ふゆのひスライム
朝、家の前の雪だるまが一つ増えていた。
と、思ったら、凍って動けなくなった嫁のスライムの上に雪が積もったものだった。
言い訳をすると、昨晩帰って来た時には既に、我が家の前は札幌雪祭りであったのだ。
この家の住人は寒さが苦手なのである。
寒さの前では急性出不精なのであるから、家の前の雪は手つかずなのであって、近所の子供たちはそれをお宝の山だと勘違いしたらしい。そして、そのお宝に似合うだけ盛大に、それを執り行った訳だ。
些か歪な力作の数々のその数に呆れて、その晩はろくに数えずに家に入った。
嫁も家の中から呼んでいた事だし。
しかし、よもや半日も経たぬうちにその嫁がその列に加わっているなどと、誰が予想できようものか。後に思えば迂闊だが、雪だるまの数を数える必要性を感じたのはこれが初めてだ。
だから翌朝になってそれが一体増えていても、きっかけが無ければ気付かないし、普段なら、ある事にもさほど頓着しない。
ただこの時は、それが郵便受けの前を塞ぐようにあって、入る所に入り損ねた朝刊がその原因の上に置かれていたものだから、少しだけ考えさせられた。
さて、そんな囁かな抗議の的となったこの雪だるまを、退かすのか、それとも溶けるのかを待つか……、そんな事よりも、一緒に寝ていた筈の嫁の姿が朝起きてから見えない事の方が気になっていた。
だから彼は、目の前の雪祭りクリーチャー部門の雪だるまの事なんてお座なりにして、とりあえずその頭の上に置かれた新聞を無造作にひったくっていた。
すると、払われた雪の下から天青石のような突起が顔を出した。
何処かで見覚えのあるものだと思っていたら、嫁の寝癖ではね上がった髪だった。
抱き温めると凍傷になるので、ヤカンにお湯を入れて持って来る。
もちろん、ぬるま湯で。
さすがに熱湯は生物には毒でしかないように思えたので、(……ああ、でも、彼女"あの"スライムだしな、という根拠の貧しい物臭を嗜めて)、お風呂くらいに温ませた湯をそれにかけた。
一度ではぴくりともしないので、二、三度かけてやる。
すると凍てついたその人の形は、寝癖や指先のような細い造形の順から蕩けていった。指がしゃぶられた飴のように丸くなって、腕はそのまま温められたチョコスティックのようになった。首は項垂れて、まるで居眠りするようにうとうとと体に沈んでいく。そして最後には、水銀のような丸い水滴状になった。
そうなってから、ゆるゆると動き出した。
一度、止まる。
彼は玄関前のポーチの雪をかいて、それから扉を開いて道を作ってやる。
そうすると、また彼女はゆるゆると開けられたその道を転動しながら通り抜けた。
玄関に入ると、部屋の中の暖気に触れてスライムは一度、ぶるるっ、と嬉しそうに一度震えた。
用意したマットで、やっぱりゆるゆると体を転がすようにして泥を拭う。
そのまま居間の石油ストーブの前までくると、伸びをするようにゼリーの腕を何本も伸ばした。
表面積を増やして、たっぷりと熱を吸うとまた人のカタチを作って、今度はその人型の腕を伸ばして、今一度伸びをする。
「あふっ……、おはよー…」
「あまり近づき過ぎて、また蒸散するなよ」
挨拶代わりに彼はそう言ってやると、彼女、つまり彼の嫁であるスライムはびくりと震えて、人間の言う所の一歩くらいストーブから離れた。
以前に一度、それで痛い目に会っているのだ。
あの時は、気が付いたらストーブの前でほとんど残っていなかった。
紆余曲折の後、しょうがないから真冬の最中にクーラーを叩き起こし、ドライで部屋をカラっカラに乾かした。
そしたらその差分として、室外機の除水ホースから彼女は少しずつ出て来た。
嘘みたいな本当の話。
他のスライムがそうなのかは定かではない。
彼女らの適応力と来たら、ほとんど一個人一種くらいの個性を生み出すらしいと聞く。
他から聞いたそんな話の何処までが本当で、どれが尾ひれなのかは解らないが、とりあえず、窓中の結露が彼女になっていたのは、さすがに順応し過ぎだろう、とツッコミをいれた。
そしてそれらがじぃっと、特に男の下半身を注視しているのに気付いた彼が、
「俺の嫁は一人、あいつだけだ」
と言ってやると、室外機経由の量的に大元である"あいつ"に寄り集まって、また一人のスライムになってくれた。(そして改めて男の下半身に注視されて搾られる、閑話休題)
「なんであんな寒い所に居たんだよ」
彼が今朝の事を訊ねた。
「いたのー?」
訊ね返された。
「外で雪だるまになってたろ」
「なってたのー?」
「なってたの」
念を押す。
寒さを感じる前に彼女の色々なものも凍りついたらしい。
「ほら、ストーブに近づかない」
そう言うと、その言葉を待っていたかのように、彼女は言った本人の膝の上に移る。
胡座をかいた夫の脚をまるで鳥の巣の篭のように見立てて、彼女は餌鳥よろしくその真ん中に鎮座する。その中でぬくぬくとしながら、ぷるぷると震えて、餌を与えてくれる親鳥を見るように夫を見上げていた。
なかなかの策士である。
あのすっとぼけた様子は、どうやら孔明の罠らしかった。
「んー、あれはね、出迎えてたの」
「出迎えって? 誰を?」
「まえ、蒸発しちゃったでしょー、少しだけ家の外に漏れ出ちゃってたの」
先のストーブの時の話だ。
あの時は、相当慌ててバタバタと部屋を出入りしていたから、そうするうちに流れ出る空気に混じって彼女の一部も外に出てしまったらしい。
「ふーん、でも前の時も不思議に思ったけどな。スライムって分かれたらそのまま別個体として生きていくんじゃないんだな」
すると、ぷるぷると、彼女は首を横に振った。
「でも、だって、私の夫は、あなた一人だもの」
それはあの時、彼が結露のようになった彼女たちに言った言葉そのままだった。
つまり言い返されて言質を取られたのだが、それなのになんか、嬉しいことを言われたような気がする。
なんか、なんかというか、なんか。
形にできぬ気持ちにもどかしく感じて、とりあえず、彼女の頭を撫でる。
髪を梳くようにして、彼女の端緒に手を浸して水温を確かめるようにする。
その手を包み込んだ彼女の部分が、小魚が突くようにしていた。
もしかしたら、その内の一つが、その帰って来てくれた彼女の欠片の一つなのかもしれない。
「そっか、戻って一緒になれたんだな」
「あ、まだ外で凍ってるかもー」
「駄目だろ」
また凍ってしまわないように、彼は彼女を家に残してそれを探した。
すると彼女の欠片は、すぐに見つかった。
雪だるまになっていた彼女が居てできた新雪の窪みの縁に、それは埋もれていた。
雪雲の退いた日差しを受けて、雪壁の中でキラキラと輝いて居場所を教えてくれていた。
状況から察するに、どうも出迎えに出た筈の本体が先に凍って戻れなかったっぽい。
そして、こちらも凍ったっぽい。
考えて見れば酷い話で、そうでなければ間抜けな話である。
拾い上げると、それは水色のガラス玉みたいだった。
凍てついたその硬い瞬きを、掌に包んだ。
「いいナー、掌であっためられて、いいナー」
「お前はもうちょっと反省しろ」
温められた欠片は、やがて掌の上をころころと転がった。
「ほれ」
人肌まで温めると、それをそっと彼女に返してやる。
ちゃぷん、と波紋を肌に広げてそれは帰って行った。
彼女は、ブルっ、と震えた。
そして震え上がったその余りで、頬を膨らませた。
「拗ねるなよ」
自分よりほんのりと温かくなった自分自身でもある雫に、彼女は嫉妬しているようでもあった。
でも、違うのだと、拗ねている訳じゃないと意地になったように彼女は、ふるぷると震えて、細かな突起を出す。
それは人で言うと鳥肌のようにも見えたが、やがて壊れた洗濯機のようにごとごとと体を揺らしだすと、それはあからさまな刺となり、一気に成長して触手になって彼の腰と脚に絡み付いた。
「ちょ、こらっ!」
そのまま引っ張られ彼は尻餅をつかされて、転がされた下半身を呑み込まれる。
彼女はそのまま夫を包み込むように丸くなると、そのままずるずるころころと転動しながら居間を出る。
彼のパーツのうち、出来の悪いたこ焼きの具が如くはみ出した手足と頭は、しかし彼女に頓着される事は無かった。
容赦なく擦られ、ぶつけられ、後頭部から煙が出そうな勢いで引き摺り連れ出される。
「こらっ、まて! お前、夫の頭が禿げたらどうしてく……、ッ」
ごん!
ウルサイと言わんばかりに、後頭部をぶつけられた。
それは扉の仕切りであったのは余談として、取り敢えず彼は静かになった。
考えても見れば、スライムに頭髪と言う概念は無かった。
そしてタンコブとか、それで気絶と言う概念も多分無い。
概念が無いので配慮もされない、逆に言えば、故にそのような仕打ちは発想の段階から無く、これは不慮の事故であり、勿論"ウルサイ"呼ばわりはされている訳ではないので彼の心が傷つく必要は無いのだが、頭が焦げ臭くなっていく錯覚の前では、それはほんの気休めであった。
彼は暫くして目を覚ました。
それでまず見えたのは、ほのかに明るい天井だった。
仰向けにされているのだから当然として、目に見えるそれは記憶に新しい光景だった。
そこは、朝日に向かって窓のある二人の寝室のはずだ。
まだ高くない午前の日差しが差し込んで、部屋のフローリングや白い壁紙の照り返しの光にその中は満ちていた。冬日の柔らかな拡散光が、天井の陰りにもほのかな明るさを灯している。
今朝目覚めた時のように、腕の中の彼女を抱き寄せようとして、そして同じ天井を見ながら今日は一人で目覚めた事を思い出す。
……とりあえず、頭髪は無事らしい。
彼女を探して頭を振った時、それは後頭部と床との間に挟まれて、じゃりじゃりと感じられた。
そして彼女はベッドの上に座り込んで、一段高いそこから、夫が目覚めるのを待っていた。
後頭部まで透き通った瞳でじぃっと見詰められて、明らかに強請られている。
彼はと言うと、仰向けになってその片足をベッドの上に引っ掛けていた。まるでそこからずり落ちたような、確かめれば確かめる程、間抜けな姿である。
どうやら彼女は、夫が気絶しているうちにベッドの上に引っ張り上げるのに失敗したようだった。
「やれやれ、自分も温めてほしい、と?」
そう訊ねられると、彼女は頷いた。
振り回された水のように揺らぐ自分の髪に、まるで寝癖が気になるかように右手でそこを押えた。
そしてそれを手で押えたまま、後はまた、じぃぃーっ、と夫はまた見詰められっぱなしとなった。
「かわいらしいな」
そう言って誤摩化しても駄目だった。
つまり、ストーブとの併用は駄目だったという事だ。
やはり拗ねているようだった。あの欠片のように、どうしても人肌で温めてもらいたいらしい。
今すぐに。
夜まで待つつもりなど、スライムの辞書にはこれっぽっちも書いてないのである。
頭を掻いて起き上がると、彼女の視線も追ってそれを見上げた。
寝癖を押える彼女の手に代わって、彼は櫛のようにした指を浸すようにその髪を、髪であると彼女が見せている形に指を浸して梳いてやる。
そのまま髪を分けて、見上げてくるおでこにキスをする。
「ああ、わかっているよ」
真っ白なシーツの上にちょんと座った彼女は、海の中に居るような青に包まれていた。
窓から差し込む午前中の透き通った冬日が彼女を透かして、海のような青い光の陰を、その純白の上に落としていた。
さっきおデコにキスをした波紋が、淡く揺らぐのが見えた。
夫は、そんなとても綺麗な嫁の姿がとても好きだった。
「俺の誕生日はまだ先だぞ」
まるで自分を贈り物のようにする彼女に、そう言って、彼もベットに上がる。
男の体重を乗せたクッションが沈んで揺れた。
一緒になって、彼女は嬉しそうに体を揺らした。
してほしければ、いや、したければ、好きな所ですれば良いのに、と。
家にいる時、彼はそれをあまり怒らないし、彼女はいつもそうなのだ。
それでも今の彼女は、夫が自分の事を一番好きだと言ってくれる場所を選んだ。
そんな彼女を見て、やはりそれは自分への贈り物なのだろうかと彼は思った。
股間が冷たかった。
気が付けば、パンツの中に嫁の触手が潜り込んでいた。
強引にスボン毎、夫のパンツをずり降ろそうと苦労していた。
そしてボタンとチャックの連合軍に敗北して、困った顔で見上げられた。
「お前さんの誕生日もまだだろう……」
ちなみにベルトもまだ外してない。
確かに彼はそのつもりだったが、誕生日プレゼントを前渡しするように強請られたような気がして、自分が勘違いしていたのだと思ってしまう自分が居て、どうしても溜息が出てしまう。
自分を誤摩化すのに、失敗してしまっていた。
自分とは異なるものと一緒に居ると言う事は、いつもそういう事であり……、
それに今朝はまだ、彼女は凍ってたのだから、何も食べてはいないのだ。
彼女らスライムにとっての一番の食べ物は、夫なのである。夫の吐き出す子種を喰らって、彼女らは腹を満たすのである。
その行為は、例え抱き合って愛し合っているように見えても、でもそれは基本、人間の感覚で言う所の、食事、なのである。
つまり、三食必要なのである。
ついでに昼寝も付けば御の字なのである。
それは彼女と暮らしているのならいつもの事で、なんでもない日常で、本当に特別でもなんでもない事だから、だから彼はいつものように、彼女を透かして海の色に染まった朝の光の中に横たわった。
ちゃんと、意地悪もせずにボタンもチャックも、そしてベルトも外して。
すると、微笑んだ海が覆い被さるようにして、スライムは夫へと身を投げ出した。
衣服の隙間から、嬉しそうに彼女が流れ込んでくる。
それを抱こうと伸ばした彼の腕は、水に浸すように彼女の中へとすり抜けていく。
そのまま胸も顔も、腕も脚も、頭から爪先まで呑み込んで、今度ははみ出さずに、大きく膨らした球体になった彼女に呑み込まれる。
夏の海に落ちたようだった。
冷たいけれど何処か、生気を感じさせる生温かな気配で全身を包まれて、その中に沈んでいく。そんな錯覚に陥っていた。
でも、怖くはなかった。
声がしていた。
「だぁりん…、だぁりぃん…」
自分を呼ぶ声と共に、自分を包み込むものが揺らいでいた。まるで手で揉んで確かめるかのような少しくすぐったい感触があって、彼はそれに身を委ねて泳ぐようにしていた。
「そんな声を聞いていると、出会った時を思い出すな……て、聞いてるか、おい」
多分聞いていない。
嫁は子犬のようになって、そして夫をまるで餌を入れた玩具のようにいじり倒している真っ最中なのである。夫を呼ぶ声は、じゃあれ合うのが嬉しくて鳴いているその声なのである。
まったく、そのあたりは会った時から変わらないのかもしれない。
ある日、彼はスライムと出会った。
つまり、後のこの嫁であるが。
それで言われたのだ。
「おなかすいた……」
以上。
「おなかすいたの……」
大事な事なので二度言われました。
そしてそれだけ。
それまでとも言う。
この世の格言「エンカウントすれば嫁」の前には、取り敢えずそれ以外は何も要らないのである。
スライムの彼女らほどあの格言を、歪曲するほど力強く純粋で単純で、そして端的に体現する存在は無いように思えた。
人の姿すらとっていない形の定まらない彼女に、こんなふうに沈められてその体内に浸された。そしてその中で、あるだけの精を搾られていた。
出くわして早々それである。相思の恋愛感情もあるはずもない。
彼にはどうにもできず、精だけを食べさせて、ただやり過ごすつもりであった。
しかし、そんな中で定期券を見つけられてしまった。
獲物を弄る触手の一本が、何かの拍子にポケットの中を引っ掛けたのだ。
それが滑り落ちると、彼女は瞳を現して、その上に印字された記号を見ていた。それを理解しようとし始めた。
行き先やら乗る駅やら、運賃やら、ICチップの個別番号やら、持っている本人ですら理解不能な記号も、それらは彼の名前も含めて、空腹に駆られてスライムからすれば、それこそ只の記号で終わる筈のものだった。
でも彼女は、その中の一つが今まさに精を貪っている男の個体名だと知ると、それをゆっくりと、そして何度も何度も声に出して口にし始めた。
