夜空語り
……仙石楼の二階、虎の部屋。
崩れ落ちた壁から夜空を眺める一組のツガイがあった。
胡坐をかいた、虎の巨体に男は身を寄せる。
それは虎が我が子を守るようにも見えたであろう。
霧の大陸、その名の通り一年を通し霧に覆われたこの地にしては珍しく、霧の晴れた満天の夜空が広がっていた。天に浮かぶ月は欠け一つなく、見事なばかりである。
その夜空を、ただ見る。代えがたい、満ち足りた時が流れる。
それはようやく訪れた平穏であった。先の情交は激しさこそなかったものの、男の方は十できかぬほどその精をぶちまけすっかり干からびてしまっていた。虎の方も、達した数は百を越えたであろう。一見すれば、快楽を通り越し苦痛にしかならぬような交わりに思えたが、男も虎も極めて満ち足りていた。
それに十分通じ合った今、ただこうして夜空を眺めるだけでも、下手な情交に勝るだけの喜びが得られたのである。
願わくば、このまま二人のまま永久に……
だが、それは叶わぬことと虎は知っていた。
それに、何より得たいと思っていたものを得た今、虎の心はこの山の如く広大にもなっていた。
もちろん、口惜しさや嫉妬心はあった。だがそれでも、本能として悟りもしていた。己と同じ男と通じたあの二人、それにとってもまたこの男は代えがたい。己が苦しかったように、あの二人も苦しませてはならないと、寂しく想う。
「終わったかしら」
「……む〜」
「……ああ」
後ろから、影が二つ現れる。
一つは嫋やかに、穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと虎にもたれかかる男の傍に座る。甘く薫るような雰囲気のヘイランであった。
二つは快活爛漫に、しかして不満げに少し湯気を立てながら、虎の威も臆さずにその腕の中に納まる男に甘え飛びつくフオインである。
「ひでえよ兄ちゃん……結局虎に先越されたままじゃんか……」
そう言って拗ねるフオインに、兄と呼ばれたティエンは申し訳なさげにその頭を撫でる。フオインもそれ以上はぐずることなく、ただ目を閉じて嬉しそうに撫でられていた。
その様子をタオフーは苦々しい表情で見るも、仕方ないという風にため息をつく。
「綺麗な夜空ですね、ティエンさん」
そう言って微笑むヘイラン。その表情に影はなく、ただ嫋やかに、そしてどこか嬉し気であった。そんな表情のヘイランに、ティエンは相槌を打つように頷く。
「本当に、よい夜空です」
「……あの夜空とわたくしでしたら、どちらが?」
ちょっと意地の悪い質問かしら、そういうように悪戯めいた顔をするも。
「ヘイラン殿の方が、ずっと美しいですよ」
ことも何気に、そう告げられヘイランは顔を紅くする。
「……もう、ヘイランと呼んでくださいな……」
そう言ってぺしりとティエンの頬をはたく。申し訳ないと、ティエンが謝るとヘイランは軽く微笑み、再び夜空へと顔を向ける。
そうして暫く、四人で夜空を見ていると、そこにおずおずといった様子で小さな影が現れる。粘性のナオであった。警戒するように恐る恐る、といった様子でそっと近づくナオに、とっくに気が付いていたヘイランは振り向くと、驚き恐れるナオに対しそっと手招く。
その信じられぬ優しさを前に、ナオは警戒するもののゆっくりと身を固めながら主たる男の横に向かう。男は虎の膝の上で、火鼠をあやしながら夜空を眺めていたが、ナオに気が付くと空いていた方の手でむにゅりとナオの頭……と思わしき場所を撫でる。
その主の優しさに、ナオはうにょうにょと触手を振って喜びを示す。
(……この時が、ずっと続けば良いと……そう願うは身の程知らずだろうか……)
ティエンは、願う。
その想いは、皆一緒であった。だが、いずれこの時は終わりを迎えると……ライフー、フオジン、バイヘイ……彼らが“戻った”時……この関係は終わる。
だからこそ願う、どうか戻らないでくれと……
(……だが、それはならぬ願いだな)
雌雄を決すとの、約定。それを果たさぬうちは、真にタオフーとは結ばれぬ。ティエンの心は決まっていた。
ライフーを……フオジン、バイヘイをも倒し、認められねば、真に彼女たちを娶るに値しないと、静かに、そして固く心に誓う。
強くならねば
「……ティエン、腹減った」
「……はぁ〜 お前はそれしかないのか、鼠」
「も、申し訳ない もう夕餉の時を過ぎてましたね……すぐ準備しますよ」
「うふふ、楽しみにしていますわ」
「テケリー」
天崙山三獣拳士編 完
