第二十三話 空には鳥と竜が舞う 前編
「…厄介なことになってやがる。」
双眼鏡を片手に見ていたグリムが独り言のように呟く。
隣で仮眠をとっていたハンスが慌てて身体を起こした。
「ご、ごめんなさい、何かありましたか?!!」
「あん?」
慌てて起きてきたハンスにグリムは双眼鏡から目を離してハンスを凝視した。
二人できょとんと見つめ合って数秒、グリムは噴出しながら答えた。
「あっははは、悪い悪い独り言だ、気にするな。」
「はぁ…そうでしたか。」
一気に力が抜け、ふぅ…と肩を落とすハンス。
だがグリムは「ただな…」と言葉を続けた。
「さっき見つけた教団の船だが…どうやら魔物に襲われてるみたいだな。」
「船って…あの精霊がいる空飛ぶ船の事ですか?」
ここへ来るまでにグリムは大きな空飛ぶ船が峡谷へと入っていくのを見つけていた。
最初は特に気にした様子も無くあんなものもあるのかという程度だったがアレスの中にいるイグニスのフランが言った言葉で三人の行き先は変わった。
「あの船に同じ精霊の仲間を感じる…。」
三人は追いかける為の準備をしているところだった。
「ハーピーやら何やらに取り付かれちまってるな、ありゃそう長くないぜ。」
「だったら早く追いかけないと…アレスさん、まだなんですかね?」
ハンスは振り返って遠くのほうにある岩場を見つめた。
…その近くから複数の独特の女性の媚声が聞こえてきた。
「さぁな?…流石のアレスも"三匹"相手じゃ手こずるだろうしな。」
「それもあの『ワイバーン』ですよ、何とか僕たちも乗せてもらうようにするとはいえ、アレスさんも無茶しますよ…ほんとに。」
ハンスはため息をつき、呆れながらもアレスを心配した。
その頃、アレスは…。
「あぁん、もっとぉ!!もっと突いてぇっ、ひゃぁ、子宮ゴリゴリするのぉ…!」
「だめぇ…もうむりぃ…お腹ん中タプタプで孕んじゃうよぉ。」
「はふぅ…交尾って…こんなになっちゃうんだ…もう立てないや…。」
(後で妻に一人選ぶ時に喧嘩にならないだろうか…?)
…二人とは別なことで心配していた。
……。
『セイントバード周辺、上空』
「いけいけー、交尾の時みたいに丸裸にしちゃえー!!」
「「「おぉー!!」」」
モカが呼び寄せたハーピーの群生、さらにブラックハーピーの群生も加わり、もはや空を覆いつくせるほどにまで集まったハーピー種。
モカの号令で彼女達は一気に船を取り囲み、船内へと取り付いていった。
「くそ、化け物共めっ!!」
セイントバードに取り付けられた砲台で砲撃手の男は懸命にハーピーを狙い撃った。
…しかし、空中戦を予期していなかった大雑把な射撃は彼女達にひらりと簡単にかわされてしまう。
「くそ、ちょこまかと−」
「あ、好みのオスはっけーん!!」
砲撃手の男が次弾を装てんしようとしていると不意に頭上からハーピーが降りてきて彼の肩を足で掴みあげた。
「な、何をする、放せっ!?」
「やったっ、お持ち帰り〜、ついに念願の素敵な旦那様ゲットー!!」
「ついでにこんなダサい飾りはこうしてやるー!!」
ハーピーは男を足で引っ掴んだまま巣へと持ち帰り、代わりに空っぽになった砲座に別のハーピーが足で掴んでいた岩石を落として砲台を破壊した。
「よっしゃー、次だ次ー!!」
「おぉー!!」
ハーピー達は船に取り付けられた外装や砲台を彼女達は魔法やら落石やらで一つ一つ潰していく。
それはまるで肉食獣が群れで大きな草食獣を襲う光景だった。
…。
『セイントバード船内にて』
「こちら左舷砲撃手、全砲門大破、修理が間に合いません!!」
「こちら右舷砲撃手だっ、脱落者多数、誰でもいいから増援を頼む!!」
「こちら後部デッキ、魔物共が船内に浸入っ、救援を!!」
数々の伝令が飛び交い、船内はパニックに陥っていた。
操舵室では船長と思しき男が指示を飛ばし、窓を見ては空を飛び交うハーピー達を見て舌打ちをした。
「まったく…セイントバードよ、こんなに嫁候補がいては目移りしてしまうな?」
この状況に皮肉を漏らしつつもその船長は舵を取る手を緩めることはなかった。
変わりに不敵に笑って見せて船内に響き渡るように叫んだ。
「各砲撃手、砲台は捨て置いて白兵戦に切り替えろっ、次の中継地点まで行ければ俺たちの勝ちなんだ、持久戦に持ち込んで切り抜けろ!!」
「「「了解!!」」」
「いいか、絶対に諦めるな…絶対に−」
言葉を続けようとすると、その船長の下へ割り込むように伝令が走りこんできた。
「船長っ、あ、新たな敵を観測…!!」
「ぁあ?!…何処からだ!?」
「それが…。」
その伝令は肩で息をし、絶え絶えになりながらも辛うじて顔を上げ、その先を指差しながら答えた。
「正面…前方数キロ先で、敵の精鋭と思われる部隊が向かってきています!」
「なっ…?!」
船長はその伝令から望遠鏡を渡され、前方を覗いた。
覗いた先には峡谷を塞ぐほどの飛行型の魔物達が隊列を組んで飛行していた。
その隊列の中には兵士をたんまり積んだ鉄箱を吊るしている魔物もおり、まさにこの船を狙っていると言わんばかりの構成だった。
種族、装備、編隊のどれをとっても今襲っているハーピーより各段に統率が取れている以上、魔物達の精鋭部隊と言っても過言ではなかった。
「……っ。」
「船長…ご決断を。」
船長は震える手で伝令に望遠鏡を返すと、大きく深呼吸をした。
額に流れる冷や汗を拭き、袖を巻くって舵を取り直すと伝令に静かに伝えた。
「各員に伝えろ、先程の命令は取り消し…全員食料庫に避難し籠城戦に備えろ、中から扉を塞ぎ…目的地に着くまで何があっても開けるなと伝えろ。」
「了解しました、では自分が舵を−」
「それは船長である俺の仕事だ、お前も各員に伝えた後に食料庫に向かうんだ。」
「そ、それでは船長が危険です、自分が残ります!!」
「俺がここでできることと言ったら命令することと、ここで舵を取ることぐらいだ、幸い…あの風の精霊さえいればこの船は落ちることは無い。」
