毒虫スポットライト
「ねぇ、お花さん。あなたは、すっごく可愛いね――――」
彼女の瞳は、1点を見つめていた。
どことなく力のない印象を与える、紫色の前髪の奥で垂れている瞳。
その瞳が映すのは、色とりどりの花が咲き誇る花壇。
――――目の前には、存在しない筈の。
「今日もお水、持ってきたからね。ふふっ……大きくなってね、私の分も」
彼女は、その手に持っていたじょうろを傾ける。水も何も入っていない、空のじょうろを。
しかし、彼女は間違いなく見ているのだ。
咲き誇る花の世話をすることに、小さな喜びを感じる少女……そんな風景を、あの舞台の上で。
「……私ね、あなた達よりも先に枯れちゃうんだって。お医者様が、そう言ってたの」
そこで、彼女の纏う雰囲気が、変わる。
小さなしあわせを感じていた少女が、拭いきれない大きな悲しみを表に出す。
「だから、ごめんね。私……今日でお世話、最後になっちゃうの」
するり、と。
蛇のように虫の腹が動いて、彼女の体が俺へと向けられる。
すらり、と。
その細い腕が、俺に向けて伸びた。
その手が何も掴めないのをわかっていて、それでも伸ばさずにはいられないかのように見えた。
「お花さん……私……
あなたたちみたいに、きれいに咲けてた……?」
今にも消え入りそうな声は。泣くのをこらえた表情は。
――――せめて、綺麗に咲くことぐらいは。
そんな想いが……ありありと、伝わってくるようだった。
「……すごい!!すごいな、お前!!」
手が割れんばかりに、喝采を込めて手を叩く。
俺1人しか送る人間はいないから、その分も力を入れた拍手を送った。
「えへへ……良かったですか、先輩?私、立派でした……?」
大百足の少女、俺の一つ下の演劇部の後輩である千里(ちさと)は、舞台の上で照れ笑いを浮かべた。そんな顔を見ると、さっきまでの沈んだ空気が嘘のようだ。
小さな舞台のスペースの上で、その表情はどこまでも眩しく感じる。
……ちゃんと、素直な気持ちを言葉にしてあげないとな。
「あぁ、立派だったよ。この役、千里なら似合うと思ってた」
俺の評価が嘘偽りのないものである事が、しっかり伝わったのだろう。「ほんとですか、えへへ……」と、頬に手を当てて顔を赤くしている。百足の下半身もうぞうぞと動いていて、心なしかウキウキとした態度を表しているかのようだった。
この劇は、幼い頃から入院生活を続けていた少女が主役だ。自分がいずれ治ると信じながらも生活を続けていた少女がある日、その余命を宣告されてしまい……という、中々に心にずっしりとくる内容。
無論だが、魔物娘が関わる以上この物語はハッピーエンドになるわけで。この後リリムがドラマティックに病室へ舞い降りて少女は魔物化し、入院生活の中で知り合った男の子と無事に結ばれて物語は締めくくられるのだ。
とはいえ前半部分、特に今やったように余命を宣告された直後のシーンの役は決して明るいだけでは務まらない。
深い悲しみと、それを覆うように笑う少女の必死さ。観客はみんな、ハッピーエンドを期待しているのだ。その幸せを強く感じさせたいならば、悲しみの表現は重要になる。
消え入りそうな儚さ。その中でも、必死に取り繕い見せる笑顔。
そういう演技が、求められる役だった。
幸い人間の少女の役なので、人化の術さえ使えれば演じる魔物の種族は問われなかった。だから俺は、こういった演技が得意ではないかと踏んだ千里を今回の劇のオーディションに推薦したわけだけど……
「……これがオーディションでも発揮できたら、もっと良かったんだけどなぁ」
「あぅぅ……上げて落とすスタイルなんて、酷いです先輩……」
しょぼん、と頭の上の触覚が2本力なく垂れた。
……そう。彼女は結局、俺の推薦も虚しくオーディションに受かる事がなかった。
詳細は彼女の名誉のために割愛するが、当時審査員だった友人曰く「セリフを覚えるので精一杯って感じの緊張っぷりだったぞあの子……」だ、そうで。
ただ、俺はその評価が納得いかなかった。昼休みに1人、誰にも気づかれないような場所で台本片手に練習している千里の姿を、見た事があったから。
