だらだらゲイザーちゃん
「ひとまずはこんなもんかね……よし、よく頑張ったぞ俺」
夏の日差しを受けながら、首に巻いたタオルで額の汗を拭う。
ゴミ出しを終え、花壇の水やりを済ませ、家の前に打ち水もした。とりあえずは一仕事終えたといってもいいだろう。
「しっかしこの暑さはなんなんだか」
照りつける熱気は尋常なものではない。着ているシャツは汗で蒸れて肌にはりついてしまっている。額の汗は拭っても拭っても次から次へと流れ出して止まらない。コンクリートに撒いた水はすでに蒸発が始まっており、広がった染みはじわじわ小さくなっていた。辺りに響く蝉の合唱は、暑さにへばっているこちらをあざ笑っているかのようで凄まじく疎ましい。
とても朝の八時とは思えない気候である。
夏真っ盛りの陽気といえば聞こえはいいが、正直外で仕事をする分には地獄のような環境だった。高い湿度も相まって、外になのに蒸し風呂の中にいるようである。
釜茹でにされる感覚ってのは、こんな感じなのだろうか。
「まだ洗濯物も残ってるんだけどな」
ため息を吐いて家の方を向く。さほど大きくはない部屋を、そして稼働している室外機を見てもう一度ため息を吐く。部屋は薄手のカーテンで隠されていて、外から中の様子を窺うことはできなかった。
「一応、声かけてみるか」
部屋の様子、返ってくる返事。
おそらく訪れるだろう結末を知りながらも一抹の希望に縋ることにして、足早に家の中へと戻るのだった。
§
「入るよー?」
扉の奥にいる主に一声かけてから中に入った瞬間、ぶわと冷気が吹き付けてきた。全開で働いている冷房に首を振る扇風機が合わさって、体中の汗が急速に引いていくのを感じる。纏わりつく湿気も蝉の鳴き声もない、まるで天国のような空間が広がっていた。
こんな空間でイチャイチャできたら最高なのだろうが、楽園の主は俺がそうすることを許さなかった。
「へへっ、す〜ずし〜♡」
楽園の主であるゲイザーちゃんはベッドの上で寝転がっていた。何が楽しいのか、枕を胸に抱きながら端から端までをころころと転がっている。薄手のタオルケットを体に巻いているが、どうやらその下には何も身に着けていないようだ。その証拠に、脱ぎ捨てられた衣服――露出が高めの下着も含めて――が床に散らばっている。もっとも、床に散らばっているのは一着や二着ではない。流石に足の踏み場こそあるものの、年頃の娘としてそれはどうなのかというレベルの汚部屋だった。
「……ん? あーっ! 早く扉閉めろよな! 涼しいのが逃げてっちゃうだろ!」
「そんな格好で何してんのさ」
飛び起きてこちらに――背後の扉を閉めるために――向かってくるゲイザーちゃんの姿を見て、ため息混じりに愚痴ることしかできなかった。
§
「やだ。がんばれ」
洗濯物を干すのを手伝ってと頼んだらこの即答である。……まあ分かってたけど。
「そう言わずに、人を助けると思ってさ」
「やーだー! アタシの珠のような肌が焼けちゃってもいいのか!?」
それは困る。でも俺が日干しになるのはもっと困る。
というか人が汗水流して働いているのに、冷房の利いた部屋でころころしてることに罪悪感とかはないのだろうか。
「ほら見ろよコレ!」
彼女は頭の上で両手を組んで腰をくねらせ、珠のような肌(※自称)を俺に見せつけた。タオルケットで胴体こそ隠されているものの、黒い光沢がある手足は実に見事なものである。彼女自身が細身なこともあり、モデルとしてもやっていけるのではないかと思わせるだけの魅力があった。
……まぁ、お胸とお尻、そして頭の方は貧しいのだが――
「ぶふっ!?」
飛んできた枕が顔面に直撃した。完全に不意を突かれ、ぐらりと体が揺れて床へと倒れ込む。枕の材質上、それ自体に威力はないことがせめての幸いだろうか。
