後始末
……翌朝、天崙山はいつもと変わらぬ朝日を仙石楼へと注いでいた。
仙石楼自体、静かに朝霧の中に佇み。その身に刻まれた長い歴史を雄弁に物語っているようであった。特に最近は修繕が進んだということもあり、より“おしゃべり”に感じられるのであった。
そんな何時もと変わらない天崙山の夜明け、普段と違うものがあるとすれば門をくぐってすぐの広間……試合場のように石畳が敷かれた大庭……そこに人の山が積まれていたことぐらいであろう。皆一様に恐怖と驚愕に顔を歪め、絶命しているかのように赤黒く染まっていたが……不思議なことに皆生きていた。
生きていた……とはいえ、死なぬ程度に肉体は破壊され、同時に気の流れをつかさどる人体の経脈は切り裂かれており、辛うじて死んでいない程度の生であったが。
言わずもがな、昨夜タオフーとヘイランを襲った外道たちの成れ果てである。
もはや、かつてのように動くことも術を扱うことも叶うまい。誰かの助けなしには街中でさえ生きられぬ体であった。そんな成れ果ての山をヘイランは不思議そうに眺める。
「不思議ねぇ……ちゃんと“決める”つもりだったのだけれど……やっぱりこの体だと勝手が違うのかしら……」
「……確かにな 殺したかと思ったが ……まあいい、生きてさえいればティエンの奴も煩く言わんだろうしな 後始末の手間が省けたと思えばいいだろう」
「……そうね でもどうしましょうか、放っておいたら死んでしまうし……」
「フオインがしたように、山にでも撒いておけばいい 後は山に住む者たちが好きなようにするだろう そこで死のうが、生き永らえようが自業自得だ、そこまで気を煩わせる義理はない」
腕を組み、悩むヘイランにタオフーは興味なさげに応える。
「……それもそうね、はやく片付けないとティエンさんが戻ってきてしまうわ」
事実、すでに仙石楼の周りにはざわざわと“おこぼれ”を狙うものたちが集ってきていた。茂みに隠れ、群れで様子を伺う人狼(ワーウルフ)。岩陰に複数で身を潜め、人狼からどう獲物をかっさらうか考える鬼鼠(ラージマウス)。そして湿った霧底から這い上がるようにして獲物へと迫る大蛞蝓や鬼蜘蛛(アラクネ)、骨喰い蟲(デビルバグ)といった鬼虫たち。それらは皆、一様に姿を美しい妖女に変えていたが、その本質はそうそう変わらないようで、飢えた目で仙石楼に積まれた“餌”の山を見る。
そして待つのである。“主”の許可が下りるまで。
その様子を、眺めながらタオフーは成れ果ての山を顎で指すと、踵を返し仙石楼の中に消える。そのままタオフーに続き、ヘイランも仙石楼へと至ると同時に……風が吹くように山が鳴きだす。
後の始末は山がしてくれるだろう。全てを霧で隠し、後には何も残らない。
この時、幾人かの……運が悪い……成れ果てたちは僅かに意識を取り戻していた
そして見ただろう
己の肉を、饗しようと迫る獣や虫どもの群れを
「あれらの何が良いんだか」
「蓼食う虫も好き好き……そういうでしょう?」
……暫く、外からは肉をしゃぶり叩きつけるような湿った音……獲物を取り合う人狼や鬼鼠の嬌声に罵倒、怒号……複数の鬼虫に全身をたかられ悲鳴を上げる成れ果ての声……が響き渡る。
だが、すぐに静かになるだろう。山に潜むものにもそれぞれの寝床がある。気に入った獲物が手に入れば、後は寝床に連れ帰り“ゆっくりといただく”ものだ。
……そんなこんなの後始末の後、再び静かな朝を取り戻した仙石楼ではタオフー、ヘイラン、フオインの三名が熱心に“話し合い”としゃれこんでいた。話し合い、といってもそこまで建設的な話ではなく、どちらかと言えば言い争いに等しかった。
内容はもちろん、誰が一番にティエンをいただくか、ということであった。だが、この議論は常に全員が己の権利を主張するために意味は殆どないものに等しかった。結局のところ、最後はいつも“ティエンに選ばせる”か“全員で同時にいただく”のどれかになるものであった。しかも、ティエンに選ばせても選ばれなかったものが不満の声を張り上げ、全員同時にすれば誰が最初にティエンの一物を咥えるかでまた揉めるのである。
