硝子の心
「タバサくんはマジメだねぇ」
キュー、っと油性マジックで線を引いていると、ふと頭上からそんな声が響いた。
上からボールペンで、我が店特有のウサギマスコットを描きながら顔をあげる。
「おだてても何も出ませんが」
「そういうつもりじゃないよ。ただ今どき珍しいけど、有難いねぇって」
「はぁ……」
(*'▽')<店長のススメ
ゲイザーちゃんと、心優しい少年の王道ファンタジーラブコメディ
そこまで書いてしまって、なんともひねりのない煽り文句になってしまったと後悔する。
仕方ないのでゲイザーもちょちょいと描いて、内容のセリフを一部抜粋。
「あ、アタシじゃもふもふは出来ないけど……。ほ、ほら! 触手でぎゅーってしてやったらあったかいかもしれないぞ!」
健気なゲイザーちゃんかわいいよゲイザーちゃん、とまで書き込みふむと頷く。
完っ璧。
「こんな感じでいいですか?」
「キミは無表情で愉快なことを書くね……」
何やら胡乱な視線を送る店長から目をそらし、ジョキジョキと雲状にPOPを切る。
これだけやれば、最低限の完成度にはなっているだろう。
「じゃあ、これ貼り付けてきます」
「いや、勤務時間外にそこまでしなくても構わないよ。あとは別の子に任せおくさ」
「ですが僕が任された仕事ですし……」
「いいからいいから。これ以上はさすがに申し訳ないし……はいこれ」
と、ラッピングされた本を手渡される。
件のPOPと引き換えに、という約束のブツである流行の小説である。
こういう些末事でも律儀に報酬を用意してくれる店長も、大概マジメなのだろう。
「あざっす」
「こちらこそありがとうね。こういうちょっとしたものがどうにも私たちには作りにくくてねぇ」
「そんなもんですか。10分少々の作業で文庫本一冊ならボロ儲けなのでいいですが」
「タバサくんそれ店長の前で言っちゃダメ」
てへぺろ。
苦笑いの店長にお疲れさまですと告げ、荷物をまとめる。
「あぁ、そういえばタバサくん。シフト減らさなくて大丈夫なのかい?」
「? 別にテストも何もありませんけど……」
「いや……、その、遊びとか、彼女とかないのかい? ほぼ六日出ずっぱりじゃないか」
「生憎と読書くらいしか趣味がありませんし、彼女もいないので」
「う、そ、そうかい……」
むぅ、困ったと顎に手をやる店長にはてと首を傾げる。
しかし、すぐにピンとくるものがあった。
「もしかして税金ひっかかりそうですか?」
「……計算してみたら、このままじゃ年末に働いてもらえなくなりそうでね」
「なるほど分かりました。じゃあ来週から減らして構いません」
「すまない……、来週からは基本火曜日だけでお願いしていいかな?」
火曜日だけか……、給料減りそうだなぁ。
まぁ、来月はガッツリ突っ込むことになりそうだし、仕方ないだろう。
店長からシフト表を受取り、大丈夫ですと了解する。
「では改めてお疲れさまです」
「うん、お疲れ。また来週ね」
手を振る店長に応え、僕は休憩室からレジをすり抜け、そのまま入口から帰路に着く。
自動ドアがウィーンと開くと、暖房の効いていた店内とは打って変わって身震いする寒みを感じる。
いい加減、衣替えくらいした方がいいかもしれない。
「……はぁー」
もう息も白くなる季節か。
というか、明日からどうしよう。素晴らしくやることがなくなってしまった。
大学のコマ割りも少なめだし、まぁ、だからバイトをぶち込んでいたのだが。
積読なし、課題なし、お金なし、友達なし、おい最後言ったやつ誰だ。
「……ま、どうにかなるでしょ」
最悪ネット小説でも読んでいたら数週間くらいあっという間だ。
問題は好みの話が見つかるかどうかだが。
などとぼんやり考えていたら、いつの間にやらアパートの前だ。
アパートの前……なのだが。
「…………なんだあれ?」
黒っぽい毛玉が、部屋の前にいる。
毛玉……ではなく、子供が体育座りで蹲っているようだった。
ピコピコとケモ耳? と思しき毛先が揺れている。
ウルフ属の子供かと思ったが、腰のあたりから悪魔っぽい翼が生えている。
しかし尻尾はもふっとしており、サキュバス系なのかケモノ系なのか判別がつかない。
「………………」
「………………」
ピコピコと耳だけが動き、睨み合いが(睨んでないけど)続く。
玄関ドアを背に丸まっているせいで、部屋に入れない。
しかし僕の第六感が『コイツをどけると面倒ごとになる』と告げている。
というか、魔物とか家まで来る女性と関わると、経験上ロクなことにならない。
(…………スーパーで珈琲買い足そう)
ここは諸事情により、戦略的撤退を選ぶ。
べ、別に逃げてるわけじゃないんだからねっ、とか言い訳してみる。
―――が、そんなこと許されるわけもなく。
ガシッ。
っと、足を掴まれた。
「………………」
「………………」
洒落怖にこんな足掴むお化けがいた気がする。
とまぁ冗談はさておき、恐る恐る振り返ると案の定さっきの子供が足を掴んでいた。
鼻先を赤らめ、ニッコニッコとさっきまで俯いていた子供の表情とは到底思えない。
「どこ行くんですかぁ?」
うっひぃ。
猫なで声に戦慄する。
昔母さんをマルチに引っ掛けようとしてたババァと同じ声音である。
「いやちょっとそこまで珈琲買いに……」
「あっ、メアはホットココアお願い☆」
ぱちっ☆
とウィンクを飛ばす幼女。
あざといことこの上なく、図々しいことも左に同じく。
というか、それはどういう意味かと彼女の視線を辿ると、自動販売機が一台。
「えっいや缶コーヒーじゃないんですがそれは」
「おーねがいっ☆」
ダメ押しにも一発キラッ☆
ふえぇ、幼女こわいよぉ……。
なお、ホットココアはしっかり買わされた模様。
よわい(僕が
◆ ◆ ◆
くぴくぴ。
そんなあざとい音が、僕の最終防衛ラインもとい自室に響き渡る。
それは、しれっとなし崩し的に図々しく上がりこんだ幼女から発されていた。
まるで我が物のようにベッドの毛布にくるまりやがってこやつ。
「ぷはー☆ いやぁ、温まりますなぁ……」
「お前いつから玄関で待ってたんだよ……」
なお、先ほども名乗っていたがこの娘はメアというファミリアらしい。
何用かとは伺うまでもなく、恐らくはサバトの勧誘だろう。
普段ならそんな怪しいもの、是非もなく追い返すのだがまさかここまで侵入を許すとは……。
「えーっと、公園の時計はまだ上向きでした☆」
「少なくとも4時間はいた計算になるんですがそれは……」
現在時間6時半。
こんなクソ寒いなか、ここまで一人を狙わないといけないほどサバトは切羽詰まっているのか。
「で、要件なに? サバトの勧誘? 僕ロリコンじゃないからお断りします」
「あぁんおにーちゃんのいけず……! そう言わずにサクッと入っちゃいましょうよぉ☆」
「えぇい抱き着くな媚びるな甘えるな。全国の野郎が妹萌えと思うなよ小娘」
YesロリータNoタッチ!