「今なんかシツレイなこと考えてただろ?」
「……とんでもございません」
枕を引きはがすと仏頂面の彼女の姿が見えた。上半身だけを起こし、床に座ったままでその様子を観察する。
彼女は目の前に立って――貧しい、もとい慎ましい――胸を張っている。腰に手を当てて覗き込むようにこちらを見下ろしていた。特徴的な大きな紅い一つ目は睨みつけるように細められていて、背後の触手はこちらを様々な角度から捉えるようにうねうねと蠢いている。
「とにかく、アタシは手伝わないから! 黒い肌ってあんたが思ってるより大変なんだぞ!」
言い分は分からないでもない。事実、髪も肌も背後の触手も黒づくめなのだ。そんな状態で日差しを浴び続けたらたちまちダウンしてしまうだろう。それもあって外の用事は俺が済ませるようにしてきたのだが。
「でもさ、ゲイザーちゃん家の中でできる家事も何もやってないじゃん」
「う゛」
言葉通り、食器を洗うのも洗濯機を動かすのも全て俺の仕事だ。外に出られないのならそういったことを手伝ってくれてもいいのではないだろうか。
「俺だけ働かせるゲイザーちゃんはひどいなぁ」
「ひどくない! あんたみたいなやつに付き合うくらいにはやさしいつもりだぞ?」
「ふーん、そうなんだー」
わざとらしく棒読みで返すと、彼女は今にも地団駄を踏みそうに体をプルプルと震わせていた。ぐるる、と唸り声を立て始めた彼女を更に煽るために、首を傾げながら顔を近づける。
「やさしいゲイザーちゃんなら、洗濯物を干している間に家の中のお掃除もやってくれるんだろうな〜」
「な、なんでアタシがそんなことしなきゃいけないんだよ」
「それともゲイザーちゃんは自分の部屋のお掃除もできない残念な娘だったのかなぁ〜? それはちょ〜っと女の子としてどうかと思うな〜?」
「んだとー!?」
こちらの挑発にまんまと乗り、ゲイザーちゃんは顔を真っ赤にしてぷんすか怒り始めた。座っているこちらを突き飛ばすと、びし、と音がしそうな勢いで指先を突きつける。
「じょーとーだ、じょーとー! やってやろーじゃないのさ! 掃除の一つや二つ、アタシにかかればパパパッとあっという間に終わるんだよ!」
よし、言質とった。
俺をからかうのが好きなゲイザーちゃんだがからかわれることは嫌いなようで、彼女の煽り耐性は随分と低かった。手綱を取りやすいのはありがたいことなのだが、正直ここまでチョロいとかえって不安になる。
「じゃあ任せちゃってもいい?」
「あたりめーだ! 埃一つないくらいに綺麗にしてやるよ! アタシの本気、見て腰抜かすんじゃねーぞ? ……おら、掃除の邪魔だから出てった出てった!」
ふんすと鼻息を荒くした彼女から急かされるように部屋を追い出される。部屋から出た瞬間、バタンと大きな音を立てて楽園の扉は閉まった。
「結果オーライってやつか」
当初の目的である洗濯物こそ頼めなかったものの、部屋の掃除をお願いすることはできた。あれだけやる気になっているのだ、きっと綺麗に掃除をしてくれるだろう。
「お手並み拝見といきますかね」
掃除のお礼にアイスでも買ってきてやろうか。
そんなことを考えながら、再び日差しが照り付ける地獄の空間へと足を踏み出すのだった。
§
「さてと」
物干し竿にかかった洗濯物を見て一息吐く。決して量は多くはないのだが、皺にならないよう丁寧に干すにはそれなりに時間がかかった。乾いた汗もぶりかえし、シャツだけでなくズボンまでもがじっとりと湿っている。
「しっかしなんだ、無精なのはどうにかならないのかね」
