盲moka歌 ―とらわれうた―
. 瞼の裏に 空を見て
. 夢の中で 宙を舞う
. 静寂の中に 歌を聞き
. 暗闇の中で 君を見つける
. 盲moka歌
. 〜とらわれうた〜
美しい声がした
歌う様に 啼く様に
気づけば手は止まり
自然と耳が澄み
引き寄せられるように 歩き出す
見えない目を閉じ
耳で音を見て進む
長年住み続けているアトリエの中
いつも以上に静かな中
全ての物がその歌に聞き入る様に
微かに聞こえる自分の足音
そしてそれが物にぶつかり 反る音
それらが光りに代わるもの
それらは光の見えない目の中
それぞれ不思議な光を放ち
見えない筈の光景を像として結ぶ
その中に混じり合う声
混じり合う様で 包み込む様で
女性の声 だろうか
それにしては聞き覚えのない渋みを含み
苦味を持つ様な 甘い様な
まるで音を持つ日差しの様に
まるで温もりを持つ音の様に
声というには余りに多くの色を持ち
光というには余りにも感情を持ったそれ
まるで歌う事を楽しむ様に
まるで歌う事を恐れる様に
響く様に 擦り切れる様に
潮風と共に微かに届く波音
窓から差し込む光と共に吹き込む風音
それらを背負う様に それらに混じる様に
・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *
゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・
゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜
* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・
――カラン
突然の不協和音
『っ!』
――バササ
羽音
それと共に歌は途切れ
声の主も去って行った
拾い上げたオカリナ
「…鳥……かな?…」
声を 歌を 思い出し
声の主を想像する
「いや…。確かに…人…の声だったけど……」
ほっ と
再び静寂に包まれたアトリエの中で
思い出す
あの不可思議な歌を 声を
「………可笑しなこともあるんだなぁ」
カラン トン
トン カラリン
指先から伝わる感覚を手繰り
金属の管に響く微かな反響を見て
ギィ カラ
キィ キィ
まるで調和を奏でる様に
リズムが弾む様に
グィ グッ グッ
「よし、出来た」
こうして仕事をしている時間が一番落ち着いた
静かで簡素なアトリエ
光りを知らないが故に全ての物が全て あるべき場所に整って
自分もその中の一つであるかの様に
この机の上に並べられた工具や器具の一部であるかの様に
ただ違うのは工房の隅に造られた手作りのカウンター
そして その後ろに並べられた珈琲豆の粉の入った様々な形の瓶
そのスペースだけが この同じ屋根の下にあるアトリエの中では異彩
そこに自分が立つ時は工房の一部からルカという人間に変わる
「ふぅ…」
一息を吐き
ギィ 軋む音を立てる古い椅子から立ち上がる
――カラン
アトリエの表にある扉が開く
ドアに付いたベルがアトリエ中に音を反響させる
「ルカ〜?生きてる?」
それと共にあっけらかんとした声が
「ネイ?もう取りに来たの?」
カウンターの方に移動して
丸椅子に腰かける
「まぁ、それもあるわね。私のフルートをこんな所にずっと置いておいたらその内きのこでも生えちゃうわ。でも、今日はそれとは別の話」
カウンターの向かいにネイは腰かけため息交じりに言った
「生えないよ。ってか、直さないよ?そんな事言うんだったらさ」
「何よ。せっかく私が暇だから遊びに来てあげたのに」
「仕事は?」
「今日はオフ。でぇ〜明日から隣町で公演があって〜」
ネイはそう言いながら指を折る
「ずいぶんと急だね。僕の修理が間に合わなかったらどうするつもりだったのさ?」
「ってことは、間にあったのよね?」
「……まぁ、ね」
「さっすがぁ〜♪」
飽きれてため息も出ない
でも、そんな言動が彼女らしく
「ところで何飲むの?」
「 い つ も の ♪ 」
「青汁だっけ?」
「違うわっ!」
「はいはい。マンデリンだね」
「そうよ。っていうか、青汁なんてあるの?ここ…」
「あるよ」
「Σ!?」
ネイの動揺が見えるようだった
「ふふ…。先月の頭に来たお客さんが近くの農家の人でね、話をしている内に『なんと、盲目の身でこんな町外れで一人暮らしとは大変ですな』って言って、それ以来週に1回、新鮮な野菜を届けてくれてるんだ。まぁ、もちろん有料だけどね。で、今週はそのおまけに青汁も付いてきた。」
「な、何気に私よりいい暮らしを…」
「どう?ためしに一杯」
「いらないわよ!そんな青臭い物」
「そう?美味しいのに」
「うゎ…。あんた、目も悪いけど、それ以上に舌がおかしいんじゃないの?」
「いいんだよ。僕には修理が出来るだけの手と、音楽を聴ける耳があればそれで」
「はぁ…。あんたは相変わらずね。“目が見えてれば”とか思った事無いの?」
コポボボボ
背後でお湯の沸いた音がする
魔石式のコンロの火を止めて
棚から丸い瓶を取り出す
手先で形を確かめて蓋を開く
豆の甘い様な香ばしい香り
ドリッパーの越し布の上に豆をスプーンに2杯
「別に。僕は今で十分幸せだからね。行き倒れていた僕を師匠が拾ってくれて、修繕や調律の方法を教わって、音楽も知れた。それに僕は耳が良いからこの工房の中でなら生活にも支障はないしね」
「でも、こんな町外れの工房に閉じこもりなんて…」
「はは。街は音が多すぎるから目が回っちゃうんだ。だからここの方が僕にとっては住みやすい」
シュー シュー
ジワァ
珈琲の香ばしい匂いが立ち上る
コポポ…
「それに、君や他のお客さん。それに僕に食料や珈琲豆を持ってきてくれる人がいるから寂しいっていう事はないさ」
「そぅ…。でも、誰かいい女性を見つけて奥さんでも出来ればもっと生活は楽になるんじゃないの?」
「はは。大丈夫だよ。それに、そうなったらその人に悪い。街に行けばこんなのよりももっといい男の人だっていっぱいいるのに」
「……あの。私…な、なってあげ……ぃぃ…ょ」
「え?」
「な、なんでもないわよ。それより、珈琲はまだ?」
「今できるよ。ドリップは肝心なんだ」
「へぇ〜。よく目をつぶったままお湯を注げるわね」