「し、しかし…!!」
「俺の指図することに口を挟むんじゃない、さっさと行け!!」
船長の剣幕に凄まれ、伝令は込み上げる感情を抑えながら俯いて復唱した。
「了解しました…船長、ご武運を…っ。」
脇目もふらず走っていく伝令の背中を見送った後、船長はまた大きく息を吐き正面を見た。
先程の部隊がもう望遠鏡無しでも見える位置にいるのを確認して船長は不敵に笑った。
「…俺達を他の腰抜け教団のやつらといっしょと思うなよ…!」
船長は舵を持つ手により一層力を込めた。
……。
『セイントバード後部デッキから中枢にかけて』
もはや船内は混乱どころではなく阿鼻叫喚に包まれていた。
乗組員である男達は武器を取り、入ってこようとするハーピー達を追い出そうと懸命に戦うがそれは最早、戦いと呼べるものではなかった。
「いくぞ、奴らを船から追い出せ!!」
「「「うおおぉ!!」」」
雄たけびと共に群をなして向かってくる人間たちにハーピー達は特に怯みもせず余裕綽々といった様子で立ち塞ぐ。
そして前にいた一匹のハーピーの号令で全員が一斉に羽を広げた。
「今だ、押し流せー!!」
羽を広げたハーピー達が一斉に前方へと羽ばたき、船内で強風が巻き起こった。
「う、うわぁぁぁぁ??!」
船内の狭い通路ではほとんど身動きがとれず、ハーピー達が放つ風に吹き飛ばされ運が悪いものは船外へ放り出された挙句、他のハーピーに連れ去られてしまった。
まるでほうきで塵を集めるようにして男達は徐々に一箇所へと追いやられ、最後には10人弱の人間が甲板へと追いやられてしまった。
「ふぅぃー…これで全部かな?」
「よぉ、こっちは終わったぜ。」
上空から指揮を執っていたハーピーのモカが息をつきながらゆっくり降りてきた。
船内からは同じようにハーピー達と協力して船外へと追いやったヒカリが声を掛けながらモカの方へと歩いてくる。
「あ、ヒカリー、お疲れ様。」
「おぅ、案外早く終わったぜ、にしてもこんなに大きな船だってのにオスが少ないのは気のせいか?」
ヒカリが人間たちを見やると男達はまだ諦めてはおらず、武器を失っても背中は見せまいと円を組んで陣形を取っていた。
それでも十数人というのに対してヒカリが首を傾げていると、ブラックハーピーの一人『ラグ』が彼女の隣へとゆっくり降りてきた。
「さっき教えてもらったんだけど〜、他のオス達はなんか違う部屋に集まってるらしいわよ?」
「違う部屋…何処だよそれ?」
「なんか倉庫みたいなとこで〜、そこだけ扉が開かないのよ、開けようとしてもびくともしないし…。」
「あたしがやってもいいが中のオス吹き飛ばしかねないしな…どうする?」
「じゃあさじゃあさ、この船先に下ろしちゃわない?」
二人が考えているとモカが頭に豆電球を閃かせて言った。
「この船を?…どうやって?」
「さっき仲間の一人から舵が付いた部屋を外から見かけたって聞いてるんだ、だからそこを先に抑えちゃえばこの船頂けるかなと思って。」
「へぇ、モカにしちゃ冴えてるじゃん、まぁオス達も地面に足をつければ考えも変わるだろうしね。」
「よし、じゃあそうと決まれば−」
モカが近くにいたハーピーたちに目配せすると、他のハーピー達は順に飛び立ち上空を舞い始めた。
それを見届けた後、モカはわざとらしく男達の前へと歩み寄り始めた。
当然、彼らは急に歩み寄ってきたモカを警戒し始める。
「なんだよてめぇら、俺たちをこんなところへ集めやがって…やるなら一思いに殺しやがれ!!」
男の一人が前へ出て近づいてきたモカをその台詞と共に威嚇した。
それに伴って後ろにいた数人の男達も同様に勢い立ち、降伏はしないと断固として意気込んだ。
しかし、それとは裏腹にモカは特に怯えた様子は無く逆に彼らに問いかけた。
「ねぇねぇ、いつも思ってたんだけど…どうして貴方達っていつも私達に"殺される前提"でいるの?」
「な、なんだと?」
モカの突拍子な質問と無垢な表情に男達は一瞬戸惑いを覚えた。
素っ頓狂な声を上げながらも男はモカの問いに答える。
「当たり前だろ、お前たちは魔物だし今この船を襲ってるのが何よりの証拠じゃねえか!」
「でも私たちは人間を殺したりなんかしないよ、だって私達は貴方たち人間のオスが大好きなんだもん、それにこの船を襲っているのも貴方たちが欲しいからだよ?」
「い、いったい何を言ってやがる?」
男達がモカの言葉に動揺しているのが見て取れ、後ろで見ていたヒカリが賞賛交じりに口笛を吹いた。
もちろんそれはヒカリだけではなく、ラグや他のハーピー達もうんうんと頷いていた。
戸惑いながら男は更に問いかける。
「じゃあなにか、俺達は教団自体に騙されてるってのか、俺達が戦ってることは全部無駄だって言いてぇのか?!」
「うーん、ごめん…説明してあげたいけど皆待ってるから、続きは"新しいお嫁さん"に聞いてね?」
「え?」
そう言ってモカは空を…上空を飛んでいる仲間達を見上げた。
「さぁ皆お待ちかねだよ、回収開始ー!!」
「「「おおー!!」」」
モカの合図と同時に上空を飛んでいた仲間たちが一斉に男達目掛けて降下、次々に"素敵な旦那様"を獲得していった。
「うわぁ、やめろっ離せ!!」
「ちきしょぉ、お前らに食われるぐらいなら落っこちて死んだほうがマシだぁ!!」
「おい、さっきの話本当なんだろうなっ、おい、聞いてんのか?!」
「ほんとにうるさいオスどもだね…。」
「お幸せにー♪」
ヒカリはやれやれといった様子で両手を上げ、モカは仲間達を手を振って見送った。
「さてと、それじゃあ行きますか。」
「はーい!」
三人は再び船内へと足を運んだ。
……。
三人が船内へと入ると先程とは雰囲気が打って変わり、ハーピー達の媚声や笑い声が響いていた。
中には通路で始めてしまっている者もおり、モカがジト目で注意を促した。
「ちょっとー、交尾は巣に帰ってからって決まりでしょ?」
