第三楽句〜初日は驚きと笑みと、そして少量の影を〜
歌劇場、と名乗っている割に、ここの施設の用途は多岐に渡っていた。
コンサートや歌劇を行うための多目的ホールが2つ、歌劇のみ行う劇場と、パーティーを開くためのダンスホール、ジパングの文化を反映させた宴会場が各1つある。
他にも、団体控え室が10部屋、個人の控え室がその倍の20部屋、まるでレストランにいると感じるくらい広いダイニングとキッチン、汗を流すための大浴場なんかもある。
「……ここ、本当に歌劇場……なのかな……?」
「う〜ん、アミィ達が舞台をやってるから歌劇場ってなってるけど、本当は街で唯一貸し出してる巨大多目的ホールなんだよ〜」
「なるほど、そっちの方が納得できるかな」
ポツリと呟いた僕の言葉に、律儀にもアミリちゃんは答えてくれた。
……僕の腕に抱きついて引っ張りながら。
……どうやら彼女は、相当人懐っこい性格らしく、案内してる間は、終始僕の腕を引っ張ったり、抱きついたりしてきている。
小さい外見ながらやはりそこは女の子。
僕は対応に困っていた。
「で、最後はここ!メリカおねぇちゃんの私室兼事務室だよ!」
いや、私室兼事務室って、落ち着かないんじゃないかな……
なんて思いながらも、僕はアミリちゃんと一緒にメリカさんの部屋に入るのだった。
「メリカおねぇちゃ〜ん、案内終わったよ〜?」
「うむ、ご苦労じゃったな。では、下がってていい……と言っても、お主も話を聞きたいよな」
「うん!おねぇちゃんと一緒におにぃさんのお話聞きたいよ!」
「はぁ、仕方が無いのぉ……では、奥の部屋にゆくぞ……ハーラデス殿、ついて来てくだされ」
「あ、はい」
事務室には、壁にたくさんの本棚があり、その中にはぎっしりと本が詰まっていた。
逆に20台くらいある事務机はすべて綺麗に整えられている。
そして心配していた兼用のことは、特に問題なかったようである。
事務室の隅の方に別の部屋につながる扉があり、メリカさんに案内されて入ってみると、そこにはソファーやベットなどの家具が揃い、しっかりとした彼女の私室があったのだ。
「さて、ハーラデス殿、立ち話では疲れるじゃろう、座ってくだされ」
「ありがとうございます」
「アミィも座る〜♪とうっ!」
メリカさんに促されて僕がソファーに座ると、アミリちゃんが待ってましたとばかりに僕の膝の上に飛び乗って座った。
「こらアミリ!ハーラデス殿に迷惑じゃろう!?」
「あ〜と、僕は大丈夫ですよ。重くないですし……でも、なんで乗るの?」
「乗るとふかふかしてそうだったからです!」
「僕の膝はクッションか何かなのかな……?」
「少なくともそれに近いものはあります!」
「そうなんだ……」
「まったく、お主というやつは……ハーラデス殿、申し訳ないが、少しの間我慢してくだされ。こやつはこうなるとわしの言うことさえ聞かぬのでな……」
「構いませんよ。別に邪魔でも苦でもありませんから」
ニコニコしながら僕の膝の上に座るアミリちゃんを見て、僕は少し困り顔をしながらも、特に迷惑でもないし、妹ができたみたいで可愛らしいため、とりあえずは咎めずにそのままでいさせてあげることにした。
そして、まったくお主は本当に自由に動き回るの……と、少し怒りながらも、諦観と呆れの混ざった表情をしているメリカさんをなだめて、話を始めた。
「……さて、そしたら、まずは自己紹介からですよね。僕はノザーワ・ハーラデス。一応、旅人です。……なんか皆さん知ってるみたいだけど、昔はピアノ演奏家をしてました。よろしくお願いします」
「うむ。ここでお主の名を知らぬやつはおらんよ。なんせ、皆お主のファンじゃからの。もちろん、わしも同じじゃ。……っと、自己紹介じゃったな。わしはメリカ・トート。ここ、娯楽と安らぎを主張教義はとする、トートサバトの代表じゃ」
「娯楽と安らぎ……この街にピッタリな、素敵な教義ですね」
「そう言ってくれるか。嬉しいのぉ」
「メリカおねぇちゃん、顔真っ赤っかだよ〜!」
「う、うるさいぞアミリ!」
音楽とはすなわち、人々に安らぎや楽しさ、幸せを伝える娯楽である。
この街の特性に合わせてそんな教義になったのだろうか?