「ふふ。ここにある物は全部僕が長年使ってるものだからね。ケトルの注ぎ口の形も長さも、机の高さもドリッパーの位置も、全部見るよりも正確にわかるよ。それに、手に伝わる重さで注いでる量も何となくだけどわかる」
「すごぉい…」
「まぁ、流石に豆の鑑定や仕分けは出来ないから業者の人に頼んで僕の好みの配合と煎り具合の豆を送ってもらってるんだけど」
「それは健常者でも出来ないわよ」
「ふふ。そうだね…。はい。マンデリンブレンド。お待たせ」
「わぁ…良い香り」
「あ、そうだ。この間お客さんからパウンドケーキを貰ったんだ。どう?」
「へぇ。気が効くじゃない」
「もう半分ほど食べちゃったけどね」
「食べさしかい…」
「今さら気にする間柄じゃないし、いいだろ?」
「しかたないわ。貰ってあげる」
こうしてネイと過ごす時間は少しばかり気に入っていた
ネイは他の客よりも遠慮がなく
他の客と違っていつもこのカウンターの内に無断侵入してくる様な
それでいて彼女は優しく
まるで親のいない自分にとって 妹の様な
彼女のはぐらかした言葉
予想はつく
でも だからこそ聞いてあげる事は出来ない
彼女はまだ若い
音楽の才能にも恵まれている
きっといい男性と結ばれるだろう
ネイの帰った後の静かなカウンターの上
残った小皿とティーカップ 手探りで探す
手渡した時に珈琲の温もりのあったそれは冷たくなっていた
久しぶりに仕事の無い日
先日の嵐の復旧作業で街はてんやわんやだと
今朝 牛乳配達の少年から聞いた
それに比べればこのアトリエは別世界の様で
窓を空けると日差しを手の甲に感じる
「いい天気だ」
しばらく漂っていた雨上がりの湿気の匂いも無くなって
仄かに窓の外から漂うのは草木の香りと 潮の匂い
サァァァ
良い風が吹いた
―― 〜〜 ♪
思い出す
あのメロディを
あれ以来声の主はここには来ない
先週の水曜 客から聞いた
隣の港町では時折美しい声をした魔物が現れ 男を攫って行くのだという
それは鳥の翼を持った美女で その歌声にはだれも逆らえないと聞いた
その話を聞いて これだ と思った
あの歌声は魔物の物に違いない
しかし不思議だ
あの歌はそういう恐ろしいものではない様に聞こえたからだ
しかしその声は魔性
だが そこに連なる感情は全く別の物だった
相反する様々な感情が融け合い鬩ぎ合い
「そうだ」
窓を離れ 作業机に近づく
「あれ?」
オカリナが見当たらない
――コツ
指先に当たる感触
見つけた
長年使われ表面が滑らかになった素焼きの感触
師匠からもらった唯一の物
「そういえばあの時はこれの所為で…」
くす
オカリナを構え 息を吹き込む
音が鳴り
指で穴を塞ぎ メロディが生まれる
あの時の声を思い出しながら
あの歌を聞いた喜びを思い出しながら
あの歌に魅了された思いを込めて
.。:*:゚:。: ゚*:゚。: 。
.:・゚:。:*゚: ゚・。:.
「?」
気のせいかとも思った
演奏は続けたまま
耳を澄ます
.。:*:゚:。: ゚*:゚。: 。・::。゚ :。:*゚。::・。*:。゚: ゚*:。:゚: :。.
.:・゚:。:*゚: ゚・。*:゚゚゚:*。・゚ :゚*:。:゚・:.
。 ゜:*゜:・゜。: ゜ :。゜・:゜ :゜*。
.:*:: 。゜・: ::*:: :・゜。 ::*:.
聞こえる
微かだが 風に混じり
あの 太く掠れた様な
不思議な渋みと甘さを持つ
声
近づいて
――バササ…
羽音と共に落ち立つ足音
ドクン
気がつけば身体の内側からも音が鳴っていた
足音をさせない様に
慎重に声のする方へ
演奏を間違えてしまわぬようにオカリナを吹き
徐々に 徐々に大きくなる 声
魔性の声
しかし 魔性と表現するには余りにも現実味のある音
今 このドアを隔てた向こうで確かに聞こえる声
どうすればいいのだろう
このドアを開けば この声に届く
しかし それではこの声はまた去ってしまう
それでも 会いたい
しかし 怖い
その恐れは それが魔物である可能性に対するものではなく
もっと 根底的な
でも
胸の底からわき上がる感情が それを押しのけた
――キィ
『!?』
歌が止まり
声から伝わる 動揺
「待って!」
呼びとめる
『え?』
初めて聞いた
歌以外の 彼女の声
歌声と同様 酷く掠れた
それでいて甘い響きを持った 声
「き、君と話を! したいんだ」
「……え?人間…」
トン トン
招き入れた彼女の足音
声のわりに軽い
「これは…。人間の楽器か?」
「うん。僕は楽器の修理と調律をしているんだ」
「へぇ…。あ!なんだこれは!?」
ポロン
彼女が触れたのか 弦が鳴る音がした
「それは…たぶんギターかな?」
「たぶん?」
「僕は目が見えないんだ。君が何を見ているのか分からないから」
「………お前」
彼女が暗闇の向こうで心配そうな声を出す
「大丈夫。これでも耳は良いんだ。おかげで何とか生活は出来ているよ」
「そうか。でも、なら何でだ?」
「え?」
「お前は今、耳が良いと言った。ならどうして私の歌なんかを聞きたがる?」
「え?それはどういう事?」
彼女の声
女性の割りに深く掠れた声
その中に 怒りの感情が混じり
「お前には見えていないかもしれないが、私には胸から首にかけて大きな火傷がある。そのせいで声も潰れてしまっている。この醜い声を聞いて、どうして私の歌が聞きたいなどという嘘がつける!」
不可思議な声
しかし その声には音以上の感情がこもり
「僕は好きだよ。その声。どうしてかは分からないけど」
「っ!」
「それに、君は歌が好きなんだろう?」
「っ………し、知った風な口を」
「分かるよ。僕は目が見えない代わりに音を見る。君の声には君の心が見える」
「っ……」
つまった様な声
怒りのこもる息
しかし その中に少しだけ嬉しいという気持ちが混じっている様に聞こえる
トサ
彼女は諦めたのか 工房の隅にある丸椅子に腰かけた
ふぅ…
「珈琲を淹れよう」
カウンターに向かい 歩き出す
「こーひー?」
背後から不思議そうな声が聞こえてきた
「ああ。人間の飲み物でね。炒った豆で入れるお茶なんだ。とても香りがよくてね。まぁ、初めて飲むと少し驚くかもしれないけど」
「?」
カウンターの内に立ち いつものように湯を沸かす
トコ ト ト ト
カウンターの向かいには不思議そうにする足音が近づいて
「それがコーヒーか?」
カウンターの向こうから興味深そうな声がする
もしかすると彼女は声の感じよりもずっと若いのかもしれない