それを知っているものが見れば、なんと不毛なことかと嘆くだろうが、少なくとも三獣拳士たちからしてみれば言い争いとはいえ何かしていれば“気が紛れる”ものであり、それは今すぐにでも燻ぶり爆発しそうな劣情を押さえつけるのに必要なことであった。
だが、同時に白熱した議論は時として争いを呼ぶものであり、この時も一向に引く気配のないフオインとヘイランに対しタオフーのいら立ちが頂点に達しようしていた。
「いいか! なんと言おうと一番目は我だ! そもそも奴はこの我のためにここにいるのだ! それにここの主はこのライフーなのだぞ!」
「馬鹿言うな、ただの廃墟に主もなんもあるものか ならわしはこの天崙山の中腹にお前なんぞよりも先に住み支配していたのだぞ! わしこそがここの主だ!」
「へっ ババアたちがなんか言ってら だからさっきから言ってんじゃん、兄ちゃんに選ばせれば良いって! ……あれか! 選ばれる自信がないんだろ!」
「このくそ鼠……!」
喧々諤々、いよいよ顔が赤くなり皆が……特にタオフーが野獣の如く牙を剥いたその時であった。
タオフーたちの毛が、ぞわりと逆立つ。
―不快な何者かが、仙石楼の門をくぐった―
それらの数は多く、そして先日の外道どもよりも遥かに“できる”手合いであった。
その気配を察し、タオフーたちの眼がさっと外に向く。椅子を立ち、仙石楼の大庭へと向かう。霧があたりを包み、冷たい空気が流れていく。その途中の中庭にかかる渡り廊下で、自由になったナオが怯えた様子で仙石楼の門の方を見ていた。ナオは先ほどまで厨房にて掃除をしていたはずであったが、タオフーたちが察したように“嫌な何か”が来たことを悟ったのだろう。そのナオを一瞥するように通り過ぎ、タオフーたちは仙石楼の大庭へと出る。
そこに並ぶは、鮮やかな紅の武道着に身を包んだ拳士の一団。
皆一様にその頭髪は長く編み伸ばした辮髪をしており、そしてその肉体は十全に鍛え上げられている。タオフーたちがその姿を見せようとも、微動だにしないその様子から拳士としてだけでなく、ある種の戦士・兵士の集団としても高い訓練を積んでいるであろうことが伺えた。
だが、彼らは真の脅威にあらず
それをタオフーたちは一瞬にして見抜く。そうでなくとも、その集団において異様な存在が一人、居たのである。
それは、その数十と立ち並ぶ集団の中でただ一人……真っ赤な椅子に座り……頬杖をつき、主人のようにふるまう女……否、タオフーたちは臭いでその正体を見抜く……その容姿は恐ろしく端麗であり、特に翡翠のごとき両目の瞳は宝石のようでもあった。床に落ちぬよう、椅子に巻き置くほど長く伸ばした黒髪は三つ編みのように編まれ、四つの束となってその病的なまでに白い肌の上を流れるように落としながら、ほかの髪は耳や眉にかからない程度で切り揃えられている。身に着けている衣服は立ち並ぶ男たちが身に着けているものと似ていたが肩まで大きく切り取られ、脇まで見えるほどで、足は長履きであったが外腿と内腿に当たる部分が丸く切り取られており……中心となる部分で長履きを吊っているような……そんな特徴的な服装をしていた。邪まな考えを抱くものが見れば、横から秘所をのぞき込もうと考えたであろう。
全体的に体つきは細く、しなやかであり、その胸も薄かった。だが、それは当然のことだったであろう。
タオフーたちは、その一団を前に並び立つ。
歓迎すべき客ではない、それは間違いなかった。
なぜならば、毒気のように立ち上る……それも中心にいるものが放つものはより毒々しく……殺気を放っていたからである。
「何者だ」
タオフーが、口火を切る。
だが、一団は何も言わず、ただタオフーたちを睨む。
その様子に、タオフーがその虎耳をぴりつかせた時であった。中心に座すものが、頬杖を解き、その両手を組むように座りなおし……
しばしの沈黙の後、口を開く
「お初お目にかかります」
紅い、紅い唇が蠢く
「私たちは、剣花一門……そして私はその門主ファンジェン」
その奥に見える、氷のように白い歯が
「故あって、貴女がたにお願いに参りました」
蛇のような舌が
「どうかお聞き願いたく存じ上げます」
毒を滴らせる
