ぴよ
私は赤い色のカナリアだった。
真紅と言うよりは、少し黄色を混ぜた、ロウソクの火のような、オレンジ色に近い赤だった。
カナリアとしては、そんなに珍しい色ではなかった。
ただ、人懐っこい性格なのはカナリアとして希有だったらしくて、そうして私は選ばれて、ある青年の部屋で飼われる事になった。
私の飼い主の彼はずっとその部屋の中にいて、私の物よりよっぽど大きな鳥籠のような所で横になって過ごす事が多かった。
私は熱帯の鳥だから、寒さに弱かった。
暖房の生気のない温かなだけの空気も苦手だったが、そのどこかしらにも追い払い損ねた冬の塊みたいな空気があって、それが鳥籠の中に入り込んできていた。それが籠の中でたった一人の私を包み込んだ。
私はそれを寄せ付けないように羽毛に一杯の空気を含ませて、膨らませたその中に首を竦めて目を瞑って眠った。
私の鳥籠が小さく音を立てた。
少し長くキィーと鳴いて、開いたその小さな扉から彼の手が伸びて来た。
ぎこちなく取り出された私を、溶け切らない冬の冷たさ以外のものが包んだ。
私は彼の掌の中に居た。
彼のよっぽど大きな鳥籠の中で、彼の手は私を抱き包んでくれていた。
カーディガンを羽織った上半身を起したままの彼は、親に叱られそうな事をしている子供のような眼差しで、自分の掌の中の私を覗き込んでいた。
私はその中で細い首の骨で繋がった小さな頭蓋骨の頭を傾げて、彼の指や掌に自分を押し付けた。
囁かな小鳥の魔力と、囁かになってしまった彼の精と。
私たちは、互いの命を通わせるように温もりを分け合った。
彼の手は、私なんかよりずっと冷たかったのだ。
春の森のような生気は通っていないけれどそれでも温かな暖房、時折包み込んでくる冬の氷ったような空気を寄せ付けないふかふかの毛布に包まれていても、それでも彼の身体は冷たかった。
だから彼は、私が感じている冷たさを思えたのだろう。それで、鳥籠から自分の懐に招いてくれたのだろう。
そして私も、彼の私を温めようとする心から、自分自身が冷たくなって行く彼の寒さを思えたのだ。
私の体がもうずっと大きければ、私を温めてくれようとした彼の今にも消えそうに揺らいでいるその温もりを、彼が私にしてくれるように、抱き包んで、消えないようにしてあげれるのに。
私たちはそうやって冬を過ごした。
でも彼はその年の春は間に合わなかった。
私がロウソクの火のように小さかったからだ。
私はずっと、部屋から運ばれて行った彼を待っていた。
彼がひょっこり帰って来るのを待っていた。
ずっと、ずっと、もう帰ってこないと言う事を理解できずに、理解して区切りを付ける事無く、ただ寂しい想いに苛まれながら彼を忘れないように、彼を忘れていく部屋の空気に歌声を響かせ続けた。
それでも、周りの人間から彼の代わりであった私も、やがてそれもある程度を区切りがついて忘れられていく中で、彼らの中でも私は普通のカナリヤに戻っていった。
私がようやく死ねたのはそれから8回目の冬の朝、私はようやく冷たくなれた。春はもう見たくは無かった。
そして次に気が付けば私は、温かい灰の中に居た。
彼と迎えられなかった春の日に来れたのだと思った。
今どこにいるのかはわからなかったが、やっと彼の元に来れたのだと私は思った。
「ぴよ」
鳴いた。
「ぴよ」
呼んだ。
「ぴよ……ぴよっ」
泣いていた。
彼はこない。
親鳥を呼ぶ幼鳥の真っ黄色の嘴を大きく開けて、ぴよぴよ、ぴよぴよ、呼び続けた。
ヒヨコのくせに目に涙を浮かべてないていた。
私はただ、またあの人の掌に包まれていたいだけなのに、その温もりに身を包まれて微睡んでいたいだけなのに、その為にまた生まれ変わって来たのだと思ったのに。
寂しく冷たく震えていたら、その手が温めてくれた。
小さな男の子が、私を掌の中に入れてそっと、あの時の私の飼い主だったあの青年のように、私を温めてくれた。
私はその温もりに目を細めた。
私はこの子が8歳である事を知っている。
あなたなしにずっと生きて来た8年間だった。その間に彼は、生まれて、育って、大きくなって、遅れてまた生まれた私を迎えに来てくれたのだ。
そう思おうとした。
彼は、前の時よりもその手は温かくて、血の気が良くて、ふっくらと柔らかかった。
私はもう必要は無いのかもしれない。
でも彼の未だ幼い小さな子供の手は、そこから逃げ出そうとする私を何度も何度も包み込み直して、離さなかった。
早春の、温かだけど未だかりそめでしかないそれから私を包んで、その先の春の温かさを私にくれていた。
「ありがとう」
小さな声が私に届いた。
「あの冬の日はありがとう。ただそれを言いたかったんだ」
この春に生まれてそんな冬など知る筈の無い私に、まだ青年にはなれない少年の彼は背伸びするようにした、そんな言葉が贈られていた。
いつぞや交わしあった魔力と精がまた私たちの間を通い合っていた。
まるで種が芽吹くように私の肢体は伸びて、今度こそ私は彼を抱き包んでいた。
そうして私は、フェニックスになった。