まるで初めてカフェに来た子供の様なはしゃぎ様がカウンターの向こうから聞こえる
「初めてなら、これかな?」
棚の端から四角い瓶を取り出す
「ん?何でそんなにいっぱいある?」
「ふふ。これは全部豆の種類が違うんだ。いや、正確には産地とか育て方が、だけど」
「ん?何が違うんだ?」
「そうだな。例えば色々な服の中から着たい服を選ぶようなもので、人それぞれの好みやその日の気分で飲みたい味が違うんだよ」
「ふぅん…。人間は変わった事をするんだな」
コポコポ
ケトルが鳴る
「〜〜♪」
そのリズムに合わせ 彼女が鼻歌を歌う
サラサラ
粉が越し布に注がれ
カ
ケトルをコンロから取り
コポ
豆を蒸らす為にお湯を少量かけ
ジワ
豆が蒸れてお湯が浸透し
コポポポ
お湯が注がれ
トトトトト
ドリッパーからサーバーに珈琲が落ちる
珈琲を淹れる音
その音に合わせ 彼女が不思議な声で鼻歌を歌う
それが楽しくて
その声が心地よくて
つい笑顔が漏れる
「良い匂いがするな。少し甘いみたいな」
「うん。自慢のブレンドだよ。 そうだな、まずはブラックでちょっと飲んでみて」
そう言って小さめのカップに少量を注ぐ
「…んく…っ!!!! に、にがぁぁぁぁ!!」
くすくす
暗闇の向こう
彼女が慌てる姿が目に映る様で
「な、何だこれはっ!?こんなものを人間は飲むのか!?」
「くすくす」
「あぁ!お前、笑ったな!!」
「ふふ。ごめんね。まぁ、初めて飲んだならそうなるよね」
「お前!私を騙したのか!?」
「違うよ。慣れるとその苦味を味わえるようになるんだよ」
「こんなに苦いものを味わえるわけないだろ!」
声とは真逆な 子供らしい彼女の反応
それに少し笑ってしまう
「じゃあ、これは飲めるかな?」
大きめのマグカップに珈琲を半分注ぎ
砂糖を加えて そこに今朝届けられたミルクを注ぐ
ティースプーンでよくかき混ぜ
「はい。たぶんこれなら飲めると思うよ」
「ん?本当か?また苦いんじゃないだろうな?」
「ふふ。飲んでみてよ」
「……くんくん」
きっと彼女は恐る恐る口にしようとしているんだろう
その様子が少し可愛らしく思える
「あ、ミルクの甘い匂いがする」
「珈琲にミルクを足したカフェオレっていう飲み物だよ」
「……ずず。っ!上手い!これ、美味しいぞ!」
弾む様な 嬉しそうな声
よかった
自分の心まで温まる様で
「 〜〜〜 〜〜〜 ――〜 ♪」
歓びを表すような 歌
珈琲の香りの中で
鼻歌なのに 聞き入ってしまいそうになる
「君は本当に歌が好きなんだね」
「………ああ」
少しためらう様な 返事
「君の歌は素晴らしいよ。もっと、自信を持てばいいのに」
――コト
カップが置かれ
「……私はセイレーンだ」
「やっぱり、そうなんだね」
「セイレーンは歌が全てなんだ。歌で感情を伝え、歌で好きな人にも思いを伝える」
「素適な種族だね」
「でも、私は火傷で声を失ったんだ。こんな声じゃ…私は…」
彼女の声は落ち込み
喉は震えているようだった
「仲間達も私の事を気遣ってくれたけど、それでもやっぱりみんな私と違って綺麗な声で」
「その声も個性だと思うけど?」
「そんなことはない!だって、私も人間に火傷を負わされるまではもっときれいな声だったんだ」
「そうか。それであんなに脅えてたんだね」
「そうだ。お前達人間は私達の事をよく知りもしないで!」
「そうだね。 でも、どうか。それで人間すべてを嫌うのはやめてほしいな」
「そんなこと出来るわけないだろ!」
「君たちの種属は皆同じ考えをしているのかい?」
「え!?……そんな事はない…けど」
「人間も同じだよ。街に行けばたくさんの人で溢れている。その中では僕は目も見えず、雑踏の音の所為で真直ぐに歩く事も満足にできない。それでも、こんな僕を助けてくれた人間がいたんだ」
「………」
「師匠は僕に楽器の修理と調律の方法を教えてくれた。そして、何より、それまで自分の存在を示す為だけでしかなかった音に、音楽があるって教えてくれたんだ」
「…………」
「あの時の事は今でも覚えているよ。師匠が僕に吹いてくれたオカリナの音色。師匠が亡くなった今でも思い出せる」
「…………」
彼女は何と言えば良いのか考えている様で
もう彼女からは怒りの音は聞こえてこない
「そうして僕はひとりになったけど、それでもこのカフェに来て珈琲を飲む人や、僕に楽器の修理や調律を依頼してくれる人はたくさんいる。君はセイレーンの命と言える声を失ったと思っているのかもしれない。でも、君の声は十分に魅力的だよ」
「…っ……////」
「………ごめんね。少し熱くなっちゃったね。でも、分かって欲しかったんだ。人間には良い人間もいるんだ。それに、光を知らない僕でも、こうして生きていけている。君なら、今よりもっといい歌を歌えると思ったから」
「……ぁ…ぁぅ……」
「ん?」
彼女から動揺が伝わってくる
少し言い過ぎたか
「………」
黙って彼女に耳を傾ける
どういう言葉が帰ってくるのか
「ぁ…あ…」
「?」
「あたしの歌を聞けぇぇ!!!!」
返ってきた言葉は
先程までの深みのあるハスキーな声ではなく
裏返った 掠れてはいるが どこか可愛らしい声だった
「え?」
「え…えと……。わ、私にはお前が何を言っているか分からない!お前の言っている事が信じられない!」
「ん?」
「だ、だからだなぁ!えと…。お前がいっていた様に、本当にいい人間もいるのか、私の歌が本当にお前がいう様なものなのか確かめてやる!」
「ん…………えと…」
彼女の言っている意味がよくわからなかった
その声に乗った感情もバラバラで
相反する様な意思が幾つも混ざり合っているように聞こえる
だからかもしれない
「わかったな!」
「え!?…えっと…うん」
よくわからないまま 返事をした
その日から 彼女はこのアトリエに居座り始めた
夜は工房の隅にあるただ1つのベッドを占領し
僕は仕方なくカフェの隅にあるソファで眠り
昼間は僕が客の相手や 楽器の修理をしているのをじっと見ていた
どうやら彼女は人間に化けているらしく
客達には店の従業員兼弟子という事で通している
「ありがとうございました」
その日 最後の客を見送ると 表口にかかったプレートをひっくり返した
「…………」
「ん?」
背後から視線を感じ 振りかえる
「どうしたの?」
「私は声を出すと変身が解けて魔物の姿に戻ってしまう」
「そっか。でも、勿体ないな」
