……ティエンが去って……買出しに出かけてからの日々は仙石楼に住む三獣拳士とってはなかなかの試練だといえた。そうというのも、ティエンが作った汁は半日と経たずに消え、次に食糧庫の糧食も三日と経たずに消えたからである。
　後に残るは食糧が満ちていながら、まるで飢餓状態に陥ってしまったかの如く飢え、嵐のように不機嫌な三匹の女獣たちだけであった。実際のところ、食うものには困らなかった。だが、いくら食ったところでティエンによってたっぷりと“調教”されてしまった舌と胃がそうそう満足するはずもなく、腹は満ちるが満足できないという何とも矛盾したいら立ちをタオフーたちは抱えるはめになっていた。おまけに、やはりというかなんというか、盛りのついた獣の性というものを侮っていた部分もあった。七日十日程度、なんなら一月だろうと耐えて見せようと言わんばかりに自信満々だった獣……主にタオフーとヘイラン……たちは、二日目の昼頃にはすっかり発情しきって乱れに乱れ切っていた。タオフーはティエンの匂いが付いた寝床を己の閨に持ち込んで一人悪戯に興じ、ヘイランは器用にもティエンの木彫りの“分身”を作ってはそれをもって己を慰め、フオインに至っては飢えと恋慕と寂しさに我慢が利かなくなったのか幼児退行を起こしかけ、日がな一日ティエンの部屋で兄と慕う男の衣服に包まり、指をしゃぶりながら兄の名を呼び火照る体をあやし続けている有様であった。
　もしもかつての己が見ようものならば、どうしてここまで堕落を究めてしまったのかと頭を抱えていたことであろう。そうでなくとも、傍目から見れば日がな一日自慰に興じ、腹が減れば飯を食い散らかすだけの日々である、これを怠惰、堕落と言わずしてなんと言うのであろうことか。

　……そんなこんなであまりにも淫惨な日々を過ごし続けたせいか、六日目の晩にもなるころには誇り高き三獣拳士たちはどうにもならない程の熱と、どうしようもない気怠さを抱えこみ、自慰さえも疲れ果てただその身を死屍の如く床に投げ出しただ時が過ぎるのを待つだけの存在へと成り果ててしまっていた。



　「……ぬかった……これほどまでに……つらいとは」
　ばさりと、愛する男が褒めてくれた白金に黒が混じった長髪を床に振り乱しタオフーは一人生気のない声を上げる。その目はどろりと濁り切り、連日己の中で暴れまわる性欲に振り回されすっかり疲れ切った様子であった。しっぽりずっぽりと交わるのは四日に一度……そう考えていたからこそ五日、六日あたりはともかく三日は余裕で耐えられるだろう、そう高をくくっていた。しかし思えば、それは夜の話であり、なんだかんだと昼間のうちに盛って隠れて交尾したり、そのまま乱交したりしていたなということを今になってタオフーは思い出す。
　それに、いざとなればすぐにティエンを抱ける、という心理的な余裕や普段の何気ないティエンとの触れ合いが思った以上にタオフーたちの欲望を抑えるのに役に立っていたようで、このように一切の接触を断たれた状況では寂しさも相まって恐ろしく人肌恋しく……と言ってもティエン以外に肌を許す気はさらさらなかったが……タオフーたちの心を焼くのであった。
　正直言って、タオフーたちがおとなしく仙石楼で待っていること自体、なかなかの偉業と言えた。それぐらい、タオフーは……フオインもヘイランも……いろいろと爆発寸前であった。
　「……身を清めるか……」
　のっそりと起き上がり、ぼそりとつぶやく。あたりに漂う淫臭と、まとわりつくようにべたつく体は流石に心地が悪かったからである。それに、約定通りであればもうすぐティエンが戻るということもあり、このような状態で出迎えるというのは少々ばつが悪かった。
　（どうせすぐに汚れるだろうがな）
　じゅんと、体の芯が燻ぶり内側が潤む。タオフーはほうっと熱い、熱い息を吐く。もうすぐ、もうすぐティエンが戻る。さすれば当然、果たしてもらわなければ困る、そうタオフーは一人ごちる。
　「この体、治めてもらわねばな」
　とろりと、内腿に蜜が垂れる。ほっこりと妖艶に咲いた虎の花はぐずぐずに溶け、摘み取られるのを待ち望んでいた。






