第七話 『英雄の街』の片隅で
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……自分でも、陳腐な名前だと思った。
『ふぁいあーすとらいく』。
チカが言っていた言葉に『攻撃』を付け足しただけの、咄嗟につけた名前。
誰にでも考えつきそうなぐらい単純で、センスなんか欠片もない……だけど、私だけの名前。
叫んだ時、確かにあった高揚感。
いつもと何も変わらないのに、あの時の術は本当に強くなったような気がした。
初めてこの術を使った時の事を、思い出す。
この姿になってから、初めて練習した術。
魔力の制御も放出も、何度やっても上手くいかなくて。
ようやく炎が出せた時の……あの、嬉しさ。
何年も前のあの時の気持ちが、また蘇ったみたいで。
この名前を大事にしていきたい。
強く……そう、思った。
……そのせいで私は、浮かれていたんだと思う。
自分で手放したものの大切さを……忘れてしまっていたのだから。
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「……っつーわけで、今回の依頼はリラちゃんに盗まれたもん引き渡して無事終了、ってわけだ」
ギルドに帰ってきた俺達は、ブラウのオッサンにエリーの監査結果の報告を行っていた。
つってもまぁ、経過に問題なんぞなかったからな。
報告っつっても、やった事を一から十まで詳しく伝えたぐらいである。
偶に自分の失敗を客観的に聞かされたエリーが恥ずかしそうにしたりもしていたが、それはさておき。
「……マーチカ、何か補足はあるか?」
「ううん、概ね問題ありませんよ!!まぁ、強いて言うなら若干リッ君によるお嫁さん補正が入ったりしてましたけど!!」
「ホントに!?わぁい!!」
「んなもんあってたまるかぁぁぁぁ!!」
こんな時だろうと、チカちゃんは笑顔で爆弾を放り込んでくれる。
おかげさまで、周囲の冒険者の目がすっかりロリコンでも見るような目をしてやがる……この視線、いつかなくなるんだろうな?
「ほう……まぁ依頼人からの連絡もあったから、実際に依頼を無事こなした事は証明されてるしな。この依頼は監査人も含めて全員達成と見て、問題ないだろう」
「じゃあ……!!」
「あぁ、いいだろう。これで今日から嬢ちゃんも……冒険者の仲間入りだ」
その言葉の意味が、エリーの頭に届くには少々の時間がかかり。
「……やったぁ!!やったよ、お兄ちゃん!!」
手をいっぱいに上げて、全身全霊を込めてエリーは喜びの声をあげた。
真っ先に俺の方を向いて、純粋にキラキラした目を向けてくる。
……ったく。そんなにはしゃがれると、こっちまで嬉しくなってくるじゃねぇか。
「おめでとうレンちゃん。今日からは、一緒に働く仲間だね!!」
「うん、マーチカもありがとう!!これでエリーも、お兄ちゃんと一緒に冒険できるよ!!」
「俺が一緒にいるの前提かよ……」
この期に及んで図々しいなこの野郎は。
……そうだ、ちょうどいい機会だし聞いておくか。
「おいオッサン、冒険者用の寮って今空いてっか?こいつ、少なくとも今日も泊まる家ねぇからよ」
今日こそ依頼がさっさと片付いたらこのガキをいっぺんサバトへと帰そうと思ってたんだが、マユちゃんを見つけるのに手間取っちまったからな。
おかげで今はすっかり夜になって、帰そうにもできやしねぇ。
昨日みたいに、俺の家に泊めてやってもいいんだが……ただでさえロリコン扱いされてんのに、これ以上家から一緒に出るところとか見られたくねぇし。
だからこそ、冒険者なら格安で泊まれる寮の出番って訳だ。
そこならエリーの今日の報酬だけだろうと、一日ぐらいは余裕で泊まれる。
どこの誰だか知らんが、その建物作った奴に感謝するぜマジ……
……そんな風に軽く考えていたものだから、次のオッサンの言葉に反応が大幅に遅れた。
「……何言ってんだルベル?しばらくその嬢ちゃんには、お前んちに泊まってもらうことになるんだぞ?」
「……は?」
「ふんふふんふふーん♪ふふふふっふふーん♪」
「どうしてこうなった……」
夜の街を、足取りを重くして歩く俺。
その隣にいるのは、結局離れることがなかったガキが一人。
……溜息をつかずにはいられなかった。
このガキが一緒にいる理由は勿論、ブラウのオッサンのとんでもない言葉が原因である。
『おいおい、俺が許してやったのは冒険者になることまでだぞ?その子の正式な処分について、まだ決めてなかったろう。その結果を報告してやったまでだ』
『い、いや待て!!それでどうして、俺の家に泊めるって事になってんだ!?』
『正確には”最低一名による二十四時間の監視”だな。そのお嬢ちゃんもお前に懐いてるようだからな、俺からギルド長に推しといたんだよ。そしたら、あっさりオッケーもらえたぜ?』
『あんの無責任リーダーがぁぁぁぁぁ!!』
うちのギルドのギルド長はいつも、何かの都合でどこかへと出かけていることの方が多い。
やたらと言葉がはっきりしていないのは、ギルド長が何をしているかなど把握している人間の方が少ないからだ。
そのせいか、ブラウのオッサンはギルド長の言葉がなくともある程度は独断による決定が許されている。
今朝、エリーが冒険者になれるかどうかその場で決定していたのがいい例だ。
それだけ、オッサンが信頼されている事の現れなんだろうが……帰ってきたと思ったら、何でもかんでもオッサンの言葉を信じてるんじゃねぇよ……
『エリー、お兄ちゃんの家にいていいの!?わぁい!!』
『ガキは気楽でいいなチクショウ!!ってか、俺に二人分養えるような蓄えあると思ってんのか!!』
自慢にはならねぇけど、こちとら裕福な生活なんて送れてねぇんだぞ!?
……主に、師匠の残した武器の整備代が原因で。
リラちゃんは、馴染みの相手だろうと値段を負けるような事は決してしないのだ。
『まぁまぁ、生活費ぐれぇはこっちが多少工面してやるからよ。これも依頼だと思って、しばらく世話頼まれてくれや』
『……しばらくって、具体的にどんぐらいだ?』
まぁ、金あるってんなら一週間程度は別にいいような気も……
『一ヶ月間だ』
『なげぇよ!!いや、せめてもうちょい短くするぐれぇ……!!』
なおも抗議しようとする俺に対して、ブラウのオッサンは俺にしか聞こえねぇような小さな声でぽつりと呟く。
『……事情を話すなっていうお前の我が儘聞いてやったのは誰だと思ってんだ?』
『んぐっ……!!』
『あとついでにだが……入院してた時、お前は犯人の顔を見てないって言ってたがあれは嘘ついてたって事になるよなぁ?結果的になんとかなったとはいえ……俺達がお前の言葉にどれだけ落胆したと思ってんだ、ルベル?俺はむしろ、この程度の処置で済ませてやってるんだがなぁ……?』
……それを言われて何かを返せる程、俺は無謀な人間ではなく。
去り際のチカちゃんに「おめでとー!!これでリッ君、心おきなくレンちゃんとにゃんにゃんできるね!!」などとからかわれながら、俺は承諾をするしかなくなるのだった。
「ふんふふんふふーん♪おっかいーものー♪おっかいーものー♪楽しい楽しいおっかいーものー♪」
「……マユちゃんの鼻歌じゃねぇかそれ」
隣で巾着袋を片手にはしゃいでいるエリーが、今だけは羨ましく感じる。
まぁ……初めて貰った給料だから、っていうのもあるんだろうけどな。
苦労して自分で稼いだお金っていうのは、ただ手に入った金よりもずっと価値があるように感じるもんだ。
オッサンから給料受け取った時のエリー、しばらく袋の中から目を離さなかったしな。
「あれ、そうだっけ?でも、楽しみなんだもん!!この街にはどんな魔術書があるのかなー、って考えると!!」
「……それではしゃぐのはてめぇぐらいのもんだろうけどな」
俺達が今向かっているのは、この街の本屋である。
初めての給料で本を買いたい、というエリーからのお願いだ。
で、俺が監視しなきゃいけねぇ以上、俺が一緒に行かねぇとこいつは本屋に行けねぇ訳で……
まぁ、これぐらいだったらいいけどな。
初めての給料ぐれぇ、好きなところで使わせてやりてぇし。
「あと、昨日の耳栓についても調べたいの!!結局、ギルドでは聞けなかったし……」
「あー……そーいや、そんなのもあったな」
……やべ、昨日そんな約束してたのをすっかり忘れてた。