唇を作って、通した喉を震わせて、見下ろす彼に声を、まるで何かが芽吹くのを期待するかのように、小さな如雨露でするように注いだ。
彼はまるで、その名前は彼女には機能する必要が無いのに、なのに、自分の名前を呼ばれているようにそれを聞いていた。
咀嚼し反芻するように名前を呼ばれながら、精を搾られていた。
やがてその声が、恋していくように甘くなるのを、彼もその声を口の中に含んだように感じていた。
実際彼は、スライムの御飯なのである。
噛みしめられて、唾液と混じって甘みが増していく白米飯のように、ついには自分もその域に達したものだと半ば冗談めかして、そう意味での観念もした。
でもその声は本当に甘く、それを自分に向けらて悪い気はしなかった。正直、心地良かった。
そして自分を浸した水のような彼女が、それと共に温んでいくのも感じていた。
しかしその温かな微温湯であるのに、彼女は震えてもいた。
彼女は捕食者だから、あんなふうに怖れる必要など無かったのに。
その怖れのようにも感じられる感情が染み込んで来ていた。
震える温もりとなって、自分にとっての大事なものを表す言葉のようにして、たどたどしくもまるで唄うように口ずさみながら、最後は人の姿をした彼女に抱き寄せられていたのだと思う。
「俺は、只の飯だろう……?」
弄られた感触が残る少し苛立った声で言うと、しかし彼女は必死になって頭を横に振っていた。
違わない。でも、別の何かを見出してもいる。
と言いたげに。
だから、
「あなた、おいしいの……」
その一言は蛇足だと思った。
しかし彼女からすれば、彼は勘違いをしているらしかった。
「だから、俺はおいしい御飯なんだろ」
「そぉ、だけど……」
少し違うらしい。
よくよく考えれば同じ御飯でも、美味しいかどうかは話が別である。
そういう事なのかと念を押すと、そうには違いないが、そう言うふうに言って欲しくない、もうほんの少し違うらしいと、そんな素振りを見せた。
なかなか相手に理解されていない自分に、彼女のその顔が泣きそうになっていた。
でもそんな涙に訴える顔も、それは人ではないのだから、作り物なのではある。
不定形生物であるスライムが人のように振る舞うのは、言うまでもなく彼女ら本来の形ではなく、作り物なのだ。
ぷるふると震える頭も、人を抱き締める為のその腕も、人に抱き返してもらう為の人の姿も、こんな、気持ちを解ってもらいたくて泣く顔も、それは全て本来なら彼女らにとって必要の無い、作った物でしかないなのだ。
だから、それら全て、自分に向けられたカタチだと彼は気付いた。
ただ精を求めるだけなら最初にしたように、触手を絡めて呑み込んでしまえば、それはそれで腹は満たせられるのだから。
しかしその時の彼は、人の姿を形作った彼女に抱かれていた。
彼女は、人が、愛しい人にするように、腕の中に彼をそっと抱えて、その男に視線を零していた。その瞳も、柔らかく抱き包む腕も、腕の中の彼の為なのである。
つまり、人の姿をとると言う事が、彼女らにとって純粋な愛情表現である事を、彼は理解してしまった。
その帰結に至った事を自覚した時、ついに彼女の魔力に頭まで犯されたのか、と彼は思った。
それが人のような愛情を発露させる為でなるなどと……そんなふうに考えてしまうなんて、魔物に魅了されて勘違いしたいだけなのかもしれない……とんだ思い込みだ。
でも、それでも構わなかった。
あの時の彼女の、自分にとっての只一つのものを見詰めるような、そんな表情が今でも忘れられない。
だから彼には、彼女に食欲の他に自分に伝えたい気持ちがあるのだと解っていたし、人はそのように自分に伝えようとされる気持ちに、応えたくなる性分を持ち合わせている。少なくとも彼はそのような人種であった。
自分の為のカタチになった彼女を、彼は好きになるしかなかった。
そんな彼女が自分の為に形作る気持ちは、本当に温かくて甘くて、それは自分だけに向けられていて、そんな彼女に食べられるようにされるなら、それはそれで良いのかもしれない、と思った。
あの時に、もうこのスライムを愛するしかないのだと思ってしまった。
そんなふうに思ってしまったが最後……。
それっきり懐かれて、どんな兵器レベルの発酵菌を使ったのか瞬時に縁も腐れて納豆みたいに粘っこい糸まで引いてあまつさえ絡まったように、なんだかんだと離れずに、今は嫁と呼び彼女の夫として一緒に居る。
そして結局、自分自身が御飯ではなく、自分は御飯兼、御飯をくれる人に昇格しただけらしいと気付くに至り、それでもそれに納得だけすると、後はやはり観念したように状況の継続を端的に認めてしまった。
つまり、それだけで、何をするでもなかった。
だからこうして、今もこんなふうに、白いシーツの上に落とされた真っ青な陰のその中で、覆い被さるスライムに彼は呑み込まれるままでいる。
人のように愛されているのだと、スライムである彼女からも同じようにそう想われているのだと、思おうとしていたのかもしれない。
彼は、その中を探していた。
スライムは自分の形には頓着しないから、素直にして欲しいカタチになる。
そうして欲しいから、夫をこんなふうに呑み込んで丸くなっているに違いなかった。
解ってやるっているつもりだ。
応えるように、包まれた彼女から撫で返されるのも感じていた。
だからその中を、手でそっと撫でるように泳がせて、体の中を触って探していた。
その指先が、冷たいものに触れる。
彼女が、ぷるっ、と硬く震えた。
彼がそれを手にすると、それは氷の塊の様だった。
「これを、温めてほしいんだよな?」
「うん、だぁりんに温めてもらうために、残しておいたのー…」
やっぱり、まだ、拗ねているのだろうか。
多分これは、彼女が言うように凍った時の残りではない。
彼女はストーブの前で充分に温まっていた。
彼は胡座の中で包んでやって、彼女の体が微温湯のようになるのをちゃんと感じていたし、少し熱そうに息を、はふっ、はふっ、と頬を膨らすようにするのを聞いていた。
今、手に触れているのは、たぶん今さっきくらいに自分で凍らせたものなんだろう。
そして、夫が自分を一番綺麗だと言う時間と場所を選んで、その日差しを透かして見せながら誘った。
それを、夫に触ってもらおうとした。
彼が手で触れたのは丁度、胸の辺りだろうか。
それはハートの形をしていた。
なるほど、微温湯やストーブでは駄目な訳だ。
彼は、その小さな冷たい塊を掌で頬に寄せて抱いた。
「だぁりん、あったかぁい……」
スライムがぷるぷると震えていた。
なにをそんなに、寂しがっているのだろうか。
そうして欲しい、その原因の冷たさを溶かしてやりながら、彼はそう思っていた。
解ってやっているつもりだ。それは、凍り付いた時とはまるで違う震え方なのだ。
それでも、震えている事しか解らなかったからその時は、ただもっと温めてやろうとだけ思った。
「だぁりぃん……」
不意に、砂浜に打ち上げられたように、彼女から洗われて彼の肌が空気に触れる。
今まで自分を包んでいたものが吸い上げられるようにして、彼女は水柱になって立ち上がった。
孤島での逢瀬を果たすように、包んで海のように広がる自分から彼へと、水を滴らせて上がる。
「だぁりん、もっと、さわってほしいの」
人の女性の姿で、両腕を広げられる。
彼は誘われるままに起き上がって、そんな彼女を抱いた。
寂しく海を一人泳ぎ渡って来たかのような冷たい体を、彼は腕を絡めて迎える。そして暖かみを与えるようにキスをする。
彼女のカタチに応えてそれが望むままに、自分の温もりが彼女へと染むようにした。
「もっと、もっと、わたしのカタチ、さわって、ほしい、の……」
そうされる形を、そこに染む人の温もりに蕩かせて、それをもっともっと欲しがるように、抱き締めてほしいと言うその形で体を擦り合わす。
その彼女の肌が、まるで雪のようだった。
ざらざらとして、そして静かだった。
彼女から肌を震わせて流れ込む気持ちは、感じる事も、感じてもらえる事も、そんな相手を見失って独りで居るかのようだった。
一人でない事を、探すようだった。
寂しく探している事を彼に、夫に知ってもらいたくて、形にして、肌をざわつかせて、彼の肌を励起させて感じさせていた。
それを知ってしまったら、彼は尚の事、それに応えたくなる。
抱き締めて肌から跳ね返って来る感触に、相手に抱かれる事を互いに強くしていた。
彼はその形を確かめるように、抱いて腰に回したその手を広げて、柔らかに埋めながらその桃尻を掌で感じた。指先でその割れ目に触れながら、軽く揉むようにした。
その指を窄めながらそのまま背中を駆け上がって、肩甲骨の逆さ三角形の頂点に触れる。
彼女は肌は水を貼ったように濡れていて、彼の指に先走って波紋を広げた。
シーツに映るその影が、綺麗な線を描いて流れていた。
指に引っかかった肩甲骨の角を掻いて、その手は肩を握っていた。
握った中にも確かな骨格を感じると、それを拠り所に彼は、彼女を押し倒した。
そのまま覆い被さる。
彼女の作られた骨格が、その重みに抗った。
合わせた互いに肌が弾け合うようにして、彼は彼女へと溶け込まずに居た。
そうやって、相手を感じ続けた。
ただその中で、彼の体温だけが重さを伴っているかのように、彼女の中へと肌を透かして沈んでいく。
それが五月雨であるように、彼女の肌をざわめかせる。
不意の通り雨が、氷の粒のようになった雪肌を溶かすように、細かく穿って音を鳴らした。彼女のカタチが作るその震えは、溶けて無数に弾ける跳ね返りのように彼の肌も突いた。
痛むようなそんな音から逃れるかのように、雨音で埋め尽くされた彼女の肌の上を、彼の指は追われるように走っていた。
鳥の翼のように心臓から広げた肋に爪を引っかけて、羽の筋が道しるべとなる。
本来はある筈の無い骨の稜線に導かれるままに誘われて、やがて瑞々しい滴りがその指と爪の上に落ちた。
潤いをよく含んで、滴るままに垂れる下乳の端の重みが覆い被さってくる。
彼の掌の中に収まった彼女の乳房は、水のように透き通るようだった。
光も、そして手に滴る重みも、沈めた指先で掬おうとすると流れて、その間から落ちていく。そんな錯覚すら覚えながらその手は沈んで、また彼女に包まれたように感じている。
彼はそれを、まるで水を含むように、それを口にした。
それを渇きを癒すように飲み干そうとした。
彼は、自分が渇いていることに気付いた。
「だぁりん、あつくなって…る」
「俺、熱くなってるのか?」
そう訊ね返して、言葉と共に吐く息が荒く熱くなっている事に、彼は初めて自分で気付いた。
ひんやりとした彼女が、その火照らせた肌に頬を寄せる。
「……んっ」
彼女は頷くと、覆い被さってくる彼の体へと跳ね返すように、そこにある彼の肌に自分の体を押し宛てた。
水のようなその体の中に、キラキラとケーキに振りまいた銀の砂糖粒を浮かべる。
「あつい……」
それは、彼女を感じようとする熱さだった。
血をたぎらせてあるだけの酸素を送り込み、心臓でグラグラと揺らした熱とともに、肉体が寝惚けて鈍くなっている神経を叩き起こそうとしていた。
「お前を感じたいんだ。どこか、お前が遠くに感じる。すぐ傍に居て、体を押し宛てているのに、まるで感じなくなるような気がする。だから、こんなにも血が逸ってる」
彼は、自分の感じているそれが、彼女の気持ちでもあるという自覚があった。
ただそれにも増して、掠れていく感覚に、失せたものを取り戻そうと飢えていた。
ざらざらと彼女の肌を弾く雨音が、耳を覆い尽くしていた。
肌も何もかも痺れていくように、何も感じられなくなっていく。
孤独を、渇きと感じていた。
彼女は、その渇きを与えるようであった。
彼の肌からの温もりが雨のように降り注いで、より自分の感じている孤独を強くしているようであった。
彼は、誰かを呼び叫ぶ声のような熱を放っていた。
そんな熱に炙られて彼女は、笑ったような気がした。
「なら、もっと……」
そして求める物を感じ取ったように強請る。
冷たさが、彼のその熱さを捕まえる腕を伸ばしてきて、彼はそれを握って捕まえた。
「ああ、もっと、だ……っ」
全身で擦り付けて、彼女の薄い皮膚を口に含んで、舐め溶かすように舌で引っ掻いた。
シーツに押さえ付けて、その皮膚を破るような強さで愛撫していた。
そんな唇を、彼女の指がなぞって、その渇きを濡らすようした。
彼は、冷たい潤いをやっと感じられると、熱さを吐き出すように口を開ける。
熱にうなされる者に水を与えるように、彼女は指をその口に流し込んだ。
舌に触れる冷たさで、彼はより渇きを感じた、
それを、しゃぶった。
その伝わる先の中で、海が揺れていた。
彼女が、喘ぐように泡立った。
愛撫する口の中で炭酸が弾ける音がする。
強く抱き締めるとその腕の中で一瞬沸騰するように泡が、羽搏く。
舞い上がるその水鳥の群れに、彼の肌は揉まれた。その啼き声のようなざわめきと、羽音のような無数の気泡が弾ける音に掻き消されるように、更に彼の感覚は痺れていく。
渇きに苛まれるままに、彼は掌の中の残る瑞々しい冷たさを捥いだ。
頭を振って啼く彼女を、強く揉みしだいた。
それは薄皮の向こうにあるのに、掌に当たっている乳首の硬さが、溶け合う邪魔をしていた。
僅かなら指は入るのに拒まれている。カタチに阻まれている。
だから、その裏から突くように人差し指を潜り込ませる。
親指と挟んむように摘んで、雪を溶かすように指の上で揉んだ。
勿論それは溶ける筈も無く、彼は彼女と溶け合えぬ事を苛立って、その先を、緒のように噛み切ろうと、でも、思い留まるように甘く噛んだ。
それでもその歯の間から吐息で逃がす衝動が、柔らかな膨らみがその度に波紋を広げていた。
滴るほどに張った乳房を搾るような掌から、果汁が滴るように彼女が染み込んで来る。
体内に流れ込んで、それを吸う自分が寂しげに満たされぬのを感じ続けている。
彼女で満たされれば、その自分の渇きが癒されるのだと思っていた。
これは彼女の気持ちでもあるのだから、彼女だってそれを望んでいる筈だ。
彼は、抱き締めて揺らぐ水のような彼女の胸の向こうに、自分たちの影を見ていた。
透き通った彼女の中で光は散って、その淡い拡散光となった彼女の影は、彼の真っ黒な影をほんの少しだけ照らして、まるで光と影が溶け合っているように見えていた。
影はそうであるのに、でも自分たちはそうで無い。
それを隔てているのが皮膚だ。
しかし彼は確かに彼女のそのカタチを感じていた。
隔てられるから、相手を感じられる。
だが、それで深く交われぬ事が切なかった。
彼はまるでスライムになってしまったようであった。
彼女の気持ちのカタチが、彼の中にあった。
スライム……あるいは、彼女と言うものはそうなのだ。
人の気持ちというのは、人の中にあるのだとしても外に対するものだ。だから、自分だけでは作れない。内側だけで完結しない。外からの刺激で想起する。嬉しいのも悲しいのも不愉快なのも、愛したり、そしてそれを美味しそうだと思うのも、そしてそれを人恋しく感じるのも、全ては外から触れられて感じるものだ。
彼への気持ちをカタチをしてそれを触らせて、彼の心の中にそれを励起させる。
一緒に感じて欲しくて、彼の中を自分で満たす事で、解ってもらおうとする。
でも人は、気持ちそのものを肌で触れる事には慣れてはいないから、熱っぽい自分の皮膚の内側を、有る筈の無い異質に舐められたようにそれを感じた。
彼女より熱い自分の体温が、空であるのに揺れるのだ。
息をして肺を動かすだけでも温かな血潮と混じり合い、体の内側を温度差で撫でられるのを感じる。不安定に揺らぎながら体の中を掻き回される。肉体の動揺は、そのまま彼の心を揺らがしていた。
揺らぎながら溶け合おうとして、叶わずに、彼の中にある彼女と言うカタチは溶け合う為に、溢れようとその溶け合えぬ彼の形を破ろうとしていた。
鼓動を打つ心臓が、体の内側を転がり回るようだった。暴れるそれを、異物として吐き出そうと、出口を求めるように全身に嘔吐感のような悪寒が走り、震え上がる。それでも彼はスライムの夫としてそれに慣れているつもりだった。でも、それでも今日の彼女は昂っていて、それを感じ過ぎてしまって、つい、
