連載小説
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剣花一門
 ……お願いがある、そう毒を滴らせるようにファンジェンと名乗った者はタオフーたちを品定めするように、ゆらりとその翡翠の瞳を振る。

 これは命令だ

 タオフーたちは、そう理解する。目の前の存在は、どのような“願い”であれ、それを拒むことは許さない。有無を言わさず、その首を垂れることだけを求めている。

 「して、要求は」

 より鋭く、鋭利に目を細めるタオフーの横で、ヘイランが無表情に問う。

 「こちら……この襤褸寺に我が師兄、ティエン兄がいるとお聞きしました」

 獣たちの眼が、険しく光る。

 「ティエン兄を、私にお返しいただきたい そして……二度と関わらないでほしいのです」

 そう告げ、ファンジェンは一度口を閉ざす。
 ティエンの縁者、そう告げたのはタオフーたちにとっては少々の驚きであったが、そんなことはこの獣たちにはどうでもよいことであった。問題はこの無礼者が突き付けた要求にあったからだ。
 「……あゝ、ここにティエン兄が今、いないのは存じています……いれば必ず出てくるでしょうから ですから……貴女方は山にお帰りいただきたい、と言う方が正確かもしれませんね」
 獣らしく、そう言外に言い含むように侮蔑の眼差しがタオフーたちに向けられる。

 タオフーの銀髪に、ちりりと白電が走る。
 答えなど、わかり切っていた。


 「断る」


 獣たちは爪を剥き、牙を見せ、構えをとる。
 そして、それは相手もわかっていたのだろう。ファンジェンはため息のように小さく息を吐くと、苛立たし気に獣たちを一瞥する。






 すらりと、まるで蛇が鎌首を持ち上げるようにファンジェンが椅子から立ち上がり、手をふり上げたその瞬間であった。
 一閃の煌き、次の瞬間タオフーの爪が飛翔した小さな仕込み刃を砕く。

 その隙を突くように迫る、ファンジェンとその足から放たれる蹴りをタオフーは腕でもって受ける。低く、風のように早い滑走から繰り出された一撃は刃のように鋭く、重い。

 咆哮、紅い門徒たちが一斉にヘイラン、フオインに対し迫る。

 姑息な手を!

 タオフーがそう激昂するように吼え、腕を払い受けた蹴りを弾く。そのまま身を独楽のようにねじると鋭い足爪による蹴りと尾による鞭打の連撃を見舞う。だが、ファンジェンは弾かれたまま石畳をつかみ、素早くきりもみするようにしてさらに身を低く伏せタオフーの足を払うように蹴りを撃つ。
 先ほどよりもさらに鋭く重い一撃を受け、タオフーは一瞬宙に浮く。だが、素早く片手で受け身を取りファンジェンに向けて切り上げるように爪撃を放つも、その爪は石畳だけを抉る。
 その瞬間、宙を切り上げたタオフーの腕に黒くしなる鞭―ファンジェンの編まれた黒髪が―絡みつく。強く、締め上げるような痛みが腕に走る。
 (この髪!)
 奇妙なまでに長く、そして四つに分かたれた髪。それはファンジェンの奇抜な趣向だけではなかった。己が武術における“武器”の一つとして、機能させる目的もあったのだろう。事実、その編みこまれた“黒鞭”の先端には鋭い両刃の短剣のごとき金の髪留めが取り付けられている。その艶と粘ついた光を放つ濡羽の如き黒髪は、まるでファンジェンの悪意が染み出してくるかのようなじっとりとした嫌悪をタオフーにもたらしていた。
 その鞭でタオフーの腕を縛り、そしてもう一つの鞭を巧みに振るいタオフーを打ち付ける。それは横に薙ぐように振るわれ、鞭の先端がタオフーの腹を切り裂く。
 「っ! 貴様ッ!!」
 致命傷には程遠い、かすり傷程度の傷。鋼鎧の如く、割れた腹に血が垂れる。戦いに身を置くものからすれば、傷は誉、勲章にも等しかったであろう。だが、どうしてかタオフーは己の肌が傷ついたことを酷く腹立たしく感じていたのである。
 “化け物”
 昨夜の外道の言葉が、耳の奥で反響する。