そういえばこいつが初めて興味津々になって聞いてきたのって、あの耳栓だったっけ……つい昨日の事だと言うのに、懐かしいもんだ。
「えーっと……こっちだったよね、本屋」
「あぁ、確かにこっちで合ってたような気ぃすっけど……なんだ、知ってんのか?」
今朝も通った分かれ道を、迷うことなく商店通りの方に向かって歩くエリー。
グランデムに慣れてないこいつが地図もなしに先を歩くなんぞ、珍しいこともあるもんだ。
「うん。だって、冒険者の本を買うときに一度行ったもん」
「あぁ、あれか……今日こそあの本片付けろよてめぇ?」
「はーい……」
なんせ、こいつの買った本は未だに玄関の近くに平積みの状態である。
昨日は帰ってすぐ寝たからそんな暇なかったけど、今日こそ片付けてもらわねぇとな。
「つかよぉ、お前ただでさえ沢山本買ってただろ。これ以上何がいるってんだよ?」
「あれはあくまで、冒険者って何なのか知る為の本だもん。あの時は、魔術の本はコーナーすら寄ってなかったから……」
「今度は趣味、っつーわけか。ってかよ、そもそもどうやって最初は本屋にたどり着いたんだ?」
「えっとね、箒で飛んで空から探してたの!!」
「箒大活躍だなオイ……ん?そういや今日の任務、どうして箒使わなかったんだよ?今日は昨日と違って別に禁止してなかったぞ?」
「……あ」
「忘れてただけかよ……」
自分でも意外な事だが、道中でのエリーとの会話は割と弾んでいた。
ガキの世話なんて面倒だというのは確かだが、これも悪くないと思いつつある自分に気がついてしまう。
……久しぶり、だからかもな。
こんな風に、気兼ねなく誰かとくっちゃべって歩く事が。
「それでね……あ、ここだよお兄ちゃん!!」
「お、着いたのか?どれ……」
明るい店内から漏れる光に足を止めると、それなりに整った店内の様子が見えた。
さすがに夜だからか、店内に他の客はいないようだ。
おかげで、「いらっしゃいませー」などという気の抜けた声が店に入るなり奥から聞こえてきた。
「じゃあエリー、魔術書のコーナー行ってくるね!!」
「もうちょい落ち着けってーの……」
店内に入るなりぱたぱたと駆け出していくエリーの後に続いて、俺も魔術書のコーナーへと入る。
……無駄金使わねぇか、確認しとくべきだろうしな。
「わぁ……!!」
瞳の中に星でも見えるんじゃねぇかってぐれぇ、キラキラと目を輝かせるエリー。
……これが普通のガキなら視線の先には絵本があるんだろうが、生憎とこいつの目線の先にあるのは仰々しい言葉の羅列だ。
『バフォメット向け!!上級炎属性魔術100選』『魅了の極意〜今日から君も旦那持ち!?〜』『四大属性の歴史学入門』『スライムでもできる!!難解な魔法陣を10秒で書く方法』
……まぁ、実に魔物娘らしい内容だ。
その中の一つ、炎属性魔術について記されたものをエリーは手にとるとパラパラと中をめくり始める。
どれ、一体どんな事が書いてあって……
『はじめに:炎属性とは四大属性の中でも唯一破壊の象徴とされることがある属性である。一見我ら魔物が扱うには不都合のある属性のようにも思われるが、その一方で深い情欲や愛としても例えられる事がある。実際提灯お化けやイグニスなどは火を象徴としながらもその燃えたぎる力により互いの想いを増幅させる事から、魔物においても火の属性は不可欠な存在で…………』
……正直に言えば、一行目が目に入った途端に視線を逸らした。
「えっと、この本の内容は読まなくても大丈夫そう……こっちはどうだろ……あ、『魔力そのものを無条件で防ぐ技術』?これ、主に反魔物領で使われてる技術だけど……っ!!やっぱり、あの耳栓にも使われてるんだ!!そっかぁ、マンドラゴラの魔力だけ区別してるんじゃなくて全ての魔力を無差別に……だとすると……」
本を読みながらブツブツと何かを呟くエリーは、どうやら内容を大体把握しているらしい。
まぁ、楽しんでるなら別にいいんだけどよ……
「お前よぉ……こんな文字ばっかの本読んでて楽しいかぁ?」
「えー、エリーは楽しいよ?お兄ちゃんも一緒に読まない?」
「俺はそういうの読むと眠くなんだよ、だからパスだ」
「えー、勿体ないよー……」
昔から勉強ろくにしなかったのは、これが原因だからな。
体動かしながらだったら、割と色々覚えが早かったんだが……
「そういうのより、もっといいのがあんぜ。ちょっと待ってろ」
エリーのいた棚のコーナーを一旦そっと後にする。
お目当ての本、お目当ての本は、っと……お、あった。
「ほら、ガキらしいもん持ってきてやったぞ」
「えっ……お兄ちゃん、これって……」
突き出した本を見ると、エリーは怪訝そうな顔をして俺を見上げる。
「絵本……だよね……」
「あぁ。『れいこうのえいゆう』のお話だ。てめぇみたいなガキにゃそっちの方がお似合いだろ」
「むぅ、子供扱いしないでよー!!エリーそんな子供じゃないもん!!」
予想通りというか何というか、頬を膨らませて怒り出すエリー。
しかしそうなると、気になる事が一つ。
「子供じゃねぇ?まぁ、それにしちゃ魔術詳しすぎだとは思ってたけどよ……んじゃあ、てめぇ何歳なんだよ?」
「え?あ、それは、その……と、とりあえずこの本読んでみよっかなー!!」
露骨に話を逸らされてしまったが、まぁオススメの本を読ませる事には成功したからいいとしよう。
「……あれ?エリー、この本の内容知ってるよ?」
「そりゃ、いっぺんてめぇも読んでる話だからな。積んであった本の中に、『麗光〜伝説の冒険者の記録〜』って本あったろ?その絵本は、あの英雄の話だ」
つっても、話自体はどこにでもありそうな平凡なお話だ。
反魔物領に産まれた主人公は勇者になるが、ある日魔物を殺す事に疑問を覚えて自らの国を逃げ出す。
彼はやがて自分と同じように自らの故郷に行き場を無くした者達を集め、逃げ込んだ先の親魔物領で一つの街を作り上げるのだ。
そこに、かつての勇者の噂を聞きつけた教団が領に攻め込んできてしまう。
しかし彼はこれを、人間の身ながら光のごとく流麗な剣さばきで一人も殺さずに退けた。
その事から“麗光”の英雄と呼ばれた彼は、その後冒険者として各地を放浪して人にも魔物にも平等に手を差し伸べ続けた……そんな話だ。
ただ一つ普通の絵本と違うのは、それがつい数十年前に実際に起きた話だということ。
この街グランデムを作ったきっかけになった、たった一人の英雄。
……”麗光”。
「んー……本だけじゃなくて、こんな話どこかで聞いたことあるような……最初の方だけ、すごいそっくりなんだけどなぁ……」
エリーは何をしているかといえば、さっきからうんうんうなりながら絵本とにらめっこである。
聞き覚えがあった、ねぇ……この街の出身でもねぇこいつが、一体どこで聞いたって……
「……あ、思い出した。『叛逆の堕光』って勇者だ」
……あん?
「その人の話が、この本の話の序盤とそっくりだなって……」
「……てめぇ、反魔物領の出身か?」
「え!?ど、どうしたのお兄ちゃん急に!?」
反応的に、ビンゴっぽいな。わかりやすい奴。
「どうしたも何も、お前が今言ってた呼び名は“麗光”が故郷の反魔物領で呼ばれてた呼び名だぜ?それも、脱走した当時ぐれぇに使われてたやつだから少なくとも50年以上は前のだしよ」
「え!?そ、そうなの!?」
「てめぇ……何歳なんだよ?」
「え、えーと……」
さっきは不問にした質問を、もう一度尋ねてみることにした。
やはり答えたくないようで、エリーは気まずそうに視線をあちらこちらに泳がせていた。
「え、エリーは……」
別に、嫌なら無理に聞こうとはしねぇんだがな……
そう言おうとしたところで、エリーの目が覚悟を決めたように俺に向き直る。
「魔女年齢、11歳だよ☆
……あたっ!?」
何か、ポーズまで取ってんのが無性にイラッときた。
「あうぅ、今のは酷いよぉ……」
「ったく……別にそんな見え透いた嘘つかなくてもよ、どうしても聞きたいって程じゃねぇってーの。嫌なら聞かねぇよ」
「ほっ……助かったぁ……あながち嘘でも、ないんだけど……」
俺の言葉にほっと一息ついて、エリーは肩をなで下ろす。
……そう、どうしてもって程じゃねぇ。
けど……興味がねぇ、とも一言も言ってねぇぞ?
「あぁ。だから、勝手にてめぇを200歳ぐらいのババァと思ってる事にするわ」
「エリーそんなに歳いってないもん!!人間の時と合わせても、せいぜい80年ぐらいしか……!!