「うっ、ぁ…ッ」
ぴしゃ……っ。
漏らしてしまう。
声を上げて、何もない所へ射精する。
彼女のカタチが、肌を透かし通って自分の中に滴り落ちて溜まる、そんな彼女の気持ちに押し出されるように、自分の気持ちを出してしまう。
彼と言うカタチの殻を破って、
ぴしゃっ、しァゃっ、しゃっ、ちゅしゃっ、ちゃっ、ちゅ…、ちゃっ…、ちっ…、ち…、ち…
白い飛沫が、肌と言うには余りにも柔らかな彼女の境界に、幾つかの波紋を広げた。
その度に、彼は詰まるような息を吐いた。
知らぬうちに彼の中に溜まっていた、彼女の感じているものと同じ冷たいその重みが、彼と言う薄皮の底を破って、出てしまっていた。
まだ女の中に無いのに、どう扱って良いのか解らない揺らぐ中身を、ぶちまけていた。
吹き出した白いものを、彼女の胸から腹にかけていた。
止められない、止まるものではない。それでも、力んで絞り止めようとしても、強張らせた体の中でただ一つ開いた穴のように、ただ勢い良く吹き出すだけだった。
その度に、情けない声を上げる。
単色に塗りつぶされた渇いた感覚の中で、ただ上顎を舐めて匂うような、そんな精液特有の塩っぱい生臭さだけが彼の鼻を突いた。
されて、荒い息をしながら、嬉しそうにする彼女を見ていた。
彼は、してしまった通りの、罰の悪い情けない顔をしていたのだろう。
くすくすと、
彼女に笑われてしまっていた。
「だぁりんの、あじ」
ぺろっ、と舌で唇を舐めるようにされる。
その白は、ゆっくりと重みで沈んでいくように、彼女の青の中に溶けていった。
そして彼女は、ぶるるっと震えた。
また寒さに撫でられたようにする。
「だぁりん、もっと感じたいよぉ……」
熱い迸りを受けて、自分の冷たさをより自覚してしまったかのように、更にその温もりを求めた。
彼へと腕を伸ばして、彼はその手を背中に迎えた。
「俺も感じたいよ」
彼は笑われて、それで少し不貞腐れたように言い返していた。
彼女はその言葉のままを真に受けた。
「だぁ、りん…わたしも、よ」
もう一度、そう言う。
その声を聞いてると、彼は自分の苛立など忘れてしまいそうになる。
実際それは、子供の寝小便くらいの羞恥だ。まるで初めての射精をどうして良いか解らずに途方に暮れてしまうかのような、そんな不甲斐なさ、その姿を彼女に見られた事も、彼女の感情に溺れるように精を漏らしてしまう事も、それを美味しそうに食べられる事も、それは、人にとっては恥ずかしくて違和感があっても、自分らにとっては些細な事だ。
「まってて、いま、もっと感じるとこつくってるから」
受け取った気持ちを吐き出した分だけ、彼女はまた自分で満たそうとして来る。
その柔らかな淡い膨らみが下腹部に現れる。
男に求められて応えるかのように膨らんだ恥丘が、合わせるべき彼の股間を押した。
彼は未だしてしまって空っぽであるから、空の中身を自分で満たそうと、その為に男と繋がろうと、そのカタチを作った。
自分を捕まえた彼女の指が、まるで人肌に炙られた氷のように溶け広がっていく。それは網のように広がって、網の目の中に捕らえるように肉や肌が食い込んでいた。
彼も、また溶け合えぬものに溺れながら、その息苦しさを感じていた。
「でもこの気持ちは、お前のだ……」
彼は思わず、声に出してしまった。
まるで自分が感じるように、彼女のカタチが伝えて来るそれは、しかし彼女の気持ちでしかない。
彼女と言うカタチから生まれる気持ちが、彼の気持ちを満たしていた。
そして彼はまるで彼女のようになる。
しかしそれは、彼が、彼女に対して感じた気持ちではなくて、それは彼女自身の気持ちだった。
彼の心にあるのは、彼女のカタチそのものだった。
それは彼の気持ちでは無かった。
彼は、そこに自分がいない事に苛立っていた。
あの、止まらない迸りが、まるで自分の物ではないのかと思うと。
こうまでされるのが、愛情からなのか、はたまた精と言うご馳走が欲しいだけの食欲なのか、自分の気持ちを押し流す程の彼女の気持ちを推し量れないでいた。
空の器であるように無いものと扱われて、有りっ丈を注がれて、まるで何も自分に感じない食事のようにされるのが、いやだった。
愛されていると、そう思おうとしているのに、まるで何も自分に感じない食事のようにされるのが、いやだった。
形を変えられない彼は、声に出してしまっていた。
彼女はその声に、目を細めた。
そのように顔を作った。
わからないふりをするようだった。
「まって、て……、つくってる、か、ら……」
でも、彼女はカタチに聡いから、合わせた肌の、人には感じられない細かな震えるようなカタチを拾って、それらをみんなわかっているようだった。
彼女はさっきから、自分のお腹の下の辺りに靴下を編むように形を作っていた。
でも、巧く行ってない様子だった。
何度も何度も、毛糸を編むようにしてそれを解いていた。
夫をどう受けていいのか迷って、カタチにできずにいた。
解ってもらいたくて、でもそれをどうしたら良いのか解らなくて、その為のカタチを作り倦ねていた。
感じる事も、感じてもらえる事も、そんな相手を見失って独りで居るかのようだった。
彼は、彼女のカタチを抱き締めて解っているつもりだった。
それが解っていても、彼は言ってしまっていた。
「ごめん……」
彼は、意地悪を言った自覚があった。
彼女は、しゅん……と、顔とか、寝癖とか、彼女の上を向いていた形の尽くが、さっきからずっと俯いているのだ。
それが意地悪だと、彼女が傷ついてくれるのを、期待してしまっていた。
彼は今触れている彼女のカタチ自身がへの気持ちである事を知っていて、彼女だけでは起こりえないカタチだと知っていて、それが本当に自分へのカタチなのかを確かめてしまっていた。
その彼女の細い首筋からうなじへ、その撫で肩へと指を滑らせて、彼は自分の言葉に望むように傷ついたそれを癒すように、いまさら手を添えて、撫でていた。
その肌は彼の体温を浴びて、ざわっ、ざわっ、と、湿った風が葦の彼は葉を凪いで、その風に押されて駆ける雲の塊から落ちる通り雨が、彼女の肌に氷を溶かすような雨音をまた立てていた。
自分と肌を合わせている者から降り注ぐのが、それは静かで誰もいないような雪ではない事を、それが夫からの体温を雨のように浴びるその音である事を、だからそれを、まるで傘に転がる雨だれが耳一杯に広がるのが嬉しくて、それをそのまま伝えたかっただけなのだ。
「ごめん……ごめんな……」
でも、彼だって知って欲しい。
耳を痺れさせる程のその雨音で、囁き続ける彼女への自分の声が掻き消されて届かないのは、やっぱりいやなのだ。
彼は、彼女になりたい訳ではないし、彼女に、何かをしたかった、してあげたかった。
でも水は、自分が溶けて溺れ行く水を感じる事ができないから。
みんな同じになって、誰もが誰でもなくなって、誰もいなくなって、自分ばかりになって、そこには誰への気持ちも無くなって、水平線のようにただ真っ平らになっていく。
彼はさっきまで、それに溺れていたのである。
感じるように、渇いてなどいなかった。
ただ、渇くように何も感じられなくなって、まるで自分の気持ちが壊死したようになっていった。
あの凍らせたハートのような、冷たくて重く溜まるばかりの中に沈んで、一緒になって溶けていく。
それを抱き温めようとする自分が消えて、その彼女を探す彼の信号も消えて、冷たく寂しがる彼女もまた冷たいままに独りのままになってしまう。
そう想ってしまうのを、彼は自分の独り善がりな事と思って、もう一度謝っていた。
彼女の唇が、不思議を形作る。
「ごめん…、な、ね……?」
彼女は彼の言葉を自分の口の中で転がした。
どこか上の空で、なにかを探しているような素振りだった。
暫くして、
「………ん」
と、彼女はそれに、小さく答えた。
「どうしたんだよ」
今度は彼が訊ねた。
今日の彼女はいつもより夫を強く感じたがっていた。その強い気持ちを知ってもらいたくて、押し付けて溺れさせる程、夫に自分を感じてもらいたがっていた。
「……ん」
彼女は俯いて、一度黙りこくっていた。
暫くして、
「おいしかった、よ」
彼女はやっと、ぽつりと言って答えた。
「なのに、怒ってる?」
彼は、自分が少し渋い顔をしている事に気付いた。
その頬の形に触れながら、彼女は必死にぷるぷると首を横に振っていた。
「ちがうの」
まるで精欲しさに夫を溢れさせた……。
彼女はそう思われたくなかった。
スライムだって、好きになった人からは嫌われたくはない。
でもその言葉の後になって、彼女はそれも拒むように頭をまたぷるぷると振った。
「ちがうののちがうの……、ちがうのはちがうの」
最初に言った、ちがうの、を改訂する。
「それでもわたし、だぁりんが、ほしいの……だぁりん、おいしいの」
嘘じゃない、彼女は夫の精が欲しい。
大好きで美味しい夫を自分で一杯にして、それに押し出されるように溢れた精が、それが彼の自分への気持ちだと彼女は思っていた。
だから彼女は、彼への気持ちをカタチをしてそれを触らせて、それで沸き起こる迸りを、食べた。
おいしかった。
でも、それだけ、としか感じられない。
「でも、それとも、ちがうの」
自分の感じる「だいすき」が、人の言う「好き」と違うような気がした。
だから彼女は、自信の無い小さな形で、やっと聞こえる小さな声で呟いていた。
それだけじゃないの、と彼女は言いたかったのに、言えなかった。
彼女と言うスライムは、美味しいという物忘れ用メモ書きを貼った、そんなガラス容器に色々なものを詰めてできている。
彼女は自分のその中身を分離できない。
彼女はまだ、最初に会ったあの日から、食べる事と、人が言葉にするそれとを分けれないでいた。しかしそれを人は別に考えるから、彼女はそれを分けて考えようとした。でも、分けれなかった。
「だぁりん、わからないよ……」
体の中で、彼を受け入れようとする気持ちが、糸くずのように丸くなってしまった。
彼女は、こんがらがってしまった。
彼はそれを見ていた。
まるでさっきまでの自分を見るようで、解ってしまっていた。
また、解ったように感じてしまっていた。
「まだ、お腹は、減ってるよ、な?」
「………、ん」
彼は知っていて、また、意地悪を言ってしまう。
彼女は寂しそうにしたが、でも応えられて少し嬉しそうでもあった。
今度は彼のカタチが、少し躊躇いながら、両腕を広げる。
「おいで」
「うん」
もしかしたら、諦めたのかもしれない、と思ってしまう時がある。
彼女の、冬の外気を呑み込んだようなひんやりとした肌を、人肌とは異なると感じながら、彼はそんな事を考えていた。
彼女を愛するのを。彼女は人ではないから、人のように愛してもしょうがないと思っているのかもしれない。だから、好きになるしか無いと思っても、心の何処かで諦めているのかもしれない。
そもそも彼は、意地悪を言ったが、よくよく考えても、意地悪を言うような事くらいしかできないでいたのだ。
まだ冷たいままのその体を、彼は腕を絡めて迎える。そして暖かみを与えるようにキスをする。
それしかできない、絡めた舌が何度も「ごめんね」と、互いに言い合っているようだった。
そう言って、彼女は僅かに精を含んだ夫の唾液を摂取した。
互いの口腔を貪る舌の形を、相手の頬の肉越しに指で感じて、彼はその指を、彼女の臍の下へと滑り落とす。
そこは夫を誘って受け入れる為に淡く膨らんでいた。それでいて心地の良い乳房とは違って、少し躊躇って固くして、糸くずのようなカタチを内包したその恥丘を、彼は探るように指で撫でていた。
「だぁりん、わたしのキモチ、さがしてくれるの?」
彼は声にして答えれなかった。
指先のその奥で、糸がこんがらがるようになった自分へのカタチを、まるで自分の彼女への感情をほぐすようにしていた。
彼女はスライムだから。
彼女の体の何処にも、意味は無い。
スライムには器官が無いのだ。
でも彼にとって彼女だから、そこに意味ができた。
彼女は、そこに相手と繋がろうとするカタチを作ってくれた。
だから彼は、彼女を人のように愛せないのだと、諦めようとしている自分が情けなくて、それでも愛せるものを彼女のカタチの中から見つけようとした。
彼女は不意に沸き起こるものに声を上げて、彼はその声色で位置を探った。
彼は、自分が探しているのが彼女の気持ちではなく、彼女への自分への気持ちではないのかと思った。
彼はいつも探すように悩んでいる。
今日が特別という訳じゃあない。
ただいつもは漠然とぼんやりとだけ考えている。
それが、今日は彼女が余りに夫を求めて来るから、それを知って感じてしまって、どうしても応えたく強く願ってしまうから、それでどうしても、はっきりと自分も嫁である彼女を求めてその事を自覚してしまう。
そんなふうにまた、彼女を言い訳にしてしまう。
堂々巡りするような躊躇いと悔恨の中間物に苛まれる。
そんな彼に、彼女は言った。
「だぁりん、わたし、そんなだぁりん感じたいよぉ……」
彼女は自分が感じる事で、夫の自分への気持ちを証明しようとするかのようだった。
彼には、それが嬉しかった。
彼女も嬉しかった。
夫になってくれた彼は、凍らせたハートのカタチを探して温めてくれる。
食べられる為にそんな事をする人間は居ない。
それくらい、彼女にだって解る、いや、カタチに敏感で、それで気持ちを伝え合う彼女らだから解る。
彼女は、今も夫が自分を捜してくれる指のカタチを感じている。
そして彼女自身はその気持ちを受けて、自分が夫を食べるだけの存在でない事を知っている。
ただ、たまに、自分で信じられなくなるだけで。
だから、彼の今の気持ちもわかる。
わかっている、つもり。
彼は、今の自分の気持ちを解ってくれようとしている。
二人は未だ蕩けず、溶け合えぬもどかしさに指も絡め合う。
彼のその指に、いつしか同じ物を求める彼女も手を添えられて、一緒に探していた。
やがて、とくん、とくん…、と柔らかに息づくように脈打つ所に気付いて、互いに重ねた指が止まる。
確かめ合って、彼女のそこを彼が爪を立てるように指で撫でると、つぅっ、と、それは綺麗に割けて開いた。
すとん、と互いの気持ちが収まる所を見つけられたようで、彼女は喜悦の色を見せる。
とろとろと愛液のようにそこから流れ出したものは、まるで本物の蜂蜜のように粘り、跨いだ下のそそり立つ男性器に垂らされると二人を繋げた、固く絡まりその腕で引き寄せるように、彼女は夫へと降りて行った。
彼も腰を浮かせてそれを迎える。
まるで産み落したかのような大きな蜜の雫は、膣が降りて来たように、彼のものを包み込んだ。
そしてそれごとそれを、彼女は体の中へと呑み込んだ。
「うっあぁっ……!」
「とけあぉ、とけあおおぉっ……!」
彼は彼女の感覚に呑み込まれる。
心臓が逸るのは、血を逆流するように彼女を感じていたからだ。
その中に浸した、感じようとする粘膜から、彼女が、一気に染み込んでくる。
感じる為に張り巡らされ絡み合って、血管の鼓動を拾う。そして血を含んで滾るその合間を差し込んで来る。
それも同じ血であるように、彼女は中を脈打たせている。
自分に差し込まれる硬く膨らませた彼の血と混ざろうとする。
まるで溶け合って血管で繋ぎ合わせるように、脆くして、感じ易い、そこから差し込まれて感じさせ、殺到されて潰れる程押し込まれた物が熱い。
痛みではない、でも痛みのように強い、痛みのような強いものを感じていた。
その束は次々と彼へと押し寄せ、血管を束ねたように熱くなる。
彼は、そこに流れ込む血潮の熱に炙られた。
思い知らされていると言っても良い。
血を持たない彼女らではあるが、その熱さは相手をできるだけ感じようと、感じる為のものが潰れるくらいに押し合って彼に寄り添おうとする、その人と変わらぬ熱さだった。
それは先までの彼と同じく、溢れても尚、彼女を感じたくて神経を震わせたかのようなその熱だ。
灼けた真綿が、露にした彼の粘膜からそのまま脊髄を伝って喉まで縛っていく。
それが彼女の夫を感じたいと言うカタチであった。
幾重にも巻き付かれて、ざわざわと自分が粘膜が毛羽立っているのを感じる。
それを彼は、抱き締められるように感じていた。