 “成り損なった”己の体、これ以上“醜く”しようというのか

 肉体が震え、より鋭く牙を剥く。
 猛虎は激昂のままに敵を討たんと己が腕に絡みついた黒鞭を掴み、引き寄せようと大地に踏みしめ爪を立て、その腕を手繰り寄せるように振るう。しかし、それを察したかの如く、そしてまるで生きた蛇のように“ぬるり”と先端の短剣でタオフーの皮膚を切り裂きながらほどけては主たるファンジェンの元に戻る。解けてもなお、タオフーの腕にはまるでこびりついた油の如く不快さが残るようであった。
 それに、ティエンを師兄と呼び同じ師を仰ぐだけはあると、その実力は認めざるを得なかった。だが……

 (ティエンほどではない)

 事実、先ほどの組打ちにおいてファンジェンが優位に立てたのも不意打ちに等しい攻撃、それに暗器等の武器を用いてのことである。ティエンであれば正々堂々正面に立ち、しかも己が拳一つでタオフー……否、ライフーに挑み傷を負わせたのだから。とはいえ鞭、しかも己の頭髪という奇妙極まりない武器を操るというだけあり技巧はティエンよりも上だったかもしれない。
 だが……
 (つまらぬ道化の技よ……)
 その体が燻ぶり、喜びに打ち震えることはない。怒りに染まれど、刃のように冷たく鋭く、タオフーの構えに隙は無くただ静かにファンジェンを射抜く。だが、同時に奇妙な警戒心も沸き起こる。ある程度の“底”は見えたが、まだファンジェンは何か隠していると。
 (……だが、奴は本気ではない)
 少なくとも、己が全てをもって戦おうとはしていない。それがたまらなくタオフーにとっては不愉快であった。敵は何かを隠し、そしてそれは恐らくタオフーら三獣拳士を打ち倒すに足るもの。そうでなければ、集団とはいえ戦いを挑みはしないだろう。ファンジェンはそこまで愚かではない、それだけは確信をもって言えたのである。

 タオフーは再び大地を踏みしめ、牙と爪を露わして吼える。
 隠しているのならば、それはそれでよい。隠したまま終わらせてくれよう、そう叫ぶように。強く地を踏み、ファンジェンに爪をもって切りかかろうとしたその瞬間であった。

 タオフーの四肢、胴、首に剣花一門の門弟たちの辮髪……ファンジェンと同じく先端に分銅を括り付けた黒鞭と化した髪が縛りつく。
 「ガぁッ!!」
 常人であれば、即座に絞殺されていたであろう程の強烈な締め付け。だが人よりも遥かに強靭なる雷虎タオフー相手では、せいぜいが動きを一時封じる程度のものであった。しかし、隙は隙、タオフーは来るであろうファンジェンの一撃を耐え、そして反撃を行うべくファンジェンを睨む。
 だが、ファンジェンは縛り付けられ動きを封じられたタオフーを一瞥すると“用は済んだ”と言うように“背を向ける”。

 「! 待てッ!! 貴様!! ……ッ! どこまでも舐めた真似をッ!!」

 タオフーの激昂、その暴れ狂う叫びを受けながらファンジェンが次に狙うはヘイランであった。
 既にヘイランの周りには複数のファンジェンの門弟たちが取り囲み、四方八方から辮髪を用いた特徴的な鞭打を繰り出しているところであった。だが、門弟らの攻撃は縛り付ける、というよりも鋭い一閃を主体として攻撃を躱させつつも反撃を封じるという方向に主眼が置かれていた。

