壱 濡女子 後篇
――――――里
時刻は夕刻。既に日は傾き、空は朱に染まっていた。里の人間たちもそれぞれの家へと帰り、夕食の準備を始めている。
そんな大通りを「一つ」の影が歩いてゆく。
「夕焼〜け小焼け〜の〜、赤と〜ん〜ぼ〜♪」
「・・・ふふっ。」
始めて里に来れた事と、父親に色々買って貰い癒雨は上機嫌に風車を右手で持ちながら父親の頭上で歌を唄う。そんな癒雨を微笑ましそうに肩車をする奇縁。
「追われ〜て見たの〜は〜、いつの〜日〜・・・あれ?」
「ん?どうした?」
「・・・・・・。」
突然、唄うのを止めて黙り込む癒雨。そんな娘に少し心配になった奇縁は娘を肩から下ろし抱っこをする。それに気付かないほど集中しているのか、癒雨は大通りのとある一点を見つめていた。
そこは奇縁と深雨が出会ったあの柳の木。
「・・・怖いのか?なら、少し遠回りをして」
「お父さん、あそこに何か居ますよ?」
「ん?」
娘が風車を持っていない手で指差す方向を見ると、そこには確かに「何か」が居た。奇縁も気になり「それ」に近付くと、「それ」は頭を押さえながら小さく蹲って震えている黒いネコマタであった。ネコマタ・・・と言っても猫の形をしていない。つまり、「人の姿で震えていた」のである。
「・・・癒雨、一旦降りなさい。」
「・・・はい。」
奇縁は真剣な顔で癒雨を降ろすと、徐にネコマタに近付いた。
「そこなネコマタ。」
「・・・ひぃっ!?」
落ち着いた奇縁の声に対し、ネコマタは後ろから話し掛けられた所為なのか、尻尾の毛は全て逆立ちその黒い毛並みの小さな体が跳ねるほど驚いた。
「・・・な、ななななな・・・何?・・・!!」
怯えた様子で奇縁を見上げる。その顔は癒雨と同じ位の年頃であろうか。まだ幼さの強い顔をしている。しかし頬や額は赤く腫れていた。ネコマタは奇縁の姿を見るなり表情を恐怖一色にして狂ったように泣きながら捲くし立て始めた。
「い、いやぁあああっ!ころさんでえええ!うら、なにもしてへん!!なにもしてへんからぁああああ!!」
「お、おい・・・。」
「ぼうでなぐられんのもあしでけられんのもいやや!!もう、かんにんしてぇえええええ!!」
泣いているネコマタのその目には光が無かった。いや、消えたばかりなのだろう。ほんの少しだけ、目の奥に淡く、今にも消え入りそうな光が見えた。
奇縁にはその目に見覚えがあった。形は違えど奇縁にとってほんの数年前までの自分が、目の前に居た。
「ほら、おいで・・・。」
「いやあああああああ!こんといてえええええ!」
「・・・っ!」
突然、差し出した奇縁の手に痛みが走った。何かをされると思ったネコマタが爪で引っ掻いたのだ。
傷口から血が垂れ、地に落ちる。
「お父さんっ!」
「大丈夫だ癒雨、下がってなさい。」
「は、はい・・・。」
心配した癒雨が父親に駆け寄ろうとするも、その父親に止められる。癒雨はどうすればいいのか分からず、その場で立ち尽くした。
「・・・・・・。」
「いやっ、やめてええええ!!いたいのもこわいのもやめてぇええええええええええ!!」
「・・・・・・!!」
奇縁が優しく抱き上げてやるも、ネコマタは尚も逃れようと暴れる。腕や胸が鋭い爪で引っ掻かれて服が破れ、血だらけになる。それでも奇縁は我が子の様に優しくネコマタを抱きしめた。
「・・・もう、大丈夫だ。」
「ふえ?」
痛みを堪えながらの奇縁の言葉が予想外だったのか、ネコマタは動きを止めた。幼く小さなネコマタの体を優しく、しかし先程よりも確りと抱き寄せる。