今、キスをされている。
その先端を、泡立つような無数の接吻にしゃぶられている。
しかし感じる為に剥き身に晒したそれを、そのようにされて、いじられて、彼はじっとしていられなくなっていた。
それを振り払いたいのか、それとも、もっと愛しく絡み合いたいのかが、もどかしい。
だがついには耐えかねて、彼は腰を突き動かした。
「ん……んぁつ」
「ああっぅ、んっ!」
押し込まれる彼を、受け入れる為の彼女の中のカタチが歪む。
ずっ、ずん…と、押し込まれる物に突き上げら、彼女の胸が揺れる。
心が震えたようにしてみせる。
彼はその抱擁を引っ掻くように、詰られる震えがそのまま、腰を彼女へと突いていた。
彼女は苦しげに喘いだ後に、それを味わうように笑みを浮かべる。
囚われた魚が暴れて網が重く感じるように、彼を強く感じていた。
そしてその笑みを、彼から突き上げられてその波が洗った。
彼は絡まったカタチ毎引き摺り、引き出して、そしてまた押し込んだ。
彼女は波立つ自分に溺れるように身震いした。
水が弾かれる音がする。
彼女の体が膨らむように波立った。
彼は振り払うように腰をまた動かす。
それを捉えようと、彼を包んだカタチのその編み目が、爪を立てるように絡み付いていた。でも彼は構わず引っ掻いた。
彼女は、いつもよりも、もっと感じたがっていた。
彼は激しく擦り上げるようにして、もっともっと熱くした。声を上げていた。
彼女も、彼を包むカタチの繊維の一つ一つ、それを弦のように震わせて声を上げて、でも、もまだ足りないのか、彼女は自分で自らの乳房をも揉みしだきはじめる。しかしその指は水が水に浸したように容易に混じり合ってすぐに乳房に埋もれてしまう。その掌は、自分自身のものに呑まれて、一緒くたになってしまう。
それを、異質である彼の手が鷲掴みにした。
握る程に異質を宛てられて、それは反発し合って互いを保っていた。
その軽い絶頂感に彼女は背筋を震わせた。
彼はその房を握ったまま、そこからふり降ろすように腰を、スライムの中に落とし続けた。
揺らす度にねっとりとそれは絡まった。
腹から押し上げる物が、胸を大きく揺らした。
上半身とか下半身から揺らされ、弾けるようにされた。
沈み込めた夫を感じるものを編み込んで血を通わせ、彼女は熱くして行った。
相手を感じて、霧散せずに互いの肉の間に篭るその熱に呑まれていきながら、それでも手を床に突いて、もがきながら彼女から抜け出る。
熱湯に注がれる冷や水のように、彼が抜けた所に流れ込む冷たい空気に、彼女は身を震わし、それをただ熱湯を浴びた時よりも熱く感じ、その熱さを取り戻そうと、取り戻すものを確かに感じながら、また、その彼を捉えようとする。
引きはがされたスライムはそのまま流れ落ちながら縒り集まり、触手となると追って絡み付き、彼をまた、感じる為に自分へと引き戻そうとする。
彼はそのまま、引かれるままに自分の腰を落とし、自分を叩き付けて思い知らせる。
挿されるようにされて彼女は、喉を反らすようにした。
飛び散った小さな彼女の欠片たちは飛沫になって、その水滴は弧を描いてまた彼へと絡み付く細い触手となる、あるいは夫を感じるのにまた元に戻ってその肌に波紋を広げる。
ぶるぶると夫を感じて震えていた。
男に揺らされるままに波打たせていた。
彼女はもう、形を保てないでいた。
絶え間なく自分の中に刻み込まれる彼の存在に、今の彼女を形作る意識が飛びそうになっていた。
肉に穿たれたその傷口が癒えるのも躊躇うかのように、緩慢なままにその自我によって律せられた肉体が蕩けていくのを止められないでいた。
それもまた彼女の気持ちではあったが、ただ夫から離れたくないというまた別の気持ちが、流れ出す形から新しく繋がり続けようとする形を作る。
彼女の中へ中へと踏み込むその雫から、その彼を受け入れるようにまた右脚が生まれる。
空気に触れたばかりのまだ渇きを知らないその瑞々しい肉は、水とも彼女とも付かぬものが流れるほど濡れていた。その湿りは、腿や脹ら脛を伝い、激しく揺らされて、その先の葡萄のような足の親指から、搦めた彼の腰へと滴り落ちて、濡らす。
冬の空気に触れた冷たい雫が、岩を穿つように彼の腰に響き渡った。
その反響音らしきものが、彼の腰の中やら腹の下やらを暴れ回った。
その雨だれのような響きが、少しずつ迫り上がって来る。冷たい物がまた腹の底に溜まって、その水面が喉が押すようにして、引きつけるように感じていた。
それは精である事は間違いなかった。
出る……っ。
でも堪えるように、その声を噛み殺す。
「だぁりん、いじわる、いじわるしないで……っ」
「ちが、うっ……」
それはまだ冷たくて、鉛のように重いのだ。
ならせめて、だから、もっと、自分の体温で熱くして、もっともっと、彼女の全身を温める程熱いものを……ッ。
弾ける音を立てて、二人の肉はぶつかり合っていた。
合わせる度に泡立って、沸騰するように熱くなっていく。
互いに感じ合って、その熱にうなされるように互いを呼んでいた。
彼の、その相手を捕らえた指が、彼女を破るように食い込む。
その掴んだ彼女の中のものが固く締まり、ぶるぶると震えだす。
その先が灼けるように熱く感じた。
彼は強張る手で、やっとの思いで、彼女の頭を抱き包んで撫でてやる。
そして彼女は、その硬い感触に身を委ね、一際鋭い声を上げて、きゅっと、体を搾った。
それに合わせて彼も、まるで二人が同じ器官であるかのように、自分を絞った。
ぎりぎりと中身を、出した。
先が灼けるように感じて、熱く膨らんだものを込み上げさせる。
搾り絞め上げられて細くなったその真ん中を、勢い良く熱い塊が突き抜けていった。
互いを感じ合おうと絡み合った敏感な所を駆け上がって、一つになったものを震え上がらせた。
その先でしゃぶるものを抉じ開ける。
吹き飛ばすように爆ぜて、彼の精が、彼女の中に放たれていた。
二人を隔てている薄皮を破るように精が吹き出した。
「だぁ、り、…ん、とけて、いっしょ、ああっ、あァッ、ァッ、アァァァー…」
スライムは、人のように絶頂の声を上げる。
吹き出す彼と混じり合う歓喜を、人である夫に伝える。
そしてまた彼から吹き出し猛るその勢いは、彼女を押し広げて、器官や壁の無いスライムの体を瞬く間に広がった。
「とけあえるもの、だして……しろいの……もっと……」
その他人から流れ込む温もりを、周りからそれを感じようとする流れが集まって行った。そして外側と内側とが混ざり合った。外らから自分へと注がれるそれから、気持ちを作ろうと、それと一つになろうとする。
そうして溶け合いながら渦を造った。
それに吸い込まれるように、互いに仰け反らせた体を引き戻して抱擁し合う。
そうしていく自分を感じて、彼女はその可愛らしい寝癖を立てた頭を、ふるふるとした。
肌の内側から撫でられる快感を全身に伝えていった。
深呼吸するように胸を広げてそれで、夫から精を吸い上げた。
彼女は、胸の中をその白いもので満たしていく。
この精の味と、迂闊にもその名前を知ってしまった。
あの時、彼と言うラベルを貼ってしまった途端、彼女の体は意味を為して人の姿をしていた。
おいしくて温かで、心地良く感じるそれに嫌われたくない気持ちで一杯になって行った。一杯にするために、自分を器にした。形で絞め上げられるように、自分を縛った。
その気持ちを、どうする事もできずに、そのカタチになってしまった。
人が、好き、とか、愛しているとか、そう空気を震わして言葉にするものを、彼女は口下手だから、カタチにして表現して伝えようとする、その何かになるしか無かった。
もう、この彼を好きになるしか無かった。
そして彼は、彼自身に対するそんなカタチに縛られて、そしてそんな自分に嫌われるのを怖がって震える彼女のそれを知ると、こんなふうに抱き返してくれた。
だから、このカタチになれて、良かったんだよ、だぁりん……。
彼女は恍惚に揉まれて掌が匂い立つように、誰かの為にカタチになって独りでは無くなった時を思っていた。
そのカタチは今、弾けるように広がっていた。
それは、自然に美しい花の傘のようになっていた。
だけどそれが、彼に触れた途端に、枯れるように崩れていく。
彼女と言うカタチは、朽ちるようにくしゃくしゃになりながら、夫を呑み込んでいった。
伸ばされた触手は咀嚼するように、それを獲物として捕らえる。
それは食べ物に対するカタチだった。
彼は、その中へと引きずり込まれた。
驚いて彼女を見ようとした。
だが、そうされる事には抗わなかった。
彼は、解ったふうにそんな彼女に受け入れようとした。
でも彼女は、必至になって頭を振っていた。
「ちがうの、ちがうの……」
それでも、どうにもならない衝動に駆られるように、我が身に夫を引きずり込もうとして体を揺らすのはやめなかった。
「だぁりん、おいしいの、でも、それだけじゃないの! おいしいだけじゃないの、でもおいしいの! しろいの、おいしいの、わたしと溶け合うの……でも、しろいの、おいしいだけなの! わたしの、だぁりん、それだけじゃないの! だぁりんだぁりん、だぁりん! どこ、どこ……っ!」
傍らに居るのに、傍に居て繋がって、彼女に呑まれるままで居るのに、嫁は夫を探していた。
その夫へのカタチが、見失ったように崩れていく。
ただのスライムになっていく。
その表面が揺れて滲む。まるで揺蕩っているそれが、涙に滲むように、その向こうで揺らぐ白い物がまるで迷子のように彷徨っているように見えた。
揺らぐそれを、彼女は押し戻して、くしゃくしゃにする。
カタチにできぬ、表せぬ気持ちに癇癪を起こしていた。
言い表せない気持ちが形になれなくて、彼女の中で荒ぶった。
表面に顕われたその波は高く、そして硬い。その硬さを伝えたい相手に思い知らせるように、それを彼に叩き付けていた。その飛沫は広がって、自分を撫でた彼の手を呑み込んで沈めた。
うねりがぶつかり合って、尖り立った三角波は触手となって伸び、沈み切らない彼の腕の肘を掴んだ。
「だぁりん、だぁりん、だぁりん……あぅっ、だぁりん!」
彼女は泣きじゃくるように声を上げていた。
夫と繋がったままで、彼を確かに掴んでいるのに、精を味わっても、しかしそれを信じられないように何度も何度も呼んで確かめていた。
出会って、最初に彼の名前を呼んでいた時のように震えていた。
その度に、彼女の中は沸騰するよう泡立った。
空っぽの空気を詰めたその泡の中に、自分で溺れていく。
彼にはそう見えた。
助けを求めるように触手を四方に伸ばしていった。
彼はその中心に居て、そして彼もまたその中に呑み込まれた。
その中で荒波に揉まれてるように転がされた。
彼もその中で溺れてしまいそうだった。水を呑んで、その重みで深い所に沈んでしまいそうだった。
知らない深い海の底の、冷たく重い海流に揉まれるようだった。
しかしそこは、嫁であるスライムの中なのに。
たぶん、彼女はそうしたいのだろう。彼女はそう感じているのだろう。彼女らとはそういう形になれる、そういうものなのだ。それを伝えてくるものだった。
だから、それを頭の中で小賢しく解ろうとするよりも、手を突き出すように伸ばしていた。
「俺は、すぐ傍に居るぞ…っ!」
言わずとも、既に手で触れているくらいに本当に傍らに居るのに、なのに彼は叫んでいた。
「此処だっ! 大丈夫だっ……俺が居るぞっ、お前は一人じゃない…ぞ!」
ただ、感じるままに彼女のカタチに応えようとして、海の中に孤独に投げ出された彼女を、探すように声をあげていた。
海は、彼女そのものなのに。
でもその孤独の海は、彼女の気持ちそのものなのだ。
感じる必要も無いくらい一人で、壊死するように感じてしまう孤独は、彼女の気持ちなのだから。
彼女にとっては、それが一番今欲しいのだと、その海の中で伝わって来たから、だから、彼は声を出していた。
彼女が夫である自分にいつもそうするように、たぶんそれは、彼女もして欲しいから自分にするのだと、思ったからなのかもしれない。
自分は、傍に居る事は解り切っているのに、それでも彼は、自分が傍に居る事を伝えてやりたかった。
彼は夫だから、何度も何度も全身で自分に呼びかける嫁に、何度も何度もそう言ってやった。
言いながら、掴み所の無く突起を広げた彼女を手で掬うように集めた。伸ばした触手を掻き集めて、自分の腕の中へと半ば強引に押し込んだ。
自分という言うカタチの中に、彼女を包み込んだ。
その変えられない、変わる事のできないカタチを押し付けて、今はもう一人では無く、傍らに自分が居て、夫に包まれている事を伝えた。
彼女のように、カタチで解らせた。
腕の中の物を抱き寄せて、頬を宛てた。
二、三、震わせて、その声を聞かせていた。
その懐の中に収まるようにして、やがて彼女は、一抱えの球体のスライムとなった。
それでやっと彼は、彼女を全て抱き包む事ができた。
抱え込んだ嫁に寄りかかるように身を委ねて、肌を合わせていた。
丸くなった彼女が、ぷるっ、と震えた。
「あっ…、だぁりんだ……」
この今の、自分の形が彼への気持ちそのものであるこのスライムは、
それを彼と言うカタチに抱き締められていた。
彼と言う人のカタチは、それは気持ちとは関係の無い、その形には意味の無い、変わらないただの瓶なのかもしれない。
でも、そうしたいという、そうする腕に抱き寄せられて彼女は、痺れる程に感じていた。
彼女のこの揺らぎも、彼の腕はなにもかもを抱き包んでいた。
そうされてやっと、彼女は見つけれたように呟いていた。
彼は夢から覚めるようにそう呟かれて、そしてどこもかしこも何もかもも球体かその一部となっているのに、しかしそのどことも分からない触れた所が、妙に頬のように思えて、それを擦り寄せられているような気がした。
やがて彼女と言う海は、穏やかに凪いでいった。
夫は、やっと、と溜息をついて俯けた。
「どうしたんだ?」頭と思える部分を撫でながら呟いてしまっていた。「ほんとに……どうしたんだよ」
むしろそれは、彼女を解ってやれない自分に向かって言っていたのかもしれない。
強く感情をぶつけられているのは解っていた。
自分を空っぽのようにされて、そこに流し込むように呑み下されるのも解った。また空にしても尚、入れて溢れるくらいのものが彼女が自分に対して抱えているのも解っていた。
寂しいのも、感じていた。
しかしその理由が解らなかった。
彼は結局、スライムではなかったから。
溶け合う事ができなかったから、解れないのかもしれない。
それがどうしても悔しかった。
だからさっきから彼もそして彼女も、この二人は互いに交互に、癇癪を起しているのだ。
そうして、それしかできずに、彼は変えられぬカタチで彼は嫁を抱き包んでいる。
今日は、何の特別な日なんだろうかと考えていた。
二人の何れかの誕生日でも、初めて出会った日でもないのだ。
いつもと変わりの無い、なんでもない日なのに、彼女はいつもとは違って、特別の日のように気持ちを押し付けて来た。
戸惑ってしまうばかりで、解ってやれないのが情けなく感じて、それで彼は苛立っていた。
苛立つ自分がさらに情けなくて、俯いて、自分の懐の中の嫁を見た。
彼女はまん丸のままだったが、そんな彼を慰めるように見上げているようだった。
「だぁりん、おこってる?」
「怒ってない」
「さみしがってくれる?」
「お前が寂しがるからだ!」
彼は彼女をもっと抱き締めた。
「ほんとうにどうしたんだよ、今日は……、
そんなふうにしなくても、俺はお前で一杯なんだぞ……。
ちょくちょく意地悪してしまうくらいに好きなんだよ。
それなのに……っ、じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ、とっ!
自分の気持ちを俺の中に放り込みやがって!
知ってるよ、知ってるつもりだよ、お前の気持ちくらい! だからお前が大好きなんだよ!
お前がそうしなくても、俺はお前が好きなんだよ! お前と離れている時も、お前が待つ家へ帰る雪道をスキップしてすっ転ぶくらいに大好きなんだよ!
それなのにお前は、俺の気持ちを信じてないのか!? 俺を愛していないのか!?
