がとう……」
おんなじようにするだけでは、何故か足りないような気がして、
「ぬしさま、ありがとう――だいすき」
そうやって、初めての言葉を告げたのでした。
「うー」
そう言って、ぬしさまはわたしの肩に左手をおいて目を合わせました。空いた右手をわたしの前に出して人指し指を立てます。
「まず、今日は君一人でお使いに行ってくること。お金は払ってあるから品物を貰ってきてほしいんだ」
「あー」
ぬしさまの指が鼻の前まで来ました。わたしがこくんとうなずくと、ぬしさまと指がぶつかってわたしの鼻が少しだけへこみます。ぬしさまは小さくうなずくと、人指し指を立てたままぬしさまの顔の横まで持っていきました。
「最初に大通りのアラクネさんのお店に行くこと」
「うー」
ぬしさまが中指を立てました。
「次にマッドハッターさんのお店に行くこと、同じ大通りにあるからね」
「あー」
ぬしさまは薬指を立てました。
「最後に二丁目のキキーモラさんのお店に行くこと」
「うー」
そこまで言ってから、ぬしさまはどこからかお札を取り出しました。
ぺたり。
ぬしさまはわたしのおでこにお札を貼り付けると、さらさらと指先で何かを書くようになぞりました。ちょっぴり頭の中がふわふわしたかと思うと、これからどうすればいいか、はっきりくっきりしてきました。
「さ、もう一度言ってごらん? どこに行けばいいの?」
「おおどおりのあらくねさんとまっどはったーさん、にちょうめのききーもらさん」
「そこで何をしてくればいい?」
「しなものをもらってくる」
「はい、よくできました……一度行ったから大丈夫だと思うけど、一応場所も教えておくね」
ぬしさまはもう一度お札に指をなぞらせます。すると、やっぱりわたしの頭の中がふわふわして、どこに行けばいいのかはっきりくっきりしてきました。
「それじゃあ行ってらっしゃい、気をつけてね」
「うー」
いってらっしゃいと手を振るぬしさまに見送られて、わたしはまずアラクネさんのお店に向かうのでした。
§
「はい、こんにちは――って、あら、今日はアナタ一人かしら?」
「あー」
アラクネさんのお店では、アラクネさんが待っていました。アラクネさんはわたしを見ると首を横にかたむけて、少しへんな顔をしています。
「凄いわね……たしかアナタ、まだ生まれ変わったばっかりでしょ? なのにもう一人でお使いができるなんて。うん、立派立派」
「うー?」
アラクネさんはわたしの頭をなでてくれましたが、わたしはどうしてそんなことをするのかよく分かりませんでした。しばらくの間アラクネさんはわたしをなでなでしていましたが、とつぜん目を丸くすると固まってしまいました。そして、顔を真っ赤にすると店の奥まで走っていってしまいます。そして、奥からどたばたと大きな音がしたかと思うと、アラクネさんは大きな袋を持ってくるのでした。
「ごめんごめん、ほら、これが約束の物よ。きっとご主人も気に入ると思うわ」
「あー」
わたしはアラクネさんから大きな袋を受け取って右手に持つと、次のお店に行くためにこの場を後にするのでした。
「それじゃあご主人によろしくね」
「うー」
後ろを振り向くと、アラクネさんは手を振っていました。どうして手を振っているのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、わたしもおんなじように空いている左手で振り返しました。
§
「やあ。今日は君一人かい?」
「あー」
マッドハッターさんのお店ではマッドハッターさんが待っていました。マッドハッターさんはわたしをじっと見つめてきます。
「うーん、流石にまだ言葉は話せないか……ま、君のご主人は賢いだろうし、すぐに話せるようになるかな」
「うー?」
「ああ、すまないね。君には何のことかさっぱりだろう。気にしなくていいさ。それよりも、君がここに来たってことはあの件だろう? 安心してくれ、ちゃんと出来てるさ……今すぐ見てみたいかい?」
「あー」
「……今の君に言っても仕方ないか。ボクの悪い癖だね、これは」
マッドハッターさんは頭をかきながらお店の奥に行ってしまいます。そして小さな箱を持ってくると、それをわたしの左手に乗せてくれました。
「はい、毎度あり。……君さえ良ければ、次は君のご主人と一緒に来てほしいな。その時にはもう少し楽しくお喋りができるだろうさ」
「うー」
マッドハッターさんは帽子に手を当てながら、小さく頭を下げました。どうして頭を下げるのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、私もおんなじように頭を下げようとして――
「おっとストップ。帽子が落ちちゃうよ」
「あー」
「両手が塞がってるから無理にお辞儀しなくたっていいんだよ?」
「うー?」
「……君、本当に分かってるのかなぁ」
わたしはマッドハッターさんに帽子をかぶせてもらってから、次のお店に向かうのでした。
§
「いらっしゃいませ……あら、貴女は」
「あー」
キキーモラさんのお店ではキキーモラさんや他の人たちがたくさんいました。
「今は少しバタバタしててごめんなさいね、もう少しだけ待っててもらえるかしら?」
「うー」
キキーモラさんがそう言ったので、わたしはもう少し待つことにしました。
わたしがお店の中で立っていると、次から次へと人が入ってきます。男の人もいれば女の人もいましたが、大体は男の人と女の人の二人で入ってきていました。
「あー」
お店の中では、同じ格好をしたキキーモラさんや他の人たちが、あちこちを行ったり来たりしています。キキーモラさんたちが動く度にお店の中に甘い香りが漂います。そのキキーモラさんたちは、並んでいる人たちに小さな箱や小包を渡していました。