「何がだ?」
「お客さんから聞いたよ。君は随分と美人らしいじゃないか。もう少し愛想があるとうちの看板娘になってもらえるのに」
「//////っ!」
「どうしたの?」
「な、何もない!」
彼女は拗ねたように言うと
カチャカチャ と音を立てて カウンターに残った食器を片づけてくれた
「ねぇ、どうだい?人間の事、少しは見直してくれた?」
カウンターの向こう 樽に組み上げられた井戸水を使って彼女が食器を洗う音が聞こえる
「ふん。こんなせいぜい1時間の接客で人間の良し悪しなんてわからないな」
「そうか」
そう答えて 彼女の隣に並んで 食器を洗う
「……//////」
彼女が何か云いたそうにしている 気がする
「………」
カチャカチャ
陶器のぶつかる音だけが響く静かなアトリエの中
しかし
隣からほんのりと感じる温もり
「///……なんだ?ニヤニヤして…」
「ふふ。いや。ね。師匠が亡くなってから、ずっと独りだったから。こうして誰かといるっていうのも、久しぶりでね」
「そうか」
「うん」
カチャカチャ
カシャ
ジャバジャバ
「………〜〜〜♪」
不意に 隣から綺麗な歌
掠れ 滲んだ
しかし 奇妙に美しい声
「…お客さんに、君の声を聞かせてあげたいな」
「〜〜。 ……。無理だ。声を出したら魔物だってばれる」
「別に構わないさ。ここは街から外れてる。この国も、10年前から法律上、魔物も住んでも問題は無くなったんだし」
「……でも、この国の人間達はまだ魔物を恐れてる」
「そうだね。ほんの10年も前まで、ずっと戦争をしてたんだ。仕方ないのかもしれないね」
「……お前。私が怖くないのか?」
「怖くないよ」
「どうしてだ?」
「君の声でわかる。君は良い魔物だ」
「…。それは勘違いだ。私は人間を恨んでるんだぞ。声は枯れても、まだ声の魔力は残ってる。その気になれば、私の歌でお前を狂わせることもできるんだぞ?」
「でも、その気にはなって無いでしょ」
「………」
数日が経つ
ジジジ…
作業机の上に置かれたオイルランプが燃える
カリカリ
ギギギ
真鍮の管を削り楽器を修理する
「…………」
作業机の斜め後ろ
時折あくびも混じる 視線
「眠いなら寝ても良いんだよ?」
呼びかけ
「……寝込みを襲われるのは嫌だからな。お前が寝るまで見ててやる」
「そう」
その後 しばらくして 寝息が聞こえ始める
「ふぅ…」
作業に一息ついて
眠った彼女の身体を抱き抱えた
ふわふわとした 羽毛
彼女の身体は随分と軽かった
また数日が過ぎ
硬めのソファの上で目覚める
師匠が亡くなり このカフェを増築した際に搬入したソファ
窓際に置いてある為 一部が日に晒されて皮がざらざらとしている
そういえば このソファが何色をしているのか知らない
どちらにしても つい先日まで 自分で使う事の無かったものだ
「んぐ…」
起き上がり 首の痛みと腰の違和感に気づく
どうやら寝違えたらしい
見えない目を開き 窓の方を見る
本来なら朝日が見えるであろうそこにはうっすらとした大きな光が見える
失明という状態にあるこの目は 普通の人が目隠しをされている程度は見える
太陽といった極度に強い光りだけは微かにだが見えるのだ
しかしながら この生活に慣れてしまった自分にとっては
目をつぶり 音を見ている方が周囲の事がよく見える
トン
木の床板に足をつける
その足音が室内にある様々なものにぶつかり 微かな違いとなって跳ね返ってくる
ソファの脇に置かれたブックラック
腰の高さほどのカウンター
そこに置かれた5つの椅子
こうして大まかな配置が分かれば 後は記憶と勘でそこに置かれた小物の配置が分かる
ごそ
「ぁぅぁ…ぃ……」
アトリエの逆の隅に置かれた簡素なベッド
作業机の横にある工具棚の裏
そこから彼女の気配と 解読不能の寝言か聞こえる
――カチャ
表口の鍵を空け
朝日の差し込む外に出る
サァァァ と風が入ってきて 草の匂い
「んむぅ?……」
部屋の奥から彼女の目を覚ます声が聞こえた
――カラ
表口の脇 木でできた箱の中から今朝配達された牛乳瓶を1本取り出す
――カランカラン
ドアベルが鳴り 室内へ
「ん…。おふぁよぉ…」
寝ぼけた彼女の声
ただでさえかすれた声が更にかすれて
「おはよう。今朝食を作りますね」
「ん…」
彼女はそう言ってカウンター席に
どうやら カウンターに突っ伏してうとうととしている様だ
その間にフライパンを魔石式のコンロに掛ける
ゆっくりとフライパンが熱せられるのを感じる
「…ん。もうそろそろ配達だな…」
卵の残り数から牧場からの食料品の配達を予想して
その中から2つを取り出す
先日までは1つで事足りた卵
焼き上がった2つの目玉焼きとトースターに入れた二枚の食パン
それらに不思議な感慨を受ける
コポコポコポコポポ
ケトルの口から湧いたお湯が立ち上る独特の音
ツ タタタアァァァ
ドリッパーから垂れた珈琲の雫がサーバーのガラス製の底を叩く音
「――〜〜♪」
それらに合わせて鼻歌を歌う彼女の声
先日前では予想もしなかった調和がアトリエの中にある
それが何とも不思議で
何とも嬉しく
「〜〜〜♪」
彼女の鼻歌に音を寄り添わせる
その日の午後
「ルカ〜!生きてる〜?」
「…生きてるよ」
飛び込んできたのはネイだった
普段ならそこそこにぎわう時間帯
しかし 今日は偶然にも先程帰った客でカウンターは無人になっていた
「お!あなたが噂のかわいこちゃんか!」
「あ、うん。彼女には店を手伝ってもらってるんだ。火傷の所為で声が出せないらしいけど、いい子だよ」
「むむ…。ライバルの予感…」
「え?」
「あ、いや。何でもないよ」
予想通り ネイは彼女に興味を持ったようだ
それがどういう形かはあまり想像したくないけど
「で、今日はどうしたの?」
「その子のうわさを聞いてね〜。
気のせいか敵状視察と聞こえたが
「そっか。ありがと。いつもので良い?」
「うん。お願い」
特に気にしない様にしていつも通り接する
「………………………」
気のせいか背後からも視線を感じる
「……………」
「……………」
「あ、いつの間にか日が落ちてる」
「もうそんな時間か。そろそろ店を閉めないとね」
「あら。じゃあ手伝うわ」
「え?いいよ。一応ネイもお客さんなんだし」
「いいから!」
「は、はい…」
止めようとしたがネイの威圧に押される
「…………」
カチャカチャ
