春の風物詩(かふんしょう)
冬の寒さも和らぎ、桜の蕾が色づき始める季節。
降り注ぐ暖かな日差しを浴びながら、私は一人帰路についていた。
彼女に近くの店までのお使いを頼まれたのである。
扉の隙間から紙切れを差し出した彼女に、一緒に行こう、と誘ったのだが。
「やだ。ぜったいにやだ」
「こんなにいい天気なのに勿体ない、散歩も楽しいよ?」
「今はデートしてる場合じゃないの! いいからさっさと行ってきてくれよな!」
頑として譲らなかったため、こうして一人寂しく歩いているのである。
こうしてうららかな陽気の中を手をつないで歩くのもいいものだと思うのだが、今の彼女にそんな仕打ちは耐え難かったのだろう。
「ま、いいさ」
別に今に始まったことではない。こうしてわがままを聞いてあげるのも彼氏の務めだ。
私は彼女――意地悪い笑みが似合うゲイザー――の姿を思い浮かべると、一人苦笑するのだった。
§
「ただいまー」
玄関から声をかけるも返事はない。
出迎えを期待していた訳ではないのだが、今朝からずっと部屋にこもりっきりなのは少し気になった。
一体何をしているのだろうかと思いつつ、彼女の部屋の前まで向かう。
実のところ、今朝から彼女とは一度も顔を合わせていない。
朝のあいさつをしようと扉に手をかけたら、入ってくるなと大きな声で止められてしまったのである。
いつも飄々とした態度でこちらをからかう彼女からはとても想像できない真剣な、少しかすれた声だった。
――頼むから、今はぜっったいに入ってくるなよ。約束だからな!
ケラケラ笑いながら冗談交じりの言葉を吐くことで私を閉口させることはあった。
黄金に輝く自慢の瞳で催眠をかけて私を意のままに操り、精神的に屈服させようとすることもあった。
そんな仕打ちを受けていても、私はこうして彼女と共に暮らしている。
なぜなら、私は彼女のことが大好きだからだ。
意地っ張りで、がさつで、わがままで、どうしようもない彼女を、世界で一番愛しているのだ。
だからこそ理解できる。
真摯な態度で告げた願いは、彼女がこれまでにないほど追い詰められていることを裏付ける証拠なのだと。
「頼まれたもの、買ってきたよー」
部屋の前で声をかけるも、やはり返事はない。
中から物音は聞こえてくるものの、詳細までは分からなかった。
今こうしている間にも、彼女は苦しんでいるのだろう。それを黙って見ていることはできないし、したくない。
とはいえ、彼女と交わした約束を理由なく破るのもまた問題である。
「……よし」
数分の熟考の末、私は扉を開けずに中の様子を探ってみることにした。
扉に耳を近づけて、神経を集中させる。
中で何をしているのか見ることが出来ない以上、他の感覚が頼りだ。
聴覚、嗅覚、そして第六感。今役に立ちそうな感覚はそれくらいだろうか。
流れてくる情報を逃がさないように、瞳を閉じて精神を集中させる。
部屋の前で耳を押し付けて待ち続けること数分。
扉の向こうからかすれた声が聞こえてきた。
§
「……あ……ふぁ……」
弱々しい声だった。
いつもの強気な彼女とはまるで別人のようだった。
「くぁ……んぁう……ふぇ……」
甘く切ない、何かを求めるような声が微かに聞こえる。
それに加えて、水が滴り落ちるような音も混じり始めた。
「はぁ……ふぇぁ…………ぁう……」
ポタポタという水音が止み、布か何かで乱雑に拭う音が聞こえてくる。
拭き取るのに手間がかかっているようで、しばらく音が止むことはなかった。
「ぐしゅ……やだぁ……やぁ……」
声に拒絶の色が混じり始めたころ、新たな情報が舞い込んでくる。
扉の隙間から甘ったるいような、それでいてツンとした酸味のある匂いが漂ってきたのだ。
「あ……また……ぅあぁぅ……くふぅ……はぁ……」
何の匂いだろうかと考える私だったが、その思考は徐々に大きくなりつつある彼女の声で中断されてしまった。
途切れ途切れの言葉の間に規則性を持つ荒い吐息が挟み込まれ、そこはかとない色気を感じる。
