Please shine in the storm
「ん…う…?」
「あ、目が覚めたかい?おはよう」
目覚めた私の目に飛び込んできたのは、私の顔を心配そうに覗き込む私の最愛の人の顔。
私が慌てて上体を起こすと、私が寝ていた木製のベッドが、ぎしりと音をたてて揺れました。
「君、さっきまでうなされていたんだよ。調子は大丈夫かい?」
「あ、はい…特に問題はないです…」
「そっか。ならよかった」
彼の心配する声をよそに、私は部屋に飾られた鏡の前へと立って、自分の姿を確認します。
そこに映っているのは、私の姿。輝く金髪に純白の衣装を着て、背中に片側が白くもう片方は黒い翼を生やした私が、唖然とした表情を浮かべていました。
そう、私は天使です。
主神様より人間界を正しく導くようにとの仰せを受けて、人間界へと降り立った私は彼と出会い、日々を過ごすうちに恋に落ちてしまったのです。そんな彼と恋人になったのは、彼からの告白がきっかけでした。二つ返事で了承した私は彼との暖かい時間に身を委ねるうちに……彼にその純潔を、捧げてしまったのです。天界での最大の禁忌を破った私の翼は、少しずつ黒く染まっていきました。そのことを後悔は、していません。誘ったのが彼の方であるとはいえ、その誘いに涙を流して喜び、応じたのですから。
「朝見たら、もう片側の翼は完全に黒く染まっていたよ。…なんで、すぐに堕天したりしないんだろうな、君は」
「……さぁ。そんなの、どうでもいいことですよ」
本来ならば天使は、快楽に目覚めた瞬間に堕落して堕天使となってしまうそうです。私が何故そうならないのかはわかりませんが、一つだけ言えることがあります。
____この翼が全て漆黒に染まったとき、完全に堕天してしまうのだろうと。
「だってもう、堕天することは決まっているんですから。……そんなことより、私、もう我慢できません……」
彼の座っているベッドの横に腰掛けて、甘い声を出して彼を誘います。
天界にいた頃の自分だったら、こんなこと考えもつかなかったに違いありません。
「……抱いてほしいってことかい?」
「もう、恥ずかしいんですから言葉にしないでくださいよ。……そうです。私は堕天使なんですから、本能のままに生きたいんです。……しましょう?」
私の問いに彼は首を横に振って、はっきりと拒絶の意志を見せてきました。
「…できない。今の君とはできない」
「どういうことですか?今は私が誘っているんですよ……?」
「僕には君が、本当は嫌なのに無理矢理誘っているようにしか、見えないんだ」
俯きながら言う彼の言葉に、首を傾げます。
「なんでですか……?私はエッチな天使なんですよ….?翼も黒くなっちゃって、どんどん魔物に近づいているんですよ…?それなのに、エッチなことが嫌なんてある訳ないじゃないですか…」
私の言葉を聞くと、彼はこっちを苦しそうに向いてきます。その様子はそう、何か言いたいことを我慢しているかのようです。何故そんな顔をされたのかわからない私に、彼は我慢の限界をむかえました。
「だったら…どうして君は泣いているんだよ…!!」
「え………あれ………?」
言われてようやく、自分の目が涙を流していることに気づきました。
「そうやって辛そうに泣いているのに…君を抱いたりなんか、僕にはできない…!!」
「あれ…変、ですね……私、堕天使なのに……エッチなこと、大好きなのに……」
いくら涙を拭っても、涙は止まることなく流れ続けます。
「なんで君は、そんな嘘を言うんだ。……確かに初めての時は、君は心の底から望んでいたようだったし僕もそれが嬉しかった。でも今の君はちっとも嬉しそうじゃない……!!教えてくれ。君は本当に、堕天したかったのか………?」
その言葉で。プツリと、私の中で張り詰めていたものが、音を立てて切れました。
「…………ったに…決まってるじゃないですか…………したくなかったに決まってるじゃないですか!!」
自分の本当の気持ちを叫んだとき、目から涙がとめどなく溢れてきました。
「でも駄目なんです!!あなたのこと考えてるだけで胸の中が熱くなって、気持ちを抑えられない!!あなたを愛しいと思えば思うほどに私はあなたに抱かれたいと、堕天したいと望んでしまう………!!なんで天使が人を愛することがいけないんですか……!!主神様は人々を幸福に導くようにと仰られました…!!それなのに、私たちは人を愛することが許されないなんて、あんまりです……!!」
一度口にしてしまえば今まで溜め込んでいたものが全て出てきて、自分で自分の感情を抑えられません。
「私…堕天したく、ないです……!!だって、そうなればあなたがかつて綺麗だと言ってくれた翼は完全に黒く染まってしまう……!!心だって、きっとあなたに抱かれることだけを求めるようになってしまう……私、そんなの嫌です……うぅ……うわぁぁぁぁぁん!!」
彼の膝に顔を埋めて、泣き叫びます。
私の翼が黒く染まりきらない理由は、本当はとっくにわかっていました。
一度禁忌を犯したというのに未だに天使でいることを願っている私の、醜い未練。それが堕天することに抵抗して、翼を黒く染めることを拒んでいるのです。教団の教えと決別して、彼を受け入れたあの時に覚悟をしていたはずなのに。それでも、彼が堕天した私を見て嫌いになるのが怖くて必死に’’天使’’であることにすがりついた私の姿は、そのどちらでもない酷く滑稽なものでした。
「……リーシェ。顔を上げて」