それだけ演技が好きな彼女が、台詞を覚えるだけで終わりなんて、ある訳がない。
だから、もう一度演技を見せて欲しい、と頼んだ。
俺にだけ見せてくれればそれでいい、と付け加えて……大勢の前だと、緊張する性質なのではないかと思ったのだ。
そう告げた時「ひゃ!?ひゃい……!!わかりました!!先輩の為に、演技してみます……!!先輩の、為だけに!!」と少し大げさなぐらいに喜んでいたのだから、きっとそうなのだろうと思った。
その予想は、どうやら大正解だったようだ。
あがり症だとしたら、劇の本番までにすぐ治せるようなものでもないかもしれない。
けれど、あんな儚げな微笑みを見てしまったらもう、この劇のヒロインの役は……
「――――千里しか、考えられないな」
「……ふへぇっ!?」
おっと、考えが漏れてしまったらしい。赤裸々な気持ちがバレてしまうのは、俺としても少し恥ずかしいな。
「なななな、何言ってるんですか先輩!!そんな、急に言われても、私なんかが……!!」
彼女は手をブンブン振りながら、顔を真っ赤にしてアワアワしている。頭の上では、触覚もビュンビュンと忙しない動きっぷりだ。
しかし、それもしょうがない事だろう。
今までずっと影でしか練習してなかったのに急にこんな大きな評価をもらったら、咄嗟に否定してしまうのも無理はない。
しかし、今まで演劇が大好きでその事ばかりしか考えていなかった俺が言うのだから、少しは自信を持って欲しい。
「いや、俺本気だよ。さっきの表情を見て、確信した。俺は、千里がいい。千里じゃなきゃ、駄目なんだ」
「え?え?先輩?あの……」
本気を示すため、俺は舞台への階段をカンカンと音を立てて登る。
戸惑いが激しいのか、未だに赤面している彼女の前に立って……その手を、そっと握った。
「……っ!!……っ、っ!!」
「なんなら、今日みたいにまた二人っきりで練習してもいい。いや、むしろそっちの方が都合がいいだろう。俺でよければ、いくらでも付き合うから……な?」
それだけ期待しているんだという気持ちを込めて、俺は彼女に告げる。
オーディションの結果なんて、彼女の演技をもう一回審査員に見せて黙らせればいい。
すぐには難しくても、俺一人に見せるところから慣れていけばいい。
それだけの事を、俺はしてあげたかった。たった一度の演技を見ただけで、彼女にスポットライトが当たるところがどうしようもなく見てみたくなった。
「あ……あの、えぇとですね、その……」
その返事は、随分と煮え切らないものだった。
見れば、彼女は赤面したままで口元を金魚のようにパクパクさせている。
しまった、少し誘い文句が熱くなりすぎたか。急にここまでの事を言われても、頭が追いつかないだろう。俺の方も、言葉が足りなかったかもしれないしな。
そっと、握っていた手を離す。まずは、落ち着いてから返事を聞かせて欲しいって言わなきゃな。
「こ……こんなに熱い告白、されるなんて……♥」
そう、思っていたのだが……そこで千里は、予想外の行動を取った。
ずるずるとその百足の体を畳んで、人間でいうところの正座に近い位置にまで上半身を下げる。三つ指をつくその姿勢は、ジパングの魔物ならみんな知っている礼儀正しいものだ。
顔は真っ赤にしたままだったが……彼女は、弾むような笑顔で告げる。
「わ、私、不束者ですが……よろしくお願いしますね、先輩……♪」
その笑顔が、嬉しかった。俺の本気に、彼女も応えてくれたのだから……放課後に特訓するだけにしては多少、礼儀正しすぎる気がしないでもないが。
「……あぁ!!」
応えてもらったからには、俺も頑張らなきゃな……少なくとも、この笑顔の分ぐらいは。
そんな風にして、俺と千里の放課後の秘密特訓は始まったのだ。
彼女が小声で言ったつぶやきを、俺が聞き逃したままに。
この時の俺の発言が彼女に盛大に与えた誤解は、いつ解けるのか。
そして、果たして彼女は俺以外の人間に対して演技を見せられる日は来るのか。
その答えは……次の劇の日までの、お楽しみにしてくれ。
