壱 濡女子 前篇
ここは大陸から東に遠く離れた島国・ジパング。
その中のとある国に住む奇怪な趣味を持つ男がいた。
「ふ・・・あぁ。よく寝た・・・。」
そう。もう昼前だと言うのに今更起きて来て欠伸をしているこの男である。
この男、名を宮代奇縁(みやしろ きえん)。「一応」退魔師と呼ばれる、人に害為す魔を退治する事を生業としている。
「一応」と付いている事には幾つか理由がある。
その一つは
「あなた、もうお昼前ですよ?」
「お父さん、お寝坊さん〜。」
「ん、すまんすまん。」
この台所で朝食(もはや昼食だが)女子と奇縁に頭を撫でられている子供である。
姿は、見目を見れば二人とも流れるような深く蒼い長髪をしており、誰が見ても美人と言えよう。だがそれは「見目」の話である。では他はと言うと、足元には水溜りが出来、着ている着物は濡れて張り付き女子らしい美しい曲線を引き立たせている。
濡れているのは、別段女子が雨の中走ったりしたわけではない。これが普通なのである。
お気付きかも知れないがこの女子達、「ぬれおなご」と呼ばれる妖怪。名を深雨(みう)、子供は癒雨(ゆう)と言った。
退魔師と結ばれているのが退治される筈の魔。更に子まで生している。これを奇妙と言わずとして何を奇妙と言えようか。
「深雨、今日は誰か来たか?」
「いいえ、誰も来ませんでしたわ。」
「そうか・・・」
そう言うと、奇縁は布団から起き上がり傍にいる深雨をそのまま小さくしたような自分の娘である癒雨を抱き上げる。
「おはよう、癒雨。」
「お父さん、おはようございます〜。」
癒雨は大好きな父親に抱き上げられ、その顔に満面の笑みを浮かべた。
奇縁は癒雨を抱き上げたまま、食卓に向かう。
そして、食卓の前まで来ると胡座をかき、その中に癒雨を座らせた。
「お父さん、お着替えはしなくていいんですか〜?」
「ん〜、今日はまだお仕事無いからご飯の後で。」
「ふ〜ん・・・。」
癒雨は奇縁の胡座の中で暇そうに足をパタパタとし始めた。
「さ、昼餉が出来ましたよ。」
「ありがとう。」
深雨は出来上がった昼餉を奇縁の前に置く。
奇縁は深雨に礼を言うと、静かに手を合わせた。
すると奇縁の胡座にいる癒雨も足を止め、真似をして同じように手を合わせる。
「たなつもの百の木草も天照す。」
「あまてらす〜。」
「日の大神の恵みえてこそ。」
「えてこそ!」
「・・・ふふふっ。」
父親の言葉に合わせようとするも、難しい言葉が分からず最後の部分だけ真似する癒雨を見て、深雨は着物の裾で口を押さえながら小さく笑った。
それにつられたのか、奇縁も微笑ましそうに笑いながら昼食に手を付け始めた。
―――――――昼食後
「・・・よし。」
昼食を食べ終わり、既に寝巻きから仕事の為の衣冠に着替え、他の準備も済ませた奇縁は玄関へ向かい始めた。
その後ろを、何故か奇縁と同じ着物を来た癒雨がトテトテと走って付いて行く。
それを深雨がそっと後ろから止める。
「ダメよ癒雨。お父さんのお仕事を邪魔しちゃ。」
「や〜だ〜、お父さんと一緒に行く〜!」
「もう、言う事を聞き分けなさい!」
「や〜だ〜!」
後ろから自分を押さえている母親から逃れようと癒雨がジタバタともがく。
そんな娘の事を気にしながら、奇縁は草履の紐を結ぶ。
「・・・癒雨、一緒に行ってみるか?」
「あ、あなた!?」
「いいの、お父さん!?」
不意に振り返った奇縁の言葉に深雨は驚き、癒雨は嬉しそうに目を爛々と輝かせて母親の腕から逃れ履物を履き始めた。
「ただし、お父さんから絶対に離れない事。」
「はい、分かりました!」
「で、でもあなた・・・」
「大丈夫」
草履を履き終えた奇縁は立ち上がり、後ろにいた妻の頭を撫でた。
すると、普段は少し青みがかった色白の肌にみるみる朱が注す。