いくら一緒に暮らしているとはいえ、自分の洗濯物を人に干させるなんて女の子としてどうなのだろうか。ひらひらと風にそよぐワンピースやレースの下着を見る限り、決しておしゃれに興味がない訳ではないのだろうが。
「ま、今更か」
こちらに気を許してくれている証拠なのだろう、そう思うことにしてこれ以上深く考えるのを止めた。決して不安になっている訳ではない。彼女がこちらを信頼しているように、こちらも彼女を信頼しているのだ。
よし、その信頼に応えるためにもご褒美を買ってこなくては。
家の自室に戻り、クローゼットから適当にひっつかんだ服に着替える。そして出がけにゲイザーちゃんに声を掛けようと彼女の部屋の扉を叩こうとして
「むーっ、うーっ……おっかしーなー、収まらないぞー?」
中から聞こえてくる不穏な言葉を聞いて取りやめた。
「もうちょっと、こう……押し込んで……、よし、入った入った!」
なんというかその、散らかったものを無理矢理押し込んだような言い回しが気にかかったが聞かなかったことにした。
彼女を信頼していることもあるが、あんなんでもゲイザーちゃんは女の子なのだ。まさかクローゼットに適当に物を詰め込んで『よーし、掃除終わり!』なんて言う娘ではないはずだ。そう信じている。
「よーし、掃除終わりー! 後はだらだらするぞー!」
そう信じていた。
信じていたかった。
「へへー、あいつが見たら驚くぞー!」
その自信はどこから来るのだろうか。中が見えていないだけで本当に掃除をキチンと済ませたのか、それとも。
……信じていいよね?
彼女の口から答えを聞くのが怖くて、俺はその場から逃げるように立ち去った。
アイスを買いに行く足取りがこんなに重く感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
§
「おーい、入るよー?」
再び声をかけて扉を開く。手にした袋にはソフトクリームが二つ。寝転がって食べるであろう彼女のことを考えると、おそらくこれが最善の選択だろう。
「おーお疲れさん。……おぉっ、なんだそれ!? アイスか!?」
気のない返事は俺が手にした袋を見てすぐに歓喜に満ちたものに変わった。気持ちは分からんでもないが、随分と現金な性格だ。
「はっはーん、さてはアタシへのご褒美に買ってきたんだろ、そうだろ?」
「そうだよ」
あえて否定することもできたがそうしなかった。彼女をからかうのも楽しいと言えば楽しいのだが、こうして純粋に喜んでいるの姿を見るのも楽しいのだ。
「なーんだ、随分アタシのことを分かってるじゃん、さっすが♡」
それだけではない。
こちらの想いが伝わっていることを、彼女が理解してくれていることが、何より嬉しかったのだ。偶然と言ってしまえばそれまでだろうが、それでも嬉しいものは嬉しいのだ、変に理屈ぶる必要はない。
「んじゃ食べよーぜ……あんたも暑い中、ごくろーさん」
ぺしぺしと俺の肩を叩きながら、自分の分のアイスをひょいと抜き去っていくゲイザーちゃん。しっかりと労いの言葉も忘れないあたり、こっちの気持ちも分かってくれているらしい。
……これだから、あまりガツンと言ったりできないんだよな。
手綱を取っているのはこちらだけではない。彼女もこうして俺の手綱をとっているのだろう。そんな凸凹した繋がりだが不思議と心地良かった。
ゲイザーちゃんも同じことを思っているんだろうな。
自然と口が弧を描くのを感じながら、俺はベッドの縁に座るのだった。
§
「ところでさ、掃除はもう終わった?」
ぺろぺろとソフトクリームを舐めながらそんなことを聞いてみる。あっさりと聞くことができたのは、なんだかんだ彼女と一緒にいるだけで不安はどこかに行ってしまったからなのだ。
「んー、まあな」