真紅と言うよりは、少し黄色を混ぜた、ロウソクの火のような、オレンジ色に近い赤だった。
カナリアとしては、そんなに珍しい色ではなかった。
ただ、人懐っこい性格なのはカナリアとして希有だったらしくて、そうして私は選ばれて、ある青年の部屋で飼われる事になった。
私の飼い主の彼はずっとその部屋の中にいて、私の物よりよっぽど大きな鳥籠のような所で横になって過ごす事が多かった。
私は熱帯の鳥だから、寒さに弱かった。
暖房の生気のない温かなだけの空気も苦手だったが、そのどこかしらにも追い払い損ねた冬の塊みたいな空気があって、それが鳥籠の中に入り込んできていた。それが籠の中でたった一人の私を包み込んだ。
私はそれを寄せ付けないように羽毛に一杯の空気を含ませて、膨らませたその中に首を竦めて目を瞑って眠った。
私の鳥籠が小さく音を立てた。
少し長くキィーと鳴いて、開いたその小さな扉から彼の手が伸びて来た。
ぎこちなく取り出された私を、溶け切らない冬の冷たさ以外のものが包んだ。
私は彼の掌の中に居た。
彼のよっぽど大きな鳥籠の中で、彼の手は私を抱き包んでくれていた。
カーディガンを羽織った上半身を起したままの彼は、親に叱られそうな事をしている子供のような眼差しで、自分の掌の中の私を覗き込んでいた。
私はその中で細い首の骨で繋がった小さな頭蓋骨の頭を傾げて、彼の指や掌に自分を押し付けた。
囁かな小鳥の魔力と、囁かになってしまった彼の精と。
私たちは、互いの命を通わせるように温もりを分け合った。
彼の手は、私なんかよりずっと冷たかったのだ。
春の森のような生気は通っていないけれどそれでも温かな暖房、時折包み込んでくる冬の氷ったような空気を寄せ付けないふかふかの毛布に包まれていても、それでも彼の身体は冷たかった。
だから彼は、私が感じている冷たさを思えたのだろう。それで、鳥籠から自分の懐に招いてくれたのだろう。
そして私も、彼の私を温めようとする心から、自分自身が冷たくなって行く彼の寒さを思えたのだ。
私の体がもうずっと大きければ、私を温めてくれようとした彼の今にも消えそうに揺らいでいるその温もりを、彼が私にしてくれるように、抱き包んで、消えないようにしてあげれるのに。
私たちはそうやって冬を過ごした。
でも彼はその年の春は間に合わなかった。
私がロウソクの火のように小さかったからだ。
私はずっと、部屋から運ばれて行った彼を待っていた。
彼がひょっこり帰って来るのを待っていた。
ずっと、ずっと、もう帰ってこないと言う事を理解できずに、理解して区切りを付ける事無く、ただ寂しい想いに苛まれながら彼を忘れないように、彼を忘れていく部屋の空気に歌声を響かせ続けた。
それでも、周りの人間から彼の代わりであった私も、やがてそれもある程度を区切りがついて忘れられていく中で、彼らの中でも私は普通のカナリヤに戻っていった。
私がようやく死ねたのはそれから8回目の冬の朝、私はようやく冷たくなれた。春はもう見たくは無かった。
そして次に気が付けば私は、温かい灰の中に居た。
彼と迎えられなかった春の日に来れたのだと思った。
今どこにいるのかはわからなかったが、やっと彼の元に来れたのだと私は思った。
「ぴよ」
鳴いた。
「ぴよ」
呼んだ。
「ぴよ……ぴよっ」
泣いていた。
彼はこない。
親鳥を呼ぶ幼鳥の真っ黄色の嘴を大きく開けて、ぴよぴよ、ぴよぴよ、呼び続けた。
ヒヨコのくせに目に涙を浮かべてないていた。
私はただ、またあの人の掌に包まれていたいだけなのに、その温もりに身を包まれて微睡んでいたいだけなのに、その為にまた生まれ変わって来たのだと思ったのに。
寂しく冷たく震えていたら、その手が温めてくれた。
小さな男の子が、私を掌の中に入れてそっと、あの時の私の飼い主だったあの青年のように、私を温めてくれた。
私はその温もりに目を細めた。
私はこの子が8歳である事を知っている。
あなたなしにずっと生きて来た8年間だった。その間に彼は、生まれて、育って、大きくなって、遅れてまた生まれた私を迎えに来てくれたのだ。
そう思おうとした。
彼は、前の時よりもその手は温かくて、血の気が良くて、ふっくらと柔らかかった。
私はもう必要は無いのかもしれない。
でも彼の未だ幼い小さな子供の手は、そこから逃げ出そうとする私を何度も何度も包み込み直して、離さなかった。
早春の、温かだけど未だかりそめでしかないそれから私を包んで、その先の春の温かさを私にくれていた。
「ありがとう」
小さな声が私に届いた。
「あの冬の日はありがとう。ただそれを言いたかったんだ」
この春に生まれてそんな冬など知る筈の無い私に、まだ青年にはなれない少年の彼は背伸びするようにした、そんな言葉が贈られていた。
いつぞや交わしあった魔力と精がまた私たちの間を通い合っていた。
まるで種が芽吹くように私の肢体は伸びて、今度こそ私は彼を抱き包んでいた。
そうして私は、フェニックスになった。
24/03/07 06:32更新 / 雑食ハイエナ