どうやら彼女がカウンターの食器を片づけてくれているらしい
と
「あ、私も手伝うわ」
ネイの声と足音が彼女の方に近寄る
「……………」
仕事を取られそうなことへ対する怒りなのか
何かしらの威圧感がこっちにまで飛んでくる
「そんなにたくさん大変でしょ?」
それに対抗する様にネイも威圧感のある声で返す
はぁ…
ため息
どうしたものだろう
結局 ネイは洗い物が終わるまで手伝ってくれた
心なしか その日彼女は機嫌が悪かったようだった
ある雨の日
ザァァァ
外からは雨音が響き
バシ バシ バシ バシ
表に掛けられた OPEN/CLAUSE のプレートが入口のガラスを叩く
「今日は客来ないな…」
作業机に向かう横で彼女が退屈気に言う
「来てほしいのかい?」
「…………いや」
彼女のそっけない返事は 嘘とも本当とも区別がつかないものだ
ギィ ギィ
しばらくすると彼女の座っている椅子が一定のリズムで軋み始める
こうして椅子でシーソーするのが彼女の癖のひとつの様だ
彼女がここで住むようになり
今日で半月ほどになるだろうか
その間 彼女といっしょにこのアトリエで暮らして
1人では広すぎると感じていたここが
2人では少し狭いと思えるようになって
最初の内は彼女が勝手に工具の位置を変えたりしたせいで喧嘩も起きて
でも ここ数日は彼女も店の事を手伝ってくれるようになった
ただ 魔法で人間に化けている間は言葉を離す事が出来ない彼女
その声を客にも聞いてもらいたいと思う気持ちは少しずつ強くなる
彼女は嫌がるのだろうが きっとあの歌を聴けば誰もが彼女の歌に聞き惚れる
「よし。出来た」
依頼の木管楽器を調律し終えた頃には雨が止んでいた
「すぅ…すぅ…」
カウンター席からは彼女の寝息が聞こえる
そろそろ店を閉める時間だろうか
今日の様に日差しの無い日は時間がどうしてもわからなくなる
――カラン
プレートを裏返し
ドアを閉めた
「ふぅ…」
ため息
街外れという立地の為 こう言った天気の日にはどうしても客足が途絶える
もともとこの店のお客は師匠の頃からの音楽に携わる人が常連で
後は口コミでやってきてくれる人ばかりだ
口コミといっても それほど売りもないこのカフェにはほとんどが常連のお客ばかり
そのおかげで楽器の修理と両立出来ているわけだけれど
ギィ
彼女の隣に腰掛ける
「すぅ…」
彼女の寝息
いったい どんな寝顔をしているんだろう
そ…
無意識に 彼女の頬に触れていた
「ん…」
彼女がピクリと動いて
彼女の鼻
まつ毛の長い目
そして やわらかなふくらみを持った唇に触れる
彼女は美人だと客の何人かが言っていた
きっとそうに違いない
つつ…
「んっ…」
彼女の首筋
他の肌と違う触感のある場所
熟れた果実の表面の様な
強く触れば崩れてしまいそうな火傷痕
ぐるりと 彼女の首の左側から首の後ろまで
はらりと手の甲に触れる髪は人間の物と違い まるで重さがないように軽い
そして
彼女の頬に唇で触れた
ああ いつの間にか こんなにも彼女に魅かれていた
いつの間にか 眠りに落ちていた
「…ん」
「っ!?!!」
身体を起こそうとすると 背後で彼女が驚く気配がして
「ん…ふぁぁ…」
「や、やっと起きたのか?」
「うん…。いつのまにか寝てたみたいだね」
――コト
「ほ、ほら。コーヒー。見よう見まねだけど。淹れてやったぞ」
「そっか。ありがとう」
彼女の羽毛が触れて 手をカップに導いてくれる
「んく…。うん。良い味と香りだね。これならお客にも出せるね」
「そ、そっか。それはよかった」
照れくさそうな
嬉しそうな 彼女の声
そして 彼女が再び隣に座る
「ランプ。点けさせてもらったぞ。私は暗くなるとよく見えないからな」
――ジジジ…
そう言われて初めて カウンターの隅でランプの芯が燃える音に気付いた
「…………」
「………………」
静かな
音の無い空間
微かに外から風邪の音が
中からランプの燃える音が
そして 時折彼女の椅子シーソーの音がする
「なぁ…」
「ん?なんだい?」
彼女が話しかけてきて
話す内容を考える様な
話したい事を言いだせない様な
不思議な間
「…えっと………」
「…………」
再び 静かになり
「………お前、私の事、どう思ってる?」
「……………」
その時には 答えが思い浮かばなかった
いや 幾つもが浮かんで 消えて行った
「……前に、私の声、好きだって 言ってくれたよね?」
「…今でも好きだよ」
「ありがと。 ……それでさ 私の事どう思った?」
「………どうかな。言葉には しづらいね」
「………私も こうしてお前を見てて お前の事 思うとさ」
「うん」
「なんか、変な気持ちになるんだ」
「そっか」
その言葉は少なからず嬉しかった
今すぐにでも本当の気持ちを伝えたいと思うほど
でも それが喉まで上がってくると 不思議な何かが蓋をする
何年も昔から いや ずっとずっと昔からそれが喉のあたりにあって
こうした時 それが本当の気持ちを塞いでしまう
まるで それを言ってはいけないかの様に
『…あの。私…な、なってあげ……ぃぃ…ょ』
あの日 ネイが言おうとした言葉
あの言葉に答える事が出来なかったのと同じ
そして ネイに対して言った言葉に対する背徳
ネイはいい子だ
彼女の 他人よりもはるかに近い距離間
それは何度も助けになった
でも 自分はそんな彼女に対し 言葉を返せなかった
「………………」
「…………………」
沈黙
彼女は言葉を待っていた
それは目で見る様に明らかで
それでも やっぱり何かが邪魔をする
「………」
そんな様子を察したのか
彼女は席を立った
ト ト ト
「寝る…」
ぽふっ
アトリエは とても静かだった
翌朝から 彼女の機嫌は最悪だった
常に変身している様に一言もしゃべってはくれず
ただ ムスっとした気配だけが彼女の存在を伝えた
それでも まだこのアトリエに居てくれる事が嬉しかった
「……………」
牧場から配達が来た時も
「……………」
それを整理してカウンター裏に補充している間も
ずっと 無言
それでも手伝いはしてくれて
それが逆に不気味で
『………私も こうしてお前を見てて お前の事 思うとさ』
原因は間違いなく自分にある
だから
朝食のチーズオムレツ
僕の分も半分あげた
「……… ……///」
その時だけ 少し嬉しそうになった気がした
午後を過ぎ 閉店の時間が近づく
尚も彼女からは不機嫌なオーラを感じる
