提灯お化けちゃんの間違った産み出し方
東洋の国ジパング。
その国は、古くから妖怪と共存していることで有名な国であり、幼い子供でさえ知るほどにその存在は広く知れ渡っている。
妖怪の種類は多岐に渡っているが、どういう訳かその姿は皆絶世の美女といって差し支えがないものばかりである。しかも、妖怪達はただ美しいというだけではなく、一度男を決めるとその者から離れようともしない一途な面も併せ持っている。
男たるもの、女から想われたいと願うのは至極当然のことであり、その為、人外の者であるにも関わらず、このジパングという国では彼女達と番いになろうと思う男性は後を絶たないのが現状であった。
そんな奇妙な情勢の国のある街の中で、男が二人真夜中の道を歩いていた。
魔術の技術の進歩した西の大陸とは違い、その道には夜を彩る街灯などがあるわけではないのだが、それでも二人の歩みは限りなく真っ直ぐに進んでいる。
それもそのはず、彼等のうちの片方、定良(さだよし)という男はその手に朱く輝く提灯をぶら下げていたのだから。
「いやーわりぃねぇ、送ってもらっちゃってさ!!」
「気にするな。これぐらい、どうってことないさ」
白い紙の上に紫色の花の模様をあしらった提灯が煌々とした光を放ち続けるおかげで、彼等の周りだけは明るさを失うことはない。
互いに同じ染物屋で働いている二人だが、流石に毎日この時間まで勤めているわけではない。
本来ならば二人の今日の分の仕事自体は既に終わっていたのだが、定良は真面目なことに常として職場に遅くまで残って明日の為の作業などを率先して引き受けているのだ。
それを、偶には手伝ってやるのもいいだろう、と言い出した男が一人いたのだが、彼にとってその発言は完全にその場での思いつきであり、夜が更けるまで続けるのを想定していなかった為に明かりの類を持ってきてはいなかった。
それを見かねた定良が、送ってやろう、と言い出した為に、定良の家は彼とは全くの逆方向であるにも関わらず、定良は彼の家までついていっているのだ。
冒頭の会話は、そのような経緯からしてなされたのである。
「それにしても定良、その提灯、本当に綺麗な形してるよな……おめぇ、それ本当に数年前から使っているのか?」
「あぁ。これでも、手入れは毎日欠かさず行っているからね。僕にとっては自慢の一品だ」
「かー!!そんな大事に扱われてるなんて、その提灯の方も幸せだねぇ!!そいつ、その内『提灯おばけ』になっちまうんじゃねーの?」
「提灯……お化け?なんだ、それは?」
きょとんとした表情の定良が尋ねると、今度は尋ねられた男の方が目を丸くした。
「おいおい、このジパングに住んでいて提灯お化けも知らないってのかぁ!?付喪神だよ、付喪神。大事にした物には神様が宿るって話なんだが……それが提灯だった場合、どうも妖怪になっちまうらしい。で、このジパングにぎょうさんいる妖怪の例に漏れず、そいつはもれなく別嬪さんなんだとさ」
「なるほど……物が妖怪に、ね」
「なんだぁ?せっかく独身のおめぇさんがいい嫁さんを捕まえる機会だってーのに、興味なさそうな顔だねぇ……そんなに興味ないってんなら、ちょっとその提灯貸してくれ!!」
そう言うと同時に男は提灯へと向かって手を伸ばすが、定良がそれとほぼ反射的に両手を持ち上げた為にその行動は空振りに終わった。
「駄目だ。お前にこれを貸したら、僕はどうやって我が家に帰ったらいいんだ」
「そこはこう、手を当てて壁伝いに歩いてだな……あーわりぃわりぃ、冗談だって!!」
眉間にしわを寄せた定良に、男は慌てて謝罪の言葉を伝えた。
「全く……軽口は程々にしておけ。ほら、お前の家はあそこだろう」
とりとめのない会話を交わしながら歩いている内に、もうそんなところまで辿り着いていたらしい。
定良が指差す先にある家は、間違いなくもう片方の男のものだった。
「おぉ、肝に命じておくよ。そんじゃ、また明日な」
あまり反省の見られない態度でそう言い残して、男は振り向きもせずに歩いていく。
その背中を、定良がじっと見続けていることなど露知らず。
そして、男が完全に家の中へと入っていった時であった。
「ふぅ……ようやく行ったか……」
心の底に溜まっていたものを吐き出すかのようにして、定良は大きな溜息を吐いた。
「全く……普段はあっさり帰れるというのに……あの男のせいで無駄に時間を浪費してしまったではないか……」
顔の端を歪めながらぶつぶつと文句を呟く定良の姿は、先程までの穏和な態度が何かの冗談であったかのようだった。
定良は一通りの文句を呟き終えると、その視線を下へと移す。
そして、その顔に満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに言った。
「けど……これでようやく二人っきりになれたな、千代(ちよ)」
言うまでもないことだが、こんな夜更けには辺りに定良以外の人など居ないし、彼の視線の先に女性がいるわけではない。
彼の眼に映るのは、自らの持つ提灯だけである。
「…………」
「……うん、うん。そうだな、お前もわかってくれるか。あの男、千代に気安く触ろうとしやがって……千代の処女を奪うのは僕だというのに、油断も隙もありゃしない」
ただの提灯が返事など返す訳もないのだが、定良はまるで会話をしているかのように提灯に語りかけている。
「…………」
「あぁ、さっきはなんであんなことを言ったのかって?僕が提灯お化けの事を知っているとわかったら、千代が狙われてしまうかもしれないからね。だから、さっきはあの男に嘘をつかせてもらったけど……本当は、辛かった。君のことを愛していると声高々に主張したかった。あぁ、千代。僕は君のことをこんなに愛しているというのに、どうして君は僕の前に姿を現してくれないんだ……」
大仰な手振りで心の底から嘆く定良の姿は、最早奇行と呼んで差し支えない域にまで達してしまっていた。
定良がこのように提灯へと夜な夜な語りかけるようになった原因は、数年前に遡る。
当時、一目見てその模様が気に入ってその提灯を購入した定良は、その鮮やかな模様が千代紙のように見えたことから、千代という名前を気まぐれにつけた。