「だ、だってー、1ヵ月ぶりの、ぁん、交尾なんだもん、んんっ♪」
一心不乱に腰を振り続けるハーピーに対し、相手の男も何も考えられないといった様子でただ下から腰を突き上げていた。
気付けばそこら辺りから艶かしい声やいやらしい水音が響き渡り、注意したモカ自身も顔を赤くしてしまっていた。
「もぅ…皆気が早いんだから、私だって早く旦那さん欲しいよぉ。」
「はいはい、今回で頑張って見つけような?」
しょぼくれるモカにヒカリがそう言ってぽんぽんと頭を撫でた。
だがラグがその様子を見て首をかしげた。
「そういえばヒカリって〜、あんまりガツガツしてないけど、もう旦那様ゲットしたの?」
「いんやまだだよ、あたしはね…ここにビリッときた奴じゃないと好きにならないようにしてるのさ。」
そう言ってヒカリは自身ありげに胸をドンッと叩くが裏腹にモカとラグは彼女に疑いの眼差しを向けた。
「…なんだよ?」
「あんたって〜、いつもビリビリさせてるから気付いてないだけなんじゃないの?」
「な、そんなわけ無いだろ?!」
「いやそれか、意外とオスより私達メスの方が好きだったりして?」
「えぇー、私ヒカリちゃんにそんな目で見られてたのー?」
「いいかげんにしねぇと本当にビリビリにさせるぞ!!」
「「きゃあ〜♪」」
攻め込んでいるとは思えないほど三人は和気藹々としながら通路を歩いていた。
すると、丁度目的地の近くまで来たときに少し前を歩いていたヒカリがぴたりと止まった。
「どうしたの?」
「しっ、この先の部屋で誰かが話しているのが聞こえる。」
「え…?」
三人は静かに耳を澄ましてみると確かに先の…操舵室と書かれた扉の向こうから女性の声が聞こえてきた。
女性は複数おり、何かを話しているようだった。
三人は目を合わせる。
「で…どう思う?」
「もう仲間の誰かが入ってるんじゃないの?だったら安心−」
「でもでもっ…報告も無かったし、私達にしては流石に静か過ぎると思うよ?」
「じゃあ…人間のメス?いや、オスも隠れてるって事もあるよね。」
「どっちにしたって中に入れば解ることだろ?」
そう言ってヒカリは静かに扉の前へと立った。
遅れるようにして二人が後に続くとヒカリは小声で話し始める。
「いいか、前回と一緒だ…まずあたしが一発ぶちかますからあんた達二人で中の奴らを捕まえるんだ。」
「だ、大丈夫なの?…もし仲間だったら−」
「それぐらいの手加減はするさ、でも…なんとなくだがあたしは仲間じゃないと思うんだ。」
「それって…どういうことよ?」
「それを今から確かめるんだよ、準備は良いか?」
二人が無言で頷いたのを見た後、ヒカリは三つカウントを取り始めた。
3…2…1…。
「…ゼロ!!」
扉を勢いよく開き、ヒカリは静かに溜めていた電撃を周囲に放つ。
−筈だった。
「えっ?」
部屋に入った瞬間、ヒカリは首根っこを掴まれ強引に床へと叩き伏せられた。
床に顔と胸をぶつけ、痛みを覚える間もなく首筋に冷たい刃物が当てられる。
起き上がろうとしていたヒカリがその感触にヒヤリとする。
「動くな、動くとその首を刎ねるぞ!」
冷淡な言い方だがどこか人間とは違う独特な口調の女性の声。
ハッとしてヒカリが見上げるとそこには甲冑に身を包んだ女性がこちらに剣を向けていた。
…ただし、爬虫類系の手足を持ち、尻尾を生やした女性『リザードマン』だ。
「ヒカリ〜…。」
「ちょっと痛いわよ、離してよ!」
逆に反対側を向くとラグはヒカリと同じようにリザードマンに拘束され、モカは半泣きになりながら両手を上げて降参の意思表示をしていた。
慌ててヒカリはリザードマンに叫んだ。
「ちょっと待てって…あたしらは人間じゃねぇよ!」
「見れば分かる。」
「見れば分かるって…?!」
「だからといって味方とも限らん、大人しくしろ。」
「てめぇ…。」
ヒカリが更にリザードマンに文句を言おうとしたとき、別の女性の声が聞こえた。
「待て、その者たちは同胞だ、離してやれ。」
「「はっ!!」」
二人を拘束していたリザードマンの兵士はその女性の指示で剣を収めて下がった。
「ったく、何なんだよ一体−」
ヒカリとラグは羽についたゴミを叩きながら立ち上がる。
言いながらふと、ヒカリが声のした方に視線を向けたとき、彼女に戦慄が走った。
同じように見たラグも固まり、モカがさっきからずっと"怯えたように"手を上げたままの意味も彼女にはようやく分かった。
その三人の視線の先には爬虫類系の手足を持ち、尻尾を生やした女性。
…ただし、その背中には大きな翼が生え、頭に二本の角を生やし鋭い眼光を放った美しき女性『ドラゴン』だった。
ドラゴンは三人に歩みながら語りかけた。
「すまなかったな、敵かと思って非常手段を取らざる終えなかった、怪我は無いか?」
「あ、ああ…あたしたちは大丈夫だよ、それよりその甲冑といい、ドラゴンといい、いったいなんなんだあんたたちは?」
ドラゴンとその隣に付くリザードマンをヒカリは訝しげに見ながら質問した。
ドラゴンの女性は堅実な態度で自分たちのことを話し始めた。
「申し遅れた、我等は新魔王軍空挺部隊『スカイアロー』、私はその隊長を務める『リディア』だ、簡潔に言えばこの船を乗っ取りに来たのだ。」
「新…魔王軍?」
「乗っ取りって…ちょっと待ちな、あんたはあたしたちが苦労して襲ったこの船を横取りしようってのかい!」
新魔王軍というワードにモカが反応したが、それよりもヒカリは自分たちの獲物が横取りされることに腹を立てた。
リディアはまるで聞いていないかのように話し続ける。
「お前達の協力によって我が隊はなんの障害もなく制圧は簡易なものだった…礼を言う、ここから先は我々が引き継ぐのでお前たちは巣へと戻るといい、まぁ…心配するな、お前達の活躍はしっかり新魔王幹部のデュナ様に伝えておく、近いうちに我々からスカウトが来るだろう。」