……あ」
うん、あっさり引っかかりやがったコイツ。
昔人間だった事もさり気なく初耳だったが、それ以上に重要な事がある。
「結局ババァだったんじゃねぇかよてめぇ……」
「あ、あうぅ……その言い方やめてよぉ……」
よっぽど年齢の事がショックだったのか、エリーは最早涙目だ。
……どのみち、50年程度前の事を知ってるんだったらそれぐらいだろうな、という予想はしてたんだがな。
「ってかよ、歳の割に常識知らなさすぎだろうがてめぇ……何十年引きこもってたらそうなるんだってーの……」
こいつの事だから、マジでずっと引きこもってたんだろうな……
「え、エリーはそんなにっ……あ、うん。えへへ、ずっと魔術の勉強ばっかしてたから……」
「ったく……」
何を反論しても無駄だということに気がついたのか、照れながらそんなことを言うエリー。
歳の事を知ったところでやはり、俺にとっちゃまだまだガキでしかなかった。
……まぁ、こいつとはしばらく嫌でも付き合わなきゃなんねぇんだ。
せめて一般的な常識ぐれぇ、身に着けてもらわねぇとな……
「それにしても……本当にいたんだよね、この”麗光”って人」
絵本に目を通しながら、エリーはそんなことを呟く。
そのページには、この街の中央で沢山の人間と一緒になって笑いあっている一人の男が描かれていた。
「あぁ。この街を作るきっかけにもなった英雄で……俺の憧れてる、唯一の人だ」
「お兄ちゃんが……英雄に?」
「あぁ、そうだよ。お前はすげぇと思わねぇのか?」
そっと窓枠によって、外を眺める。
街の明かりはまだ明るく、居酒屋は賑やかで笑いあう声が届きそうな客の入りよう。
それは、たった一人の人間が築き上げたこの街の一風景。
「この街全部、俺が産まれるちょっと前にはなかったんだぜ?それを一からこれだけの大きさになるまで人を集めて、ここまでの街を作った。故郷を無くした奴らにとっての、第二のグラウンド(地)……グランデムの名前には、”麗光”のそんな願いが込められてるんだとさ」
「へぇ……お兄ちゃん、何だかすっごく楽しそうな顔してるね」
「……そうか?」
自分では、そんな顔になってるなんぞ自覚なかったんだけどな……
まぁ、こんな事を話すのも随分久しぶりだから、楽しいのは確かだ。
この際だから、こいつには”麗光”の全てを知ってもらうとするか。
「”麗光”のすげぇところはそれだけじゃねぇんだぜ。これだけ大きくなった街にやってきた教団の連中を、ほぼ全員一人で誰も殺さず撃退したんだ。魔物でもねぇ、インキュバスでもねぇ一人の人間が、生身でだぜ!?それも何倍、何十倍もの勢力をだ!! な、まさに英雄と呼ぶにふさわしい男だろ!!」
「うぇ、う、うん……それは、すごいね……」
「それに、剣の腕だってすげぇんだ!!相手の動きを先読みして、針の穴に糸を通すような繊細な動きで確実に相手の動きを止める!!光のような剣裁きだってよく言われてるけどよ、全くその通りだと思うぜ!!あれぞまさに麗しき光、麗光!!しかも剣だけに留まらず、この世に存在する武器だったら大抵は使えると言われているぐれぇ……!!」
「お客さーん、そろそろうるさいっすよー」
「……お?あ……」
そこで、ようやく目の前のエリーがポカンと口を開けている事に気がつく。
……っとと、つい熱く語りすぎちまってたか。
店員の女の子に注意されてしまい、慌てて振り向いて謝ることにする。
「今は閉店間際で他にお客さんはいないからまだいいっすけどね……次は注意して欲しいっす。エリーちゃんも、久しぶりに来たと思ったら大変っすねぇ……」
「うん、ありがとうミクコ!!」
……言動から察するに、エリーの知り合いか?
ぴょこん、と彼女の頭で丸い耳が揺れる。
その胸には『ミクコ=モトミヤ』と書かれた写真付きの名札がぶら下がっていた。
……種族名は形部狸、だったか?
確か、魔物の中でも特に商売上手な種族だったような気がする。
何より……やっぱり魔物だけあって、可愛い。
「わりぃわりぃ、次からは気をつけるぜ。それで、お詫びに提案があるんだが……ミクコちゃん、俺とデーt」「お兄ちゃーん、ミクコはもう結婚してるよ?」
なん……だと……!?
愕然とする俺の隣をすたすたと歩いていくと、エリーはカウンターに本を置く。
「はい、ミクコ。この本ちょうだい!!」
「毎度ありーっす。どれどれ……あれ、これ絵本じゃないっすか。これ、エリーちゃんが読むんすか?」
「……って、おい。てめぇ、あの本マジに買うつもりなのか?」
俺としちゃ”麗光”に興味を持たせる為にとりあえず読ませただけで、買って欲しかった訳じゃないんだが……
そんな俺の考えをよそに、エリーは笑った。
「うん!!これ、初めてのお金だからね……お兄ちゃんのオススメを買いたいの!!」
どこまでも無邪気に、俺のことを見上げて。
「エリーがこうやって冒険者になって、お金を貰えるようになったのも全部お兄ちゃんのおかげだから。お兄ちゃんがオススメしてくれるなんて、初めてだし……こういうのも、たまにはいいかなって!!」
どこまでも素直に、感謝の気持ちをぶつけてきた。
まぁ……楽しそうだし、わざわざその気分を下げてやる必要もねぇか。
「毎度ありーっす。いやぁ、仲の良い兄妹みたいでうらやましいっすねぇ」
「ううん、ちが……ムグッ!?」
「あぁそうなんだよ!!実はコイツ、親戚のところの子でよぉ!!」
本を受け取り余計な事を言いそうだったエリーの口を手で塞いで、強引に俺からしゃべり出す。
……これ以上、こいつが俺の嫁という噂を拡散されたかねぇんだよ。
「じゃ、ありがとなミクコちゃん!!俺達、これで!!」
「んむーっ!!」
エリーを半ば腕の中に抱えるようにして、本屋の出口まで一直線に進む。
本のせいで両手がふさがっている為か、エリーの抵抗もなくスムーズに脱出する事ができた。
「……ホントに仲、良いんすねぇ」
この出来事が、後にグランデムの街に広がる『ルベルクス=リークとエリーネラレンカートは夫婦』という噂を余計にこの少女に信じさせてしまう事になるのだが……今の俺に、そんなことがわかるわけもなかった。
「ぷはっ……!!」
本屋を出たところで、俺は手をエリーから離した。
だいぶ苦しかったようで、はぁはぁと息を荒げている。
「ぁ……お兄ちゃんの、匂い……」
「……あん?」
「あ、そ、そうじゃなくて……そうだよ、お兄ちゃん乱暴だよぉ……」
「うっせ、てめぇが余計な事言い出しそうになったからだろーが。この機会だからはっきり言っとくけどな、てめぇが周りに俺の嫁扱いされても嬉しくなんかねぇんだっつーの」
あれだけ言ってもなお、エリーの頭には無数の疑問符が浮かんでいる。
まるで、俺の言っていることの方が常識外のような顔だ。
「んー……何で?男の人って、お嫁さんがいると嬉しいんでしょ?それで、周りの人にお嫁さんがいることを自慢するんじゃないの?」
「……サバトの奴らがそう言ってたのか?」
魔術以外あらゆることに疎いこいつがこんな間違いまくった知識を植えつけられるとしたら、サバトぐらいのものだろう。
だとしたら、随分余計なことをしてくれたものだ。
「え、えーと……そんな感じかな。ば、バフォメットがそんなこと言ってたような……」
少ししどろもどろなのは、よく覚えてないからだろうか。
別に、怒ってるって程でもねぇんだがな……まぁ、ちょうどいい機会だ。
「はぁ……いいか、それは本当に好きな相手が嫁の時だけだ。好きでもなんでもねぇ相手に嫁だ嫁だ言われたって、嬉しくもなんともねぇよ。てめぇら魔物だって、旦那以外の相手から求婚されたって嬉しくもなんともねぇだろ?それと一緒だってーの」
「んー……じゃあお兄ちゃんは、エリーのこと嫌いなの?」
「そういう意味じゃねぇよ。てめぇみてぇに歳だけ食ったガキなんぞ、俺はそういう目で見れねぇって事だ。嫁だって言いてぇんだったらせめて……そうだな……」
「せめて……?」
少し間を置いて、考えてみることにする。
出会った時から俺が、こいつの事を一度もそういった対象で見たことがない理由。
そんなん……一つしか、ねぇな。
「もう少してめぇがムチムチのナイスバディになってから、だな」
自分の事ながら、この時は嫌味な笑顔を浮かべていたと思う。
俺の言葉の意味を、少し遅れながらも察したエリーは……案の定、むくれた顔になった。
「むぅ……!!エリー魔女だからこれ以上おっきくなんかなれないもん!!お兄ちゃんの意地悪ー!!」
ぷりぷりと怒りながら、エリーはどこかへ行こうとしてしまう。
……ちっとやりすぎたか?