この時から定良は既に提灯お化けという妖怪を知っていたため、独り身である自分の元に化けて来てくれないだろうか、という淡い期待も込められてはいたが、あくまでその時は笑い話程度であった。
それから、戯れに辺りに誰もいない晩にその名前を小さな声で呼んでいる内は、まだよかった。
ところが、その行為を幾度となく繰り返す内に、徐々に定良の中で『千代』という存在が大きくなっていく。
もし、千代が自分の元へと化けて出たらと考えて、その姿を妄想した。
丸く大きな眼でこちらを見上げ、白地に紫色の花の模様が施された着物の奥に白く滑らかな肌を持つ少女がこちらを見上げる姿を、提灯を見ながら思い浮かべるようになった。
提灯に明かりを灯す時間を少しでも増やす為に、毎日何かと理由をつけて仕事場に残るようになった。
いつ現れても問題ないように、布団を敷くときには必ず枕を隣にもう一つ並べておくのも今では習慣になってしまっていて、あげくの果てにはこうやって提灯に話しかけることすらも何の躊躇いもなく行うようになってしまった。
「…………」
「……そうか。やっぱり、僕の愛が足りないと言うんだね。朝、眼が覚めたら枕元の君におはようといい、仕事場では働きながら胸元に畳んで収納した君の温もりを感じ、夜は二人だけで歩きながら君と愛を語らっても尚、君は僕からの愛が足りないと言うんだね。わかっているさ。僕にはまだ、君に会う資格なんか無いんだろう。それでも大丈夫だよ、千代。君が僕の前に現れるその時まで、僕はあの男のような変質者の魔の手から君を護ってあげるからね、ふふ、ふふふふふ……」
夜道を一人、覚悟を決めた表情で歩いている定良であったが、彼は気がついていない。
傍から見る分には、一人でぶつぶつ提灯に話しかける彼もまた、変質者にしか見えないということを。
帰宅した彼が真っ先に行ったのは、提灯の点検であった。
「はぁ……千代の身体は、今日も美しい……」
うっとりと見つめる表情と口から漏らす言葉は明らかに提灯に向けるものではないとはいえ、作業自体はとてもまともに行われた。
まずは、柔らかい布を用いて、竹ひごを外側から一本一本張り紙が破れないように拭いていく。
そして、内側から同じ作業を繰り返した後、別の布に持ち替えてから蝋燭を乗せる上皿についた蝋を取り除く。
最後に、つるが曲がっていないか確認した後、中に厚紙を敷いて、そこから小さく畳んで箱の中へとしまう。
作業を毎日繰り返しているだけはあって、その手つきは非常に繊細なものだった。
昼間は胸元へと無造作にしまってある分、せめて家ではゆっくり休ませてやりたい、というのが彼の考えであった。
「お休み、千代。明日もよろしくな」
日課である夜の挨拶を済まして、準備を済ませた定良は風呂場へと向かう。
最も、布団に入る間際にはそれを枕元に持っていくのが定良という男であるのだが。
唯一の人間がいなくなり、提灯が置かれている寝室は静寂に包まれていた。
もし定良がいればやかましいぐらいに提灯へと話しかけてくるのであるが、彼は湯浴みの最中である。
「…………」
その部屋にあるのがただの提灯である以上、それを寂しいと思う感情を持ち合わせているわけがない。
それでも、実際にその部屋が静寂に包まれていた時間はそう長くなかった。
『……ふ〜ん♪ふふふ〜ん♪』
定良の家の風呂場と寝室には、そう距離があるわけではない。
だから、風呂の中から奏でられた、上機嫌な定良の歌声が聞こえてくることも、決して不自然なことではなかった。
『千〜代千〜代千〜代お化けの子〜♪妖怪の〜国か〜らやってきた♪千〜代千〜代千〜代お化けの子〜♪まんまる〜おめめの〜女の子〜♪ぺったんこ♪つーるつる♪着〜物が綺麗〜脱がしちゃお♪さ〜らさら♪くっちゅくちゅ♪美しい〜な〜撫で〜ちゃお♪』
(ポ○ョのリズムで)
…もしこの歌を誰かが聴いていたならば、定良の評判は急転直下で大暴落していたことだろうが、定良はそんな愚を犯す人間ではない。
隣家には届かないようにきっちりと声量を調節して歌っているため、これを聴くことが出来るのは、定良本人を除けば寝室におかれた提灯ぐらいのものであった。
むしろ、提灯だけに聴かせる為、定良はわざわざ風呂場で歌っているのである。
「…………」
その想いが提灯に伝わったのかどうか、それはわからない。
ただ一つ言えるのは、その歌に呼応するようにして、火の元もないはずの寝室が、箱から漏れ出る赤い光に照らされたことだけであった。
「ふぅ……即興で作った歌だったが、中々よかったな……」
風呂上がりの定良は、上機嫌に自分が作った歌の歌詞を思い出していた。
定良がやたら上機嫌な理由は、夜の散歩の時間がいつもより長かったことだ。
それは男を送り迎えしたからこそであったので、少なくとも定良の中には男に対する文句はなくなったらしい。
「うむ……これなら、二番もすぐに作れそうだな……どのような歌詞を作るか……『あ〜の子はいいな♪犯しちゃお♪』などはどうだろうか……いや、表現が直接的すぎるな。ここは……」
独り言を呟いて思案しながら、定良は寝室のふすまを開ける。
「『挿入れ〜ちゃお♪』などが……いい、か……」
その部屋の中で、三つ指をついて正座している少女が、定良の姿を見上げていた。
「な……はっ!!」
一瞬たじろいだ定良であったが、心当たりがある方へとすぐに視線を向ける。
定良が見たそこ、枕元には、先程提灯を入れておいた箱が、開かれた状態で空箱になっておかれているだけであった。
「ま、まさか……千代……?」
それでも尚、半信半疑で目の前の少女に定良は問いかける。
すると、まるで花が咲くような笑顔で彼女は微笑んだ。
「はい、その通りでございます。初めまして、定良様。ずっと、お会いしとうございました……」
白を基調として、ぶかぶかの袖に紫色の花の模様があしらわれた着物。その隙間から覗く肌は、お腹と足の部分でそれぞれ燃え盛っている炎によって、夜でも明るく照らしだされていた。
頭には、白にほんの少しだけ紫色の染料を混ぜたかのような不思議な色をして短く切りそろえられた髪と、その上に烏帽子に似た形状で長い紐をつけた帽子を乗っけている。
そして、大きな丸い瞳は、純金のようにそれだけで光沢を放っていて、まさに彼女は定良の想像した理想的な提灯お化けの姿であった。