 (ちょこまかと煩わしいものだ……!)
 鋭く、己の顔面目掛けて放たれた鞭の一閃を揺らぐ煙のように横に躱しながらヘイランは口の中で呟く。躱すついでに、放たれた辮髪を掴み引き寄せようとすれば、胴体目掛けて短刀か鞭の一撃が飛んでくる。それをさらに躱せば、そこにも……一見してヘイランが押されているようにも見える戦いであった。
 だが、ヘイランがいくら“隙をさらそう”とも門弟たちは決して攻め込んでこない。そして、同様に髪で腕や足を縛るといった“力比べ”も仕掛けてはこなかった。その動きは全てヘイランの動きを“阻害する”ことを目的としており、打ち倒すことが目的ではないということに薄々とヘイランは気づく。もしもこれがフオインやタオフーであったならば、強引に持ち前の速さで撹乱し、突破することもできたであろう。だが、ヘイランにはそのような芸当は少々難しかった。今よりもずっと早く動くことは可能だったが、それでもこの門弟らを翻弄できるほどではない、特に囲まれ動きを阻害されている今は殊更であった。
 (この者どもは一体何をたくらんでいる! くそっ手が届きさえすれば!)
 戦いの場が開けている場所というのも、逃げ道が多く分が悪かった。いくら乱戦とはいえ、開けてかつ集団戦の高度な訓練を受けたであろう相手を追い詰めるのは難しい。これが林や室内、入り組んだ場所であれば避けつつ追い詰めることは容易であった。むしろ、狭ければ狭いほど、数が多ければ多いほどヘイランの技巧と怪力の本領発揮と言えたからである。

 そのヘイランに、背後から迫る影が一つ。
 巧妙に視界から隠れ、強襲による必殺を狙うファンジェンであった。手には鋭い短刀が握られ、その切っ先を背より突き立て心臓を切り裂かんとしていた。そして、ファンジェンがヘイランに達しようとしたその瞬間、門弟たちは息を合わせ動きを封じるように黒鞭を放つ。手や足、胴を狙うように、それでいて全てを躱そうと思えば自ずと取れる動きが限られるように。これによりヘイランは動きを止め、背後からの一撃で終わる……そうファンジェンたちは考えていたのだろう。
 だが……

 鈍い音と感触、宙を切るはずであった己の一撃が“命中”したことによる驚愕。

 そう、ヘイランは門弟たちによる黒鞭の一撃を“全て受けた”のである。振り向き、その背に……体に放たれた一撃をすべて背負う。それは決して軽い一撃ではない。むしろよりわかりやすく、受けようなどと思わせぬように大振りに力を籠め放たれたもの。
 鞭の先端の分銅は肉にめり込み、そのまま腕や足の骨を砕くであろう一撃。だが……それを受けるだけの価値がある。ヘイランはわかっていた。そして、その成果を前に嗤う。

 眼前には短刀を持ち“ヘイランの領域”に迫る奴らの“門主”がいたのだから。

 “不味い”、そう叫ぶようにファンジェンの翡翠が揺れる。その瞬間、ファンジェンの顔をヘイランの岩腕が薙ぐ。宙を切ったその一撃、滑りこむようにその身を投げ出して躱すとファンジェンは距離を取らんとするも、この好機を逃すヘイランではなかった。撃ち込まれた分銅の痛手などないように……それどころか全く気付いてすらいないかのように素早く距離を詰め、再びその剛腕を振るう。
 その一撃はファンジェンの頬を掠り、地を貫ち砕く。腕がめり込み、わずかに動きを止めた一瞬を狙いファンジェンはヘイランに向け手にした刃をヘイラン目掛けて薙ぐ。刹那、縦に流れる刃をヘイランもまた紙一重で躱すも肩に刃が走り、切り裂かれる。そのままファンジェンは跳ねるように後ろに返り、距離を取るとヘイランを睨む。
 その視線を受け、ヘイランは腕を抜き、立つ。それと同時に、体にめり込んでいた……否、撃ち込まれながらもその役目を果たせず……べこりとへこんだ、黒鞭の分銅がごとりと落ちる。これぞ……バイヘイが編み出し、その秘奥義とした岩術……その骨頂であった。だが、先ほど切り裂かれた肩口から血が一筋、滲む。刃による一撃は鋼の如き肉を絶つことは叶わずとも、皮膚は裂ける。痛手にはならずとも、愛する男が褒めてくれた柔肌を傷つけられるのだけはヘイランとて我慢ならなかった。
 そのヘイランを、いまだ驚愕の面持ちで見据える門弟たち。辮髪に括り付けられた己の得物……鋼鉄で作られながらも、硬い岩に打ち当たったがごとくへこんだ分銅を手繰り戻り見る。だが、ファンジェンだけは先ほどと変わらず、悪意を滴らせた翡翠の瞳をヘイランへと向けると静かに構える。ヘイランの奇襲による動揺もすでにない様子であった。