「うー」
箱や小包をもらった人たちは、キキーモラさんたちに頭を下げたり、手を振ったりしていました。キキーモラさんたちもおんなじことをしていました。
「ありがとうございました、またのご来店をお待ちしています」
「またどうかご贔屓に」
「お二人ともお幸せに」
キキーモラさんたちが何を言っているのか、わたしにはよく分かりませんでした。それを聞いてお店を出ていく人たちもみんなおんなじ顔をしていましたが、それもよく分かりませんでした。
「あー……うー?」
ただそれは、アラクネさんやマッドハッターさんがわたしにしてくれたこととおんなじような、そんな気がするのでした。
「あー」
わたしはふしぎな気持ちで、しばらくお店の中をながめるのでした。
「お待たせしました――って、ごめんなさい! い、椅子に座って待って頂けるかと思ってて……し、失礼しましたっ!」
お店から人が少なくなったころ、やってきたキキーモラさんはそう言って頭を下げました。どうして頭を下げているのかよく分からなかったけれど、何故か違うような気がして、わたしはキキーモラさんを起こしてあげました。
「す、すみません……あっ、えっとですね、これがご注文の御品です。美味しく召し上がってくださいね」
「うー」
キキーモラさんはそう言って小包を渡そうとしましたが、
「あっ……ごめんなさい、もう少し待っててくださいね」
わたしの両手がふさがっているのを見ると、振り返ってお店の奥へと小走りで駆けていきました。かと思ったらすぐに戻ってきて、小包が入った小さな袋をわたしの腕にかけてくれました。
「これで多分大丈夫だと思います、気をつけてくださいね」
「あー」
お店から去るわたしの後ろから、キキーモラさんたちの声が聞こえてきます。
「ありがとうございましたー!」
「うー」
そう言って頭を下げるキキーモラさんは、やっぱりあの時のアラクネさんやマッドハッターさんとおんなじような気がしました。
§
「お帰り。ちゃんとお使いできたみたいだね、ありがとう」
「あー」
家に帰ったわたしをぬしさまは出迎えてくれました。わたしが持っていた袋や箱を差し出すと、ぬしさまはそれを受け取ってくれました。ぬしさまは腕を曲げると、片腕で全部の荷物を持ってしまいます。それは体が硬いわたしにはできないことでした。
「初めてのお使いはどうだった? 緊張した?」
「うー?」
「その様子だと相変わらずだったみたいだねー……でも、これからは違うぞー?」
ぬしさまはそう言って、わたしの手を引くとどこかの部屋まで連れていくのでした。
「やっぱりここが一番いいかな」
そして鏡のある部屋まで来ると、わたしを鏡の前に立たせました。鏡にはいつものわたしと、その後ろに立つぬしさまの姿が映っています。ぬしさまはいつもと違っているような気がしましたが、わたしには何が違うのかまでは分かりませんでした。
「それじゃあ初めてのお使いの成果を発表しまーす!」
ぬしさまはわたしの後ろで、アラクネさんから貰った大きな袋と、マッドハッターさんから貰った小さな箱を開け始めました。何が入っているのかは、わたしが影になっているので見えません。
「じゃーん! 見て驚け! なんとなんと、これはよくできている! すごーい! 気になる、なるよね?」
「あー」
「……やっぱ反応ないと寂しいね」
ちょっと待っててと言って、ぬしさまは手にしたそれをわたしにも見えるような位置に動かしてくれました。
「新しい洋服と帽子! せっかく生まれ変わったんだし、格好も新しくしないとね!」
「うー」
「どう? 嬉しい? 今すぐ着る!? ここで脱いじゃう!?」
「あー」
「くすん。随分と冷たい子に育っちゃってまぁ……」
そう言いながら、ぬしさまはわたしに新しい服と帽子を着せてくれました。どうしてそんなことをしてくれるのかよく分からなかったけれど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、
「あっ、こらっ! 手をバタバタさせない!」
「うー」
「動いちゃめーでしょ! ああっ、頭下げないの、帽子落ちちゃう!」
「あー」
「絶対分かってないよこの子……ほらっ、じっとするっ!」
わたしは、アラクネさんやマッドハッターさん、キキーモラさんの時とおんなじようなことをしました。
§
それから。
「はーくたびれた……ほらっ、あーんして」
「うー?」
「あーん」
「あー」
わたしとぬしさまは椅子に座っていました。テーブルには湯気の立つカップが二つと、キキーモラさんのところで貰った小包が置いてあります。ぬしさまは小包の封を開けると、中の茶色の塊をわたしの口に運ぶのでした。
「ほら、よく噛んで……美味しい?」
「うー」
「次はこのハートの奴にしよう。ほらっ、あーん」
「あー」
口の中で溶けていくそれが何なのか、どうしてぬしさまがわたしに食べさせてくれるのか、そもそもどうしてわたしに新しい服や帽子を着せてくれたのか、やっぱりわたしにはよく分かりませんでした。
「……やっぱまだちょっと早かったかなぁ……次はコレね。はい、あーん」
だけど、何故かそうしなきゃいけないと思ったので、
「ぬし、さま」
「――えっ!?」
わたしもおんなじように、
「ぬし、さま……ぬしさ、ま……あ、あり……」
みんなとおんなじように、
「ぬしさま……あり、がとう……」
おんなじようにするだけでは、何故か足りないような気がして、
「ぬしさま、ありがとう――だいすき」
そうやって、初めての言葉を告げたのでした。
19/02/14 21:39更新 / ナナシ