毛布をばっと広げて抱き着かんと飛びつくメアを片手で押さえる。
ぶぎゅっ、と可憐な少女がもらしてはいけない声が響く。
が、知ったこっちゃない。
「今週のノルマ的にあと一人欲しいんですよぉ、ほらぁ、メアを助けると思って……ね☆」
「3.現実は非情である」
「1と2も考慮してよっ!」
ハンサムでもなければ友達もいないのでそもそも僕には選択肢がない。何それ泣ける。
ぷくーっ、と頬を膨らませるメアにひらひらと手を振る。
「はいはいあざといあざとい」
「あざといってなんですかーっ!」
ふん、ぶんぶんと両手を振り上げよってあざといことこの上ない。
母上に寄りつくマルチと宗教勧誘を防ぎきったこの僕にその程度の上っ面が通じると思うてか。
顔色一つ変えずに鼻を鳴らす僕に、メアは面白くなさそうに唇を尖らせる。
「……こんなにカッワイー☆オンナノコに対してテキトーじゃないです?」
「自分で言うか。美人局と押し売りを足して2で割った業突く張りの間違いだろ」
「チッ、なんなのコイツ、ホモなんじゃないの?」
「聞こえてるぞークソガキー」
誰がホモか。
まさか聞こえていると思っていたのか、やべっと口走るメア。
遅れててへっ☆ と舌を出すあたり一周回って尊敬しそうな猫かぶりである。
「ヤダナーソラミミジャナイデスカー☆」
「棒読みすごいですね」
はっ、鼻で笑ってやると、むぅっと上目遣いで睨みつけてくるメア。
コイツのことだからきっと、それすらも可愛くぶっているのだろう。
「とにかく、僕は入らない。OK?」
「おっけーぃ!!」
ズドォン!!
黄昏時の住宅街に響いた銃声。
思わず、一拍遅れて耳を塞いでしまったが、ィィィと耳鳴りがする。
にっ、とイタズラっぽく笑いながら、メアは指鉄砲を見せつける。
「どう? ビックリした? ビックリしたでしょ?」
どうやら今の爆音は魔法で鳴らしただけらしい。
ホッと安心して、僕はメアの脳天に拳骨をゴチッと下ろした。
「ふぎゃっ!?」
「近所迷惑でしょーが、ったく」
頭を押さえるメアに、やれやれと肩をすくめる。
涙を浮かべて、じっとりと恨みがましく睨みつけてくると噛みつくように幼女は吠えた。
「いっ、痛いじゃないですか! 訴えますよ! 訴えたら勝てるんですよ!」
「うっせぇ教育だ教育。そこまで女尊男比じゃねーよ昨今」
むしろ男性が襲われがちな昨今、逆でさえある。
「お前なぁ、イタズラにも限度があるっつの」
「ネタ振りしたのおにーちゃんだもん! メア悪くないもん!」
「振ってねぇよ……」
というかコマンドーが通じると思わなかったわ……。
意外とこの幼女、性格はともかく趣味は合うかもしれない。
「人様に迷惑かけるようなイタズラしてたら友達できねーぞ?」
なんて、どの口が、というツッコミを無視して一般論を述べる。
―――が、これが悪かったらしい。
「なっ……!!」
一瞬でぼんっとメアの顔が真っ赤になり、じわぁと目尻から涙が浮かぶ。
あっこれ要らん地雷踏んだ。
「うっ、うぎゅぅぅぅぅ……!!」
後悔するには遅かったらしく、なだめる前にダム決壊寸前。
あそれでは皆さま耳栓を。
せぇのっ。
「うぁぁぁぁああああああああん!!」
うるさい(小並感
先ほどの銃声が爆音と言うのであれば、この泣き声は何と表現すればいいのか。
耳を塞いでも貫かんばかりの大声がやかましい。
「べあわるぐないもんんんんんん!!」
メアちゃん泣きすぎて熊になっちゃった。
なんてふざけてる場合ではない。
さっさと泣き止ませないと僕の評判がマッハで地に落ちてブラジルまで行っちゃう。
「あああああ、うるせぇうるせぇうるせぇ! 悪かった、僕が悪かったから泣き止めこら!」
「メリズざまのばがあああうぁああん!!」
助けてメリズざま。
チクショウ泣きたいのはこっちの方だ!!
まったく泣き止む気配のないメアに、業腹だが力いっぱい抱きしめる。
「ふがぁぁああああ!! むぁぁあああああ!!」
メアも暴れるでもなく、むしろ胸に顔を押しつけながらくぐもった泣き声をあげる。
……これ傍から聞くとDVっぽく聞こえるんですが僕の明日は大丈夫ですかねぇ?
とりあえず、早く泣き止むことを祈りながら僕はポンポンと彼女の背中を叩いてあやしてやった。
「…………落ち着きました?」
もう泣かない? 大丈夫? 結婚する?
赤くなった目元をハンカチでぬぐってやると、えっぐえっぐとしゃっくりが止まらないようだった。
「…………っだっいじょぶっく」
「…………おっおう」
ぜんぜん大丈夫に見えません。
メリズざまばがーとか、べあわるぐないもんんんとか、吐き出すこと吐き出したのかまぁさっきよりも落ち着いているのは確かだが。
「あー……なんか知らんが悪かったよ。なに? メリズざま? と喧嘩でもしたの?」
「メリズざまじゃないっ! メ・リ・ス・さ・ま!」
「あーおっけーおっけー、メリスさまね、はい」
幼女に気圧されて有無も言わずに頷く大学生の姿が、そこにはあった。
情けないね。というか僕だねソイツ。
「で、そのメリスさまになんかやらかしたの?」
「やっ、やらかしてないもん! ハロウィンだったから、お菓子ねだっただけだもん!」
「……あー、そういや昨日だっけ、ハロウィン」
そういえばバイト先の本屋もそれっぽい装飾してたような……。
まぁ、今はそれはおいておこう。
というか、既になんとなく展開も読めたけど。
「ちなみにどんなふうにねだったの?」
「ホッケーマスクつけて、でっかいチェーンソー回しながら、トリックオアトリートってだみ声で」
「こえぇよ!!」
そりゃメリスさまとやらもビックリするわ!!