 再び、ファンジェンが地を蹴る。風の如く、まっすぐとヘイランへと走りよるとその直前に手にした短刀をヘイラン目掛け投げ放ち、ファンジェンは跳躍する。その場で揺らぐように短刀を躱したヘイランに対し、ファンジェンは宙でその身をねじり、己が黒鞭を握り振るい撃ち据える。だが、それもまたヘイランは横にずれるようにして躱し、ファンジェンへと再び肉薄せんとしていた。
 重い鉄縄のように、叩きつけられた黒鞭は大地を、敷き詰められた石畳を叩き割る。地に降り立ったファンジェンは独楽のようにその身を回し、黒鞭を引き寄せると同時に間髪入れず己が持つ二つ目の黒鞭を薙ぐ。重く風を切りながら、振りぬかれた黒鞭をヘイランが伏せるようにして躱せども、立て続けに再度黒縄がより低い位置へと薙ぐ。その正面に迫るファンジェンの黒鞭を、ヘイランは掌底で打ち抜くようにしてつかみ取らんと試みる。重く、岩に打ち当たるような音を響かせズシリとヘイランの胴が浮くも、しかとその手にファンジェンの武器を納める。
 ぬらりと油のように黒く光る、鉄縄よりも強靭な黒髪。ファンジェンのそれは門弟の持つ“武器”よりも長く、そして強固に編まれておりファンジェン自身の技巧も相まってより恐ろしい武器と化していた。だが、同時にそれは己の体の一部でもあり、そう容易くは切り離せないものでもあった。故に、このように剛力をもって抑えてしまえば、ファンジェンがその髪を斬り捨てぬ限り、逆にファンジェンを縛る鎖にもなりえたのである。その鎖を、ヘイランは掴む。
 だが、次の瞬間ヘイランの肩、首に叩きつけられるような衝撃が走り、視界を揺らす。ファンジェンがもう片方の黒鞭を大きく叩きつけるように、ヘイランへと振り下ろしたのである。振り下ろされた鞭はヘイランを撃ち据えると蛇がとぐろを巻くが如く首に巻き付き、その喉を絞める。咄嗟に、そのとぐろに指を突き刺し微かな隙間を確保するも、不快なまでに掴みづらい、湿った黒髪はヘイランの指と爪をすり抜けるように喉元に食い込む。とはいえ、ヘイランによって己が黒髪を掴み取られているというのはファンジェンにとってよろしくないことであるようで、その顔を怒りに歪ませ口角を吊り下げ、人の身とは思えぬ鋭い牙を見せる。
 ゆっくりと、蛇が獲物を絞め折るように黒髪がヘイランの喉に絡みついていく。しかし、そこは剛力で鳴らしたヘイランである、片方の手で首元を押さえながらも黒鞭を掴んだ手で手繰り寄せるように、ぎりぎりとした音を響かせてファンジェンを己の方へと引き寄せていく。タオフーですら抗うことが難しい、ヘイランの怪力を前にファンジェンは苦悶を浮かべる……だが、同時にまるで“これが狙いだった”と言わんばかりに、にたりと口の端を上げる。
 そして……

 鈍い音と共に、ヘイランの視界が朱に染まる

 それは、ファンジェンの門弟たち……それらが放った辮髪の分銅がヘイランの顔面、そして胴へと叩きつけられるようにして直撃した音であった。

 武を志すものとは思えぬ、卑劣な仕打ち

 視界が潰れ、明滅する世界が歪む。だが、その手を放しはしない。芯が沸騰し、より力を籠め引き千切らんばかりに腕を振るう。

 くんっ と、髪が緩む


 “何が起きた?”


