私とイイコトしませんか☆
人生という棒グラフは株価のようなものだ。
どう足掻いても浮き沈みがあり、誰しもが絶頂のままでいられる道理はない。
ジョジョ第五部のラスボスも、最強の能力を持ちながらとんでもない落とし穴に落ちた。
それに比べれば、パチンコに負けたなんて笑えるような不運だろう。
「うーん、グロい」
運気の負債からワンチャンないかと回したガチャも尋常じゃなく渋い。
銅銅銅銅銅銅銅銅銅銀。グロすぎて画面がガングロになっちゃったわね。
今日の俺は厄日で決定、早く明日が来ねぇかな。
「はぁ……」
ため息を吐くと幸せが逃げる。小言が好きな友人の口癖だ。
しかし自業自得とはいえ、遊ぶ小銭も余力も根こそぎ持って行かれたのだ。
何もすることのない日曜日の昼下がり、ため息の一つでもこぼしたくなる。
止めておけばいいのに、目下の往来に目が滑る。
タピオカ片手に談笑する女子高生。子供と思しきドラゴンを肩車するママドラゴン。
ギターの弾き語りをする青年の隣でハミングする、カップルと思しきセイレーン。
幸せそうな休日の風景に、自分が何をしているのか分からず軽く死にたくなった。
不意につんつんと、背中をつつかれる感触に肩が跳ねた。
「うわっ」
予期せぬ刺激に情けない悲鳴が漏れた。
慌てて振り返ると、大きな獣のような指を一本伸ばした幼女がニマニマと笑っている。
隠すそぶりもないその小ばかにした笑顔から察するに、彼女が犯人なのだろう。
「にひひっ! 不景気そうな顔してますね、おにーさん☆」
ぱちりと瞳の中の星がまたたいて、生意気そうな八重歯がきらりと光る。
大きなケモ耳がぴこぴこと揺れるたびに、お菓子のような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
何度か見たことのある、確かファミリアとかいうサバトの魔物娘だったはずだ。
「そう見えるんなら放っといてくれ。ほら、ガキはあっち行った行った」
ガキに八つ当たりなんてみっともない。
これ以上この生意気そうな娘と一緒にいると、もっと言葉が荒れそうで嫌だった。
内心ほぞを噛みながら、邪険に手を振る。
「まぁまぁそう仰らず。どーせお暇なんでしょ〜?」
煽るやん。
こめかみが少し痛んだ。青筋が浮いたかもしれない。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、彼女は足元にすり寄ってくる。
太ももにその小さな頭を乗せて、挑発的な目がこちらを見上げる。
「イライラは身体に毒ですよ? 私とイイコト、しませんか?」
そう言って、身体に似合わず大きな手が内腿を撫でる。
小さくても彼女は魔物娘だ。つまるところ、そういう挑発なのだろう。
このメスガキが。
「ハッ、ちんちくりんが言いやがる。いいぜ、あとで後悔しても知らねぇぞ」
別にロリコンというわけではないが、このガキにはキツいお灸を据える必要がある。
普段なら丁重にお断りするが、どうにも俺も気が立っているらしい。
幼女は俺の返事にニヤリと口端を歪める。
どうせチョロいとでもこちらを小ばかにしているのだろう。
「ではでは一名様ごあんなーい☆ 私についてきてくださいね、おにーさん♥」
そう言って鼻歌交じりにスキップするファミリア。
小ぶりなお尻をご機嫌に揺らす彼女に、絶対に泣かしてやると誓う。
人これをフラグという。敗色濃厚な方の。
兎にも角にも、目の前の生意気なメスガキをどうしてやろうかと考えながら、俺は素直に彼女の後ろをついていくことにした。
◆ ◆ ◆
「どこまで歩かせんだよオメー」
繁華街を抜けて、空っ風が骨身に染みる河川敷。
ジャケットを着こんでいても堪える寒さだというのに、惜しげもなく肌を晒した目の前の幼女はどこ吹く風かずんずんと歩いている。
くるりと振り返った彼女は、相も変わらずニマニマとしたり顔だ。
「オメーじゃなくて、私にはミコって可愛い名前があるんですよ、おにーさん☆」
「あっそ。俺もおにーさんじゃなくてスズキって名前があるんだけど?」
「モブっぽいお名前ですねぇ」
マジで泣かせたろ。
改めて心に誓うと、彼女はぴょんぴょんと土手へと降りていく。
まさかこんなクソ寒いなか青姦か? 顔をしかめる俺とは真逆に、ミコは笑顔で頷く。
「うん、ここがいっかな!」
正気か?
あからさまに嫌がっているのが顔に出たのか、ミコが俺の表情を見てニタリと笑う。
「あれあれぇ〜、怖気づいたんですかぁ〜?」
「ハッ、どの口が」
感情を天秤にかけて、このメスガキを理解らせたいという欲望が傾いた。
鼻で笑う俺の反応が嬉しいのか、ミコはニコニコ笑顔だ。
その笑顔がアヘ顔で許しを請うまでが今一番の楽しみだ。
「ではでは♥」
そう言って彼女はごそごそと懐をまさぐる。
何かこちらに魔法でも掛けるつもりなのか。
警戒する俺に、彼女はハイっとこちらの手に冷たい何かを押し付ける。
火ばさみだった。
「は?」
「あ、こちらもどうぞ」
そしてガサリと渡された大きなナイロン製の袋。
デカデカと書かれた文字列は『事業系一般廃棄物収集袋』
サバト印なのか、魔法陣のワンポイントマークがついている。
「可燃物でも不燃物でも入れていい魔法のゴミ袋です。さぁっ、スズキさん! 一緒に川をキレイにしましょうね☆」
「待てや」
ぐっとサムズアップする幼女の肩を掴む。
びっくりするほど用意してた股間が萎えた。
きょとんと曇りなき眼でこちらを見上げるミコに、俺が間違っているのかと我を疑う。
ひょっとして、男として見られてない。あぁ、それならあり得る。なにそれ泣きそう。
「どうかなさいましたかスズキさん?」
「……つかぬことを聞いていいか」
「えぇ、もちろん! なんなりと!」
ふんすと元気に鼻息を漏らすミコ。
ぐっと握った丸いこぶしと言い、何やら気合十分である。
「……俺ら、今から何すんの?」
「お掃除ですが?」
素手だと火ばさみ冷たいですよね、気が回らずにすいません。
そう言って彼女は軍手を渡してきた。
黄色いつぶつぶがついていないタイプのヤツだった。
「……誰かに頼まれでもしたのか?」
「いいえ? 前々から汚いなぁ〜と思ってて、私もお休み頂いたので」
つまり、清掃当番でもなんでもなく、マジのボランティアということらしい。
それもご近所さま参加型の規模のあるものでもなく、完全にミコの個人的な。
「……イイコトって言ってなかったっけ?」
「イイコトじゃないですか☆」
慈善的な意味では確かにイイコトかもしれない。
だったらカタカナで言わないでほしい。俺は性的な意味かと思ったんだが。
「イイコトすると心もスッキリしますよ☆ ほらほら、一緒に頑張りましょう!」
「……はぁ」
なんだか、毒気を抜かれた気分だ。
ぐいぐいと背中を押してくる彼女に、仕方なく軍手を手に嵌める。
刺しこむような寒さが、少しだけマシになった気がする。
「なんで折角の日曜にゴミ拾いなんぞ……」
……いや、本当になんで?
なんで俺もゴミ掃除する流れになってんだ? 勝手に帰ればよくないか?
公言するつもりはないがボランティアなんてクソくらえだ。
一銭の得にもならねぇ骨折り損のくたびれ儲けほど無駄な時間の使い方はこの世にない。
ミコのペースに流されている自分に気付き逡巡する。
「なんで人間は簡単にゴミを捨てるんですかねぇ。私には理解できません」
ちらりと見やると、彼女はこちらに見向きもせずゴミ拾いを始めていた。
ぬかるんだ草の根からアルミ缶を拾って、やれやれなんて肩をすくめている。
ふわふわとした大きな獣のような手が少し泥に汚れている。
他人さまに軍手と火ばさみを渡しておいて、彼女は素手でゴミを拾っているらしい。
「……クソが」
大人を舐めやがって。
火ばさみで拾ったタバコの吸い殻を、ゴミ袋に放りこんだ。
「おい、いつまでゴミ拾いさせるつもりなんだ」
ミコに渡されたゴミ袋もいっぱいになり、義理で付き合ってやるには俺も飽きてきた。
ゴミ袋一つ分、大人が子供に付き合ってやったという風体は充分に飾れたことだろう。
腕時計を見てみれば既に3時を回ってしまっている。
「あ、スズキさん。ちょうどいいところに」
草むらからがさりと顔を覗かせるミコ。
両手は泥だらけで、健康的な桃色の頬にもいくらか泥が跳ねている。
見ているだけで凍えそうな格好だが、彼女は気にもせずくいくいと手招きしている。
しょうがなくついていくと、そこには錆を超えて腐食してボロボロの自転車があった。
「これ、スズキさん持てます? 私には少し重くって」
魔法とか使わないのかこのファミリア。
怪訝に思う雰囲気が伝わったのか。彼女は困ったように微笑んでいる。
小さく舌打ちして、自転車の腐食が進んでいないフレームを掴んで引きずる。
「……クソ重ぇ」
「土手の上までお願いします。回収業者さんに運んでもらいますので」
いけしゃあしゃあとのたまうが、出来ないと言うのはあまりにも情けない。
軍手越しにも伝わる湿った鉄の冷たさに苛立ちを覚えるが、なんとか川べりから自転車を引っ張り出すことは出来た。
パチパチと拍手するミコに、大きくため息をこぼす。
「……俺、もう帰ってもいいか?」
「えぇ! スズキさんのおかげでこんなにゴミが拾えました! ありがとうございます!」
そう言ってはにかむ幼女に、文句の一つでもつけたくなるが喉が乾いている。
辺りを見渡すと、丁度いいところに自動販売機があった。
財布の中には幸いにも小銭があり、ジュースを買うくらいは問題なさそうだった。
「………………」
なんとなく、ココアを二本買った。
そう言えばミコの手は汚れてたなと、プルタブを開けてやる。
ゴミ袋の口を結んでいた彼女は、一息ついたのか額を拭っていたところだった。
「おい」
「あら、スズキさん? お帰りになったのでは……」
無言で差し出されたココアに、彼女の目が丸くなった。
俺が気まぐれにしたって奢ることがよっぽど意外だったらしい。
まぁ、イヤイヤ手伝ってやったっていうのは態度に出ていたのは否定しない。
「……これ、私にですか?」
「俺は2本もいらねぇよ。なんだ、ココア嫌いだったか?」
「い、いえっ! いただきますっ!」
呆けたミコの様子に、やっと調子を崩せたとほくそ笑む。
出会ったときからどうにも彼女のペースに乗せられていた身としては、少し気が晴れる。
自分の分もプルタブを開けて、甘ったるいココアを口に流し込んだ。
「あの……」「お前さ」
…………。
「お先にどうぞ」
「えと、スズキさんの方から……」
「お前が先。そっちのが気になる」
譲り合いをする時間も無駄だ。
強引に話を促すと、ミコは遠慮がちにこちらを見上げた。
「えーと……、少しはスッキリしましたか?」
「全然。てっきりヤるのかと思ってついてったらボランティアだぜ?」
「……おやおや〜? まさか私に欲情してたんですかぁ〜? まっ、バフォさまの作ったこのパーフェクト☆ロリボディに魅了される気持ちは分かりますがね!」
「イラついてたからヤれるんなら誰でも良かっただけなんだよな」
「なんてクズクズしいこと仰るんですかあなた」
おっとつい本音が。
じっとりとしたミコの視線から逃れるように顔をそらす。
言い逃れのしようのないクズ発言だが、今更取り繕うのも変な話だ。
「つーか、お前こそ折角の日曜日になんでゴミ拾いよ?」
「平日はサバトでバフォさまのお手伝いしてるので」
曇りなき眼で答えるミコに目眩がする。
要するに善意100%、平日も暇があればするという発言に他ならない。
自分のような利己的な人間とは、とても相性の悪そうなイイコちゃんセリフだ。
うへぇと顔をしかめる俺を知ってか知らずか、ミコは言葉を続ける。
「誰かの役に立つのが好きなんですよ。自分がしたことを誰かが喜んでくれたら、それはとても素敵なことだって思いませんか?」
おまえ前世はエンジェルだったの?
