連載小説
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虎穴荒らしに明日は無し
 ……霧深く、夜闇に沈む仙石楼。
 それを眺めるように、離れた崖に立つ影が複数、あった。
 「あれが例のお堂か」
 「そのようで」
 闇に紛れ、山犬のように鋭く下卑た視線がぽっと霧の中に浮かぶ仙石楼を睨む。それは獣の皮を羽織り、荒く軽装ではあるが鎧を着込んで武器まで持つ集団。
 「なんでも、女三匹と召使しかいねえって話じゃねえか」
 「おまけに美人ときてる ふへへ、楽しめそうだ」
 「馬鹿、その女どもが妖の類っていうんだろう?」
 「心配するんじゃねえ、きちんと手はあるさ……」
 数は多く、ぎらついた欲望を隠そうともしない。彼らは山に潜む修験者崩れの山賊たちであった。
 天崙山は霊験あらたかな大霊地であり、それは数多くの鬼や魔を引き寄せると同時に霊力を得てより上位へと至ろうという修験者、修行者もまた惹きつけて止まない場所であった。だが、魔鬼跋扈する大霊地での修行は厳しく、そして霊力を得て上位へと至る道もまた長く険しくして尋常ならざる忍耐を要するものであった。
 それは才覚あるものであっても、気が遠くなるほどの時をかけて大術師や仙人へと昇るのである。才覚なきものならば言わずもがな、であった。そうとなれば当然、落伍するものも出てくる。そんな者たちはただ山で隠れ住む隠者となるか、もしくは大人しく天崙山から去る程度ならばまだましであり、諦めきれずに去らなかった者は未だに己のことを“求道者”であると騙り、欲望のままに強盗や狼藉を働くものに堕してしまうものも……多かったのである。
 そして、そんな連中もピンキリではあるが中途半端に力や術を身に着けたものも当然いた。欲望に駆られながらも中途半端に力を持っているが故により驕り高ぶり、悪鬼にも勝るとも劣らない残虐さや貪欲さを持つものもまた、天崙山の山深くに潜んでいたのである。彼らはそんな“悪鬼紛いの人崩れ”の群れであった。

 ありていに言えば《外道》どもである。

 さて、そんな外道たちが今まさに次の獲物として仙石楼を値踏みしているところであった。
 「それにしてもあの噂は本当なんだろうな じゃなきゃわざわざここまで登り損だ」
 「どうだろうな だが聞いていたよりかは小奇麗な寺だ、案外ずっと前から虎の化け物は退治されているのかもしれんぜ」
 「退治されてんのにここ最近まで誰も噂にしてなかったていうのかよ」
 「……まああの“仙石楼”だからな 普通なら近づかねえよ、誰だって命は惜しい」
 “仙石楼”その言葉が一人から洩れたとたん、外道どもは互いの眼を見合わせる。中には目に見えて怯え出すものさえいた。
 そう、それほどまでにタオフー改め“ライフー”が残した仙石楼の伝説は“恐怖”として天崙山に広まっているのである。
 闇の中で、重々しく唾をのむ音が聞こえる。
 「いいか、噂が本当なら良い思いができる上に金まで入るんだ 違えば逃げりゃいい、とにかくやるんだ ……おい、あれを出せ」
 鼓舞をするように、外道たちのまとめ役だと思わしき男が一人に命じる。言われた外道は背負っていた薄い木箱を下ろし、封を切って蓋を開ける。開け放たれた中には、複数の札と香粉を詰めたと思わしき紙玉が数個、転がっていた。
 棟梁の外道が一歩進み、木箱の中から札と玉を取り出すと周りの外道たちに回すように見せる。
 「よく見ろぉ、道士様よりいただいたありがたい道具だ これが奥の手ってやつよ」
 「どういうもんで、どう使うんでぇ」
 「いいか、この札は“封縛符”、玉は“獅子倒”っつう香が封じられた玉だ この札を貼られた奴は術を唱えることも動くこともできなくなる代物でな、一発これを貼れば鬼さえも動けなくなるという話だ で、こっちの獅子倒が、ちょっとでも吸えば怒り狂った獅子すらもぶっ倒れるっていう痺れ毒よ」
 「なるほど、その毒を使って動けなくなった奴に札を貼って完璧に動きを封じるってわけですかい」
 札と玉、その説明を受けて外道どもは意を得たりとにやついた笑みを浮かべる。
 「そうだ、玉と札はくれてやる 女が抵抗するようなそれを使って好きにしな 虎の化け物がいるっつうならそれ使って逃げりゃいい ……召使の男はいねえって話だが、居たら殺せ」

