前編
ーーーーーー
陽も高い真昼間にも関わらず、光も碌に差さない深山の中、その笠を被った人物は琵琶を背負い、杖を片手にゆっくりと歩いていた。
本当にゆっくりと、牛歩のように。色の薄い唇から、か細い和歌を何度も何度も詠みながら。
「あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…今ひとたびの…あふこともがな…。あらざらむ…この世のほかの」
「おい、そこのアンタ。」
突然、道とも言えぬ獣道を進む彼の前に、一人のウシオニが樹を折りながら立ち塞がり、彼は足を止めた。
「アタシの縄張りで辛気臭い歌なんざ詠んでんじゃないよ。こっちの気が滅入っちまう。」
「………………。」
彼の前に立ち塞がったウシオニは、腕を組みながら彼に凄む。
しかし、彼はウシオニが出て来た時の状態から一向に身体を動かさないでいた。
「…何だい、アタシの姿が怖いのかい?悪かったねぇ、人間の美人じゃあなくて。」
「ほう?人じゃあ無いのかい?」
「あ?」
ウシオニは彼の笑う口元と言動に疑問を抱き、彼に近付いて笠を軽く持ち上げる。
本来ならウシオニの姿を彼に写し、彼の恐怖の色をウシオニに映す筈の彼の眼は、暗い紫色の布に覆われていた。
「…………。」
「…何だ?眼無しゃあ、初めてか?」
「……………。」
「悪かったなぁ。何か詠ってねぇと、調子が出ねぇんだ。」
彼はそう言うと、手探りながらも笠を持つウシオニの手にそっと触れる。
そして、ウシオニの硬い指、毛の生えた掌、同様の肘までを順に優しく触っていった。
「…ウシオニか。」
「分かるのかい?」
「眼が空き家になって久しいから、な。もしや、違ったか?」
「いいや合ってるよ。アタシはウシオニさ。」
そのウシオニの言葉を受け、一瞬不安そうな声色をした彼は嬉しそうに笑う。
「はっはっはっは…!そうか、そうか。合っていたなら、何よりだ。…いや待てよ。なら、私はこのまま犯されちまうのか?」
「そうしようかと思ったんだけどね、その気も無くなっちまったよ。」
「そうか、なら良かった。」
彼はまたくつくつと笑いながら、笠からウシオニの手をゆっくりと離し、また杖をついてウシオニの横を歩き始めた。
「次は気をつける、邪魔したな。」
杖をついてない方の手を振り上げ、ウシオニに別れを告げる。
「待ちなよ。」
不意に、ウシオニが彼の背中に声を掛けた。
「…あんだい?」
「あんた、これから何処へ?」
「……次の村、かね。まぁ、あればの話さ。」
そう言って、彼はまた止めた足を再び進めていく。
しかし突然、彼の身体は宙に浮き、いつの間にか彼の脚は、硬い地面ではなく凸型のふかふかしたウシオニの尾を捉えていた。
「乗ってきな。送ってってやる。」
「…今のは、久々に肝が冷えたよ。」
言葉を受けるも彼は緊張を解かなかったが、ウシオニが黙って下り道を歩き出すのを振動と風で察知すると、安堵するように胡座をかいた。
「………そう言えば、名を名乗っていなかったな。私はゼン、語り部のゼンだ。」
「……アタシは、野萩(のはぎ)。」
「野萩、か…いい名だ。」
「ありがとね。」
その言葉を最後に、山は暫く静寂に包まれる。
山道を相当進んだ時、先に空気を破ったのはゼンだった。
「…随分と優しいじゃねぇか、魔物の…や、ウシオニの癖によ。」
「…アタシだって、盲目を無闇に襲う程、腐っちゃいないさ。」
「ぷっ…。」
「あ?」
「はっはっはっはっは!あっはっはっはっは!」
突然、豪快に膝を叩きながらゼンは山の無音をかき乱して行く。
「な、何だい…急に笑い出し」
「笑わずになど、いられるものか!魔物と言えば、是非等なく男を獲り、精を貪るのが至極当然だろう!!それをお前は…くくっ…あっはっはっはっは…!」
「…〜ッ!勝手に言ってな!」