その姿につい、定良は目頭が熱くなってしまっていた。
「ち、千代……千代ぉぉぉぉ!!」
両手を広げ、感極まった余りに突進とも言い表せるような勢いで、定良は提灯お化け、千代の元へと迫る。
千代もまた、再び定良に向けてニッコリと笑うと、招き入れるかのように両手を広げた。
「……ほりゃぁっ!!」
「ぶほぉっ!?」
そして、がら空きになった定良の腹部に、思いっきり頭突きを繰り出した。
当然、そうなることを全く想定していなかった定良の痛みは大きく、畳の上へと転ばされて、腹を押さえて悶絶するはめになってしまう。
「定良様に拾われて早数年……ずっと待ってましたよ、この日を……定良様に一撃を与えるこの日をねぇ!!」
優しい表情から一転して顔にいくつもの青筋を浮かべて、千代は無様に転がる定良を見下ろす。
「な、何を言っているんだい千代……痛いじゃないか……」
「今の一撃は、あたしが恥ずかしい思いをした分です!!いつもいつも、提灯だった頃からあたしに変なことばっかりして……ご主人様の行動には、提灯だった頃からずっとうんざりしてたんですからね!!」
定良の行動の全てを目撃していたら、百人が百人「正論だ」と答えるような話であった。
だが、それを聞いても定良は、頭に浮かべた疑問符が更に増えたような顔になる。
「変な、こと……?何のことだい?僕はただ、君が望むことをぐえぇっ!?」
「自覚も無しですかこの変態がぁぁぁっ!!」
全て言い終える前に、千代の炎を灯した足が定良の腹を踏み抜いた。
服が燃えるようなことは何故かなかったのだが、それでも潰れた蛙のような声を上げる程度には痛い。
「こっちは毎日毎日朝から晩までずっと定良様のせいで怒りのボルテージが上がりまくりだったんですからね!!」
「そ、そんなこと言われても……僕には、何のことだかさっぱりで……」
「あーもう!!それなら、胸に手を当てて自分の一日の行動を振り返ってみてください!!それではっきりします!!」
頭から湯気でも出しそうなぐらいご立腹の千代。
このままでは話を聞いてくれそうにもないので、定良は言われた通りに今朝からの自分の行動を思い出すことにした。
「まず、朝は君におはようの挨拶をするところから始まるだろ?」
「もう最初っからおかしいですよね!?なんでただの提灯に挨拶をするところから朝が始まるんですか!?」
「ははは、妻の君に挨拶をするのは当たり前じゃないか。千代は変なことを言うね」
「妻とか以前にただの提灯に挨拶すんのがおかしいって言ってんですよ!!もういいです、次!!」
開口一番に千代が怒鳴る、というより全力でツッコむ。
だが、いつの間にか語りに熱が入った定良は、その程度では止まらない。
「それから着物を着替えてから顔を洗い、用意した朝食を千代と一緒に食べて……」
「食べてませんからね!?定良様、いつも二人分のご飯用意しておいて全部自分で食べてたじゃないですか!!」
「千代が美味しいと言ってくれる度に僕も胸が熱くなり、君が作ってくれる日を心待ちにしつつ食卓を後にするんだ」
「言ってません!!提灯なんでそもそも食べられません!!とゆうより、さっきからあたしの話わざと無視してません!?ちょっと!!」
「仕事の支度をしてからは、君を懐にしまい込んで体温を感じつつも家を出発するだろ」
「聞いてませんし!?ってか、火を灯してない提灯に温度はありませんからね!?そもそもあそこ、汗臭かったんですけどあたしへの嫌がらせなんですか!?」
「え……だって、妖怪っていうのは旦那様の体液ならなんでも好むんじゃ……」
「わー、定良様の汗すっごく良い香りー♪舐めたいなー♪(はぁと)……とか言いませんからね!?そんなんで喜ぶのはベルゼブブとかデビルバグぐらいですからね!?……あれ、定良様今あたしの話聞いてませんでした!?」
「仕事をしながらも、たまに着物越しに君に触れる事で一つになれた事を確認し合って……」
「道理でちょくちょく苦しくなると思ってましたよ!!定良様は一体感を感じてたかもしれませんけどあたしは圧迫感しか感じませんでしたからね!?」
「昼は胸にいる君に思いを馳せながら、二人っきりで将来君が作ることになる弁当を食べたものだな……」
「弁当ってまさか、鮭ちらしをハート型に乗っけたあれのことですか!?傍から見たら定良様一人ぼっちでハートの模様の昼飯食べてる寂しい独身男ですよねそれ!?」
「それからは、君と散歩できるようになる時間までひたすらに仕事をしながら君の事に没頭し……」
「おかげで定良様、周りからは仕事に真面目だって噂されてましたもんね!!えぇい、この国は労働の基準となる法の制定はまだなんですか!?」
「ついに待ち焦がれた夜が来た!!君の魅力的な姿に骨抜きにされながらも君と手を繋ぎ、何気ない会話を楽しみながら一日の中で最も幸せな一時を堪能して……」
「提灯の姿のどこに骨抜きになるんですか!?しかも提灯に手なんかあるわけないでしょうが!!それにあれ会話じゃなくて完全に独り言でしたからね!?あたしの思ってた事と一致したこと微塵もありませんからね!?あぁもうツッコミ切れないですよー!!」
「名残を残しながらも帰宅……!!毎日良い仕事をしてくれる君の身体を、余すことなく味わい尽くす……」
「ただの提灯の手入れでしょうが!!わざわざ誤解を招く表現しないでください!!」
「それから、布団に入って枕元の君に箱越しに接吻し、明日こそ具現化してくれないかと祈って眠る……そうして、毎日捧げた僕の愛が君に届いた訳だが……」
「……いい加減にしやがりなさぁぁぁぁぁい!!」
漫才のようなやりとりについに業を煮やしたのか、掲げた千代の右手から彼女の身長を超すのではないかと思われる程巨大な炎が、噴き出るようにして現れた。
「ごしゅじぃん?あたし、提灯から産まれた妖怪なんですよぉ?あたしがその気になれば……定良様、簡単に燃え尽きちゃいますよぉ?」
定良は、千代の顔を見上げながらも口を開こうとはしない。
暗闇の中で炎に照らし出される千代の顔には、嫌らしい笑みが浮かんでいた。