けど、これぐらいはやっとかねぇとこのガキ繰り返しそうだし、良い機会ではあっただろう。
……からかったのは俺だから、流石に謝っとかねぇとまずいだろうけどな。
「あぁ、わりぃわりぃ。けどよ、その前にちょっと行きたいところがあんだけどいいか?」
「むぅ、なんでエリーがー……」
振り向くエリーは未だに頬を膨らませたままであった。
「どの道、俺とてめぇは常に一緒にいなきゃいけねぇだろ?一人っきりになった時ギルドに突き出されるのはてめぇの方だぜ?だからよ、大人しくついてきてくれると助かるんだが……」
「……わかったよ、エリーも行く」
渋々、と行った感じで仏頂面のエリーは後をついてくる。
よっぽど根に持っているのか、そこから目的地に着くまでの間に俺達の間には一度も会話がなかった。
……やっぱり、やりすぎたか?
そんな思いを抱きながらも、目的地に着く。
そこでようやく、エリーの方から声を発してくれた。
「あれ?ここって……リラのお店だよね?」
まぁ、さっき来たばかりの店にもう一度やってきたとなりゃあ、そんな顔にもなるだろうな。
「さっきは依頼人と冒険者の関係だったろ?客として欲しいもんがあんだよ今は」
「ふぅん……でもお兄ちゃん、大抵の武器は持ってるよね?それなのに……何を買うの?」
「ま、んなこといいだろ。さっさと入るぞ」
本日二度目の、ドアに取りつけてあるベルが鳴る音。
けど、今カウンターに立っているのはキリュウではなくリラちゃんの方だ。
「いらっしゃい。あなたのこと、待ってた。……一応は」
「相変わらず一言多いぜリラちゃん……」
早速の冷たい一言に、早くも打ちのめされそうになった。
けどまぁ、今はリラちゃん口説くのが目的な訳じゃねぇしな。
「早速だけどよ、頼んでたやつ持ってきてくんねぇか?」
「わかった。すぐ、持ってくる」
ギルドに向かう直前に、こっそりと商品を頼んでおいたのだ。
流石は寡黙な職人サイクロプスだけあって、リラちゃんの仕事は色々と早い。
奥の方へと歩いていったかと思うと、すぐにお目当てのものを手に持って戻ってきた。
「え……?あれって……」
リラちゃんが手に抱えているものに、エリーが反応する。
そりゃぁそうだろう。
『あれ』は、俺よりもお前の方がなじみ深いものなのだから。
「杖、だよね……お兄ちゃん、魔術も使えるの?」
「あぁ?んなわけねぇだろ。俺は魔術のまの字すら知らねぇってーの」
紅い宝石をつけたロッドを、数枚の硬貨と引き替えにリラちゃんから受け取る。
宝石と棒の境目辺りには、プレゼント用なのかリボンが蝶結びで巻かれたロッド。
やはり剣とは違って、棒と宝石だけでできた物は手に取ると随分と軽く感じられた。
「だからな……ほれ。これは、てめぇが使う用だ」
リボンの巻かれたその杖を、俺はエリーの手に強引に握らせた。
「え……!?な、なんで……!?」
「詳しくねぇけどよ、魔術使うのには杖って大事な物なんだろ?マユちゃんの為とはいえ、あっさり渡しちまいやがって……魔術使えねぇで明日からどうするつもりだったんだよ、てめぇは」
「で、でも……!!お金、お兄ちゃんの……!!」
「あん?……あぁ、それか?」
リラちゃんに渡した硬貨は決して少なくない量であったから、その事を言っているのだろう。
宝石を使っているだけあって、杖は意外と値が張るということを今日初めて知った。
「あんなん、今日のてめぇの監視で手に入った金だ。昨日の金もまだ残ってるし、あれぐらいどうってことねぇよ」
本当は、軽く昨日の報酬を削る結構な痛手だったんだが……構わねぇよ、それぐらい。
「それじゃあ……いい、の?」
珍しくしおらしい言い方で、おずおずと俺の顔を窺うように尋ねるエリー。
「……最初の依頼達成記念の、俺からのプレゼントだ。てめぇは有り難く受けとっときゃいいんだよ」
「プレゼント……そっか、うん……」
納得してくれたのか、エリーがその手の中に杖をぎゅっと抱きかかえてくれた。
見た目相応に、照れくさそうにはにかんだ笑顔を浮かべてくれる。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
……やれやれ。機嫌は、直ってくれたみてぇだな。
「惚気なら、余所でやって。そろそろ、うちは閉店」
そこに、どことなく不機嫌そうな調子のリラちゃんの声が入ってくる。
……うるさくしてしまう事に、僅かばかりの罪悪感を感じながら。
心の奥底からの叫びを、俺はリラちゃんへと返した。
「だから、こいつは嫁でも何でもねぇって言ってんだろうがぁぁぁぁ!!」
……その後、うるさくしすぎたせいでリラちゃんに腹パンをもらった俺は、エリーと一緒に店の外へとつまみ出されるのだった。
「…………」
「……ん?どうした?」
リラちゃんに放り出された夜の街で、エリーはどことなく上の空になっていた。
視線の先には、この街が映るだけ。
「……マーチカ、リラ、マユ、ミクコ、それに……お兄ちゃん。ここって、沢山の人がいるんだよね……」
ぽつり、と突然に話をエリーは切り出す。
エリーの頭には、今挙げた奴らの姿が見えているんだろうか。
「でもそれは、つい数十年前まではここになかったもので……それを集めたのは、たった一人の人間……すごいんだね、”麗光”って。お兄ちゃんの言葉を聞いて、この街の人といっぱいお話して……そんな風に、思ったの」
どうやら、“麗光”の事について考えてくれていたらしい。
エリーにも、そのすごさが理解できたようで……嬉しい限りだ。
「……なぁ、ここが昔なんて呼ばれてたか知ってるか?」
だから俺は、口を挟むことにした。
最後にもう一つだけ、知って欲しいことがあったから。
「え……?ううん、わかんない……本には載ってなかったし……」
首を振るエリーへと、俺は静かに答えてやった。
「……『英雄の街』、グランデム。昔はな……そんな風に、呼ばれてたんだとよ」
「昔……?じゃあ、今は……?」
「呼ばれなくもないが、呼ぶ奴はかなり少ねぇ。もう、昔のことだからな。少しずつ、だけど確実に……”麗光”の名前を覚えている人間は、減ってきてるんだ」
「……寂しいね、それ」
「……あぁ」
エリーが、少しだけ遠くを見るような表情をする。
英雄の事を想ってくれる人間が隣にいる事が、今は嬉しい。
「だから……今度は俺が、”麗光”のような英雄になってやろうと思ってんだ」
「……え?」
「このグランデムの中でじゃなくても良い。いつか俺があの男のような英雄になって、”麗光”の伝説のような武勇伝を今度は俺の手で歴史に刻んでやる。それが……俺の夢なんだ」
一気に語ると、溜まっていたものが放出し終わったかのような満足感を感じていた。
今はまだ遠い“麗光”の背中にいつか追いついて、追い越せるぐらいの力を手に入れる。
追い越す基準などわからない、荒唐無稽な俺の夢。
それでも……俺にとっちゃ、大事な夢だ。
「そう、なんだ……」
俺の話を聞き終えたエリーが、少し曖昧な相づちを打つ。
もう少し、興味津々な態度で聞いて欲しかったんだが……そこまで考えて、俺は重大な事にきがついてしまった。
「あ、これ誰にも言うなよ!?これ、てめぇ以外の誰にもまだ話してねぇんだからな!!いいか、絶対だぞ!!」
あの口が軽いギルドの連中だ、話そうものなら即街中に噂が広まり冷やかされることうけあいだろう。
その点、ある程度聞き分けがいいエリーならまぁ大丈夫だろう……多分。
「うん!!お兄ちゃんとエリー、二人だけの秘密だよね!!えへへ……」
「……何にやついてやがんだよ」
「お兄ちゃんがね、自分のことを話してくれたのが嬉しいの!!お兄ちゃんのこと、ちょっとだけわかったような気がするから!!」
にやけ顔に質問を入れると、急にテンションの上がった口調で話しだす。
まぁ……お互い様だろ、そんなん。
「そうだな、俺もてめぇがババァだってことよくわかったし」
「あうぅ……やっぱり、お兄ちゃん意地悪だよぉ……」
こいつの事が少しだけ、理解できたような気がする。
そんな事を想っている俺の腹が、小さくぐぅ、と音を立てた。
「……そーいや、夜は何も食ってなかったな。今更作るのもめんどくせぇし……じゃあ今晩は、どっかで飯食いに行くか」
「うん!!あ、でもちょっと時間が遅くなっちゃったね……今、食べるお店ってやってるかなぁ……」
「俺に任せとけ。グランデム歴2年のこの俺が、深夜だろうとやってる店をバッチリ見つけてやるからよ」
「意外と短いね……」
エリーと二人、俺達は歩き出す。
かつて、『英雄の街』と呼ばれたその片隅で。
俺とエリー、二人の夜はまだまだ始まったばかりであった。
「……あれ?そういえば、どうしてお兄ちゃんは50年前の反魔物領での勇者の呼び名なんて知ってたんだろう……本に載ってたのかなぁ?」
……自分でも、陳腐な名前だと思った。
『ふぁいあーすとらいく』。
チカが言っていた言葉に『攻撃』を付け足しただけの、咄嗟につけた名前。
誰にでも考えつきそうなぐらい単純で、センスなんか欠片もない……だけど、私だけの名前。
叫んだ時、確かにあった高揚感。
いつもと何も変わらないのに、あの時の術は本当に強くなったような気がした。
初めてこの術を使った時の事を、思い出す。
この姿になってから、初めて練習した術。
魔力の制御も放出も、何度やっても上手くいかなくて。
ようやく炎が出せた時の……あの、嬉しさ。
何年も前のあの時の気持ちが、また蘇ったみたいで。
この名前を大事にしていきたい。
強く……そう、思った。
……そのせいで私は、浮かれていたんだと思う。
自分で手放したものの大切さを……忘れてしまっていたのだから。
〜〜〜〜〜〜〜〜
「……っつーわけで、今回の依頼はリラちゃんに盗まれたもん引き渡して無事終了、ってわけだ」
ギルドに帰ってきた俺達は、ブラウのオッサンにエリーの監査結果の報告を行っていた。
つってもまぁ、経過に問題なんぞなかったからな。
報告っつっても、やった事を一から十まで詳しく伝えたぐらいである。
偶に自分の失敗を客観的に聞かされたエリーが恥ずかしそうにしたりもしていたが、それはさておき。
「……マーチカ、何か補足はあるか?」
「ううん、概ね問題ありませんよ!!まぁ、強いて言うなら若干リッ君によるお嫁さん補正が入ったりしてましたけど!!」
「ホントに!?わぁい!!」
「んなもんあってたまるかぁぁぁぁ!!」
こんな時だろうと、チカちゃんは笑顔で爆弾を放り込んでくれる。
おかげさまで、周囲の冒険者の目がすっかりロリコンでも見るような目をしてやがる……この視線、いつかなくなるんだろうな?