「だから、これはあたし達が先に目をつけた船だからあたし達のもんだ、それになんであたし達があんたらの所に入る話になってんだよ?!」
「ん?…お前たちは我々の目に留まるよう教団…つまりこの船を襲ったのではないのか?」
「なんでそうなるんだよ!!」
「ヒカリ落ち着きなって!!」
少し驚いたような様子でリディアは問い返した。
その様子にヒカリはますますイライラし始め、今にも手が出てしまいそうな程だった。
怒り出すヒカリを必死にラグが抑え、対するリディア達は涼しそうな顔をしている。
その中で、モカはしきりに窓の外の様子を伺っていた。
リディアは一つため息を吐いて話を続ける。
「はぁ…そうか、お前たちも他の魔物と一緒か…ならば言い方を変えよう。」
リディアは少し口調を強く変えて話した。
「この船は我々新魔王軍の強大な戦力となり、この世界を魔物の占領下とするために必要なものだ、お前たち野良の魔物にはこいつは扱えん、諦めるんだな。」
「な、なんだって?!」
「お前達が連れ去った人間共ぐらいはくれてやる、早々にこの船から立ち去れ、しばらくは巣に帰って大人しくしていることだ。」
「言わせておけばてめぇ…!」
「ちょっとヒカ−あ痛!」
我慢の限界かヒカリの身体から青白い雷がバチバチと纏われ、抑えていたラグが思わずその雷で弾かれてしまった。
怒り狂った様子のヒカリにリザードマンの二人は剣を抜こうとするがリディアは無言で制した。
「よろしいので?」
「放っておけ、どうせこちらに手出しなど出来ん。」
「言ったな…後悔させてやるよ!」
ヒカリの雷は怒りに合わせて強くなっていき、彼女の周囲を感電させ始めた。
一触即発の中、彼女の前にモカが立ち塞がった。
「駄目だよヒカリ、戦っちゃ駄目!!」
「どけっモカ、今回ばかりはもう我慢できない!!」
「今戦ったらみんなが、他のみんなやられちゃうよぉ!」
「なっ?!」
モカが窓の外を指差し、ヒカリが慌てて覗くと先程の人間の場面とは逆に甲冑を着た魔物達がハーピー達を甲板へと集め、取り囲んでいた。
リディアは強めの口調を崩さずに言った。
「ここで私と戦っても構わんがその時は仲間も犠牲になるぞ、我々の邪魔をする者は例え同胞であっても容赦はしない。」
「くそっ…汚ねぇマネしやがって。」
「助かる選択肢を与えただけありがたいと思うんだな、…どうするのだ?」
「…。」
「ヒカリ…。」
「分かってるよモカ、家族を犠牲になんか…出来る訳無いよ。」
リディアの態度に腸が煮えくり返りそうな思いだったがヒカリはその矛先を収めた。
その選択にリディアは賞賛を送る思いで頷いた。
「賢明な判断だ、まぁ気が変わったら何時でも魔界へと来るがいい、我々は君達の入隊を歓迎する。」
「…。」
三人はリディアの言葉には答えず、黙って部屋から出て行った。
足音が遠くなるのを聞いて、静寂が部屋を支配した。
その後、彼女を含めた三人が重い溜め息を吐いた。
「慣れませんね…こういうのは。」
「まったくだ、我々は人間から同胞を守るために戦っているというのに、彼らには仕方ないとはいえ嫌な思いをさせてしまった…これでは新魔王軍の存在意義を問われてしまう。」
「我々の努力が…報われる日は来るのでしょうか。」
「何を言う、人間共によって苦しめられてきた同胞達…我々はその同胞を救うために立ち上がられたデュナ様の志に惹かれ、我等が新魔王エレン様が創りし、新魔王軍として共に戦ってきた事を忘れたか、例えこの身が滅びようとも…我等の志が報われぬ事はあってはならんのだ!」
部下の弱気な発言にリディアは叱咤するとリザードマンは膝を突いて頭を垂れた。
「…失言でした。」
「よい、だが皆の前では言うな…士気にかかわる。」
リディアは頭を垂れた彼女の肩を数回叩き、励ましの意を送った。
後ろで見ていたもう一人のリザードマンが機を伺って声を掛けた。
「リディア様…先程の話の続きですが。」
「あぁ、この部屋に居た人間の話だったな…舵を取っていた事から恐らくここの船長だろう、隙を見て逃げられてしまったのは失策だ…居場所に見当はつくか?」
「いえ…、しかし先程外から『食料庫が開かない』との合図による報告が見えました。」
「食料庫か…持久戦に持ち込む気だな、無駄なことを。」
「いかがなされますか?」
「ランに戦力の大半を連れて食料庫へ向かわせろ、お前は残りを連れて風の精霊シルフのいる動力室へと向かえ。」
「はっ!!」
「お前はこの付近を見回っておけ、私は少し外を見てくる。」
「分かりました、お気をつけて。」
一人は規則正しい姿勢で敬礼した後、部屋を後にしもう一人は操舵室に残った。
リディアは操舵室の窓を開けてその背中の翼を広げて飛び立った。
……。
「あぁぁっ、ちきしょう腹が立つな!!」
「まだ言ってんの〜ヒカリ、ちょっとは落ち着きなって?」
操舵室を出てから甲板に向かうもイライラが止まらずヒカリは愚痴を零していた。
半ば呆れながら窘めるラグに対し、モカが申し訳なさそうに謝った。
「ごめんね、ヒカリちゃん…。」
「モカは悪くないよ、あんたは最善の行動をしたんだ…あの時止めてくれなかったら大変なことになってからね、ありがとうモカ。」
「ヒカリちゃん…。」
「それにしてもやっぱりあのメストカゲはむかつくな…今度会ったら丸焦げにしてやる!」
「もう忘れなって、今日は収穫が無かったわけじゃないんだからさ?」
「これはあたしの面子の問題だ!」
そんな言い合いをしながら通路を経て甲板へと出るとすぐ目の前に仲間のハーピー達が一箇所に集められ座り込んでいた。
「あ、モカちゃんだー!」
「ヒカリちゃんもいるー!」
「ラグー!!」
一人が三人の姿を見つけると全員がわらわらと三人に群がった。
心細かったのかハーピー達はほとんどは泣き出してしまっていた。
「ふえぇぇん、モカちゃん…怖かったよー…。」
「よしよし怖かったねー、ごめんね…心配掛けて。」
「ヒカリー、無事でよかったー…。」