て、あ……」
口が過ぎた。
涙目の彼女が彼を見上げていた。
言った事もなんだが、それに彼女が応えられないものを、また押し付けるようにしてしまった。
「……ごめん」
今度もまた、彼が謝った。
「お前は、やっと俺を見つけてくれたのか、お前は……」
その泣き顔を見て、そんな言葉が彼の口から洩れた。
そして彼女の寝癖を、また確かめるように撫でていた。
彼女は、それをもっとして欲しがるように、その分だけ背を伸ばした。
気持ちのままに自分の体を押し付ける。
それはやっぱり、彼女の気持ちで、それは彼の気持ちを整形して言わせた彼女の言葉だったのかもしれない。
でも、なら、こうやって抱き締めて、そのカタチを感じて言葉を交わしているのなら、自分はそんな迷子の彼女を見つけれたのだろうか。
声を上げて彼の体というカタチが震えた。
彼女も一緒に震えれていた。
「だーりん、わたしも、すきよ……」
伝わる震えを喉に通すようそう言って、彼女は自分の言葉に首を傾げるようだった。
「そう、これが、すき?」
抱き包む彼の体に確かめるように、変わらぬカタチに寄り添った。
「そっか、すき、なんだ……」
少し嬉しそうな溜息のような囁きが聞こえた。
彼はもう一度、懐の中のスライムを見た。
その俯いて見た先に、白い物が見えた。
彼女の青の中に、そんな彼に向かって一輪の白い花が浮かんでいた。
ラッパのように花びらをひろげて、
百合だろうか。
透き通る午前の日差しに揺蕩うそれは、間違いなく花のカタチだった。
そしてそれは、夫の精なのである。
海のような彼女の中へと未だ浸して繋がった男からの迸りのままに、それは白く細い茎を伸びていた。
それは夫を感じたく思ったカタチのままに、彼女が自分の中に人の胎のように編み込んだ形をなぞってその先を爆ぜさせて花開かせた物だった。
それは深い紺色の中にはっきりと輝く白で、日差し受けてそれは半透明なそれをが透かして、きらきらと輝いていた。
「だぁりん」
きらきらと、その瞬きのような鈴の音のままに鳴らして呼んだ。
彼女はまるで初めて出会った時にするように、それを夫に捧げた。
夫のカタチに強く抱き締められて、そんな彼の気持ちにそうやって応えた。
その吹き出す精が、彼女にとって食べ物だけではなく、愛しい、人が愛してと呼ぶものと同じ気持ちとして受け取っている事を、花と言う形にした。
その自分の気持ちを信じる事ができて、彼女はやっと、それをカタチに表す事ができた。
気持ちとして受け止めた精を、自身の気持ちとして彼女は夫に手向けれていた。
「いいの、か……」
彼は少しだけ躊躇った。
「俺は、お前が好きなんだよな。
好きで、良いんだよな。
こんな事訊くのはおかしいけど、俺が感じている好きは、お前の好きと同じで、良いんだよな。違うんだろうけど、同じように感じていいんだよな……。
お前は俺を好きなんだよな、なら、同じ俺の物で答えて、良いんだな。
押し付けて、良いんだよな。
これは、好きで良いんだよな」
その言葉を聞いた彼女に、伝えられる喜びに笑顔が現れる。
まるで、同じ事に悩んでいた事を喜んでいるようだった。
温かなガラス玉のような、伝えたい気持ち一杯の彼女の笑顔と重なって見えていた。
それは自分の現したい事を、解ってもらえた事を喜んでいるような笑顔だった。
その眼差しがまっすぐと、夫である彼を見ていた。
そして彼女は、伸びをするようにまた手足を伸ばしていった。
人と接する為のカタチで、夫を抱き締めていた。
夫は、肌が押し返されるのを確かめるように、嫁を抱き返していた。
その腕の中で囁かれた。
「ねー、だぁりん。帰って来たんだよー…、」
その唇が、はにかむようにまた震えた。
「わたし、霧みたいにモヤモヤになってー…、風に吹かれてー…、流されて…、独ぼっちで、知らない遠くまで行っちゃって、とっても、寂しかった、の、でも、やっとだぁりんの所にかえって来れた……の」
形にできない、とりとめの無い言葉が溢れ出したようなそれは、彼女のあの欠片の話だ。
それっきり、彼の胸に頭を埋めてしまった彼女を見る。
ああ、そういえば、そうなのだ。
雪の中で拾い上げた彼女の一欠片は、手の中でそんなふうだった。
何かに濡れて、しかしそれは雪が溶けたものばかりじゃなくて、すこしだけ温かかった。自分は冷たくなってしまっているのに、それはありったけの温もりを伝えようとするかのように、寂しかった事を伝える涙だったのかもしれない。
夫の居ない寒空は深海の海のように冷たくて、その暗い底の重い海流のような風に流されていた。
冷たくなって雨のように地面に落ちて、小さくて見渡せぬ知らない世界ばかりで。
それは寂しかった事でもあり、でも、それでもまた夫である男に会えた喜びでもあった。
それで彼女は、本当に遠くから、自分を憶いながら帰って来たのだと、それが伝わって来た。
あれは一欠片であったのかもしれないけれど、紛れも無い彼女なのだ。
それで……、それで、か。
まるで初めて出会った時のように。
初めて想いを伝えるように、花を。
彼は、急に拗ねだした彼女を思い出していた。
強引に引き摺って、朝日を浴びれるこの寝室まで連れて来られた。どこでもなく、夫が一番自分を綺麗だと抱き締めてくれるこの場所に。
思いっ切り抱いてもらう為に、一身に求められたいから、彼女はここを選んだのだろう。
「だぁりんは、私のだいじな、はなれたくないヒト」
彼女はそう言った。
そしてまた彼女は、彼への気持ちという自分の姿を、その両腕を広げてみせた。
それは多分、御飯をくれる人という事と同義なのだと思う。
それは、普通の恋愛感情ではないのかもしれない。
夫は、嫁が自分の為に咲かせた、その百合の花をもう一度見た。
それは彼女が言い表せずにいた、今、夫から抱き包まれて、やっと作ったカタチだった。
彼はそれを、愛しの人に花を捧ぐ時の、その感情の昂りを感じていた。
その人を大事に想って、その近くに居なければ寂しい思いをして、遠くに流されれば慕いながら、再会を念いながら再び自分の元に帰って来てくれるヒトが、それを嬉しいと言ってくれる心が、普通に人や、よりヒューマノイドに近い魔物が抱くような恋愛感情と何ら変わるはずはないんだ。
彼女らの気持ちの持ち様は、結局異なる人である自分には正しくは解らないのかもしれない。
でも少なくとも彼は夫として、彼女の自分に対するものを愛情として感じて、それと同じものを嫁である彼女に抱いていた。
だから彼女の、この言葉を聞いた時、彼は自分が人間である事を悔いていたのかもしれない。
彼女のようなスライムなら、自分は彼女らのように、この彼女の言葉から受け取った気持ちをどれだけの形で表してやれるだろうか。
その嫁の言葉は、まるで温かな煮物を食べた時のように腹の底から熱くなるのを感じた。
その湯気が、喉を通った。
「おかえり……寒かったよな」
たった一言、久々に帰って来たひとを迎えるように言うのが、今更になって、やっとだった。
でも、それでも彼女は笑ってこう言うのだ。
「うん……、だから今は、とっても、あったかぁい、だぁりん、だ」
食べるにしろ、愛するにしろ、傍らに誰もいないと言う事は、凍てついて、冷たくなってしまうのと同じなんだ。
おでんが食べたくなった。彼女にも、熱々の大根を食べさせたくなった。今晩の夕食はそういう事になるだろうか。でも彼女は、食べれただろうか。
「おまえを、食べてしまいたいよ」
彼女の言葉で温かくなった自分を食べてもらいたかった。だから、自分から食べてやると言って、相手に自分の気持ちを食べてほしかった。
彼の言葉は勿論、人としては揶揄である。
それは人に対する愛ではないのかもしれないけれど、彼女が食べ物である夫の精を花にしてみせたように、それが彼女ら流の、好意の表し方なのだから。
「ん…、だぁりん、……あいして、る」
僅かに語尾に疑問符をつけた彼女は、少し不慣れに、まるで人のようにそう言った。
おあいこ、と自分と彼との言葉を見比べると、相槌を求めるように微笑まれる。
気が付けば、彼はその嫁の手を握っていた。
そこに、スライムが夫を感じたくて手を作っていた。
その掌を、応えるように彼は握り返していた。
そしてまた、二人は抱き合って一つになる。
ぷるぷると震える中で、やがて彼女の中に咲いた百合の花は、新しい精の迸りに散って行く。
あるいは、その熱さに溶かされるように、彼の気持ちを読み解くように自分の中に一緒なっていく。
まるで花火を散らすように、炭酸が弾け消えるようにして、彼女の中に無数の花を咲かせて、そして温かさを溶かしてまた、一つになって消えていった。
そして翌朝である。
相変わらずの冬である。
「あーん、だぁりぃーん、あしもと凍ったぁっ」
「だから、雪の残った石畳の所まで見送りに出て来るなと」
「だぁりん、あっためてぇー」
「だぁーっ、遅刻する!」
まぁ、それも織り込み済みの朝の時間なのであるが。
そう言ってヤカンを取りにいくその袖を、彼女は掴んで止めていた。
何を求めているのか、解っているつもりだった。というか、彼女はとても解り易い。
とっても魅力的な腕を形作ると、それを一杯に広げてみせていた。
それは色々な形になって、精一杯自分を伝えて来てくれる。自分の形を変える程にそれは、とてもとても彼女らの人への想いは深いように、人間には思えてならないのだ。
本当に彼女は、解り易く教えてくれる。
狡い、と思う。
彼女は、してほしいカタチになる。
それは余りにも素直で、解り易過ぎて、だから、頭を掻いて困った顔をしてみせるが納得してくれそうも無く、何より自分も納得できる訳も無く、しょうがなく、策にハマったような気もしない訳でも無いがあくまでしょうがなく、と自分に言い訳して、自分の腕に抱き包んでゆっくりと抱き温める。
彼もまた、彼女の腕と、そして幾つかの透明に朝日を透かす青い触手に包まれていた。
暫くして、その中で、ほっこりした声がした。
「いってらっしゃい、だぁりん」
「うん、行って来るよ」
二人は、その朝もそうして、相手の自分への気持ちを触れ合わせていた。
そうしてからバタバタと、お互いの冬の日を始めるのであった。
と、思ったら、凍って動けなくなった嫁のスライムの上に雪が積もったものだった。
言い訳をすると、昨晩帰って来た時には既に、我が家の前は札幌雪祭りであったのだ。
この家の住人は寒さが苦手なのである。
寒さの前では急性出不精なのであるから、家の前の雪は手つかずなのであって、近所の子供たちはそれをお宝の山だと勘違いしたらしい。そして、そのお宝に似合うだけ盛大に、それを執り行った訳だ。
些か歪な力作の数々のその数に呆れて、その晩はろくに数えずに家に入った。
嫁も家の中から呼んでいた事だし。
しかし、よもや半日も経たぬうちにその嫁がその列に加わっているなどと、誰が予想できようものか。後に思えば迂闊だが、雪だるまの数を数える必要性を感じたのはこれが初めてだ。
だから翌朝になってそれが一体増えていても、きっかけが無ければ気付かないし、普段なら、ある事にもさほど頓着しない。
ただこの時は、それが郵便受けの前を塞ぐようにあって、入る所に入り損ねた朝刊がその原因の上に置かれていたものだから、少しだけ考えさせられた。
さて、そんな囁かな抗議の的となったこの雪だるまを、退かすのか、それとも溶けるのかを待つか……、そんな事よりも、一緒に寝ていた筈の嫁の姿が朝起きてから見えない事の方が気になっていた。
だから彼は、目の前の雪祭りクリーチャー部門の雪だるまの事なんてお座なりにして、とりあえずその頭の上に置かれた新聞を無造作にひったくっていた。
すると、払われた雪の下から天青石のような突起が顔を出した。
何処かで見覚えのあるものだと思っていたら、嫁の寝癖ではね上がった髪だった。
抱き温めると凍傷になるので、ヤカンにお湯を入れて持って来る。
もちろん、ぬるま湯で。
さすがに熱湯は生物には毒でしかないように思えたので、(……ああ、でも、彼女"あの"スライムだしな、という根拠の貧しい物臭を嗜めて)、お風呂くらいに温ませた湯をそれにかけた。
一度ではぴくりともしないので、二、三度かけてやる。
すると凍てついたその人の形は、寝癖や指先のような細い造形の順から蕩けていった。指がしゃぶられた飴のように丸くなって、腕はそのまま温められたチョコスティックのようになった。首は項垂れて、まるで居眠りするようにうとうとと体に沈んでいく。そして最後には、水銀のような丸い水滴状になった。
そうなってから、ゆるゆると動き出した。
一度、止まる。
彼は玄関前のポーチの雪をかいて、それから扉を開いて道を作ってやる。
そうすると、また彼女はゆるゆると開けられたその道を転動しながら通り抜けた。
玄関に入ると、部屋の中の暖気に触れてスライムは一度、ぶるるっ、と嬉しそうに一度震えた。
用意したマットで、やっぱりゆるゆると体を転がすようにして泥を拭う。
そのまま居間の石油ストーブの前までくると、伸びをするようにゼリーの腕を何本も伸ばした。
表面積を増やして、たっぷりと熱を吸うとまた人のカタチを作って、今度はその人型の腕を伸ばして、今一度伸びをする。
「あふっ……、おはよー…」
「あまり近づき過ぎて、また蒸散するなよ」
挨拶代わりに彼はそう言ってやると、彼女、つまり彼の嫁であるスライムはびくりと震えて、人間の言う所の一歩くらいストーブから離れた。
以前に一度、それで痛い目に会っているのだ。
あの時は、気が付いたらストーブの前でほとんど残っていなかった。
紆余曲折の後、しょうがないから真冬の最中にクーラーを叩き起こし、ドライで部屋をカラっカラに乾かした。
そしたらその差分として、室外機の除水ホースから彼女は少しずつ出て来た。
嘘みたいな本当の話。
他のスライムがそうなのかは定かではない。
彼女らの適応力と来たら、ほとんど一個人一種くらいの個性を生み出すらしいと聞く。
他から聞いたそんな話の何処までが本当で、どれが尾ひれなのかは解らないが、とりあえず、窓中の結露が彼女になっていたのは、さすがに順応し過ぎだろう、とツッコミをいれた。
そしてそれらがじぃっと、特に男の下半身を注視しているのに気付いた彼が、
「俺の嫁は一人、あいつだけだ」
と言ってやると、室外機経由の量的に大元である"あいつ"に寄り集まって、また一人のスライムになってくれた。(そして改めて男の下半身に注視されて搾られる、閑話休題)
「なんであんな寒い所に居たんだよ」
彼が今朝の事を訊ねた。
「いたのー?」
訊ね返された。
「外で雪だるまになってたろ」
「なってたのー?」
「なってたの」
念を押す。
寒さを感じる前に彼女の色々なものも凍りついたらしい。
「ほら、ストーブに近づかない」
そう言うと、その言葉を待っていたかのように、彼女は言った本人の膝の上に移る。
胡座をかいた夫の脚をまるで鳥の巣の篭のように見立てて、彼女は餌鳥よろしくその真ん中に鎮座する。その中でぬくぬくとしながら、ぷるぷると震えて、餌を与えてくれる親鳥を見るように夫を見上げていた。
なかなかの策士である。
あのすっとぼけた様子は、どうやら孔明の罠らしかった。
「んー、あれはね、出迎えてたの」
「出迎えって? 誰を?」
「まえ、蒸発しちゃったでしょー、少しだけ家の外に漏れ出ちゃってたの」
先のストーブの時の話だ。
あの時は、相当慌ててバタバタと部屋を出入りしていたから、そうするうちに流れ出る空気に混じって彼女の一部も外に出てしまったらしい。
「ふーん、でも前の時も不思議に思ったけどな。スライムって分かれたらそのまま別個体として生きていくんじゃないんだな」
すると、ぷるぷると、彼女は首を横に振った。
「でも、だって、私の夫は、あなた一人だもの」
それはあの時、彼が結露のようになった彼女たちに言った言葉そのままだった。
つまり言い返されて言質を取られたのだが、それなのになんか、嬉しいことを言われたような気がする。
なんか、なんかというか、なんか。
形にできぬ気持ちにもどかしく感じて、とりあえず、彼女の頭を撫でる。
髪を梳くようにして、彼女の端緒に手を浸して水温を確かめるようにする。
その手を包み込んだ彼女の部分が、小魚が突くようにしていた。
もしかしたら、その内の一つが、その帰って来てくれた彼女の欠片の一つなのかもしれない。
「そっか、戻って一緒になれたんだな」
「あ、まだ外で凍ってるかもー」
「駄目だろ」
また凍ってしまわないように、彼は彼女を家に残してそれを探した。
すると彼女の欠片は、すぐに見つかった。
雪だるまになっていた彼女が居てできた新雪の窪みの縁に、それは埋もれていた。
雪雲の退いた日差しを受けて、雪壁の中でキラキラと輝いて居場所を教えてくれていた。
状況から察するに、どうも出迎えに出た筈の本体が先に凍って戻れなかったっぽい。
そして、こちらも凍ったっぽい。
考えて見れば酷い話で、そうでなければ間抜けな話である。
拾い上げると、それは水色のガラス玉みたいだった。
凍てついたその硬い瞬きを、掌に包んだ。
「いいナー、掌であっためられて、いいナー」
「お前はもうちょっと反省しろ」
温められた欠片は、やがて掌の上をころころと転がった。
「ほれ」
人肌まで温めると、それをそっと彼女に返してやる。
ちゃぷん、と波紋を肌に広げてそれは帰って行った。
彼女は、ブルっ、と震えた。
そして震え上がったその余りで、頬を膨らませた。
「拗ねるなよ」
自分よりほんのりと温かくなった自分自身でもある雫に、彼女は嫉妬しているようでもあった。
でも、違うのだと、拗ねている訳じゃないと意地になったように彼女は、ふるぷると震えて、細かな突起を出す。
それは人で言うと鳥肌のようにも見えたが、やがて壊れた洗濯機のようにごとごとと体を揺らしだすと、それはあからさまな刺となり、一気に成長して触手になって彼の腰と脚に絡み付いた。
「ちょ、こらっ!」
そのまま引っ張られ彼は尻餅をつかされて、転がされた下半身を呑み込まれる。
彼女はそのまま夫を包み込むように丸くなると、そのままずるずるころころと転動しながら居間を出る。
彼のパーツのうち、出来の悪いたこ焼きの具が如くはみ出した手足と頭は、しかし彼女に頓着される事は無かった。
容赦なく擦られ、ぶつけられ、後頭部から煙が出そうな勢いで引き摺り連れ出される。
「こらっ、まて! お前、夫の頭が禿げたらどうしてく……、ッ」
ごん!