「ほう……まぁ依頼人からの連絡もあったから、実際に依頼を無事こなした事は証明されてるしな。この依頼は監査人も含めて全員達成と見て、問題ないだろう」
「じゃあ……!!」
「あぁ、いいだろう。これで今日から嬢ちゃんも……冒険者の仲間入りだ」
その言葉の意味が、エリーの頭に届くには少々の時間がかかり。
「……やったぁ!!やったよ、お兄ちゃん!!」
手をいっぱいに上げて、全身全霊を込めてエリーは喜びの声をあげた。
真っ先に俺の方を向いて、純粋にキラキラした目を向けてくる。
……ったく。そんなにはしゃがれると、こっちまで嬉しくなってくるじゃねぇか。
「おめでとうレンちゃん。今日からは、一緒に働く仲間だね!!」
「うん、マーチカもありがとう!!これでエリーも、お兄ちゃんと一緒に冒険できるよ!!」
「俺が一緒にいるの前提かよ……」
この期に及んで図々しいなこの野郎は。
……そうだ、ちょうどいい機会だし聞いておくか。
「おいオッサン、冒険者用の寮って今空いてっか?こいつ、少なくとも今日も泊まる家ねぇからよ」
今日こそ依頼がさっさと片付いたらこのガキをいっぺんサバトへと帰そうと思ってたんだが、マユちゃんを見つけるのに手間取っちまったからな。
おかげで今はすっかり夜になって、帰そうにもできやしねぇ。
昨日みたいに、俺の家に泊めてやってもいいんだが……ただでさえロリコン扱いされてんのに、これ以上家から一緒に出るところとか見られたくねぇし。
だからこそ、冒険者なら格安で泊まれる寮の出番って訳だ。
そこならエリーの今日の報酬だけだろうと、一日ぐらいは余裕で泊まれる。
どこの誰だか知らんが、その建物作った奴に感謝するぜマジ……
……そんな風に軽く考えていたものだから、次のオッサンの言葉に反応が大幅に遅れた。
「……何言ってんだルベル?しばらくその嬢ちゃんには、お前んちに泊まってもらうことになるんだぞ?」
「……は?」
「ふんふふんふふーん♪ふふふふっふふーん♪」
「どうしてこうなった……」
夜の街を、足取りを重くして歩く俺。
その隣にいるのは、結局離れることがなかったガキが一人。
……溜息をつかずにはいられなかった。
このガキが一緒にいる理由は勿論、ブラウのオッサンのとんでもない言葉が原因である。
『おいおい、俺が許してやったのは冒険者になることまでだぞ?その子の正式な処分について、まだ決めてなかったろう。その結果を報告してやったまでだ』
『い、いや待て!!それでどうして、俺の家に泊めるって事になってんだ!?』
『正確には”最低一名による二十四時間の監視”だな。そのお嬢ちゃんもお前に懐いてるようだからな、俺からギルド長に推しといたんだよ。そしたら、あっさりオッケーもらえたぜ?』
『あんの無責任リーダーがぁぁぁぁぁ!!』
うちのギルドのギルド長はいつも、何かの都合でどこかへと出かけていることの方が多い。
やたらと言葉がはっきりしていないのは、ギルド長が何をしているかなど把握している人間の方が少ないからだ。
そのせいか、ブラウのオッサンはギルド長の言葉がなくともある程度は独断による決定が許されている。
今朝、エリーが冒険者になれるかどうかその場で決定していたのがいい例だ。
それだけ、オッサンが信頼されている事の現れなんだろうが……帰ってきたと思ったら、何でもかんでもオッサンの言葉を信じてるんじゃねぇよ……
『エリー、お兄ちゃんの家にいていいの!?わぁい!!』
『ガキは気楽でいいなチクショウ!!ってか、俺に二人分養えるような蓄えあると思ってんのか!!』
自慢にはならねぇけど、こちとら裕福な生活なんて送れてねぇんだぞ!?
……主に、師匠の残した武器の整備代が原因で。
リラちゃんは、馴染みの相手だろうと値段を負けるような事は決してしないのだ。
『まぁまぁ、生活費ぐれぇはこっちが多少工面してやるからよ。これも依頼だと思って、しばらく世話頼まれてくれや』
『……しばらくって、具体的にどんぐらいだ?』
まぁ、金あるってんなら一週間程度は別にいいような気も……
『一ヶ月間だ』
『なげぇよ!!いや、せめてもうちょい短くするぐれぇ……!!』
なおも抗議しようとする俺に対して、ブラウのオッサンは俺にしか聞こえねぇような小さな声でぽつりと呟く。
『……事情を話すなっていうお前の我が儘聞いてやったのは誰だと思ってんだ?』
『んぐっ……!!』
『あとついでにだが……入院してた時、お前は犯人の顔を見てないって言ってたがあれは嘘ついてたって事になるよなぁ?結果的になんとかなったとはいえ……俺達がお前の言葉にどれだけ落胆したと思ってんだ、ルベル?俺はむしろ、この程度の処置で済ませてやってるんだがなぁ……?』
……それを言われて何かを返せる程、俺は無謀な人間ではなく。
去り際のチカちゃんに「おめでとー!!これでリッ君、心おきなくレンちゃんとにゃんにゃんできるね!!」などとからかわれながら、俺は承諾をするしかなくなるのだった。
「ふんふふんふふーん♪おっかいーものー♪おっかいーものー♪楽しい楽しいおっかいーものー♪」
「……マユちゃんの鼻歌じゃねぇかそれ」
隣で巾着袋を片手にはしゃいでいるエリーが、今だけは羨ましく感じる。
まぁ……初めて貰った給料だから、っていうのもあるんだろうけどな。
苦労して自分で稼いだお金っていうのは、ただ手に入った金よりもずっと価値があるように感じるもんだ。
オッサンから給料受け取った時のエリー、しばらく袋の中から目を離さなかったしな。
「あれ、そうだっけ?でも、楽しみなんだもん!!この街にはどんな魔術書があるのかなー、って考えると!!」
「……それではしゃぐのはてめぇぐらいのもんだろうけどな」
俺達が今向かっているのは、この街の本屋である。
初めての給料で本を買いたい、というエリーからのお願いだ。
で、俺が監視しなきゃいけねぇ以上、俺が一緒に行かねぇとこいつは本屋に行けねぇ訳で……
まぁ、これぐらいだったらいいけどな。
初めての給料ぐれぇ、好きなところで使わせてやりてぇし。
「あと、昨日の耳栓についても調べたいの!!結局、ギルドでは聞けなかったし……」
「あー……そーいや、そんなのもあったな」
……やべ、昨日そんな約束してたのをすっかり忘れてた。
そういえばこいつが初めて興味津々になって聞いてきたのって、あの耳栓だったっけ……つい昨日の事だと言うのに、懐かしいもんだ。
「えーっと……こっちだったよね、本屋」
「あぁ、確かにこっちで合ってたような気ぃすっけど……なんだ、知ってんのか?」
今朝も通った分かれ道を、迷うことなく商店通りの方に向かって歩くエリー。
グランデムに慣れてないこいつが地図もなしに先を歩くなんぞ、珍しいこともあるもんだ。
「うん。だって、冒険者の本を買うときに一度行ったもん」
「あぁ、あれか……今日こそあの本片付けろよてめぇ?」
「はーい……」
なんせ、こいつの買った本は未だに玄関の近くに平積みの状態である。
昨日は帰ってすぐ寝たからそんな暇なかったけど、今日こそ片付けてもらわねぇとな。
「つかよぉ、お前ただでさえ沢山本買ってただろ。これ以上何がいるってんだよ?」
「あれはあくまで、冒険者って何なのか知る為の本だもん。あの時は、魔術の本はコーナーすら寄ってなかったから……」
「今度は趣味、っつーわけか。ってかよ、そもそもどうやって最初は本屋にたどり着いたんだ?」