「・・・もう、大丈夫だ・・・!」
「・・・?」
不意に、ネコマタの耳に何かが落ちてきた。その正体を確かめようと抱き上げてきた男性を見上げると、泣いていた。
「ごめんな・・・。」
「へ?」
「辛かったよなぁ・・・!痛かったよなぁ・・・!恐かったよなぁ・・・!」
奇縁は涙を流しながら、胸の中に居る小さな「自分」にそう言った。無論、胸の中に居るのが幼い頃の「自分」ではないことは奇縁も良く分かっていた。しかしこのネコマタを見ていると何故か昔の自分と同じだと、そう思ってしまう。
「なんで、ないてるん・・・?うら、ねこまたやで・・・?くろねこなんやで・・・?」
「ここが、魔物に厳しいのは俺の所為なんだよなぁ・・・!ごめんなぁ・・・!」
「・・・?」
ネコマタは何を言っているのか分からない、と言った表情で奇縁を見つめる。しかし、自分のために泣いてくれているという事実がネコマタの胸を暖かいもので包んだ。
「ふゃ・・・。」
「ごめんなぁ・・・!」
「ふゃああああああああん!」
山に住む奇妙な退魔師の謝る声と、独りだったネコマタの泣き声があの時と同じ、人通りの無い夕暮れの大通りに小さく響いた。
◆
一通り泣いた後、ネコマタは無き疲れて眠ってしまった。同じく泣いていた奇縁は心配して途中から同じように泣きじゃくってしまった娘を慰めていた。
「おと、お父さああああん!」
「あ〜ごめんごめん。心配かけたなぁ?」
「ひっく・・・おと・・・ひっく・・・うさぁん。」
「よ〜しよし・・・。」
奇縁は屈みながら空いている右手で、未だ泣き止まない娘の頭を抱き寄せる。すると、強請る様な目線で癒雨が父親を見る。その目線で強請る内容を察して、抱き寄せていた腕で娘を抱き上げた。
「んにゅ・・・。」
「お、起きたか。」
どうやら癒雨の泣きじゃくる声と動いた事により、ネコマタが目を覚ましてしまったようだ。
「ふゃ・・・?」
「落ち着いたか?」
「・・・・・・。・・・あ。」
ネコマタは黙って小さく頷いた。そして、奇縁の破れてぼろぼろになった衣冠を見て小さな体を更に小さくちぢこませてしまった。
「・・・ごめんなさい。」
「ん?いいんだいいんだ。気にするな。」
「・・・でも、でもうら・・・。」
「名前は?」
「ふぇ?」
破れた衣冠から話を逸らそうと奇縁がネコマタに名前を訊く。
「・・・宵。」
「宵か。いい名前だな。俺の名前は奇縁、き・え・ん。」
「・・・き・え・ん?」
「そう。・・・なあ、宵。」
「・・・?」
宵が外見相応のつぶらな目で奇縁を見つめる。
「もしお前がいいなら、うちに娘として来ないか?」
「ふぇ・・・?」
「嫌か?」
「・・・いいのん?うら、ねこまたやで・・・?くろねこなんやで・・・?ふきつなんやで・・・?」
「不吉でも何でもどんと来い、だ。基、俺は退魔師だしな。」
「ええのん!?ほんとにええのん!?」
「ああ、もちろん。」
「ほんと!?ほんとにほんと!?」
「ああ。」
目を爛々と輝かせ、嬉しそうに一対の尻尾を振る宵ににこりと微笑む奇縁。
「私の名前は癒雨っていうの。よろしくね、宵ちゃん。」
「うん、よろしゅう!ゆうおねえちゃん!」
「お、お姉ちゃん!?」
「だってうらよりおとうさんのうちにおんねやろ?せやったらうらのおねえちゃんや!」
「お、お姉ちゃん・・・・。」
生まれて初めての事に、戸惑いを隠せない癒雨。そんな癒雨を奇縁は温かい目で見下ろす。