「癒雨は俺が守る、心配しなくても大丈夫さ。」
「・・・はい。」
「お父さん、早く行きましょう!」
「ああ、分かった分かった。」
早々に履物を履き終えた癒雨が、父親の衣冠の袖をくいくいと引っ張りながら早く行こうと急かす。
それに奇縁は少し困ったような顔をしつつ、足を向けることで応える。
「じゃあ、行ってくる。」
「・・・ええ、お気をつけて。」
「行ってきま〜す!」
癒雨は逸る気持ちをそのままに玄関のドアを開ける。
そこに広がるのは美しい緑と山々に囲まれた小さな村。
娘に腕を引っ張られながら、奇縁は深雨に手を振った。
奇縁たちの家は村から少し離れた山の裾野にあり、歩くと10分程掛かる。
その道すがらには家は無く、奇縁たちの家と村を繋ぐ一本の道以外は森に囲まれている。
「お父さん、今日は何をしに行くんですか?」
「ん?今日は・・・怪談を集めるお仕事だな。」
奇縁がそう言った途端、癒雨が固まる。
実は奇縁が「仕事」と言っているこの「怪談を集める事」こそ、彼の趣味なのである。
ちなみに彼曰く「怪談を集めると退治するのに都合がいい」らしい。本当かどうかは定かではないが・・・。
「か、怪談・・・ですか・・・?」
「ああ、怪談集めだ。」
楽しそうな奇縁とは裏腹に、癒雨は肩を強張らせていた。
そして目に薄らと涙を浮かべ、楽しそうにしている父親へ懇願するような視線を向ける。
「お、お父さん・・・。」
「何だ、癒雨?」
「あ、あの・・・。」
「どうした?具合が悪いのか?」
元気の無い声に心配した奇縁が屈んで癒雨の顔を覗き込む。
愛しい娘の涙に驚いたのか、癒雨の頭を優しく撫ぜながら問う。
「いえ、あ、あの・・・。」
「ん?」
「きょ、今日は他のお仕事にしませんか・・・?」
「いや、折角珍しく何も無いんだ。今日やって置きたいんだが・・・。」
「そ、そうですか・・・。」
何処と無く淀んだ言い方と小さく震える娘に、奇縁はある一つの事を思い出した。
娘は、癒雨は元々怖がりで怪談・・・基怖いものが大の苦手である。と言う事を。
「・・・ふぇ。」
「ふぇ?」
「ふぇえええええん!」
癒雨は何かを想像して耐えられなくなったのか、大声で泣き始めた。
「あ〜あ・・・。ほら、おいで。」
「お父さ〜ん!」
奇縁は優しく泣いている娘を抱き上げてポンポンと背中を叩いて安心させてやる。
すると、少しだけ安心したのか癒雨は大声で泣くのを止めて思い切り父親に縋り付く。
「ヒック・・・こわ・・・ヒック・・・怖いよぅ・・・お父さぁん・・・。」
「ごめんごめん。じゃあ、今日は他のお仕事にしようなぁ?」
「・・・・・・」
奇縁が優しく言うと、癒雨は小さくコクンと頷いた。
そして、奇縁は娘を抱き上げたまま、村へと歩き始めた。
暫らくして癒雨が恐る恐る、と言った様子で父親を見上げた。
「あの・・・お父さん。」
「ん?何だ?」
「・・・怒ってますか?」
「何で怒る必要があるんだ?」
「だって・・・お父さんのお仕事の邪魔になって・・・グスン。」
先程とは別の意味で、癒雨の目に涙が溜まり始めた。
そんな娘の頭を、奇縁は優しく撫でる。
「癒雨は優しいな。」
「ふぇっ・・・。」
「お父さんは、全然邪魔だなんて思ってないぞ?」
「だって・・・だってお父さん、あんなに楽しそうにしてました・・・。」
「ん〜・・・。」
的確な娘の言葉に、奇縁が少し言い淀む。
すると過敏にそれを察したのか、癒雨がまた泣き出してしまった。
「私の所為なんだああああぁあああ!」
「違う違う!今日は何しようかなって考えてただけだ!」
泣き止ませようと、咄嗟に言い繕う。
しかし、それでも癒雨は泣き止む気配は無かった。
「ごめんなさああああああい!」
「あ〜ほらほら、よしよ〜し・・・。お父さん怒ってないからな〜?」