ホントこの娘、イタズラの加減というものを知らないのか。
しかし今にも泣きそうなメアに追討ちをかけるわけにもいかず、僕はぐっとその言葉を飲み込む。
「…………で、脅かしすぎて怒られちゃったと?」
「………………」
ぐっ、と涙をこらえるように俯くメア。
どうやら予想通りというか図星らしい。
まぁ、子供の喧嘩らしくなんとも他愛ないが、本人からしたら泣くほどの大事件なのだろう。
「はぁ〜、じゃあ謝りに行けばいいじゃねぇか。僕んとこなんかよりも真っ先に」
「だっ、だって、メリスさま泣かせちゃったんだもん! なんのお詫びもなく、戻れないもん……!」
「お詫びて……変にマセてんなーお前」
社会人か。
というか、そのメリスさまってたぶんバフォメットだろ?
そんなのでムキになって切れるタマじゃないでしょ……。
「だからお詫び代わりサバトに一人勧誘しようって?」
「………………っ」
「あー分かった! 分かったから泣くな! おにーちゃんも付いてってやるから! な!」
とりあえずは、面目を立たせたいその気持ちは分からないでもない。
ガラでもないが、まぁちょっとくらい子供の仲裁くらいしてやらんこともない。
というか、ぶっちゃけるとこれ以上大声を出されると大家さんに追い出されかねない。
「ほんど……?」
「ホントもホント、マジよマジ。だから謝りに行こうな?」
「うん…………」
素直に頷くメアに、あーあと呆れる。
予想通り、面倒くさいことになった。
まぁ、仕方ねーや。毒を食らわば匙までいっちまおう。
「ほら、行くぞ。サバトまで案内してくれよ」
「…………ぶ」
はて?
難聴系主人公ではないが、か細い声がなんと言ったのか聞こえなかった。
首を傾げてみると、メアは顔を真っ赤にして僕をじろっと睨んだ。
「………………おんぶ」
なして?
◆ ◆ ◆
「はぁー、しっかしサバトってでっけーのな」
「………………」
しかもロリしかいない。
一般開放しているくせに、メアを背負ったまま入場すると変なものを見る目で見られた。
メアはあれからずっとだんまりだし、こちらを見ながらひそひそ囁く魔女たちに居心地が悪い。
明らかに高そうな赤い絨毯の上を歩きながら、僕はポリポリと頬を掻いた。
「……根拠ないこと言うけど大丈夫だって。バフォメットだってロリっ娘とは言えド偉い魔物なんだから、メアのやったことくらいどーんと許してくれるって」
「……ホント?」
「ホントホント。嘘だったらハリセンボン飲んでやるよ」
大丈夫だよね?
仮にも組織のトップなんだから器くらいはおっきいですよね?
などと不安な僕とは裏腹に、メアはぐりぐりと眉間を背中に押しつけてくる。
「そんなの飲んだら死ぬもん、却下」
「アッハイ」
マジレスである。
そうですね、命は投げ捨てるものではないですね。
「……も、もしもね?」
「うん?」
「メアがね、メリスさまに許されなかったらね?」
「うんうん」
不安なのかたどたどしく尋ねるメアにうんうん頷く。
心なしか、首筋にかかる息が熱い。
「メア、おにーちゃんの―――」
「おっ、ここが例のメリスさまの部屋?」
っと、折良くメリスさまの部屋を発見。
念のためにメアに確認を取るも、メアからの返答はない。
代わりに、やたらと不機嫌なオーラが背中に重い。
「………………」
「あのー、メアさーん?」
「……違う」
「えっ?」
いや、違うことはないんじゃないかしら?
しかし彼女は重ねて答える。
「……違うもん。ここメリスさまのお部屋じゃないもん」
「いやでも『メリスのへや』って張り紙してあるんだけど」
しかもクレヨンででっかく。
追求すると、彼女はたっぷりと間をおいて、盛大にはぁぁぁぁと重いため息を吐いた。
そして、ぴょんっと跳ねる感触と同時に背中が軽くなる。
「………………」
「なんでぶすっとしてるの?」
「ぶすっとしてない。あと、せめてぷくって言って」
えなにその理不尽なお怒り。
しかし彼女は聞く耳持たないとパンパン頬を張った。
そしてスーハーと大きく深呼吸をし、ぴょんっとドアノブに飛びついてひねった。
そして、木製のドアがキィッと開く。
「………………………」
「………………………」
ぼーっと、焦点の合わぬ瞳を向ける幼女と目が合った。
書類と思しきプリントが部屋中に散乱し、一人でいるにはあまりに広すぎる部屋。
その幼女はぼんやりと一人で椅子に座っていた。
ヤギの角が、心もちしょんぼりしているように見える。
…………予想以上にバフォ様が傷心のご様子でちょっとビビった。
「……んぉ? お、おぉ、これはすまん。客人を迎えもせずにボケておったわ」
「あ、あーいえ、別に客じゃないので……」
なんだこれ。
たっぷりと間をおいてようやくこちらに気付いたバフォ様だが、心ここにあらずといったご様子。
おいなんだこれ。これ絶対に僕いらなかっただろ。
なんて内心グチをこぼしていると、ドアの陰からそっとメアが室内を覗き込んだ。
「……メリス、さま?」
「…………メア? メア! メアではないか! 今までどこをほっつき歩いておったのじゃ!?」
メアの存在に気付いたメリスがばたばたと書類を押しのけながら机を飛び越える。
泣きそうな彼女に臆することなく、メリスはぺたぺたと彼女の顔を触る。
「怪我はないか!? お腹は減っておらんか!? あぁ、こんなに冷えてしもうて……!!」
「だ、だいじょうぶですメリスさま……、おにーちゃんが助けてくれたので……」
されるがままで戸惑いながら、ちらりとメアは僕を見上げる。
はて、助けるって僕なにかしましたっけ。
ホットココアおごらされた仕返しに泣かした覚えしかないぞぅ!