ウルサイと言わんばかりに、後頭部をぶつけられた。
それは扉の仕切りであったのは余談として、取り敢えず彼は静かになった。
考えても見れば、スライムに頭髪と言う概念は無かった。
そしてタンコブとか、それで気絶と言う概念も多分無い。
概念が無いので配慮もされない、逆に言えば、故にそのような仕打ちは発想の段階から無く、これは不慮の事故であり、勿論"ウルサイ"呼ばわりはされている訳ではないので彼の心が傷つく必要は無いのだが、頭が焦げ臭くなっていく錯覚の前では、それはほんの気休めであった。
彼は暫くして目を覚ました。
それでまず見えたのは、ほのかに明るい天井だった。
仰向けにされているのだから当然として、目に見えるそれは記憶に新しい光景だった。
そこは、朝日に向かって窓のある二人の寝室のはずだ。
まだ高くない午前の日差しが差し込んで、部屋のフローリングや白い壁紙の照り返しの光にその中は満ちていた。冬日の柔らかな拡散光が、天井の陰りにもほのかな明るさを灯している。
今朝目覚めた時のように、腕の中の彼女を抱き寄せようとして、そして同じ天井を見ながら今日は一人で目覚めた事を思い出す。
……とりあえず、頭髪は無事らしい。
彼女を探して頭を振った時、それは後頭部と床との間に挟まれて、じゃりじゃりと感じられた。
そして彼女はベッドの上に座り込んで、一段高いそこから、夫が目覚めるのを待っていた。
後頭部まで透き通った瞳でじぃっと見詰められて、明らかに強請られている。
彼はと言うと、仰向けになってその片足をベッドの上に引っ掛けていた。まるでそこからずり落ちたような、確かめれば確かめる程、間抜けな姿である。
どうやら彼女は、夫が気絶しているうちにベッドの上に引っ張り上げるのに失敗したようだった。
「やれやれ、自分も温めてほしい、と?」
そう訊ねられると、彼女は頷いた。
振り回された水のように揺らぐ自分の髪に、まるで寝癖が気になるかように右手でそこを押えた。
そしてそれを手で押えたまま、後はまた、じぃぃーっ、と夫はまた見詰められっぱなしとなった。
「かわいらしいな」
そう言って誤摩化しても駄目だった。
つまり、ストーブとの併用は駄目だったという事だ。
やはり拗ねているようだった。あの欠片のように、どうしても人肌で温めてもらいたいらしい。
今すぐに。
夜まで待つつもりなど、スライムの辞書にはこれっぽっちも書いてないのである。
頭を掻いて起き上がると、彼女の視線も追ってそれを見上げた。
寝癖を押える彼女の手に代わって、彼は櫛のようにした指を浸すようにその髪を、髪であると彼女が見せている形に指を浸して梳いてやる。
そのまま髪を分けて、見上げてくるおでこにキスをする。
「ああ、わかっているよ」
真っ白なシーツの上にちょんと座った彼女は、海の中に居るような青に包まれていた。
窓から差し込む午前中の透き通った冬日が彼女を透かして、海のような青い光の陰を、その純白の上に落としていた。
さっきおデコにキスをした波紋が、淡く揺らぐのが見えた。
夫は、そんなとても綺麗な嫁の姿がとても好きだった。
「俺の誕生日はまだ先だぞ」
まるで自分を贈り物のようにする彼女に、そう言って、彼もベットに上がる。
男の体重を乗せたクッションが沈んで揺れた。
一緒になって、彼女は嬉しそうに体を揺らした。
してほしければ、いや、したければ、好きな所ですれば良いのに、と。
家にいる時、彼はそれをあまり怒らないし、彼女はいつもそうなのだ。
それでも今の彼女は、夫が自分の事を一番好きだと言ってくれる場所を選んだ。
そんな彼女を見て、やはりそれは自分への贈り物なのだろうかと彼は思った。
股間が冷たかった。
気が付けば、パンツの中に嫁の触手が潜り込んでいた。
強引にスボン毎、夫のパンツをずり降ろそうと苦労していた。
そしてボタンとチャックの連合軍に敗北して、困った顔で見上げられた。
「お前さんの誕生日もまだだろう……」
ちなみにベルトもまだ外してない。
確かに彼はそのつもりだったが、誕生日プレゼントを前渡しするように強請られたような気がして、自分が勘違いしていたのだと思ってしまう自分が居て、どうしても溜息が出てしまう。
自分を誤摩化すのに、失敗してしまっていた。
自分とは異なるものと一緒に居ると言う事は、いつもそういう事であり……、
それに今朝はまだ、彼女は凍ってたのだから、何も食べてはいないのだ。
彼女らスライムにとっての一番の食べ物は、夫なのである。夫の吐き出す子種を喰らって、彼女らは腹を満たすのである。
その行為は、例え抱き合って愛し合っているように見えても、でもそれは基本、人間の感覚で言う所の、食事、なのである。
つまり、三食必要なのである。
ついでに昼寝も付けば御の字なのである。
それは彼女と暮らしているのならいつもの事で、なんでもない日常で、本当に特別でもなんでもない事だから、だから彼はいつものように、彼女を透かして海の色に染まった朝の光の中に横たわった。
ちゃんと、意地悪もせずにボタンもチャックも、そしてベルトも外して。
すると、微笑んだ海が覆い被さるようにして、スライムは夫へと身を投げ出した。
衣服の隙間から、嬉しそうに彼女が流れ込んでくる。
それを抱こうと伸ばした彼の腕は、水に浸すように彼女の中へとすり抜けていく。
そのまま胸も顔も、腕も脚も、頭から爪先まで呑み込んで、今度ははみ出さずに、大きく膨らした球体になった彼女に呑み込まれる。
夏の海に落ちたようだった。
冷たいけれど何処か、生気を感じさせる生温かな気配で全身を包まれて、その中に沈んでいく。そんな錯覚に陥っていた。
でも、怖くはなかった。
声がしていた。
「だぁりん…、だぁりぃん…」
自分を呼ぶ声と共に、自分を包み込むものが揺らいでいた。まるで手で揉んで確かめるかのような少しくすぐったい感触があって、彼はそれに身を委ねて泳ぐようにしていた。
「そんな声を聞いていると、出会った時を思い出すな……て、聞いてるか、おい」
多分聞いていない。
嫁は子犬のようになって、そして夫をまるで餌を入れた玩具のようにいじり倒している真っ最中なのである。夫を呼ぶ声は、じゃあれ合うのが嬉しくて鳴いているその声なのである。
まったく、そのあたりは会った時から変わらないのかもしれない。
ある日、彼はスライムと出会った。
つまり、後のこの嫁であるが。
それで言われたのだ。
「おなかすいた……」
以上。
「おなかすいたの……」
大事な事なので二度言われました。
そしてそれだけ。
それまでとも言う。
この世の格言「エンカウントすれば嫁」の前には、取り敢えずそれ以外は何も要らないのである。
スライムの彼女らほどあの格言を、歪曲するほど力強く純粋で単純で、そして端的に体現する存在は無いように思えた。
人の姿すらとっていない形の定まらない彼女に、こんなふうに沈められてその体内に浸された。そしてその中で、あるだけの精を搾られていた。
出くわして早々それである。相思の恋愛感情もあるはずもない。
彼にはどうにもできず、精だけを食べさせて、ただやり過ごすつもりであった。
しかし、そんな中で定期券を見つけられてしまった。
獲物を弄る触手の一本が、何かの拍子にポケットの中を引っ掛けたのだ。
それが滑り落ちると、彼女は瞳を現して、その上に印字された記号を見ていた。それを理解しようとし始めた。
行き先やら乗る駅やら、運賃やら、ICチップの個別番号やら、持っている本人ですら理解不能な記号も、それらは彼の名前も含めて、空腹に駆られてスライムからすれば、それこそ只の記号で終わる筈のものだった。
でも彼女は、その中の一つが今まさに精を貪っている男の個体名だと知ると、それをゆっくりと、そして何度も何度も声に出して口にし始めた。
唇を作って、通した喉を震わせて、見下ろす彼に声を、まるで何かが芽吹くのを期待するかのように、小さな如雨露でするように注いだ。
彼はまるで、その名前は彼女には機能する必要が無いのに、なのに、自分の名前を呼ばれているようにそれを聞いていた。
咀嚼し反芻するように名前を呼ばれながら、精を搾られていた。
やがてその声が、恋していくように甘くなるのを、彼もその声を口の中に含んだように感じていた。
実際彼は、スライムの御飯なのである。
噛みしめられて、唾液と混じって甘みが増していく白米飯のように、ついには自分もその域に達したものだと半ば冗談めかして、そう意味での観念もした。
でもその声は本当に甘く、それを自分に向けらて悪い気はしなかった。正直、心地良かった。
そして自分を浸した水のような彼女が、それと共に温んでいくのも感じていた。
しかしその温かな微温湯であるのに、彼女は震えてもいた。
彼女は捕食者だから、あんなふうに怖れる必要など無かったのに。
その怖れのようにも感じられる感情が染み込んで来ていた。
震える温もりとなって、自分にとっての大事なものを表す言葉のようにして、たどたどしくもまるで唄うように口ずさみながら、最後は人の姿をした彼女に抱き寄せられていたのだと思う。
「俺は、只の飯だろう……?」
弄られた感触が残る少し苛立った声で言うと、しかし彼女は必死になって頭を横に振っていた。
違わない。でも、別の何かを見出してもいる。
と言いたげに。
だから、
「あなた、おいしいの……」
その一言は蛇足だと思った。
しかし彼女からすれば、彼は勘違いをしているらしかった。
「だから、俺はおいしい御飯なんだろ」
「そぉ、だけど……」
少し違うらしい。
よくよく考えれば同じ御飯でも、美味しいかどうかは話が別である。
そういう事なのかと念を押すと、そうには違いないが、そう言うふうに言って欲しくない、もうほんの少し違うらしいと、そんな素振りを見せた。
なかなか相手に理解されていない自分に、彼女のその顔が泣きそうになっていた。
でもそんな涙に訴える顔も、それは人ではないのだから、作り物なのではある。
不定形生物であるスライムが人のように振る舞うのは、言うまでもなく彼女ら本来の形ではなく、作り物なのだ。
ぷるふると震える頭も、人を抱き締める為のその腕も、人に抱き返してもらう為の人の姿も、こんな、気持ちを解ってもらいたくて泣く顔も、それは全て本来なら彼女らにとって必要の無い、作った物でしかないなのだ。
だから、それら全て、自分に向けられたカタチだと彼は気付いた。
ただ精を求めるだけなら最初にしたように、触手を絡めて呑み込んでしまえば、それはそれで腹は満たせられるのだから。
しかしその時の彼は、人の姿を形作った彼女に抱かれていた。
彼女は、人が、愛しい人にするように、腕の中に彼をそっと抱えて、その男に視線を零していた。その瞳も、柔らかく抱き包む腕も、腕の中の彼の為なのである。
つまり、人の姿をとると言う事が、彼女らにとって純粋な愛情表現である事を、彼は理解してしまった。
その帰結に至った事を自覚した時、ついに彼女の魔力に頭まで犯されたのか、と彼は思った。
それが人のような愛情を発露させる為でなるなどと……そんなふうに考えてしまうなんて、魔物に魅了されて勘違いしたいだけなのかもしれない……とんだ思い込みだ。
でも、それでも構わなかった。
あの時の彼女の、自分にとっての只一つのものを見詰めるような、そんな表情が今でも忘れられない。
だから彼には、彼女に食欲の他に自分に伝えたい気持ちがあるのだと解っていたし、人はそのように自分に伝えようとされる気持ちに、応えたくなる性分を持ち合わせている。少なくとも彼はそのような人種であった。
自分の為のカタチになった彼女を、彼は好きになるしかなかった。
そんな彼女が自分の為に形作る気持ちは、本当に温かくて甘くて、それは自分だけに向けられていて、そんな彼女に食べられるようにされるなら、それはそれで良いのかもしれない、と思った。
あの時に、もうこのスライムを愛するしかないのだと思ってしまった。
そんなふうに思ってしまったが最後……。
それっきり懐かれて、どんな兵器レベルの発酵菌を使ったのか瞬時に縁も腐れて納豆みたいに粘っこい糸まで引いてあまつさえ絡まったように、なんだかんだと離れずに、今は嫁と呼び彼女の夫として一緒に居る。
そして結局、自分自身が御飯ではなく、自分は御飯兼、御飯をくれる人に昇格しただけらしいと気付くに至り、それでもそれに納得だけすると、後はやはり観念したように状況の継続を端的に認めてしまった。
つまり、それだけで、何をするでもなかった。
だからこうして、今もこんなふうに、白いシーツの上に落とされた真っ青な陰のその中で、覆い被さるスライムに彼は呑み込まれるままでいる。
人のように愛されているのだと、スライムである彼女からも同じようにそう想われているのだと、思おうとしていたのかもしれない。
彼は、その中を探していた。
スライムは自分の形には頓着しないから、素直にして欲しいカタチになる。
そうして欲しいから、夫をこんなふうに呑み込んで丸くなっているに違いなかった。
解ってやるっているつもりだ。
応えるように、包まれた彼女から撫で返されるのも感じていた。
だからその中を、手でそっと撫でるように泳がせて、体の中を触って探していた。
その指先が、冷たいものに触れる。
彼女が、ぷるっ、と硬く震えた。
彼がそれを手にすると、それは氷の塊の様だった。
「これを、温めてほしいんだよな?」
「うん、だぁりんに温めてもらうために、残しておいたのー…」
やっぱり、まだ、拗ねているのだろうか。
多分これは、彼女が言うように凍った時の残りではない。
彼女はストーブの前で充分に温まっていた。
彼は胡座の中で包んでやって、彼女の体が微温湯のようになるのをちゃんと感じていたし、少し熱そうに息を、はふっ、はふっ、と頬を膨らすようにするのを聞いていた。
今、手に触れているのは、たぶん今さっきくらいに自分で凍らせたものなんだろう。
そして、夫が自分を一番綺麗だと言う時間と場所を選んで、その日差しを透かして見せながら誘った。
それを、夫に触ってもらおうとした。
彼が手で触れたのは丁度、胸の辺りだろうか。
それはハートの形をしていた。
なるほど、微温湯やストーブでは駄目な訳だ。
彼は、その小さな冷たい塊を掌で頬に寄せて抱いた。
「だぁりん、あったかぁい……」
スライムがぷるぷると震えていた。
なにをそんなに、寂しがっているのだろうか。
そうして欲しい、その原因の冷たさを溶かしてやりながら、彼はそう思っていた。
解ってやっているつもりだ。それは、凍り付いた時とはまるで違う震え方なのだ。
それでも、震えている事しか解らなかったからその時は、ただもっと温めてやろうとだけ思った。
「だぁりぃん……」
不意に、砂浜に打ち上げられたように、彼女から洗われて彼の肌が空気に触れる。
今まで自分を包んでいたものが吸い上げられるようにして、彼女は水柱になって立ち上がった。
孤島での逢瀬を果たすように、包んで海のように広がる自分から彼へと、水を滴らせて上がる。
「だぁりん、もっと、さわってほしいの」
人の女性の姿で、両腕を広げられる。
彼は誘われるままに起き上がって、そんな彼女を抱いた。
寂しく海を一人泳ぎ渡って来たかのような冷たい体を、彼は腕を絡めて迎える。そして暖かみを与えるようにキスをする。
彼女のカタチに応えてそれが望むままに、自分の温もりが彼女へと染むようにした。
「もっと、もっと、わたしのカタチ、さわって、ほしい、の……」
そうされる形を、そこに染む人の温もりに蕩かせて、それをもっともっと欲しがるように、抱き締めてほしいと言うその形で体を擦り合わす。
その彼女の肌が、まるで雪のようだった。
ざらざらとして、そして静かだった。
彼女から肌を震わせて流れ込む気持ちは、感じる事も、感じてもらえる事も、そんな相手を見失って独りで居るかのようだった。
一人でない事を、探すようだった。
寂しく探している事を彼に、夫に知ってもらいたくて、形にして、肌をざわつかせて、彼の肌を励起させて感じさせていた。
それを知ってしまったら、彼は尚の事、それに応えたくなる。
抱き締めて肌から跳ね返って来る感触に、相手に抱かれる事を互いに強くしていた。
彼はその形を確かめるように、抱いて腰に回したその手を広げて、柔らかに埋めながらその桃尻を掌で感じた。指先でその割れ目に触れながら、軽く揉むようにした。
その指を窄めながらそのまま背中を駆け上がって、肩甲骨の逆さ三角形の頂点に触れる。
彼女は肌は水を貼ったように濡れていて、彼の指に先走って波紋を広げた。
シーツに映るその影が、綺麗な線を描いて流れていた。
指に引っかかった肩甲骨の角を掻いて、その手は肩を握っていた。
握った中にも確かな骨格を感じると、それを拠り所に彼は、彼女を押し倒した。
そのまま覆い被さる。
彼女の作られた骨格が、その重みに抗った。
合わせた互いに肌が弾け合うようにして、彼は彼女へと溶け込まずに居た。
そうやって、相手を感じ続けた。
ただその中で、彼の体温だけが重さを伴っているかのように、彼女の中へと肌を透かして沈んでいく。
それが五月雨であるように、彼女の肌をざわめかせる。