未だ連なる山々にこだまする音量で笑い続けるゼンを文字通り背に、顔を真っ赤にした野萩は、残りの道を蜘蛛の脚でずかずかと進んで行くのであった。
ーーーーーー
「ほら、ここを真っ直ぐ行けば村だよ。」
「そうか、ありがとう。」
木々は開き、少し先に集落が見える道の上に、ゼンは慎重に降り立った。
「世話んなったな、野萩。」
「気にするんじゃないよ、釣りが出るくらい笑ってたじゃないか。」
「悪かったって……。」
皮肉を返され、ゼンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「はははっ。良いよ、あんたのその顏でチャラにしてやる。」
「……あんがとよ。」
ゼンは仄かに顏を赤らめながら、笠を深く被り直す。そして、野萩からほんの少し顏を逸らして集落に耳を傾けた。
「…うん、うん……。どうやら、中々栄えた村のようだ。」
「……………。」
「…さて、そろそろ私は行くとするよ。達者でな。」
後ろ手を野萩に向かって振り、二、三度杖で前を確かめながら、また牛歩のように歩みを進めていく。
「な、なぁ…!ゼン!」
「あン?」
笑われた時よりも顏を赤くしながら、野萩はまたゼンの背中に声を掛ける。
「帰りは…いつ、通る?また、乗っけてやっからさ…。教えて」
「や、もう通らねぇよ。」
振り返りながら言う、思いもよらぬゼンの言葉に、野萩は石のように固まった。
何故。どうして。自分が何か気に障る事でも言っただろうか。まさか、自分が魔物だから…?
野萩の中に、幾つもの考えが泡のように浮かんでは、消える。
「ま、まさか…まだアタシが襲うとでも思ってんのかい!?見損なうんじゃな」
「先刻言ったろ、私は『語り部』だって。飽きられては飯が食えないからな、出来るだけ同じ道は辿らんのだ。」
「………そっか。」
野萩は自分の懸念が、懸念で済んだ事に安堵した。そして、同時に理解してしまった。本当にもう二度とゼンはこの道を通らない、という事を。
「……元気、でね。」
拳を握りしめながら、野萩は言いたくない一言を喉の奥から絞り出す。
「お前こそ。数刻だったが、随分楽しかったよ。じゃあな。」
「………うん。……あっ。」
野萩の声が聞こえなかったのか、そのまま身体を麓に向け、ゼンはまた野萩に会う前と同じ速度で、同じ歌を詠いながら歩み始めた。
「あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…今ひとたびの…あふこともがな…。あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…。」
「……………。」
ゆっくりと、だが、着実に離れていくゼンの背中。その背で揺れる琵琶を、野萩は言いかけた言葉を飲み込んでただただ黙って見送っていった。
ーーーーーー
「今ひとたびの…っとォ。」
野萩から別れて半刻、ゼンは山から見えていた集落に辿り着いていた。陽は既に傾き始め、少々整備された程度の村の道には人や魔物が疎らに残るばかりとなっている。
それを声や足音で察知しながら、ゼンは商売に使う、いつもの文句を呟いていく。
「西から〜東へ〜幾万里ィ〜…。今も〜昔も〜法螺を吹くゥ〜…。騙る〜語り部ェ〜…。欲しけりゃ寄ってこ〜い…。」
「あら良い男、ダンナには劣るけど。ねぇ、良かったらウチでダンナと娘等にその法螺話、話して行ってやってよ。」
「へい、毎度。」
通りすがったアオオニに声を掛けられ、ゼンはニッコリと笑った。
…………………………………
「ーー哀れ佐吉は蔵の中ァ、ねんごろねんごろ又裂き猫にィ、猫ッ可愛がらちまったとさァ。」
言葉尻に琵琶が掻き鳴らされ、此度最後の話が締め括られる。
ゼンが座ったままお辞儀をするのとほぼ同時に、彼方此方から拍手喝采が沸き起こった。