「おぉ、すまぬご客人! メアが世話になったようじゃ……!」
「いや、別に何もしてねぇですよ。ココアおごってお話しただけですし」
たぶん泣かしたって事実は言わない方がいいんだろうな☆
確かファミリアという種族はバフォメットの手によって作られた人工種族。
いわばメリスさまはメアの親。
この様子を見るに親バカに相違あるまい。
「それよりも、メアちゃんと一緒に居てあげてください。彼女、メリスさまに迷惑かけちゃったー、ってしょげてましたよ」
「おにいちゃ、しーっ、しーーーっ!!」
だいぶ遅すぎる制止に胡乱に笑いかけてみる。
「よかったなー、メリスさま怒ってなくて」
「――――――――――――――――っ!!」
声にならない悲鳴にクツクツと笑う。
そのメリスさまとやらに存分に可愛がってもらうがよい。
抗議の声をあげようとメアが口を開いた瞬間、ガバッとメリスに抱きしめられた。
「ぬおお、すまんかったメアあああ! ワシに胆力が足りんかったばっかりにぃぃ!!」
「――――っ!! ―――!」(放してくださいメリスさまー!! あンのホモ野郎殴れないー!)
誰がホモだ。
ではそういうことで、と一つ前置きしてそそくさと退室する。
メアの待ちやがれこのおにーちゃん野郎がああ!! という叫び声が聞こえた気がしたが無視。
これを機会にしっかり話しあいなさい。
ドアを閉め、だだっ広いサバトの出入り口を探して、僕はさっさと家に帰った。
途中、何回か魔女の娘に幼女の魅力について教えてもらいましたが僕は健全です。
◆ ◆ ◆
数日後。
店長からもらった本も読み切り、有川浩作品を引っ張り出したこたつの上に山と積む。
まずは塩の街からと読み進め、気が付けば空の中、海の底、図書館シリーズも2作目と。
そんな穏やかな昼下がりのことだった。
ピンポーン。
来客を知らせるベルが鳴り響き、座布団から重い腰を上げる羽目になった。
パジャマにドテラと、お出迎えにその格好はどうなんだと思わないでもないが気にせず玄関へ。
チェーンを外し、鍵を開けると、僕がドアノブに手を伸ばすよりも先に、ガチャリとドアが開いた。
「やっほー、おにーちゃんっ☆」
咄嗟の判断で、ドアを閉めようとした手を止める。
小賢しくも閉められるよりも先に体を滑り込ましたメアに、盛大にため息を吐いた。
「………………お前さ」
「うんっ、なぁに?」
「………………………いや、うん。せめてなんか羽織ってからウチ来い」
まぁ、来るだろうなー、程度には予想していたのだ。
相も変わらずプリキュアも真っ青な露出の多い彼女に、とりあえずドテラを押しつける。
「わぶっ!? ちょっと! れでぃーに対して扱いが雑じゃないです!?」
「お嬢ちゃん、ホットココア淹れたげるから連いといで。うへへへへへ」
「……棒読みで言われてもノリにくいんですけど」
ぷくー、と頬を膨らませながら、メアは手元のドテラをじっと見下ろす。
少し逡巡したが、なぜか頬を赤らめながら袖にその小さな腕を通した。
手は袖からでないし、裾は床を引きずるし、ちんちくりんすぎて一瞬笑いそうになった。
「ま、まぁ……おにーちゃんにしては潔いんじゃないですかね?」
「どうせ追い出しても魔法とかなんとかで強引に来るんだろ? 知ってる」
潔いのではない。諦めがいいのだ。
「つーか、なんでまたウチに来たんだ? メリスさまからもうお礼として図書カード貰ったんだけど?」
来ることはなんとなく予想していた。
しかし何故来るのか、これは正直まったく理解できなかった。
ノリと雰囲気でなんとなく来るんじゃないかなぁ、と、ほぼ勘だったから。
メアはそんな僕に誠に遺憾だと頬を膨らませた。
「メリスさまだけじゃなくてメアも感謝してるんですよーっ! だからお礼に来たんですー!」
「お礼参りの間違いじゃない? 魔法でボーンとか止めてよね?」
「しーまーせーんー!! どんだけ信用ないんですかメアはー!!」
いちいち仕草があざといなぁホントこいつは。
なんて、冷めた目で彼女を見てるとふと違和感を覚えた。
なんか、遠い。
以前は躊躇いなく抱き着いて来たり、話す時も手が触れるほどの距離だったのに、今日のメアはどこか距離感を覚える。
それに、有無を言わせず以前はベッドに座ったというのに、何故かずっと立ちっぱなしだ。
具体的に言うと、狭い室内だというのに、一畳ほどの距離を感じる。
「………………」
妙な余所余所しさに耐えられず、一歩だけ無言で近づいてみた。
「…………っ!」
すると、ぴょんっと逃げるようにメアが一歩飛びのいた。
訝しげにジト目でメアがこちらを睨みつける。
「……な、なんですか?」
「いや……、なんか今日お前、遠いなーって」
何気なく、その事実を指摘した。
メアはぽかんと口を開けたまま固まり、たっぷり10秒置いて。
ぼんっ。
と真っ赤になった。
「なにゃっ、なーにを言ってるんですかおにーちゃんそれはメアに傍にいてくれっていう遠回しなプロポーズですかまぁメアとしてもそれは吝かではありませんが物事には順序というものがありましてねっ!?」
「待って早口すぎて聞き取れない」
ぷ、ぷ、プロ坊主? ってところだけは辛うじて聞き取れた。
メアは耳まで真っ赤にしてそっぽを向きながらぷるぷると震えている。
「………………っ!!」
涙目で睨まれた。
「あー、分かった分かった。お前も思春期だもんな、デリカシーなかったなうん」
「…………子供扱いしないでくださいっ」
溜飲が下がったのか顔色こそ落ち着いたが、メアは不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いた。
子供って難しい。これがお年頃ってやつか。
などとまじまじ覗き込んでいたら、反転してキッと睨まれた。
「ココアっ!」
「へ?」
「ココア淹れるって言ったでしょ!!」
「あ、あー……そういや言ったな」
「まだ!?」
「…………はいはい、すぐ淹れますよっと」
刺すような視線に白旗をあげ、僕はキッチンに逃げ込んだ。
というか、お礼を言いに来た幼女になぜ僕はココアを催促されているのか。
自分の弱さもとい心の広さに感心しつつ、僕は薬缶に水を注いだ。
「おにーちゃんのバーカ……」
なんかぽそっと聞こえた気がしたが、はっきりと聞き取ることは出来なかった。
何か言ったか? と聞いたら、ハリーアップ!! と怒られた。
「にぶちん……」
今度もよく聞こえなかったが、もう何も聞き返さなかった。
キュー、っと油性マジックで線を引いていると、ふと頭上からそんな声が響いた。
上からボールペンで、我が店特有のウサギマスコットを描きながら顔をあげる。