先程と同じように、ポンポンと背中を叩いて安心させようとする。
「クスン・・・本当ですか・・・?」
「ああ、本当だ。全然怒ってないぞ?」
「・・・・・・。」
癒雨は抱き上げてくれている父親の事をじっと見つめた。
すると、奇縁は優しく微笑む。癒雨はそれにやっと安心して泣きつかれたのか、ゆっくりと奇縁の肩に小さな頭を預けた。
奇縁が更に暫らく歩くと、道の先に少しだけ村が見え始める。
癒雨は既に父親の肩で寝てしまっていた。
「スー・・・スー・・・。」
「・・・ふう・・・。」
「んぅ・・・。」
奇縁が癒雨を持ち直す。すると目が覚めたのか、癒雨が顔を持ち上げた。
「・・・お父さん?」
「おはよう、癒雨。」
「おはようございます・・・。」
一寸の間、またうとうととし始めるも首を振って起きようとする。
そんな娘の微笑ましい光景に、奇縁は声に出さず笑った。
「さ、着いたぞ。」
「うわーあ・・・!」
村の入り口に着いたので降ろしてやると、癒雨は感嘆の声を上げた。
「すごーい・・・。」
「さ、行くぞ。」
「あ、お父さん、待ってください!」
慣れた様子で村に入っていく父親を、癒雨は急いで追いかけていく。
すると入り口から入ってすぐ、奇縁の知り合いである果物屋の主人が仕分けを中断して声をかけてきた。
「お、奇縁さんじゃないですか!お久し振りです!」
「きゃうっ!?」
「ああ、瑞果(みずか)屋さん。お久し振り。」
突然声を掛けられた事に驚いたのか、癒雨は父親の袴の後ろに隠れてしまう。
そんな癒雨の事を見て、果物屋が少し怪訝な顔をした。
「おや、その子は・・・?」
「俺の娘で、名を癒雨と言うんだ。ほら癒雨、挨拶しなさい。」
「は、初めまして・・・。み、宮代癒雨と申します・・・。」
奇縁は後ろに隠れてしまった娘に挨拶を促すと、癒雨はおずおずと少しだけ袴から顔を出して挨拶をする。
しかし怖いのか恥ずかしいのか、すぐまた後ろに隠れてしまった。
「初めまして癒雨ちゃん。・・・奇縁さん、お行儀のいい子ですね〜。」
「ああ、手の掛からない子で助かってる。」
「・・・で、この子は深雨さんとの・・・?」
「そうだ。」
奇縁がさも当然のように返事をすると、果物屋がクスクスと笑いながらそうですか、と言って癒雨にりんごを差し出した。
「りんご、食べるかい?」
「え、え、良いんですか・・・?」
「うん、お近付きの印に。」
癒雨は差し出されたりんごと父親の顔を何度も見比べる。
奇縁がにこりと笑うと、癒雨は嬉しそうにりんごを受け取った。
「あ、ありがとうございます・・・!」
「どういたしまして。」
「お、お父さんお父さん・・・!」
「ん、食べてもいいぞ。」
「やったぁ・・・!」
癒雨は満面の笑みを浮かべてりんごに齧り付く。
生まれて初めて食べるりんごが余程美味しかったのか、そのまま無言でりんごを食べ続ける。
そんな光景を横目に見つつ、奇縁と果物屋は本題に入った。
「奇縁さん、今日は何をしに?」
「ん、本当ならいつもの怪談集めをしようと思ったんだが、この子が嫌がってな・・・。」
「なるほど・・・。」
「折角村まで来たし、この子に色々買ってやるか・・・。」
「フッフッフ・・・。」
「ん?何だ、気味の悪い笑いをして・・・。」
「いえ、奇縁さん、昔と随分変わられたな〜と・・・。」
「・・・!!う、五月蝿い!」
果物屋の言葉に奇縁は顔を真っ赤に染めてそのまま娘を置いてスタスタと行ってしまった。
父親が離れていくのを察知した癒雨が慌てて後を追いかけていく。
その光景を、果物屋は慈しむような目で見つめる。
「本当に、貴方は変わりましたね・・・。」
そう呟くと果物屋は小さく笑い、仕分けの続きを再開した。
その中のとある国に住む奇怪な趣味を持つ男がいた。