と
「ルカ〜!生きてる〜!?」
「うわ、出た」
閉店すれすれにネイが飛び込んできた
「出た ってなによ!?」
「いや、なんていうかややこしくなりそうな…」
「え?」
「…………(じ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜)」
「あら?かわいこちゃん。どうしたの?じっと見つめたりして…」
「あぁ…やっぱり…」
彼女からすさまじい視線がネイに注がれているのを感じる
どうしよう このままではまずい
でも これは自分でまいた種
それでも
「……」
かける言葉が見つからない
「…………(じぃぃぃぃ)」
「…………(じ〜〜〜〜〜〜)」
何とも言えない雰囲気が2人の間に
「……近寄り辛いなぁ…(ボソ)」
「ずず…」
「んく…んく…」
「…………」
彼女とネイ 2人が並んで珈琲とカフェオレを飲んでいる
「なぁ、ネイ。そろそろ店を閉めるんだけど」
切り出す
「ねぇ!」
「え?」
突然のネイからの声
「今日、私も泊まっていい!?」
「………ぇ…まぁ、良いけど…」
何気なしに答えた
直後の後悔
「っ!? (ぶんぶん)」
「あれ?何?あなたは私がいると嫌なの?」
「(こくこく)」
「あ、でも、ベッドないから2人一緒に寝てもらう事になるけど」
「「Σっ!?」」
これで諦めるだろうと思った
でも
「嫌だっ!」
「え?」
彼女の声だった
「声…ってことは…」
「あなた……」
「えっ!? ぁ……」
「……魔物?」
ばれたか
「ネイ、彼女は…」
「あなた…ルカを…」
ネイの動揺の声
恐らく勘違いを
「違う。彼女は僕が招いたんだ」
「え…」
「…………」
そうだ はっきりさせないと いけない
そう思った
「彼女はセイレーンだ。僕はその歌に惚れて…」
本当の事を ネイに
しかし
思いもよらない事が起こる
「そう。私はセイレーンだ。歌で人を惑わす魔物だ」
「えっ?何を言って…」
彼女が僕に割り込んで
「私の歌は人を操る事が出来る。それでこいつを私の物にしようとした」
「やっぱり……」
彼女は嘘をついて
一瞬 迷う
彼女の嘘を受け入れるべきかを
これを受け入れれば たぶん 彼女はいなくなる
そして自分は元の生活を手に入れる
ネイは今まで以上に迫ってくる事だろう
彼女の気持ちには気づいている
でも たぶん 彼女の事を忘れられなくなる
ネイがあのドアベルを鳴らすたび彼女を思い出す
ネイが迫ってきても それを言い訳にしてしまう
だから 受け入れられない
受け入れてはいけない
それは きっと彼女の為ではなく 自分の為
それでも…
だから 言った
「君が嘘を吐く必要はないよ。悪いのは僕だ」
ネイは混乱している様子
彼女は黙りこんでしまい 感情をうかがう事は出来ない
「初めに彼女の歌に惚れこんだのは僕だ。彼女は興味からここに住み着いたに過ぎない。彼女は悪くないんだ。ネイ」
「え!?え、え?」
「………………」
噛み砕く様に ゆっくりと
自分の心も整理する様に
しかし
「僕は…」
「うるさいっ!!」
耳がキーンと
アトリエの古い硝子窓が揺れるほどの
声
「私は魔物だ!こいつは私の歌に惑わされてるんだ!」
そして
「―――――――――――――っっ!!♪」
「きゃっ!?」
「うわっ!!?」
――ガシャン!
ギギギギ
――バリン
ガタガタガタ
声 歌声
何も聞こえなくなる
あまりにも破壊的な
アトリエ中の物が揺れ 壊れる
「ああああああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
「きゃぁああああぁぁぁぁぁぁぁ!!」
自分の叫び声さえも 聞こえず
喉の痛みで叫んでいた事に気づく
はぁ…はぁ…
「な、にが…?」
周囲に耳を凝らす
酷い耳鳴りがして
立ち上がろうとしてもまっすぐに立つ事も出来ない
何が起こったのか
彼女は 何をしたのか
見えない
聞こえない…………………………………………………………………………………………いさなんめご
自分がどこに居るかも判らない
不意に襲い来る
恐怖
音が失われた
光など初めから知らない
感じ取れない
自分が
崩れて行く様な
「…か。ルカッ!!!」
「…………ネ…イ?……」
肩に触れる 細い手
耳鳴りの中に響く聞き慣れた声
「……ぶ…?…か…。しっかりして」
その声を頼りに 耳鳴りのノイズの中から音を拾い集める
「ぃ…丈夫だ…。ネイは?」
「私は大丈夫よ。それより…」
――カシャン
パラパラ
アトリエの中
硝子の欠片や 天井から降る木片などの音
どうやら中は酷いあり様になっている様だ
「はは…。惨状が見えないのはせめてもの救いだね」
「何バカな事言ってるのよ!!」
自虐的な言葉に ネイが現実に引き戻す様な言葉を返す
「彼女は?」
聞かなくても分かっていた
「気がついたらいなくなっていたわ」
「そっか……」
部屋の中からは彼女の気配を感じなかった
「やっぱり。魔物は魔物なのね」
「……………」
否定したい そう思った
しかし 返す言葉がうまく思いつかなかった
「やっぱり。私がいなくちゃだめなのよ。ルカには私が付いていてあげる。もうあんな魔物に惑わされない様に」
「…………」
ネイの言葉は決心に満ちたものだった
しかし
彼女の気持ちを知る僕としては
それに応じるわけにもいかない
「ネイ。君は。彼女の事をどう思った?」
「そりゃ、アレは魔物よ!?ルカをこんなにひどい目に合わせて」
「……落ちついて。冷静になって。思い出すんだ」
自分にも言う様に ゆっくりと
話しながら言葉を繋げて
そうして少しずつバラバラに散らばった自分の心を整理する
自分は今何を思っているのか 何を想うべきなのか
これから自分は何をするのか 何を彼女に言うべきなのか
「え?」
「先日の閉店後、そして今日。君は彼女を見ていたはずだ。その時、彼女はどういう気持ちで僕を、君を見ていたのか。君には分かるはずなんだ」
「……………」
少し 落ちついた様に
「彼女は、魔術で僕を惑わそうとしていたかい?」
「…………いいえ」
「…昨日。彼女から…告白されたよ」
「え!?」
「その時。僕は答える事が出来なかった」
「…そう」
すこし ほっとした様な
ネイの返事
「軽蔑しないで聞いてほしいんだ」
「…うん」
「その時、僕が答えられなかった理由は、たぶん、君だ」
「…………そう」