「っん……ぁむ……ぁふ……んくぁ……」
呼気を押さえようと口を閉ざしたのか、聞こえる声がくぐもったものに変わる。
しかし溢れる吐息を抑えることはできないようで、かえって艶めかしさが増したように思えた。
呼吸がひきつけを起こしたかのように荒くなって、そして――
「……ふぇっくし!」
§
「やっぱり花粉症、か」
扉から耳を離してそう呟き、買い物袋の中を覗く。
中には近所のドラッグストアから買ってきたマスクにティッシュ、目薬といった花粉対策のグッズが入っていた。
「ふぁ……ぁ……くしゅん!」
部屋の中から大きなくしゃみの音がしたかと思うと、ティッシュを取る音と鼻をかむ音が続けて聞こえてくる。
きっと今、彼女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているに違いない。
無数の目玉を持つ種族である以上、花粉症にかかってしまえばそんな惨事になることは火を見るよりも明らかだった。
こんな時にこそ私を頼ってほしいのだが、意地っ張りな彼女はそれをよしとしなかった。
普段から私を弄っている以上、その関係を崩すようなことをしたくないのだろう。
「別にそんなこと気にしないのにな」
それなりに付き合いは長いのだ、今更些細なことで嫌いになったりはしない。
彼女もそれを理解しているはずなのだが、私を心配をかけたくないのでこんなことをしているのだろう。
こちらとしては素直に弱みを見せてくれた方が安心するのだが。
「仕方ないな、うん」
彼女の意地っ張りを直すため、私は少々手荒な手段をとることを決意する。
私は、彼女から絶対に入るな、と口止めされた扉に手をかけた。
本来なら彼女の意志を尊重して、買い物袋を置いて去るべきだろう。
事実、今までも彼女が隠そうとしている事柄に、私が進んで踏み込むことはなかった。
その結果がこの有様である。
「まあ、それだけじゃないんだけど」
実のところ、彼女が弱っている顔を見たことがないので、どんな表情をしているか気になったのもあるのだ。
きっと可愛らしい泣き顔をしているのだろう。
……うん。見たい。ものすごく見たい。
「いかんいかん、何考えてるんだ私は。落ち着け」
深呼吸をして、昂った精神を鎮める。
冷静を取り戻したことを自覚すると、私は扉にかけた手に力を入れて、ゆっくりとそれを押し開き――
「!?」
飛び込んできたその光景を見て、思わず絶句してしまうのだった。
§
「…………!!?」
そこには顔を真っ赤にしている私の彼女、ゲイザーちゃんがいた。
開いた扉の向こう側にいる私の姿を見て、口をパクパクと開け閉めしている。
床に座り込んでいる彼女の周りには、丸まったティッシュが散乱していた。近くに置かれていたゴミ箱はすでにティッシュで溢れかえっている。
それだけの量を使ってもまだ足りなかったようで、湿ったタオルらしき布がいくつか転がっていた。
「あ……ぅあ……!!」
消え入りそうな声が聞こえ、彼女に視線を戻す。
吸い込まれそうな金色の瞳は濁りきっており、周りには幾度も擦ったような赤い痕が残っていた。
触手は茹でられたかのようにくったりと横たわっていて、床に涙の染みを作っている。
涙を流しすぎたのか、哀れにも干からびている触手もあった。生気が失われている目玉は、どこか死んだ魚を思わせる。
「ばっ……アタシ、あれだけ入るなって……くぅ、ふはぁ……んぅ……」
うん、これだけなら『まだ』想定の範囲内だ。
意図的に描写を避けていたが、問題はこれからである。
彼女は全裸だった。
左手の人差し指と中指で胸の乳首を摘み、伸ばしている。淡い桜色をしたそれは、今すぐ吸い付きたくなるような魅力を放っていた。
呼吸が荒いせいか、遠目からでもお腹が上下していることが分かる。お腹に乗った白い布と彼女自身の黒い肌のコントラストが綺麗だった。
細い脚は大きく広げられていた。普段は衣服で隠れて見えない肉付きのいい太ももを、惜しげもなくさらけ出している。