一周回って目眩がしそうなほど眩しいセリフに、反射的に鼻で笑ってしまった。
「ハッ、行動には結果が伴ってこそだろ。見返りのない奉仕なんて俺は御免だね」
「見返りならありましたよ?」
「どこに? いつか誰かが『川を綺麗にしてくれてありがとう』って言ってくれるのか?」
厭味ったらしい俺の言葉に、彼女は嫌な顔一つせず首を振った。
くぴりとココアを一口呷り、ニッと歯を見せるようにはにかむ。
「スズキさんにココアご馳走してもらいました☆」
「俺もお前も頑張ったんだから、なんかご褒美がいるだろ」
さもないと折角の休みにゴミ拾いなんて無駄仕事したことの釣り合いが取れない。
そのご褒美が缶ココア一本というのも割に合わないが、ないよりはマシだ。
そうやって苦労に対して少しでも自分を甘やかすのが、大人の処世術なのだ。
しかし俺の言葉の何が面白いのか、ミコは子供のようにくすくすと笑っている。
「にひひ☆」
「……なんかおかしなこと言ったか?」
「なぁ〜んにもっ☆」
言うつもりはないらしい。
ココアを飲み干した空き缶をゴミ袋に突っ込み、ぐっと背伸びをする。
久しぶりにまともに身体を動かしたからか、心地のいい疲労感が全身に残っている。
帰ってからひとっ風呂浴びるのは、さぞや気持ちがいいだろう。
「お前も風邪ひく前に帰れよ。じゃあな」
「来週も暇だったら来てくださいねぇ〜!」
ぶんぶんと手を振って見送る彼女を無視する。
自分の大人げなさに乾いた笑いがこぼれる。
折角の休日にこんなに疲れさせられて月曜日が憂鬱だ。
そう思う反面、そう悪くない一日だったと思う自分がいるのが嫌だった。
◆ ◆ ◆
「クソかったりぃ……」
一週間とは早いもので、憂鬱な月曜日を飛び越えて気がつけば華の金曜日。
営業先の機器がエラーを吐いたから見て欲しいと呼び出され、片道2時間。
ガソリンメーターも残り二つと真っ赤に主張しており、今日は残業だなと諦める。
どうせ残業になるならとコンビニで煙草を買い、傾く夕日を見上げて一服ついていた。
今から事務所に戻るまで1時間、報告書類作るのに30分、日報とメール送って30分。
頭の中でどうすれば早く帰れるかとスケジュールを立てるが、段々面倒臭くなってきた。
もう一本吸うか、と煙草の火を消した時だった。
「……ん?」
煙草を取り出す手が止まる。
コンビニの駐車場から垂直の車線、その歩道橋で見覚えのある色が揺れている。
夕日の中でも明るく映える青紫の耳が、ぴょこんと天を指す。
腰の悪そうな老婆の手を引く、手すりにも手が届かなさそうな幼女がそこにいた。
見間違いじゃなければ、間違いなくファミリアのミコだった。
「……何やってんだアイツ」
見れば分かる。
荷物が重くて歩道橋を渡るのも一苦労な老婆のため、荷物を持ってやっているのだろう。
鋼のボランティア精神は打算も何もなく、本当に彼女の真心だったらしい。
「バカなやつ」
煙草をケースに戻し、コンビニの中に戻る。
暖房に曇るメガネを外して、レジ横のホットスナックを一つ指で差した。
「これください」
「ごめんねぇミコちゃん。おかげで助かったよぉ」
申し訳なさそうにこちらを拝むおばあちゃんに、いえいえと首を振る。
がさりと彼女から預かったレジ袋には白菜や白ネギがギッチリ溢れている。
今夜は鍋なのかな、なんて考えてしまったせいか、少し小腹が空いてしまった。
「良ければお家まで持っていきましょうか?」
「うんにゃ、もうすぐそこだから大丈夫だよ。優しいねぇ、あんたは」
髪を梳くように頭を撫でてくれるおばあちゃんに、少し照れくさくなって笑ってしまう。
骨ばっていて硬いのに、どこまでも優しい手つきがとても嬉しい。
しかし、いつまでも私を撫でていては彼女も夕飯の支度が出来ない。
名残惜しいが、おばあちゃんの手が離れたところでニッコリ笑う。
「じゃあねおばあちゃん! また困ったらいつでも呼んでね☆」
「うんうん。ありがとねぇ」
レジ袋を手渡すと、おばあちゃんはそのまま歩道をゆっくりと歩いて行った。
危なげない足取りに、心配のし過ぎだったかなと額をぬぐう。
その頭から、ガサガサとビニール袋の崩れる音が大きく響いた。
「うわわっ!?」
どうやら頭にビニール袋を乗せられたらしい。
ほのかに温度のあるそれになんだなんだと慌てて取ると、中には紙袋が一つ。
あんまんとプリントされているそれに、脳内に疑問符が浮かぶ。
そんな私に、頭上から聞き覚えのある声が響いた。
「よくやるな、お前」
だらしなく首元のネクタイを緩めて、スーツを着崩した大柄の男性。
変なものでも見るような失礼な目つきは、間違いなく先週知り合ったスズキさんだった。
公園でうなだれる姿はリストラされたリーマンのそれだったが、どうやらちゃんと定職についている人間だったらしい。
口に出したら怒られそうなので言わないが。
「やるな、って何がですか?」
「さっきの婆さん。荷物運んでやったんだろ?」
どうやら先ほどのやりとりを見ていたらしい。
そのうえでよくやるな、ということはまぁそういう意味なのだろう。
お世辞にもスズキさんは、そういった人好きな行為を好んでするタイプには見えない。
「それやるよ。頑張ったお前へのご褒美だ」
そう言って彼が指差したのは、ビニール袋の中のあんまん。
わざわざ私の為に買ってきたのか、と思うと少しだけ胸が温かくなった。
つっけんどんでクズクズしい態度のくせに、ご褒美だなんて渡す義理もないだろうに押し付けてくるところがどうにも憎めないのだ、この人は。
「わざわざ私のために買ってくれたんですかぁ〜? お優しいんですねぇスズキさん☆」
「優しいのはお前だろ。見返りもなしに人助けなんてバカなやつだよなお前」
「おかげでスズキさんからまた奢ってもらっちゃいましたけどね☆」
ありがたくあんまんを頬張ると、ほどよく温かい甘みが口に広がる。
冬に食べるあんまんはまた格別である。
頑張ったご褒美だ、なんて言われたせいかいつも以上に甘く感じた。
「頑張ってるガキがいたら褒めてやるのが大人の仕事なんだよ」
心底うんざりしたようにそう言って背を向けるスズキさん。
まさかこのまま私を置いていくつもりなのか。
慌てて小走りでついていくと、なんでついてくるんだという目で見下ろされた。
「なんでついてくるんだ」
ご親切に口にまで出してくる始末。
分かってはいたが大人げない。
「私も行き先がこちらなもので☆」
もちろん嘘だが。
しかしスズキさんは返答自体に興味はなかったのか、ふーんと鼻を鳴らすだけだった。
心なしか歩幅が小さくなった彼に、同伴を許可したと勝手に思うことにした。
「スズキさんは人助け、お嫌いなんですか?」
「嫌いだね。時間の無駄だ」
人の趣味をバッサリ切り捨てますねこの人。
半ば予想していた返答ではあったが、こうもハッキリ言われると人助けに親でも殺されたのかと疑ってしまう。
「何かしたんなら何か報われないと、って考えちまうんだ。俺は」
「報われないと?」
続けられた言葉に、会話をする気があったのかと少し驚く。
会って一日だけだが、スズキさんは私のことを邪険に思っていると思っていた。
なにが気に入らないのかは先ほどの返答で充分だが、その割に甘いところが出て来る。
ココア然り、あんまん然り。そういうところが読めない人だった。
「勉強したら頭が良くなる。運動したら体力がつく。仕事したら金が貰える。頑張る理由ってのは、メリットありきの話だろ」
「まぁ、普通はそうですねぇ」
「人前でボランティアするんなら体裁くらいは取繕えるだろうさ。『こいつはいいやつだ』って思われるのは全然悪い気はしねぇしな」
彼の言葉に、はてと首を傾げる。
「……スズキさんは私の事を『いいやつ』だと思ってるんですか?」
「バカみたいに、って言葉もおまけしてな」
憎まれ口を叩かれるが、予想外の好印象に照れてしまってそれどころではない。
あまりにも態度が天邪鬼すぎて分かりにくいが、気難しいなりに考えがあるらしい。
「でも、そういうやつが報われないのは嫌いだ」
寂しそうに呟かれた言葉が、よく耳に響いた。
いつもイライラしてそうな態度の彼には珍しい声音に、思わず見上げてしまう。
どこか遠くを見つめるスズキさんは、そのまま言葉を続ける。
「割り切れねぇんだ。俺もガキだから」
大きく白いため息をこぼすスズキさん。
なにかは知らないが、彼も彼なりの苦労があるらしい。
「報われないって思ったら、スレる前にやめちまえよ。目の届くうちは褒めてやるから」
「スズキさんが褒めてくれるんなら、もっともっと頑張らないといけませんね☆」
「頑張るなって言ってんだけどなぁ」
仕方がないと言いたげに苦笑いするスズキさんに、どきりと少し胸が高鳴った。
刺々しい態度のせいで分かりにくいが、彼なりに私の事を心配していたらしい。
なかなかハイレベルなツンデレだと戦慄している私にお構いなく、彼は手を振った。
「じゃ、俺こっちだから」
そう言ってコンビニの駐車場へと向かうスズキさん。
なんとなくもっとお話をしたかったが、引き留める理由が見つからなかった。
「また日曜日! 私、川で掃除してますから!」
私の言葉に振り返ったスズキさんの顔には、露骨に『面倒臭い』と書いてあった。
もしかしたら来ないかもしれないが、このままさようならというのはちょっと嫌だった。
そう思ったのがなんでなのか、自分でもよく分からなかったけど。
改めて手を振りなおす彼の姿に、無視されなかったことにちょっとだけ安心した。
◆ ◆ ◆
「降ってんなぁ……」
日曜日。