と、その時不意に奇縁は殺気を感知した。それは自分にではなく、腕の中に居る二人の娘への殺意。
「癒雨、宵、降りなさい。」
「へ?」
「ふえ?」
二人を降ろした瞬間、何処からとも無く炎の塊が雨のように奇縁たちの降り注いだ。
「ふやぁ!?」
「きゃあ!?」
二人は驚いて奇縁の袴の後ろに隠れる。炎の塊が奇縁たちを取り囲むと同時に、誰か男の声が聞こえ始めた。
「おいおい・・・。奇縁ともあろうお方が、何『魔』である妖怪連れてんだ?あぁん?」
「この術・・・お前。」
突然降り注いだ炎にも臆する事無く目の前の炎の一点を睨み付ける。するとその部分の炎が揺らぎ、奇縁と同じような衣冠を着た男が現れた。しかし奇縁のそれとは違い、衣冠は燃える様な真紅で染められていた。
「ああ、知っての通り俺だよ。」
「・・・荒縁(こうえん)、何しに来た?」
「最近本家に通達が来ねぇから、直々に見て来いってジジィがよ。・・・それより。」
「何だ?」
「奇縁、てめぇ魔物の子供なんざ連れやがって・・・。キッチリとした理由はあんだろうな!あぁ!?」
「「ひっ!?」」
「・・・・・・。」
ドスの聞いた声で荒縁が奇縁を睨めつける。元々の眼つきの悪さも相まっての迫力に、袴の後ろから覗いていた癒雨と宵は怯えて顔を奇縁の袴の後ろへ隠した。
「はぁ・・・お前少しは考えやがれ。子供達が怯えてるだろ・・・。」
「あぁ?子供達ぃ?」
言葉を聴いた途端、荒縁の左腕が周りの焔に負けず劣らず燃え盛り始めた。その様子を、冷ややかな視線で奇縁が見る。
「手前ぇ・・・。意味分かって言ってんのか・・・!?」
「もちろんだ。」
「・・・・・・。」
荒縁は黙って奇縁を見つめ始めた。奇縁も黙ったまま、いつでも戦えると言った視線で荒縁をにらみ続ける。
「・・・ぷっ。」
「・・・くくっ。」
「「あっはははははははははは!!」」
突然、大笑いし始めた二人。奇縁の足元に居る子供達は何が起きているのか分からずに頭に疑問符を浮べていた。
「ははは、はぁ〜・・・。」
「ふぅ〜・・・。」
「お父さん?」
おずおず、と言った様子で癒雨が奇縁の事を見上げる。宵は恐がって奇縁の足に確りとしがみ付いて震え、目を硬く閉じていた。
「癒雨、宵、あの人はお父さんの従兄弟で荒縁というんだ。・・・ほら宵、目を開けなさい。」
「いややぁ、こわいぃ・・・。」
小さな体を震わせながら、頑なに目を閉じ続ける宵。そんな宵に、荒縁は苦虫を噛み潰したような顔をする。その腕には既に、焔は無かった。
「おいおい、俺ぁ化けもんかよ・・・。」
「似た様なものだろう?」
「てめぇ!」
「ふふっ・・・冗談だ。・・・宵、怖くないから開けてみなさい。」
奇縁は冗談を言いながら、宵に目を開けるよう促す。するとまだ荒縁が恐ろしいのか、宵は片目だけを薄く開いた。しかし、先程の荒縁の姿を思い出したのかすぐに閉じてしまった。
「・・・あ、あの・・・。」
「ん?」
荒縁が声のした下を向くと、深く青い髪をした先程奇縁に癒雨と呼ばれていた少女がいつの間にか荒縁の近くに立っていた。
「は、はは初みぇまして・・・み、宮代癒雨と申しましゅ・・・!」
「おう、初めまして!俺ぁ宮代荒縁、よろしくな、癒雨ちゃん!」
「は、はい・・・!」
まだ少し緊張した癒雨の顔が気になったのか、荒縁は人差し指を立てるとその指先に小さな焔を灯した。
「・・・ひゅわぁ!?」
「見てな・・・よっと・・・。」
荒縁がその焔をほんの少し放ると、焔はぱちん、と小さな音を立てて綺麗な華を空中に咲かせた。