「あたしはそんなヤワじゃないよ、でも心配してくれてありがとな。」
「ラグー、もう帰ろう?…良いでしょ?」
「えぇ、もう帰るから…みんな安心して?」
一人一人に頭を撫でて抱きしめる様子はまるで母親のようで、見張りで傍に居たサラマンダーは鼻をすすってもらい泣きをしていた。
「あぁ…いいねぇ、あたしゃこういうのには弱いんだ…うぅ。」
「な、なんだよ…あんた?」
隣で泣いているのが滑稽に見えたのかヒカリはそのサラマンダーを訝しんだ。
変な目で見られてることに気にした様子も無くサラマンダーは話を続けた。
「ほんと、今回は悪かったね…あたしらも狙ってあんた達の獲物を横取りしたかったわけじゃないんだ…これは、せめてもの侘びだ。」
そう言ってサラマンダーは中身の入った袋を投げてよこした。
モカはおととっと、とよろめきながらそれを器用に受け止めた。
だが、ヒカリは疑いの目をしたまま話した。
「へっ、それでご機嫌でも取って愛想を良くしたつもりかよ?」
「ほんの”迷惑料”さ、でも…ほんとにあたし達は皆の為に戦ってるんだ、それだけは分かって欲しい、それに…今のやり方は正直あたしゃ好きじゃないんだ。」
「それってどういう―」
「ランの姉貴ーっ!!」
ヒカリが言いかけた言葉を遮るように通路の方から大きな呼び声が聞こえた。
『ラン』と呼ばれたサラマンダーが首だけ向けて返答する。
「すぐ行くっ!…わりぃな、もう時間無いから元気でな、長生きするんだよ?」
「あ、あぁ…。」
そう言ってランは足早に船内へと走って行った。
先程の質問も言い直すことも出来ず、ぽかんと立ち尽くしていると後ろからモカの喜ぶ声が聞こえた。
「わぁーっ、キラキラがいっぱいだ!」
「え、ほんと?見せて見せて!!」
「すごい、たくさん入ってるー!!」
袋の中身は色とりどりの宝石だったらしくハーピー達は目を輝かせて喜んでいた。
ヒカリは軽いため息をついて苦笑するとその輪へと入っていった。
……。
…少し遡り、ハーピー達がリディアの部隊に取り囲まれている頃。
飛びまわっていたハーピー達がいなくなったのを見計らって船の後ろから
三人のワイバーンが近づいていった。
「あれだな、よし…そのままあそこの入り口で下ろしてくれ。」
「わかったわ、で…どうだった?私の乗り心地は?」
「一言で言えば最高だ、戻ったらまた乗せてくれ。」
「だ、大丈夫ですか?…重くないですか?…苦しくないですか?」
「心配し過ぎだってば、これくらいならなんとも無いわ。」
「それならいいんですけど…すいません。」
「悪いな、俺達まで運んでもらっちまって。」
「別にいいわ、お姉ちゃんの旦那さんの頼みだもの、それに気持ち良い思いも出来たし♪」
(…この三人相手でケロッとしてるアレスは一体なんなんだ、絶倫か?)
それぞれのワイバーンの背中に人間を乗せ、船の後部デッキへと近づいていく。
幸い見張りなどはおらず、ワイバーンは悠々と後部デッキの通路に降り立った。
「じゃあ、あたし達はこれで…お姉ちゃんをよろしくね?」
「フフ、たまにはあたし達に会いに来てくれてもいいんだよ?」
「ちょっとあんた達ね?!」
「ははは、相手がいなきゃな?」
そんな冗談を交わしながら三人の内の二人のワイバーンは人間…グリムとハンスを下ろした後、飛び立って行った。
アレスは降り立った後、振り向いて残ったワイバーン『リリィ』の頬を撫でた。
「じゃあ、しばらく待っててくれよ…なるべく早く戻るからな?」
「うん、待ってるからね…あ・な・た♪」
そう言ってリリィは恍惚な笑みでアレスの頬にキスをし、飛び立っていった。
完全に不意を突かれたアレスはしばらくボーっとしていたがハンスの咳払いで我に返った。
「あぁ、悪い。」
「もう、しっかりしてくださいよ?…ここは一応敵地になるんですから。」
「そうだぜ?…ちゃんと仕事しろよ、大将?」
「分かってるって。」
グリムはアレスの背中を叩いた後、ハンスと共に通路の奥へと消えていった。
二人が目指すのは動力室で先にシルフを抑えてしまおうという作戦だ。
無論、アレスはこのまま船長のいるであろう操舵室へと向かおうとしていた。
「さて、気を引き締めるか。」
アレスはグリム達とは逆の通路を歩き始めた。
……。
「〜♪」
先程の事もあって上機嫌なリリィは船の周りを軽く旋回していた。
特に危険も無かった為か彼女は適当に留まれそう場所を見つけるとそこへ降り立ち羽を休めた。
「よっと、この辺で待ってればいいかな?」
うーんと背伸びをして疲れた身体を伸ばしていると、急に彼女は声を掛けられた。
「飛んでいる姿を見て…もしやと思ったが。」
「ひっ?!」
声を掛けられたことに驚いた彼女はすぐさま身構えるが、隠そうともせず現れたその姿に驚きと懐かしさを覚えた。
「やっぱり…お前リリィか!」
「…もしかして、リディア先輩?!」
現れたのはドラゴンのリディアだった。
リディアは彼女に近づいてその身体を抱きとめた。
リリィも拒まず、彼女の身体を受け止めた。
「無事だったんだなリリィ、元気そうで何よりだ。」
「先輩こそ一体何処に行ってたんですか、急に旅立つといってそれっきりでしたから。」
「この姿を見れば分かるんじゃないか?」
リディアはリリィから身体を離してその姿を見せた。
所々に傷の入った鎧、頑丈そうな篭手、そしてそれらに烙印された魔物娘の紋章。
リリィは恐る恐る尋ねた。
「まさか先輩…?」
「お前なら察しが付くだろう、私は今や新魔王軍の一員…それも隊長を任されている身だ。」
「本当に、仲間達を救うために?」
リディアは拳を作り、その力強さと眼差しで強い怒りを示した。
その迫力にリリィは一瞬たじろいだ。
「そうだ、我が同胞…竜族はこの姿に変えられてからというもの人間によって苦汁を飲まされてきた、私はあの屈辱を一変たりとも忘れたことは無い…私は同志と共に立ち上がり人間達と戦かってきた、今現在もこの教団の船を新魔王軍の戦力と為さんと作戦を遂行している所だ、この力で今こそ反旗を翻すとき…人間達に思い知らせてやるのだ!!」