冬の雨とはなんでまた足の裏から底冷えするように寒いのか。
ザアザアとけたたましく地面を打つ雨音に辟易しながら食パンをかじる。
これだけ雨が降っていると、外出する気も失せるというものだ。
さすがにこれだけ雨が降っているなら、ミコもゴミ拾いには来ていないだろう。
「………………」
何の気なしにTVを点けると、ちょうど天気予報が流れていた。
全域に大雨が降るとかなんとか言っているが、今更聞くまでもない。
しかし、近所の川が警戒水位───つまり増水の可能性があるという言葉に手が止まった。
確かにこれだけの土砂降りならそういうこともあるだろう。
(……もしかしたら)
自分を騙すように考えていたことが妙に引っかかる。
これだけの土砂降りなら、ミコもゴミ拾いには来ていないだろう。そう思っている。
そう思おうとしている。こんな雨の中で外に出るのが面倒だからだ。
考えたくもないのに脳裏に流れた映像は、雨の中一人でゴミ拾いをしている彼女の姿だ。
「……ないない」
さすがにそこまでバカではないはずだ。
人助けが生き甲斐の彼女であれば、無理せず身の回りの誰かを助けていることだろう。
この雨の中を、絶対にゴミ拾いに行かないといけない理由なんて一つもないはずだ。
『また日曜日! 私、川で掃除してますから!』
……いや、あった。俺だ。
つい一昨日の、俺が来ることを期待するかのような呼び声が、記憶に残っている。
あれだけのバカなら、俺が来る可能性を懸念していないとは限らない。
「クソが」
出来ることならいないでほしい。
ゴム臭い雨合羽を引っ掴んで、急いで玄関を飛び出した。
いた。
つい先週来たばかりの河川敷。
濁流がごうごうと流れる川の様子に冷や汗が流れたが、ミコは自販機の前にいた。
雨で濡れたせいか、いつも上に向いているケモ耳が心なしか垂れている。
「バカかお前は!」
傘も差さずにぼんやりと氾濫を眺めていた彼女にポンチョを投げつける。
それでようやくこちらに気付いたのか、ミコがようやくこちらを向いた。
「……スズキさん?」
「なんで傘も持ってないんだお前! 雨降ってんの見りゃ分かんだろ!」
雨音のせいで怒鳴っているのに聞こえているのかも定かではない。
しかし恐らく、俺の声など耳に届いていないのだろう。
ホッとしたように胸を撫で下ろし、彼女は安堵の表情を浮かべていた。
「良かった……、私より先に来てたらどうしようかと……」
その呟きに。どうやら彼女も俺と同じことを心配していたらしいと察しがついた。
心配して損したという怒りと、自分ばかりが心配してたつもりだったという自意識過剰の罪悪感がせめぎ合った。
ミコの中で、俺は彼女に心配される程度には顔見知りになっていたらしい。
それは俺の中でも同じことで、情けなさで胸がいっぱいになった。
「……掃除はまた今度だ。行くぞ」
びしょびしょに濡れた彼女の手を握る。
いったいどれだけの間この土砂降りの中を突っ立っていたのか、その手はひどく冷たい。
思わず顔をしかめる俺に、彼女はこてんと首を傾げた。
「行くって……、どこに?」
彼女の言葉を、ハッと鼻で笑う。
「イイトコロだよ、クソガキ」
イイトコロ、と表現するにはあまりにも狭いワンルームマンション。
びしょ濡れの合羽を玄関に干して、勝手知ったるタンスからバスタオルを二つ取り出す。
その一つを、放心したように口をあんぐり開けたミコに投げ渡す。
「わぷっ」
「風呂沸くまで身体拭いてあっちであったまってろ」
そう言って顎で指したのはハロゲンヒーター。
我が家ではそこそこ付合いが長いが、まだまだ現役の暖房器具だ。
「あの……」
「なんだ」
遠慮がちに手を挙げるミコを一瞥して、風呂の蛇口をひねる。
40度程度であれば、彼女にとっても熱すぎず身体をぬくめるには充分だろう。
ケトルのスイッチを押したところで、おずおずと彼女が言葉を紡ぐ。
「なんで、私はスズキさんのお宅にお邪魔しているのでしょうか……」
「あのまま放りだすほど薄情じゃねぇぞ、俺は」
カチコチに借りてきた猫のように動かないミコに、大きくため息をこぼす。
バスタオルでぐしゃぐしゃと彼女をぬぐうと、くぐもった悲鳴が聞こえた。
「みぎゃっ」
「お前に風邪引かれたら寝覚めが悪いんだよ、このバカガキ」
「……私、バフォさまの作った身体なので、風邪なんか引きませんけど」
「それでも寒いのに変わりはねぇんだろうが。ガキが口答えするな」
ミコを拭いたバスタオルを洗濯かごに放りこみ、彼女の身体を抱き上げる。
いきなり両脇から抱えられて、ミコはぎょっと大きな瞳を皿のように見開く。
風邪なんか引かないとは言っていたが、凍えるほど冷え切っているのは確かだった。
「わ、私に乱暴するつもりですか!? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」
「なんだ、ケツ叩いてやろうか?」
「おしりぺんぺんは遠慮します!!」
形のいい小さなお尻を両手で隠す彼女を担ぎ上げると、折よく電子レンジが鳴いた。
フタを開いて中から取り出した蒸したバスタオルで、彼女をぐるぐる巻きにする。
先ほどよりはこれでマシになっただろう。
「わ、あったか……」
ぽしょりと呟いた彼女が、ちらりと俺の後ろを覗いた。
パソコン画面にはカラフルなGoogleの検索サイト。
あ、やっべと思ったときには彼女の瞳にはその検索ワードがしっかり映っていた。
『子猫 温め方』
「ペット扱いすんなです!!」
「いってぇ!!」
思いっきり首筋を噛みつかれた。
幼女の姿とはいえさすが魔獣属、鋭い犬歯ががっつり食い込んでいる。
さすがに投げ飛ばすわけにもいかず、痛みを堪えてされるがままになる。
「んがぐぐぐぐ!」
「こんだけちっちぇーんだから猫みたいなもんだろ……」
「百歩譲っても猫じゃなくて犬ですー! こう見えて尽くすタイプなんですよ!!」
「知らねぇー、知りたくねぇー」
ぎゃんぎゃんと耳元で騒がしいミコの様子に少しだけ安堵する。
これだけ生意気で元気な方が、子供らしくてずっといい。
風邪を引かないとはいえ、雨の中で傘も差さずに佇む彼女の姿には肝が冷えたものだ。
なんてじゃれている内に、折りがいいのか悪いのか風呂が沸いた通知音が響いた。
「じゃ、お前風呂ってこい」
「…………」
先ほどまで騒いでいたのがウソみたいに、静かにぎゅっとしがみついてくるミコ。
なんでだよと頭を抱えると、小さな声が耳朶を打った。
「……スズキさんが、先に入った方が……」
この期に及んで遠慮しているらしい。
俺にくっついたから、俺も雨で濡れて少し冷えているのが分かったのだろう。
どこまでいってもつくづくお優しいガキである。
「ガキ差し置いて入れるか。いいから行け」
「……私、おにーさんとなら、一緒に入ってもいいですよ?」
耳元をくすぐる甘い声色に、ぞわりと背筋が泡立った。
子供らしい甘えるような音なのに、あまりにも蠱惑的な声に思いだす。
そういえば魔物娘だったとミコを肩から引きはがし、洗面所に放り投げた。
「へぶっ!」
「からかうなバカ。肩までつかれよ」
物申される前に引き戸をガラガラと閉める。
油断も隙もあったもんじゃない。バクバクとうるさい心臓を鎮めるも、どうも頬が熱い。
思っている以上に、俺は彼女にほだされていたようだ。
「……ちぇ」
引き戸の向こうで、拗ねたような舌打ちが聞こえた気がした。
どこまで本気のつもりだったのか疑うが、立場が逆になったと苦笑いした。
最初はヤろうと迫ったのに、いつの間にかヤられそうになって逃げている。
「ぶしっ」
不意打ちのようにこみ上げたくしゃみに鼻をすする。
あれだけの大雨の中を走ったせいか、合羽も大して意味のあるものではない。
ミコに一丁前に言った手前、俺が風邪を引いたら面倒くさそうだ。
部屋着に着替えるついでに、絶対にサイズ合わないだろうなとは思いつつもミコ用に着替えを置いてあげること数分。
マグカップに入れた生姜湯をすすっていると、ガラガラと洗面所の引き戸が開いた。
なるべく暖かいようボアスウェットを用意してあげたが、そこは案の定。
下は履けなかったらしく、袖をまくって裾を縛っているようだった。
「…………あの、あがりました」
居心地悪そうにスウェットの裾を握るミコ。
湯上がりのせいか上気した頬と、惜しげもなくさらされた足が目に毒だった。
見ていると変な気を起こしてしまいそうで、思わず顔をそらしてしまう。
「……髪、乾かしたか?」
「あ、いえ……。さすがにそこまでお借りするわけには……」
「ハァ……」
ため息をつく俺に、びくりと身体が跳ねるミコ。
ちょっと待ってろと言い残し、洗面所からドライヤーを取ってくる。
「折角きれいな髪なんだから、手入れはちゃんとしろ」
何目線なんだ俺は。
自分で自分の発言に呆れつつ、彼女にドライヤーを押し付ける。
俺も風呂に入るか、そう思って背を向けるとズボンがなにかに引っ張られた。
「あの……、いつもバフォさまにやってもらってて……」
………………。
言われてみれば、それだけ長い髪を一人で乾かすのは難儀だろう。
自分の至らなさにため息をこぼす。なんだか、今日はため息をついてばかりだ。
座椅子に腰をおろし、あぐらをかく。
「分かったよ、言い出しっぺだしな」
「ありがとうございますっ」
そう言って、背中を預けるように座るミコ。
ふわりと香るいいにおいに、ウチのシャンプーだよなと疑ってしまう。
それと同時に、足にかかる彼女の体重にぎくりと背筋が伸びた。
「………………」
「……スズキさん?」
「……ごめん、なんでもない」