件のアオオニとその家族に聞かせる筈だった法螺話は、壁伝いに聞いていた隣人から始まり、村の人間を殆ど集めるにまで至っていた。
「…宴もたけなわでは御座いますが、今宵はこれにて、終幕とさせて頂きます。本日はこの様な流しの法螺話、静聴有難う御座いました。」
「よっ、語り部長者!」
「面白かったよー!!」
「へへへっ、そいつぁどうも。では、厚かましくは御座いますが、お気に入り頂けましたらこの笠に…。」
気恥ずかしそうに笑うゼンが、この村に来るまで被っていた笠を前に差し出すと、村の人々は次々と銭を投げ込んで行く。
見る見るうちに、笠の底が銭で埋まって行った。
「明日も是非、話しておくれよー!」
「全くだー!楽しみにしてっからさー!」
アオオニ家の玄関まで出て、ゼンはわざわざ聞きに来てくれた村の人間を見送る。傾いていた陽はいつの間にか暮れ、空には星が眩いばかり。気温で夜半であるとだけ感じ取りながら振り返り、杖で前を確かめつつ、ゼンは語っている間座っていた土と床の仕切りの段に腰掛けた。
「いやぁ流石、上手ぇもんだよな。」
「本当本当、聞き惚れちまったよ。」
「それしか能がないもので。」
話しかけて来たアオオニ夫妻に笑いかけながら、ゼンは手探りで笠を探し出し、中に投げ込まれた銭の手触りを手掛かりにしつつ種類別に仕分けて行く。
「なぁお前さん、今日はウチに泊まって行きなよ。夜は危ないしさ。」
「そいつぁ良い!何なら、今から宴でもやろう!」
アオオニ夫妻の提案を受け、ゼンは一瞬無い目を見開いた。
「いや申し訳ないが、私は根無し草なもんで…。あまり一つ所に長居は出来んのです。」
「えー…。」
「すみません。」
あからさまに残念そうな声を上げるアオオニの夫に、ゼンは頬を軽く掻きながら仕分けた銭を腰に提げた別々の小袋に入れていく。そして笠を被り直し、草履の緒を整えて立ち上がった。
「……ま、仕方ねぇか。」
「でもアンタ……。」
「兄さんには兄さんの都合ってもんがあらぁ。もしかしたら、あんまり引き止めんのは迷惑かもしんねぇだろ?」
「お気遣いどうもありがとうございます。では、私はこれで…。」
手探りに家の戸を掴み、肌寒くなった夜道へ足を出す。しきりに声を掛けるアオオニの家族に偶に振り返りながら手を振りつつ、ゼンはその村を後にした。
陽も高い真昼間にも関わらず、光も碌に差さない深山の中、その笠を被った人物は琵琶を背負い、杖を片手にゆっくりと歩いていた。
本当にゆっくりと、牛歩のように。色の薄い唇から、か細い和歌を何度も何度も詠みながら。
「あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…今ひとたびの…あふこともがな…。あらざらむ…この世のほかの」
「おい、そこのアンタ。」
突然、道とも言えぬ獣道を進む彼の前に、一人のウシオニが樹を折りながら立ち塞がり、彼は足を止めた。
「アタシの縄張りで辛気臭い歌なんざ詠んでんじゃないよ。こっちの気が滅入っちまう。」
「………………。」
彼の前に立ち塞がったウシオニは、腕を組みながら彼に凄む。
しかし、彼はウシオニが出て来た時の状態から一向に身体を動かさないでいた。
「…何だい、アタシの姿が怖いのかい?悪かったねぇ、人間の美人じゃあなくて。」
「ほう?人じゃあ無いのかい?」
「あ?」
ウシオニは彼の笑う口元と言動に疑問を抱き、彼に近付いて笠を軽く持ち上げる。
本来ならウシオニの姿を彼に写し、彼の恐怖の色をウシオニに映す筈の彼の眼は、暗い紫色の布に覆われていた。
「…………。」
「…何だ?眼無しゃあ、初めてか?」
「……………。」
「悪かったなぁ。何か詠ってねぇと、調子が出ねぇんだ。」