ゲイザーちゃんはもきゅもきゅとソフトクリームを頬張っている。ベッドに零さないために買ってきたのだがどうやら正解だったようだ。……その代わり、彼女の頬がクリームで汚れてしまっているのだが。
「ふーん、随分早く終わったんだね」
「へへん、あったりまえだろ! アタシにかかればちょちょいのちょいだぞ!」
彼女の返事に肯定も否定もせずに、用意したタオルで無理矢理口を拭う。ソフトクリームを持っているせいか、彼女は抵抗らしい抵抗も見せずにされるがままになっていた。
「でもまあよく収まったもんだね、あれだけの服、が……」
そこまでを口にして二つのことに思い至る。
一つ目は床に散らばっていた衣服はどこに行ったのかということ。
そしてもう一つは彼女の姿がタオルケット一枚ということだ。
「ねえ、ゲイザーちゃん。ちょっと聞いていい?」
「んー? なんだよ、アイスならやんねーぞ?」
こちらが感じている違和感に、ゲイザーちゃんは気づいていないようだった。
「あのさ、ここにあった服ってどこにやったの?」
「あー? 全部畳んで収納したぞ?」
「でもさ、今日着ていた服もあったよね? 洗濯してない服とかもさ。それも畳んで入れちゃったの?」
「……あ゛」
俺の行動は迅速だった。視界の端でゲイザーちゃんがソフトクリームをうっちゃってこちらを止めにかかろうとするが、それよりも早く俺は動いていた。
行先はクローゼット。……近くで見ると、僅かに扉が膨れているような気がする。
「あ゛ーっ、待った待った! だめっ、そこを開けたら――!!」
半ば悲鳴のような声を無視し、取っ手を掴んで無理矢理に開く。そして俺は、中から溢れ出した衣類の洪水をまともに受けるのだった。
散らばった衣服を眺め、肩に引っかかった下着を床に投げ捨てる。あえてゲイザーちゃんの方は向かなかった。彼女なら、俺が何を考えているのか理解しているはずだから。
「……ゲイザーちゃん、今俺が何を考えてるか分かる?」
「……か、可愛い服や色っぽい下着に埋もれて幸せ?」
「ちょっとそこに正座」
「……はい、ごめんなさい」
説教は一時間程に及んだ。説教が終わり、介抱されたゲイザーちゃんから足が痺れただの、人の心が分かってないだのと愚痴られたが全て聞き流した。
それはお互い様である。
……全く、仕方のない話だ。
夏の日差しを受けながら、首に巻いたタオルで額の汗を拭う。
ゴミ出しを終え、花壇の水やりを済ませ、家の前に打ち水もした。とりあえずは一仕事終えたといってもいいだろう。
「しっかしこの暑さはなんなんだか」
照りつける熱気は尋常なものではない。着ているシャツは汗で蒸れて肌にはりついてしまっている。額の汗は拭っても拭っても次から次へと流れ出して止まらない。コンクリートに撒いた水はすでに蒸発が始まっており、広がった染みはじわじわ小さくなっていた。辺りに響く蝉の合唱は、暑さにへばっているこちらをあざ笑っているかのようで凄まじく疎ましい。
とても朝の八時とは思えない気候である。
夏真っ盛りの陽気といえば聞こえはいいが、正直外で仕事をする分には地獄のような環境だった。高い湿度も相まって、外になのに蒸し風呂の中にいるようである。
釜茹でにされる感覚ってのは、こんな感じなのだろうか。
「まだ洗濯物も残ってるんだけどな」
ため息を吐いて家の方を向く。さほど大きくはない部屋を、そして稼働している室外機を見てもう一度ため息を吐く。部屋は薄手のカーテンで隠されていて、外から中の様子を窺うことはできなかった。
「一応、声かけてみるか」
部屋の様子、返ってくる返事。
おそらく訪れるだろう結末を知りながらも一抹の希望に縋ることにして、足早に家の中へと戻るのだった。
§
「入るよー?」