仙石楼自体、静かに朝霧の中に佇み。その身に刻まれた長い歴史を雄弁に物語っているようであった。特に最近は修繕が進んだということもあり、より“おしゃべり”に感じられるのであった。
そんな何時もと変わらない天崙山の夜明け、普段と違うものがあるとすれば門をくぐってすぐの広間……試合場のように石畳が敷かれた大庭……そこに人の山が積まれていたことぐらいであろう。皆一様に恐怖と驚愕に顔を歪め、絶命しているかのように赤黒く染まっていたが……不思議なことに皆生きていた。
生きていた……とはいえ、死なぬ程度に肉体は破壊され、同時に気の流れをつかさどる人体の経脈は切り裂かれており、辛うじて死んでいない程度の生であったが。
言わずもがな、昨夜タオフーとヘイランを襲った外道たちの成れ果てである。
もはや、かつてのように動くことも術を扱うことも叶うまい。誰かの助けなしには街中でさえ生きられぬ体であった。そんな成れ果ての山をヘイランは不思議そうに眺める。
「不思議ねぇ……ちゃんと“決める”つもりだったのだけれど……やっぱりこの体だと勝手が違うのかしら……」
「……確かにな 殺したかと思ったが ……まあいい、生きてさえいればティエンの奴も煩く言わんだろうしな 後始末の手間が省けたと思えばいいだろう」
「……そうね でもどうしましょうか、放っておいたら死んでしまうし……」
「フオインがしたように、山にでも撒いておけばいい 後は山に住む者たちが好きなようにするだろう そこで死のうが、生き永らえようが自業自得だ、そこまで気を煩わせる義理はない」
腕を組み、悩むヘイランにタオフーは興味なさげに応える。
「……それもそうね、はやく片付けないとティエンさんが戻ってきてしまうわ」
事実、すでに仙石楼の周りにはざわざわと“おこぼれ”を狙うものたちが集ってきていた。茂みに隠れ、群れで様子を伺う人狼(ワーウルフ)。岩陰に複数で身を潜め、人狼からどう獲物をかっさらうか考える鬼鼠(ラージマウス)。そして湿った霧底から這い上がるようにして獲物へと迫る大蛞蝓や鬼蜘蛛(アラクネ)、骨喰い蟲(デビルバグ)といった鬼虫たち。それらは皆、一様に姿を美しい妖女に変えていたが、その本質はそうそう変わらないようで、飢えた目で仙石楼に積まれた“餌”の山を見る。
そして待つのである。“主”の許可が下りるまで。
その様子を、眺めながらタオフーは成れ果ての山を顎で指すと、踵を返し仙石楼の中に消える。そのままタオフーに続き、ヘイランも仙石楼へと至ると同時に……風が吹くように山が鳴きだす。
後の始末は山がしてくれるだろう。全てを霧で隠し、後には何も残らない。
この時、幾人かの……運が悪い……成れ果てたちは僅かに意識を取り戻していた
そして見ただろう
己の肉を、饗しようと迫る獣や虫どもの群れを
「あれらの何が良いんだか」
「蓼食う虫も好き好き……そういうでしょう?」
……暫く、外からは肉をしゃぶり叩きつけるような湿った音……獲物を取り合う人狼や鬼鼠の嬌声に罵倒、怒号……複数の鬼虫に全身をたかられ悲鳴を上げる成れ果ての声……が響き渡る。
だが、すぐに静かになるだろう。山に潜むものにもそれぞれの寝床がある。気に入った獲物が手に入れば、後は寝床に連れ帰り“ゆっくりといただく”ものだ。
……そんなこんなの後始末の後、再び静かな朝を取り戻した仙石楼ではタオフー、ヘイラン、フオインの三名が熱心に“話し合い”としゃれこんでいた。話し合い、といってもそこまで建設的な話ではなく、どちらかと言えば言い争いに等しかった。
内容はもちろん、誰が一番にティエンをいただくか、ということであった。だが、この議論は常に全員が己の権利を主張するために意味は殆どないものに等しかった。結局のところ、最後はいつも“ティエンに選ばせる”か“全員で同時にいただく”のどれかになるものであった。しかも、ティエンに選ばせても選ばれなかったものが不満の声を張り上げ、全員同時にすれば誰が最初にティエンの一物を咥えるかでまた揉めるのである。
それを知っているものが見れば、なんと不毛なことかと嘆くだろうが、少なくとも三獣拳士たちからしてみれば言い争いとはいえ何かしていれば“気が紛れる”ものであり、それは今すぐにでも燻ぶり爆発しそうな劣情を押さえつけるのに必要なことであった。