 下種な笑い声が夜闇の中に響く。

 「こんな便利なもんがあんなら、虎の化け物も殺せそうじゃねえか いっちょ俺たちが退治して英雄様になっちまうか」
 けたけたと笑う外道たち。そして我先にと札と玉を手に取っていく。

 「いいか、ともかく道士様のお望みは寺に居る連中全てを始末することだ なんでか召使いの男はいねえ言ってたが知ったことじゃねえ 居るならついでに殺しちまえ、居ねえなら居ねえで戻って来たところを殺っちまえばいい……寺に隠れてりゃわかりゃしねえよ」
 「なら女どもは攫っちまえばいい 妖とはいえ上玉なら殺しちまうのは惜しい、こちとら山ン中にいなきゃいけねえ修行者様なんだ 楽しみがちっとくらいあったっていいだろ」
 「好きにすりゃあいい とにかく、わかったな 行くぞ」

 笑い声を押し殺しながら、外道たちが動き始める。
 すでに幾人かはこれからありつく“ごちそう”を想像し、汚い欲望を勃起させているような有様であった。だが、そんな性質の悪い下種どもはどこの世にもありふれているものであったし、大抵は善良な者たちがその毒牙にかかり涙を飲むことになるのである。

 そんな外道たちを、夜霧に浮かぶ冷たい月が照らしていた。






 ……さて、そんな危険が迫っているとは露も知らぬ仙石楼では三者三葉、それぞれ思い思いに過ごしている女仙たちがいた。

 一つは雷虎の獣仙ことタオフー
 タオフーは未だのんびりと仙石楼の中庭でのんびりと温泉に浸かって過ごしていた。ゆっくり体を湯に浸けて今までの汚れと疲れを落とし、明日戻るはずの愛する男の全力に応えるために。当然、邪魔者が居れば全力で叩き潰すためにも。

 一つは火鼠の獣仙ことフオイン
 フオインは仙石楼の裏庭で静かに演武を行いながら明日のことを考えていた。いよいよ愛しの兄さまが戻るのだから、明日はたっぷり甘えたいし、おいしい料理も作ってもらいたい。そのためにはどうすればよいか、どうすれば忌々しい虎と熊猫に邪魔されないか……頑張って考えていた。

 一つは岩熊猫の獣仙ことヘイラン
 ヘイランは月を望む仙石楼の一室で、いそいそと衣装を選びつつ、ちょっとした“化粧”にも挑戦している最中であった。何せ明日は愛しの君が戻る日である、一番に見初めてもらうためならば、いかな細工も弄するものであった。たとえそれが今一つだったとしてもそう努力をした、それを認めさせるのが大事なのである。


 そんな感じで、仙石楼の夜は平穏に……騒乱吹き抜ける明日に向けて……更けていくはずであった。


 だが、夜霧に紛れる形で悍ましい外道どもが仙石楼への侵入を果たしていた。たとえ外道と言えども、この天崙山で鍛えた力は本物である。軽々と闇を見通し、音もなく林を駈け、そして一つの群れの如く正確に獲物の位置を捉える。一人として不用意な音を立てることなく、そして誰も何も言わずとも三方に分かれ、それぞれの獲物を狙う。
 その動きはまさに熟練の狩人のものであり、なぜそのほどの修練を積みながら私欲に駆られてしまったのかと嘆くものもいたであろう。もしくは、この外道たちを“雇った”もののように力を利用しようと考えるのだろう。