扉の奥にいる主に一声かけてから中に入った瞬間、ぶわと冷気が吹き付けてきた。全開で働いている冷房に首を振る扇風機が合わさって、体中の汗が急速に引いていくのを感じる。纏わりつく湿気も蝉の鳴き声もない、まるで天国のような空間が広がっていた。
こんな空間でイチャイチャできたら最高なのだろうが、楽園の主は俺がそうすることを許さなかった。
「へへっ、す〜ずし〜♡」
楽園の主であるゲイザーちゃんはベッドの上で寝転がっていた。何が楽しいのか、枕を胸に抱きながら端から端までをころころと転がっている。薄手のタオルケットを体に巻いているが、どうやらその下には何も身に着けていないようだ。その証拠に、脱ぎ捨てられた衣服――露出が高めの下着も含めて――が床に散らばっている。もっとも、床に散らばっているのは一着や二着ではない。流石に足の踏み場こそあるものの、年頃の娘としてそれはどうなのかというレベルの汚部屋だった。
「……ん? あーっ! 早く扉閉めろよな! 涼しいのが逃げてっちゃうだろ!」
「そんな格好で何してんのさ」
飛び起きてこちらに――背後の扉を閉めるために――向かってくるゲイザーちゃんの姿を見て、ため息混じりに愚痴ることしかできなかった。
§
「やだ。がんばれ」
洗濯物を干すのを手伝ってと頼んだらこの即答である。……まあ分かってたけど。
「そう言わずに、人を助けると思ってさ」
「やーだー! アタシの珠のような肌が焼けちゃってもいいのか!?」
それは困る。でも俺が日干しになるのはもっと困る。
というか人が汗水流して働いているのに、冷房の利いた部屋でころころしてることに罪悪感とかはないのだろうか。
「ほら見ろよコレ!」
彼女は頭の上で両手を組んで腰をくねらせ、珠のような肌(※自称)を俺に見せつけた。タオルケットで胴体こそ隠されているものの、黒い光沢がある手足は実に見事なものである。彼女自身が細身なこともあり、モデルとしてもやっていけるのではないかと思わせるだけの魅力があった。
……まぁ、お胸とお尻、そして頭の方は貧しいのだが――
「ぶふっ!?」
飛んできた枕が顔面に直撃した。完全に不意を突かれ、ぐらりと体が揺れて床へと倒れ込む。枕の材質上、それ自体に威力はないことがせめての幸いだろうか。
「今なんかシツレイなこと考えてただろ?」
「……とんでもございません」
枕を引きはがすと仏頂面の彼女の姿が見えた。上半身だけを起こし、床に座ったままでその様子を観察する。
彼女は目の前に立って――貧しい、もとい慎ましい――胸を張っている。腰に手を当てて覗き込むようにこちらを見下ろしていた。特徴的な大きな紅い一つ目は睨みつけるように細められていて、背後の触手はこちらを様々な角度から捉えるようにうねうねと蠢いている。
「とにかく、アタシは手伝わないから! 黒い肌ってあんたが思ってるより大変なんだぞ!」
言い分は分からないでもない。事実、髪も肌も背後の触手も黒づくめなのだ。そんな状態で日差しを浴び続けたらたちまちダウンしてしまうだろう。それもあって外の用事は俺が済ませるようにしてきたのだが。
「でもさ、ゲイザーちゃん家の中でできる家事も何もやってないじゃん」
「う゛」
言葉通り、食器を洗うのも洗濯機を動かすのも全て俺の仕事だ。外に出られないのならそういったことを手伝ってくれてもいいのではないだろうか。
「俺だけ働かせるゲイザーちゃんはひどいなぁ」
「ひどくない! あんたみたいなやつに付き合うくらいにはやさしいつもりだぞ?」
「ふーん、そうなんだー」
わざとらしく棒読みで返すと、彼女は今にも地団駄を踏みそうに体をプルプルと震わせていた。ぐるる、と唸り声を立て始めた彼女を更に煽るために、首を傾げながら顔を近づける。