後悔した。
髪を乾かすのを安請け合いしたこと、そして彼女に着替えを用意してあげたこと。
無防備に押し付けられた臀部の感触は、間違いなく履いていない。
布越しとは言えどもあたたかく柔らかい感触に、想像するなと自分に言い聞かせてドライヤーを起動する。
「えへへ」
人の気も知らずに笑うミコ。
頼む。風呂に入る前の魔物娘の顔してたミコに戻ってくれ。
邪念を抱いている俺がいっそう汚れて見えるだろうが。
理性が暴れそうになるが、さらさらと細かい髪を手で掬って、無心で髪を乾かしていく。
「……スズキさん、ひょっとして慣れてます?」
「……まぁ、妹いたし」
「妹さんいらしたんですか!?」
「お前ほど出来は良くないけどな」
実家を出てからはお互いに連絡を取るのも年に数回程度の仲だ。
子供の頃は俺も兄貴ヅラして、これくらいのことはしょっちゅうやっていた。
「えっえっ、ど、どんな妹さんだったんですか?」
「そこ食いつくところか?」
「私にとっての家族ってバフォさまだけだから、本当の妹ってどんな感じなのかなって」
「本当の妹ってなんだよ。家族に偽物も本物もねぇだろ」
呆れながら後頭部に温風を吹き当てる。
くすぐったそうに身を捩らせるミコ。
実は骨がないんじゃないかと思うほど柔らかいお尻が股間に押し付けられる。
心を無にした。出来る自分を褒めてほしい。
「私って、バフォさまに作ってもらったファミリアじゃないですか」
それは知っている。
バフォメットに魔力を与えられ作られた人工魔獣、それがファミリアという魔物娘だ。
「でもバフォさまはそれはもう本当の娘のように、私を可愛がってくれてるんです」
「ハッ、立派なお母さんじゃん。お前、本当にバフォさまのこと好きなのな」
「えぇ! それはもう!」
そう言えば、自分の身体を誇るときも彼女はバフォさまの作ったと自慢していた。
ここまで声を大にして親を好きと言える素直さが羨ましい。
くるりと振り返り、こちらを見上げるミコの目はきらきらと星のように輝いている。
「バフォさま以外に髪触ってもらうの、スズキさんが初めてです」
「……お前くらい愛嬌あったら、言い寄る男も多そうなもんだけどな」
「そこはまぁ、私はあまり魔法が得意ではないので」
恥ずかしそうに頬を掻いているミコの言葉が、すとんと胸に落ちてくる。
だからゴミ拾いのときも、老婆の荷物のときもその小さな体一つで運んでいたのだろう。
お風呂の時に強引に迫らなかったのもそういうことだろう。その魔性は本物だったが。
「まっ、魅了の魔法が使えなくても完全無欠のこの可愛さが私にはありますからね☆」
「別に、魔法だ外見だだけがお前の魅力じゃねぇだろ」
「んん〜? スズキさんは私のこの可愛さ以上の魅力があると仰るんです?」
「そもそも俺ロリコンじゃねぇから、身体は好みじゃねぇしな」
「へぇ〜。そういうこと言っちゃうんですねぇ〜……」
ぐりっ、と柔らかなお尻が股間に押し付けられる。
反応しそうになる刺激に背筋が伸びてしまい、ミコはじっとりとした視線を向けてくる。
意志に反して硬くなってしまったそれに、彼女はにやぁっとイタズラが成功した悪ガキのように白い歯を見せつけてくる。
「で、こちらは?」
「………………それはズルだろ」
手のひら返しというレベルではない愚息の反応がさすがに恥ずかしすぎる。
熱くなった頬を手で隠すも、一度反応してしまうと下はなかなか鎮まらない。
にやにやとこちらを見上げるミコに、深くため息をこぼす。
「スズキさんもやっぱり好きなんですねぇ♥ 魅了されてもないのに反応しちゃうなんて、実はロリコンさんなんじゃないですかぁ〜?」
そしてこのメスガキぶりである。
カチンと熱くなった頭に、売り言葉に買い言葉。このガキには理解らせねばなるまい。
自分がどういう風に見られているのか、その魅力を。
「俺が好きなのはお前の身体だけじゃねぇ!」
「へっ!?」
大きな声を出したせいか、びくりとミコの身体が跳ねる。
胸板に倒れ込んでくる小さな体をすっぽりと抱き込み、逃さないようにする。
「困っている人を放っておけないところも顔も知らない誰かのために頑張れるところも、そういうお人好しなところも俺は好きだ」
だって、自分にはとても真似できないから。
自分の恩着せがましさは、よく自覚している。
他人のために何かをしたなら、感謝の言葉でもなんでも対価がないと耐えられない。何のために頑張ったのか分からなくなってしまう。
だからこそ、ミコのようなお人好しに、やめておけばいいのに憧れてしまう。
「あ、あのっ、す、スズキさん……っ?」
「お前の優しさが俺にとってはいっとう尊いもんだ。外見だけじゃねぇ、お前は心だってカワイイやつだよ」
「ひえぇ……っ」
腕の中で縮こまるミコに苦笑いする。
その顔色は見えないが、見るまでもなく真っ赤だろう。
「お前が頑張ったら褒めてやりてぇのは、そういうお前が好きだからだよ。大人とかガキとかそういう建前を抜きにしたら、魅了なんざ掛けられんでもお前にぞっこんだろうさ」
「あのっ、スズキさん!? タンマ、タンマですっ! あまりそういうこと言われると私もさすがに恥ずかしいですっ!」
「誘っといて逃げんのか? ホントいい度胸してるぜ」
とはいえ、これはあくまでも一方的な俺の意見だ。
ミコの身体を自分から離して立ち上がる。
思っていた以上に彼女の体温が高かったのか、肌寒さにぶるりと身体が震えた。
「じゃ、髪も乾いたし俺風呂ってくる」
「この流れで私置いてくんですか!?」
「置いてくも何も、俺とお前は突き詰めればただの顔見知りだろうが」
「あれだけ熱烈に告白しておいて!?」
いや、返事を貰っていない以上、関係性は何一つ進展していないから。
もっとも、その返事がイエスでもノーでも怖いから逃げようとしているだけだが。
考えなしに勢いで言ってしまったあたり、俺もまだまだ若いのかも知れない。
「〜〜〜〜〜っ! 湯冷めしましたっ! 私も一緒に入りますっ!」
「むしろ真っ赤にのぼせてるだろ。鏡見ろ」
「じゃあお礼! お礼にお背中流しますぅ〜!」
背中にしがみついて離れないミコに、どうしたものかと頭を抱える。
理性的な心が、このままなし崩し的に一緒にいるとヤってしまいそうだと警告している。
利己的で、自分に甘いのだ、俺は。届くところにいると、手が出てしまう。
「言い逃げなんてズルいですっ! 本当は私のことが嫌いなんじゃないですか……っ!?」
「そんなことあるわけないだ───」
バチリと目と目が合う。
泣きそうなほど潤んだ瞳に、ドキリと心臓が跳ねた。
「嫌なら、断ってください……。お背中、流したいです、お礼がしたいです……」
あと、良ければ───。
小さな唇がぽしょぽしょと囁くように、言ってはいけない言葉を紡ぐ。
奇しくも、初めて会った時に彼女に言われた言葉だった。
「……私とイイコト、しませんか?」
不安げに揺れる大きな星に、理性が白旗を上げた。
本当に、このメスガキは───。
───一方そのころとあるサバトでは。
夜になっても帰ってこない愛娘に不安を隠せないバフォさまがいたとかいなかったとか。
「雨で凍えておったりせんじゃろうか、迷子になったりしておらんじゃろうか……。ハッ、まさか悪い男に騙されてあんなことやこんなことをされたり……!? こうしてはおれん、急いでミコを探してやらねば───ッ!」
「バフォさま、こちらの書類の確認をお願いしますー」
「ぬわ──────ッ!? ミコよ──────ッ!! お婆ちゃんは心配じゃ──────ッ!!」
どう足掻いても浮き沈みがあり、誰しもが絶頂のままでいられる道理はない。
ジョジョ第五部のラスボスも、最強の能力を持ちながらとんでもない落とし穴に落ちた。
それに比べれば、パチンコに負けたなんて笑えるような不運だろう。
「うーん、グロい」
運気の負債からワンチャンないかと回したガチャも尋常じゃなく渋い。
銅銅銅銅銅銅銅銅銅銀。グロすぎて画面がガングロになっちゃったわね。
今日の俺は厄日で決定、早く明日が来ねぇかな。
「はぁ……」
ため息を吐くと幸せが逃げる。小言が好きな友人の口癖だ。
しかし自業自得とはいえ、遊ぶ小銭も余力も根こそぎ持って行かれたのだ。
何もすることのない日曜日の昼下がり、ため息の一つでもこぼしたくなる。
止めておけばいいのに、目下の往来に目が滑る。
タピオカ片手に談笑する女子高生。子供と思しきドラゴンを肩車するママドラゴン。
ギターの弾き語りをする青年の隣でハミングする、カップルと思しきセイレーン。
幸せそうな休日の風景に、自分が何をしているのか分からず軽く死にたくなった。
不意につんつんと、背中をつつかれる感触に肩が跳ねた。
「うわっ」
予期せぬ刺激に情けない悲鳴が漏れた。
慌てて振り返ると、大きな獣のような指を一本伸ばした幼女がニマニマと笑っている。
隠すそぶりもないその小ばかにした笑顔から察するに、彼女が犯人なのだろう。
「にひひっ! 不景気そうな顔してますね、おにーさん☆」
ぱちりと瞳の中の星がまたたいて、生意気そうな八重歯がきらりと光る。
大きなケモ耳がぴこぴこと揺れるたびに、お菓子のような甘い匂いが鼻腔をくすぐる。
何度か見たことのある、確かファミリアとかいうサバトの魔物娘だったはずだ。
「そう見えるんなら放っといてくれ。ほら、ガキはあっち行った行った」
ガキに八つ当たりなんてみっともない。
これ以上この生意気そうな娘と一緒にいると、もっと言葉が荒れそうで嫌だった。
内心ほぞを噛みながら、邪険に手を振る。
「まぁまぁそう仰らず。どーせお暇なんでしょ〜?」