ともかく、音楽を教義とし、また実際に活動しているここは、純粋に素晴らしいところだと思う。
そのことをつたえると、メリカさんは照れたようで、少し顔を赤くしていた。
と、そのことをアミリちゃんが指摘して、メリカさんを怒らせる。
…………って……
「そう言えば、君の名前は?」
「え?アミィの?」
「うん、君の。そういえば、まだ聞いてなかったんだよね」
「アミリお主、自己紹介してなかったのか……」
「ええっと……うん。やってなかった……」
「はぁ……ならわしから紹介しよう。こやつは宍倉 亜美理(ししくら・あみり)。トートサバトの一員で、最年少の魔女じゃ」
「なるほど。名前の響きからすると、ジパングの子なんだね」
「そぉなのです!亜美理です!よろしくですハーおにぃちゃん!」
「う、うん、よろしく、アミリちゃん」
さらに呆れたメリカさんが紹介した後で、アミリちゃんは器用にも僕の膝に乗ったままくるりと体を反転し、僕に抱きついてきた。
さらに、スリスリとお腹のあたりに頭を擦り付けられて、僕は恥ずかしいような困ったような顔になった。
本当に人懐こい、可愛い子だな……
……というか、ハーおにぃちゃんって……
なんとリアクションすればいいんだろうと困っていると、メリカさんが頭を擦り付けているアミリちゃんを注意する。
「アミリ、それ以上は暴れるな。ハーラデス殿が困っておるぞ」
「はぁい」
「なんというか、人懐っこい子ですね」
「まぁ、見た目と年齢にさほど差がないからな」
「え?そうなんですか?」
「うん!アミィはまだ14歳だよ!」
「え?」
「え?」
首を傾げる僕の真似をして、アミリちゃんも首を傾げる。
あー、と、少し困ったような顔をしてから、メリカさんは少し信じられないような顔をしている僕に頷いて説明する。
「驚く気持ちもわかるが、事実、こやつの年齢は14。ちと特殊な事情で魔女になっての。まぁ、そういうことだから、あまり詮索はしないでもらいたい」
「……わかりました」
「……ありがとう。さて、ハーラデス殿は、どうしてこの街に?」
「そうですね……母の、故郷だからでしょうか?」
「お母上……たしか、ハーラデス殿のピアノのお師匠で、2年前に……」
「はい。母が、良いところだと何度も話してましたから、地図でここの名前を見た時に、ここに行ってみたい、と……」
「なるほどの。とすると、一ヶ月はここに滞在を?」
「いえ、そんなに長くは留まるつもりはないですよ。せいぜい5日くらいでしょうね。あと、敬語は使わなくてもいいですよ」
「そうかの?わかった、そうしよう。……ふむ、5日か……母上の故郷に来たにしては、随分と早いの?少なくとも一週間は居そうなものじゃが……」
「まぁ、そこらへんは事情、みたいなものですよ。それに、そんなに長い期間ここでお世話になるつもりもないですしね……」
「むぅ、別にそこは気にせんでもいいのじゃが……」
「ねぇねぇハーおにぃちゃん」
「ん?何かな?」
僕とメリカさんが話していると、飽きたのか、アミリちゃんが僕の服の袖を引っ張って話しかけてきた。
「ハーおにぃちゃんは、もうピアノを弾かないの?」
「……うん、ごめんね。僕はもう、ピアノを弾けないんだ……」
「そうなんだ……むぅ、また聞きたかったなぁ、ハーおにぃちゃんのピアノ……」
「ごめんね……」
ガックリと残念そうにうなだれるアミリちゃんを見て、僕は申し訳ない気持ちになる。
正確には、弾けないのではなく、弾かないのだが、今の僕にとっては、大差ないことだ。
だって、僕がピアノを弾けば……
