連載小説
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一話 隠れ遊び 前編
東雲に 荒ぶ風吹く 野は錦
秋待たずして 葛の花は咲く

――――――


「ハァ…ハァ…!」

暗い。

「ハァ…!?ハァ…!?」

暗い、恐い。
おとうは?おかあは?暗い。恐い。
「ハァ…!」

走っても走っても終わりが見えない。
おとうが連れてきてくれた森。入った時はあんなに綺麗に見えたのに。今は暗くて恐い。

「!」

森が終わってる。よかった、これで帰れ…。

「!?」

森の終わりに目の前に広がったのは、恋しい家ではなく冷たい風が吹く崖。

「ハァ…ハァ…コプッ!」

突然の吐き気と共に、体から一気に力が抜けてその場に倒れた。

「…………………。」

目が霞む…。走っている途中に感じていた痛みは、もう感じない。
視界が白む…。












――――――

「…また、随分昔の夢を見たな…。」

まだ陽も満足に射さない朝方。此処御門神社の巫御門 高恒(みかど たかつね)は晩秋の風を受けながら布団からゆっくりと身を起こした。

「…っと、いかんいかん。早く支度しないと…。」

高恒は急ぐように立ち上がると、襦袢を着直して布団を片付け始めた。馴れた手つきで布団を畳み、押入れに仕舞う。

「さて…。葛葉様はもう起きていらっしゃるだろうか…。」

綴を開き、中から巫服を取り出して着替えながら、高恒はこの神社に鎮座する稲荷神であり高恒の主人である御門 葛葉(みかど くずは)の事を気に掛けていた。葛葉を起こして朝早くから来る参拝客に対応する、それが高恒の朝の習慣だった。
高恒は着替えを終えると、直ぐに社の奥にある葛葉の部屋へと向かった。

「…葛葉様、お早う御座います。起きていらっしゃいますか?」

襖を軽く叩きながら葛葉が起きているか確認する。返事は…ない。未だ眠っているか、もしくは…。

「失礼致します。」

高恒はゆっくり戸を開け、中を確認する。しかし、葛葉の姿はなく、空の布団だけが残されていた。

「やっぱり…。本当にあの御方は…。」

高恒は溜め息を吐くと、いつの間にか開け放たれていた縁側への襖に足を向けた。
縁側に出、辺りを見回すも葛葉の姿はない。
高恒は焦る様子すら見せずに縁側から外へ出た。

「おや、日和丸ではないか。」

不意に上から声を掛けられて高恒が上を見上げると、一人の女性が瓦葺きの屋根の上で瓢箪を片手に御猪口で酒を煽っていた。そう、この金色の髪を腰辺りまで伸ばし、それと同じ色の四尾をご機嫌そうに振り、乱れた襦袢から覗く肩口やたわわに実った乳房を隠す事なく、寧ろ威風堂々と晒す麗人こそ、御門葛葉である。

「…葛葉様、いい加減私を幼名でお呼びになるのは止めて下さい。それに、その様な場所で霰もない姿をなさっておいでですと、またカラステングの板屋に有る事無い事を書かれてしまいますよ。」
「ふん、半人前風情が何を言う。自分の所有物を何と呼ぼうと、我の勝手であろう。」
「…………ハァ。」

さも当然のようにそう言い放つ葛葉を見て、高恒は諦めたように溜め息を吐いた。

「して、今カラステングが有る事無い事我の事を書くと申しておったな。」
「え?あ、はい。」
「良いではないか。」
「…はい?」

葛葉が発した信じ難い一言に、高恒は耳を疑った。

「今、何と…?」
「『良いではないか』と、そう言うたのじゃ。良くも悪くも噂になれば参拝する者も増える。良い循環ではないか。」
「…葛葉様が良くとも、私が貴女様を悪く書かれるのは嫌です。」

不貞腐れたかのような高恒の言葉に、葛葉は一瞬目を見開いて固まった。

「世話になっている身としては当然の事でしょう。私にとって、貴女様は母に等しい御方なんですから。」

しかし高恒の言葉を聞いた途端、つまらなさそうな顔をして御猪口に残っていた酒を一気に呑み干した。
そして、屋根からひらりと跳び降りると、高恒の隣に綺麗に着地する。

「…興が逸れた。日和丸、衣の用意を。」
「うわっ!?」

瓢箪を高恒に投げ渡し、葛葉は社の中へと入っていった。

「何をしておる。早うせぬと参拝者が来てしまうぞ。」
「…はい、只今。」

高恒は本日三度目の溜め息を肺から吐き出し、葛葉の後に続いて社の中へと戻っていった。


――――――


「葛之葉稲荷様、この度は我等が村に豊作の御祈祷を頂き誠にありがとうございました。御陰様で今年も皆領主に税を納め、冬を越す事が出来ます。」
「うむ。…して、用とはなんじゃ?」
「はい。畏れながら今年の御礼と、来年の豊作祈願とを御願いしに参りました次第で御座います。少ないとは存じ上げておりますが、これが我々の精一杯。何卒御慈悲の程を…。」