「わあぁ・・・!」
「どうだい?面白いだろ!」
「はい!もう一回やってください!」
「おうともさ!」
「・・・?」
姉の楽しそうな声に興味が湧いたのか、宵がそっと目を開ける。その目に映ったのは、小さく綺麗な炎の華を咲かせる火花。
「わっ、わっ!きれい・・・!」
それがすっかり気に入ったのか、宵は目を閉じるのを止めて小さな花火を、それを作り出す荒縁を見始めた。
「さ、行こうか・・・。」
「うん・・・!」
父親に文字通り後押しされ、宵がゆっくりと荒縁へと近付く。
「ほら、自己紹介は?」
「え・・・えと、うらはよいていいます。よ、よろしゅうおねがいします。」
「おう!よろしくな、宵ちゃん!」
「宵、よくできました。」
「えへへ〜・・・。」
奇縁が頭を撫でてやると、宵は嬉しそうに尻尾を振る。その様子を見て、癒雨がトテトテと足早に近付く。
「お父さん、癒雨も言えました!なでなでしてください、なでなで!」
「はい、癒雨もよくできました。」
「・・・・・・♪」
奇縁が頭を撫でると、癒雨は嬉しそうに頬を赤らめさせる。そして、荒縁の方へと向き直った。
「荒縁。」
「あ?何だ?」
「今日はうちに泊まって行ってくれ。その方が、子供達も喜ぶだろう。」
「癒雨もコウおじさんもお家に来て欲しいです!で、もっと綺麗なの見せてください!!」
「うらも!て、うらもきょうからかぞくなんやった・・・。おかあさん、やさしいひとなんかなぁ?」
「うん、お母さんはとっても優しいよ!」
「ほんま!?」
「うん!」
「お、おじさん・・・。じゃあ、お言葉に甘えて泊まらせて貰おう!」
そう言って、4人は家へと足を向けた。
時刻は夕刻。既に日は傾き、空は朱に染まっていた。里の人間たちもそれぞれの家へと帰り、夕食の準備を始めている。
そんな大通りを「一つ」の影が歩いてゆく。
「夕焼〜け小焼け〜の〜、赤と〜ん〜ぼ〜♪」
「・・・ふふっ。」
始めて里に来れた事と、父親に色々買って貰い癒雨は上機嫌に風車を右手で持ちながら父親の頭上で歌を唄う。そんな癒雨を微笑ましそうに肩車をする奇縁。
「追われ〜て見たの〜は〜、いつの〜日〜・・・あれ?」
「ん?どうした?」
「・・・・・・。」
突然、唄うのを止めて黙り込む癒雨。そんな娘に少し心配になった奇縁は娘を肩から下ろし抱っこをする。それに気付かないほど集中しているのか、癒雨は大通りのとある一点を見つめていた。
そこは奇縁と深雨が出会ったあの柳の木。
「・・・怖いのか?なら、少し遠回りをして」
「お父さん、あそこに何か居ますよ?」
「ん?」
娘が風車を持っていない手で指差す方向を見ると、そこには確かに「何か」が居た。奇縁も気になり「それ」に近付くと、「それ」は頭を押さえながら小さく蹲って震えている黒いネコマタであった。ネコマタ・・・と言っても猫の形をしていない。つまり、「人の姿で震えていた」のである。
「・・・癒雨、一旦降りなさい。」
「・・・はい。」
奇縁は真剣な顔で癒雨を降ろすと、徐にネコマタに近付いた。
「そこなネコマタ。」
「・・・ひぃっ!?」
落ち着いた奇縁の声に対し、ネコマタは後ろから話し掛けられた所為なのか、尻尾の毛は全て逆立ちその黒い毛並みの小さな体が跳ねるほど驚いた。
「・・・な、ななななな・・・何?・・・!!」
怯えた様子で奇縁を見上げる。その顔は癒雨と同じ位の年頃であろうか。まだ幼さの強い顔をしている。しかし頬や額は赤く腫れていた。ネコマタは奇縁の姿を見るなり表情を恐怖一色にして狂ったように泣きながら捲くし立て始めた。