煽るやん。
こめかみが少し痛んだ。青筋が浮いたかもしれない。
そんな俺の考えを知ってか知らずか、彼女は足元にすり寄ってくる。
太ももにその小さな頭を乗せて、挑発的な目がこちらを見上げる。
「イライラは身体に毒ですよ? 私とイイコト、しませんか?」
そう言って、身体に似合わず大きな手が内腿を撫でる。
小さくても彼女は魔物娘だ。つまるところ、そういう挑発なのだろう。
このメスガキが。
「ハッ、ちんちくりんが言いやがる。いいぜ、あとで後悔しても知らねぇぞ」
別にロリコンというわけではないが、このガキにはキツいお灸を据える必要がある。
普段なら丁重にお断りするが、どうにも俺も気が立っているらしい。
幼女は俺の返事にニヤリと口端を歪める。
どうせチョロいとでもこちらを小ばかにしているのだろう。
「ではでは一名様ごあんなーい☆ 私についてきてくださいね、おにーさん♥」
そう言って鼻歌交じりにスキップするファミリア。
小ぶりなお尻をご機嫌に揺らす彼女に、絶対に泣かしてやると誓う。
人これをフラグという。敗色濃厚な方の。
兎にも角にも、目の前の生意気なメスガキをどうしてやろうかと考えながら、俺は素直に彼女の後ろをついていくことにした。
◆ ◆ ◆
「どこまで歩かせんだよオメー」
繁華街を抜けて、空っ風が骨身に染みる河川敷。
ジャケットを着こんでいても堪える寒さだというのに、惜しげもなく肌を晒した目の前の幼女はどこ吹く風かずんずんと歩いている。
くるりと振り返った彼女は、相も変わらずニマニマとしたり顔だ。
「オメーじゃなくて、私にはミコって可愛い名前があるんですよ、おにーさん☆」
「あっそ。俺もおにーさんじゃなくてスズキって名前があるんだけど?」
「モブっぽいお名前ですねぇ」
マジで泣かせたろ。
改めて心に誓うと、彼女はぴょんぴょんと土手へと降りていく。
まさかこんなクソ寒いなか青姦か? 顔をしかめる俺とは真逆に、ミコは笑顔で頷く。
「うん、ここがいっかな!」
正気か?
あからさまに嫌がっているのが顔に出たのか、ミコが俺の表情を見てニタリと笑う。
「あれあれぇ〜、怖気づいたんですかぁ〜?」
「ハッ、どの口が」
感情を天秤にかけて、このメスガキを理解らせたいという欲望が傾いた。
鼻で笑う俺の反応が嬉しいのか、ミコはニコニコ笑顔だ。
その笑顔がアヘ顔で許しを請うまでが今一番の楽しみだ。
「ではでは♥」
そう言って彼女はごそごそと懐をまさぐる。
何かこちらに魔法でも掛けるつもりなのか。
警戒する俺に、彼女はハイっとこちらの手に冷たい何かを押し付ける。
火ばさみだった。
「は?」
「あ、こちらもどうぞ」
そしてガサリと渡された大きなナイロン製の袋。
デカデカと書かれた文字列は『事業系一般廃棄物収集袋』
サバト印なのか、魔法陣のワンポイントマークがついている。
「可燃物でも不燃物でも入れていい魔法のゴミ袋です。さぁっ、スズキさん! 一緒に川をキレイにしましょうね☆」
「待てや」
ぐっとサムズアップする幼女の肩を掴む。
びっくりするほど用意してた股間が萎えた。
きょとんと曇りなき眼でこちらを見上げるミコに、俺が間違っているのかと我を疑う。
ひょっとして、男として見られてない。あぁ、それならあり得る。なにそれ泣きそう。
「どうかなさいましたかスズキさん?」
「……つかぬことを聞いていいか」
「えぇ、もちろん! なんなりと!」
ふんすと元気に鼻息を漏らすミコ。
ぐっと握った丸いこぶしと言い、何やら気合十分である。
「……俺ら、今から何すんの?」
「お掃除ですが?」
素手だと火ばさみ冷たいですよね、気が回らずにすいません。
そう言って彼女は軍手を渡してきた。
黄色いつぶつぶがついていないタイプのヤツだった。
「……誰かに頼まれでもしたのか?」
「いいえ? 前々から汚いなぁ〜と思ってて、私もお休み頂いたので」
つまり、清掃当番でもなんでもなく、マジのボランティアということらしい。
それもご近所さま参加型の規模のあるものでもなく、完全にミコの個人的な。
「……イイコトって言ってなかったっけ?」
「イイコトじゃないですか☆」
慈善的な意味では確かにイイコトかもしれない。
だったらカタカナで言わないでほしい。俺は性的な意味かと思ったんだが。
「イイコトすると心もスッキリしますよ☆ ほらほら、一緒に頑張りましょう!」
「……はぁ」
なんだか、毒気を抜かれた気分だ。
ぐいぐいと背中を押してくる彼女に、仕方なく軍手を手に嵌める。
刺しこむような寒さが、少しだけマシになった気がする。
「なんで折角の日曜にゴミ拾いなんぞ……」
……いや、本当になんで?
なんで俺もゴミ掃除する流れになってんだ? 勝手に帰ればよくないか?
公言するつもりはないがボランティアなんてクソくらえだ。
一銭の得にもならねぇ骨折り損のくたびれ儲けほど無駄な時間の使い方はこの世にない。
ミコのペースに流されている自分に気付き逡巡する。
「なんで人間は簡単にゴミを捨てるんですかねぇ。私には理解できません」
ちらりと見やると、彼女はこちらに見向きもせずゴミ拾いを始めていた。
ぬかるんだ草の根からアルミ缶を拾って、やれやれなんて肩をすくめている。
ふわふわとした大きな獣のような手が少し泥に汚れている。
他人さまに軍手と火ばさみを渡しておいて、彼女は素手でゴミを拾っているらしい。
「……クソが」
大人を舐めやがって。
火ばさみで拾ったタバコの吸い殻を、ゴミ袋に放りこんだ。
「おい、いつまでゴミ拾いさせるつもりなんだ」
ミコに渡されたゴミ袋もいっぱいになり、義理で付き合ってやるには俺も飽きてきた。
ゴミ袋一つ分、大人が子供に付き合ってやったという風体は充分に飾れたことだろう。
腕時計を見てみれば既に3時を回ってしまっている。
「あ、スズキさん。ちょうどいいところに」
草むらからがさりと顔を覗かせるミコ。
両手は泥だらけで、健康的な桃色の頬にもいくらか泥が跳ねている。
見ているだけで凍えそうな格好だが、彼女は気にもせずくいくいと手招きしている。
しょうがなくついていくと、そこには錆を超えて腐食してボロボロの自転車があった。
「これ、スズキさん持てます? 私には少し重くって」
魔法とか使わないのかこのファミリア。
怪訝に思う雰囲気が伝わったのか。彼女は困ったように微笑んでいる。
小さく舌打ちして、自転車の腐食が進んでいないフレームを掴んで引きずる。
「……クソ重ぇ」
「土手の上までお願いします。回収業者さんに運んでもらいますので」
いけしゃあしゃあとのたまうが、出来ないと言うのはあまりにも情けない。
軍手越しにも伝わる湿った鉄の冷たさに苛立ちを覚えるが、なんとか川べりから自転車を引っ張り出すことは出来た。
パチパチと拍手するミコに、大きくため息をこぼす。
「……俺、もう帰ってもいいか?」
「えぇ! スズキさんのおかげでこんなにゴミが拾えました! ありがとうございます!」
そう言ってはにかむ幼女に、文句の一つでもつけたくなるが喉が乾いている。
辺りを見渡すと、丁度いいところに自動販売機があった。
財布の中には幸いにも小銭があり、ジュースを買うくらいは問題なさそうだった。
「………………」
なんとなく、ココアを二本買った。
そう言えばミコの手は汚れてたなと、プルタブを開けてやる。
ゴミ袋の口を結んでいた彼女は、一息ついたのか額を拭っていたところだった。
「おい」
「あら、スズキさん? お帰りになったのでは……」
無言で差し出されたココアに、彼女の目が丸くなった。
俺が気まぐれにしたって奢ることがよっぽど意外だったらしい。
まぁ、イヤイヤ手伝ってやったっていうのは態度に出ていたのは否定しない。
「……これ、私にですか?」
「俺は2本もいらねぇよ。なんだ、ココア嫌いだったか?」
「い、いえっ! いただきますっ!」
呆けたミコの様子に、やっと調子を崩せたとほくそ笑む。
出会ったときからどうにも彼女のペースに乗せられていた身としては、少し気が晴れる。
自分の分もプルタブを開けて、甘ったるいココアを口に流し込んだ。
「あの……」「お前さ」
…………。
「お先にどうぞ」
「えと、スズキさんの方から……」
「お前が先。そっちのが気になる」
譲り合いをする時間も無駄だ。
強引に話を促すと、ミコは遠慮がちにこちらを見上げた。
「えーと……、少しはスッキリしましたか?」
「全然。てっきりヤるのかと思ってついてったらボランティアだぜ?」
「……おやおや〜? まさか私に欲情してたんですかぁ〜? まっ、バフォさまの作ったこのパーフェクト☆ロリボディに魅了される気持ちは分かりますがね!」
「イラついてたからヤれるんなら誰でも良かっただけなんだよな」
「なんてクズクズしいこと仰るんですかあなた」
おっとつい本音が。
じっとりとしたミコの視線から逃れるように顔をそらす。
言い逃れのしようのないクズ発言だが、今更取り繕うのも変な話だ。
「つーか、お前こそ折角の日曜日になんでゴミ拾いよ?」
「平日はサバトでバフォさまのお手伝いしてるので」
曇りなき眼で答えるミコに目眩がする。
要するに善意100%、平日も暇があればするという発言に他ならない。
自分のような利己的な人間とは、とても相性の悪そうなイイコちゃんセリフだ。
うへぇと顔をしかめる俺を知ってか知らずか、ミコは言葉を続ける。
「誰かの役に立つのが好きなんですよ。自分がしたことを誰かが喜んでくれたら、それはとても素敵なことだって思いませんか?」
おまえ前世はエンジェルだったの?