「おだてても何も出ませんが」
「そういうつもりじゃないよ。ただ今どき珍しいけど、有難いねぇって」
「はぁ……」
(*'▽')<店長のススメ
ゲイザーちゃんと、心優しい少年の王道ファンタジーラブコメディ
そこまで書いてしまって、なんともひねりのない煽り文句になってしまったと後悔する。
仕方ないのでゲイザーもちょちょいと描いて、内容のセリフを一部抜粋。
「あ、アタシじゃもふもふは出来ないけど……。ほ、ほら! 触手でぎゅーってしてやったらあったかいかもしれないぞ!」
健気なゲイザーちゃんかわいいよゲイザーちゃん、とまで書き込みふむと頷く。
完っ璧。
「こんな感じでいいですか?」
「キミは無表情で愉快なことを書くね……」
何やら胡乱な視線を送る店長から目をそらし、ジョキジョキと雲状にPOPを切る。
これだけやれば、最低限の完成度にはなっているだろう。
「じゃあ、これ貼り付けてきます」
「いや、勤務時間外にそこまでしなくても構わないよ。あとは別の子に任せおくさ」
「ですが僕が任された仕事ですし……」
「いいからいいから。これ以上はさすがに申し訳ないし……はいこれ」
と、ラッピングされた本を手渡される。
件のPOPと引き換えに、という約束のブツである流行の小説である。
こういう些末事でも律儀に報酬を用意してくれる店長も、大概マジメなのだろう。
「あざっす」
「こちらこそありがとうね。こういうちょっとしたものがどうにも私たちには作りにくくてねぇ」
「そんなもんですか。10分少々の作業で文庫本一冊ならボロ儲けなのでいいですが」
「タバサくんそれ店長の前で言っちゃダメ」
てへぺろ。
苦笑いの店長にお疲れさまですと告げ、荷物をまとめる。
「あぁ、そういえばタバサくん。シフト減らさなくて大丈夫なのかい?」
「? 別にテストも何もありませんけど……」
「いや……、その、遊びとか、彼女とかないのかい? ほぼ六日出ずっぱりじゃないか」
「生憎と読書くらいしか趣味がありませんし、彼女もいないので」
「う、そ、そうかい……」
むぅ、困ったと顎に手をやる店長にはてと首を傾げる。
しかし、すぐにピンとくるものがあった。
「もしかして税金ひっかかりそうですか?」
「……計算してみたら、このままじゃ年末に働いてもらえなくなりそうでね」
「なるほど分かりました。じゃあ来週から減らして構いません」
「すまない……、来週からは基本火曜日だけでお願いしていいかな?」
火曜日だけか……、給料減りそうだなぁ。
まぁ、来月はガッツリ突っ込むことになりそうだし、仕方ないだろう。
店長からシフト表を受取り、大丈夫ですと了解する。
「では改めてお疲れさまです」
「うん、お疲れ。また来週ね」
手を振る店長に応え、僕は休憩室からレジをすり抜け、そのまま入口から帰路に着く。
自動ドアがウィーンと開くと、暖房の効いていた店内とは打って変わって身震いする寒みを感じる。
いい加減、衣替えくらいした方がいいかもしれない。
「……はぁー」
もう息も白くなる季節か。
というか、明日からどうしよう。素晴らしくやることがなくなってしまった。
大学のコマ割りも少なめだし、まぁ、だからバイトをぶち込んでいたのだが。
積読なし、課題なし、お金なし、友達なし、おい最後言ったやつ誰だ。
「……ま、どうにかなるでしょ」
最悪ネット小説でも読んでいたら数週間くらいあっという間だ。
問題は好みの話が見つかるかどうかだが。
などとぼんやり考えていたら、いつの間にやらアパートの前だ。
アパートの前……なのだが。
「…………なんだあれ?」
黒っぽい毛玉が、部屋の前にいる。
毛玉……ではなく、子供が体育座りで蹲っているようだった。
ピコピコとケモ耳? と思しき毛先が揺れている。
ウルフ属の子供かと思ったが、腰のあたりから悪魔っぽい翼が生えている。
しかし尻尾はもふっとしており、サキュバス系なのかケモノ系なのか判別がつかない。
「………………」
「………………」
ピコピコと耳だけが動き、睨み合いが(睨んでないけど)続く。
玄関ドアを背に丸まっているせいで、部屋に入れない。
しかし僕の第六感が『コイツをどけると面倒ごとになる』と告げている。
というか、魔物とか家まで来る女性と関わると、経験上ロクなことにならない。
(…………スーパーで珈琲買い足そう)
ここは諸事情により、戦略的撤退を選ぶ。
べ、別に逃げてるわけじゃないんだからねっ、とか言い訳してみる。
―――が、そんなこと許されるわけもなく。
ガシッ。
っと、足を掴まれた。
「………………」
「………………」
洒落怖にこんな足掴むお化けがいた気がする。
とまぁ冗談はさておき、恐る恐る振り返ると案の定さっきの子供が足を掴んでいた。
鼻先を赤らめ、ニッコニッコとさっきまで俯いていた子供の表情とは到底思えない。
「どこ行くんですかぁ?」
うっひぃ。
猫なで声に戦慄する。
昔母さんをマルチに引っ掛けようとしてたババァと同じ声音である。
「いやちょっとそこまで珈琲買いに……」
「あっ、メアはホットココアお願い☆」
ぱちっ☆
とウィンクを飛ばす幼女。
あざといことこの上なく、図々しいことも左に同じく。
というか、それはどういう意味かと彼女の視線を辿ると、自動販売機が一台。
「えっいや缶コーヒーじゃないんですがそれは」
「おーねがいっ☆」
ダメ押しにも一発キラッ☆
ふえぇ、幼女こわいよぉ……。
なお、ホットココアはしっかり買わされた模様。
よわい(僕が
◆ ◆ ◆
くぴくぴ。
そんなあざとい音が、僕の最終防衛ラインもとい自室に響き渡る。
それは、しれっとなし崩し的に図々しく上がりこんだ幼女から発されていた。
まるで我が物のようにベッドの毛布にくるまりやがってこやつ。
「ぷはー☆ いやぁ、温まりますなぁ……」
「お前いつから玄関で待ってたんだよ……」
なお、先ほども名乗っていたがこの娘はメアというファミリアらしい。
何用かとは伺うまでもなく、恐らくはサバトの勧誘だろう。
普段ならそんな怪しいもの、是非もなく追い返すのだがまさかここまで侵入を許すとは……。
「えーっと、公園の時計はまだ上向きでした☆」
「少なくとも4時間はいた計算になるんですがそれは……」
現在時間6時半。
こんなクソ寒いなか、ここまで一人を狙わないといけないほどサバトは切羽詰まっているのか。
「で、要件なに? サバトの勧誘? 僕ロリコンじゃないからお断りします」
「あぁんおにーちゃんのいけず……! そう言わずにサクッと入っちゃいましょうよぉ☆」
「えぇい抱き着くな媚びるな甘えるな。全国の野郎が妹萌えと思うなよ小娘」
YesロリータNoタッチ!