「い、いやぁあああっ!ころさんでえええ!うら、なにもしてへん!!なにもしてへんからぁああああ!!」
「お、おい・・・。」
「ぼうでなぐられんのもあしでけられんのもいやや!!もう、かんにんしてぇえええええ!!」
泣いているネコマタのその目には光が無かった。いや、消えたばかりなのだろう。ほんの少しだけ、目の奥に淡く、今にも消え入りそうな光が見えた。
奇縁にはその目に見覚えがあった。形は違えど奇縁にとってほんの数年前までの自分が、目の前に居た。
「ほら、おいで・・・。」
「いやあああああああ!こんといてえええええ!」
「・・・っ!」
突然、差し出した奇縁の手に痛みが走った。何かをされると思ったネコマタが爪で引っ掻いたのだ。
傷口から血が垂れ、地に落ちる。
「お父さんっ!」
「大丈夫だ癒雨、下がってなさい。」
「は、はい・・・。」
心配した癒雨が父親に駆け寄ろうとするも、その父親に止められる。癒雨はどうすればいいのか分からず、その場で立ち尽くした。
「・・・・・・。」
「いやっ、やめてええええ!!いたいのもこわいのもやめてぇええええええええええ!!」
「・・・・・・!!」
奇縁が優しく抱き上げてやるも、ネコマタは尚も逃れようと暴れる。腕や胸が鋭い爪で引っ掻かれて服が破れ、血だらけになる。それでも奇縁は我が子の様に優しくネコマタを抱きしめた。
「・・・もう、大丈夫だ。」
「ふえ?」
痛みを堪えながらの奇縁の言葉が予想外だったのか、ネコマタは動きを止めた。幼く小さなネコマタの体を優しく、しかし先程よりも確りと抱き寄せる。
「・・・もう、大丈夫だ・・・!」
「・・・?」
不意に、ネコマタの耳に何かが落ちてきた。その正体を確かめようと抱き上げてきた男性を見上げると、泣いていた。
「ごめんな・・・。」
「へ?」
「辛かったよなぁ・・・!痛かったよなぁ・・・!恐かったよなぁ・・・!」
奇縁は涙を流しながら、胸の中に居る小さな「自分」にそう言った。無論、胸の中に居るのが幼い頃の「自分」ではないことは奇縁も良く分かっていた。しかしこのネコマタを見ていると何故か昔の自分と同じだと、そう思ってしまう。
「なんで、ないてるん・・・?うら、ねこまたやで・・・?くろねこなんやで・・・?」
「ここが、魔物に厳しいのは俺の所為なんだよなぁ・・・!ごめんなぁ・・・!」
「・・・?」
ネコマタは何を言っているのか分からない、と言った表情で奇縁を見つめる。しかし、自分のために泣いてくれているという事実がネコマタの胸を暖かいもので包んだ。
「ふゃ・・・。」
「ごめんなぁ・・・!」
「ふゃああああああああん!」
山に住む奇妙な退魔師の謝る声と、独りだったネコマタの泣き声があの時と同じ、人通りの無い夕暮れの大通りに小さく響いた。
◆
一通り泣いた後、ネコマタは無き疲れて眠ってしまった。同じく泣いていた奇縁は心配して途中から同じように泣きじゃくってしまった娘を慰めていた。
「おと、お父さああああん!」
「あ〜ごめんごめん。心配かけたなぁ?」
「ひっく・・・おと・・・ひっく・・・うさぁん。」
「よ〜しよし・・・。」
奇縁は屈みながら空いている右手で、未だ泣き止まない娘の頭を抱き寄せる。すると、強請る様な目線で癒雨が父親を見る。その目線で強請る内容を察して、抱き寄せていた腕で娘を抱き上げた。
「んにゅ・・・。」
「お、起きたか。」