「知ってますかぁ?提灯お化けって主人への恩だけではなく、恨みからでも産まれるんですよぉ?あたしがこの姿になれたのは、どうもさっきのご主人様の下手くそな歌が原因らしいんですよねぇ。猿でももう少しまともな物が作れそうなくらい酷い歌でしたが、おかげで肉体を持てたことには感謝しなければなりませんねぇ?」
「そ、そんな……最高の歌だと思ったのに……」
余程自分の歌を気に入ってたらしく露骨に落ち込む定良に、千代はご満悦とばかりに口角をつり上げる。
「怖いですか?怖いですよねぇ?ふふふ、それが嫌なら、おとなしくあたしの言うことを……」
「……構わないよ、千代」
「聞いて……って、へ?」
落ち込んでいた定良が余りに平然と言った言葉に、千代の口からは思わず間の抜けた声が出ていた。
「君が望むなら、僕は焼かれても構わない。そう言ったんだよ」
「な、何言ってんですか?あたし、本当にやっちゃいますよ?ご主人、訂正するなら今の内ですよ?」
「いいさ。君が僕の事を恨んでいるんだったら、仕方ない。僕は、千代の望みが叶うなら、満足だ」
「え、えと……うぅ……」
「ほら、僕は抵抗しないよ?さぁ、君の恨みを、僕にぶつけてごらん」
腹を決めたのか、力を抜いて横になる定良を前に、何故か千代はしどろもどろになる。
「あ、あたしの、恨み……」
四六時中べたべたと触られたこと。
愛の囁きと言われて、ずっとぶつぶつと話しかけられていたこと。
恨みを思い出そうとすれば、それは星の数程あった。
「あたしは、定良様の事を……」
数ある商品の中から、自分を選んでくれたこと。
夜になると、丁寧な手つきで手入れしてくれたこと。
毎日、提灯として使ってくれたこと。
自分を大事にしてくれたこと。
「……恨んでるわけ、ないじゃないですかぁ!!意地悪しないでくださいよぉ!!」
半分べそを掻いた少女の手から、ぽんっと炎が消え失せた。
「うぅっ……ひぐっ……ぐすっ……」
「ほらほら、落ち着いて。僕は怒ってないから、話してごらん?どうして君は、こんなことしたの?」
それからしばらくして、落ち着いた千代に定良は話を聞いていた。
無論、定良が今も寝ているということはなく、申し訳なさを感じているのか、今は逆に千代の方が正座で定良の前にいた。
「さ、最初は一発殴ったら、それで終わらせるつもりだったんですけど……定良様、全然反省してくれないんですもん……それで、つい……」
……要は引っ込みがつかなくなった、という事らしい。
「さ、定良様は無茶をしすぎです!!あたしが本当に恨んでたら、どうするつもりだったんですか!!」
「ははは、その時はその時さ。とはいっても、僕は君を信じていたけどね」
「信じるって……何を根拠に、そんな……」
定良は一拍置いてから、種明かしをするように悪戯っぽく言った。
「……『千代』って名前、気に入ってくれたんだろ?」
「ぁっ……!!うぅ……」
そこで千代はしまった、という顔をして、身を縮こまらせる。
定良の付けてくれた、千代という名前。
彼女はさっき、初めてこの姿になった時も……そう呼ばれて、返事をしていたのだから。
彼女が産まれたきっかけは、本当に怒りだったのかもしれない。
けれど、定良が彼女の感謝の念を感じるのに、それ以上はいらなかった。
「こ……こうなったのも、定良様が悪いんですからね!!愛が足りないからだとかなんとか勘違いして、毎日毎日あんなことばっかり……言われ続けるあたしの身にもなってくださいよ!!」
その恥ずかしさを誤魔化すようにして、千代は八つ当たりのように定良に文句を放つ。
だが、そこで一旦言葉を切った千代は、急にもじもじと人差し指を擦りつけて、うつむきながら小さな声を漏らした。
「あたしだって……好きでこんなに遅れたわけじゃ、ないですよ……」
白い頬に、ほんのりと赤みが増したその姿は、まさに一輪の花のようで。
その両肩に、定良は両の手をぽん、と置くと。
「…………」
「な、何ですか、定良様……へっ!?」
ドサリ、と彼女を布団へと押し倒した。
「わかった。つまり……僕はもう、我慢しなくていいって事だよな?」
「さ、定良様!?何をする気ですか!?」
「何って……愛し合う男と女が寝室にいるんだ。する事は、一つじゃないか」
それは、どこまでもにこやかな笑顔だったという。
「い、いや!!いくらなんでもいきなりすぎません!?こういうのはもっと、段階を踏んでからですね……!!」
「何を言ってるんだ。僕はもうこれ以上ないくらい毎日君との愛情を深めてきたじゃないか。もう待ちきれないよ」
「そりゃ定良様はそうでしょうけどぉ!!くっ、ふりほどけない……!?どうして、妖怪なのに人間に力で負け……っ!?」
「ははは、これも愛の為せる技だよ」
「愛って言えばなんでもいいと思ってません!?定良様、本当にまだ人間なんですよね!?」
「さぁ、千代。僕と君が結ばれる儀式を、始めようか……」
「てゆうかこれ、立場逆ですよね!?こういう時って普通妖怪のあたしが上ですよね!?あぁもう、なんでこうなるんですかぁぁぁぁぁ……!!」
……その晩、定良の家からは嬌声が止むことはなかったとか、なんとか。
ジパングのある所に、染物屋で働く青年がいた。
その青年は、毎日夜遅くまで残り仕事を続ける真面目な仕事ぶりが評価されていたが、ある日を境に誰よりも早く帰るようになった。
その日の仕事は全て終わらせてから帰る為に文句を言われることはなかったが、同僚達は首を傾げていた。
それとなく本人に理由を尋ねた男もいたのだが結局、夜遅くまで残り愛用の提灯をぶら下げて帰るその姿を見ることは、もうなかったという。
定良様、お帰りなさ……って、わぁ!?なんですか、いきなり抱きつかないでくださいよ!!
え?僕に会えなくて寂しかっただろう、って……そ、そんな事ありません!!確かにこの身体では定良様の仕事のお供はできませんが、むしろせいせいしてるぐらいです!!
それに、退屈もしてません!!今日だって、ずっとお料理の練習してたんですからね!!
……何ですか、そんな物欲しそうな目をして?これは、あたしが自分で食べるように作ったんですからね!!
ただ……ちょっと作り過ぎちゃって、一応二人分はありますけど……か、勘違いしないでくださいよ!!今日は偶々作りすぎちゃっただけなんですからね!!
もう、何にやけてるんですか定良様!!ほら、食べるなら早く食べてください……!!