「ふ・・・あぁ。よく寝た・・・。」
そう。もう昼前だと言うのに今更起きて来て欠伸をしているこの男である。
この男、名を宮代奇縁(みやしろ きえん)。「一応」退魔師と呼ばれる、人に害為す魔を退治する事を生業としている。
「一応」と付いている事には幾つか理由がある。
その一つは
「あなた、もうお昼前ですよ?」
「お父さん、お寝坊さん〜。」
「ん、すまんすまん。」
この台所で朝食(もはや昼食だが)女子と奇縁に頭を撫でられている子供である。
姿は、見目を見れば二人とも流れるような深く蒼い長髪をしており、誰が見ても美人と言えよう。だがそれは「見目」の話である。では他はと言うと、足元には水溜りが出来、着ている着物は濡れて張り付き女子らしい美しい曲線を引き立たせている。
濡れているのは、別段女子が雨の中走ったりしたわけではない。これが普通なのである。
お気付きかも知れないがこの女子達、「ぬれおなご」と呼ばれる妖怪。名を深雨(みう)、子供は癒雨(ゆう)と言った。
退魔師と結ばれているのが退治される筈の魔。更に子まで生している。これを奇妙と言わずとして何を奇妙と言えようか。
「深雨、今日は誰か来たか?」
「いいえ、誰も来ませんでしたわ。」
「そうか・・・」
そう言うと、奇縁は布団から起き上がり傍にいる深雨をそのまま小さくしたような自分の娘である癒雨を抱き上げる。
「おはよう、癒雨。」
「お父さん、おはようございます〜。」
癒雨は大好きな父親に抱き上げられ、その顔に満面の笑みを浮かべた。
奇縁は癒雨を抱き上げたまま、食卓に向かう。
そして、食卓の前まで来ると胡座をかき、その中に癒雨を座らせた。
「お父さん、お着替えはしなくていいんですか〜?」
「ん〜、今日はまだお仕事無いからご飯の後で。」
「ふ〜ん・・・。」
癒雨は奇縁の胡座の中で暇そうに足をパタパタとし始めた。
「さ、昼餉が出来ましたよ。」
「ありがとう。」
深雨は出来上がった昼餉を奇縁の前に置く。
奇縁は深雨に礼を言うと、静かに手を合わせた。
すると奇縁の胡座にいる癒雨も足を止め、真似をして同じように手を合わせる。
「たなつもの百の木草も天照す。」
「あまてらす〜。」
「日の大神の恵みえてこそ。」
「えてこそ!」
「・・・ふふふっ。」
父親の言葉に合わせようとするも、難しい言葉が分からず最後の部分だけ真似する癒雨を見て、深雨は着物の裾で口を押さえながら小さく笑った。
それにつられたのか、奇縁も微笑ましそうに笑いながら昼食に手を付け始めた。
―――――――昼食後
「・・・よし。」
昼食を食べ終わり、既に寝巻きから仕事の為の衣冠に着替え、他の準備も済ませた奇縁は玄関へ向かい始めた。
その後ろを、何故か奇縁と同じ着物を来た癒雨がトテトテと走って付いて行く。
それを深雨がそっと後ろから止める。
「ダメよ癒雨。お父さんのお仕事を邪魔しちゃ。」
「や〜だ〜、お父さんと一緒に行く〜!」
「もう、言う事を聞き分けなさい!」
「や〜だ〜!」
後ろから自分を押さえている母親から逃れようと癒雨がジタバタともがく。
そんな娘の事を気にしながら、奇縁は草履の紐を結ぶ。
「・・・癒雨、一緒に行ってみるか?」
「あ、あなた!?」
「いいの、お父さん!?」
不意に振り返った奇縁の言葉に深雨は驚き、癒雨は嬉しそうに目を爛々と輝かせて母親の腕から逃れ履物を履き始めた。
「ただし、お父さんから絶対に離れない事。」
「はい、分かりました!」
「で、でもあなた・・・」
「大丈夫」
草履を履き終えた奇縁は立ち上がり、後ろにいた妻の頭を撫でた。
すると、普段は少し青みがかった色白の肌にみるみる朱が注す。
「癒雨は俺が守る、心配しなくても大丈夫さ。」
「・・・はい。」
「お父さん、早く行きましょう!」