そしてそのどれもがしっとりと汗で湿っていた。ツン、と酸味のある匂いが鼻につく。
おそらく、これが先ほど嗅いだ匂いの一つだろう。
「やだ……ふっ……んっ……でてってよ……ぅく……」
ではもう一つの甘い香りはどこからだろうか。その出所もすぐに分かった。
大きく広がった彼女の股の根本へと視線を落とす。
そこにあるはずの秘部は右手の指で覆われていた。中指と薬指が根本で折れ曲がり、奥深くまで入り込んでいるだろうことが推測できる。
辛うじて見える指の根本は粘性のある液体で光沢を放ち、足元に水たまりを作っていた。
辺りに漂うのは、雄を誘う発情した雌の香り。
部屋を締め切っていたこともあって、彼女は自身が発した淫猥な気に当てられているようだ。
私はというと、根が生えたかのようにその場で無様に突っ立っていることしか出来なかった。
先ほどまでの思考はどこかへ吹き飛んでしまい、目の前で繰り広げられる彼女の痴態に釘付けになっていたのだ。
「何してんの……はやく……ぅぅ……どっか…いってよ……んぅ、っくぁ……」
そう言いながらも彼女は指の動きを止めようとしない。
ゆっくりと指が出入りする度に、ピチャピチャと雫が落ちて水たまりが広がっていく。
指が第一関節まで抜き出されたかと思うと、すぐさま入り込んで開いた隙間を埋める。
そうして隙間が埋まると、中に溜まっている愛液が溢れ出して指と床の染みを広げた。
「見ないでよ……ぁあ……やだ……ふっ、くぅん……みないでった、らぁ……」
拒絶の言葉とは裏腹に、指の動きは激しくなっていった。
にちにち、と淫猥な音と共に秘部と指の間に糸が生まれては切れ、零れ落ちる雫が白く濁っていく。
姿勢を保つことも難しくなったのか、彼女の体が次第に仰け反っていく。小ぶりな尻が床を滑り、背中から床に倒れ込んだ。
結果的にとはいえ、彼女は自らの秘部と尻肉を私に見せつけるような恰好になったのだ。
「やだ……いやぁ……とめて……とまってぇ……」
最早自分の意思ではどうにもならないのか、か細い声で懇願する。
しかし、その動きを止めるものは誰もいない。彼女自身はもちろんのこと、私も動くことが出来なかった。
この場から立ち去ることも、目を背けることも、声を出すことすら出来ずに、まるで催眠をかけられているような気分で目の前のオナニーショーを見つめていた。
「ぃやぁ……あぁ……ぁくぁっ……んぁあ……」
指の動きがますます激しくなり、彼女の体が痙攣し始める。
背中が上下しだしたせいで、お腹に乗っていた白い布がずれて床に落ちた。広がったそれを見て、私は布の正体に気づいてしまう。
それは私のシャツだった。
辺りに散らばっている布――どれも私の衣服だ――は涙や鼻水を拭うのに使われていたのではなく、彼女の自慰の道具として使われていたのだ。
私が出かけている間に調達したのだろうか、よく見ると下着まで転がっていた。
「あっ……あぁ……あんっ……うぁあ……くぁ、あぅ……ひあぁっ……」
その事実に気をとられていると、彼女の声の様子が変わっていた。
すでに意味のある言語を発することも出来ずに、ただ自らがもたらす快楽の波に溺れて喘いでいる。
焦点が合っていない瞳で虚空を見つめ、半開きになった口からはだらしなく涎が垂れていた。
「あぁっ……んぁああっ……ふくぅ……くぅああ……かはっ……うぁ、あっ……」
彼女の体が痙攣し始め、華奢な背中がゆっくりと浮き上がっていく。
彼女がとった体勢は、肩甲骨を支点にしたブリッジだった。首に大きく負担をかける姿勢をとることで、吐き出す吐息にかすれたものが入り混じる。
それでも、彼女の表情に苦痛の色は見えなかった。
頬を朱に染め、顔中を体液でべたべたにしながらも、彼女は笑っていたのだ。
――頼むから、今はぜっったいに入ってくるなよ。約束だからな!
脳裏に浮かぶのは、今朝彼女が放った言葉。
私は、その言葉には『心配をかけたくない』という意味が込められていたものだと思っていた。
……だが、本当にそれだけなのだろうか?