「……ああ、そういえば、ハーラデス殿の部屋の片付けを頼もうと思ったんじゃ。アミリ、頼めるかの?」
「え〜?アミィがやるのぉ?」
「文句を言うな。他のものは明日の劇の準備で忙しいんじゃ」
「うう……はぁい」
僕の気持ちが少し沈み始めると、メリカさんがアミリちゃんに、僕の泊まる部屋の片付けを頼んだ。
アミリちゃんは渋ったのだが、仕方がないといった感じで了承し、部屋から出ていった。
アミリちゃんがいなくなり、僕は少しだけ気が軽くなる。
まぁ、アミリちゃんが原因ってわけじゃないんだけど、あのままだったら、ちょっとキツかったからな……
なんて思っていると、メリカさんが口を開く。
「やはり、ハーラデス殿はもうピアノを弾けないのじゃな……」
「ええ、まぁ……」
「……あの事件が、原因かの……?」
「……ああ、知ってるんですか、あれを……」
「まぁ、の……わしもお主のファンなんじゃ。なぜお主が二年前に活動を止めたのか、知りたくて調べさせてもらったんじゃよ」
「……出来れば、他の人には……」
「ああ、言わんよ。約束しよう」
「……助かります」
僕が頭を下げると、メリカさんは頭を下げるほどのことではない。と、すぐに僕に頭を上げさせた。
「……っと、そういえば、明日って、メリカさん達の歌劇があるんですね」
「うむ。わしらは夏季と冬季に、一週間に一度のペースで劇を発表しておるのじゃ」
「へぇ……それは面白そうですね」
「む?なんだったら見てみるかの?しかも特等席で」
「え?いいんですか?」
「うむ。ただし、少しばかり働いてもらうがの」
「ええ、いいですよ。で、いったいなにをすればいいんですか?」
「ん、簡単じゃよ。アミリのお守りを頼みたいんじゃ」
「アミリちゃんの、お守り……ですか?」
「うむ、そうじゃ。劇中はアミリに構えないからの、出来れば、話し相手になって欲しいんじゃよ」
「……わかりました。それくらいなら、いくらでも出来ますよ」
「うむ、ありがとう。助かる。……あやつは淋しがりなわしらの妹じゃからの。大切なんじゃよ」
「……そうなんですか」
「メリカおねぇちゃ〜ん!ハーおにぃちゃんのお部屋の準備が出来たよ〜!」
いろいろと話しているうちに、アミリちゃんがまた部屋に戻ってきて、ピョンッ!とソファ越しに僕の首に腕を巻き、抱きついてきた。
それを見たメリカさんがまたアミリちゃんに注意しようとしたが、僕がいいですよ、と言って止めたのと、メリカさん本人が諦めたのもあって、大きく溜息をつくだけに終わった。
「うむ、ご苦労じゃったな。今の時間は……ふむ、もうすぐ6時か……そしたらハーラデス殿、とりあえず部屋に荷物を置きにいってくだされ。もうすぐ夕食の時間じゃから、片付けが終わる頃には夕食が出来ておろう」
「わかりました。では、失礼します」
「あ、アミィが案内するよ〜!」
「うん、よろしくね」
「アミリ、あまりハーラデスに迷惑をかけるでないぞ?」
「はぁい!」
そうして僕は、またアミリちゃんに案内をしてもらい、泊まる部屋に向かったのだった。
……きっとその時から、僕は優しい空気に浸りすぎて、忘れていたのだと思う。
…………自分が、追われているということに…………
コンサートや歌劇を行うための多目的ホールが2つ、歌劇のみ行う劇場と、パーティーを開くためのダンスホール、ジパングの文化を反映させた宴会場が各1つある。
他にも、団体控え室が10部屋、個人の控え室がその倍の20部屋、まるでレストランにいると感じるくらい広いダイニングとキッチン、汗を流すための大浴場なんかもある。
「……ここ、本当に歌劇場……なのかな……?」