どうやら癒雨の泣きじゃくる声と動いた事により、ネコマタが目を覚ましてしまったようだ。
「ふゃ・・・?」
「落ち着いたか?」
「・・・・・・。・・・あ。」
ネコマタは黙って小さく頷いた。そして、奇縁の破れてぼろぼろになった衣冠を見て小さな体を更に小さくちぢこませてしまった。
「・・・ごめんなさい。」
「ん?いいんだいいんだ。気にするな。」
「・・・でも、でもうら・・・。」
「名前は?」
「ふぇ?」
破れた衣冠から話を逸らそうと奇縁がネコマタに名前を訊く。
「・・・宵。」
「宵か。いい名前だな。俺の名前は奇縁、き・え・ん。」
「・・・き・え・ん?」
「そう。・・・なあ、宵。」
「・・・?」
宵が外見相応のつぶらな目で奇縁を見つめる。
「もしお前がいいなら、うちに娘として来ないか?」
「ふぇ・・・?」
「嫌か?」
「・・・いいのん?うら、ねこまたやで・・・?くろねこなんやで・・・?ふきつなんやで・・・?」
「不吉でも何でもどんと来い、だ。基、俺は退魔師だしな。」
「ええのん!?ほんとにええのん!?」
「ああ、もちろん。」
「ほんと!?ほんとにほんと!?」
「ああ。」
目を爛々と輝かせ、嬉しそうに一対の尻尾を振る宵ににこりと微笑む奇縁。
「私の名前は癒雨っていうの。よろしくね、宵ちゃん。」
「うん、よろしゅう!ゆうおねえちゃん!」
「お、お姉ちゃん!?」
「だってうらよりおとうさんのうちにおんねやろ?せやったらうらのおねえちゃんや!」
「お、お姉ちゃん・・・・。」
生まれて初めての事に、戸惑いを隠せない癒雨。そんな癒雨を奇縁は温かい目で見下ろす。
と、その時不意に奇縁は殺気を感知した。それは自分にではなく、腕の中に居る二人の娘への殺意。
「癒雨、宵、降りなさい。」
「へ?」
「ふえ?」
二人を降ろした瞬間、何処からとも無く炎の塊が雨のように奇縁たちの降り注いだ。
「ふやぁ!?」
「きゃあ!?」
二人は驚いて奇縁の袴の後ろに隠れる。炎の塊が奇縁たちを取り囲むと同時に、誰か男の声が聞こえ始めた。
「おいおい・・・。奇縁ともあろうお方が、何『魔』である妖怪連れてんだ?あぁん?」
「この術・・・お前。」
突然降り注いだ炎にも臆する事無く目の前の炎の一点を睨み付ける。するとその部分の炎が揺らぎ、奇縁と同じような衣冠を着た男が現れた。しかし奇縁のそれとは違い、衣冠は燃える様な真紅で染められていた。
「ああ、知っての通り俺だよ。」
「・・・荒縁(こうえん)、何しに来た?」
「最近本家に通達が来ねぇから、直々に見て来いってジジィがよ。・・・それより。」
「何だ?」
「奇縁、てめぇ魔物の子供なんざ連れやがって・・・。キッチリとした理由はあんだろうな!あぁ!?」
「「ひっ!?」」
「・・・・・・。」
ドスの聞いた声で荒縁が奇縁を睨めつける。元々の眼つきの悪さも相まっての迫力に、袴の後ろから覗いていた癒雨と宵は怯えて顔を奇縁の袴の後ろへ隠した。
「はぁ・・・お前少しは考えやがれ。子供達が怯えてるだろ・・・。」
「あぁ?子供達ぃ?」
言葉を聴いた途端、荒縁の左腕が周りの焔に負けず劣らず燃え盛り始めた。その様子を、冷ややかな視線で奇縁が見る。
「手前ぇ・・・。意味分かって言ってんのか・・・!?」
「もちろんだ。」
「・・・・・・。」
荒縁は黙って奇縁を見つめ始めた。奇縁も黙ったまま、いつでも戦えると言った視線で荒縁をにらみ続ける。
「・・・ぷっ。」
「・・・くくっ。」
「「あっはははははははははは!!」」