かみ殺す様な 耐える様な 返事
自分でも酷い事を言っているのは分かっていた
そして これから自分の口から語られるであろう言葉を
彼女がすでに予想してると言う事も
「でも、今、決心がついた。あの言葉にこたえようと思う」
「………………そぅ…」
その言葉は涙に濡れて
自分が 今 彼女に行ったこと した事は分かっているつもりだ
まだ若い彼女にとって この言葉がどれほど彼女を傷つけるのかも
全ては自分に非がある事だ
ネイの気持ちに応えてやらず
昨夜の彼女の言葉にも答えなかった自分が
「…ぅ……ぐす………」
戸惑い
しかし 自分にできる事などないと 悟り
それでも 彼女の身体を抱き締めずには居られなかった
「ごめん。ネイ。君の事は好きだ。でも、それは…」
「………優しく…しないで…よぉ……」
「…できる事だけ、やらせてほしい」
「…………ばか…バカバカバカバカ!」
ドンドンドンと
胸板にうちつけられる彼女のか弱い拳
「これだけは、分かって欲しいんだ。僕は、君のおかげで何度も救われた。光りの無い世界で生きる僕にとって、君はひときわ明るい光だったんだ」
「…………ぐす…なら…なら、どうしてよ…」
「君は若い。君は才能に溢れてる。きっと、きっともっといい出会いがある。 ………いや。すまない。これは僕のエゴだ。 君の事を、幸せにできる…自信がないんだ」
「……幸せになんかならなくても良いよ!私はルカといられるだけで幸せなんだよ!?」
「ごめん…。本当に…ごめん」
「あやまらないでよぉ!!!」
「ごめん…。どういう言葉を掛けたらいいのか…分からないんだ」
「……………お願い。もう少し…こうしてて…」
「うん」
腕の中で
何度も彼女の肩が揺れる
彼女は自分の衝動を抑える様に
僕の服の裾を掴んだまま 拳を握りしめて
それが
堪らなく辛かった
いっそのこと 殴り飛ばして欲しかった
「甲斐性なし」と
「臆病者」と
罵ってくれた方がずっと楽だった
それでも ただ ただ
彼女の細い身体を抱き締めることしかできなかった
――コト
「ごめんね。マンデリンの瓶は割れちゃってたから」
「いい」
彼女の前にカップを置いて
自分のカップを持ってカウンターに回り込む
コト
自分のカップを彼女の隣の席の前に置き
彼女の隣に座る
「………」
「……………」
少しの沈黙の後
「ねぇ…何時から気づいてたの?」
ネイは言葉を切りだして
「……少し、前からかな。君は素直だから」
「そう…。 ねぇ…」
「ん?」
「あの子の、あの子を好きになったのはいつ?」
「……そうだな。初めは、彼女の歌を聞いて、自分でも分からないくらい、その歌が気になってた」
「素適な歌なの?」
「ああ。それはもう。 そういう意味では、彼女はやっぱり魔物なのかもしれない」
「そう…」
「彼女の事を意識するようになったのはそのしばらく後。彼女がここで住むようになってからだった」
「へぇ…」
「彼女の言葉を聞いて。初めは、自分に似てるって思った」
「………」
「それで、気づいたら彼女の為に何かしたいって 思って」
「そう…」
「彼女の事を好きになってるって、気づいたのは、昨日だった」
「え?」
「彼女の告白を聞いて、それに気づいた」
「そっか……」
区切る様に
彼女は珈琲を啜って
「そっか…」
「うん」
「そうか…。じゃあ。私の、勝ちよね?」
「え?」
奮い立たせる様な
自分を納得させようとしている様な
彼女の言葉
「私の方が先にルカに想いを気づかせたんだもん。だから私の勝ち!」
「……」
「私の方がずっとずっと前からルカの事を好きだったし。私の方がずっとずっとルカと一緒に居た」
「………」
涙をこらえる様な
それでいて どことなく決心した様な
「だから。 ………負けたけど。悔しくないよ」
「………ネイ」
「私は私の全力でルカの事好きになった。それでも敵わなかったんだ。叶わなかった…」
涙ぐんで
濡れた声で
「私は頑張ったの。ルカの事。本っ当ぉ〜に好きだったの!だから、だからぁ…」
再びぐずりだしたネイを
支える様に 肩を抱いて
「…ぐす……えぐ……。ごめんね。こんなの未練たらしいよね…」
「そんなことないよ…。ネイは強い。だから…僕も正直に言えたんだ」
「ふふ…。なら…もう少し弱ければよかった…。 そうすれば…いつか…グジグジしてるルカを力ずくで引っ張ってあげる事も出来たかもしれないもん…」
「………ネイ」
「……ねぇ。最後に、キスしても良い?」
「………うん」
――――ちゅ
触れる様な 掠める様な
一瞬のふれあい
「ルカ…ありがとう」
「……僕の方こそ」
珈琲がカップから無くなるまで
ネイは話し続けた
初めて会った日の彼女の気持ちや
これまでの事
そして これからの事
「ふふ。そっか。結局、私はフられても、私達の関係は変わらないのね」
「そうだね。僕は変わらず、君の事は好きだよ。一人の人間として、客として、音楽家として。そして友人として」
「うん。ありがと、ルカ」
彼女の声は明るかった
もしかしたら その瞳からはまだ涙が流れているのかもしれない
でも 自分にはそれを確認するすべは無くて
もしそうだとしたら その涙を拭いてあげるべきなんだろうけど
「さて! コーヒーも飲んだし。死ぬほど弱音も吐いた。未練も吐いた!」
「……」
「だから、今からは、私がルカとあの子を応援してあげるわ」
「ネイ……」
「ふふ。私が応援するんだもの。例え人間と魔物だとしても、二人には絶対にくっついてもらうわ!」
「ありがとう。ネイ」
きっと 言葉などでは いくら感謝しても
あの言葉に見合うだけの対価など得る事は出来ないだろう
それほどに 嬉しい言葉
「まずはあの子を探さないとね」
「うん」
「って言っても、手掛かりはないし…」
「そうだね…。それに、僕はまだ、彼女の名前も知らないんだ」
「そっか…」
「でも、きっと見つける」
「うん」
立ち上がり
そして部屋の中に耳を澄ませる
「ねぇ、ネイ。何か彼女の手がかりになりそうなものは落ちてないかな?」
「そうね…」
そう言って ネイは先程まで彼女がいたであろう辺りを物色し始める
その時だった
――ガン
「いたッ」
「大丈夫!?」
小さなネイの悲鳴が聞こえ
慌てて駆け寄ろうとして 足に何かが当たる感覚で気づく
先程までのアトリエと違い
物が散乱するここでは自分は物に躓かない様に歩くだけでも困難だった
「ネイ、大丈夫!?」