毛布をばっと広げて抱き着かんと飛びつくメアを片手で押さえる。
ぶぎゅっ、と可憐な少女がもらしてはいけない声が響く。
が、知ったこっちゃない。
「今週のノルマ的にあと一人欲しいんですよぉ、ほらぁ、メアを助けると思って……ね☆」
「3.現実は非情である」
「1と2も考慮してよっ!」
ハンサムでもなければ友達もいないのでそもそも僕には選択肢がない。何それ泣ける。
ぷくーっ、と頬を膨らませるメアにひらひらと手を振る。
「はいはいあざといあざとい」
「あざといってなんですかーっ!」
ふん、ぶんぶんと両手を振り上げよってあざといことこの上ない。
母上に寄りつくマルチと宗教勧誘を防ぎきったこの僕にその程度の上っ面が通じると思うてか。
顔色一つ変えずに鼻を鳴らす僕に、メアは面白くなさそうに唇を尖らせる。
「……こんなにカッワイー☆オンナノコに対してテキトーじゃないです?」
「自分で言うか。美人局と押し売りを足して2で割った業突く張りの間違いだろ」
「チッ、なんなのコイツ、ホモなんじゃないの?」
「聞こえてるぞークソガキー」
誰がホモか。
まさか聞こえていると思っていたのか、やべっと口走るメア。
遅れててへっ☆ と舌を出すあたり一周回って尊敬しそうな猫かぶりである。
「ヤダナーソラミミジャナイデスカー☆」
「棒読みすごいですね」
はっ、鼻で笑ってやると、むぅっと上目遣いで睨みつけてくるメア。
コイツのことだからきっと、それすらも可愛くぶっているのだろう。
「とにかく、僕は入らない。OK?」
「おっけーぃ!!」
ズドォン!!
黄昏時の住宅街に響いた銃声。
思わず、一拍遅れて耳を塞いでしまったが、ィィィと耳鳴りがする。
にっ、とイタズラっぽく笑いながら、メアは指鉄砲を見せつける。
「どう? ビックリした? ビックリしたでしょ?」
どうやら今の爆音は魔法で鳴らしただけらしい。
ホッと安心して、僕はメアの脳天に拳骨をゴチッと下ろした。
「ふぎゃっ!?」
「近所迷惑でしょーが、ったく」
頭を押さえるメアに、やれやれと肩をすくめる。
涙を浮かべて、じっとりと恨みがましく睨みつけてくると噛みつくように幼女は吠えた。
「いっ、痛いじゃないですか! 訴えますよ! 訴えたら勝てるんですよ!」
「うっせぇ教育だ教育。そこまで女尊男比じゃねーよ昨今」
むしろ男性が襲われがちな昨今、逆でさえある。
「お前なぁ、イタズラにも限度があるっつの」
「ネタ振りしたのおにーちゃんだもん! メア悪くないもん!」
「振ってねぇよ……」
というかコマンドーが通じると思わなかったわ……。
意外とこの幼女、性格はともかく趣味は合うかもしれない。
「人様に迷惑かけるようなイタズラしてたら友達できねーぞ?」
なんて、どの口が、というツッコミを無視して一般論を述べる。
―――が、これが悪かったらしい。
「なっ……!!」
一瞬でぼんっとメアの顔が真っ赤になり、じわぁと目尻から涙が浮かぶ。
あっこれ要らん地雷踏んだ。
「うっ、うぎゅぅぅぅぅ……!!」
後悔するには遅かったらしく、なだめる前にダム決壊寸前。
あそれでは皆さま耳栓を。
せぇのっ。
「うぁぁぁぁああああああああん!!」
うるさい(小並感
先ほどの銃声が爆音と言うのであれば、この泣き声は何と表現すればいいのか。
耳を塞いでも貫かんばかりの大声がやかましい。
「べあわるぐないもんんんんんん!!」
メアちゃん泣きすぎて熊になっちゃった。
なんてふざけてる場合ではない。
さっさと泣き止ませないと僕の評判がマッハで地に落ちてブラジルまで行っちゃう。
「あああああ、うるせぇうるせぇうるせぇ! 悪かった、僕が悪かったから泣き止めこら!」
「メリズざまのばがあああうぁああん!!」
助けてメリズざま。
チクショウ泣きたいのはこっちの方だ!!
まったく泣き止む気配のないメアに、業腹だが力いっぱい抱きしめる。
「ふがぁぁああああ!! むぁぁあああああ!!」
メアも暴れるでもなく、むしろ胸に顔を押しつけながらくぐもった泣き声をあげる。
……これ傍から聞くとDVっぽく聞こえるんですが僕の明日は大丈夫ですかねぇ?
とりあえず、早く泣き止むことを祈りながら僕はポンポンと彼女の背中を叩いてあやしてやった。
「…………落ち着きました?」
もう泣かない? 大丈夫? 結婚する?
赤くなった目元をハンカチでぬぐってやると、えっぐえっぐとしゃっくりが止まらないようだった。
「…………っだっいじょぶっく」
「…………おっおう」
ぜんぜん大丈夫に見えません。
メリズざまばがーとか、べあわるぐないもんんんとか、吐き出すこと吐き出したのかまぁさっきよりも落ち着いているのは確かだが。
「あー……なんか知らんが悪かったよ。なに? メリズざま? と喧嘩でもしたの?」
「メリズざまじゃないっ! メ・リ・ス・さ・ま!」
「あーおっけーおっけー、メリスさまね、はい」
幼女に気圧されて有無も言わずに頷く大学生の姿が、そこにはあった。
情けないね。というか僕だねソイツ。
「で、そのメリスさまになんかやらかしたの?」
「やっ、やらかしてないもん! ハロウィンだったから、お菓子ねだっただけだもん!」
「……あー、そういや昨日だっけ、ハロウィン」
そういえばバイト先の本屋もそれっぽい装飾してたような……。
まぁ、今はそれはおいておこう。
というか、既になんとなく展開も読めたけど。
「ちなみにどんなふうにねだったの?」
「ホッケーマスクつけて、でっかいチェーンソー回しながら、トリックオアトリートってだみ声で」
「こえぇよ!!」
そりゃメリスさまとやらもビックリするわ!!