崩れ落ちた壁から夜空を眺める一組のツガイがあった。
胡坐をかいた、虎の巨体に男は身を寄せる。
それは虎が我が子を守るようにも見えたであろう。
霧の大陸、その名の通り一年を通し霧に覆われたこの地にしては珍しく、霧の晴れた満天の夜空が広がっていた。天に浮かぶ月は欠け一つなく、見事なばかりである。
その夜空を、ただ見る。代えがたい、満ち足りた時が流れる。
それはようやく訪れた平穏であった。先の情交は激しさこそなかったものの、男の方は十できかぬほどその精をぶちまけすっかり干からびてしまっていた。虎の方も、達した数は百を越えたであろう。一見すれば、快楽を通り越し苦痛にしかならぬような交わりに思えたが、男も虎も極めて満ち足りていた。
それに十分通じ合った今、ただこうして夜空を眺めるだけでも、下手な情交に勝るだけの喜びが得られたのである。
願わくば、このまま二人のまま永久に……
だが、それは叶わぬことと虎は知っていた。
それに、何より得たいと思っていたものを得た今、虎の心はこの山の如く広大にもなっていた。
もちろん、口惜しさや嫉妬心はあった。だがそれでも、本能として悟りもしていた。己と同じ男と通じたあの二人、それにとってもまたこの男は代えがたい。己が苦しかったように、あの二人も苦しませてはならないと、寂しく想う。
「終わったかしら」
「……む〜」
「……ああ」
後ろから、影が二つ現れる。
一つは嫋やかに、穏やかな笑みを浮かべて、ゆっくりと虎にもたれかかる男の傍に座る。甘く薫るような雰囲気のヘイランであった。
二つは快活爛漫に、しかして不満げに少し湯気を立てながら、虎の威も臆さずにその腕の中に納まる男に甘え飛びつくフオインである。
「ひでえよ兄ちゃん……結局虎に先越されたままじゃんか……」
そう言って拗ねるフオインに、兄と呼ばれたティエンは申し訳なさげにその頭を撫でる。フオインもそれ以上はぐずることなく、ただ目を閉じて嬉しそうに撫でられていた。
その様子をタオフーは苦々しい表情で見るも、仕方ないという風にため息をつく。
「綺麗な夜空ですね、ティエンさん」
そう言って微笑むヘイラン。その表情に影はなく、ただ嫋やかに、そしてどこか嬉し気であった。そんな表情のヘイランに、ティエンは相槌を打つように頷く。
「本当に、よい夜空です」
「……あの夜空とわたくしでしたら、どちらが?」
ちょっと意地の悪い質問かしら、そういうように悪戯めいた顔をするも。
「ヘイラン殿の方が、ずっと美しいですよ」
ことも何気に、そう告げられヘイランは顔を紅くする。
「……もう、ヘイランと呼んでくださいな……」
そう言ってぺしりとティエンの頬をはたく。申し訳ないと、ティエンが謝るとヘイランは軽く微笑み、再び夜空へと顔を向ける。
そうして暫く、四人で夜空を見ていると、そこにおずおずといった様子で小さな影が現れる。粘性のナオであった。警戒するように恐る恐る、といった様子でそっと近づくナオに、とっくに気が付いていたヘイランは振り向くと、驚き恐れるナオに対しそっと手招く。
その信じられぬ優しさを前に、ナオは警戒するもののゆっくりと身を固めながら主たる男の横に向かう。男は虎の膝の上で、火鼠をあやしながら夜空を眺めていたが、ナオに気が付くと空いていた方の手でむにゅりとナオの頭……と思わしき場所を撫でる。
その主の優しさに、ナオはうにょうにょと触手を振って喜びを示す。
(……この時が、ずっと続けば良いと……そう願うは身の程知らずだろうか……)
ティエンは、願う。
その想いは、皆一緒であった。だが、いずれこの時は終わりを迎えると……ライフー、フオジン、バイヘイ……彼らが“戻った”時……この関係は終わる。
だからこそ願う、どうか戻らないでくれと……
(……だが、それはならぬ願いだな)
雌雄を決すとの、約定。それを果たさぬうちは、真にタオフーとは結ばれぬ。ティエンの心は決まっていた。
ライフーを……フオジン、バイヘイをも倒し、認められねば、真に彼女たちを娶るに値しないと、静かに、そして固く心に誓う。
強くならねば
「……ティエン、腹減った」
「……はぁ〜 お前はそれしかないのか、鼠」
「も、申し訳ない もう夕餉の時を過ぎてましたね……すぐ準備しますよ」
「うふふ、楽しみにしていますわ」
「テケリー」
天崙山三獣拳士編 完
22/07/09 08:21更新 / 御茶梟
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