その国は、古くから妖怪と共存していることで有名な国であり、幼い子供でさえ知るほどにその存在は広く知れ渡っている。
妖怪の種類は多岐に渡っているが、どういう訳かその姿は皆絶世の美女といって差し支えがないものばかりである。しかも、妖怪達はただ美しいというだけではなく、一度男を決めるとその者から離れようともしない一途な面も併せ持っている。
男たるもの、女から想われたいと願うのは至極当然のことであり、その為、人外の者であるにも関わらず、このジパングという国では彼女達と番いになろうと思う男性は後を絶たないのが現状であった。
そんな奇妙な情勢の国のある街の中で、男が二人真夜中の道を歩いていた。
魔術の技術の進歩した西の大陸とは違い、その道には夜を彩る街灯などがあるわけではないのだが、それでも二人の歩みは限りなく真っ直ぐに進んでいる。
それもそのはず、彼等のうちの片方、定良(さだよし)という男はその手に朱く輝く提灯をぶら下げていたのだから。
「いやーわりぃねぇ、送ってもらっちゃってさ!!」
「気にするな。これぐらい、どうってことないさ」
白い紙の上に紫色の花の模様をあしらった提灯が煌々とした光を放ち続けるおかげで、彼等の周りだけは明るさを失うことはない。
互いに同じ染物屋で働いている二人だが、流石に毎日この時間まで勤めているわけではない。
本来ならば二人の今日の分の仕事自体は既に終わっていたのだが、定良は真面目なことに常として職場に遅くまで残って明日の為の作業などを率先して引き受けているのだ。
それを、偶には手伝ってやるのもいいだろう、と言い出した男が一人いたのだが、彼にとってその発言は完全にその場での思いつきであり、夜が更けるまで続けるのを想定していなかった為に明かりの類を持ってきてはいなかった。
それを見かねた定良が、送ってやろう、と言い出した為に、定良の家は彼とは全くの逆方向であるにも関わらず、定良は彼の家までついていっているのだ。
冒頭の会話は、そのような経緯からしてなされたのである。
「それにしても定良、その提灯、本当に綺麗な形してるよな……おめぇ、それ本当に数年前から使っているのか?」
「あぁ。これでも、手入れは毎日欠かさず行っているからね。僕にとっては自慢の一品だ」
「かー!!そんな大事に扱われてるなんて、その提灯の方も幸せだねぇ!!そいつ、その内『提灯おばけ』になっちまうんじゃねーの?」
「提灯……お化け?なんだ、それは?」
きょとんとした表情の定良が尋ねると、今度は尋ねられた男の方が目を丸くした。
「おいおい、このジパングに住んでいて提灯お化けも知らないってのかぁ!?付喪神だよ、付喪神。大事にした物には神様が宿るって話なんだが……それが提灯だった場合、どうも妖怪になっちまうらしい。で、このジパングにぎょうさんいる妖怪の例に漏れず、そいつはもれなく別嬪さんなんだとさ」
「なるほど……物が妖怪に、ね」
「なんだぁ?せっかく独身のおめぇさんがいい嫁さんを捕まえる機会だってーのに、興味なさそうな顔だねぇ……そんなに興味ないってんなら、ちょっとその提灯貸してくれ!!」
そう言うと同時に男は提灯へと向かって手を伸ばすが、定良がそれとほぼ反射的に両手を持ち上げた為にその行動は空振りに終わった。
「駄目だ。お前にこれを貸したら、僕はどうやって我が家に帰ったらいいんだ」
「そこはこう、手を当てて壁伝いに歩いてだな……あーわりぃわりぃ、冗談だって!!」
眉間にしわを寄せた定良に、男は慌てて謝罪の言葉を伝えた。
「全く……軽口は程々にしておけ。ほら、お前の家はあそこだろう」
とりとめのない会話を交わしながら歩いている内に、もうそんなところまで辿り着いていたらしい。
定良が指差す先にある家は、間違いなくもう片方の男のものだった。
「おぉ、肝に命じておくよ。そんじゃ、また明日な」
あまり反省の見られない態度でそう言い残して、男は振り向きもせずに歩いていく。
その背中を、定良がじっと見続けていることなど露知らず。
そして、男が完全に家の中へと入っていった時であった。
「ふぅ……ようやく行ったか……」
心の底に溜まっていたものを吐き出すかのようにして、定良は大きな溜息を吐いた。
「全く……普段はあっさり帰れるというのに……あの男のせいで無駄に時間を浪費してしまったではないか……」
顔の端を歪めながらぶつぶつと文句を呟く定良の姿は、先程までの穏和な態度が何かの冗談であったかのようだった。
定良は一通りの文句を呟き終えると、その視線を下へと移す。
そして、その顔に満面の笑みを浮かべて、嬉しそうに言った。
「けど……これでようやく二人っきりになれたな、千代(ちよ)」
言うまでもないことだが、こんな夜更けには辺りに定良以外の人など居ないし、彼の視線の先に女性がいるわけではない。
彼の眼に映るのは、自らの持つ提灯だけである。
「…………」
「……うん、うん。そうだな、お前もわかってくれるか。あの男、千代に気安く触ろうとしやがって……千代の処女を奪うのは僕だというのに、油断も隙もありゃしない」
ただの提灯が返事など返す訳もないのだが、定良はまるで会話をしているかのように提灯に語りかけている。
「…………」
「あぁ、さっきはなんであんなことを言ったのかって?僕が提灯お化けの事を知っているとわかったら、千代が狙われてしまうかもしれないからね。だから、さっきはあの男に嘘をつかせてもらったけど……本当は、辛かった。君のことを愛していると声高々に主張したかった。あぁ、千代。僕は君のことをこんなに愛しているというのに、どうして君は僕の前に姿を現してくれないんだ……」
大仰な手振りで心の底から嘆く定良の姿は、最早奇行と呼んで差し支えない域にまで達してしまっていた。
定良がこのように提灯へと夜な夜な語りかけるようになった原因は、数年前に遡る。
当時、一目見てその模様が気に入ってその提灯を購入した定良は、その鮮やかな模様が千代紙のように見えたことから、千代という名前を気まぐれにつけた。
この時から定良は既に提灯お化けという妖怪を知っていたため、独り身である自分の元に化けて来てくれないだろうか、という淡い期待も込められてはいたが、あくまでその時は笑い話程度であった。