だが、同時に白熱した議論は時として争いを呼ぶものであり、この時も一向に引く気配のないフオインとヘイランに対しタオフーのいら立ちが頂点に達しようしていた。
「いいか! なんと言おうと一番目は我だ! そもそも奴はこの我のためにここにいるのだ! それにここの主はこのライフーなのだぞ!」
「馬鹿言うな、ただの廃墟に主もなんもあるものか ならわしはこの天崙山の中腹にお前なんぞよりも先に住み支配していたのだぞ! わしこそがここの主だ!」
「へっ ババアたちがなんか言ってら だからさっきから言ってんじゃん、兄ちゃんに選ばせれば良いって! ……あれか! 選ばれる自信がないんだろ!」
「このくそ鼠……!」
喧々諤々、いよいよ顔が赤くなり皆が……特にタオフーが野獣の如く牙を剥いたその時であった。
タオフーたちの毛が、ぞわりと逆立つ。
―不快な何者かが、仙石楼の門をくぐった―
それらの数は多く、そして先日の外道どもよりも遥かに“できる”手合いであった。
その気配を察し、タオフーたちの眼がさっと外に向く。椅子を立ち、仙石楼の大庭へと向かう。霧があたりを包み、冷たい空気が流れていく。その途中の中庭にかかる渡り廊下で、自由になったナオが怯えた様子で仙石楼の門の方を見ていた。ナオは先ほどまで厨房にて掃除をしていたはずであったが、タオフーたちが察したように“嫌な何か”が来たことを悟ったのだろう。そのナオを一瞥するように通り過ぎ、タオフーたちは仙石楼の大庭へと出る。
そこに並ぶは、鮮やかな紅の武道着に身を包んだ拳士の一団。
皆一様にその頭髪は長く編み伸ばした辮髪をしており、そしてその肉体は十全に鍛え上げられている。タオフーたちがその姿を見せようとも、微動だにしないその様子から拳士としてだけでなく、ある種の戦士・兵士の集団としても高い訓練を積んでいるであろうことが伺えた。
だが、彼らは真の脅威にあらず
それをタオフーたちは一瞬にして見抜く。そうでなくとも、その集団において異様な存在が一人、居たのである。
それは、その数十と立ち並ぶ集団の中でただ一人……真っ赤な椅子に座り……頬杖をつき、主人のようにふるまう女……否、タオフーたちは臭いでその正体を見抜く……その容姿は恐ろしく端麗であり、特に翡翠のごとき両目の瞳は宝石のようでもあった。床に落ちぬよう、椅子に巻き置くほど長く伸ばした黒髪は三つ編みのように編まれ、四つの束となってその病的なまでに白い肌の上を流れるように落としながら、ほかの髪は耳や眉にかからない程度で切り揃えられている。身に着けている衣服は立ち並ぶ男たちが身に着けているものと似ていたが肩まで大きく切り取られ、脇まで見えるほどで、足は長履きであったが外腿と内腿に当たる部分が丸く切り取られており……中心となる部分で長履きを吊っているような……そんな特徴的な服装をしていた。邪まな考えを抱くものが見れば、横から秘所をのぞき込もうと考えたであろう。
全体的に体つきは細く、しなやかであり、その胸も薄かった。だが、それは当然のことだったであろう。
タオフーたちは、その一団を前に並び立つ。
歓迎すべき客ではない、それは間違いなかった。
なぜならば、毒気のように立ち上る……それも中心にいるものが放つものはより毒々しく……殺気を放っていたからである。
「何者だ」
タオフーが、口火を切る。
だが、一団は何も言わず、ただタオフーたちを睨む。
その様子に、タオフーがその虎耳をぴりつかせた時であった。中心に座すものが、頬杖を解き、その両手を組むように座りなおし……
しばしの沈黙の後、口を開く
「お初お目にかかります」
紅い、紅い唇が蠢く
「私たちは、剣花一門……そして私はその門主ファンジェン」
その奥に見える、氷のように白い歯が
「故あって、貴女がたにお願いに参りました」
蛇のような舌が
「どうかお聞き願いたく存じ上げます」
毒を滴らせる
24/01/04 15:41更新 / 御茶梟
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