「ぁ……く……ぅあ、あ、ひっ、あ、あぁあああああぁああーー!!」
思考に耽る私の意識を、甲高い嬌声が呼び戻す。
彼女は弓なりに体をしならせると、秘部から愛液をまき散らして絶頂した。
「ひゅーっ……、ひっ……、は、くはぁ……」
一度達したことで力が抜けたのか、彼女はつま先立ちになっていた体を床に投げ出すようにして倒れてしまった。
指は秘部に収まったままで、体の痙攣も止まっていない。
「だ、大丈夫……?」
流石に心配になり、床で震えている彼女に近づく。
彼女の隣に立ち、どんな表情をしているのか見るためにしゃがみこんだ。
この時の私は彼女を心配するあまり、二つのことを見落としていた。
一つは、萎れていたはずの彼女の触手が不気味に動き始めていたこと。
そしてもう一つは、彼女の口元が弧を描いていたこと。
「え?」
気づいたときにはもう遅かった。
私が反応する前に、彼女と触手は動いていた。
触手は私の四肢に絡みつき、床に押し付けてその自由を奪う。
その本体である彼女は、私の体に跨るように座り込んだ。私の股間の上に跨り、じっとりと湿った秘部をこすり付ける。
「え……え?」
顔を伏せているため、彼女の表情は窺い知れない。
だが秘部をこすりつける動きが段々と激しくなっていることから、発情しきっているのは容易に推測できる。
罹患した者の理性を砕き、発情させる症状を持つ病があるという。
その病の名が脳裏に浮かぶと同時に、彼女が顔を上げてこちらを見つめた。
いつもの輝きを取り戻した金色の瞳と、獰猛に歪む口元から覗く牙は、獲物を貪る肉食獣を思わせる。
彼女の手が私の股間へゆっくりと伸び、はち切れんばかりに膨れ上がった欲望を掴んだ。
――アルラウネ花粉症って、どうすれば治るんだろうか。
これから訪れる快楽地獄を前にして、私は他人事のようにそんなことを考えていた。
§
「う、うーん……」
どのくらいの時間が経ったのだろう。
いつの間にか気を失っていた私は、ベッドの上で目を覚ました。
体中がベタベタとしてあまりいい気分ではない。
「お、やーっと起きたか」
私が起きたことに気づいたのか、ベッドの縁に腰かけた彼女はそう言ってにんまりと笑った。
「あれ、どこだここ……?」
どうして彼女がここにいるのか。
どうして自分はベッドに寝かされているのか。
様々な疑問が頭の中に浮かんでくる。
その疑問を解決しようと、記憶の糸を手繰ろうとして。
「んー??」
一人で買い物に出かけて、彼女の部屋の前で聞き耳を立てて、部屋に入ろうとして。
そこから先の記憶がぽっかりと抜け落ちてしまっていることに気づいた。
指を顎に這わせ、首を傾げて考えるも何も思い出せなかった。
「おー? どうかしたのか?」
そんな私の姿が気になったのか、彼女がそう声をかけてくる。
「いや、どうしてここで寝てるのか思い出せなくてさ」
――上手くいったみたいだな、良かった。
「……上手くいった?」
妙な言葉が聞こえてきた気がして、思わずオウム返しに問いかけてしまう。
「あ、あー? なんでもないぞ、な」
「あのさ、ひょっとして――」
「な、なんだよ」
あからさまに狼狽える彼女の姿を見て、私は一つの事を確信する。
「記憶、弄ったでしょ?」
私の問いかけを受けて、彼女はそっぽを向いた。
そしてうねうねと触手をあちこちに動かし始める。
単眼どころか触手すらも私と目を合わせようとしないその態度は、私の言葉が真実だと肯定しているも同然だった。
「お、おう! そーだよ! 覚えていると惨めになるだろうからアタシが催眠で弄って消してやったんだよ!」
重くなった空気に耐え切れず、彼女は吐き出すようにそう告げた。
「じゃあさ、何があったか教えてよ」
「……どーしても知りたいのか?」
彼女の問いに、私は無言で頷く。
彼女は腕を組んでうんうん唸っていたが、やがてこちらに向き直るといつものふてぶてしい表情で笑みを見せた。
「そーかそーか、お前がどんな風に遊ばれたのか知りたいのか……、いやらしい奴だな」
「確か、花粉症がどうとかって話だったような気がするんだけど……?」
「あーあー、花粉症かふんしょう。それはもう大変だったぞー。『お前』が花粉症にかかったせいで、アタシが看病する羽目になったんだ。感謝しろよな?」
「花粉症に看病いるの?」
「花粉症を馬鹿にすんな! お前がかかったのはアルラウネ花粉症でな、ずーっと発情しっぱなしだったんだぞ? だからアタシが抜いてやったんだ、三日三晩な」
「うーん、そうだっけ……?」
体に残る疲労感と妙にツヤツヤしている彼女の姿から、行為に及んだのは間違いないのだろう。
しかし、無事に残っている記憶では花粉症にかかっていたのは『彼女』だったような気がするのだが……?