 最初に分かたれた群れはそのまま外壁沿いにぐるりと駆け抜け、裏庭を目指す。そこにいるのは若く小さな修行者かぶれの娘、たとえ仙人だったとしてもまだ力は弱くその道に入ったばかりであろう。故に多少の警戒は要したが、それほど難しい相手ではない、このまま闇から獅子倒の玉を投げ中て、札を貼れば終わる獲物と外道たちは考える。
 裏庭に至り、霧の中に気配を消しゆっくりと迫る。案の定、闇の中でおぼろげな松明のあかりだけを頼りに、きびきびと演武を舞う紅髪の小娘は外道たちの下卑た視線には全く気付いていなかった
 “これは楽に終わりそうだ”
 すでに外道たちの視線は目の前のご馳走をどう“いただく”かを見定めるようにじろじろと嘗め回す。ぷるぷると柔らかく弾力に跳ねる巨乳、キュッとしまったくびれからは想像できない大きな尻、若く小さい体の癖に出るところはしっかりと出た危ないまでの魅力。それは目の前の女が鼠の耳と尾をもつ獣仙と呼ばれる女の化生であることなど気にならないほどに魅力的なものであった。
 狩りの開始だ、そう告げるように一人の外道が玉を取り出すと、一人が無言で札を取り出す。もう間もなく、この哀れな仙人の娘は声一つ上げる間もなく外道たちの慰みとなろうとしていた……


 ……裏庭へと向かった群れとは別に行動していた群れは再び分かたれ、一つの群れは人気がない厨房へと、もう一つの群れは音もなく屋根に飛び乗ると中庭を目指す。
 中庭には温泉があり、そこに獣体の女が湯に浸かっている。屋根に飛び乗った外道たちの狙いはその女であった。女とは思えぬ巨体で、岩のような体、外道たちとしてはつまらない獲物となるはずだったが……いざ闇に紛れ、屋根の上から獲物を見てみればなるほどどうして、中々に魅力的な獲物であった。巨体と言ってもすらりとしており、岩のように思えた体も鍛えられ引き締まりつつも女らしさは失っていなかった。いや、むしろより女らしさが引き立ち、目を離せないような美がそこにあった。なるほど、これは好事家からすれば垂涎物な女かもしれないと、外道たちは考える。
 それになにより、外道たちの目を引いたのは黒が混じる銀髪からちらりと見える美しい顔であった。いかにも誇り高く、強気そうな顔をしている。あの顔が自分たちの手で恥辱と屈辱を与えられ、恐怖に歪むさまはとても興奮するだろうと、外道たちは舌なめずりをする。
 だが、油断は禁物であった。外道と言えど馬鹿ではない。湿ってしまってはせっかくの獅子倒や封縛符も効果が出るか怪しい。奥の手が紙の札と粉物である以上、水場は相性が悪いと言えた。それにあれだけ鍛えてあるのだ、恐らく仙石楼にいる女どもなかでは体力がある分一番厄介な相手かもしれない。
 “だが、しょせんは女 我らに囲まれればおとなしくなるだろう”
 それにもう間もなく他の群れがこの獲物以外の女を押さえるだろう、なればそれを種に脅し強請ってしまえばいい。そうと決まれば最初が肝要だ、外道の一人……まとめ役の棟梁は目で合図をすると、先んじて中庭へと降り立つ。もちろん、懐には何時でも獅子倒を投げられるようにしながら、である。
 不躾な、突然の乱入者に獣の女は棟梁を睨む。
 だが、そんな態度は想定済みであった。“暴れても無駄だぞ”そう告げるように次々と外道たちが中庭へと飛び降りる。ほんの僅かな間に、女の周りを囲むように外道たちが立つ。突然のことで理解できないのであろう、女は両手を広げたまま湯船に浸かり動こうとしない……否、動けないのだ、そう棟梁はほくそ笑む。
 ただ一人、いくら鍛えようとも裸の女が武器を持った男を複数相手取って何ができる。せいぜいが今のように睨み付ける程度のことしかできないだろう。棟梁はにやにやと笑みを浮かべ、ゆっくりと女に近寄る。
 「……何者だ」
 女が威圧的に声を出す。想像通り声も良い。棟梁は笑みを浮かべながら、好事家がこういった女を好むわけを理解しつつあった。後はもう、目の前の料理をいただくだけであった。