彼女の瞳は、1点を見つめていた。
どことなく力のない印象を与える、紫色の前髪の奥で垂れている瞳。
その瞳が映すのは、色とりどりの花が咲き誇る花壇。
――――目の前には、存在しない筈の。
「今日もお水、持ってきたからね。ふふっ……大きくなってね、私の分も」
彼女は、その手に持っていたじょうろを傾ける。水も何も入っていない、空のじょうろを。
しかし、彼女は間違いなく見ているのだ。
咲き誇る花の世話をすることに、小さな喜びを感じる少女……そんな風景を、あの舞台の上で。
「……私ね、あなた達よりも先に枯れちゃうんだって。お医者様が、そう言ってたの」
そこで、彼女の纏う雰囲気が、変わる。
小さなしあわせを感じていた少女が、拭いきれない大きな悲しみを表に出す。
「だから、ごめんね。私……今日でお世話、最後になっちゃうの」
するり、と。
蛇のように虫の腹が動いて、彼女の体が俺へと向けられる。
すらり、と。
その細い腕が、俺に向けて伸びた。
その手が何も掴めないのをわかっていて、それでも伸ばさずにはいられないかのように見えた。
「お花さん……私……
あなたたちみたいに、きれいに咲けてた……?」
今にも消え入りそうな声は。泣くのをこらえた表情は。
――――せめて、綺麗に咲くことぐらいは。
そんな想いが……ありありと、伝わってくるようだった。
「……すごい!!すごいな、お前!!」
手が割れんばかりに、喝采を込めて手を叩く。
俺1人しか送る人間はいないから、その分も力を入れた拍手を送った。
「えへへ……良かったですか、先輩?私、立派でした……?」
大百足の少女、俺の一つ下の演劇部の後輩である千里(ちさと)は、舞台の上で照れ笑いを浮かべた。そんな顔を見ると、さっきまでの沈んだ空気が嘘のようだ。
小さな舞台のスペースの上で、その表情はどこまでも眩しく感じる。
……ちゃんと、素直な気持ちを言葉にしてあげないとな。
「あぁ、立派だったよ。この役、千里なら似合うと思ってた」
俺の評価が嘘偽りのないものである事が、しっかり伝わったのだろう。「ほんとですか、えへへ……」と、頬に手を当てて顔を赤くしている。百足の下半身もうぞうぞと動いていて、心なしかウキウキとした態度を表しているかのようだった。
この劇は、幼い頃から入院生活を続けていた少女が主役だ。自分がいずれ治ると信じながらも生活を続けていた少女がある日、その余命を宣告されてしまい……という、中々に心にずっしりとくる内容。
無論だが、魔物娘が関わる以上この物語はハッピーエンドになるわけで。この後リリムがドラマティックに病室へ舞い降りて少女は魔物化し、入院生活の中で知り合った男の子と無事に結ばれて物語は締めくくられるのだ。
とはいえ前半部分、特に今やったように余命を宣告された直後のシーンの役は決して明るいだけでは務まらない。
深い悲しみと、それを覆うように笑う少女の必死さ。観客はみんな、ハッピーエンドを期待しているのだ。その幸せを強く感じさせたいならば、悲しみの表現は重要になる。
消え入りそうな儚さ。その中でも、必死に取り繕い見せる笑顔。
そういう演技が、求められる役だった。
幸い人間の少女の役なので、人化の術さえ使えれば演じる魔物の種族は問われなかった。だから俺は、こういった演技が得意ではないかと踏んだ千里を今回の劇のオーディションに推薦したわけだけど……
「……これがオーディションでも発揮できたら、もっと良かったんだけどなぁ」
「あぅぅ……上げて落とすスタイルなんて、酷いです先輩……」
しょぼん、と頭の上の触覚が2本力なく垂れた。
……そう。彼女は結局、俺の推薦も虚しくオーディションに受かる事がなかった。
詳細は彼女の名誉のために割愛するが、当時審査員だった友人曰く「セリフを覚えるので精一杯って感じの緊張っぷりだったぞあの子……」だ、そうで。
ただ、俺はその評価が納得いかなかった。昼休みに1人、誰にも気づかれないような場所で台本片手に練習している千里の姿を、見た事があったから。