「ああ、分かった分かった。」
早々に履物を履き終えた癒雨が、父親の衣冠の袖をくいくいと引っ張りながら早く行こうと急かす。
それに奇縁は少し困ったような顔をしつつ、足を向けることで応える。
「じゃあ、行ってくる。」
「・・・ええ、お気をつけて。」
「行ってきま〜す!」
癒雨は逸る気持ちをそのままに玄関のドアを開ける。
そこに広がるのは美しい緑と山々に囲まれた小さな村。
娘に腕を引っ張られながら、奇縁は深雨に手を振った。
奇縁たちの家は村から少し離れた山の裾野にあり、歩くと10分程掛かる。
その道すがらには家は無く、奇縁たちの家と村を繋ぐ一本の道以外は森に囲まれている。
「お父さん、今日は何をしに行くんですか?」
「ん?今日は・・・怪談を集めるお仕事だな。」
奇縁がそう言った途端、癒雨が固まる。
実は奇縁が「仕事」と言っているこの「怪談を集める事」こそ、彼の趣味なのである。
ちなみに彼曰く「怪談を集めると退治するのに都合がいい」らしい。本当かどうかは定かではないが・・・。
「か、怪談・・・ですか・・・?」
「ああ、怪談集めだ。」
楽しそうな奇縁とは裏腹に、癒雨は肩を強張らせていた。
そして目に薄らと涙を浮かべ、楽しそうにしている父親へ懇願するような視線を向ける。
「お、お父さん・・・。」
「何だ、癒雨?」
「あ、あの・・・。」
「どうした?具合が悪いのか?」
元気の無い声に心配した奇縁が屈んで癒雨の顔を覗き込む。
愛しい娘の涙に驚いたのか、癒雨の頭を優しく撫ぜながら問う。
「いえ、あ、あの・・・。」
「ん?」
「きょ、今日は他のお仕事にしませんか・・・?」
「いや、折角珍しく何も無いんだ。今日やって置きたいんだが・・・。」
「そ、そうですか・・・。」
何処と無く淀んだ言い方と小さく震える娘に、奇縁はある一つの事を思い出した。
娘は、癒雨は元々怖がりで怪談・・・基怖いものが大の苦手である。と言う事を。
「・・・ふぇ。」
「ふぇ?」
「ふぇえええええん!」
癒雨は何かを想像して耐えられなくなったのか、大声で泣き始めた。
「あ〜あ・・・。ほら、おいで。」
「お父さ〜ん!」
奇縁は優しく泣いている娘を抱き上げてポンポンと背中を叩いて安心させてやる。
すると、少しだけ安心したのか癒雨は大声で泣くのを止めて思い切り父親に縋り付く。
「ヒック・・・こわ・・・ヒック・・・怖いよぅ・・・お父さぁん・・・。」
「ごめんごめん。じゃあ、今日は他のお仕事にしようなぁ?」
「・・・・・・」
奇縁が優しく言うと、癒雨は小さくコクンと頷いた。
そして、奇縁は娘を抱き上げたまま、村へと歩き始めた。
暫らくして癒雨が恐る恐る、と言った様子で父親を見上げた。
「あの・・・お父さん。」
「ん?何だ?」
「・・・怒ってますか?」
「何で怒る必要があるんだ?」
「だって・・・お父さんのお仕事の邪魔になって・・・グスン。」
先程とは別の意味で、癒雨の目に涙が溜まり始めた。
そんな娘の頭を、奇縁は優しく撫でる。
「癒雨は優しいな。」
「ふぇっ・・・。」
「お父さんは、全然邪魔だなんて思ってないぞ?」
「だって・・・だってお父さん、あんなに楽しそうにしてました・・・。」
「ん〜・・・。」
的確な娘の言葉に、奇縁が少し言い淀む。
すると過敏にそれを察したのか、癒雨がまた泣き出してしまった。
「私の所為なんだああああぁあああ!」
「違う違う!今日は何しようかなって考えてただけだ!」
泣き止ませようと、咄嗟に言い繕う。
しかし、それでも癒雨は泣き止む気配は無かった。
「ごめんなさああああああい!」
「あ〜ほらほら、よしよ〜し・・・。お父さん怒ってないからな〜?」
先程と同じように、ポンポンと背中を叩いて安心させようとする。
「クスン・・・本当ですか・・・?」