 ……そのようにして仙石楼のあちこちで惨劇が起きようとしている中、哀れな獲物はそんなこともつゆ知らず鏡に目を向け化粧をしている最中であった。これは練習のつもりであったが、本番に臨むようにしっかりと化粧を施す。
 まずは髪型、いつも通りの三つ編みではなく都風に結いなおす。前髪を整え、綺麗に分けて揃えて後ろ髪はゆったりと大きめに編んで垂らす。次に眉を整え、少し墨を入れる。太くなりすぎないように、しゅっとした眉に整えると、次は目の周りに少しだけ朱を入れていく。本来であれば肌を白く見せるための白粉を少し塗したかもしれないが、女の肌は透き通るように白く、その必要はなかった。そのまま鮮やかに縁取るように朱を入れ、ちらりと鏡を見る。その鮮やかな視線たるや、もしも鏡に口があれば正に“目で殺す”と褒め称えたことであろう。そして次に口に紅を塗る。小さく、唇全体に塗らないようにそっと紅を乗せる。ぷっくりとした唇に紅が映え、妖艶な魅力をより引き立たせていく。最後に、仕上げとして額に朱を入れる。どんな模様が良いか悩んだが、参考にした化粧図にある三日月の印を女は丁寧に書いていく。もう間もなく仕上げが書きあがり、化粧が終わる頃合いであった。
 人気がない厨房から侵入した外道どもが、闇と影に潜み入り込んできたのは。
 “こりゃあ楽に終わりそうだ”
 目の前の女は化粧に夢中で後ろの暗闇には全く注意を向けていなかった。それに獣の体とは言え、まるで都の上流婦女といった出で立ちで、しかも脂ののったぷよぷよとした体ということもあり全く脅威にはなりそうになかった。武器を一つちらつかせれば、すぐに恐怖に固まって好き放題できるだろうと外道は考える。
 だが、一つだけ外道たちは気にかかることがあった。

 それは……厨房の惨状である

 まるで屠殺場の如く、血油に塗れながらも骨しか残っていない獣の亡骸の山。最初、厨房に足を踏み入れた時、その惨状に驚愕の叫びを上げなかったのはひとえに外道どももそうした光景を見慣れていたからにすぎない。しかし乱雑に散乱するさまは、まさかまだ“虎の化け物”がいるのではと見紛うほどの凄惨さであった。
 その凄惨な厨房の惨状と、目の前の女とが、どうしても外道たちには結びつくものがなかった。もしかしたらすでに仙人の妖しい術にはまり、意識を操られているのではないのかと、そう考える外道もいたほどである。
 だが、外道に堕ちたとはいえ修験者としての術は修めており、そうした妖術による幻覚を破る術を習得している外道もおり、これは幻覚ではないということを確認していた。故に目の前の女は現実であると確信していたが、高位の幻術ともなればそうと知らなければいかな術師でも破るのは至難の業であることは修験者崩れの外道には到底考え及ばぬことでもあった。とはいえ、実際問題そうした術の類は仙石楼には一切なく、全部真の光景であった。

 ともかく、さっさといただくとしよう

 すらりと、刃を抜き闇から外道たちが女を囲むように、音もたてずに迫る。
 女はそんなこともつゆ知らず、呑気に鼻歌を歌いながら額の印を書き終える所であった。

 「動くな」
 背後より首に刃を当て、命じる。
 下種の笑みが、漏れる。あとはもう、お楽しみの時間だ、そう告げるように。



 ……「動くな女 下手な真似をすればほかの二人がどうなっても知らんぞ」
 勝ち誇った、卑しい笑みを浮かべ棟梁が動こうとしない女に告げる。
 棟梁の言葉に、女が驚愕の表情を浮かべる。思惑通りに進んでいる、あとは温泉から立たせ、乾いた場所で獅子倒を浴びせて札を貼り、心行くまで味わうだけだ。そう棟梁がますます下卑た笑みを浮かべた時であった。