「う〜ん、アミィ達が舞台をやってるから歌劇場ってなってるけど、本当は街で唯一貸し出してる巨大多目的ホールなんだよ〜」
「なるほど、そっちの方が納得できるかな」
ポツリと呟いた僕の言葉に、律儀にもアミリちゃんは答えてくれた。
……僕の腕に抱きついて引っ張りながら。
……どうやら彼女は、相当人懐っこい性格らしく、案内してる間は、終始僕の腕を引っ張ったり、抱きついたりしてきている。
小さい外見ながらやはりそこは女の子。
僕は対応に困っていた。
「で、最後はここ!メリカおねぇちゃんの私室兼事務室だよ!」
いや、私室兼事務室って、落ち着かないんじゃないかな……
なんて思いながらも、僕はアミリちゃんと一緒にメリカさんの部屋に入るのだった。
「メリカおねぇちゃ〜ん、案内終わったよ〜?」
「うむ、ご苦労じゃったな。では、下がってていい……と言っても、お主も話を聞きたいよな」
「うん!おねぇちゃんと一緒におにぃさんのお話聞きたいよ!」
「はぁ、仕方が無いのぉ……では、奥の部屋にゆくぞ……ハーラデス殿、ついて来てくだされ」
「あ、はい」
事務室には、壁にたくさんの本棚があり、その中にはぎっしりと本が詰まっていた。
逆に20台くらいある事務机はすべて綺麗に整えられている。
そして心配していた兼用のことは、特に問題なかったようである。
事務室の隅の方に別の部屋につながる扉があり、メリカさんに案内されて入ってみると、そこにはソファーやベットなどの家具が揃い、しっかりとした彼女の私室があったのだ。
「さて、ハーラデス殿、立ち話では疲れるじゃろう、座ってくだされ」
「ありがとうございます」
「アミィも座る〜♪とうっ!」
メリカさんに促されて僕がソファーに座ると、アミリちゃんが待ってましたとばかりに僕の膝の上に飛び乗って座った。
「こらアミリ!ハーラデス殿に迷惑じゃろう!?」
「あ〜と、僕は大丈夫ですよ。重くないですし……でも、なんで乗るの?」
「乗るとふかふかしてそうだったからです!」
「僕の膝はクッションか何かなのかな……?」
「少なくともそれに近いものはあります!」
「そうなんだ……」
「まったく、お主というやつは……ハーラデス殿、申し訳ないが、少しの間我慢してくだされ。こやつはこうなるとわしの言うことさえ聞かぬのでな……」
「構いませんよ。別に邪魔でも苦でもありませんから」
ニコニコしながら僕の膝の上に座るアミリちゃんを見て、僕は少し困り顔をしながらも、特に迷惑でもないし、妹ができたみたいで可愛らしいため、とりあえずは咎めずにそのままでいさせてあげることにした。
そして、まったくお主は本当に自由に動き回るの……と、少し怒りながらも、諦観と呆れの混ざった表情をしているメリカさんをなだめて、話を始めた。
「……さて、そしたら、まずは自己紹介からですよね。僕はノザーワ・ハーラデス。一応、旅人です。……なんか皆さん知ってるみたいだけど、昔はピアノ演奏家をしてました。よろしくお願いします」
「うむ。ここでお主の名を知らぬやつはおらんよ。なんせ、皆お主のファンじゃからの。もちろん、わしも同じじゃ。……っと、自己紹介じゃったな。わしはメリカ・トート。ここ、娯楽と安らぎを主張教義はとする、トートサバトの代表じゃ」
「娯楽と安らぎ……この街にピッタリな、素敵な教義ですね」
「そう言ってくれるか。嬉しいのぉ」
「メリカおねぇちゃん、顔真っ赤っかだよ〜!」
「う、うるさいぞアミリ!」
音楽とはすなわち、人々に安らぎや楽しさ、幸せを伝える娯楽である。
この街の特性に合わせてそんな教義になったのだろうか?