「は、はい…」
自分の名前を呼ばれて、言われるがままに顔を上げます。
「初めて僕たちが出会った日のこと、覚えているかい?」
「…ひっく…なん、でそんなこと、聞くんですか…?」
「いいから。答えてくれ」
「…はい。覚えてるに、決まってます…」
私にとって衝撃的だったあの出来事を、忘れられるはずがありません。
彼と初めて出会ったのは、教会でした。
当時魔王軍と戦える程の力を持っていなかった私が教団の為にできたことは、人々に姿を見せて直接主神様の教えを広めることぐらいのものでした。
来る日も来る日も私の元へはたくさんの人々が集まって、私は盛んに持て囃されました。
そんな日々に徐々に疲れだした頃、彼と出会ったのです。
ぼんやりとチェアに腰掛けていた私は、気がつけばうたた寝をしてしまっていました。
ステンドグラスから差し込む夕陽で目を覚ました私の前には、彼がいました。
私が目を覚ましたことに気づくと、彼は慌てて私に頭を下げてきました。
「ご、ごめん。君のその羽があまりに綺麗だったものだから、つい見とれてしまったんだ…」
主神様の使いとして褒められたことはあってもこんな直接的に褒められたことのなかった私はどう反応したらいいのかわからなくて、顔を真っ赤にして俯くことしかできませんでした。
「でも、それがどうしたっていうんですか……!!」
未だ泣きやまない私の背中から、暖かい感触が伝わってきます。見れば、彼が私の背中へ手を伸ばして、そっと私の羽を撫でていました。
「僕の気持ちはあの頃からずっと変わっていない。君のこの羽は、思わず見とれてしまうぐらいに綺麗だ」
「嘘です…そんなの、嘘に決まってます…」
こんなに黒く染まってしまった私の羽が、綺麗なはずないじゃないですか…!!
「本当だよ。だって、どちらも僕の大切な恋人、リーシェの翼に変わりないじゃないか。たとえ折れようが、傷つこうが、堕天しようが、この翼は綺麗なままだよ」
彼はそう言って、私の黒く染まってしまった方の翼に手を置きます。その手の温もりが、私に教えてくれます。
____________彼が、心の底からこの翼を大事に思ってくれていることを。
「ましてや、この翼を汚してしまったのは僕だ。……それなのに……君がそんなに苦しんでいたのに……僕はちっとも、それに気がつかなかった……!!ごめん……!!」
翼に触れている彼の手は、震えていました。
「罪滅ぼしを…させてくれないか」
「そんなの、」
必要ないです、と私が言うよりも前に彼は私の体を持ち上げて、私の唇を塞いできます。
唇と唇を重ねるだけのつたなくて、優しいキス。強引なのにちっとも嫌になれないその唇は、彼の方から離れていきました。
「これが、今の僕にできる最大限の償いだ。……堕天しても、愛しているよ。リーシェ」
その言葉で、今まで私を’’天使’’として繋ぎ止めていたものが、崩れ去っていくのを感じました。
あぁ、私はずっと、この言葉が欲しかったのですね……
「私も……愛していますよ……アトス………」
だから私も感謝の気持ちを込めて、呼びました。
一度も呼んだことのなかった、彼の名を。
アトスをベッドに押し倒して、今度は私の方からその唇を奪います。
やがてこの唇は放さなければならないけれど、アトスのくれるこの暖かなぬくもりだけは絶対に放しません。
「アトス、朝ですよ。早く起きてください」
「…んぅ…あと、五分だけ待ってくれ……」
いくら体を揺さぶっても、私の愛しい人は一向に目覚めてはくれません。
これは、新技を試すいい機会ですね。私は耳元でそっと囁きます。
「アトス。早く起きないと、犯しちゃいますよ?」
「ぶふぅ!?朝から何を言ってるんだ!!」
効果は覿面。ばっちり目を覚ましてくれました。よし、今度からは朝はこれでいきましょう。
「アトスが悪いんですよ?私だってこんなこと言いたくないですが、お寝坊さんなアトスに早く私の作った朝ご飯食べてもらいたくて、必死に考えた結果仕方なくやっているんですから。決して、私がアトス食べたいよはぁはぁなんて思っている訳じゃないんですからね?」
「その割に君の視線がさっきからあらぬ方向に注がれているんだけど……」
「だってぇ…仕方ないじゃないですかぁ……昨夜私の中にあれが入ったんだと思うと」「ストーーーーップ!!朝からは禁止したじゃないか!!」
「やめろって言われてもあなたがいる限り無理ですよ♪」
「よしわかった早く朝ご飯食べに行こうか!!」
ようやくアトスは上半身を起こして、起きる気になってくれたようです。
私たちは部屋から出て食卓に着くと一緒にテーブルに座り、彼がスプーンを手にとって両手を丁寧に合わせます。
「それでは、いただきます」
「どうぞ召し上がってくださいね」
彼が私の料理を食べて顔を綻ばせてくれます。その顔に、私も笑顔を返しました。
あれから結局、私は堕天してしまいました。あの後私達は愛し合い、そして完全に翼は黒く染まってしまったのです。肌は青白くなって、髪もその色を失って。それでも、そんな私をアトスは笑顔で受け入れてくれました。自分の悩みがどれだけ下らないものだったのかを思い知らされ私はまた、彼の胸で泣いてしまいました。
私たちは教団の目の届かない親魔物領まで引っ越して、新たな生活を始めています。
私は堕天してしまったけれど、彼が傍にいてくれる限り、これからも’’天使’’でいられるでしょう。
11/02/06 16:20更新 / たんがん