 女が笑う

 それもまるで面白い冗談を聞いたかのように、さも愉快そうにけたけたと笑う。

 ちりりと、棟梁の後ろ毛が焼けるような感触が走る。
 何かがおかしい。

 「それは本当か?」
 女が確認をするように棟梁に問いかける。それは信じられない冗談を確認するかのように、軽く。
 「ああそうだ、だからおとなしくしろ」
 その言葉を受け、女は再び笑う。今度は控えめに、飽いた、そう言外に告げるように。
 「……面白い冗談だ 我ですら手を焼く奴らをお前ら如きが?」

 ちりちりと、毛が焼け付くように首裏が熱くなる。
 棟梁は気づく。

 女は最初から動けなかったのではない、動こうと“思うほど”の脅威ではないと

 「気配を消せるから少しはできると思ったが 拍子抜けだ」

 否、脅威ですらないと、最初から見抜いていたのだ

 ゆっくりと、湯船から女が……仙石楼の主たる“虎の化け物”タオフーが……立ちあがろうとしていた。



 ……「動くな」
 満足げに鏡を眺めていた女の動きがぴたりと止まる。喉元には刀の刃が当てられている。その冷たさに震え上がっていることであろうと、外道は笑う。鏡の中の女の眼が、外道の眼を射抜く。その美しさ、薄氷の刃のような視線にぞくりと背筋に悪寒が走る。
 「立ちな……おっと暴れようとするなよ」
 女は言われるがままに、すっと化粧台の椅子から立ち上がる。
 「ひひっ おっおれのために化粧をしてくれたのか うれしいねえ、こんな美人、都でもそうそうお目にかかれなかったぜ」
 美人、その言葉にぴくりと女の眉が反応する。

 「あら? そこのお前、今私のことを美人と言いました?」

 女が、声を出す。まるでその辺の小僧に声をかけるように。
 「勝手にしゃべるんじゃねえ!」
 まるで恐怖を感じていない女の言葉に、外道は苛立つように声を荒げる。その態度に、鏡の中の女の顔が不満に染まる。
 「くそっ おい! さっさと札をよこせ!」
 何かおかしい、とっとと動きを封じてしまおう。そう外道が考えたその時であった。

 するりと、女の顔が外道のほうを向く

 鏡越しでない、あまりに妖美な顔が眼前に……そう外道が思った瞬間であった。

 ごぶり、と

 肉を、何か酷く切れ味の鈍い棒で突き刺すような音が響く。

 腹が熱い 焼けるように熱い

 外道は震える。いったい何が起きたのか、わからない、わかりたくない。震えが止まらない。

 「うふふ……ごめんなさいね、本当なら……このままはらわたを貫ち抜いてさしあげるのだけど……服を汚したくないから」
 そう言って、腕を前に押し出すようにして……外道を放す。ごとりと、放された外道があおむけに倒れる。その腹にはぽっかりと……女の……ヘイランの爪痕と思われる大きな穴が空き、紅が染み出し流れていく。
 突然の出来事に、外道たちは色めき立つ。
 「……ああでも、床を汚したってティエンさんに怒られちゃうかしら……それにきっと悲しむわ……あの人、殺生を嫌うから」
 だが、目の前の女はまるで何も感じないとでもいうように……目の前のごみをどう片付けよう、下女がそう悩むように淡々と呟く。