ホントこの娘、イタズラの加減というものを知らないのか。
しかし今にも泣きそうなメアに追討ちをかけるわけにもいかず、僕はぐっとその言葉を飲み込む。
「…………で、脅かしすぎて怒られちゃったと?」
「………………」
ぐっ、と涙をこらえるように俯くメア。
どうやら予想通りというか図星らしい。
まぁ、子供の喧嘩らしくなんとも他愛ないが、本人からしたら泣くほどの大事件なのだろう。
「はぁ〜、じゃあ謝りに行けばいいじゃねぇか。僕んとこなんかよりも真っ先に」
「だっ、だって、メリスさま泣かせちゃったんだもん! なんのお詫びもなく、戻れないもん……!」
「お詫びて……変にマセてんなーお前」
社会人か。
というか、そのメリスさまってたぶんバフォメットだろ?
そんなのでムキになって切れるタマじゃないでしょ……。
「だからお詫び代わりサバトに一人勧誘しようって?」
「………………っ」
「あー分かった! 分かったから泣くな! おにーちゃんも付いてってやるから! な!」
とりあえずは、面目を立たせたいその気持ちは分からないでもない。
ガラでもないが、まぁちょっとくらい子供の仲裁くらいしてやらんこともない。
というか、ぶっちゃけるとこれ以上大声を出されると大家さんに追い出されかねない。
「ほんど……?」
「ホントもホント、マジよマジ。だから謝りに行こうな?」
「うん…………」
素直に頷くメアに、あーあと呆れる。
予想通り、面倒くさいことになった。
まぁ、仕方ねーや。毒を食らわば匙までいっちまおう。
「ほら、行くぞ。サバトまで案内してくれよ」
「…………ぶ」
はて?
難聴系主人公ではないが、か細い声がなんと言ったのか聞こえなかった。
首を傾げてみると、メアは顔を真っ赤にして僕をじろっと睨んだ。
「………………おんぶ」
なして?
◆ ◆ ◆
「はぁー、しっかしサバトってでっけーのな」
「………………」
しかもロリしかいない。
一般開放しているくせに、メアを背負ったまま入場すると変なものを見る目で見られた。
メアはあれからずっとだんまりだし、こちらを見ながらひそひそ囁く魔女たちに居心地が悪い。
明らかに高そうな赤い絨毯の上を歩きながら、僕はポリポリと頬を掻いた。
「……根拠ないこと言うけど大丈夫だって。バフォメットだってロリっ娘とは言えド偉い魔物なんだから、メアのやったことくらいどーんと許してくれるって」
「……ホント?」
「ホントホント。嘘だったらハリセンボン飲んでやるよ」
大丈夫だよね?
仮にも組織のトップなんだから器くらいはおっきいですよね?
などと不安な僕とは裏腹に、メアはぐりぐりと眉間を背中に押しつけてくる。
「そんなの飲んだら死ぬもん、却下」
「アッハイ」
マジレスである。
そうですね、命は投げ捨てるものではないですね。
「……も、もしもね?」
「うん?」
「メアがね、メリスさまに許されなかったらね?」
「うんうん」
不安なのかたどたどしく尋ねるメアにうんうん頷く。
心なしか、首筋にかかる息が熱い。
「メア、おにーちゃんの―――」
「おっ、ここが例のメリスさまの部屋?」
っと、折良くメリスさまの部屋を発見。
念のためにメアに確認を取るも、メアからの返答はない。
代わりに、やたらと不機嫌なオーラが背中に重い。
「………………」
「あのー、メアさーん?」
「……違う」
「えっ?」
いや、違うことはないんじゃないかしら?
しかし彼女は重ねて答える。
「……違うもん。ここメリスさまのお部屋じゃないもん」
「いやでも『メリスのへや』って張り紙してあるんだけど」
しかもクレヨンででっかく。
追求すると、彼女はたっぷりと間をおいて、盛大にはぁぁぁぁと重いため息を吐いた。
そして、ぴょんっと跳ねる感触と同時に背中が軽くなる。
「………………」
「なんでぶすっとしてるの?」
「ぶすっとしてない。あと、せめてぷくって言って」
えなにその理不尽なお怒り。
しかし彼女は聞く耳持たないとパンパン頬を張った。
そしてスーハーと大きく深呼吸をし、ぴょんっとドアノブに飛びついてひねった。
そして、木製のドアがキィッと開く。
「………………………」
「………………………」
ぼーっと、焦点の合わぬ瞳を向ける幼女と目が合った。
書類と思しきプリントが部屋中に散乱し、一人でいるにはあまりに広すぎる部屋。
その幼女はぼんやりと一人で椅子に座っていた。
ヤギの角が、心もちしょんぼりしているように見える。
…………予想以上にバフォ様が傷心のご様子でちょっとビビった。
「……んぉ? お、おぉ、これはすまん。客人を迎えもせずにボケておったわ」
「あ、あーいえ、別に客じゃないので……」
なんだこれ。
たっぷりと間をおいてようやくこちらに気付いたバフォ様だが、心ここにあらずといったご様子。
おいなんだこれ。これ絶対に僕いらなかっただろ。
なんて内心グチをこぼしていると、ドアの陰からそっとメアが室内を覗き込んだ。
「……メリス、さま?」
「…………メア? メア! メアではないか! 今までどこをほっつき歩いておったのじゃ!?」
メアの存在に気付いたメリスがばたばたと書類を押しのけながら机を飛び越える。
泣きそうな彼女に臆することなく、メリスはぺたぺたと彼女の顔を触る。
「怪我はないか!? お腹は減っておらんか!? あぁ、こんなに冷えてしもうて……!!」
「だ、だいじょうぶですメリスさま……、おにーちゃんが助けてくれたので……」
されるがままで戸惑いながら、ちらりとメアは僕を見上げる。
はて、助けるって僕なにかしましたっけ。
ホットココアおごらされた仕返しに泣かした覚えしかないぞぅ!