「アタシが言うんだからそうなんだよ! アタシの言う事を信じられないのか!?」
「だからその記憶がないんだってば」
「じゃあ証拠を見せればいいんだな。 よーし、分かった。どうやってお前を治したかしっかりと教えこんでやる、体でな!」
その声と共に、彼女の触手が不気味に動き始めた。
とっさのことに反応できない私を尻目に、彼女は私の体に覆いかぶさるように近づいた。
「覚悟しろよ? 二度と忘れないようにしてやるからな……『アタシの眼を見ろ』」
その言葉が耳に入った瞬間、私の意識は霞がかかったかのようにぼんやりとし始めた。
ぼやける視界の中、一際目立つのは吸い込まれるような金色の瞳。
「ククク……、それじゃあどうやって遊んでやろうかなぁ……?」
§
その後、私が何をされたのかの詳細はここでは述べないでおく。
あえて述べるのであれば、私は生涯この恥辱を忘れないだろう、ということだ。
くそう。
降り注ぐ暖かな日差しを浴びながら、私は一人帰路についていた。
彼女に近くの店までのお使いを頼まれたのである。
扉の隙間から紙切れを差し出した彼女に、一緒に行こう、と誘ったのだが。
「やだ。ぜったいにやだ」
「こんなにいい天気なのに勿体ない、散歩も楽しいよ?」
「今はデートしてる場合じゃないの! いいからさっさと行ってきてくれよな!」
頑として譲らなかったため、こうして一人寂しく歩いているのである。
こうしてうららかな陽気の中を手をつないで歩くのもいいものだと思うのだが、今の彼女にそんな仕打ちは耐え難かったのだろう。
「ま、いいさ」
別に今に始まったことではない。こうしてわがままを聞いてあげるのも彼氏の務めだ。
私は彼女――意地悪い笑みが似合うゲイザー――の姿を思い浮かべると、一人苦笑するのだった。
§
「ただいまー」
玄関から声をかけるも返事はない。
出迎えを期待していた訳ではないのだが、今朝からずっと部屋にこもりっきりなのは少し気になった。
一体何をしているのだろうかと思いつつ、彼女の部屋の前まで向かう。
実のところ、今朝から彼女とは一度も顔を合わせていない。
朝のあいさつをしようと扉に手をかけたら、入ってくるなと大きな声で止められてしまったのである。
いつも飄々とした態度でこちらをからかう彼女からはとても想像できない真剣な、少しかすれた声だった。
――頼むから、今はぜっったいに入ってくるなよ。約束だからな!
ケラケラ笑いながら冗談交じりの言葉を吐くことで私を閉口させることはあった。
黄金に輝く自慢の瞳で催眠をかけて私を意のままに操り、精神的に屈服させようとすることもあった。
そんな仕打ちを受けていても、私はこうして彼女と共に暮らしている。
なぜなら、私は彼女のことが大好きだからだ。
意地っ張りで、がさつで、わがままで、どうしようもない彼女を、世界で一番愛しているのだ。
だからこそ理解できる。
真摯な態度で告げた願いは、彼女がこれまでにないほど追い詰められていることを裏付ける証拠なのだと。
「頼まれたもの、買ってきたよー」
部屋の前で声をかけるも、やはり返事はない。
中から物音は聞こえてくるものの、詳細までは分からなかった。
今こうしている間にも、彼女は苦しんでいるのだろう。それを黙って見ていることはできないし、したくない。
とはいえ、彼女と交わした約束を理由なく破るのもまた問題である。
「……よし」
数分の熟考の末、私は扉を開けずに中の様子を探ってみることにした。
扉に耳を近づけて、神経を集中させる。
中で何をしているのか見ることが出来ない以上、他の感覚が頼りだ。
聴覚、嗅覚、そして第六感。今役に立ちそうな感覚はそれくらいだろうか。
流れてくる情報を逃がさないように、瞳を閉じて精神を集中させる。
部屋の前で耳を押し付けて待ち続けること数分。
扉の向こうからかすれた声が聞こえてきた。
§
「……あ……ふぁ……」
弱々しい声だった。
いつもの強気な彼女とはまるで別人のようだった。
「くぁ……んぁう……ふぇ……」
甘く切ない、何かを求めるような声が微かに聞こえる。
それに加えて、水が滴り落ちるような音も混じり始めた。
「はぁ……ふぇぁ…………ぁう……」
ポタポタという水音が止み、布か何かで乱雑に拭う音が聞こえてくる。
拭き取るのに手間がかかっているようで、しばらく音が止むことはなかった。
「ぐしゅ……やだぁ……やぁ……」
声に拒絶の色が混じり始めたころ、新たな情報が舞い込んでくる。
扉の隙間から甘ったるいような、それでいてツンとした酸味のある匂いが漂ってきたのだ。
「あ……また……ぅあぁぅ……くふぅ……はぁ……」