それだけ演技が好きな彼女が、台詞を覚えるだけで終わりなんて、ある訳がない。
だから、もう一度演技を見せて欲しい、と頼んだ。
俺にだけ見せてくれればそれでいい、と付け加えて……大勢の前だと、緊張する性質なのではないかと思ったのだ。
そう告げた時「ひゃ!?ひゃい……!!わかりました!!先輩の為に、演技してみます……!!先輩の、為だけに!!」と少し大げさなぐらいに喜んでいたのだから、きっとそうなのだろうと思った。
その予想は、どうやら大正解だったようだ。
あがり症だとしたら、劇の本番までにすぐ治せるようなものでもないかもしれない。
けれど、あんな儚げな微笑みを見てしまったらもう、この劇のヒロインの役は……
「――――千里しか、考えられないな」
「……ふへぇっ!?」
おっと、考えが漏れてしまったらしい。赤裸々な気持ちがバレてしまうのは、俺としても少し恥ずかしいな。
「なななな、何言ってるんですか先輩!!そんな、急に言われても、私なんかが……!!」
彼女は手をブンブン振りながら、顔を真っ赤にしてアワアワしている。頭の上では、触覚もビュンビュンと忙しない動きっぷりだ。
しかし、それもしょうがない事だろう。
今までずっと影でしか練習してなかったのに急にこんな大きな評価をもらったら、咄嗟に否定してしまうのも無理はない。
しかし、今まで演劇が大好きでその事ばかりしか考えていなかった俺が言うのだから、少しは自信を持って欲しい。
「いや、俺本気だよ。さっきの表情を見て、確信した。俺は、千里がいい。千里じゃなきゃ、駄目なんだ」
「え?え?先輩?あの……」
本気を示すため、俺は舞台への階段をカンカンと音を立てて登る。
戸惑いが激しいのか、未だに赤面している彼女の前に立って……その手を、そっと握った。
「……っ!!……っ、っ!!」
「なんなら、今日みたいにまた二人っきりで練習してもいい。いや、むしろそっちの方が都合がいいだろう。俺でよければ、いくらでも付き合うから……な?」
それだけ期待しているんだという気持ちを込めて、俺は彼女に告げる。
オーディションの結果なんて、彼女の演技をもう一回審査員に見せて黙らせればいい。
すぐには難しくても、俺一人に見せるところから慣れていけばいい。
それだけの事を、俺はしてあげたかった。たった一度の演技を見ただけで、彼女にスポットライトが当たるところがどうしようもなく見てみたくなった。
「あ……あの、えぇとですね、その……」
その返事は、随分と煮え切らないものだった。
見れば、彼女は赤面したままで口元を金魚のようにパクパクさせている。
しまった、少し誘い文句が熱くなりすぎたか。急にここまでの事を言われても、頭が追いつかないだろう。俺の方も、言葉が足りなかったかもしれないしな。
そっと、握っていた手を離す。まずは、落ち着いてから返事を聞かせて欲しいって言わなきゃな。
「こ……こんなに熱い告白、されるなんて……♥」
そう、思っていたのだが……そこで千里は、予想外の行動を取った。
ずるずるとその百足の体を畳んで、人間でいうところの正座に近い位置にまで上半身を下げる。三つ指をつくその姿勢は、ジパングの魔物ならみんな知っている礼儀正しいものだ。
顔は真っ赤にしたままだったが……彼女は、弾むような笑顔で告げる。
「わ、私、不束者ですが……よろしくお願いしますね、先輩……♪」
その笑顔が、嬉しかった。俺の本気に、彼女も応えてくれたのだから……放課後に特訓するだけにしては多少、礼儀正しすぎる気がしないでもないが。
「……あぁ!!」
応えてもらったからには、俺も頑張らなきゃな……少なくとも、この笑顔の分ぐらいは。
そんな風にして、俺と千里の放課後の秘密特訓は始まったのだ。
彼女が小声で言ったつぶやきを、俺が聞き逃したままに。
この時の俺の発言が彼女に盛大に与えた誤解は、いつ解けるのか。
そして、果たして彼女は俺以外の人間に対して演技を見せられる日は来るのか。
その答えは……次の劇の日までの、お楽しみにしてくれ。
17/11/26 20:17更新 / たんがん