「えっとね、箒で飛んで空から探してたの!!」
「箒大活躍だなオイ……ん?そういや今日の任務、どうして箒使わなかったんだよ?今日は昨日と違って別に禁止してなかったぞ?」
「……あ」
「忘れてただけかよ……」
自分でも意外な事だが、道中でのエリーとの会話は割と弾んでいた。
ガキの世話なんて面倒だというのは確かだが、これも悪くないと思いつつある自分に気がついてしまう。
……久しぶり、だからかもな。
こんな風に、気兼ねなく誰かとくっちゃべって歩く事が。
「それでね……あ、ここだよお兄ちゃん!!」
「お、着いたのか?どれ……」
明るい店内から漏れる光に足を止めると、それなりに整った店内の様子が見えた。
さすがに夜だからか、店内に他の客はいないようだ。
おかげで、「いらっしゃいませー」などという気の抜けた声が店に入るなり奥から聞こえてきた。
「じゃあエリー、魔術書のコーナー行ってくるね!!」
「もうちょい落ち着けってーの……」
店内に入るなりぱたぱたと駆け出していくエリーの後に続いて、俺も魔術書のコーナーへと入る。
……無駄金使わねぇか、確認しとくべきだろうしな。
「わぁ……!!」
瞳の中に星でも見えるんじゃねぇかってぐれぇ、キラキラと目を輝かせるエリー。
……これが普通のガキなら視線の先には絵本があるんだろうが、生憎とこいつの目線の先にあるのは仰々しい言葉の羅列だ。
『バフォメット向け!!上級炎属性魔術100選』『魅了の極意〜今日から君も旦那持ち!?〜』『四大属性の歴史学入門』『スライムでもできる!!難解な魔法陣を10秒で書く方法』
……まぁ、実に魔物娘らしい内容だ。
その中の一つ、炎属性魔術について記されたものをエリーは手にとるとパラパラと中をめくり始める。
どれ、一体どんな事が書いてあって……
『はじめに:炎属性とは四大属性の中でも唯一破壊の象徴とされることがある属性である。一見我ら魔物が扱うには不都合のある属性のようにも思われるが、その一方で深い情欲や愛としても例えられる事がある。実際提灯お化けやイグニスなどは火を象徴としながらもその燃えたぎる力により互いの想いを増幅させる事から、魔物においても火の属性は不可欠な存在で…………』
……正直に言えば、一行目が目に入った途端に視線を逸らした。
「えっと、この本の内容は読まなくても大丈夫そう……こっちはどうだろ……あ、『魔力そのものを無条件で防ぐ技術』?これ、主に反魔物領で使われてる技術だけど……っ!!やっぱり、あの耳栓にも使われてるんだ!!そっかぁ、マンドラゴラの魔力だけ区別してるんじゃなくて全ての魔力を無差別に……だとすると……」
本を読みながらブツブツと何かを呟くエリーは、どうやら内容を大体把握しているらしい。
まぁ、楽しんでるなら別にいいんだけどよ……
「お前よぉ……こんな文字ばっかの本読んでて楽しいかぁ?」
「えー、エリーは楽しいよ?お兄ちゃんも一緒に読まない?」
「俺はそういうの読むと眠くなんだよ、だからパスだ」
「えー、勿体ないよー……」
昔から勉強ろくにしなかったのは、これが原因だからな。
体動かしながらだったら、割と色々覚えが早かったんだが……
「そういうのより、もっといいのがあんぜ。ちょっと待ってろ」
エリーのいた棚のコーナーを一旦そっと後にする。
お目当ての本、お目当ての本は、っと……お、あった。
「ほら、ガキらしいもん持ってきてやったぞ」
「えっ……お兄ちゃん、これって……」
突き出した本を見ると、エリーは怪訝そうな顔をして俺を見上げる。
「絵本……だよね……」
「あぁ。『れいこうのえいゆう』のお話だ。てめぇみたいなガキにゃそっちの方がお似合いだろ」
「むぅ、子供扱いしないでよー!!エリーそんな子供じゃないもん!!」
予想通りというか何というか、頬を膨らませて怒り出すエリー。
しかしそうなると、気になる事が一つ。
「子供じゃねぇ?まぁ、それにしちゃ魔術詳しすぎだとは思ってたけどよ……んじゃあ、てめぇ何歳なんだよ?」
「え?あ、それは、その……と、とりあえずこの本読んでみよっかなー!!」
露骨に話を逸らされてしまったが、まぁオススメの本を読ませる事には成功したからいいとしよう。
「……あれ?エリー、この本の内容知ってるよ?」
「そりゃ、いっぺんてめぇも読んでる話だからな。積んであった本の中に、『麗光〜伝説の冒険者の記録〜』って本あったろ?その絵本は、あの英雄の話だ」
つっても、話自体はどこにでもありそうな平凡なお話だ。
反魔物領に産まれた主人公は勇者になるが、ある日魔物を殺す事に疑問を覚えて自らの国を逃げ出す。
彼はやがて自分と同じように自らの故郷に行き場を無くした者達を集め、逃げ込んだ先の親魔物領で一つの街を作り上げるのだ。
そこに、かつての勇者の噂を聞きつけた教団が領に攻め込んできてしまう。
しかし彼はこれを、人間の身ながら光のごとく流麗な剣さばきで一人も殺さずに退けた。
その事から“麗光”の英雄と呼ばれた彼は、その後冒険者として各地を放浪して人にも魔物にも平等に手を差し伸べ続けた……そんな話だ。
ただ一つ普通の絵本と違うのは、それがつい数十年前に実際に起きた話だということ。
この街グランデムを作ったきっかけになった、たった一人の英雄。
……”麗光”。
「んー……本だけじゃなくて、こんな話どこかで聞いたことあるような……最初の方だけ、すごいそっくりなんだけどなぁ……」
エリーは何をしているかといえば、さっきからうんうんうなりながら絵本とにらめっこである。
聞き覚えがあった、ねぇ……この街の出身でもねぇこいつが、一体どこで聞いたって……
「……あ、思い出した。『叛逆の堕光』って勇者だ」
……あん?
「その人の話が、この本の話の序盤とそっくりだなって……」
「……てめぇ、反魔物領の出身か?」
「え!?ど、どうしたのお兄ちゃん急に!?」
反応的に、ビンゴっぽいな。わかりやすい奴。
「どうしたも何も、お前が今言ってた呼び名は“麗光”が故郷の反魔物領で呼ばれてた呼び名だぜ?それも、脱走した当時ぐれぇに使われてたやつだから少なくとも50年以上は前のだしよ」
「え!?そ、そうなの!?」
「てめぇ……何歳なんだよ?」
「え、えーと……」
さっきは不問にした質問を、もう一度尋ねてみることにした。
やはり答えたくないようで、エリーは気まずそうに視線をあちらこちらに泳がせていた。
「え、エリーは……」
別に、嫌なら無理に聞こうとはしねぇんだがな……
そう言おうとしたところで、エリーの目が覚悟を決めたように俺に向き直る。
「魔女年齢、11歳だよ☆
……あたっ!?」
何か、ポーズまで取ってんのが無性にイラッときた。
「あうぅ、今のは酷いよぉ……」
「ったく……別にそんな見え透いた嘘つかなくてもよ、どうしても聞きたいって程じゃねぇってーの。嫌なら聞かねぇよ」
「ほっ……助かったぁ……あながち嘘でも、ないんだけど……」
俺の言葉にほっと一息ついて、エリーは肩をなで下ろす。
……そう、どうしてもって程じゃねぇ。
けど……興味がねぇ、とも一言も言ってねぇぞ?
「あぁ。だから、勝手にてめぇを200歳ぐらいのババァと思ってる事にするわ」
「エリーそんなに歳いってないもん!!人間の時と合わせても、せいぜい80年ぐらいしか……!!