何の匂いだろうかと考える私だったが、その思考は徐々に大きくなりつつある彼女の声で中断されてしまった。
途切れ途切れの言葉の間に規則性を持つ荒い吐息が挟み込まれ、そこはかとない色気を感じる。
「っん……ぁむ……ぁふ……んくぁ……」
呼気を押さえようと口を閉ざしたのか、聞こえる声がくぐもったものに変わる。
しかし溢れる吐息を抑えることはできないようで、かえって艶めかしさが増したように思えた。
呼吸がひきつけを起こしたかのように荒くなって、そして――
「……ふぇっくし!」
§
「やっぱり花粉症、か」
扉から耳を離してそう呟き、買い物袋の中を覗く。
中には近所のドラッグストアから買ってきたマスクにティッシュ、目薬といった花粉対策のグッズが入っていた。
「ふぁ……ぁ……くしゅん!」
部屋の中から大きなくしゃみの音がしたかと思うと、ティッシュを取る音と鼻をかむ音が続けて聞こえてくる。
きっと今、彼女の顔は涙と鼻水でぐちゃぐちゃになっているに違いない。
無数の目玉を持つ種族である以上、花粉症にかかってしまえばそんな惨事になることは火を見るよりも明らかだった。
こんな時にこそ私を頼ってほしいのだが、意地っ張りな彼女はそれをよしとしなかった。
普段から私を弄っている以上、その関係を崩すようなことをしたくないのだろう。
「別にそんなこと気にしないのにな」
それなりに付き合いは長いのだ、今更些細なことで嫌いになったりはしない。
彼女もそれを理解しているはずなのだが、私を心配をかけたくないのでこんなことをしているのだろう。
こちらとしては素直に弱みを見せてくれた方が安心するのだが。
「仕方ないな、うん」
彼女の意地っ張りを直すため、私は少々手荒な手段をとることを決意する。
私は、彼女から絶対に入るな、と口止めされた扉に手をかけた。
本来なら彼女の意志を尊重して、買い物袋を置いて去るべきだろう。
事実、今までも彼女が隠そうとしている事柄に、私が進んで踏み込むことはなかった。
その結果がこの有様である。
「まあ、それだけじゃないんだけど」
実のところ、彼女が弱っている顔を見たことがないので、どんな表情をしているか気になったのもあるのだ。
きっと可愛らしい泣き顔をしているのだろう。
……うん。見たい。ものすごく見たい。
「いかんいかん、何考えてるんだ私は。落ち着け」
深呼吸をして、昂った精神を鎮める。
冷静を取り戻したことを自覚すると、私は扉にかけた手に力を入れて、ゆっくりとそれを押し開き――
「!?」
飛び込んできたその光景を見て、思わず絶句してしまうのだった。
§
「…………!!?」
そこには顔を真っ赤にしている私の彼女、ゲイザーちゃんがいた。
開いた扉の向こう側にいる私の姿を見て、口をパクパクと開け閉めしている。
床に座り込んでいる彼女の周りには、丸まったティッシュが散乱していた。近くに置かれていたゴミ箱はすでにティッシュで溢れかえっている。
それだけの量を使ってもまだ足りなかったようで、湿ったタオルらしき布がいくつか転がっていた。
「あ……ぅあ……!!」
消え入りそうな声が聞こえ、彼女に視線を戻す。
吸い込まれそうな金色の瞳は濁りきっており、周りには幾度も擦ったような赤い痕が残っていた。
触手は茹でられたかのようにくったりと横たわっていて、床に涙の染みを作っている。
涙を流しすぎたのか、哀れにも干からびている触手もあった。生気が失われている目玉は、どこか死んだ魚を思わせる。
「ばっ……アタシ、あれだけ入るなって……くぅ、ふはぁ……んぅ……」
うん、これだけなら『まだ』想定の範囲内だ。
意図的に描写を避けていたが、問題はこれからである。
彼女は全裸だった。
左手の人差し指と中指で胸の乳首を摘み、伸ばしている。淡い桜色をしたそれは、今すぐ吸い付きたくなるような魅力を放っていた。
呼吸が荒いせいか、遠目からでもお腹が上下していることが分かる。お腹に乗った白い布と彼女自身の黒い肌のコントラストが綺麗だった。
細い脚は大きく広げられていた。普段は衣服で隠れて見えない肉付きのいい太ももを、惜しげもなくさらけ出している。
そしてそのどれもがしっとりと汗で湿っていた。ツン、と酸味のある匂いが鼻につく。
おそらく、これが先ほど嗅いだ匂いの一つだろう。
「やだ……ふっ……んっ……でてってよ……ぅく……」
ではもう一つの甘い香りはどこからだろうか。その出所もすぐに分かった。
大きく広がった彼女の股の根本へと視線を落とす。
そこにあるはずの秘部は右手の指で覆われていた。中指と薬指が根本で折れ曲がり、奥深くまで入り込んでいるだろうことが推測できる。