リディアは勢いのままに拳を叩きつけ、壊れかけていた砲台を吹き飛ばし谷底へと落とした。
彼女の怒り、彼女の悲しみ、彼女の志−。
それを目の当たりにしたリリィは自分の立場もあり、とても複雑な気分だった。
彼女が節目がちに俯くとそれに気付いたリディアは慌てて励ました。
「すまない、怖がらせるつもりは無かったんだ、まったく…感情をすぐ出してしまうのは私の悪い癖だな、…そうだリリィ。」
暗くしてしまった場の雰囲気を変えるためにリディアはリリィの肩を掴んで話題を切り替えた。
「ここで会ったのも何かの縁だろう、どうだ…私の隊に入らないか?」
「えっ…先輩の?」
突然の勧誘にリリィは驚いたがリディアはまくし立てるように話した。
「そうだ、空挺部隊ならピッタリだろう、お前なら大歓迎だ…この隊の副隊長になるも良し、なんなら私と共に頭角を現し新魔王軍で竜族の偉大な力を示して幹部を目指すも良い、デュナ様もきっと喜んでくださるだろう。」
「えっと…私は…その。」
リディアの押しにリリィは少しバツが悪そうに答えてしまった。
その表情を察したリディアは不安げに聞き返した。
「どうした、なにか不都合があるのか?」
(ど、どうしよ…さっき夫が出来たから無理だなんてこの状況じゃ言えないし…そもそもアレスもこの船にいるし…だからって断りにくいし…。)
「あ、そういえばそうだったな。」
「へ?」
焦って考えていたリリィを見て、リディアは何かを思い出したように話した。
「お前には確か二人の妹が居たな、今急に決めてしまっては二人が心配する…そう思ったのだろう?」
「あ、…はい、そ、そんなところです。」
「そうか、それはすまなかった…ならせめて我が隊の様子を見ていってくれ、そこらの魔物とは訳が違う強靭な部下達だ、お前も気に入るだろう。」
「ま、まぁ…それぐらいなら。」
「よし、なら付いて来てくれ、まずは私の側近を紹介しよう!」
リディアは生き生きとした様子でリリィを船内へと案内した。
リリィは空を見上げて聞こえないように嘆いた。
「アレス…迎えに行くの間に合わなかったらごめんね。」
−−−−−。
「やけに静かだな…?」
通路を進んでいくと所々、人が生活していた痕跡を見つけることは出来た…まぁ教団の船だから当然だがそれでも中に入ってから一人の人間も見ていない…それどころか攻めこんでいた彼女達、ハーピー達の姿も見当たらなかった。
船内は静まり返っている程ではないがとても戦いの最中でもお楽しみの最中でもなく、どこか緊張に包まれていた空気だった。
俺は周りを気にしながら目的地へと歩を進めた。
「おかしいな…グリムの話じゃ野生のハーピー達だと聞いていたが…こんなに静かなものなのか…いや、そんなわけない、何か俺達の知らない事が起きているって事か?」
俺が確認するように独り言を言っていたときだった。
「!」
通路の奥から複数の足音が聞こえてきた。
音からして数は…4人、それも何か鎧を身に着けているような金属音もしている。
「流石に分が悪い…身を隠そう。」
俺はすぐさま隣にあった部屋へ入り、じっと息を潜めた。
程なくして部屋の前を甲冑を身に着けた彼女達が通りかかった。
「急げ、次の中継地点まで時間が無いぞ!!」
「「「はっ!!」」」
チラッと見えたが先頭で指揮をしているのはどうやらリザードマンのようだった。
残りの三人は見えなかったが同じように武装している出で立ちだった。
…どう考えても野生のハーピーの仲間ではない。
会話から察するにこの船の進路に関係することだろう、この船の進路を変えるとすれば操舵室、それ以外の方法となると…。
「…グリムたちに連絡するべきだろうな。」
俺はここに来る前にグリムから手渡された『ムセンキ』を取り出した。
この四角い装置はなんでもボタンを押すだけで同じ物を持っている者と話が出来るという優れものらしい、魔力が必要なイヤリングと違いこれは便利だ。
俺は教えてもらったとおりにボタンを押し装置を耳に当てた。
「グリム、聞こえるか?」
装置越しに声を掛けるとすぐさまグリムからの応答が聞こえてきた。
「アレスどうした、もう片付いたのか?」
「いやまだだ、ただそっちに武装した彼女達が向かったぞ、数は4人だ。」
「武装…おいどういうことだ、俺が見たハーピーは飾りなんざ付けちゃいなかったぞ?」
「どうやら別働隊が居たようだ、ただ野生って雰囲気ではない…訓練された動きがあるからな。」
「まるで軍隊だな、ここを襲ってるって事は当然教団の奴らに敵対して―」
グリムは無線越しに言いかけて気がついたようだ。
「おい、まさかそいつらって…。」
「俺も同じ事を考えてたよ。」
軍隊のような出で立ち、人類に敵対する勢力。
それに当てはまる派閥を俺は一つ知っている、それもごく最近でだ。
…どうやら、本当に遊びではなかったようだな。
「どうするんだアレス、まさかそいつら全員嫁にするとか言い出す気か?」
「全員は無理だ、だが戦意は喪失させないとな…どうするか。」
「頭を抑えるしかないだろうな…統率が取れてるって事は指揮している奴がいるって事だ、そいつをなんとかしろ。」
「そうだな、多分操舵室にいるだろう…そっちも気をつけろよ?」
グリムとの無線を終わらせ、俺は部屋を出た。
……。
しばらくそのまま通路を歩いていたが、T字路に差し掛かった所で俺は立ち止まった。
「!」
左に曲がった先、その先に誰かいる。
数は一人だが余程こちらを警戒しているようだ、曲がった先で息を潜めている。
気配を消して動いていたつもりだったが…何かで勘付かれたらしい、厄介なことになった。
出待ちされている以上、攻撃は仕掛けられないし…このまま逃げても仲間を呼び寄せられる、そうなるともっと厄介だ。
さて…どうしたものか?