「ああ、本当だ。全然怒ってないぞ?」
「・・・・・・。」
癒雨は抱き上げてくれている父親の事をじっと見つめた。
すると、奇縁は優しく微笑む。癒雨はそれにやっと安心して泣きつかれたのか、ゆっくりと奇縁の肩に小さな頭を預けた。
奇縁が更に暫らく歩くと、道の先に少しだけ村が見え始める。
癒雨は既に父親の肩で寝てしまっていた。
「スー・・・スー・・・。」
「・・・ふう・・・。」
「んぅ・・・。」
奇縁が癒雨を持ち直す。すると目が覚めたのか、癒雨が顔を持ち上げた。
「・・・お父さん?」
「おはよう、癒雨。」
「おはようございます・・・。」
一寸の間、またうとうととし始めるも首を振って起きようとする。
そんな娘の微笑ましい光景に、奇縁は声に出さず笑った。
「さ、着いたぞ。」
「うわーあ・・・!」
村の入り口に着いたので降ろしてやると、癒雨は感嘆の声を上げた。
「すごーい・・・。」
「さ、行くぞ。」
「あ、お父さん、待ってください!」
慣れた様子で村に入っていく父親を、癒雨は急いで追いかけていく。
すると入り口から入ってすぐ、奇縁の知り合いである果物屋の主人が仕分けを中断して声をかけてきた。
「お、奇縁さんじゃないですか!お久し振りです!」
「きゃうっ!?」
「ああ、瑞果(みずか)屋さん。お久し振り。」
突然声を掛けられた事に驚いたのか、癒雨は父親の袴の後ろに隠れてしまう。
そんな癒雨の事を見て、果物屋が少し怪訝な顔をした。
「おや、その子は・・・?」
「俺の娘で、名を癒雨と言うんだ。ほら癒雨、挨拶しなさい。」
「は、初めまして・・・。み、宮代癒雨と申します・・・。」
奇縁は後ろに隠れてしまった娘に挨拶を促すと、癒雨はおずおずと少しだけ袴から顔を出して挨拶をする。
しかし怖いのか恥ずかしいのか、すぐまた後ろに隠れてしまった。
「初めまして癒雨ちゃん。・・・奇縁さん、お行儀のいい子ですね〜。」
「ああ、手の掛からない子で助かってる。」
「・・・で、この子は深雨さんとの・・・?」
「そうだ。」
奇縁がさも当然のように返事をすると、果物屋がクスクスと笑いながらそうですか、と言って癒雨にりんごを差し出した。
「りんご、食べるかい?」
「え、え、良いんですか・・・?」
「うん、お近付きの印に。」
癒雨は差し出されたりんごと父親の顔を何度も見比べる。
奇縁がにこりと笑うと、癒雨は嬉しそうにりんごを受け取った。
「あ、ありがとうございます・・・!」
「どういたしまして。」
「お、お父さんお父さん・・・!」
「ん、食べてもいいぞ。」
「やったぁ・・・!」
癒雨は満面の笑みを浮かべてりんごに齧り付く。
生まれて初めて食べるりんごが余程美味しかったのか、そのまま無言でりんごを食べ続ける。
そんな光景を横目に見つつ、奇縁と果物屋は本題に入った。
「奇縁さん、今日は何をしに?」
「ん、本当ならいつもの怪談集めをしようと思ったんだが、この子が嫌がってな・・・。」
「なるほど・・・。」
「折角村まで来たし、この子に色々買ってやるか・・・。」
「フッフッフ・・・。」
「ん?何だ、気味の悪い笑いをして・・・。」
「いえ、奇縁さん、昔と随分変わられたな〜と・・・。」
「・・・!!う、五月蝿い!」
果物屋の言葉に奇縁は顔を真っ赤に染めてそのまま娘を置いてスタスタと行ってしまった。
父親が離れていくのを察知した癒雨が慌てて後を追いかけていく。
その光景を、果物屋は慈しむような目で見つめる。
「本当に、貴方は変わりましたね・・・。」
そう呟くと果物屋は小さく笑い、仕分けの続きを再開した。
11/08/19 22:43更新 / 一文字@目指せ月3
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