そう言いながら、村長らしき老人は俵に入った米を二俵差し出した。

「良かろう。貴殿の村の来年の豊作も、この葛之葉稲荷神が約束しようぞ。」
「ははー…っ。ありがたき幸せ。」
「…では、此方へ。」

老人が平服し参拝を終えると、葛葉の隣に待機していた高恒が進み出て社の戸を開く。老人も慣れた足取りで、社から退出した。

「…何百年と同じ事を続けておるが、やはり朝は如何せん苦しいものがあるな。」
「朝から酒を煽っていた葛葉様が言う言葉ではありませんよ。」
「何を言う。酒は万薬の長、朝から薬を飲んで何が悪い。日和丸、お主も付き合わぬか?」
「…ハァ。私は結構です。それよりも、朝の参拝者は以上になります。朝食の用意をして参りますので暫しお待ち下さい。」
「……ん。」

高恒が一礼をして社の奥に消えると、葛葉は珍しくふぅと溜め息を吐いた。

「…馬鹿者が。少しは我の気持ちも汲まぬか。」

誰に言うでもなく発された言葉は、静かな社に虚しく響いた。

「…しかしまあ、人とは変わるものよの。」

葛葉は微笑むように静かに笑い、高恒と出会った日の事を思い出していた。


――――――


『〜♪』

此処は御門神社の裏手にある山。この夜、葛葉は酒を呑んで火照った身体を冷そうと上機嫌で歩き慣れた山道を進んでいた。

『…ん?』

突然、葛葉が足を止めて前の方に目を凝らし始めた。

『…何じゃ?あれは。』

葛葉が近付いてみると、いつも景色を眺めている崖の一歩手前で年端も行かぬ男子(おのこ)が倒れていた。

『おい、童。どうした、この様な場所で寝よって。』

葛葉が頬を叩くも、男子は動く気配すらない。

『…死体か?』

しかし、それにしてはまだ男子の身体は温かく、微かながら胸も動いていた。

『…!これは…樒か。葉が割れて汁が漏れておるな。』

近くにあった小さな樒の木と男子の足の傷を見比べてニヤリと笑うと、葛葉は男子を抱き上げた。

『童、お主運が良いのう。我は今気分が良い故、助けてやる。』


――――――


『…………。』

春口の眩しい朝日が射し込む中、男子が薄く目を開けた。次の瞬間、男子は顔を青くさせて起き上がり、周りを見回した。

『ほう、起きたか童。』
『…!?…!?』

不意に男子の近くの襖が開き、葛葉が顔を出した。まだ幼い男子は恐怖を顔に出しながら襖から出てきた女性に目を丸くしていた。

『何をその様に驚いておる?』
『…耳に、尻尾。…お姉さん…妖怪?』

男子は小さな指を震わせながら葛葉を指差し、呟くように声を発した。

『…そうじゃ。我は稲荷の葛葉、この神社で暮らしておる。』
『………食べる?』
『?』
『………僕の事、食べるの?』

男子の小さな身体を震えさせながらの警戒した一言に、葛葉はゆっくりと座り込んで溜め息を吐いた。

『…誰がお主のような童を食うものか。』
『………ほんと?食べない?』
『食わぬ。』

葛葉が何もして来ないと知ると、男子はほっとした様子で小さく溜め息を吐いた。

『…おとうは?』
『む?』

突然、思い出したかのように男子が葛葉に尋ねる。

『…おとうは、どこ?』
『……………。』

繰り返し男子が尋ねるが、葛葉は渋るように只々黙っていた。暫くの間、社の中は言い様のない重い静寂に包まれる。

『…童。』

その静寂を先に破ったのは、葛葉だった。

『…お主、父とは最後何と言われ別れた?』
『…かくれんぼ、やろうって…。』
『………………。』

男子の言葉を最後に、再びその場が静寂に支配される。

『…言い難いのだが、この際確りと言わせて貰うぞ。』
『…?』
『…お主は、親に棄てられたのじゃ。』
『………!?』
12/05/11 17:03更新 / 一文字@目指せ月3
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■作者メッセージ
この作品は短編集になります。大体四話刻みで次の巻に続きます。

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