 再度の、重く激烈な衝撃

 それは、力任せに引き寄せられると同時に跳躍し勢いのまま膝を、ヘイランの顎目掛けて貫ち据えたファンジェンの一撃。

 響き渡る打ち鐘の如き閃光が瞼の裏で燃える。如何なヘイランと言えども……否、ヘイランであったからこそ耐えられた、恐るべき顎砕きの一撃を前に……その意識を僅かな間とは手放す。
 同時に、膝をつく衝撃で目を覚ます。しかし、得物は既に手を離れ、遠くへと逃げおおせた後であった。

 眼を開き、紅く染まる世界をしかと見据える。歪み、眼が半ば潰れようともまだ闘志は折れてはいない。しかし、ぐらつき開かぬ口で呻く。
 “これは少しばかり、きついかもしれん”
 揺らぐ岩獣の前に、悪徒の門弟たちが立つ。

 しかと両足を踏みしめるヘイランの耳に、怒りに震え激昂する猛虎の叫びが届く。そうとも、誇り高きものならばこのような悪徒どもに屈しはしない。揺らぐ視界は定まり、世界に彩が戻る。
 たとえ崩れ、腐りかけ、朽ちた場所と言われようと此処は我らが家、なればこそ引くわけにはいかぬとヘイランは吼えるように息を整え、構えを取る。

 ―あの虎の言うことではないが“傷を受けてからが本領よ”―



 意志を取り戻したヘイランを一瞥すると、後は門弟たちに任せファンジェンは最後の獲物を睨む。
 視線の先にはファンジェンたちの着る着物よりも鮮やかな、輝かんばかりの紅髪と赤い瞳を迸らせ縦横無尽に門弟たちを翻弄するフオインがいた。
 はっきり言って、この美しき火鼠は門弟たちにとって一番分の悪い相手と言えた。そもそもが人の眼では到底捉えきれぬ、旋風の如き速さを持つだけでなく、広範囲を薙ぎ払い守りすらも意味をなさない炎を操る獣はいくら徒党を組めども、門弟には荷が勝ちすぎる相手であった。事実、ファンジェンがタオフーやヘイランを相手にしている間に数名の門弟がすでにフオインの手によって打ち倒されてしまっていた。
 倒れ伏す門弟たちの衣服は焦げ付いていたが、炎に巻かれたのではなく炎を纏った拳や蹴りによるものであり、フオインは己の武術をもって門弟たちを仕留めていた。フオインからすれば、ある意味ではようやく己の武を本当に実践できる良い機会と言う程度の認識であったが、門弟たちからすれば炎を使うまでもないと、侮られていると感じたであろう。事実、ティエンによって教え込まれた武をフオインは十全に吸収し、同じ師の流れをくむファンジェンの門弟たちの武を純粋に上回っていたのだから。それが三獣拳士随一の速さをもって繰り出されるのである、それを防ぐだけの力は、門弟たちには到底なかった。
 一陣の風に舞う炎のように、戦場を紅が駈ける。

 放たれた辮髪を易々と掻い潜り、フオインは門弟に肉薄すると即座に腹に二発、拳打を見舞うと勢いそのままにくるりと身をひねり、地に両手をついてばねの如く後ろ回し蹴りを放ち門弟の一人を蹴り飛ばす。
 蹴り上げられた門弟が地に落ちる前に、打ち据えた足は地を踏んだその瞬間に別の門弟目掛けフオインは跳ねると、組打ちを仕掛ける。放たれたフオインの掌底を門弟は辛うじて見切り両腕で受けるも、紅く灼けた掌底の熱と威力を防ぎきれず体勢を崩し、その浮いた門弟の胴に、フオインの回し蹴りがめり込み火花を散らす。そのまま体を曲げ、悶絶する門弟に対し容赦なく、フオインは掌底を構え、胴へと叩きこむとそのまま“発破”させて門弟を撃ち飛ばす。そのまま石畳へと叩きつけられ、門弟は腹から燻ぶった煙を立ち上らせ天を仰いだままぴくりとも動かなくなる。そのまま、フオインは一瞥もせずに先ほど蹴り飛ばした門弟へと戻り、相手の立ち上がり際にその顎を叩き撃ち脳を揺らす。
 そうしてわずかな間に敵の数を二つ減らすと、フオインは威勢を上げ高らかに構えを取る。“次の相手は誰だ!”そう叫ぶように門弟たちを見据えるフオインに対し、門弟たちは表情を変えぬまま足を踏みしめる。