辛うじて見える指の根本は粘性のある液体で光沢を放ち、足元に水たまりを作っていた。
辺りに漂うのは、雄を誘う発情した雌の香り。
部屋を締め切っていたこともあって、彼女は自身が発した淫猥な気に当てられているようだ。
私はというと、根が生えたかのようにその場で無様に突っ立っていることしか出来なかった。
先ほどまでの思考はどこかへ吹き飛んでしまい、目の前で繰り広げられる彼女の痴態に釘付けになっていたのだ。
「何してんの……はやく……ぅぅ……どっか…いってよ……んぅ、っくぁ……」
そう言いながらも彼女は指の動きを止めようとしない。
ゆっくりと指が出入りする度に、ピチャピチャと雫が落ちて水たまりが広がっていく。
指が第一関節まで抜き出されたかと思うと、すぐさま入り込んで開いた隙間を埋める。
そうして隙間が埋まると、中に溜まっている愛液が溢れ出して指と床の染みを広げた。
「見ないでよ……ぁあ……やだ……ふっ、くぅん……みないでった、らぁ……」
拒絶の言葉とは裏腹に、指の動きは激しくなっていった。
にちにち、と淫猥な音と共に秘部と指の間に糸が生まれては切れ、零れ落ちる雫が白く濁っていく。
姿勢を保つことも難しくなったのか、彼女の体が次第に仰け反っていく。小ぶりな尻が床を滑り、背中から床に倒れ込んだ。
結果的にとはいえ、彼女は自らの秘部と尻肉を私に見せつけるような恰好になったのだ。
「やだ……いやぁ……とめて……とまってぇ……」
最早自分の意思ではどうにもならないのか、か細い声で懇願する。
しかし、その動きを止めるものは誰もいない。彼女自身はもちろんのこと、私も動くことが出来なかった。
この場から立ち去ることも、目を背けることも、声を出すことすら出来ずに、まるで催眠をかけられているような気分で目の前のオナニーショーを見つめていた。
「ぃやぁ……あぁ……ぁくぁっ……んぁあ……」
指の動きがますます激しくなり、彼女の体が痙攣し始める。
背中が上下しだしたせいで、お腹に乗っていた白い布がずれて床に落ちた。広がったそれを見て、私は布の正体に気づいてしまう。
それは私のシャツだった。
辺りに散らばっている布――どれも私の衣服だ――は涙や鼻水を拭うのに使われていたのではなく、彼女の自慰の道具として使われていたのだ。
私が出かけている間に調達したのだろうか、よく見ると下着まで転がっていた。
「あっ……あぁ……あんっ……うぁあ……くぁ、あぅ……ひあぁっ……」
その事実に気をとられていると、彼女の声の様子が変わっていた。
すでに意味のある言語を発することも出来ずに、ただ自らがもたらす快楽の波に溺れて喘いでいる。
焦点が合っていない瞳で虚空を見つめ、半開きになった口からはだらしなく涎が垂れていた。
「あぁっ……んぁああっ……ふくぅ……くぅああ……かはっ……うぁ、あっ……」
彼女の体が痙攣し始め、華奢な背中がゆっくりと浮き上がっていく。
彼女がとった体勢は、肩甲骨を支点にしたブリッジだった。首に大きく負担をかける姿勢をとることで、吐き出す吐息にかすれたものが入り混じる。
それでも、彼女の表情に苦痛の色は見えなかった。
頬を朱に染め、顔中を体液でべたべたにしながらも、彼女は笑っていたのだ。
――頼むから、今はぜっったいに入ってくるなよ。約束だからな!
脳裏に浮かぶのは、今朝彼女が放った言葉。
私は、その言葉には『心配をかけたくない』という意味が込められていたものだと思っていた。
……だが、本当にそれだけなのだろうか?
「ぁ……く……ぅあ、あ、ひっ、あ、あぁあああああぁああーー!!」
思考に耽る私の意識を、甲高い嬌声が呼び戻す。
彼女は弓なりに体をしならせると、秘部から愛液をまき散らして絶頂した。
「ひゅーっ……、ひっ……、は、くはぁ……」
一度達したことで力が抜けたのか、彼女はつま先立ちになっていた体を床に投げ出すようにして倒れてしまった。
指は秘部に収まったままで、体の痙攣も止まっていない。
「だ、大丈夫……?」
流石に心配になり、床で震えている彼女に近づく。
彼女の隣に立ち、どんな表情をしているのか見るためにしゃがみこんだ。
この時の私は彼女を心配するあまり、二つのことを見落としていた。
一つは、萎れていたはずの彼女の触手が不気味に動き始めていたこと。
そしてもう一つは、彼女の口元が弧を描いていたこと。
「え?」
気づいたときにはもう遅かった。
私が反応する前に、彼女と触手は動いていた。
触手は私の四肢に絡みつき、床に押し付けてその自由を奪う。
その本体である彼女は、私の体に跨るように座り込んだ。私の股間の上に跨り、じっとりと湿った秘部をこすり付ける。