一周回って目眩がしそうなほど眩しいセリフに、反射的に鼻で笑ってしまった。
「ハッ、行動には結果が伴ってこそだろ。見返りのない奉仕なんて俺は御免だね」
「見返りならありましたよ?」
「どこに? いつか誰かが『川を綺麗にしてくれてありがとう』って言ってくれるのか?」
厭味ったらしい俺の言葉に、彼女は嫌な顔一つせず首を振った。
くぴりとココアを一口呷り、ニッと歯を見せるようにはにかむ。
「スズキさんにココアご馳走してもらいました☆」
「俺もお前も頑張ったんだから、なんかご褒美がいるだろ」
さもないと折角の休みにゴミ拾いなんて無駄仕事したことの釣り合いが取れない。
そのご褒美が缶ココア一本というのも割に合わないが、ないよりはマシだ。
そうやって苦労に対して少しでも自分を甘やかすのが、大人の処世術なのだ。
しかし俺の言葉の何が面白いのか、ミコは子供のようにくすくすと笑っている。
「にひひ☆」
「……なんかおかしなこと言ったか?」
「なぁ〜んにもっ☆」
言うつもりはないらしい。
ココアを飲み干した空き缶をゴミ袋に突っ込み、ぐっと背伸びをする。
久しぶりにまともに身体を動かしたからか、心地のいい疲労感が全身に残っている。
帰ってからひとっ風呂浴びるのは、さぞや気持ちがいいだろう。
「お前も風邪ひく前に帰れよ。じゃあな」
「来週も暇だったら来てくださいねぇ〜!」
ぶんぶんと手を振って見送る彼女を無視する。
自分の大人げなさに乾いた笑いがこぼれる。
折角の休日にこんなに疲れさせられて月曜日が憂鬱だ。
そう思う反面、そう悪くない一日だったと思う自分がいるのが嫌だった。
◆ ◆ ◆
「クソかったりぃ……」
一週間とは早いもので、憂鬱な月曜日を飛び越えて気がつけば華の金曜日。
営業先の機器がエラーを吐いたから見て欲しいと呼び出され、片道2時間。
ガソリンメーターも残り二つと真っ赤に主張しており、今日は残業だなと諦める。
どうせ残業になるならとコンビニで煙草を買い、傾く夕日を見上げて一服ついていた。
今から事務所に戻るまで1時間、報告書類作るのに30分、日報とメール送って30分。
頭の中でどうすれば早く帰れるかとスケジュールを立てるが、段々面倒臭くなってきた。
もう一本吸うか、と煙草の火を消した時だった。
「……ん?」
煙草を取り出す手が止まる。
コンビニの駐車場から垂直の車線、その歩道橋で見覚えのある色が揺れている。
夕日の中でも明るく映える青紫の耳が、ぴょこんと天を指す。
腰の悪そうな老婆の手を引く、手すりにも手が届かなさそうな幼女がそこにいた。
見間違いじゃなければ、間違いなくファミリアのミコだった。
「……何やってんだアイツ」
見れば分かる。
荷物が重くて歩道橋を渡るのも一苦労な老婆のため、荷物を持ってやっているのだろう。
鋼のボランティア精神は打算も何もなく、本当に彼女の真心だったらしい。
「バカなやつ」
煙草をケースに戻し、コンビニの中に戻る。
暖房に曇るメガネを外して、レジ横のホットスナックを一つ指で差した。
「これください」
「ごめんねぇミコちゃん。おかげで助かったよぉ」
申し訳なさそうにこちらを拝むおばあちゃんに、いえいえと首を振る。
がさりと彼女から預かったレジ袋には白菜や白ネギがギッチリ溢れている。
今夜は鍋なのかな、なんて考えてしまったせいか、少し小腹が空いてしまった。
「良ければお家まで持っていきましょうか?」
「うんにゃ、もうすぐそこだから大丈夫だよ。優しいねぇ、あんたは」
髪を梳くように頭を撫でてくれるおばあちゃんに、少し照れくさくなって笑ってしまう。
骨ばっていて硬いのに、どこまでも優しい手つきがとても嬉しい。
しかし、いつまでも私を撫でていては彼女も夕飯の支度が出来ない。
名残惜しいが、おばあちゃんの手が離れたところでニッコリ笑う。
「じゃあねおばあちゃん! また困ったらいつでも呼んでね☆」
「うんうん。ありがとねぇ」
レジ袋を手渡すと、おばあちゃんはそのまま歩道をゆっくりと歩いて行った。
危なげない足取りに、心配のし過ぎだったかなと額をぬぐう。
その頭から、ガサガサとビニール袋の崩れる音が大きく響いた。
「うわわっ!?」
どうやら頭にビニール袋を乗せられたらしい。
ほのかに温度のあるそれになんだなんだと慌てて取ると、中には紙袋が一つ。
あんまんとプリントされているそれに、脳内に疑問符が浮かぶ。
そんな私に、頭上から聞き覚えのある声が響いた。
「よくやるな、お前」
だらしなく首元のネクタイを緩めて、スーツを着崩した大柄の男性。
変なものでも見るような失礼な目つきは、間違いなく先週知り合ったスズキさんだった。
公園でうなだれる姿はリストラされたリーマンのそれだったが、どうやらちゃんと定職についている人間だったらしい。
口に出したら怒られそうなので言わないが。
「やるな、って何がですか?」
「さっきの婆さん。荷物運んでやったんだろ?」
どうやら先ほどのやりとりを見ていたらしい。
そのうえでよくやるな、ということはまぁそういう意味なのだろう。
お世辞にもスズキさんは、そういった人好きな行為を好んでするタイプには見えない。
「それやるよ。頑張ったお前へのご褒美だ」
そう言って彼が指差したのは、ビニール袋の中のあんまん。
わざわざ私の為に買ってきたのか、と思うと少しだけ胸が温かくなった。
つっけんどんでクズクズしい態度のくせに、ご褒美だなんて渡す義理もないだろうに押し付けてくるところがどうにも憎めないのだ、この人は。
「わざわざ私のために買ってくれたんですかぁ〜? お優しいんですねぇスズキさん☆」
「優しいのはお前だろ。見返りもなしに人助けなんてバカなやつだよなお前」
「おかげでスズキさんからまた奢ってもらっちゃいましたけどね☆」
ありがたくあんまんを頬張ると、ほどよく温かい甘みが口に広がる。
冬に食べるあんまんはまた格別である。
頑張ったご褒美だ、なんて言われたせいかいつも以上に甘く感じた。
「頑張ってるガキがいたら褒めてやるのが大人の仕事なんだよ」
心底うんざりしたようにそう言って背を向けるスズキさん。
まさかこのまま私を置いていくつもりなのか。
慌てて小走りでついていくと、なんでついてくるんだという目で見下ろされた。
「なんでついてくるんだ」
ご親切に口にまで出してくる始末。
分かってはいたが大人げない。
「私も行き先がこちらなもので☆」
もちろん嘘だが。
しかしスズキさんは返答自体に興味はなかったのか、ふーんと鼻を鳴らすだけだった。
心なしか歩幅が小さくなった彼に、同伴を許可したと勝手に思うことにした。
「スズキさんは人助け、お嫌いなんですか?」
「嫌いだね。時間の無駄だ」
人の趣味をバッサリ切り捨てますねこの人。
半ば予想していた返答ではあったが、こうもハッキリ言われると人助けに親でも殺されたのかと疑ってしまう。
「何かしたんなら何か報われないと、って考えちまうんだ。俺は」
「報われないと?」
続けられた言葉に、会話をする気があったのかと少し驚く。
会って一日だけだが、スズキさんは私のことを邪険に思っていると思っていた。
なにが気に入らないのかは先ほどの返答で充分だが、その割に甘いところが出て来る。
ココア然り、あんまん然り。そういうところが読めない人だった。
「勉強したら頭が良くなる。運動したら体力がつく。仕事したら金が貰える。頑張る理由ってのは、メリットありきの話だろ」
「まぁ、普通はそうですねぇ」
「人前でボランティアするんなら体裁くらいは取繕えるだろうさ。『こいつはいいやつだ』って思われるのは全然悪い気はしねぇしな」
彼の言葉に、はてと首を傾げる。
「……スズキさんは私の事を『いいやつ』だと思ってるんですか?」
「バカみたいに、って言葉もおまけしてな」
憎まれ口を叩かれるが、予想外の好印象に照れてしまってそれどころではない。
あまりにも態度が天邪鬼すぎて分かりにくいが、気難しいなりに考えがあるらしい。
「でも、そういうやつが報われないのは嫌いだ」
寂しそうに呟かれた言葉が、よく耳に響いた。
いつもイライラしてそうな態度の彼には珍しい声音に、思わず見上げてしまう。
どこか遠くを見つめるスズキさんは、そのまま言葉を続ける。
「割り切れねぇんだ。俺もガキだから」
大きく白いため息をこぼすスズキさん。
なにかは知らないが、彼も彼なりの苦労があるらしい。
「報われないって思ったら、スレる前にやめちまえよ。目の届くうちは褒めてやるから」
「スズキさんが褒めてくれるんなら、もっともっと頑張らないといけませんね☆」
「頑張るなって言ってんだけどなぁ」
仕方がないと言いたげに苦笑いするスズキさんに、どきりと少し胸が高鳴った。
刺々しい態度のせいで分かりにくいが、彼なりに私の事を心配していたらしい。
なかなかハイレベルなツンデレだと戦慄している私にお構いなく、彼は手を振った。