 本来であれば数の利を生かして動きを封じたり、距離を取ろうとしただろう。だが、捉えきれぬ速さで動き回る小柄なフオイン相手には難しく、門弟たちはまったく己の数の利を生かせてなかった。そのため、緒戦にファンジェンと戦い、不意を突かれ門弟たちに動きを封じられたタオフー、上手く数の利を生かし決して近づかないという戦略によって思うように戦えていないヘイランに比べずっと善戦していたのである。

 そのフオインに対し、ファンジェンはかつかつと石畳を踏み鳴らしながら手には己の黒鞭を携え歩み寄る。フオインもファンジェンに気づき、構えを取り直す。滑らかに取られるその構えを一目見た瞬間、ファンジェンの視線がより厳しく険しいものに変わる。
 「……その構え、武……どこで」
 それはそれは、絞り出すような、毒の囁き。ファンジェンの眼は濁り、震える舌で絞り出されるは憎悪。フオインの構え、それはファンジェンにとってよく知るもの。
 「あ? 兄ちゃんに教えてもらったんだ」
 突然何を言っているんだ、そう問うようにフオインは怪訝な顔でファンジェンを睨む。
 「畜生のあなたに……我が師の下で学んだ兄がいるとはね……」
 「ちげえよ、ティエン兄ちゃんだよ」
 引き攣り、歪んだ笑みのまま、ファンジェンの表情が凍る。そしてファンジェンは弾けたようにフオイン目掛け駈け貫く。その速さたるや、フオインをして一瞬見失うほどであった。そのファンジェンの手刀が、フオインの首目掛けて斬り下される。
 フオインもまた、同じく手刀をもってファンジェンの刃を受け、流すように弾くとそのまま流し蹴りを放つ。だが、フオインの足はそのまま宙を蹴り、代わりに空いた軸足をファンジェンに払われ体が宙に投げ出される。そのまま地面に体が落ちると同時に、フオインの腹にファンジェンの黒鞭が叩きつけられる。受け身を取る間もなく打ち据えられた鞭の一撃にフオインはむせるように腹の空気を吐き出し、苦悶に表情を歪ませるも続けざまに放たれた二撃目を跳ね起きて躱すと距離を取らんとする。
 しかし、それを見切っていたのだろう。ファンジェンは黒鞭を放ちフオインの胴に絡ませ逃げを封じる。そのまま引き寄せるように鞭を引きながら跳躍し距離を詰めると、その鉄拳をフオインの顔面に叩きつける。
 自慢とする速さを封じられたことによる動揺、その隙を突かれ鼻っ面に激しい痛みが走る。ジワリと目の端に、涙が浮かぶもそんなことで手を緩めるような相手ではなかった。続けざまに二度、三度と、フオインの顔に、頬に容赦のない一撃が咥えられていく。あまりの衝撃に、倒れこみそうになるほどであったが胴に巻き付いたファンジェンの黒鞭がそれを許さない。巧みに鞭を操り、倒れぬように、逃がさぬようにしてフオインを己の下に手繰り寄せ、続けざまに攻撃を与えていく。
 元来、火鼠たるフオインはタオフーやヘイラン程頑強ではない。故に受けぬように立ち回る技巧と速さこそが最大の護りであった。だが動揺と共に逃げ道を封じられた今、フオインは己の最大の武器たる火炎を放つということさえも考える暇なく叩きつけられる衝撃と痛みに耐えることしかできなかった。