それから、戯れに辺りに誰もいない晩にその名前を小さな声で呼んでいる内は、まだよかった。
ところが、その行為を幾度となく繰り返す内に、徐々に定良の中で『千代』という存在が大きくなっていく。
もし、千代が自分の元へと化けて出たらと考えて、その姿を妄想した。
丸く大きな眼でこちらを見上げ、白地に紫色の花の模様が施された着物の奥に白く滑らかな肌を持つ少女がこちらを見上げる姿を、提灯を見ながら思い浮かべるようになった。
提灯に明かりを灯す時間を少しでも増やす為に、毎日何かと理由をつけて仕事場に残るようになった。
いつ現れても問題ないように、布団を敷くときには必ず枕を隣にもう一つ並べておくのも今では習慣になってしまっていて、あげくの果てにはこうやって提灯に話しかけることすらも何の躊躇いもなく行うようになってしまった。
「…………」
「……そうか。やっぱり、僕の愛が足りないと言うんだね。朝、眼が覚めたら枕元の君におはようといい、仕事場では働きながら胸元に畳んで収納した君の温もりを感じ、夜は二人だけで歩きながら君と愛を語らっても尚、君は僕からの愛が足りないと言うんだね。わかっているさ。僕にはまだ、君に会う資格なんか無いんだろう。それでも大丈夫だよ、千代。君が僕の前に現れるその時まで、僕はあの男のような変質者の魔の手から君を護ってあげるからね、ふふ、ふふふふふ……」
夜道を一人、覚悟を決めた表情で歩いている定良であったが、彼は気がついていない。
傍から見る分には、一人でぶつぶつ提灯に話しかける彼もまた、変質者にしか見えないということを。
帰宅した彼が真っ先に行ったのは、提灯の点検であった。
「はぁ……千代の身体は、今日も美しい……」
うっとりと見つめる表情と口から漏らす言葉は明らかに提灯に向けるものではないとはいえ、作業自体はとてもまともに行われた。
まずは、柔らかい布を用いて、竹ひごを外側から一本一本張り紙が破れないように拭いていく。
そして、内側から同じ作業を繰り返した後、別の布に持ち替えてから蝋燭を乗せる上皿についた蝋を取り除く。
最後に、つるが曲がっていないか確認した後、中に厚紙を敷いて、そこから小さく畳んで箱の中へとしまう。
作業を毎日繰り返しているだけはあって、その手つきは非常に繊細なものだった。
昼間は胸元へと無造作にしまってある分、せめて家ではゆっくり休ませてやりたい、というのが彼の考えであった。
「お休み、千代。明日もよろしくな」
日課である夜の挨拶を済まして、準備を済ませた定良は風呂場へと向かう。
最も、布団に入る間際にはそれを枕元に持っていくのが定良という男であるのだが。
唯一の人間がいなくなり、提灯が置かれている寝室は静寂に包まれていた。
もし定良がいればやかましいぐらいに提灯へと話しかけてくるのであるが、彼は湯浴みの最中である。
「…………」
その部屋にあるのがただの提灯である以上、それを寂しいと思う感情を持ち合わせているわけがない。
それでも、実際にその部屋が静寂に包まれていた時間はそう長くなかった。
『……ふ〜ん♪ふふふ〜ん♪』
定良の家の風呂場と寝室には、そう距離があるわけではない。
だから、風呂の中から奏でられた、上機嫌な定良の歌声が聞こえてくることも、決して不自然なことではなかった。
『千〜代千〜代千〜代お化けの子〜♪妖怪の〜国か〜らやってきた♪千〜代千〜代千〜代お化けの子〜♪まんまる〜おめめの〜女の子〜♪ぺったんこ♪つーるつる♪着〜物が綺麗〜脱がしちゃお♪さ〜らさら♪くっちゅくちゅ♪美しい〜な〜撫で〜ちゃお♪』
(ポ○ョのリズムで)
…もしこの歌を誰かが聴いていたならば、定良の評判は急転直下で大暴落していたことだろうが、定良はそんな愚を犯す人間ではない。
隣家には届かないようにきっちりと声量を調節して歌っているため、これを聴くことが出来るのは、定良本人を除けば寝室におかれた提灯ぐらいのものであった。
むしろ、提灯だけに聴かせる為、定良はわざわざ風呂場で歌っているのである。
「…………」
その想いが提灯に伝わったのかどうか、それはわからない。
ただ一つ言えるのは、その歌に呼応するようにして、火の元もないはずの寝室が、箱から漏れ出る赤い光に照らされたことだけであった。
「ふぅ……即興で作った歌だったが、中々よかったな……」
風呂上がりの定良は、上機嫌に自分が作った歌の歌詞を思い出していた。
定良がやたら上機嫌な理由は、夜の散歩の時間がいつもより長かったことだ。
それは男を送り迎えしたからこそであったので、少なくとも定良の中には男に対する文句はなくなったらしい。
「うむ……これなら、二番もすぐに作れそうだな……どのような歌詞を作るか……『あ〜の子はいいな♪犯しちゃお♪』などはどうだろうか……いや、表現が直接的すぎるな。ここは……」
独り言を呟いて思案しながら、定良は寝室のふすまを開ける。
「『挿入れ〜ちゃお♪』などが……いい、か……」
その部屋の中で、三つ指をついて正座している少女が、定良の姿を見上げていた。
「な……はっ!!」
一瞬たじろいだ定良であったが、心当たりがある方へとすぐに視線を向ける。
定良が見たそこ、枕元には、先程提灯を入れておいた箱が、開かれた状態で空箱になっておかれているだけであった。
「ま、まさか……千代……?」
それでも尚、半信半疑で目の前の少女に定良は問いかける。
すると、まるで花が咲くような笑顔で彼女は微笑んだ。
「はい、その通りでございます。初めまして、定良様。ずっと、お会いしとうございました……」
白を基調として、ぶかぶかの袖に紫色の花の模様があしらわれた着物。その隙間から覗く肌は、お腹と足の部分でそれぞれ燃え盛っている炎によって、夜でも明るく照らしだされていた。
頭には、白にほんの少しだけ紫色の染料を混ぜたかのような不思議な色をして短く切りそろえられた髪と、その上に烏帽子に似た形状で長い紐をつけた帽子を乗っけている。
そして、大きな丸い瞳は、純金のようにそれだけで光沢を放っていて、まさに彼女は定良の想像した理想的な提灯お化けの姿であった。
その姿につい、定良は目頭が熱くなってしまっていた。
「ち、千代……千代ぉぉぉぉ!!」