「…。」
…仕方ない、案内してもらおう。
「わかった降参だ…手を上げてるから殺さないでくれ。」
俺は曲がり角で待ち構えているであろう人物に声をかけ、言った通りに両手を上げた。
しばらくしてゆっくりとその人物は姿を見せた。
「…。」
剣を構えてこちらを睨むリザードマン、少し驚いたのは先程すれ違ったリザードマンと顔が瓜二つだった事だ。
俺は手を上げたまま彼女に話しかけた。
「気配を消していたつもりだったんだが…どうやって分かったんだ?」
「…。」
甲冑を身に着けたリザードマンはしばらく黙ってこちらを睨みつけていたが、程なくしてそっと口を開いた。
「お前から…隊長と似た臭いを感じ取っただけだ。」
「臭い?」
「それより、貴様は何者だ…姿からしてこの船の乗員ではないな?」
彼女は剣を構えたまま一定の距離を保ち、尋問してきた。
なるほど…俺に組み付かせないように離れたまま拘束する気か、そこそこ場慣れしているようだ。
…舐めて挑んでいたら危なかったな。
「あぁ、少なくとも敵じゃない、ちょっとこの船に用があってな…見たところお前らは野生って感じじゃないが何処から来たんだ?」
「質問をしていいのはこちらだけだ、敵かどうかもこちらで決める…私では決めかねるからな、お前を隊長の下へと連れて行く。」
「そうかい、じゃあ大人しく従うさ。」
「その前に、腕は拘束させてもらうぞ。」
そう言って彼女は俺の両手を手錠で後ろ手に拘束した。
俺は彼女に従い、そのまま先へと歩いていく。
彼女は近すぎず、離れすぎず剣を構えたまま後ろについて来ている。
少し歩いた後、俺はふと彼女に尋ねた。
「ところであんた、『リザ』って名前知ってるか?」
そう言った途端、後ろにいた彼女の足が一瞬止まった。
俺も合わせて足を止めたが程なくして彼女は答えた。
「…そのような名前のリザードマンは知らない、それがどうかしたか?」
「いや、大したことじゃない、忘れてくれ。」
俺は何事も無かったかのように歩き出し、彼女も後ろをついてきた。
"リザードマン"、ね…帰ったらリザに聞いてみるか。
操舵室まではそこまで距離は無かったらしく、数分歩いた先に目的地まで着いた。
彼女は扉を開け、俺を部屋の中へと入れた。
「隊長、通路で怪しい人間を捕らえました。」
その声に反応したのか中に居た二人がこちらへと振り返った。
「あっ…。」
その内の一人だったリリィが俺の姿を見て声を出してしまった。
その声が気になったのか隣に居たドラゴンが「…ん?」と首を傾げた。
「どうした、知り合いか?」
「え、えっと…。」
リリィはどもりながら俺の方をチラリと見た。
…彼女がここにいる経緯は分からないが立場を危うくさせるわけには行かない。
目が合った俺は気付かれないように首を横に振った。
「ううん、久しぶりに人間を見たから…ちょっと。」
「そうか、無理も無い…それより―」
恐らく隊長であろうドラゴンは俺の方へと向かい、目が合った。
彼女の黄色の瞳と鋭い眼光が俺の目に焼きついた。
『ドラゴン』
この世界で生きているなら知らない者はいないであろうとまで言われた伝説の種族。
その美しい容貌からは想像も出来ないほどの力を持ち、地上の王者の称号を持った魔物だ。
なるほど、さっき通路でばれたのは同じ竜族のリリィの臭いに似ていたせいだな。
俺もこの目で見るのは初めてだが、やはりヒメ(龍)と良く姿が似ているな…威圧感は段違いだが。
「ほぅ…見たところ貴様、格好からして教団の者ではないが…いや待て。」
彼女は何かに気付いたのか言いかけて自分で止めた。
「黒髪に…赤い瞳の男…。」
リディアは俺の顔をまじまじと見つめながらぼそりと呟いた。
そして核心にも迫る尋ね方をした。
「もしや貴様…『アレス』という名前ではないか?」
「!」
言ってもいない名前を当てられ俺は彼女の顔を見た。
リディアは『やはりな』という表情で含み笑いをした。
後ろにいるリザードマンが意外そうに尋ねる。
「隊長、この人間をご存知で?」
「お前達にはまだ言ってなかったな、数日前だが新魔王エレン様からご通達があってな、『アレスという名前の黒髪で赤い瞳の男を見つけたら、私の前へ生かして連れて来い』とのことだ。」
「ま、まさかこの男がその…?」
リザードマンは驚いて俺の顔を覗き込んでくる。
…聞く限りエレンはよっぽどアレを根に持っているらしい。
これから新魔王軍と名乗る彼女達に狙われるとなると、少し厄介かもしれないな。
リディアは頷きながら話を続けた。
「容貌と名前からして間違いないだろう、エレン様が名指しをするほどの人間だ…どのような男かと思っていたが、まさかこんなにも早く捕まえられるとはでかしたぞ…お前達双子にこの隊を任せられる日も近いな。」
「お褒めに預かり至極恐悦、早速この人間の移送手配を―」
「いや、拘束したとはいえ用心に越したことは無い…私自らこの男を魔界へと連れて行く、後の指揮はお前達二人に引き継ぐ。」
「きょ、恐縮ですが、隊長お一人で…護衛もつけずにですか?」
「あまり目立つ動きをしたくないのでな、ただ…一人というのは確かに心細い、そこでだ…リリィ。」
「え?」
急に名前を呼ばれてきょとんとするリリィ。
リディアは彼女に向き直って話を続けた。
「私と共にこの男を魔界へと連れて行き、エレン様の前へと差し出すのだ。」
「え、えぇっ?!」
「!!」
突然の彼女からの勧めにリリィはとても驚愕した。
リディアは彼女の心境にも気付かず、話を進めていく。
「今私と共に行けばエレン様に謁見できるまたとない機会ではないか、この男を連れて行けばエレン様は間違いなく喜んでくださる、その際に私がお前のことを紹介すれば確実に良い印象を与えることが出来る、仮に戦いを望まなくとも三姉妹共に魔界で不自由なく暮らすことぐらいエレン様ならお許しになるだろう。」
「そ、それは、そうですけど…。」
「どうした、お前にとってはどっちに転んでも良い話の筈だろう?」
「で、でも…。」
リリィの身体からは冷や汗が流れ、言葉も酷くうろたえていた様子だった。
もう限界だという所で最後に彼女は俺の方を横目で見た。
「…。」
俺は気付かれないようにそっと頷いた。
それは当然『従っておけ』の意思表示だ。
俺の場合どんな状況になっても打破できる勝算はあったし、なにより彼女の立場を危うくさせたくなかったからだ。
―ただ、その勝算と選択は間違いだった。
リリィは俺が頷くと泣きそうになっていた顔が徐々に決意を持った顔つきになっていった。
(…リリィ?)