仕方なく声で
「大丈夫よ。ちょっと肘をぶつけただけ」
「そっか、よかった」
ほっと 息を吐いて
――カラン
その時 聞き覚えのある音がした
「オカリナ?」
「え?」
「ネイ、その辺にオカリナはあるかい?」
「え? あ、あるわよ」
「それをこっちへ」
「うん」
ネイは不思議そうにこちらに歩み寄ってくる
そしてネイの手から馴染みのある素焼きの感触が手渡される
「こんなもの、何に使うの?」
不思議そうに ネイが尋ねる
「彼女は歌がとても好きなんだ。彼女を初めてここに招いた時も、僕がこのオカリナを吹いていたら彼女の歌が聞こえた」
「へぇ…」
きょとん として
「聞いてて」
すぅ
息をのみ込んで
そして
オカリナに彼女への想いを込めて 吹き込む
歌の無い不思議な旋律
どこか寂しげで しかし 心の底から何かが湧きあがる様な
「すごい……きれぇ…」
ネイが聞き入って
しかし
それでも彼女にはその曲は届かなかった
「ダメか…」
肩を落とす
「待って。えっと…あった!」
「え?」
ネイが崩れた作業机の辺りから何かを取り出す
「うん。大丈夫そうね」
「何?」
「フルート、借りるわよ?」
「え?」
そして
あの旋律が ネイの吹くフルートから響き始める
「ネイ…ありがとう」
それにしても流石だ
たった今聞いたばかりのフレーズが 少しの間違いもなく紡がれる
「う〜ん。どうかな?1人よりも2人で吹いたほうがきっと届くわ」
「うん。間違い無いね」
と
「あ!」
突然ネイから声が上がる
「これ、これ見て!」
「見えないよ…」
「あ、そうね。ごめんなさい。 羽根よ」
「羽根?」
「あの子の羽が落ちてる」
「あ…」
「もしかしたら外にも落ちているかもしれない。これをたどれば、少しは近づけるかも」
「うん」
そして
二人で外に出た
1年中どちらかといえば温暖な気候のこの国
それでもやはり夜の風は肌に冷たい
「あった!あったわ!」
少し離れたところで ネイの声
「あっ!向こうにもある! すごぉい…月の光で輝いてる」
「分かった。ごめん。見えないから、傍にいてくれるかい?」
「うん」
そうして
ネイの足音を頼りに ネイについて行く
「ダメだ。近くには羽根は落ちてないみたい」
「そっか…」
アトリエからずいぶんと歩いた
羽根は所々 時には大分離れた感覚で落ちていて
そして とうとう発見できなくなってしまった
「ねぇ」
「え?」
「さっきの曲、続きを教えてちょうだい」
「え?うん」
ネイから言われ
オカリナを吹く
外の風の音に混じり
夜空に融けて行く
オカリナの音色
ネイはそれに聞き入る様に
そして 途中から フルートの音色が混ざり始める
アトリエの中よりも大きく聞こえる波の音
夜空に流れる風の音
その中に混じり合う音
まるで初めから鳴り響いていたかのように
この場所に この世界に
この旋律が初めから鳴り響いていたかのように
そして…
・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *
゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・
゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜
* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・* :。。.。。: *・ ゚ ゜゚ ・
涙が こぼれそうになった
その歌が素晴らしすぎて
その歌が嬉しすぎて
「ルカ…これ…」
フルートの音が途切れ
ネイが尋ねる
頷いて
オカリナは吹いたままで
しばらくして フルートも再び加わって
二人で 声のする方へ
一歩 進む度
一歩 声が近くなる
ひとつ 声が近くなる度
ひとつ 沈み込むように
足元から吸い込まれるように
身体が音楽に融けて行く
この 素晴らしい歌に 融けて行く
そして 気づく
この歌は 彼女だ
この歌は 彼女自身なんだ
だから この歌に聞き惚れたその瞬間から
その時から 彼女に心を奪われてしまっていた
不安定で 今にも泣き出しそうで
孤独に震えて それでも歌が好きで
声は枯れ果てても 喉は潰れ果てても
その気持ちを伝えたくて 歌える喜びを伝えたくて
歌い 歌い 心が融け込んで
何時しかこの歌は彼女そのものになる
だから こんなにも美しい
だから こんなにも優しい
こんなにも冷たくて 温かい
「ルカ…私…これ以上…近づけないよぉ…」
フルートが止まる
ネイはこの歌で 彼女の心を知ってしまったから
自分の気持ちを噛みころしてまで
ネイの為に 自分は魔物だと
そんな彼女の優しさに 触れてしまったら
彼女は優しすぎるんだ
人間の所為で声を奪われて
それでも誰かに聞いてもらいたくて 歌い続ける
それはきっと自分の為ではなく
聞いてくれる誰かの為
それが この歌を聞いた者には分かってしまう
「ルカ…待って……うぅ…くす…」
ネイの泣き声が 後ろで
それでも 進む
そして 振りかえり 頷く
きっと これで伝わる
しばらくすると後ろからフルートの音色
弱弱しく 泣く様に
それでも 音には零れ落ちそうなほどの想いが
それが心の中に流れ込んでくる
ほろ
涙がこぼれ流れる
ネイの想いを受け止めたから
それでも 進む
彼女の元へ
ついに
「……お前…」
歌の終わりと共に 彼女の声
いつもよりもずっと乾いた
水分の抜けた様な じくじくと滲む様な
これはきっと 涙を流したせい
「ごめんね。僕は、君の歌に囚われてしまったみたいだ」
「………ばか」
「ねぇ、君の名前を教えてよ」
「……私の名前は モカ」
盲moka歌 fin
祝福の歌が聞こえる
彼女を待つ赤い絨毯の上
僕は見る代わりに耳を澄ませ
彼女を待つ
歓声
そして
その中から 聞こえる
歌
彼女の心
その歌が 彼女が
一歩 また一歩 近づいて
「………おめでとぉ。ルカ。モカ」
耳元で 少し涙ぐんだ様な 滲んだ ネイの声
「ありがとう。ネイ」
そして ネイの手に導かれ 彼女の手を取る
神父の言葉 祝福
彼女の歌が響く教会で
僕等は 永遠の愛を誓った
. 暗闇の中で 君を見つけ
. 君の中に 歌を見る
. 歌の中から 心を探し
. 心の中で 君への言葉を紡ぐ
.
. ただ 愛している と
10/11/30 02:01更新 / ひつじ