「じゃ、俺こっちだから」
そう言ってコンビニの駐車場へと向かうスズキさん。
なんとなくもっとお話をしたかったが、引き留める理由が見つからなかった。
「また日曜日! 私、川で掃除してますから!」
私の言葉に振り返ったスズキさんの顔には、露骨に『面倒臭い』と書いてあった。
もしかしたら来ないかもしれないが、このままさようならというのはちょっと嫌だった。
そう思ったのがなんでなのか、自分でもよく分からなかったけど。
改めて手を振りなおす彼の姿に、無視されなかったことにちょっとだけ安心した。
◆ ◆ ◆
「降ってんなぁ……」
日曜日。
冬の雨とはなんでまた足の裏から底冷えするように寒いのか。
ザアザアとけたたましく地面を打つ雨音に辟易しながら食パンをかじる。
これだけ雨が降っていると、外出する気も失せるというものだ。
さすがにこれだけ雨が降っているなら、ミコもゴミ拾いには来ていないだろう。
「………………」
何の気なしにTVを点けると、ちょうど天気予報が流れていた。
全域に大雨が降るとかなんとか言っているが、今更聞くまでもない。
しかし、近所の川が警戒水位───つまり増水の可能性があるという言葉に手が止まった。
確かにこれだけの土砂降りならそういうこともあるだろう。
(……もしかしたら)
自分を騙すように考えていたことが妙に引っかかる。
これだけの土砂降りなら、ミコもゴミ拾いには来ていないだろう。そう思っている。
そう思おうとしている。こんな雨の中で外に出るのが面倒だからだ。
考えたくもないのに脳裏に流れた映像は、雨の中一人でゴミ拾いをしている彼女の姿だ。
「……ないない」
さすがにそこまでバカではないはずだ。
人助けが生き甲斐の彼女であれば、無理せず身の回りの誰かを助けていることだろう。
この雨の中を、絶対にゴミ拾いに行かないといけない理由なんて一つもないはずだ。
『また日曜日! 私、川で掃除してますから!』
……いや、あった。俺だ。
つい一昨日の、俺が来ることを期待するかのような呼び声が、記憶に残っている。
あれだけのバカなら、俺が来る可能性を懸念していないとは限らない。
「クソが」
出来ることならいないでほしい。
ゴム臭い雨合羽を引っ掴んで、急いで玄関を飛び出した。
いた。
つい先週来たばかりの河川敷。
濁流がごうごうと流れる川の様子に冷や汗が流れたが、ミコは自販機の前にいた。
雨で濡れたせいか、いつも上に向いているケモ耳が心なしか垂れている。
「バカかお前は!」
傘も差さずにぼんやりと氾濫を眺めていた彼女にポンチョを投げつける。
それでようやくこちらに気付いたのか、ミコがようやくこちらを向いた。
「……スズキさん?」
「なんで傘も持ってないんだお前! 雨降ってんの見りゃ分かんだろ!」
雨音のせいで怒鳴っているのに聞こえているのかも定かではない。
しかし恐らく、俺の声など耳に届いていないのだろう。
ホッとしたように胸を撫で下ろし、彼女は安堵の表情を浮かべていた。
「良かった……、私より先に来てたらどうしようかと……」
その呟きに。どうやら彼女も俺と同じことを心配していたらしいと察しがついた。
心配して損したという怒りと、自分ばかりが心配してたつもりだったという自意識過剰の罪悪感がせめぎ合った。
ミコの中で、俺は彼女に心配される程度には顔見知りになっていたらしい。
それは俺の中でも同じことで、情けなさで胸がいっぱいになった。
「……掃除はまた今度だ。行くぞ」
びしょびしょに濡れた彼女の手を握る。
いったいどれだけの間この土砂降りの中を突っ立っていたのか、その手はひどく冷たい。
思わず顔をしかめる俺に、彼女はこてんと首を傾げた。
「行くって……、どこに?」
彼女の言葉を、ハッと鼻で笑う。
「イイトコロだよ、クソガキ」
イイトコロ、と表現するにはあまりにも狭いワンルームマンション。
びしょ濡れの合羽を玄関に干して、勝手知ったるタンスからバスタオルを二つ取り出す。
その一つを、放心したように口をあんぐり開けたミコに投げ渡す。
「わぷっ」
「風呂沸くまで身体拭いてあっちであったまってろ」
そう言って顎で指したのはハロゲンヒーター。
我が家ではそこそこ付合いが長いが、まだまだ現役の暖房器具だ。
「あの……」
「なんだ」
遠慮がちに手を挙げるミコを一瞥して、風呂の蛇口をひねる。
40度程度であれば、彼女にとっても熱すぎず身体をぬくめるには充分だろう。
ケトルのスイッチを押したところで、おずおずと彼女が言葉を紡ぐ。
「なんで、私はスズキさんのお宅にお邪魔しているのでしょうか……」
「あのまま放りだすほど薄情じゃねぇぞ、俺は」
カチコチに借りてきた猫のように動かないミコに、大きくため息をこぼす。
バスタオルでぐしゃぐしゃと彼女をぬぐうと、くぐもった悲鳴が聞こえた。
「みぎゃっ」
「お前に風邪引かれたら寝覚めが悪いんだよ、このバカガキ」
「……私、バフォさまの作った身体なので、風邪なんか引きませんけど」
「それでも寒いのに変わりはねぇんだろうが。ガキが口答えするな」
ミコを拭いたバスタオルを洗濯かごに放りこみ、彼女の身体を抱き上げる。
いきなり両脇から抱えられて、ミコはぎょっと大きな瞳を皿のように見開く。
風邪なんか引かないとは言っていたが、凍えるほど冷え切っているのは確かだった。
「わ、私に乱暴するつもりですか!? エロ同人みたいに! エロ同人みたいに!」
「なんだ、ケツ叩いてやろうか?」
「おしりぺんぺんは遠慮します!!」
形のいい小さなお尻を両手で隠す彼女を担ぎ上げると、折よく電子レンジが鳴いた。
フタを開いて中から取り出した蒸したバスタオルで、彼女をぐるぐる巻きにする。
先ほどよりはこれでマシになっただろう。
「わ、あったか……」
ぽしょりと呟いた彼女が、ちらりと俺の後ろを覗いた。
パソコン画面にはカラフルなGoogleの検索サイト。
あ、やっべと思ったときには彼女の瞳にはその検索ワードがしっかり映っていた。
『子猫 温め方』
「ペット扱いすんなです!!」
「いってぇ!!」
思いっきり首筋を噛みつかれた。
幼女の姿とはいえさすが魔獣属、鋭い犬歯ががっつり食い込んでいる。
さすがに投げ飛ばすわけにもいかず、痛みを堪えてされるがままになる。
「んがぐぐぐぐ!」
「こんだけちっちぇーんだから猫みたいなもんだろ……」
「百歩譲っても猫じゃなくて犬ですー! こう見えて尽くすタイプなんですよ!!」
「知らねぇー、知りたくねぇー」
ぎゃんぎゃんと耳元で騒がしいミコの様子に少しだけ安堵する。
これだけ生意気で元気な方が、子供らしくてずっといい。
風邪を引かないとはいえ、雨の中で傘も差さずに佇む彼女の姿には肝が冷えたものだ。
なんてじゃれている内に、折りがいいのか悪いのか風呂が沸いた通知音が響いた。
「じゃ、お前風呂ってこい」
「…………」
先ほどまで騒いでいたのがウソみたいに、静かにぎゅっとしがみついてくるミコ。
なんでだよと頭を抱えると、小さな声が耳朶を打った。
「……スズキさんが、先に入った方が……」
この期に及んで遠慮しているらしい。
俺にくっついたから、俺も雨で濡れて少し冷えているのが分かったのだろう。
どこまでいってもつくづくお優しいガキである。
「ガキ差し置いて入れるか。いいから行け」
「……私、おにーさんとなら、一緒に入ってもいいですよ?」
耳元をくすぐる甘い声色に、ぞわりと背筋が泡立った。
子供らしい甘えるような音なのに、あまりにも蠱惑的な声に思いだす。
そういえば魔物娘だったとミコを肩から引きはがし、洗面所に放り投げた。
「へぶっ!」
「からかうなバカ。肩までつかれよ」
物申される前に引き戸をガラガラと閉める。
油断も隙もあったもんじゃない。バクバクとうるさい心臓を鎮めるも、どうも頬が熱い。
思っている以上に、俺は彼女にほだされていたようだ。
「……ちぇ」
引き戸の向こうで、拗ねたような舌打ちが聞こえた気がした。
どこまで本気のつもりだったのか疑うが、立場が逆になったと苦笑いした。
最初はヤろうと迫ったのに、いつの間にかヤられそうになって逃げている。
「ぶしっ」
不意打ちのようにこみ上げたくしゃみに鼻をすする。
あれだけの大雨の中を走ったせいか、合羽も大して意味のあるものではない。
ミコに一丁前に言った手前、俺が風邪を引いたら面倒くさそうだ。
部屋着に着替えるついでに、絶対にサイズ合わないだろうなとは思いつつもミコ用に着替えを置いてあげること数分。
マグカップに入れた生姜湯をすすっていると、ガラガラと洗面所の引き戸が開いた。
なるべく暖かいようボアスウェットを用意してあげたが、そこは案の定。
下は履けなかったらしく、袖をまくって裾を縛っているようだった。
「…………あの、あがりました」
居心地悪そうにスウェットの裾を握るミコ。