　……「お前たちもいたのか……」
　うだるような、鈍い頭とべたついた体を何とか抱え仙石楼の中庭……そこにある温泉に向かったタオフーが見たのは、湯気立つ温泉につかり優雅に一献傾けるヘイランと……犬かき、鼠かきの要領で温泉を泳ぐように回遊しているフオインであった。
　「んだよ、いちゃ悪いってのか？」
　「……そこの鼠さんはともかく、私はいたっていいでしょう？」
　不満げに湯気と水滴を燻らせるフオインに、長い白髪を湯気にながし淑やかに微笑むヘイランがタオフーに答える。別段、この温泉はタオフーのためだけのものではない、故に誰が何時入ろうとも自由ではあった。それにヘイランはきれい好きなのか良く温泉に入ってはティエンに体を磨かせたり、供として酌をさせては茶や酒を傾けていた。それに対しフオインはそもそもとして水を苦手とする火鼠であるため、基本的に風呂に入る、という習慣はなく専ら己の炎で全身を焼いて汚れを焼き清めるというやり方で清潔さを保っていた……が、タオフーにたびたび“（焦げ）くさい”と言われたことに加え、ヘイランから“きちんと洗ってもいないところに触れさせられるなんてティエンさんがかわいそうね”とド直球になじられたこともあり、最近はちょっとずつではあるがこうして風呂に入るようにしていたのである。それに、五日以上ティエンの衣服に包まって淫臭を燻らせていたころもあり、流石のフオインも己が臭いということを認めざるを得なかったのである。
　ちなみにタオフーはヘイランと同じく良くティエンに体を洗わせていた他に、そのまま湯船の中で盛っていたりもした。
　「いや、構いはしない　……ふぅ」
　「……少しは体を洗ってから入ってくれません？」
　「どうせ垂れ流しだ」
　ティエンがいれば体の一つ洗わせていただろうが、実際のところタオフーにとってはティエンに体を触らせる口実であった。その辺はヘイランも同じであったが、ヘイランは綺麗好きだったのか、ティエンがいなくても体を洗ってから入るほうであった。
　それに温泉も湯の流れとしては川の中のため池が中庭にあるようなもので、そのまま仙石楼の中を流れて小さな滝のように流れ出ていた。そのため、常に新鮮な湯が張られているに等しかったが、ヘイラン的には気持ちの問題もあったのだろう。
　だが、そんなふうに小姑のように口うるさいヘイランのことを無視するようにタオフーは温泉の水を掬うと顔を洗うように浴びる。心地よく染み入る熱と、爽やかな水気がさっぱりとした心地にさせてくれる。それに久方ぶりに入る、ということもあったが汗を流してみれば何となく己の中にへばりついたような肉欲も一緒に流れていくような感じがしていた。尤も、芯の熱は未だじくじくと脈打つように胎の内に蠢き、いまだ春乱過ぎ去らず、といった様相ではあったがそれでも少しはましであった。
　「うぅ……もう出る……」
　タオフーが湯につかって間もなく、フオインがぷるぷると顔を紅くして湯船から上がる。
　「我が浸かるなり出ていくとは失礼な奴だ、もう少し入っていたらどうだ」
　少し意地悪く、タオフーが声をかける。しかしフオインは普段の生意気さはどこへやら、といった様子でしおらしく首を振ると「もうでるぅ」とだけ呟いて、脱ぎ捨てた己の服を拾うとそそくさと着込み、温泉のある中庭を後にする。その様子をタオフーは面白そうに笑いながら見ていた。そうというのも、もともと入浴の習慣がなかったことに加え、苦手とする水に浸かるという行為にどうも慣れないのか、湯船に浸かっていると鼠が変わったように生意気な性格が一転、何かにおびえるように一気にしおらしくなるのがタオフーにとって面白く感じていたのである。それに、あの状態になったフオインは暫くおとなしくなるというのもタオフーにとっては喜ばしいところであった。
　そんなタオフーとフオインのやり取りを、ヘイランは興味なさげに見つめつつ、くいっと手にした酌を傾け酒と共に湯を愉しんでいた。その顔はほんのりと朱に染まり、白い肌に鮮やかに映えていた。暫くタオフーと共に黙って湯を愉しんでいたヘイランであったが、何を思ったかむにむにと己の両胸にずっしりと実る豊穣を見せつけるように揉む。その様子を見て、タオフーは不機嫌そうに鼻を鳴らす。
　「……なんだ」
　しかし、何を言うでもなく、ただもにもにと揉む。揉んで、見せつける。そのたびにタオフーはいら立ちを隠さないように、その丸いふわふわとした耳をぴくぴくと震わせる。
　暫く、そんな奇妙な仕草を続けていたヘイランはほっと一息ついて揉むのをやめると、勝ち誇ったようにぽそっと告げる。
　「……知っているかしら、ティエンさんはね……やわらか〜い私に……やわらか〜く揉まれるのが……す・き、なの」
　「……何が言いたい」

　水面が、ゆらりと揺らぐ

　「きっとティエンさん、長い山道を一人……重い荷物を背負って来るのだから、大変お疲れに違いないわ　……だ・か・ら、帰ったらすぐにその疲れを癒して差し上げないと……そう思っただけよ……うふふ」
　ちろりと、古熊猫が下唇を舐める。

　「くだらんな、奴がこの程度のことで根を上げるとでも？　ありえんな　柔い体になると脳みそまでふやけてしまうものなのか？　それに知らんのか、ん？　奴の好みは我のように引き締まった体だ　このタオフーの体を、ティエンの奴がどれほど執拗に撫でまわし、求めているかわかっていないようだな」
　そう啖呵を切り、誇らしげに自らの鍛え抜かれた“完璧”な肉体を見せつける。

　静かに湯気が揺らぎ、波紋が二つ……重なっては消えていく
　虎の金の瞳と、熊猫の黒紫の瞳が討ち合う剣の如く重なる

　―互いに考えることは同じ―


　「……うふふ　少しのぼせてしまったわ　先に失礼するわね」
　そうつぶやき、水音を立ててヘイランは立ち上がる。確かに、緩い、柔らかな体であった。しかし、それでも仙石楼にいるものは知っている。最も純粋に力の強いものは誰かと問われれば、タオフーをしてさえ渋々と認めるであろう。
　「……譲らんからな」
　「うふふ……」
　すっと、水面を波立てることなくヘイランがタオフーの横を過ぎる。その様子にタオフーは苦虫を噛み潰したように忌々し気に牙を剥くと、すぐに何事もなかったかのように誰も居なくなった湯船に己の体を広げていく。

　なんであれ、どうであれ、待ち遠しいのは皆同じであった。