……あ」
うん、あっさり引っかかりやがったコイツ。
昔人間だった事もさり気なく初耳だったが、それ以上に重要な事がある。
「結局ババァだったんじゃねぇかよてめぇ……」
「あ、あうぅ……その言い方やめてよぉ……」
よっぽど年齢の事がショックだったのか、エリーは最早涙目だ。
……どのみち、50年程度前の事を知ってるんだったらそれぐらいだろうな、という予想はしてたんだがな。
「ってかよ、歳の割に常識知らなさすぎだろうがてめぇ……何十年引きこもってたらそうなるんだってーの……」
こいつの事だから、マジでずっと引きこもってたんだろうな……
「え、エリーはそんなにっ……あ、うん。えへへ、ずっと魔術の勉強ばっかしてたから……」
「ったく……」
何を反論しても無駄だということに気がついたのか、照れながらそんなことを言うエリー。
歳の事を知ったところでやはり、俺にとっちゃまだまだガキでしかなかった。
……まぁ、こいつとはしばらく嫌でも付き合わなきゃなんねぇんだ。
せめて一般的な常識ぐれぇ、身に着けてもらわねぇとな……
「それにしても……本当にいたんだよね、この”麗光”って人」
絵本に目を通しながら、エリーはそんなことを呟く。
そのページには、この街の中央で沢山の人間と一緒になって笑いあっている一人の男が描かれていた。
「あぁ。この街を作るきっかけにもなった英雄で……俺の憧れてる、唯一の人だ」
「お兄ちゃんが……英雄に?」
「あぁ、そうだよ。お前はすげぇと思わねぇのか?」
そっと窓枠によって、外を眺める。
街の明かりはまだ明るく、居酒屋は賑やかで笑いあう声が届きそうな客の入りよう。
それは、たった一人の人間が築き上げたこの街の一風景。
「この街全部、俺が産まれるちょっと前にはなかったんだぜ?それを一からこれだけの大きさになるまで人を集めて、ここまでの街を作った。故郷を無くした奴らにとっての、第二のグラウンド(地)……グランデムの名前には、”麗光”のそんな願いが込められてるんだとさ」
「へぇ……お兄ちゃん、何だかすっごく楽しそうな顔してるね」
「……そうか?」
自分では、そんな顔になってるなんぞ自覚なかったんだけどな……
まぁ、こんな事を話すのも随分久しぶりだから、楽しいのは確かだ。
この際だから、こいつには”麗光”の全てを知ってもらうとするか。
「”麗光”のすげぇところはそれだけじゃねぇんだぜ。これだけ大きくなった街にやってきた教団の連中を、ほぼ全員一人で誰も殺さず撃退したんだ。魔物でもねぇ、インキュバスでもねぇ一人の人間が、生身でだぜ!?それも何倍、何十倍もの勢力をだ!! な、まさに英雄と呼ぶにふさわしい男だろ!!」
「うぇ、う、うん……それは、すごいね……」
「それに、剣の腕だってすげぇんだ!!相手の動きを先読みして、針の穴に糸を通すような繊細な動きで確実に相手の動きを止める!!光のような剣裁きだってよく言われてるけどよ、全くその通りだと思うぜ!!あれぞまさに麗しき光、麗光!!しかも剣だけに留まらず、この世に存在する武器だったら大抵は使えると言われているぐれぇ……!!」
「お客さーん、そろそろうるさいっすよー」
「……お?あ……」
そこで、ようやく目の前のエリーがポカンと口を開けている事に気がつく。
……っとと、つい熱く語りすぎちまってたか。
店員の女の子に注意されてしまい、慌てて振り向いて謝ることにする。
「今は閉店間際で他にお客さんはいないからまだいいっすけどね……次は注意して欲しいっす。エリーちゃんも、久しぶりに来たと思ったら大変っすねぇ……」
「うん、ありがとうミクコ!!」
……言動から察するに、エリーの知り合いか?
ぴょこん、と彼女の頭で丸い耳が揺れる。
その胸には『ミクコ=モトミヤ』と書かれた写真付きの名札がぶら下がっていた。
……種族名は形部狸、だったか?
確か、魔物の中でも特に商売上手な種族だったような気がする。
何より……やっぱり魔物だけあって、可愛い。
「わりぃわりぃ、次からは気をつけるぜ。それで、お詫びに提案があるんだが……ミクコちゃん、俺とデーt」「お兄ちゃーん、ミクコはもう結婚してるよ?」
なん……だと……!?
愕然とする俺の隣をすたすたと歩いていくと、エリーはカウンターに本を置く。
「はい、ミクコ。この本ちょうだい!!」
「毎度ありーっす。どれどれ……あれ、これ絵本じゃないっすか。これ、エリーちゃんが読むんすか?」
「……って、おい。てめぇ、あの本マジに買うつもりなのか?」
俺としちゃ”麗光”に興味を持たせる為にとりあえず読ませただけで、買って欲しかった訳じゃないんだが……
そんな俺の考えをよそに、エリーは笑った。
「うん!!これ、初めてのお金だからね……お兄ちゃんのオススメを買いたいの!!」
どこまでも無邪気に、俺のことを見上げて。
「エリーがこうやって冒険者になって、お金を貰えるようになったのも全部お兄ちゃんのおかげだから。お兄ちゃんがオススメしてくれるなんて、初めてだし……こういうのも、たまにはいいかなって!!」
どこまでも素直に、感謝の気持ちをぶつけてきた。
まぁ……楽しそうだし、わざわざその気分を下げてやる必要もねぇか。
「毎度ありーっす。いやぁ、仲の良い兄妹みたいでうらやましいっすねぇ」
「ううん、ちが……ムグッ!?」
「あぁそうなんだよ!!実はコイツ、親戚のところの子でよぉ!!」
本を受け取り余計な事を言いそうだったエリーの口を手で塞いで、強引に俺からしゃべり出す。
……これ以上、こいつが俺の嫁という噂を拡散されたかねぇんだよ。
「じゃ、ありがとなミクコちゃん!!俺達、これで!!」
「んむーっ!!」
エリーを半ば腕の中に抱えるようにして、本屋の出口まで一直線に進む。
本のせいで両手がふさがっている為か、エリーの抵抗もなくスムーズに脱出する事ができた。
「……ホントに仲、良いんすねぇ」
この出来事が、後にグランデムの街に広がる『ルベルクス=リークとエリーネラレンカートは夫婦』という噂を余計にこの少女に信じさせてしまう事になるのだが……今の俺に、そんなことがわかるわけもなかった。
「ぷはっ……!!」
本屋を出たところで、俺は手をエリーから離した。
だいぶ苦しかったようで、はぁはぁと息を荒げている。
「ぁ……お兄ちゃんの、匂い……」
「……あん?」
「あ、そ、そうじゃなくて……そうだよ、お兄ちゃん乱暴だよぉ……」
「うっせ、てめぇが余計な事言い出しそうになったからだろーが。この機会だからはっきり言っとくけどな、てめぇが周りに俺の嫁扱いされても嬉しくなんかねぇんだっつーの」
あれだけ言ってもなお、エリーの頭には無数の疑問符が浮かんでいる。
まるで、俺の言っていることの方が常識外のような顔だ。
「んー……何で?男の人って、お嫁さんがいると嬉しいんでしょ?それで、周りの人にお嫁さんがいることを自慢するんじゃないの?」
「……サバトの奴らがそう言ってたのか?」
魔術以外あらゆることに疎いこいつがこんな間違いまくった知識を植えつけられるとしたら、サバトぐらいのものだろう。
だとしたら、随分余計なことをしてくれたものだ。
「え、えーと……そんな感じかな。ば、バフォメットがそんなこと言ってたような……」
少ししどろもどろなのは、よく覚えてないからだろうか。
別に、怒ってるって程でもねぇんだがな……まぁ、ちょうどいい機会だ。
「はぁ……いいか、それは本当に好きな相手が嫁の時だけだ。好きでもなんでもねぇ相手に嫁だ嫁だ言われたって、嬉しくもなんともねぇよ。てめぇら魔物だって、旦那以外の相手から求婚されたって嬉しくもなんともねぇだろ?それと一緒だってーの」
「んー……じゃあお兄ちゃんは、エリーのこと嫌いなの?」
「そういう意味じゃねぇよ。てめぇみてぇに歳だけ食ったガキなんぞ、俺はそういう目で見れねぇって事だ。嫁だって言いてぇんだったらせめて……そうだな……」
「せめて……?」
少し間を置いて、考えてみることにする。
出会った時から俺が、こいつの事を一度もそういった対象で見たことがない理由。
そんなん……一つしか、ねぇな。
「もう少してめぇがムチムチのナイスバディになってから、だな」
自分の事ながら、この時は嫌味な笑顔を浮かべていたと思う。
俺の言葉の意味を、少し遅れながらも察したエリーは……案の定、むくれた顔になった。
「むぅ……!!エリー魔女だからこれ以上おっきくなんかなれないもん!!お兄ちゃんの意地悪ー!!」
ぷりぷりと怒りながら、エリーはどこかへ行こうとしてしまう。
……ちっとやりすぎたか?