 「こっこのアマ!!」
 外道が刃を躍らせ、切りかかる。だが、その刃はあっさりと躱され……ることすらなく、ぴたりと宙で止まる。
 「なっ!!」
 「ごめんなさいね、ちょっと刃物は苦手なの」
 刃物はぴたりと……ヘイランの指、中指と親指によってその刃を挟まれ動きを止める。決して力を抜いて切りつけたわけではない、むしろ全力をもって振るった刃があっさりと“抓まれ”微動だにしないその光景を前に、外道は驚愕に歪む。
 べきりと、刃が砕けると同時に、外道の腹に掌底が撃ち込まれ立ったまま足底が床を擦りつけるようにして吹き飛ぶ。そのまま壁際まで来ると、ちょうどそこでぴたりと止まって床に崩れ落ちる。べっこりと腹がへこみ、その顔は驚愕のまま止まっている。
 「これは壊掌 さっきのは綿貫」
 壊掌、それは打ち抜くというよりも衝撃をもって岩を砕くように骨ごと心臓や内臓を破壊することを目的とした殺しの技。その恐るべき殺人技を前に、外道たちは何が起きたか理解できなかった。だが、ある一点だけは瞬時に理解していた。

 獲物は、我らだ

 必死の表情で外道たちが玉を、獅子倒を放つ。
 だが、そんなものは掠りともしない。煙が揺らぐように、ヘイランは躱す。その様子はただヘイランは立っているだけで、玉が自ずと避けていくようにすら見えただろう。
 ぬるりと、いつの間にかヘイランが外道の……哀れな獲物の前に立つ。
 「ひぃっ!!」
 にこやかな笑みを浮かべたまま、ヘイランの腕が打ち上げるように外道の腹を撃つ。鈍い、水の入った袋を叩くような音と共に、外道が少しだけ飛び跳ねぐちゃりと床に落ちる。そのまま滑るようにもう一人の獲物の前に……通り過ぎるように脇腹を手刀が薙ぐ。べこりと、大きく“く”のように体を曲げ、その場でくるりと宙を舞う。

 「うふふ」

 怪物が、嗤う。

 「ひっひっ」
 獲物の顔が引きつり、恐怖に歪む。

 「ただ殴ったりする方が楽なのだけれど……勢いあまって建物や家具を壊すとティエンさんに怒られちゃうのよ」
 まるで世間話をするかのように、のほほんと……ヘイランは嗤う。薄くその口を開け、牙を見せる。
 「ああ、それで先ほどの質問なのだけれど……」
 妖しい、あまりにも妖しい、恐ろしいまでに美しき獣の鬼女が迫る。



 「私、美人?」



 そう言ってにこやかに、嫋やかに微笑むヘイランへの返答は、絶叫と共に逃げ去る外道の後ろ姿であった。









 「ひぃっひぃっ!!」
 叫び、逃げる外道。だが、厨房に差し掛かったところで足を滑らせ盛大に転げてしまう。血と油が厨房の床一面に広がり、それに足を取られると同時に獣の骨に足を引っかけたのである。その暗闇に濡れる血と油、それに塗れる己、そして早く逃げねば鬼女に殺されるという恐怖。それらがすべて綯い交ぜになり外道の心を焦らせる。
 早く、早く立たねば、そして逃げねば。

 だが、そう急くほど体が言うことを聞かず、立ち上がることに手間取る。

 そんな時であった

 転げ、突っ込んだ棚から転げ落ちた鍋が、目の前で ゆれている

 倒れた拍子に、ではなく 明確に 目の前で ゆれている

 封をされたそれは、明らかに異質なものであった

 外道の心が、すべてが告げる はやくにげろ と

 封が切れる 厳重に縛られた、縄が千切れていく


 テケリリ テ ケ・rIri

 ふたがひらく


 そのおぞましきは













 鬼女の惨劇、その少し前……裏庭にて、外道は獲物を狩るべく。獅子倒の入った玉を今まさに投げ放つ。闇の中から、霧に紛れ……演武を終え一息ついたその時、眼を閉じ息を整えるように深く息を吸った瞬間を狙って……

 玉が獲物の顔にあたり、弾ける

 “決まった”

 そう、外道が確信した瞬間であった。



 ぼっと明るく、玉が爆ぜる。



 その音と光に驚き、外道たちは目を見開いた次の瞬間。
 周囲一面に恐ろしい音と共に爆炎が舞う。その炎はたちまちのうちに外道どもが闇と霧を払い、茂みと木々を焼き払う。
 「ぎゃあっ!!」
 「あちぃ!! あちい!!」
 絶叫、炎に焼かれ叫び飛び上がる外道たち。その時であった、一迅の紅い旋風が外道の一人を叩き撃つ。撃たれた外道の体は燃え上がり、一瞬で火だるまに変わる。紅風は吹き荒れ、火の粉を舞わせながら次の外道を、その次を、人型の炎へと変える。

