連載小説
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壱項:化かされて
遠くで樹氷が折れるのを聞き目を覚ます。
畳の敷き詰められた広い部屋の中に火鉢を炊いただけの簡素な寝床。
私は上半身を起こし居住まいを正す。荷物はと周囲を見回すと火から離れた所に置いてある。

「昨日―――-」
手を瞼に当て目を瞑る。ん?手足に白い布が巻かれている。

「よくお休みになりましたか旦那?」
静かに襖が開き女が入ってくる。傍らに何か盥の様なものを持っている。
どうやら露店に来た頭巾の女とは違う若い娘の様だ。

「ええ。よく眠れましたが…申し訳ない事に昨晩の記憶がありません。料金の方は…」
「安心して下さいよゥ。凍えて死にそうな顔した人から金を巻き上げたりなんかしてませんから」

からからと娘は笑う。
どうやら頭巾の女から話が通っているのだろう。となるとあの女は女将か何かだろうか。

「それにしても旦那。よくもまぁあンな雪の中いらしたもんですネ」
娘は盥を私の横に置くと火鉢に掛けてあった鉄鍋からお湯を組み入れ出した。
「指先なんか凍傷寸前でサ、ほら一寸手を出して下さいな」
娘に言われるがまま手を差し出すと丁寧に布を解き、ゆっくりと盥の中へと私の指を入れようとした。
「まっ、待ってくれ。熱いだろう、今湯を注いだばかりじゃないか」
「大丈夫ですよゥ。このお湯はさっき氷水を溶かしたンですから丁度いい塩梅なんで」
娘は私の手を掴むと強引に湯の中に浸した。心地よい じん、とした温かさが広がる。

「旦那。指を動かしてみて下さい。」
「こうか?」
「そうです。そうです。どうです旦那?気持ちいいでしょう?」

湯の中で私の手を揉んでくれているのだが、若い娘に間近で手を絡ませられるというのはどうにも落ち着かない。花柳色の着物に襷掛けをしただけの格好だが、肉付きがいい為か女性らしい線が衣服越しにも浮かんでいる。
「よし、じゃあサ旦那、今度は足の方を出して下さい」
「何?いや、あ、足はいい。」
「なんでです?足もちゃんと温めないと駄目ですよゥ?」
「い、いいから、足は自分でしとくから」
「そうですか?」
「そうです」

それじゃ私はこれで。と部屋を去る娘を見送り私は一息ついた。
知らぬ間に彼女の蓮っぱな喋り方に感化される様に口調が砕けていた事に気づく。
不思議な娘だ。
私はお湯が冷めぬうちに足を盥につけ同じように手で揉みしだいたが、
女のそれに比べ固く武骨な手が一抹の侘しさを齎した。




私は壁に掛けてあった着流しを拝借し寝巻の上から羽織ると廊下に出た。
火の焚いてあった部屋に比べ幾分か冷えたが存外寒くない。まだ朝が早いせいか他の客は寝静まっている。

とりあえずあの頭巾の女に会おう。本来なら昨日のうちに用は済ませていた筈だったのだ。
こちらばかり世話になりっ放しではこれから賃金をいただく身として申し訳ない。
早い所薬を渡さなければ。

どんっ

急いていたせいか横の襖から出て来た人にぶつかる。
相手は女だったようで軽くよろけている。
「これは…!大変失礼を。怪我は無いですかご婦人?」

手を差し出して言葉を失う。
障子の戸に凭れかかりながら私の手を握り返したのは目を見張る美女だった。年齢は昨日の例の女と同じくらいだろうか?均整のとれた面に長く細い首、艶やかな口元にはほくろが一つあり涼やかな目元と相まって扇情的である。
「えぇ。ご心配には及びません。こちらこそ急に飛び出したりして…」
「よ、よそ見していたので私の方も同じですよ。怪我がなくて何よりです」

私はしどろもどろになりながら言葉を探すがこの佳人の前ではどうにも次が紡げない。
どんな女相手であっても喋る事は職業柄得意なのだが。

「どうかなさりましたか?お客さん」

不意に男の声がして振り向くと袢纏を着た白髪の老人が立っている。私はハッとして女の手を離す。老人の身なりから察するに旅館の者なのだろう。廊下でいい歳した男女が見詰め合っているのだから不審に思ったのかもしれない。

「いえ一寸このご婦人と行き合ってしまいまして…所で貴方はこの旅館の――-」
「受付と案内をしております青と申します」
青?変わった名前だ。
「青…さん。実は私は昨日吹雪で困っていた所をこの旅館に助けられた者ですが。
 女将さんに私用がありまして…お会いできないでしょうか?」
白髪の翁は表情を変えぬまま口元を動かす。
「存じております。大雪で難儀されたとか。で、女将に用とは?」
「聞いていませんか?昨日市井で高麗人参の薬を届けると約束したのですが…」

青老人は不審な顔をして佳人と顔を見合わせている。
「あのお客さん、何かの間違いじゃないでしょうか?」
「間違い?」

間違いな筈があるものか。
そうでなければ『躊仙楼』という聞いた事もない旅館に足を運ぶ訳がない。
「いえ、確かに約束をしました。女将さんに会えば屹度」
「女将は妾(アタシ)です」

佳人が思案顔で言い放つ。
暫しの間硬直し私は合点がいった。
青老人の先刻の”お客様”とは私にのみ向けた問掛けだったのだ。
私は女将を探すうちに女将に行きついていたのか。しかし―――

「これは女将さんとは知らず失礼を、どうやら私の早合点だったようで…」

昨日の頭巾の女を女将と決めつけてしまっていた。
よく考えれば身形がいいだけで自分が女将だと口にしてはいない。
だが”私の家が旅館を経営”と語っていた所を思うと身内ではあるのだろう。
それを踏まえて眼前の正真正銘の女将に事の次第を伝える。

が、青老人から帰ってきた答えはさらに私を混乱させるものだった。

「うちの旅館には兄弟姉妹のいる者も、女将と同じ年格好の者もおりません」
「そんな…馬鹿な。で、では宿泊客の中にはどうです?妙齢の女性は?」

今度は女将が私を見据え静かに呟いた。
「ここに昨日から泊まっているお人は貴方様一人だけでございます」

11/12/04 01:22更新 / ピトフーイ
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■作者メッセージ
今回は全員図鑑内の魔物から作っていますが
正体をバラすまでかなり時間を有します

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