けど、これぐらいはやっとかねぇとこのガキ繰り返しそうだし、良い機会ではあっただろう。
……からかったのは俺だから、流石に謝っとかねぇとまずいだろうけどな。
「あぁ、わりぃわりぃ。けどよ、その前にちょっと行きたいところがあんだけどいいか?」
「むぅ、なんでエリーがー……」
振り向くエリーは未だに頬を膨らませたままであった。
「どの道、俺とてめぇは常に一緒にいなきゃいけねぇだろ?一人っきりになった時ギルドに突き出されるのはてめぇの方だぜ?だからよ、大人しくついてきてくれると助かるんだが……」
「……わかったよ、エリーも行く」
渋々、と行った感じで仏頂面のエリーは後をついてくる。
よっぽど根に持っているのか、そこから目的地に着くまでの間に俺達の間には一度も会話がなかった。
……やっぱり、やりすぎたか?
そんな思いを抱きながらも、目的地に着く。
そこでようやく、エリーの方から声を発してくれた。
「あれ?ここって……リラのお店だよね?」
まぁ、さっき来たばかりの店にもう一度やってきたとなりゃあ、そんな顔にもなるだろうな。
「さっきは依頼人と冒険者の関係だったろ?客として欲しいもんがあんだよ今は」
「ふぅん……でもお兄ちゃん、大抵の武器は持ってるよね?それなのに……何を買うの?」
「ま、んなこといいだろ。さっさと入るぞ」
本日二度目の、ドアに取りつけてあるベルが鳴る音。
けど、今カウンターに立っているのはキリュウではなくリラちゃんの方だ。
「いらっしゃい。あなたのこと、待ってた。……一応は」
「相変わらず一言多いぜリラちゃん……」
早速の冷たい一言に、早くも打ちのめされそうになった。
けどまぁ、今はリラちゃん口説くのが目的な訳じゃねぇしな。
「早速だけどよ、頼んでたやつ持ってきてくんねぇか?」
「わかった。すぐ、持ってくる」
ギルドに向かう直前に、こっそりと商品を頼んでおいたのだ。
流石は寡黙な職人サイクロプスだけあって、リラちゃんの仕事は色々と早い。
奥の方へと歩いていったかと思うと、すぐにお目当てのものを手に持って戻ってきた。
「え……?あれって……」
リラちゃんが手に抱えているものに、エリーが反応する。
そりゃぁそうだろう。
『あれ』は、俺よりもお前の方がなじみ深いものなのだから。
「杖、だよね……お兄ちゃん、魔術も使えるの?」
「あぁ?んなわけねぇだろ。俺は魔術のまの字すら知らねぇってーの」
紅い宝石をつけたロッドを、数枚の硬貨と引き替えにリラちゃんから受け取る。
宝石と棒の境目辺りには、プレゼント用なのかリボンが蝶結びで巻かれたロッド。
やはり剣とは違って、棒と宝石だけでできた物は手に取ると随分と軽く感じられた。
「だからな……ほれ。これは、てめぇが使う用だ」
リボンの巻かれたその杖を、俺はエリーの手に強引に握らせた。
「え……!?な、なんで……!?」
「詳しくねぇけどよ、魔術使うのには杖って大事な物なんだろ?マユちゃんの為とはいえ、あっさり渡しちまいやがって……魔術使えねぇで明日からどうするつもりだったんだよ、てめぇは」
「で、でも……!!お金、お兄ちゃんの……!!」
「あん?……あぁ、それか?」
リラちゃんに渡した硬貨は決して少なくない量であったから、その事を言っているのだろう。
宝石を使っているだけあって、杖は意外と値が張るということを今日初めて知った。
「あんなん、今日のてめぇの監視で手に入った金だ。昨日の金もまだ残ってるし、あれぐらいどうってことねぇよ」
本当は、軽く昨日の報酬を削る結構な痛手だったんだが……構わねぇよ、それぐらい。
「それじゃあ……いい、の?」
珍しくしおらしい言い方で、おずおずと俺の顔を窺うように尋ねるエリー。
「……最初の依頼達成記念の、俺からのプレゼントだ。てめぇは有り難く受けとっときゃいいんだよ」
「プレゼント……そっか、うん……」
納得してくれたのか、エリーがその手の中に杖をぎゅっと抱きかかえてくれた。
見た目相応に、照れくさそうにはにかんだ笑顔を浮かべてくれる。
「……ありがとう、お兄ちゃん」
……やれやれ。機嫌は、直ってくれたみてぇだな。
「惚気なら、余所でやって。そろそろ、うちは閉店」
そこに、どことなく不機嫌そうな調子のリラちゃんの声が入ってくる。
……うるさくしてしまう事に、僅かばかりの罪悪感を感じながら。
心の奥底からの叫びを、俺はリラちゃんへと返した。
「だから、こいつは嫁でも何でもねぇって言ってんだろうがぁぁぁぁ!!」
……その後、うるさくしすぎたせいでリラちゃんに腹パンをもらった俺は、エリーと一緒に店の外へとつまみ出されるのだった。
「…………」
「……ん?どうした?」
リラちゃんに放り出された夜の街で、エリーはどことなく上の空になっていた。
視線の先には、この街が映るだけ。
「……マーチカ、リラ、マユ、ミクコ、それに……お兄ちゃん。ここって、沢山の人がいるんだよね……」
ぽつり、と突然に話をエリーは切り出す。
エリーの頭には、今挙げた奴らの姿が見えているんだろうか。
「でもそれは、つい数十年前まではここになかったもので……それを集めたのは、たった一人の人間……すごいんだね、”麗光”って。お兄ちゃんの言葉を聞いて、この街の人といっぱいお話して……そんな風に、思ったの」
どうやら、“麗光”の事について考えてくれていたらしい。
エリーにも、そのすごさが理解できたようで……嬉しい限りだ。
「……なぁ、ここが昔なんて呼ばれてたか知ってるか?」
だから俺は、口を挟むことにした。
最後にもう一つだけ、知って欲しいことがあったから。
「え……?ううん、わかんない……本には載ってなかったし……」
首を振るエリーへと、俺は静かに答えてやった。
「……『英雄の街』、グランデム。昔はな……そんな風に、呼ばれてたんだとよ」
「昔……?じゃあ、今は……?」
「呼ばれなくもないが、呼ぶ奴はかなり少ねぇ。もう、昔のことだからな。少しずつ、だけど確実に……”麗光”の名前を覚えている人間は、減ってきてるんだ」
「……寂しいね、それ」
「……あぁ」
エリーが、少しだけ遠くを見るような表情をする。
英雄の事を想ってくれる人間が隣にいる事が、今は嬉しい。
「だから……今度は俺が、”麗光”のような英雄になってやろうと思ってんだ」
「……え?」
「このグランデムの中でじゃなくても良い。いつか俺があの男のような英雄になって、”麗光”の伝説のような武勇伝を今度は俺の手で歴史に刻んでやる。それが……俺の夢なんだ」
一気に語ると、溜まっていたものが放出し終わったかのような満足感を感じていた。
今はまだ遠い“麗光”の背中にいつか追いついて、追い越せるぐらいの力を手に入れる。
追い越す基準などわからない、荒唐無稽な俺の夢。
それでも……俺にとっちゃ、大事な夢だ。
「そう、なんだ……」
俺の話を聞き終えたエリーが、少し曖昧な相づちを打つ。
もう少し、興味津々な態度で聞いて欲しかったんだが……そこまで考えて、俺は重大な事にきがついてしまった。
「あ、これ誰にも言うなよ!?これ、てめぇ以外の誰にもまだ話してねぇんだからな!!いいか、絶対だぞ!!」
あの口が軽いギルドの連中だ、話そうものなら即街中に噂が広まり冷やかされることうけあいだろう。
その点、ある程度聞き分けがいいエリーならまぁ大丈夫だろう……多分。
「うん!!お兄ちゃんとエリー、二人だけの秘密だよね!!えへへ……」
「……何にやついてやがんだよ」
「お兄ちゃんがね、自分のことを話してくれたのが嬉しいの!!お兄ちゃんのこと、ちょっとだけわかったような気がするから!!」
にやけ顔に質問を入れると、急にテンションの上がった口調で話しだす。
まぁ……お互い様だろ、そんなん。
「そうだな、俺もてめぇがババァだってことよくわかったし」
「あうぅ……やっぱり、お兄ちゃん意地悪だよぉ……」
こいつの事が少しだけ、理解できたような気がする。
そんな事を想っている俺の腹が、小さくぐぅ、と音を立てた。
「……そーいや、夜は何も食ってなかったな。今更作るのもめんどくせぇし……じゃあ今晩は、どっかで飯食いに行くか」
「うん!!あ、でもちょっと時間が遅くなっちゃったね……今、食べるお店ってやってるかなぁ……」
「俺に任せとけ。グランデム歴2年のこの俺が、深夜だろうとやってる店をバッチリ見つけてやるからよ」
「意外と短いね……」
エリーと二人、俺達は歩き出す。
かつて、『英雄の街』と呼ばれたその片隅で。
俺とエリー、二人の夜はまだまだ始まったばかりであった。
「……あれ?そういえば、どうしてお兄ちゃんは50年前の反魔物領での勇者の呼び名なんて知ってたんだろう……本に載ってたのかなぁ?」
14/03/26 02:14更新 / たんがん
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