不意の通り雨が、氷の粒のようになった雪肌を溶かすように、細かく穿って音を鳴らした。彼女のカタチが作るその震えは、溶けて無数に弾ける跳ね返りのように彼の肌も突いた。
痛むようなそんな音から逃れるかのように、雨音で埋め尽くされた彼女の肌の上を、彼の指は追われるように走っていた。
鳥の翼のように心臓から広げた肋に爪を引っかけて、羽の筋が道しるべとなる。
本来はある筈の無い骨の稜線に導かれるままに誘われて、やがて瑞々しい滴りがその指と爪の上に落ちた。
潤いをよく含んで、滴るままに垂れる下乳の端の重みが覆い被さってくる。
彼の掌の中に収まった彼女の乳房は、水のように透き通るようだった。
光も、そして手に滴る重みも、沈めた指先で掬おうとすると流れて、その間から落ちていく。そんな錯覚すら覚えながらその手は沈んで、また彼女に包まれたように感じている。
彼はそれを、まるで水を含むように、それを口にした。
それを渇きを癒すように飲み干そうとした。
彼は、自分が渇いていることに気付いた。
「だぁりん、あつくなって…る」
「俺、熱くなってるのか?」
そう訊ね返して、言葉と共に吐く息が荒く熱くなっている事に、彼は初めて自分で気付いた。
ひんやりとした彼女が、その火照らせた肌に頬を寄せる。
「……んっ」
彼女は頷くと、覆い被さってくる彼の体へと跳ね返すように、そこにある彼の肌に自分の体を押し宛てた。
水のようなその体の中に、キラキラとケーキに振りまいた銀の砂糖粒を浮かべる。
「あつい……」
それは、彼女を感じようとする熱さだった。
血をたぎらせてあるだけの酸素を送り込み、心臓でグラグラと揺らした熱とともに、肉体が寝惚けて鈍くなっている神経を叩き起こそうとしていた。
「お前を感じたいんだ。どこか、お前が遠くに感じる。すぐ傍に居て、体を押し宛てているのに、まるで感じなくなるような気がする。だから、こんなにも血が逸ってる」
彼は、自分の感じているそれが、彼女の気持ちでもあるという自覚があった。
ただそれにも増して、掠れていく感覚に、失せたものを取り戻そうと飢えていた。
ざらざらと彼女の肌を弾く雨音が、耳を覆い尽くしていた。
肌も何もかも痺れていくように、何も感じられなくなっていく。
孤独を、渇きと感じていた。
彼女は、その渇きを与えるようであった。
彼の肌からの温もりが雨のように降り注いで、より自分の感じている孤独を強くしているようであった。
彼は、誰かを呼び叫ぶ声のような熱を放っていた。
そんな熱に炙られて彼女は、笑ったような気がした。
「なら、もっと……」
そして求める物を感じ取ったように強請る。
冷たさが、彼のその熱さを捕まえる腕を伸ばしてきて、彼はそれを握って捕まえた。
「ああ、もっと、だ……っ」
全身で擦り付けて、彼女の薄い皮膚を口に含んで、舐め溶かすように舌で引っ掻いた。
シーツに押さえ付けて、その皮膚を破るような強さで愛撫していた。
そんな唇を、彼女の指がなぞって、その渇きを濡らすようした。
彼は、冷たい潤いをやっと感じられると、熱さを吐き出すように口を開ける。
熱にうなされる者に水を与えるように、彼女は指をその口に流し込んだ。
舌に触れる冷たさで、彼はより渇きを感じた、
それを、しゃぶった。
その伝わる先の中で、海が揺れていた。
彼女が、喘ぐように泡立った。
愛撫する口の中で炭酸が弾ける音がする。
強く抱き締めるとその腕の中で一瞬沸騰するように泡が、羽搏く。
舞い上がるその水鳥の群れに、彼の肌は揉まれた。その啼き声のようなざわめきと、羽音のような無数の気泡が弾ける音に掻き消されるように、更に彼の感覚は痺れていく。
渇きに苛まれるままに、彼は掌の中の残る瑞々しい冷たさを捥いだ。
頭を振って啼く彼女を、強く揉みしだいた。
それは薄皮の向こうにあるのに、掌に当たっている乳首の硬さが、溶け合う邪魔をしていた。
僅かなら指は入るのに拒まれている。カタチに阻まれている。
だから、その裏から突くように人差し指を潜り込ませる。
親指と挟んむように摘んで、雪を溶かすように指の上で揉んだ。
勿論それは溶ける筈も無く、彼は彼女と溶け合えぬ事を苛立って、その先を、緒のように噛み切ろうと、でも、思い留まるように甘く噛んだ。
それでもその歯の間から吐息で逃がす衝動が、柔らかな膨らみがその度に波紋を広げていた。
滴るほどに張った乳房を搾るような掌から、果汁が滴るように彼女が染み込んで来る。
体内に流れ込んで、それを吸う自分が寂しげに満たされぬのを感じ続けている。
彼女で満たされれば、その自分の渇きが癒されるのだと思っていた。
これは彼女の気持ちでもあるのだから、彼女だってそれを望んでいる筈だ。
彼は、抱き締めて揺らぐ水のような彼女の胸の向こうに、自分たちの影を見ていた。
透き通った彼女の中で光は散って、その淡い拡散光となった彼女の影は、彼の真っ黒な影をほんの少しだけ照らして、まるで光と影が溶け合っているように見えていた。
影はそうであるのに、でも自分たちはそうで無い。
それを隔てているのが皮膚だ。
しかし彼は確かに彼女のそのカタチを感じていた。
隔てられるから、相手を感じられる。
だが、それで深く交われぬ事が切なかった。
彼はまるでスライムになってしまったようであった。
彼女の気持ちのカタチが、彼の中にあった。
スライム……あるいは、彼女と言うものはそうなのだ。
人の気持ちというのは、人の中にあるのだとしても外に対するものだ。だから、自分だけでは作れない。内側だけで完結しない。外からの刺激で想起する。嬉しいのも悲しいのも不愉快なのも、愛したり、そしてそれを美味しそうだと思うのも、そしてそれを人恋しく感じるのも、全ては外から触れられて感じるものだ。
彼への気持ちをカタチをしてそれを触らせて、彼の心の中にそれを励起させる。
一緒に感じて欲しくて、彼の中を自分で満たす事で、解ってもらおうとする。
でも人は、気持ちそのものを肌で触れる事には慣れてはいないから、熱っぽい自分の皮膚の内側を、有る筈の無い異質に舐められたようにそれを感じた。
彼女より熱い自分の体温が、空であるのに揺れるのだ。
息をして肺を動かすだけでも温かな血潮と混じり合い、体の内側を温度差で撫でられるのを感じる。不安定に揺らぎながら体の中を掻き回される。肉体の動揺は、そのまま彼の心を揺らがしていた。
揺らぎながら溶け合おうとして、叶わずに、彼の中にある彼女と言うカタチは溶け合う為に、溢れようとその溶け合えぬ彼の形を破ろうとしていた。
鼓動を打つ心臓が、体の内側を転がり回るようだった。暴れるそれを、異物として吐き出そうと、出口を求めるように全身に嘔吐感のような悪寒が走り、震え上がる。それでも彼はスライムの夫としてそれに慣れているつもりだった。でも、それでも今日の彼女は昂っていて、それを感じ過ぎてしまって、つい、
「うっ、ぁ…ッ」
ぴしゃ……っ。
漏らしてしまう。
声を上げて、何もない所へ射精する。
彼女のカタチが、肌を透かし通って自分の中に滴り落ちて溜まる、そんな彼女の気持ちに押し出されるように、自分の気持ちを出してしまう。
彼と言うカタチの殻を破って、
ぴしゃっ、しァゃっ、しゃっ、ちゅしゃっ、ちゃっ、ちゅ…、ちゃっ…、ちっ…、ち…、ち…
白い飛沫が、肌と言うには余りにも柔らかな彼女の境界に、幾つかの波紋を広げた。
その度に、彼は詰まるような息を吐いた。
知らぬうちに彼の中に溜まっていた、彼女の感じているものと同じ冷たいその重みが、彼と言う薄皮の底を破って、出てしまっていた。
まだ女の中に無いのに、どう扱って良いのか解らない揺らぐ中身を、ぶちまけていた。
吹き出した白いものを、彼女の胸から腹にかけていた。
止められない、止まるものではない。それでも、力んで絞り止めようとしても、強張らせた体の中でただ一つ開いた穴のように、ただ勢い良く吹き出すだけだった。
その度に、情けない声を上げる。
単色に塗りつぶされた渇いた感覚の中で、ただ上顎を舐めて匂うような、そんな精液特有の塩っぱい生臭さだけが彼の鼻を突いた。
されて、荒い息をしながら、嬉しそうにする彼女を見ていた。
彼は、してしまった通りの、罰の悪い情けない顔をしていたのだろう。
くすくすと、
彼女に笑われてしまっていた。
「だぁりんの、あじ」
ぺろっ、と舌で唇を舐めるようにされる。
その白は、ゆっくりと重みで沈んでいくように、彼女の青の中に溶けていった。
そして彼女は、ぶるるっと震えた。
また寒さに撫でられたようにする。
「だぁりん、もっと感じたいよぉ……」
熱い迸りを受けて、自分の冷たさをより自覚してしまったかのように、更にその温もりを求めた。
彼へと腕を伸ばして、彼はその手を背中に迎えた。
「俺も感じたいよ」
彼は笑われて、それで少し不貞腐れたように言い返していた。
彼女はその言葉のままを真に受けた。
「だぁ、りん…わたしも、よ」
もう一度、そう言う。
その声を聞いてると、彼は自分の苛立など忘れてしまいそうになる。
実際それは、子供の寝小便くらいの羞恥だ。まるで初めての射精をどうして良いか解らずに途方に暮れてしまうかのような、そんな不甲斐なさ、その姿を彼女に見られた事も、彼女の感情に溺れるように精を漏らしてしまう事も、それを美味しそうに食べられる事も、それは、人にとっては恥ずかしくて違和感があっても、自分らにとっては些細な事だ。
「まってて、いま、もっと感じるとこつくってるから」
受け取った気持ちを吐き出した分だけ、彼女はまた自分で満たそうとして来る。
その柔らかな淡い膨らみが下腹部に現れる。
男に求められて応えるかのように膨らんだ恥丘が、合わせるべき彼の股間を押した。
彼は未だしてしまって空っぽであるから、空の中身を自分で満たそうと、その為に男と繋がろうと、そのカタチを作った。
自分を捕まえた彼女の指が、まるで人肌に炙られた氷のように溶け広がっていく。それは網のように広がって、網の目の中に捕らえるように肉や肌が食い込んでいた。
彼も、また溶け合えぬものに溺れながら、その息苦しさを感じていた。
「でもこの気持ちは、お前のだ……」
彼は思わず、声に出してしまった。
まるで自分が感じるように、彼女のカタチが伝えて来るそれは、しかし彼女の気持ちでしかない。
彼女と言うカタチから生まれる気持ちが、彼の気持ちを満たしていた。
そして彼はまるで彼女のようになる。
しかしそれは、彼が、彼女に対して感じた気持ちではなくて、それは彼女自身の気持ちだった。
彼の心にあるのは、彼女のカタチそのものだった。
それは彼の気持ちでは無かった。
彼は、そこに自分がいない事に苛立っていた。
あの、止まらない迸りが、まるで自分の物ではないのかと思うと。
こうまでされるのが、愛情からなのか、はたまた精と言うご馳走が欲しいだけの食欲なのか、自分の気持ちを押し流す程の彼女の気持ちを推し量れないでいた。
空の器であるように無いものと扱われて、有りっ丈を注がれて、まるで何も自分に感じない食事のようにされるのが、いやだった。
愛されていると、そう思おうとしているのに、まるで何も自分に感じない食事のようにされるのが、いやだった。
形を変えられない彼は、声に出してしまっていた。
彼女はその声に、目を細めた。
そのように顔を作った。
わからないふりをするようだった。
「まって、て……、つくってる、か、ら……」
でも、彼女はカタチに聡いから、合わせた肌の、人には感じられない細かな震えるようなカタチを拾って、それらをみんなわかっているようだった。
彼女はさっきから、自分のお腹の下の辺りに靴下を編むように形を作っていた。
でも、巧く行ってない様子だった。
何度も何度も、毛糸を編むようにしてそれを解いていた。
夫をどう受けていいのか迷って、カタチにできずにいた。
解ってもらいたくて、でもそれをどうしたら良いのか解らなくて、その為のカタチを作り倦ねていた。
感じる事も、感じてもらえる事も、そんな相手を見失って独りで居るかのようだった。
彼は、彼女のカタチを抱き締めて解っているつもりだった。
それが解っていても、彼は言ってしまっていた。
「ごめん……」
彼は、意地悪を言った自覚があった。
彼女は、しゅん……と、顔とか、寝癖とか、彼女の上を向いていた形の尽くが、さっきからずっと俯いているのだ。
それが意地悪だと、彼女が傷ついてくれるのを、期待してしまっていた。
彼は今触れている彼女のカタチ自身がへの気持ちである事を知っていて、彼女だけでは起こりえないカタチだと知っていて、それが本当に自分へのカタチなのかを確かめてしまっていた。
その彼女の細い首筋からうなじへ、その撫で肩へと指を滑らせて、彼は自分の言葉に望むように傷ついたそれを癒すように、いまさら手を添えて、撫でていた。
その肌は彼の体温を浴びて、ざわっ、ざわっ、と、湿った風が葦の彼は葉を凪いで、その風に押されて駆ける雲の塊から落ちる通り雨が、彼女の肌に氷を溶かすような雨音をまた立てていた。
自分と肌を合わせている者から降り注ぐのが、それは静かで誰もいないような雪ではない事を、それが夫からの体温を雨のように浴びるその音である事を、だからそれを、まるで傘に転がる雨だれが耳一杯に広がるのが嬉しくて、それをそのまま伝えたかっただけなのだ。
「ごめん……ごめんな……」
でも、彼だって知って欲しい。
耳を痺れさせる程のその雨音で、囁き続ける彼女への自分の声が掻き消されて届かないのは、やっぱりいやなのだ。
彼は、彼女になりたい訳ではないし、彼女に、何かをしたかった、してあげたかった。
でも水は、自分が溶けて溺れ行く水を感じる事ができないから。
みんな同じになって、誰もが誰でもなくなって、誰もいなくなって、自分ばかりになって、そこには誰への気持ちも無くなって、水平線のようにただ真っ平らになっていく。
彼はさっきまで、それに溺れていたのである。
感じるように、渇いてなどいなかった。
ただ、渇くように何も感じられなくなって、まるで自分の気持ちが壊死したようになっていった。
あの凍らせたハートのような、冷たくて重く溜まるばかりの中に沈んで、一緒になって溶けていく。
それを抱き温めようとする自分が消えて、その彼女を探す彼の信号も消えて、冷たく寂しがる彼女もまた冷たいままに独りのままになってしまう。
そう想ってしまうのを、彼は自分の独り善がりな事と思って、もう一度謝っていた。
彼女の唇が、不思議を形作る。
「ごめん…、な、ね……?」
彼女は彼の言葉を自分の口の中で転がした。
どこか上の空で、なにかを探しているような素振りだった。
暫くして、
「………ん」
と、彼女はそれに、小さく答えた。
「どうしたんだよ」
今度は彼が訊ねた。
今日の彼女はいつもより夫を強く感じたがっていた。その強い気持ちを知ってもらいたくて、押し付けて溺れさせる程、夫に自分を感じてもらいたがっていた。
「……ん」
彼女は俯いて、一度黙りこくっていた。
暫くして、
「おいしかった、よ」
彼女はやっと、ぽつりと言って答えた。
「なのに、怒ってる?」
彼は、自分が少し渋い顔をしている事に気付いた。
その頬の形に触れながら、彼女は必死にぷるぷると首を横に振っていた。
「ちがうの」
まるで精欲しさに夫を溢れさせた……。
彼女はそう思われたくなかった。
スライムだって、好きになった人からは嫌われたくはない。
でもその言葉の後になって、彼女はそれも拒むように頭をまたぷるぷると振った。
「ちがうののちがうの……、ちがうのはちがうの」
最初に言った、ちがうの、を改訂する。
「それでもわたし、だぁりんが、ほしいの……だぁりん、おいしいの」
嘘じゃない、彼女は夫の精が欲しい。
大好きで美味しい夫を自分で一杯にして、それに押し出されるように溢れた精が、それが彼の自分への気持ちだと彼女は思っていた。
だから彼女は、彼への気持ちをカタチをしてそれを触らせて、それで沸き起こる迸りを、食べた。
おいしかった。
でも、それだけ、としか感じられない。
「でも、それとも、ちがうの」
自分の感じる「だいすき」が、人の言う「好き」と違うような気がした。
だから彼女は、自信の無い小さな形で、やっと聞こえる小さな声で呟いていた。
それだけじゃないの、と彼女は言いたかったのに、言えなかった。
彼女と言うスライムは、美味しいという物忘れ用メモ書きを貼った、そんなガラス容器に色々なものを詰めてできている。
彼女は自分のその中身を分離できない。
彼女はまだ、最初に会ったあの日から、食べる事と、人が言葉にするそれとを分けれないでいた。しかしそれを人は別に考えるから、彼女はそれを分けて考えようとした。でも、分けれなかった。
「だぁりん、わからないよ……」
体の中で、彼を受け入れようとする気持ちが、糸くずのように丸くなってしまった。
彼女は、こんがらがってしまった。
彼はそれを見ていた。
まるでさっきまでの自分を見るようで、解ってしまっていた。
また、解ったように感じてしまっていた。
「まだ、お腹は、減ってるよ、な?」
「………、ん」
彼は知っていて、また、意地悪を言ってしまう。
彼女は寂しそうにしたが、でも応えられて少し嬉しそうでもあった。
今度は彼のカタチが、少し躊躇いながら、両腕を広げる。
「おいで」
「うん」