「おぉ、すまぬご客人! メアが世話になったようじゃ……!」
「いや、別に何もしてねぇですよ。ココアおごってお話しただけですし」
たぶん泣かしたって事実は言わない方がいいんだろうな☆
確かファミリアという種族はバフォメットの手によって作られた人工種族。
いわばメリスさまはメアの親。
この様子を見るに親バカに相違あるまい。
「それよりも、メアちゃんと一緒に居てあげてください。彼女、メリスさまに迷惑かけちゃったー、ってしょげてましたよ」
「おにいちゃ、しーっ、しーーーっ!!」
だいぶ遅すぎる制止に胡乱に笑いかけてみる。
「よかったなー、メリスさま怒ってなくて」
「――――――――――――――――っ!!」
声にならない悲鳴にクツクツと笑う。
そのメリスさまとやらに存分に可愛がってもらうがよい。
抗議の声をあげようとメアが口を開いた瞬間、ガバッとメリスに抱きしめられた。
「ぬおお、すまんかったメアあああ! ワシに胆力が足りんかったばっかりにぃぃ!!」
「――――っ!! ―――!」(放してくださいメリスさまー!! あンのホモ野郎殴れないー!)
誰がホモだ。
ではそういうことで、と一つ前置きしてそそくさと退室する。
メアの待ちやがれこのおにーちゃん野郎がああ!! という叫び声が聞こえた気がしたが無視。
これを機会にしっかり話しあいなさい。
ドアを閉め、だだっ広いサバトの出入り口を探して、僕はさっさと家に帰った。
途中、何回か魔女の娘に幼女の魅力について教えてもらいましたが僕は健全です。
◆ ◆ ◆
数日後。
店長からもらった本も読み切り、有川浩作品を引っ張り出したこたつの上に山と積む。
まずは塩の街からと読み進め、気が付けば空の中、海の底、図書館シリーズも2作目と。
そんな穏やかな昼下がりのことだった。
ピンポーン。
来客を知らせるベルが鳴り響き、座布団から重い腰を上げる羽目になった。
パジャマにドテラと、お出迎えにその格好はどうなんだと思わないでもないが気にせず玄関へ。
チェーンを外し、鍵を開けると、僕がドアノブに手を伸ばすよりも先に、ガチャリとドアが開いた。
「やっほー、おにーちゃんっ☆」
咄嗟の判断で、ドアを閉めようとした手を止める。
小賢しくも閉められるよりも先に体を滑り込ましたメアに、盛大にため息を吐いた。
「………………お前さ」
「うんっ、なぁに?」
「………………………いや、うん。せめてなんか羽織ってからウチ来い」
まぁ、来るだろうなー、程度には予想していたのだ。
相も変わらずプリキュアも真っ青な露出の多い彼女に、とりあえずドテラを押しつける。
「わぶっ!? ちょっと! れでぃーに対して扱いが雑じゃないです!?」
「お嬢ちゃん、ホットココア淹れたげるから連いといで。うへへへへへ」
「……棒読みで言われてもノリにくいんですけど」
ぷくー、と頬を膨らませながら、メアは手元のドテラをじっと見下ろす。
少し逡巡したが、なぜか頬を赤らめながら袖にその小さな腕を通した。
手は袖からでないし、裾は床を引きずるし、ちんちくりんすぎて一瞬笑いそうになった。
「ま、まぁ……おにーちゃんにしては潔いんじゃないですかね?」
「どうせ追い出しても魔法とかなんとかで強引に来るんだろ? 知ってる」
潔いのではない。諦めがいいのだ。
「つーか、なんでまたウチに来たんだ? メリスさまからもうお礼として図書カード貰ったんだけど?」
来ることはなんとなく予想していた。
しかし何故来るのか、これは正直まったく理解できなかった。
ノリと雰囲気でなんとなく来るんじゃないかなぁ、と、ほぼ勘だったから。
メアはそんな僕に誠に遺憾だと頬を膨らませた。
「メリスさまだけじゃなくてメアも感謝してるんですよーっ! だからお礼に来たんですー!」
「お礼参りの間違いじゃない? 魔法でボーンとか止めてよね?」
「しーまーせーんー!! どんだけ信用ないんですかメアはー!!」
いちいち仕草があざといなぁホントこいつは。
なんて、冷めた目で彼女を見てるとふと違和感を覚えた。
なんか、遠い。
以前は躊躇いなく抱き着いて来たり、話す時も手が触れるほどの距離だったのに、今日のメアはどこか距離感を覚える。
それに、有無を言わせず以前はベッドに座ったというのに、何故かずっと立ちっぱなしだ。
具体的に言うと、狭い室内だというのに、一畳ほどの距離を感じる。
「………………」
妙な余所余所しさに耐えられず、一歩だけ無言で近づいてみた。
「…………っ!」
すると、ぴょんっと逃げるようにメアが一歩飛びのいた。
訝しげにジト目でメアがこちらを睨みつける。
「……な、なんですか?」
「いや……、なんか今日お前、遠いなーって」
何気なく、その事実を指摘した。
メアはぽかんと口を開けたまま固まり、たっぷり10秒置いて。
ぼんっ。
と真っ赤になった。
「なにゃっ、なーにを言ってるんですかおにーちゃんそれはメアに傍にいてくれっていう遠回しなプロポーズですかまぁメアとしてもそれは吝かではありませんが物事には順序というものがありましてねっ!?」
「待って早口すぎて聞き取れない」
ぷ、ぷ、プロ坊主? ってところだけは辛うじて聞き取れた。
メアは耳まで真っ赤にしてそっぽを向きながらぷるぷると震えている。
「………………っ!!」
涙目で睨まれた。
「あー、分かった分かった。お前も思春期だもんな、デリカシーなかったなうん」
「…………子供扱いしないでくださいっ」
溜飲が下がったのか顔色こそ落ち着いたが、メアは不機嫌そうにぷいっとそっぽを向いた。
子供って難しい。これがお年頃ってやつか。
などとまじまじ覗き込んでいたら、反転してキッと睨まれた。
「ココアっ!」
「へ?」
「ココア淹れるって言ったでしょ!!」
「あ、あー……そういや言ったな」
「まだ!?」
「…………はいはい、すぐ淹れますよっと」
刺すような視線に白旗をあげ、僕はキッチンに逃げ込んだ。
というか、お礼を言いに来た幼女になぜ僕はココアを催促されているのか。
自分の弱さもとい心の広さに感心しつつ、僕は薬缶に水を注いだ。
「おにーちゃんのバーカ……」
なんかぽそっと聞こえた気がしたが、はっきりと聞き取ることは出来なかった。
何か言ったか? と聞いたら、ハリーアップ!! と怒られた。
「にぶちん……」
今度もよく聞こえなかったが、もう何も聞き返さなかった。
21/12/11 16:42更新 / 残骸