連載小説
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序項:その宿の名は

視界が幾重もの白で遮られる。
見渡す限りの白に足元も白。吐く息すら白である。
私は羽織った外套が飛ばされない様にしっかりと両手で抑え一歩一歩と足を進める。
白を踏みしめた爪先が深くその中に沈み、悴む指先にまで独特の感触が伝わる。

雪。
こんなにも沢山の雪。初めて目にしてから何度目かの降雪だが
南国出身の私にとってはやはり物珍しい。例えそれが、吹雪であっても。





生家のある島を出てから行商として食い扶持を稼いできた私は年々行脚の地域を広げている。
単純に金になるのだ。南にしかない物は北に住む者に売れる。当然逆もしかり。

方々駆けまわり、金になる物を見つけては需要のある村々に色を付けて売りさばく。
そんな暮らしがもう8年は続いている。
そしてつい先刻,北の山深い集落で露店を開いていた所一人の女が話しかけて来た。
「もし、そこに見える物はもしや大陸の薬根ではありませんか?」

女が指したのは高麗人参といわれる薬材植物だった。
「値付がされていませんがどうか売って下さいまし、値は多少張ろうが構いません」

やけに羽振りがいい客だな、とは思ったが辺境の里でこんな美味い話を反故にする気など更々なく私は、薬にでもするんですか?などと景気良く語りかけた。
「そのままいただくだけでは効果は無いのでしょうか?」
「そのまま?」

私は驚く素振りをしてこう紡ぐ。
「お客さん、漢方というのはね”適量正分ニテ薬ト成”です。素人が下手に口にしたら毒にもなりかねませんよ」


女は思案顔である。私は内心ほくそ笑む。占めた。
この薬用植物に毒性の使い道などないのだが、目の前の女はそんな事知りもしないようである。
「行商の方、貴方は調合法に明るい方なのでしょうね…」
「えぇ多少の心得はあります。しかし今すぐ煎ずる、というのは無理ですな」
「ならば私の家は旅館を経営しておりますのでどうかそこへご足労願えますでしょうか?」
「…構いませんが、暫くここで商売をしてから参りますので所在だけお教え下さい」
「分かりました。手数ですがどうぞお待ちしておりますので」

棚から牡丹餅とはこの事だな。私は苦々しげな顔をしている他の露天商を横目に冬の曇天を仰ぎ見る。あの女の身なり、纏う着物も履いている雪駄も上等だった。頭巾で顔を隠していたが相当に上玉の、それもかなり裕福な家の女だろう。何せ実家が旅館なら当然。金も弾むだろう。

半刻が過ぎてから私はのっそりと立ち上がり手早く品を背負い匣に納めると、
旅館に着いてから渡す約束の薬材を大事に懐にしまった。さて、目指すは『躊仙楼』。

そうして揚々と出立してからこの有様である。
集落を出た直後は視界に積雪など見当たらなかったが、山に足を踏み入れた途端に粉雪が私の肩や網傘をかすめ出し言われたとおりの道を通っている筈が一面の雪化粧の中の行軍なのだ。そして日が沈むと同時にいよいよ本格的に吹雪いてきた。

美味い話に食いついて遭難間近とはいい笑い物だろう。
道を間違えたのか。いやさ、端から私はあの女にからかわれたのだろうか。
冷気が肺を満たし体中を氷の粒が撫でていく。思考すら儘ならなくなってきた。
宵闇の中、足が止まる。

凍える、と私が死を覚悟したその時だった。視線の先に何かが浮いている。
初め雪が舞っているだけかと思ったがどうにもおかしい。それは風に反し舞っている。

ひらひらひらひら。
雪虫が飛んでいた。私は一匹の雪虫に手を伸ばす。ひらりと身を交し逃げられる。私は無意識にまた手を出す。掴み損ねる。逃げる雪虫、追う私。暗がりの雪原で滑稽な鬼ごっこ。

ついに雪虫は私の手に捕えられた。
ふと気づくと視界が明るい。そういえば雪の勢いが治まっている。
頭を上げた私は驚愕する。赤い明かりを燈した提灯と、淡く薄ぼんやりとした橙色の光が照らす障子窓。しっかりした檜造に漆を塗った大きな旅館――――-『躊仙楼』が其処にはあった。

目を見開いた私は吐息を漏らす。
「こんな所に」
閉じた両の手を開くと、掴んだ筈の雪虫の姿は無く数滴の雫のみが掌を濡らしていた。



そこから後の記憶は無い。
11/12/04 01:22更新 / ピトフーイ
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■作者メッセージ
後々エロい展開にしていきたいと思います

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