そしてリリィはリディアに答えた。
「それは出来ません。」
「………は?」
「だって―」
リリィはこちらに向いて…笑った。
「アレスは…私がずっと欲しかった…夫だから。」
「リリィ、お前まさか?!」
「リリィ…何を言って―!!」
驚愕のあまりにリディアは訳も分からずよろよろと後ずさりをし始めた。
その隙を見逃さず、リリィは彼女に向かって突進した。
「よ、よせ?!」
「リリィ、やめろぉぉ!!!」
リリィは叫びをあげながらリディアに体当たりし、自分ごと窓を突き破った。
ガラスの割れる音がつんざき、二人の叫び声が部屋に響いた。
状況に追い付けていないリザードマンは後ろで慌てふためるしかなかった。
「なんなんだ、い、一体なにが起きている?!」
「わからないか…?」
俺は後ろでに拘束された手錠を力任せに引っ張った。
手錠は簡単に鎖の部分で引きちぎれた。
「?!」
「こういうことだ!」
彼女の剣よりも早く俺の後ろ回し蹴りが当たり、彼女は壁へと突っ伏した。
窓の外では今まで聞いた事も無いような怪物の咆哮が聞こえてくる。
「くそ、無茶しやがって…ハンスの気持ちが少しだけ分かったぞ!!」
俺は急いで部屋を出て、甲板へと向かった。
―−−−−−−。
ここからはおまけの短編となります。
本筋とは関係の無いお話ですので必要の無い方は飛ばしてください。
『ヴェンの気苦労…ライムの場合』
ライム「魔王様〜。」
ヴェン「おや、どうしたんだいライム?」
ライム「ちょっとみててほしいのがあるの〜!」
ライムが手の平を上に上げて何かを呟くとスライム状のボールが現れた。
ヴェン(拍手しながら)「へぇっ、すごいじゃないかライム、それは何だい?!」
ライム「サラお姉ちゃんの魔法をまねしてみたの〜、『ふらっとぼうる』って言ってた!」
ヴェン「見ただけで真似したのかい、流石ライムは天才だな。」(フラットボール…?)
(なでなで)ライム「えへへ〜、初めて上手く出来たからこれは魔王様にあげるね、みんなにみせてくるよ〜。」
ヴェン「ありがとう、でも魔法だからあんまり無理して出しすぎ無い様にね?」
ライム「は〜い。」
ヴェン「ふむ、あれぐらいの歳のスライムが見ただけで魔法を…ライムの才能か彼の子供だからの影響か…まだまだ研究が必要だな。」
ヴェン(ふらっとボールを手に取りながら)「しかし、フラットボールなんて名前の魔法はあったかな…、ちょっと調べて見るか。」
ヴェンはライムの作ったフラットボール?に対して分析の魔法を掛けた。
分析の魔法により頭の中にそのボールの特性が知識として入ってくる。
ヴェン「……。」(分析中)
ヴェン「……。」(分析中)
ヴェン「!!!!?」(分析完了)
分析が終わったと同時にそのボールが光りだした。
ヴェン「ち、ちがう…これはブラスト―」
その瞬間、ヴェンの部屋は閃光と共に吹っ飛んだ。
数日後、『魔法の制御と使い方』という勉強会が開かれた。
サラ「ライムやエルザは分かるけど何で私もなのよ?!」
ヒメ「そうじゃ、わらわに教えを説くとは釈迦に説法とはこのことよ!!」
アンヌ「危ない魔法を放ったお前達は前科があるからな、私の完璧なカリキュラムで取り組むからそのつもりでいろ!!」
エルザ(魔法…苦手なんだけどな〜。)
ライム「わ〜い、お勉強だ〜♪」
アレス(授業参観)「よかったな、被害がお前の部屋だけで?」
ヴェン(被害者兼発案者)「その中に…ゴホッ…私も含まれているが…ね。」
ライムは楽しそうに授業を受けていた。
『頑張れエルザ、お弁当作戦』
エルザ(料理中)
レイ「ん、キッチンでエルザは何をしているんだ?」
リザ「お弁当を作っているらしい、しかも張り切って。」
ルー「しっかりしてるじゃないか、自分用のお弁当を作って訓練に励むんだろう?」
アオイ「いえ、使われてる食材の量から考えるに二人分のお弁当ね。」
レイ「二人分…誰の分だ?」
ユリ「きっと恋人と一緒に食べられるのでは?」
リザ「エルザの恋人…。」
ルー「アレス…では無いのか?」
アオイ「ちょっと…気にならない?」
リザ「いや、べ、別にアレスでも良いじゃないか、私は何の問題も無い!」
ユリ(誰もリザさんのことは言ってないんですが…。)
レイ「お、丁度出来上がったみたいだ、走っていくぞ。」
アオイ「追いかけましょう!」
ルー「お、おいお前達!!」
しばらくしてエルザはアレスを見つけた。
アオイ「あ、見つけたみたいよ。」
リザ「いや待て、確かにアレスは好きだ、でも娘同然に思っているエルザを妻にされたら私も流石に複雑に―」
レイ「落ち着け、別に好きと決まったわけではあるまい、ただ単に憧れで渡すのかもしれんではないか。」
ユリ「でも、エルザちゃんから恋心のようなものを確かに感じるのですが…。」
ルー「まったくお前達は…ん、アレスと何か話しているな。」
アオイ「よし、そのまま会話に合わせて渡すのよ!」
ユリ「頑張って…ってあれ、渡さない…?」
ルー「なんだ、渡さずにエルザが走り去ってしまったぞ。」
レイ「まさかアレス、妻に出来ないからって受け取らなかったんじゃ…。」
アオイ「そんなのあんまりよっ、ちょっとアレス!!」
アレス「ん、どうした、みんな集まって?」
ユリ「どうしたじゃないです、私は見損ないました!!」
アレス「は?」
リザ「いやアレス、私の事を思ってくれたのならありがたいが流石に受け取らないのはどうかと思うぞ?」
レイ「そうだぞアレス、エルザは一生懸命作ってたんだぞ、それを受け取りもしないのは流石に悪いだろう。」
アレス「…なんの話だ?」
ルー「いや、さっきエルザと話していただろう、その事だ。」
アレス「さっきの会話か?…玄関で見かけたと言っただけだぞ。」
アオイ「え、見かけた?」
リザ「誰を?」
アレス「そりゃ―」
……。
エルザ「グリムさん!!」
グリム「ん、どうした嬢ちゃん、俺になんか用か?」
エルザ「グリムさん…お昼はまだですか?」
グリム「そういや、済ませてねぇな…なんでだ?」
エルザ「お弁当作ってきたんです、一緒に食べませんか?」
グリム「そりゃいい話だが、俺は明るいジョークを言える男じゃねぇし、観葉植物と食ってた方がまだマシだぞ?」
エルザ「そんなことないですよ、グリムさんは素敵な人だし…。」
グリム「物好きな奴だな、それじゃご馳走になってやるよ、後で後悔してもしらねぇからな。」
エルザ「はい!」
二人は仲良く昼食を共にした。
17/02/04 06:01更新 / ひげ親父
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