ともかく、音楽を教義とし、また実際に活動しているここは、純粋に素晴らしいところだと思う。
そのことをつたえると、メリカさんは照れたようで、少し顔を赤くしていた。
と、そのことをアミリちゃんが指摘して、メリカさんを怒らせる。
…………って……
「そう言えば、君の名前は?」
「え?アミィの?」
「うん、君の。そういえば、まだ聞いてなかったんだよね」
「アミリお主、自己紹介してなかったのか……」
「ええっと……うん。やってなかった……」
「はぁ……ならわしから紹介しよう。こやつは宍倉 亜美理(ししくら・あみり)。トートサバトの一員で、最年少の魔女じゃ」
「なるほど。名前の響きからすると、ジパングの子なんだね」
「そぉなのです!亜美理です!よろしくですハーおにぃちゃん!」
「う、うん、よろしく、アミリちゃん」
さらに呆れたメリカさんが紹介した後で、アミリちゃんは器用にも僕の膝に乗ったままくるりと体を反転し、僕に抱きついてきた。
さらに、スリスリとお腹のあたりに頭を擦り付けられて、僕は恥ずかしいような困ったような顔になった。
本当に人懐こい、可愛い子だな……
……というか、ハーおにぃちゃんって……
なんとリアクションすればいいんだろうと困っていると、メリカさんが頭を擦り付けているアミリちゃんを注意する。
「アミリ、それ以上は暴れるな。ハーラデス殿が困っておるぞ」
「はぁい」
「なんというか、人懐っこい子ですね」
「まぁ、見た目と年齢にさほど差がないからな」
「え?そうなんですか?」
「うん!アミィはまだ14歳だよ!」
「え?」
「え?」
首を傾げる僕の真似をして、アミリちゃんも首を傾げる。
あー、と、少し困ったような顔をしてから、メリカさんは少し信じられないような顔をしている僕に頷いて説明する。
「驚く気持ちもわかるが、事実、こやつの年齢は14。ちと特殊な事情で魔女になっての。まぁ、そういうことだから、あまり詮索はしないでもらいたい」
「……わかりました」
「……ありがとう。さて、ハーラデス殿は、どうしてこの街に?」
「そうですね……母の、故郷だからでしょうか?」
「お母上……たしか、ハーラデス殿のピアノのお師匠で、2年前に……」
「はい。母が、良いところだと何度も話してましたから、地図でここの名前を見た時に、ここに行ってみたい、と……」
「なるほどの。とすると、一ヶ月はここに滞在を?」
「いえ、そんなに長くは留まるつもりはないですよ。せいぜい5日くらいでしょうね。あと、敬語は使わなくてもいいですよ」
「そうかの?わかった、そうしよう。……ふむ、5日か……母上の故郷に来たにしては、随分と早いの?少なくとも一週間は居そうなものじゃが……」
「まぁ、そこらへんは事情、みたいなものですよ。それに、そんなに長い期間ここでお世話になるつもりもないですしね……」
「むぅ、別にそこは気にせんでもいいのじゃが……」
「ねぇねぇハーおにぃちゃん」
「ん?何かな?」
僕とメリカさんが話していると、飽きたのか、アミリちゃんが僕の服の袖を引っ張って話しかけてきた。
「ハーおにぃちゃんは、もうピアノを弾かないの?」
「……うん、ごめんね。僕はもう、ピアノを弾けないんだ……」
「そうなんだ……むぅ、また聞きたかったなぁ、ハーおにぃちゃんのピアノ……」
「ごめんね……」
ガックリと残念そうにうなだれるアミリちゃんを見て、僕は申し訳ない気持ちになる。
正確には、弾けないのではなく、弾かないのだが、今の僕にとっては、大差ないことだ。