 腹に、重い一撃が響く。嗚咽が、喉から垂れる。ふらつき、両膝を突かんとするフオインに、ファンジェンは腰を落とすように構えを変え……拳を握る。
 それはかつて、ティエンがタオフーに放った“とどめ”の一撃。その一撃はタオフーの勢いを止めるには至らなかったが、それはあくまでティエンが殺意を籠めず、さらに気を緩めたが故。元来、この技は相手の頸椎を正面から叩き砕き“殺す”ための技である。その技を、ファンジェンはフオインに放とうとしていた。

 力がこもり、狙いが定まる

 これで、一匹……忌々しい獣を葬れる。そうファンジェンが呟くようにその口の端を上げた時であった、門弟の叫びがファンジェンの耳に届く。
 門弟たちの楔を切り飛ばし、咆哮し、フオインを守るようにその爪を振りかぶるタオフーがファンジェンの眼前に迫っていた。

 鋭い雷爪が白銀に煌きファンジェンを掠める。

 間一髪、フオインを、そして己を縛る黒鞭を解きファンジェンは後ろに跳ね飛び、タオフーの爪を躱す。
 「フオイン!!」
 「うっ ぐ……っ ご、ごめん……俺……」
 「いい! それよりも前を向け! 牙を剥くのだ!」
 普段であれば、決して見せぬであろう激励。その言葉を受け、フオインは前を向き、敵を睨む。止めを刺し損ねたファンジェンは忌々し気に、フオインとタオフーを見ていた。

 もう、やられはしない

 フオインは、己の本当の武器をその体に纏う。紅く紅く燃え上がる灼熱の衣、それを誇示するように周りの霧が蒸発していく。それを見て、門弟たちがファンジェンを守るように立ち並ぶ。
 だが、フオインは笑う。

 この程度、一発で焼き払ってやる

 不敵に、自信満々に、殴られあざが付いた顔で笑う。そして、隣に立つ“戦友”に声をかける。
 「やろうぜ! タオ……フー?」


 そして気づく、戦友の異変に。


 その目には闘志を漲らせ、鋭い黄金の瞳は敵を見据えている。だが、どうしてか酷く苦し気に揺れていた。
 じっとりとした、汗がタオフーの顔を濡らす。だが、それは異様なほど多く、そしてそれは普段のタオフーからは信じられぬもの。戦いにおいてタオフーが汗を流すことなど、数えるほどしか見たことがない。
 口元は牙を見せつつも固く結ばれ、まるで何かに耐えているかのよう。


 その口から湿った音と共に咳が一つ


 紅い、紅い咳を一つ


 「……え?」
 あれほど強靭と信じた、猛虎が、宿敵、そして戦友が……血を吐く。
 そして知る、構えを解かずとも、もう猛虎に戦う力はない。

 「……ようやくですか これだけ耐えるとは少々計算外でした」

 目の前で、蛇がにたりと嗤う。

 「……貴様、毒か……っ!」
 同じくして、ヘイランが苦悶を浮かべ、吐き捨てるように叫ぶ。そして、虎と同じく、血反吐を吐く。

 「ご明察……このファンジェンめが作り出した、毒でございます わざと効きは遅くしていましたけれども」
 「どこまでもっ! どこまでも我らを愚弄するか……ッ!!」
 怒りに染まり、爪を振り上げその首をもがんと飛ぶ……ことすらできずにタオフーは地に伏せ、さらに血を吐き出す。
 「タオフー!!」
 倒れ伏した猛虎に、フオインが駆け寄り屈んだ時であった。フオインは己の心臓の異変に気付く。

 痛い

 針を突き刺したように、痛い

 そして臓腑に染み渡る、焼け付くような、痺れ

 全身の血の気が引き、悪寒が襲い来る

 思わず、喉の奥が飛び出す。それは紅い、紅くべっとりとフオインの手を汚す。
 喉が焼け、視界が揺れる。

 「あ ぁ あ……ッ」

 勝敗は決した、そう告げるように……フオインの炎が消える。
 後には、ただひょうひょうと冷たく風が流れていくだけであった。


24/01/04 15:41更新 / 御茶梟
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