 「な、なにが」
 突然の業火と、次々と仲間を燃やす炎の風に外道たちは逃げ道を探すようにあたりを見回す。だが炎はまるで外道どもを囲むように燃え盛っていた。

 「誰だ、てめえら」

 そんな灼熱の森に、不釣り合いな鈴声が響く。外道たちはいっせいに、視線をその声の方向に向ける。果たしてそこには、先ほどまで外道がただの獲物とばかり思っていた少女が……火鼠のフオインが燃え盛る木の上に……獣のような様相でそこにいた。
 その姿は燃え盛る獣そのものであり、四肢に炎を纏い、その目は爛々と灼熱のように輝いていた。尾は刃のように迸る炎を纏い、次の獲物を狙うように揺らいでいる。先ほどの可愛らしさは消え失せ、フオインは獣のように這うような姿勢を取り、侵入者を睨みつけていた。そのフオインに対し、外道たちは先ほどの威勢は消え失せ、ただ何を言うべきか迷うように口を呆けさせることしかできなかった。だが、フオインを前に、そんな動きはただただ……遅すぎた。

 「まあいいや、とりあえず」
 尾が揺らぎ、炎が舞う。

 「燃えちまえ」

 紅く、紅く、ただひたすらに紅く。
 それが今宵、外道どもが見た最後であった。









 何かが弾ける音と共に立ち上る炎、そして響き渡る悲鳴。
 仙石楼の中庭で、まさにタオフーが立ち上がったその時の出来事であった。

 「何が起きた!」

 外道たちが爆炎に驚き、空を見上げたその瞬間。水が跳ねるような音が小さく響く。

 「ぎっ」

 そして続く、肉を裂く音と共に鳴る外道の擦れるような断末魔。

 「っ! 殺せ! 殺すんだ!!」

 とっさに棟梁が叫ぶと同時に、外道どもは武器を構えるも……遅すぎた。
 人の身で、雷光の速さに耐えよ、というのが無理難題だったのだろう。タオフーは湯船の淵にある小岩に足をかけ、駆け上がるように跳ね上がると同時に最初の犠牲者を、回し蹴りのように足の爪で首を切り裂き、そのまま身を屈めると、湯を飛び越えるように跳ね駈けて武器を構えようとした外道の頭に足と爪をかけ、そのまま踏み蹴り抜くように裂き飛ぶ。飛び、中庭の屋根の軒を蹴ると降り立つ勢いそのままに爪を振るい、外道を構えた武器諸共両断する。
 降り立った後もタオフーの勢いは止まらない。
 風の如く、外道がタオフーの存在を“見た”その時には、その臓腑をタオフーの爪が貫いていた。

 そして、あっけにとられた棟梁の目の前に“化け物”が風を纏って立つ。

 金色の、虎の瞳が目の前の獲物を……否、有象無象の獲物とすら思っていない……冷え切った瞳が、ただそこにあった。
 勝利の喜びも、興味さえも、何もない。

 ただ終わらせただけ

 「ば、化け物……」

 棟梁の、顔が薙ぐ
 紅い飛沫が、飛び散っていく






 「はぁ……」

 湯冷めした体を再び温泉に浸し、タオフーは温もりの心地よさに小さくため息を吐く。
 仙石楼の中庭には、かつての日々の如く“化け物”に挑んだものの末路が転がっていた。

 ぼんやりと……タオフーはふと思い出したように、ヘイランが残していった盆の上にあった酒瓶を手に取ると、一口飲む。

 舌の上にじんと広がるピリッとした辛さが、湯冷めした体にはちょうど良かった。



 ただしんしんと、仙石楼の平穏な夜は更けていくのであった……


24/01/04 15:40更新 / 御茶梟
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