「やさしいゲイザーちゃんなら、洗濯物を干している間に家の中のお掃除もやってくれるんだろうな〜」
「な、なんでアタシがそんなことしなきゃいけないんだよ」
「それともゲイザーちゃんは自分の部屋のお掃除もできない残念な娘だったのかなぁ〜? それはちょ〜っと女の子としてどうかと思うな〜?」
「んだとー!?」
こちらの挑発にまんまと乗り、ゲイザーちゃんは顔を真っ赤にしてぷんすか怒り始めた。座っているこちらを突き飛ばすと、びし、と音がしそうな勢いで指先を突きつける。
「じょーとーだ、じょーとー! やってやろーじゃないのさ! 掃除の一つや二つ、アタシにかかればパパパッとあっという間に終わるんだよ!」
よし、言質とった。
俺をからかうのが好きなゲイザーちゃんだがからかわれることは嫌いなようで、彼女の煽り耐性は随分と低かった。手綱を取りやすいのはありがたいことなのだが、正直ここまでチョロいとかえって不安になる。
「じゃあ任せちゃってもいい?」
「あたりめーだ! 埃一つないくらいに綺麗にしてやるよ! アタシの本気、見て腰抜かすんじゃねーぞ? ……おら、掃除の邪魔だから出てった出てった!」
ふんすと鼻息を荒くした彼女から急かされるように部屋を追い出される。部屋から出た瞬間、バタンと大きな音を立てて楽園の扉は閉まった。
「結果オーライってやつか」
当初の目的である洗濯物こそ頼めなかったものの、部屋の掃除をお願いすることはできた。あれだけやる気になっているのだ、きっと綺麗に掃除をしてくれるだろう。
「お手並み拝見といきますかね」
掃除のお礼にアイスでも買ってきてやろうか。
そんなことを考えながら、再び日差しが照り付ける地獄の空間へと足を踏み出すのだった。
§
「さてと」
物干し竿にかかった洗濯物を見て一息吐く。決して量は多くはないのだが、皺にならないよう丁寧に干すにはそれなりに時間がかかった。乾いた汗もぶりかえし、シャツだけでなくズボンまでもがじっとりと湿っている。
「しっかしなんだ、無精なのはどうにかならないのかね」
いくら一緒に暮らしているとはいえ、自分の洗濯物を人に干させるなんて女の子としてどうなのだろうか。ひらひらと風にそよぐワンピースやレースの下着を見る限り、決しておしゃれに興味がない訳ではないのだろうが。
「ま、今更か」
こちらに気を許してくれている証拠なのだろう、そう思うことにしてこれ以上深く考えるのを止めた。決して不安になっている訳ではない。彼女がこちらを信頼しているように、こちらも彼女を信頼しているのだ。
よし、その信頼に応えるためにもご褒美を買ってこなくては。
家の自室に戻り、クローゼットから適当にひっつかんだ服に着替える。そして出がけにゲイザーちゃんに声を掛けようと彼女の部屋の扉を叩こうとして
「むーっ、うーっ……おっかしーなー、収まらないぞー?」
中から聞こえてくる不穏な言葉を聞いて取りやめた。
「もうちょっと、こう……押し込んで……、よし、入った入った!」
なんというかその、散らかったものを無理矢理押し込んだような言い回しが気にかかったが聞かなかったことにした。
彼女を信頼していることもあるが、あんなんでもゲイザーちゃんは女の子なのだ。まさかクローゼットに適当に物を詰め込んで『よーし、掃除終わり!』なんて言う娘ではないはずだ。そう信じている。
「よーし、掃除終わりー! 後はだらだらするぞー!」
そう信じていた。
信じていたかった。
「へへー、あいつが見たら驚くぞー!」
その自信はどこから来るのだろうか。中が見えていないだけで本当に掃除をキチンと済ませたのか、それとも。
……信じていいよね?