湯上がりのせいか上気した頬と、惜しげもなくさらされた足が目に毒だった。
見ていると変な気を起こしてしまいそうで、思わず顔をそらしてしまう。
「……髪、乾かしたか?」
「あ、いえ……。さすがにそこまでお借りするわけには……」
「ハァ……」
ため息をつく俺に、びくりと身体が跳ねるミコ。
ちょっと待ってろと言い残し、洗面所からドライヤーを取ってくる。
「折角きれいな髪なんだから、手入れはちゃんとしろ」
何目線なんだ俺は。
自分で自分の発言に呆れつつ、彼女にドライヤーを押し付ける。
俺も風呂に入るか、そう思って背を向けるとズボンがなにかに引っ張られた。
「あの……、いつもバフォさまにやってもらってて……」
………………。
言われてみれば、それだけ長い髪を一人で乾かすのは難儀だろう。
自分の至らなさにため息をこぼす。なんだか、今日はため息をついてばかりだ。
座椅子に腰をおろし、あぐらをかく。
「分かったよ、言い出しっぺだしな」
「ありがとうございますっ」
そう言って、背中を預けるように座るミコ。
ふわりと香るいいにおいに、ウチのシャンプーだよなと疑ってしまう。
それと同時に、足にかかる彼女の体重にぎくりと背筋が伸びた。
「………………」
「……スズキさん?」
「……ごめん、なんでもない」
後悔した。
髪を乾かすのを安請け合いしたこと、そして彼女に着替えを用意してあげたこと。
無防備に押し付けられた臀部の感触は、間違いなく履いていない。
布越しとは言えどもあたたかく柔らかい感触に、想像するなと自分に言い聞かせてドライヤーを起動する。
「えへへ」
人の気も知らずに笑うミコ。
頼む。風呂に入る前の魔物娘の顔してたミコに戻ってくれ。
邪念を抱いている俺がいっそう汚れて見えるだろうが。
理性が暴れそうになるが、さらさらと細かい髪を手で掬って、無心で髪を乾かしていく。
「……スズキさん、ひょっとして慣れてます?」
「……まぁ、妹いたし」
「妹さんいらしたんですか!?」
「お前ほど出来は良くないけどな」
実家を出てからはお互いに連絡を取るのも年に数回程度の仲だ。
子供の頃は俺も兄貴ヅラして、これくらいのことはしょっちゅうやっていた。
「えっえっ、ど、どんな妹さんだったんですか?」
「そこ食いつくところか?」
「私にとっての家族ってバフォさまだけだから、本当の妹ってどんな感じなのかなって」
「本当の妹ってなんだよ。家族に偽物も本物もねぇだろ」
呆れながら後頭部に温風を吹き当てる。
くすぐったそうに身を捩らせるミコ。
実は骨がないんじゃないかと思うほど柔らかいお尻が股間に押し付けられる。
心を無にした。出来る自分を褒めてほしい。
「私って、バフォさまに作ってもらったファミリアじゃないですか」
それは知っている。
バフォメットに魔力を与えられ作られた人工魔獣、それがファミリアという魔物娘だ。
「でもバフォさまはそれはもう本当の娘のように、私を可愛がってくれてるんです」
「ハッ、立派なお母さんじゃん。お前、本当にバフォさまのこと好きなのな」
「えぇ! それはもう!」
そう言えば、自分の身体を誇るときも彼女はバフォさまの作ったと自慢していた。
ここまで声を大にして親を好きと言える素直さが羨ましい。
くるりと振り返り、こちらを見上げるミコの目はきらきらと星のように輝いている。
「バフォさま以外に髪触ってもらうの、スズキさんが初めてです」
「……お前くらい愛嬌あったら、言い寄る男も多そうなもんだけどな」
「そこはまぁ、私はあまり魔法が得意ではないので」
恥ずかしそうに頬を掻いているミコの言葉が、すとんと胸に落ちてくる。
だからゴミ拾いのときも、老婆の荷物のときもその小さな体一つで運んでいたのだろう。
お風呂の時に強引に迫らなかったのもそういうことだろう。その魔性は本物だったが。
「まっ、魅了の魔法が使えなくても完全無欠のこの可愛さが私にはありますからね☆」
「別に、魔法だ外見だだけがお前の魅力じゃねぇだろ」
「んん〜? スズキさんは私のこの可愛さ以上の魅力があると仰るんです?」
「そもそも俺ロリコンじゃねぇから、身体は好みじゃねぇしな」
「へぇ〜。そういうこと言っちゃうんですねぇ〜……」
ぐりっ、と柔らかなお尻が股間に押し付けられる。
反応しそうになる刺激に背筋が伸びてしまい、ミコはじっとりとした視線を向けてくる。
意志に反して硬くなってしまったそれに、彼女はにやぁっとイタズラが成功した悪ガキのように白い歯を見せつけてくる。
「で、こちらは?」
「………………それはズルだろ」
手のひら返しというレベルではない愚息の反応がさすがに恥ずかしすぎる。
熱くなった頬を手で隠すも、一度反応してしまうと下はなかなか鎮まらない。
にやにやとこちらを見上げるミコに、深くため息をこぼす。
「スズキさんもやっぱり好きなんですねぇ♥ 魅了されてもないのに反応しちゃうなんて、実はロリコンさんなんじゃないですかぁ〜?」
そしてこのメスガキぶりである。
カチンと熱くなった頭に、売り言葉に買い言葉。このガキには理解らせねばなるまい。
自分がどういう風に見られているのか、その魅力を。
「俺が好きなのはお前の身体だけじゃねぇ!」
「へっ!?」
大きな声を出したせいか、びくりとミコの身体が跳ねる。
胸板に倒れ込んでくる小さな体をすっぽりと抱き込み、逃さないようにする。
「困っている人を放っておけないところも顔も知らない誰かのために頑張れるところも、そういうお人好しなところも俺は好きだ」
だって、自分にはとても真似できないから。
自分の恩着せがましさは、よく自覚している。
他人のために何かをしたなら、感謝の言葉でもなんでも対価がないと耐えられない。何のために頑張ったのか分からなくなってしまう。
だからこそ、ミコのようなお人好しに、やめておけばいいのに憧れてしまう。
「あ、あのっ、す、スズキさん……っ?」
「お前の優しさが俺にとってはいっとう尊いもんだ。外見だけじゃねぇ、お前は心だってカワイイやつだよ」
「ひえぇ……っ」
腕の中で縮こまるミコに苦笑いする。
その顔色は見えないが、見るまでもなく真っ赤だろう。
「お前が頑張ったら褒めてやりてぇのは、そういうお前が好きだからだよ。大人とかガキとかそういう建前を抜きにしたら、魅了なんざ掛けられんでもお前にぞっこんだろうさ」
「あのっ、スズキさん!? タンマ、タンマですっ! あまりそういうこと言われると私もさすがに恥ずかしいですっ!」
「誘っといて逃げんのか? ホントいい度胸してるぜ」
とはいえ、これはあくまでも一方的な俺の意見だ。
ミコの身体を自分から離して立ち上がる。
思っていた以上に彼女の体温が高かったのか、肌寒さにぶるりと身体が震えた。
「じゃ、髪も乾いたし俺風呂ってくる」
「この流れで私置いてくんですか!?」
「置いてくも何も、俺とお前は突き詰めればただの顔見知りだろうが」
「あれだけ熱烈に告白しておいて!?」
いや、返事を貰っていない以上、関係性は何一つ進展していないから。
もっとも、その返事がイエスでもノーでも怖いから逃げようとしているだけだが。
考えなしに勢いで言ってしまったあたり、俺もまだまだ若いのかも知れない。
「〜〜〜〜〜っ! 湯冷めしましたっ! 私も一緒に入りますっ!」
「むしろ真っ赤にのぼせてるだろ。鏡見ろ」
「じゃあお礼! お礼にお背中流しますぅ〜!」
背中にしがみついて離れないミコに、どうしたものかと頭を抱える。
理性的な心が、このままなし崩し的に一緒にいるとヤってしまいそうだと警告している。
利己的で、自分に甘いのだ、俺は。届くところにいると、手が出てしまう。
「言い逃げなんてズルいですっ! 本当は私のことが嫌いなんじゃないですか……っ!?」
「そんなことあるわけないだ───」
バチリと目と目が合う。
泣きそうなほど潤んだ瞳に、ドキリと心臓が跳ねた。
「嫌なら、断ってください……。お背中、流したいです、お礼がしたいです……」
あと、良ければ───。
小さな唇がぽしょぽしょと囁くように、言ってはいけない言葉を紡ぐ。
奇しくも、初めて会った時に彼女に言われた言葉だった。
「……私とイイコト、しませんか?」
不安げに揺れる大きな星に、理性が白旗を上げた。
本当に、このメスガキは───。
───一方そのころとあるサバトでは。
夜になっても帰ってこない愛娘に不安を隠せないバフォさまがいたとかいなかったとか。
「雨で凍えておったりせんじゃろうか、迷子になったりしておらんじゃろうか……。ハッ、まさか悪い男に騙されてあんなことやこんなことをされたり……!? こうしてはおれん、急いでミコを探してやらねば───ッ!」
「バフォさま、こちらの書類の確認をお願いしますー」
「ぬわ──────ッ!? ミコよ──────ッ!! お婆ちゃんは心配じゃ──────ッ!!」
21/12/21 17:46更新 / 残骸