両手を広げ、感極まった余りに突進とも言い表せるような勢いで、定良は提灯お化け、千代の元へと迫る。
千代もまた、再び定良に向けてニッコリと笑うと、招き入れるかのように両手を広げた。
「……ほりゃぁっ!!」
「ぶほぉっ!?」
そして、がら空きになった定良の腹部に、思いっきり頭突きを繰り出した。
当然、そうなることを全く想定していなかった定良の痛みは大きく、畳の上へと転ばされて、腹を押さえて悶絶するはめになってしまう。
「定良様に拾われて早数年……ずっと待ってましたよ、この日を……定良様に一撃を与えるこの日をねぇ!!」
優しい表情から一転して顔にいくつもの青筋を浮かべて、千代は無様に転がる定良を見下ろす。
「な、何を言っているんだい千代……痛いじゃないか……」
「今の一撃は、あたしが恥ずかしい思いをした分です!!いつもいつも、提灯だった頃からあたしに変なことばっかりして……ご主人様の行動には、提灯だった頃からずっとうんざりしてたんですからね!!」
定良の行動の全てを目撃していたら、百人が百人「正論だ」と答えるような話であった。
だが、それを聞いても定良は、頭に浮かべた疑問符が更に増えたような顔になる。
「変な、こと……?何のことだい?僕はただ、君が望むことをぐえぇっ!?」
「自覚も無しですかこの変態がぁぁぁっ!!」
全て言い終える前に、千代の炎を灯した足が定良の腹を踏み抜いた。
服が燃えるようなことは何故かなかったのだが、それでも潰れた蛙のような声を上げる程度には痛い。
「こっちは毎日毎日朝から晩までずっと定良様のせいで怒りのボルテージが上がりまくりだったんですからね!!」
「そ、そんなこと言われても……僕には、何のことだかさっぱりで……」
「あーもう!!それなら、胸に手を当てて自分の一日の行動を振り返ってみてください!!それではっきりします!!」
頭から湯気でも出しそうなぐらいご立腹の千代。
このままでは話を聞いてくれそうにもないので、定良は言われた通りに今朝からの自分の行動を思い出すことにした。
「まず、朝は君におはようの挨拶をするところから始まるだろ?」
「もう最初っからおかしいですよね!?なんでただの提灯に挨拶をするところから朝が始まるんですか!?」
「ははは、妻の君に挨拶をするのは当たり前じゃないか。千代は変なことを言うね」
「妻とか以前にただの提灯に挨拶すんのがおかしいって言ってんですよ!!もういいです、次!!」
開口一番に千代が怒鳴る、というより全力でツッコむ。
だが、いつの間にか語りに熱が入った定良は、その程度では止まらない。
「それから着物を着替えてから顔を洗い、用意した朝食を千代と一緒に食べて……」
「食べてませんからね!?定良様、いつも二人分のご飯用意しておいて全部自分で食べてたじゃないですか!!」
「千代が美味しいと言ってくれる度に僕も胸が熱くなり、君が作ってくれる日を心待ちにしつつ食卓を後にするんだ」
「言ってません!!提灯なんでそもそも食べられません!!とゆうより、さっきからあたしの話わざと無視してません!?ちょっと!!」
「仕事の支度をしてからは、君を懐にしまい込んで体温を感じつつも家を出発するだろ」
「聞いてませんし!?ってか、火を灯してない提灯に温度はありませんからね!?そもそもあそこ、汗臭かったんですけどあたしへの嫌がらせなんですか!?」
「え……だって、妖怪っていうのは旦那様の体液ならなんでも好むんじゃ……」
「わー、定良様の汗すっごく良い香りー♪舐めたいなー♪(はぁと)……とか言いませんからね!?そんなんで喜ぶのはベルゼブブとかデビルバグぐらいですからね!?……あれ、定良様今あたしの話聞いてませんでした!?」
「仕事をしながらも、たまに着物越しに君に触れる事で一つになれた事を確認し合って……」
「道理でちょくちょく苦しくなると思ってましたよ!!定良様は一体感を感じてたかもしれませんけどあたしは圧迫感しか感じませんでしたからね!?」
「昼は胸にいる君に思いを馳せながら、二人っきりで将来君が作ることになる弁当を食べたものだな……」
「弁当ってまさか、鮭ちらしをハート型に乗っけたあれのことですか!?傍から見たら定良様一人ぼっちでハートの模様の昼飯食べてる寂しい独身男ですよねそれ!?」
「それからは、君と散歩できるようになる時間までひたすらに仕事をしながら君の事に没頭し……」
「おかげで定良様、周りからは仕事に真面目だって噂されてましたもんね!!えぇい、この国は労働の基準となる法の制定はまだなんですか!?」
「ついに待ち焦がれた夜が来た!!君の魅力的な姿に骨抜きにされながらも君と手を繋ぎ、何気ない会話を楽しみながら一日の中で最も幸せな一時を堪能して……」
「提灯の姿のどこに骨抜きになるんですか!?しかも提灯に手なんかあるわけないでしょうが!!それにあれ会話じゃなくて完全に独り言でしたからね!?あたしの思ってた事と一致したこと微塵もありませんからね!?あぁもうツッコミ切れないですよー!!」
「名残を残しながらも帰宅……!!毎日良い仕事をしてくれる君の身体を、余すことなく味わい尽くす……」
「ただの提灯の手入れでしょうが!!わざわざ誤解を招く表現しないでください!!」
「それから、布団に入って枕元の君に箱越しに接吻し、明日こそ具現化してくれないかと祈って眠る……そうして、毎日捧げた僕の愛が君に届いた訳だが……」
「……いい加減にしやがりなさぁぁぁぁぁい!!」
漫才のようなやりとりについに業を煮やしたのか、掲げた千代の右手から彼女の身長を超すのではないかと思われる程巨大な炎が、噴き出るようにして現れた。
「ごしゅじぃん?あたし、提灯から産まれた妖怪なんですよぉ?あたしがその気になれば……定良様、簡単に燃え尽きちゃいますよぉ?」
定良は、千代の顔を見上げながらも口を開こうとはしない。
暗闇の中で炎に照らし出される千代の顔には、嫌らしい笑みが浮かんでいた。
「知ってますかぁ?提灯お化けって主人への恩だけではなく、恨みからでも産まれるんですよぉ?あたしがこの姿になれたのは、どうもさっきのご主人様の下手くそな歌が原因らしいんですよねぇ。猿でももう少しまともな物が作れそうなくらい酷い歌でしたが、おかげで肉体を持てたことには感謝しなければなりませんねぇ?」