突然、大笑いし始めた二人。奇縁の足元に居る子供達は何が起きているのか分からずに頭に疑問符を浮べていた。
「ははは、はぁ〜・・・。」
「ふぅ〜・・・。」
「お父さん?」
おずおず、と言った様子で癒雨が奇縁の事を見上げる。宵は恐がって奇縁の足に確りとしがみ付いて震え、目を硬く閉じていた。
「癒雨、宵、あの人はお父さんの従兄弟で荒縁というんだ。・・・ほら宵、目を開けなさい。」
「いややぁ、こわいぃ・・・。」
小さな体を震わせながら、頑なに目を閉じ続ける宵。そんな宵に、荒縁は苦虫を噛み潰したような顔をする。その腕には既に、焔は無かった。
「おいおい、俺ぁ化けもんかよ・・・。」
「似た様なものだろう?」
「てめぇ!」
「ふふっ・・・冗談だ。・・・宵、怖くないから開けてみなさい。」
奇縁は冗談を言いながら、宵に目を開けるよう促す。するとまだ荒縁が恐ろしいのか、宵は片目だけを薄く開いた。しかし、先程の荒縁の姿を思い出したのかすぐに閉じてしまった。
「・・・あ、あの・・・。」
「ん?」
荒縁が声のした下を向くと、深く青い髪をした先程奇縁に癒雨と呼ばれていた少女がいつの間にか荒縁の近くに立っていた。
「は、はは初みぇまして・・・み、宮代癒雨と申しましゅ・・・!」
「おう、初めまして!俺ぁ宮代荒縁、よろしくな、癒雨ちゃん!」
「は、はい・・・!」
まだ少し緊張した癒雨の顔が気になったのか、荒縁は人差し指を立てるとその指先に小さな焔を灯した。
「・・・ひゅわぁ!?」
「見てな・・・よっと・・・。」
荒縁がその焔をほんの少し放ると、焔はぱちん、と小さな音を立てて綺麗な華を空中に咲かせた。
「わあぁ・・・!」
「どうだい?面白いだろ!」
「はい!もう一回やってください!」
「おうともさ!」
「・・・?」
姉の楽しそうな声に興味が湧いたのか、宵がそっと目を開ける。その目に映ったのは、小さく綺麗な炎の華を咲かせる火花。
「わっ、わっ!きれい・・・!」
それがすっかり気に入ったのか、宵は目を閉じるのを止めて小さな花火を、それを作り出す荒縁を見始めた。
「さ、行こうか・・・。」
「うん・・・!」
父親に文字通り後押しされ、宵がゆっくりと荒縁へと近付く。
「ほら、自己紹介は?」
「え・・・えと、うらはよいていいます。よ、よろしゅうおねがいします。」
「おう!よろしくな、宵ちゃん!」
「宵、よくできました。」
「えへへ〜・・・。」
奇縁が頭を撫でてやると、宵は嬉しそうに尻尾を振る。その様子を見て、癒雨がトテトテと足早に近付く。
「お父さん、癒雨も言えました!なでなでしてください、なでなで!」
「はい、癒雨もよくできました。」
「・・・・・・♪」
奇縁が頭を撫でると、癒雨は嬉しそうに頬を赤らめさせる。そして、荒縁の方へと向き直った。
「荒縁。」
「あ?何だ?」
「今日はうちに泊まって行ってくれ。その方が、子供達も喜ぶだろう。」
「癒雨もコウおじさんもお家に来て欲しいです!で、もっと綺麗なの見せてください!!」
「うらも!て、うらもきょうからかぞくなんやった・・・。おかあさん、やさしいひとなんかなぁ?」
「うん、お母さんはとっても優しいよ!」
「ほんま!?」
「うん!」
「お、おじさん・・・。じゃあ、お言葉に甘えて泊まらせて貰おう!」
そう言って、4人は家へと足を向けた。
11/08/20 10:07更新 / 一文字@目指せ月3
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