だって、僕がピアノを弾けば……
「……ああ、そういえば、ハーラデス殿の部屋の片付けを頼もうと思ったんじゃ。アミリ、頼めるかの?」
「え〜?アミィがやるのぉ?」
「文句を言うな。他のものは明日の劇の準備で忙しいんじゃ」
「うう……はぁい」
僕の気持ちが少し沈み始めると、メリカさんがアミリちゃんに、僕の泊まる部屋の片付けを頼んだ。
アミリちゃんは渋ったのだが、仕方がないといった感じで了承し、部屋から出ていった。
アミリちゃんがいなくなり、僕は少しだけ気が軽くなる。
まぁ、アミリちゃんが原因ってわけじゃないんだけど、あのままだったら、ちょっとキツかったからな……
なんて思っていると、メリカさんが口を開く。
「やはり、ハーラデス殿はもうピアノを弾けないのじゃな……」
「ええ、まぁ……」
「……あの事件が、原因かの……?」
「……ああ、知ってるんですか、あれを……」
「まぁ、の……わしもお主のファンなんじゃ。なぜお主が二年前に活動を止めたのか、知りたくて調べさせてもらったんじゃよ」
「……出来れば、他の人には……」
「ああ、言わんよ。約束しよう」
「……助かります」
僕が頭を下げると、メリカさんは頭を下げるほどのことではない。と、すぐに僕に頭を上げさせた。
「……っと、そういえば、明日って、メリカさん達の歌劇があるんですね」
「うむ。わしらは夏季と冬季に、一週間に一度のペースで劇を発表しておるのじゃ」
「へぇ……それは面白そうですね」
「む?なんだったら見てみるかの?しかも特等席で」
「え?いいんですか?」
「うむ。ただし、少しばかり働いてもらうがの」
「ええ、いいですよ。で、いったいなにをすればいいんですか?」
「ん、簡単じゃよ。アミリのお守りを頼みたいんじゃ」
「アミリちゃんの、お守り……ですか?」
「うむ、そうじゃ。劇中はアミリに構えないからの、出来れば、話し相手になって欲しいんじゃよ」
「……わかりました。それくらいなら、いくらでも出来ますよ」
「うむ、ありがとう。助かる。……あやつは淋しがりなわしらの妹じゃからの。大切なんじゃよ」
「……そうなんですか」
「メリカおねぇちゃ〜ん!ハーおにぃちゃんのお部屋の準備が出来たよ〜!」
いろいろと話しているうちに、アミリちゃんがまた部屋に戻ってきて、ピョンッ!とソファ越しに僕の首に腕を巻き、抱きついてきた。
それを見たメリカさんがまたアミリちゃんに注意しようとしたが、僕がいいですよ、と言って止めたのと、メリカさん本人が諦めたのもあって、大きく溜息をつくだけに終わった。
「うむ、ご苦労じゃったな。今の時間は……ふむ、もうすぐ6時か……そしたらハーラデス殿、とりあえず部屋に荷物を置きにいってくだされ。もうすぐ夕食の時間じゃから、片付けが終わる頃には夕食が出来ておろう」
「わかりました。では、失礼します」
「あ、アミィが案内するよ〜!」
「うん、よろしくね」
「アミリ、あまりハーラデスに迷惑をかけるでないぞ?」
「はぁい!」
そうして僕は、またアミリちゃんに案内をしてもらい、泊まる部屋に向かったのだった。
……きっとその時から、僕は優しい空気に浸りすぎて、忘れていたのだと思う。
…………自分が、追われているということに…………
11/06/16 22:12更新 / 星村 空理
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