「え……え?」
顔を伏せているため、彼女の表情は窺い知れない。
だが秘部をこすりつける動きが段々と激しくなっていることから、発情しきっているのは容易に推測できる。
罹患した者の理性を砕き、発情させる症状を持つ病があるという。
その病の名が脳裏に浮かぶと同時に、彼女が顔を上げてこちらを見つめた。
いつもの輝きを取り戻した金色の瞳と、獰猛に歪む口元から覗く牙は、獲物を貪る肉食獣を思わせる。
彼女の手が私の股間へゆっくりと伸び、はち切れんばかりに膨れ上がった欲望を掴んだ。
――アルラウネ花粉症って、どうすれば治るんだろうか。
これから訪れる快楽地獄を前にして、私は他人事のようにそんなことを考えていた。
§
「う、うーん……」
どのくらいの時間が経ったのだろう。
いつの間にか気を失っていた私は、ベッドの上で目を覚ました。
体中がベタベタとしてあまりいい気分ではない。
「お、やーっと起きたか」
私が起きたことに気づいたのか、ベッドの縁に腰かけた彼女はそう言ってにんまりと笑った。
「あれ、どこだここ……?」
どうして彼女がここにいるのか。
どうして自分はベッドに寝かされているのか。
様々な疑問が頭の中に浮かんでくる。
その疑問を解決しようと、記憶の糸を手繰ろうとして。
「んー??」
一人で買い物に出かけて、彼女の部屋の前で聞き耳を立てて、部屋に入ろうとして。
そこから先の記憶がぽっかりと抜け落ちてしまっていることに気づいた。
指を顎に這わせ、首を傾げて考えるも何も思い出せなかった。
「おー? どうかしたのか?」
そんな私の姿が気になったのか、彼女がそう声をかけてくる。
「いや、どうしてここで寝てるのか思い出せなくてさ」
――上手くいったみたいだな、良かった。
「……上手くいった?」
妙な言葉が聞こえてきた気がして、思わずオウム返しに問いかけてしまう。
「あ、あー? なんでもないぞ、な」
「あのさ、ひょっとして――」
「な、なんだよ」
あからさまに狼狽える彼女の姿を見て、私は一つの事を確信する。
「記憶、弄ったでしょ?」
私の問いかけを受けて、彼女はそっぽを向いた。
そしてうねうねと触手をあちこちに動かし始める。
単眼どころか触手すらも私と目を合わせようとしないその態度は、私の言葉が真実だと肯定しているも同然だった。
「お、おう! そーだよ! 覚えていると惨めになるだろうからアタシが催眠で弄って消してやったんだよ!」
重くなった空気に耐え切れず、彼女は吐き出すようにそう告げた。
「じゃあさ、何があったか教えてよ」
「……どーしても知りたいのか?」
彼女の問いに、私は無言で頷く。
彼女は腕を組んでうんうん唸っていたが、やがてこちらに向き直るといつものふてぶてしい表情で笑みを見せた。
「そーかそーか、お前がどんな風に遊ばれたのか知りたいのか……、いやらしい奴だな」
「確か、花粉症がどうとかって話だったような気がするんだけど……?」
「あーあー、花粉症かふんしょう。それはもう大変だったぞー。『お前』が花粉症にかかったせいで、アタシが看病する羽目になったんだ。感謝しろよな?」
「花粉症に看病いるの?」
「花粉症を馬鹿にすんな! お前がかかったのはアルラウネ花粉症でな、ずーっと発情しっぱなしだったんだぞ? だからアタシが抜いてやったんだ、三日三晩な」
「うーん、そうだっけ……?」
体に残る疲労感と妙にツヤツヤしている彼女の姿から、行為に及んだのは間違いないのだろう。
しかし、無事に残っている記憶では花粉症にかかっていたのは『彼女』だったような気がするのだが……?
「アタシが言うんだからそうなんだよ! アタシの言う事を信じられないのか!?」
「だからその記憶がないんだってば」
「じゃあ証拠を見せればいいんだな。 よーし、分かった。どうやってお前を治したかしっかりと教えこんでやる、体でな!」
その声と共に、彼女の触手が不気味に動き始めた。
とっさのことに反応できない私を尻目に、彼女は私の体に覆いかぶさるように近づいた。
「覚悟しろよ? 二度と忘れないようにしてやるからな……『アタシの眼を見ろ』」
その言葉が耳に入った瞬間、私の意識は霞がかかったかのようにぼんやりとし始めた。
ぼやける視界の中、一際目立つのは吸い込まれるような金色の瞳。
「ククク……、それじゃあどうやって遊んでやろうかなぁ……?」
§
その後、私が何をされたのかの詳細はここでは述べないでおく。
あえて述べるのであれば、私は生涯この恥辱を忘れないだろう、ということだ。
くそう。
18/07/15 00:05更新 / ナナシ