「そ、そんな……最高の歌だと思ったのに……」
余程自分の歌を気に入ってたらしく露骨に落ち込む定良に、千代はご満悦とばかりに口角をつり上げる。
「怖いですか?怖いですよねぇ?ふふふ、それが嫌なら、おとなしくあたしの言うことを……」
「……構わないよ、千代」
「聞いて……って、へ?」
落ち込んでいた定良が余りに平然と言った言葉に、千代の口からは思わず間の抜けた声が出ていた。
「君が望むなら、僕は焼かれても構わない。そう言ったんだよ」
「な、何言ってんですか?あたし、本当にやっちゃいますよ?ご主人、訂正するなら今の内ですよ?」
「いいさ。君が僕の事を恨んでいるんだったら、仕方ない。僕は、千代の望みが叶うなら、満足だ」
「え、えと……うぅ……」
「ほら、僕は抵抗しないよ?さぁ、君の恨みを、僕にぶつけてごらん」
腹を決めたのか、力を抜いて横になる定良を前に、何故か千代はしどろもどろになる。
「あ、あたしの、恨み……」
四六時中べたべたと触られたこと。
愛の囁きと言われて、ずっとぶつぶつと話しかけられていたこと。
恨みを思い出そうとすれば、それは星の数程あった。
「あたしは、定良様の事を……」
数ある商品の中から、自分を選んでくれたこと。
夜になると、丁寧な手つきで手入れしてくれたこと。
毎日、提灯として使ってくれたこと。
自分を大事にしてくれたこと。
「……恨んでるわけ、ないじゃないですかぁ!!意地悪しないでくださいよぉ!!」
半分べそを掻いた少女の手から、ぽんっと炎が消え失せた。
「うぅっ……ひぐっ……ぐすっ……」
「ほらほら、落ち着いて。僕は怒ってないから、話してごらん?どうして君は、こんなことしたの?」
それからしばらくして、落ち着いた千代に定良は話を聞いていた。
無論、定良が今も寝ているということはなく、申し訳なさを感じているのか、今は逆に千代の方が正座で定良の前にいた。
「さ、最初は一発殴ったら、それで終わらせるつもりだったんですけど……定良様、全然反省してくれないんですもん……それで、つい……」
……要は引っ込みがつかなくなった、という事らしい。
「さ、定良様は無茶をしすぎです!!あたしが本当に恨んでたら、どうするつもりだったんですか!!」
「ははは、その時はその時さ。とはいっても、僕は君を信じていたけどね」
「信じるって……何を根拠に、そんな……」
定良は一拍置いてから、種明かしをするように悪戯っぽく言った。
「……『千代』って名前、気に入ってくれたんだろ?」
「ぁっ……!!うぅ……」
そこで千代はしまった、という顔をして、身を縮こまらせる。
定良の付けてくれた、千代という名前。
彼女はさっき、初めてこの姿になった時も……そう呼ばれて、返事をしていたのだから。
彼女が産まれたきっかけは、本当に怒りだったのかもしれない。
けれど、定良が彼女の感謝の念を感じるのに、それ以上はいらなかった。
「こ……こうなったのも、定良様が悪いんですからね!!愛が足りないからだとかなんとか勘違いして、毎日毎日あんなことばっかり……言われ続けるあたしの身にもなってくださいよ!!」
その恥ずかしさを誤魔化すようにして、千代は八つ当たりのように定良に文句を放つ。
だが、そこで一旦言葉を切った千代は、急にもじもじと人差し指を擦りつけて、うつむきながら小さな声を漏らした。
「あたしだって……好きでこんなに遅れたわけじゃ、ないですよ……」
白い頬に、ほんのりと赤みが増したその姿は、まさに一輪の花のようで。
その両肩に、定良は両の手をぽん、と置くと。
「…………」
「な、何ですか、定良様……へっ!?」
ドサリ、と彼女を布団へと押し倒した。
「わかった。つまり……僕はもう、我慢しなくていいって事だよな?」
「さ、定良様!?何をする気ですか!?」
「何って……愛し合う男と女が寝室にいるんだ。する事は、一つじゃないか」
それは、どこまでもにこやかな笑顔だったという。
「い、いや!!いくらなんでもいきなりすぎません!?こういうのはもっと、段階を踏んでからですね……!!」
「何を言ってるんだ。僕はもうこれ以上ないくらい毎日君との愛情を深めてきたじゃないか。もう待ちきれないよ」
「そりゃ定良様はそうでしょうけどぉ!!くっ、ふりほどけない……!?どうして、妖怪なのに人間に力で負け……っ!?」
「ははは、これも愛の為せる技だよ」
「愛って言えばなんでもいいと思ってません!?定良様、本当にまだ人間なんですよね!?」
「さぁ、千代。僕と君が結ばれる儀式を、始めようか……」
「てゆうかこれ、立場逆ですよね!?こういう時って普通妖怪のあたしが上ですよね!?あぁもう、なんでこうなるんですかぁぁぁぁぁ……!!」
……その晩、定良の家からは嬌声が止むことはなかったとか、なんとか。
ジパングのある所に、染物屋で働く青年がいた。
その青年は、毎日夜遅くまで残り仕事を続ける真面目な仕事ぶりが評価されていたが、ある日を境に誰よりも早く帰るようになった。
その日の仕事は全て終わらせてから帰る為に文句を言われることはなかったが、同僚達は首を傾げていた。
それとなく本人に理由を尋ねた男もいたのだが結局、夜遅くまで残り愛用の提灯をぶら下げて帰るその姿を見ることは、もうなかったという。
定良様、お帰りなさ……って、わぁ!?なんですか、いきなり抱きつかないでくださいよ!!
え?僕に会えなくて寂しかっただろう、って……そ、そんな事ありません!!確かにこの身体では定良様の仕事のお供はできませんが、むしろせいせいしてるぐらいです!!
それに、退屈もしてません!!今日だって、ずっとお料理の練習してたんですからね!!
……何ですか、そんな物欲しそうな目をして?これは、あたしが自分で食べるように作ったんですからね!!
ただ……ちょっと作り過ぎちゃって、一応二人分はありますけど……か、勘違いしないでくださいよ!!今日は偶々作りすぎちゃっただけなんですからね!!
もう、何にやけてるんですか定良様!!ほら、食べるなら早く食べてください……!!
14/12/15 21:40更新 / たんがん