彼はそう言うと、手探りながらも笠を持つウシオニの手にそっと触れる。
そして、ウシオニの硬い指、毛の生えた掌、同様の肘までを順に優しく触っていった。
「…ウシオニか。」
「分かるのかい?」
「眼が空き家になって久しいから、な。もしや、違ったか?」
「いいや合ってるよ。アタシはウシオニさ。」
そのウシオニの言葉を受け、一瞬不安そうな声色をした彼は嬉しそうに笑う。
「はっはっはっは…!そうか、そうか。合っていたなら、何よりだ。…いや待てよ。なら、私はこのまま犯されちまうのか?」
「そうしようかと思ったんだけどね、その気も無くなっちまったよ。」
「そうか、なら良かった。」
彼はまたくつくつと笑いながら、笠からウシオニの手をゆっくりと離し、また杖をついてウシオニの横を歩き始めた。
「次は気をつける、邪魔したな。」
杖をついてない方の手を振り上げ、ウシオニに別れを告げる。
「待ちなよ。」
不意に、ウシオニが彼の背中に声を掛けた。
「…あんだい?」
「あんた、これから何処へ?」
「……次の村、かね。まぁ、あればの話さ。」
そう言って、彼はまた止めた足を再び進めていく。
しかし突然、彼の身体は宙に浮き、いつの間にか彼の脚は、硬い地面ではなく凸型のふかふかしたウシオニの尾を捉えていた。
「乗ってきな。送ってってやる。」
「…今のは、久々に肝が冷えたよ。」
言葉を受けるも彼は緊張を解かなかったが、ウシオニが黙って下り道を歩き出すのを振動と風で察知すると、安堵するように胡座をかいた。
「………そう言えば、名を名乗っていなかったな。私はゼン、語り部のゼンだ。」
「……アタシは、野萩(のはぎ)。」
「野萩、か…いい名だ。」
「ありがとね。」
その言葉を最後に、山は暫く静寂に包まれる。
山道を相当進んだ時、先に空気を破ったのはゼンだった。
「…随分と優しいじゃねぇか、魔物の…や、ウシオニの癖によ。」
「…アタシだって、盲目を無闇に襲う程、腐っちゃいないさ。」
「ぷっ…。」
「あ?」
「はっはっはっはっは!あっはっはっはっは!」
突然、豪快に膝を叩きながらゼンは山の無音をかき乱して行く。
「な、何だい…急に笑い出し」
「笑わずになど、いられるものか!魔物と言えば、是非等なく男を獲り、精を貪るのが至極当然だろう!!それをお前は…くくっ…あっはっはっはっは…!」
「…〜ッ!勝手に言ってな!」
未だ連なる山々にこだまする音量で笑い続けるゼンを文字通り背に、顔を真っ赤にした野萩は、残りの道を蜘蛛の脚でずかずかと進んで行くのであった。
ーーーーーー
「ほら、ここを真っ直ぐ行けば村だよ。」
「そうか、ありがとう。」
木々は開き、少し先に集落が見える道の上に、ゼンは慎重に降り立った。
「世話んなったな、野萩。」
「気にするんじゃないよ、釣りが出るくらい笑ってたじゃないか。」
「悪かったって……。」
皮肉を返され、ゼンはバツが悪そうに頭を掻いた。
「はははっ。良いよ、あんたのその顏でチャラにしてやる。」
「……あんがとよ。」
ゼンは仄かに顏を赤らめながら、笠を深く被り直す。そして、野萩からほんの少し顏を逸らして集落に耳を傾けた。
「…うん、うん……。どうやら、中々栄えた村のようだ。」
「……………。」
「…さて、そろそろ私は行くとするよ。達者でな。」
後ろ手を野萩に向かって振り、二、三度杖で前を確かめながら、また牛歩のように歩みを進めていく。
「な、なぁ…!ゼン!」
「あン?」
笑われた時よりも顏を赤くしながら、野萩はまたゼンの背中に声を掛ける。
「帰りは…いつ、通る?また、乗っけてやっからさ…。教えて」
「や、もう通らねぇよ。」
振り返りながら言う、思いもよらぬゼンの言葉に、野萩は石のように固まった。
何故。どうして。自分が何か気に障る事でも言っただろうか。まさか、自分が魔物だから…?