彼女の口から答えを聞くのが怖くて、俺はその場から逃げるように立ち去った。
アイスを買いに行く足取りがこんなに重く感じたのは、生まれて初めてかもしれない。
§
「おーい、入るよー?」
再び声をかけて扉を開く。手にした袋にはソフトクリームが二つ。寝転がって食べるであろう彼女のことを考えると、おそらくこれが最善の選択だろう。
「おーお疲れさん。……おぉっ、なんだそれ!? アイスか!?」
気のない返事は俺が手にした袋を見てすぐに歓喜に満ちたものに変わった。気持ちは分からんでもないが、随分と現金な性格だ。
「はっはーん、さてはアタシへのご褒美に買ってきたんだろ、そうだろ?」
「そうだよ」
あえて否定することもできたがそうしなかった。彼女をからかうのも楽しいと言えば楽しいのだが、こうして純粋に喜んでいるの姿を見るのも楽しいのだ。
「なーんだ、随分アタシのことを分かってるじゃん、さっすが♡」
それだけではない。
こちらの想いが伝わっていることを、彼女が理解してくれていることが、何より嬉しかったのだ。偶然と言ってしまえばそれまでだろうが、それでも嬉しいものは嬉しいのだ、変に理屈ぶる必要はない。
「んじゃ食べよーぜ……あんたも暑い中、ごくろーさん」
ぺしぺしと俺の肩を叩きながら、自分の分のアイスをひょいと抜き去っていくゲイザーちゃん。しっかりと労いの言葉も忘れないあたり、こっちの気持ちも分かってくれているらしい。
……これだから、あまりガツンと言ったりできないんだよな。
手綱を取っているのはこちらだけではない。彼女もこうして俺の手綱をとっているのだろう。そんな凸凹した繋がりだが不思議と心地良かった。
ゲイザーちゃんも同じことを思っているんだろうな。
自然と口が弧を描くのを感じながら、俺はベッドの縁に座るのだった。
§
「ところでさ、掃除はもう終わった?」
ぺろぺろとソフトクリームを舐めながらそんなことを聞いてみる。あっさりと聞くことができたのは、なんだかんだ彼女と一緒にいるだけで不安はどこかに行ってしまったからなのだ。
「んー、まあな」
ゲイザーちゃんはもきゅもきゅとソフトクリームを頬張っている。ベッドに零さないために買ってきたのだがどうやら正解だったようだ。……その代わり、彼女の頬がクリームで汚れてしまっているのだが。
「ふーん、随分早く終わったんだね」
「へへん、あったりまえだろ! アタシにかかればちょちょいのちょいだぞ!」
彼女の返事に肯定も否定もせずに、用意したタオルで無理矢理口を拭う。ソフトクリームを持っているせいか、彼女は抵抗らしい抵抗も見せずにされるがままになっていた。
「でもまあよく収まったもんだね、あれだけの服、が……」
そこまでを口にして二つのことに思い至る。
一つ目は床に散らばっていた衣服はどこに行ったのかということ。
そしてもう一つは彼女の姿がタオルケット一枚ということだ。
「ねえ、ゲイザーちゃん。ちょっと聞いていい?」
「んー? なんだよ、アイスならやんねーぞ?」
こちらが感じている違和感に、ゲイザーちゃんは気づいていないようだった。
「あのさ、ここにあった服ってどこにやったの?」
「あー? 全部畳んで収納したぞ?」
「でもさ、今日着ていた服もあったよね? 洗濯してない服とかもさ。それも畳んで入れちゃったの?」
「……あ゛」
俺の行動は迅速だった。視界の端でゲイザーちゃんがソフトクリームをうっちゃってこちらを止めにかかろうとするが、それよりも早く俺は動いていた。
行先はクローゼット。……近くで見ると、僅かに扉が膨れているような気がする。
「あ゛ーっ、待った待った! だめっ、そこを開けたら――!!」
半ば悲鳴のような声を無視し、取っ手を掴んで無理矢理に開く。そして俺は、中から溢れ出した衣類の洪水をまともに受けるのだった。
散らばった衣服を眺め、肩に引っかかった下着を床に投げ捨てる。あえてゲイザーちゃんの方は向かなかった。彼女なら、俺が何を考えているのか理解しているはずだから。
「……ゲイザーちゃん、今俺が何を考えてるか分かる?」
「……か、可愛い服や色っぽい下着に埋もれて幸せ?」
「ちょっとそこに正座」
「……はい、ごめんなさい」
説教は一時間程に及んだ。説教が終わり、介抱されたゲイザーちゃんから足が痺れただの、人の心が分かってないだのと愚痴られたが全て聞き流した。
それはお互い様である。
……全く、仕方のない話だ。
18/08/02 23:41更新 / ナナシ