野萩の中に、幾つもの考えが泡のように浮かんでは、消える。
「ま、まさか…まだアタシが襲うとでも思ってんのかい!?見損なうんじゃな」
「先刻言ったろ、私は『語り部』だって。飽きられては飯が食えないからな、出来るだけ同じ道は辿らんのだ。」
「………そっか。」
野萩は自分の懸念が、懸念で済んだ事に安堵した。そして、同時に理解してしまった。本当にもう二度とゼンはこの道を通らない、という事を。
「……元気、でね。」
拳を握りしめながら、野萩は言いたくない一言を喉の奥から絞り出す。
「お前こそ。数刻だったが、随分楽しかったよ。じゃあな。」
「………うん。……あっ。」
野萩の声が聞こえなかったのか、そのまま身体を麓に向け、ゼンはまた野萩に会う前と同じ速度で、同じ歌を詠いながら歩み始めた。
「あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…今ひとたびの…あふこともがな…。あらざらむ…この世のほかの…思ひでに…。」
「……………。」
ゆっくりと、だが、着実に離れていくゼンの背中。その背で揺れる琵琶を、野萩は言いかけた言葉を飲み込んでただただ黙って見送っていった。
ーーーーーー
「今ひとたびの…っとォ。」
野萩から別れて半刻、ゼンは山から見えていた集落に辿り着いていた。陽は既に傾き始め、少々整備された程度の村の道には人や魔物が疎らに残るばかりとなっている。
それを声や足音で察知しながら、ゼンは商売に使う、いつもの文句を呟いていく。
「西から〜東へ〜幾万里ィ〜…。今も〜昔も〜法螺を吹くゥ〜…。騙る〜語り部ェ〜…。欲しけりゃ寄ってこ〜い…。」
「あら良い男、ダンナには劣るけど。ねぇ、良かったらウチでダンナと娘等にその法螺話、話して行ってやってよ。」
「へい、毎度。」
通りすがったアオオニに声を掛けられ、ゼンはニッコリと笑った。
…………………………………
「ーー哀れ佐吉は蔵の中ァ、ねんごろねんごろ又裂き猫にィ、猫ッ可愛がらちまったとさァ。」
言葉尻に琵琶が掻き鳴らされ、此度最後の話が締め括られる。
ゼンが座ったままお辞儀をするのとほぼ同時に、彼方此方から拍手喝采が沸き起こった。
件のアオオニとその家族に聞かせる筈だった法螺話は、壁伝いに聞いていた隣人から始まり、村の人間を殆ど集めるにまで至っていた。
「…宴もたけなわでは御座いますが、今宵はこれにて、終幕とさせて頂きます。本日はこの様な流しの法螺話、静聴有難う御座いました。」
「よっ、語り部長者!」
「面白かったよー!!」
「へへへっ、そいつぁどうも。では、厚かましくは御座いますが、お気に入り頂けましたらこの笠に…。」
気恥ずかしそうに笑うゼンが、この村に来るまで被っていた笠を前に差し出すと、村の人々は次々と銭を投げ込んで行く。
見る見るうちに、笠の底が銭で埋まって行った。
「明日も是非、話しておくれよー!」
「全くだー!楽しみにしてっからさー!」
アオオニ家の玄関まで出て、ゼンはわざわざ聞きに来てくれた村の人間を見送る。傾いていた陽はいつの間にか暮れ、空には星が眩いばかり。気温で夜半であるとだけ感じ取りながら振り返り、杖で前を確かめつつ、ゼンは語っている間座っていた土と床の仕切りの段に腰掛けた。
「いやぁ流石、上手ぇもんだよな。」
「本当本当、聞き惚れちまったよ。」
「それしか能がないもので。」
話しかけて来たアオオニ夫妻に笑いかけながら、ゼンは手探りで笠を探し出し、中に投げ込まれた銭の手触りを手掛かりにしつつ種類別に仕分けて行く。
「なぁお前さん、今日はウチに泊まって行きなよ。夜は危ないしさ。」
「そいつぁ良い!何なら、今から宴でもやろう!」
アオオニ夫妻の提案を受け、ゼンは一瞬無い目を見開いた。
「いや申し訳ないが、私は根無し草なもんで…。あまり一つ所に長居は出来んのです。」
「えー…。」
「すみません。」
あからさまに残念そうな声を上げるアオオニの夫に、ゼンは頬を軽く掻きながら仕分けた銭を腰に提げた別々の小袋に入れていく。そして笠を被り直し、草履の緒を整えて立ち上がった。
「……ま、仕方ねぇか。」
「でもアンタ……。」
「兄さんには兄さんの都合ってもんがあらぁ。もしかしたら、あんまり引き止めんのは迷惑かもしんねぇだろ?」
「お気遣いどうもありがとうございます。では、私はこれで…。」
手探りに家の戸を掴み、肌寒くなった夜道へ足を出す。しきりに声を掛けるアオオニの家族に偶に振り返りながら手を振りつつ、ゼンはその村を後にした。
15/07/14 11:51更新 / 一文字@目指せ月3
戻る
次へ