もしかしたら、諦めたのかもしれない、と思ってしまう時がある。
彼女の、冬の外気を呑み込んだようなひんやりとした肌を、人肌とは異なると感じながら、彼はそんな事を考えていた。
彼女を愛するのを。彼女は人ではないから、人のように愛してもしょうがないと思っているのかもしれない。だから、好きになるしか無いと思っても、心の何処かで諦めているのかもしれない。
そもそも彼は、意地悪を言ったが、よくよく考えても、意地悪を言うような事くらいしかできないでいたのだ。
まだ冷たいままのその体を、彼は腕を絡めて迎える。そして暖かみを与えるようにキスをする。
それしかできない、絡めた舌が何度も「ごめんね」と、互いに言い合っているようだった。
そう言って、彼女は僅かに精を含んだ夫の唾液を摂取した。
互いの口腔を貪る舌の形を、相手の頬の肉越しに指で感じて、彼はその指を、彼女の臍の下へと滑り落とす。
そこは夫を誘って受け入れる為に淡く膨らんでいた。それでいて心地の良い乳房とは違って、少し躊躇って固くして、糸くずのようなカタチを内包したその恥丘を、彼は探るように指で撫でていた。
「だぁりん、わたしのキモチ、さがしてくれるの?」
彼は声にして答えれなかった。
指先のその奥で、糸がこんがらがるようになった自分へのカタチを、まるで自分の彼女への感情をほぐすようにしていた。
彼女はスライムだから。
彼女の体の何処にも、意味は無い。
スライムには器官が無いのだ。
でも彼にとって彼女だから、そこに意味ができた。
彼女は、そこに相手と繋がろうとするカタチを作ってくれた。
だから彼は、彼女を人のように愛せないのだと、諦めようとしている自分が情けなくて、それでも愛せるものを彼女のカタチの中から見つけようとした。
彼女は不意に沸き起こるものに声を上げて、彼はその声色で位置を探った。
彼は、自分が探しているのが彼女の気持ちではなく、彼女への自分への気持ちではないのかと思った。
彼はいつも探すように悩んでいる。
今日が特別という訳じゃあない。
ただいつもは漠然とぼんやりとだけ考えている。
それが、今日は彼女が余りに夫を求めて来るから、それを知って感じてしまって、どうしても応えたく強く願ってしまうから、それでどうしても、はっきりと自分も嫁である彼女を求めてその事を自覚してしまう。
そんなふうにまた、彼女を言い訳にしてしまう。
堂々巡りするような躊躇いと悔恨の中間物に苛まれる。
そんな彼に、彼女は言った。
「だぁりん、わたし、そんなだぁりん感じたいよぉ……」
彼女は自分が感じる事で、夫の自分への気持ちを証明しようとするかのようだった。
彼には、それが嬉しかった。
彼女も嬉しかった。
夫になってくれた彼は、凍らせたハートのカタチを探して温めてくれる。
食べられる為にそんな事をする人間は居ない。
それくらい、彼女にだって解る、いや、カタチに敏感で、それで気持ちを伝え合う彼女らだから解る。
彼女は、今も夫が自分を捜してくれる指のカタチを感じている。
そして彼女自身はその気持ちを受けて、自分が夫を食べるだけの存在でない事を知っている。
ただ、たまに、自分で信じられなくなるだけで。
だから、彼の今の気持ちもわかる。
わかっている、つもり。
彼は、今の自分の気持ちを解ってくれようとしている。
二人は未だ蕩けず、溶け合えぬもどかしさに指も絡め合う。
彼のその指に、いつしか同じ物を求める彼女も手を添えられて、一緒に探していた。
やがて、とくん、とくん…、と柔らかに息づくように脈打つ所に気付いて、互いに重ねた指が止まる。
確かめ合って、彼女のそこを彼が爪を立てるように指で撫でると、つぅっ、と、それは綺麗に割けて開いた。
すとん、と互いの気持ちが収まる所を見つけられたようで、彼女は喜悦の色を見せる。
とろとろと愛液のようにそこから流れ出したものは、まるで本物の蜂蜜のように粘り、跨いだ下のそそり立つ男性器に垂らされると二人を繋げた、固く絡まりその腕で引き寄せるように、彼女は夫へと降りて行った。
彼も腰を浮かせてそれを迎える。
まるで産み落したかのような大きな蜜の雫は、膣が降りて来たように、彼のものを包み込んだ。
そしてそれごとそれを、彼女は体の中へと呑み込んだ。
「うっあぁっ……!」
「とけあぉ、とけあおおぉっ……!」
彼は彼女の感覚に呑み込まれる。
心臓が逸るのは、血を逆流するように彼女を感じていたからだ。
その中に浸した、感じようとする粘膜から、彼女が、一気に染み込んでくる。
感じる為に張り巡らされ絡み合って、血管の鼓動を拾う。そして血を含んで滾るその合間を差し込んで来る。
それも同じ血であるように、彼女は中を脈打たせている。
自分に差し込まれる硬く膨らませた彼の血と混ざろうとする。
まるで溶け合って血管で繋ぎ合わせるように、脆くして、感じ易い、そこから差し込まれて感じさせ、殺到されて潰れる程押し込まれた物が熱い。
痛みではない、でも痛みのように強い、痛みのような強いものを感じていた。
その束は次々と彼へと押し寄せ、血管を束ねたように熱くなる。
彼は、そこに流れ込む血潮の熱に炙られた。
思い知らされていると言っても良い。
血を持たない彼女らではあるが、その熱さは相手をできるだけ感じようと、感じる為のものが潰れるくらいに押し合って彼に寄り添おうとする、その人と変わらぬ熱さだった。
それは先までの彼と同じく、溢れても尚、彼女を感じたくて神経を震わせたかのようなその熱だ。
灼けた真綿が、露にした彼の粘膜からそのまま脊髄を伝って喉まで縛っていく。
それが彼女の夫を感じたいと言うカタチであった。
幾重にも巻き付かれて、ざわざわと自分が粘膜が毛羽立っているのを感じる。
それを彼は、抱き締められるように感じていた。
今、キスをされている。
その先端を、泡立つような無数の接吻にしゃぶられている。
しかし感じる為に剥き身に晒したそれを、そのようにされて、いじられて、彼はじっとしていられなくなっていた。
それを振り払いたいのか、それとも、もっと愛しく絡み合いたいのかが、もどかしい。
だがついには耐えかねて、彼は腰を突き動かした。
「ん……んぁつ」
「ああっぅ、んっ!」
押し込まれる彼を、受け入れる為の彼女の中のカタチが歪む。
ずっ、ずん…と、押し込まれる物に突き上げら、彼女の胸が揺れる。
心が震えたようにしてみせる。
彼はその抱擁を引っ掻くように、詰られる震えがそのまま、腰を彼女へと突いていた。
彼女は苦しげに喘いだ後に、それを味わうように笑みを浮かべる。
囚われた魚が暴れて網が重く感じるように、彼を強く感じていた。
そしてその笑みを、彼から突き上げられてその波が洗った。
彼は絡まったカタチ毎引き摺り、引き出して、そしてまた押し込んだ。
彼女は波立つ自分に溺れるように身震いした。
水が弾かれる音がする。
彼女の体が膨らむように波立った。
彼は振り払うように腰をまた動かす。
それを捉えようと、彼を包んだカタチのその編み目が、爪を立てるように絡み付いていた。でも彼は構わず引っ掻いた。
彼女は、いつもよりも、もっと感じたがっていた。
彼は激しく擦り上げるようにして、もっともっと熱くした。声を上げていた。
彼女も、彼を包むカタチの繊維の一つ一つ、それを弦のように震わせて声を上げて、でも、もまだ足りないのか、彼女は自分で自らの乳房をも揉みしだきはじめる。しかしその指は水が水に浸したように容易に混じり合ってすぐに乳房に埋もれてしまう。その掌は、自分自身のものに呑まれて、一緒くたになってしまう。
それを、異質である彼の手が鷲掴みにした。
握る程に異質を宛てられて、それは反発し合って互いを保っていた。
その軽い絶頂感に彼女は背筋を震わせた。
彼はその房を握ったまま、そこからふり降ろすように腰を、スライムの中に落とし続けた。
揺らす度にねっとりとそれは絡まった。
腹から押し上げる物が、胸を大きく揺らした。
上半身とか下半身から揺らされ、弾けるようにされた。
沈み込めた夫を感じるものを編み込んで血を通わせ、彼女は熱くして行った。
相手を感じて、霧散せずに互いの肉の間に篭るその熱に呑まれていきながら、それでも手を床に突いて、もがきながら彼女から抜け出る。
熱湯に注がれる冷や水のように、彼が抜けた所に流れ込む冷たい空気に、彼女は身を震わし、それをただ熱湯を浴びた時よりも熱く感じ、その熱さを取り戻そうと、取り戻すものを確かに感じながら、また、その彼を捉えようとする。
引きはがされたスライムはそのまま流れ落ちながら縒り集まり、触手となると追って絡み付き、彼をまた、感じる為に自分へと引き戻そうとする。
彼はそのまま、引かれるままに自分の腰を落とし、自分を叩き付けて思い知らせる。
挿されるようにされて彼女は、喉を反らすようにした。
飛び散った小さな彼女の欠片たちは飛沫になって、その水滴は弧を描いてまた彼へと絡み付く細い触手となる、あるいは夫を感じるのにまた元に戻ってその肌に波紋を広げる。
ぶるぶると夫を感じて震えていた。
男に揺らされるままに波打たせていた。
彼女はもう、形を保てないでいた。
絶え間なく自分の中に刻み込まれる彼の存在に、今の彼女を形作る意識が飛びそうになっていた。
肉に穿たれたその傷口が癒えるのも躊躇うかのように、緩慢なままにその自我によって律せられた肉体が蕩けていくのを止められないでいた。
それもまた彼女の気持ちではあったが、ただ夫から離れたくないというまた別の気持ちが、流れ出す形から新しく繋がり続けようとする形を作る。
彼女の中へ中へと踏み込むその雫から、その彼を受け入れるようにまた右脚が生まれる。
空気に触れたばかりのまだ渇きを知らないその瑞々しい肉は、水とも彼女とも付かぬものが流れるほど濡れていた。その湿りは、腿や脹ら脛を伝い、激しく揺らされて、その先の葡萄のような足の親指から、搦めた彼の腰へと滴り落ちて、濡らす。
冬の空気に触れた冷たい雫が、岩を穿つように彼の腰に響き渡った。
その反響音らしきものが、彼の腰の中やら腹の下やらを暴れ回った。
その雨だれのような響きが、少しずつ迫り上がって来る。冷たい物がまた腹の底に溜まって、その水面が喉が押すようにして、引きつけるように感じていた。
それは精である事は間違いなかった。
出る……っ。
でも堪えるように、その声を噛み殺す。
「だぁりん、いじわる、いじわるしないで……っ」
「ちが、うっ……」
それはまだ冷たくて、鉛のように重いのだ。
ならせめて、だから、もっと、自分の体温で熱くして、もっともっと、彼女の全身を温める程熱いものを……ッ。
弾ける音を立てて、二人の肉はぶつかり合っていた。
合わせる度に泡立って、沸騰するように熱くなっていく。
互いに感じ合って、その熱にうなされるように互いを呼んでいた。
彼の、その相手を捕らえた指が、彼女を破るように食い込む。
その掴んだ彼女の中のものが固く締まり、ぶるぶると震えだす。
その先が灼けるように熱く感じた。
彼は強張る手で、やっとの思いで、彼女の頭を抱き包んで撫でてやる。
そして彼女は、その硬い感触に身を委ね、一際鋭い声を上げて、きゅっと、体を搾った。
それに合わせて彼も、まるで二人が同じ器官であるかのように、自分を絞った。
ぎりぎりと中身を、出した。
先が灼けるように感じて、熱く膨らんだものを込み上げさせる。
搾り絞め上げられて細くなったその真ん中を、勢い良く熱い塊が突き抜けていった。
互いを感じ合おうと絡み合った敏感な所を駆け上がって、一つになったものを震え上がらせた。
その先でしゃぶるものを抉じ開ける。
吹き飛ばすように爆ぜて、彼の精が、彼女の中に放たれていた。
二人を隔てている薄皮を破るように精が吹き出した。
「だぁ、り、…ん、とけて、いっしょ、ああっ、あァッ、ァッ、アァァァー…」
スライムは、人のように絶頂の声を上げる。
吹き出す彼と混じり合う歓喜を、人である夫に伝える。
そしてまた彼から吹き出し猛るその勢いは、彼女を押し広げて、器官や壁の無いスライムの体を瞬く間に広がった。
「とけあえるもの、だして……しろいの……もっと……」
その他人から流れ込む温もりを、周りからそれを感じようとする流れが集まって行った。そして外側と内側とが混ざり合った。外らから自分へと注がれるそれから、気持ちを作ろうと、それと一つになろうとする。
そうして溶け合いながら渦を造った。
それに吸い込まれるように、互いに仰け反らせた体を引き戻して抱擁し合う。
そうしていく自分を感じて、彼女はその可愛らしい寝癖を立てた頭を、ふるふるとした。
肌の内側から撫でられる快感を全身に伝えていった。
深呼吸するように胸を広げてそれで、夫から精を吸い上げた。
彼女は、胸の中をその白いもので満たしていく。
この精の味と、迂闊にもその名前を知ってしまった。
あの時、彼と言うラベルを貼ってしまった途端、彼女の体は意味を為して人の姿をしていた。
おいしくて温かで、心地良く感じるそれに嫌われたくない気持ちで一杯になって行った。一杯にするために、自分を器にした。形で絞め上げられるように、自分を縛った。
その気持ちを、どうする事もできずに、そのカタチになってしまった。
人が、好き、とか、愛しているとか、そう空気を震わして言葉にするものを、彼女は口下手だから、カタチにして表現して伝えようとする、その何かになるしか無かった。
もう、この彼を好きになるしか無かった。
そして彼は、彼自身に対するそんなカタチに縛られて、そしてそんな自分に嫌われるのを怖がって震える彼女のそれを知ると、こんなふうに抱き返してくれた。
だから、このカタチになれて、良かったんだよ、だぁりん……。
彼女は恍惚に揉まれて掌が匂い立つように、誰かの為にカタチになって独りでは無くなった時を思っていた。
そのカタチは今、弾けるように広がっていた。
それは、自然に美しい花の傘のようになっていた。
だけどそれが、彼に触れた途端に、枯れるように崩れていく。
彼女と言うカタチは、朽ちるようにくしゃくしゃになりながら、夫を呑み込んでいった。
伸ばされた触手は咀嚼するように、それを獲物として捕らえる。
それは食べ物に対するカタチだった。
彼は、その中へと引きずり込まれた。
驚いて彼女を見ようとした。
だが、そうされる事には抗わなかった。
彼は、解ったふうにそんな彼女に受け入れようとした。
でも彼女は、必至になって頭を振っていた。
「ちがうの、ちがうの……」
それでも、どうにもならない衝動に駆られるように、我が身に夫を引きずり込もうとして体を揺らすのはやめなかった。
「だぁりん、おいしいの、でも、それだけじゃないの! おいしいだけじゃないの、でもおいしいの! しろいの、おいしいの、わたしと溶け合うの……でも、しろいの、おいしいだけなの! わたしの、だぁりん、それだけじゃないの! だぁりんだぁりん、だぁりん! どこ、どこ……っ!」
傍らに居るのに、傍に居て繋がって、彼女に呑まれるままで居るのに、嫁は夫を探していた。
その夫へのカタチが、見失ったように崩れていく。
ただのスライムになっていく。
その表面が揺れて滲む。まるで揺蕩っているそれが、涙に滲むように、その向こうで揺らぐ白い物がまるで迷子のように彷徨っているように見えた。
揺らぐそれを、彼女は押し戻して、くしゃくしゃにする。
カタチにできぬ、表せぬ気持ちに癇癪を起こしていた。
言い表せない気持ちが形になれなくて、彼女の中で荒ぶった。
表面に顕われたその波は高く、そして硬い。その硬さを伝えたい相手に思い知らせるように、それを彼に叩き付けていた。その飛沫は広がって、自分を撫でた彼の手を呑み込んで沈めた。
うねりがぶつかり合って、尖り立った三角波は触手となって伸び、沈み切らない彼の腕の肘を掴んだ。
「だぁりん、だぁりん、だぁりん……あぅっ、だぁりん!」
彼女は泣きじゃくるように声を上げていた。
夫と繋がったままで、彼を確かに掴んでいるのに、精を味わっても、しかしそれを信じられないように何度も何度も呼んで確かめていた。
出会って、最初に彼の名前を呼んでいた時のように震えていた。
その度に、彼女の中は沸騰するよう泡立った。
空っぽの空気を詰めたその泡の中に、自分で溺れていく。
彼にはそう見えた。
助けを求めるように触手を四方に伸ばしていった。
彼はその中心に居て、そして彼もまたその中に呑み込まれた。
その中で荒波に揉まれてるように転がされた。
彼もその中で溺れてしまいそうだった。水を呑んで、その重みで深い所に沈んでしまいそうだった。
知らない深い海の底の、冷たく重い海流に揉まれるようだった。
しかしそこは、嫁であるスライムの中なのに。
たぶん、彼女はそうしたいのだろう。彼女はそう感じているのだろう。彼女らとはそういう形になれる、そういうものなのだ。それを伝えてくるものだった。
だから、それを頭の中で小賢しく解ろうとするよりも、手を突き出すように伸ばしていた。
「俺は、すぐ傍に居るぞ…っ!」
言わずとも、既に手で触れているくらいに本当に傍らに居るのに、なのに彼は叫んでいた。
「此処だっ! 大丈夫だっ……俺が居るぞっ、お前は一人じゃない…ぞ!」
ただ、感じるままに彼女のカタチに応えようとして、海の中に孤独に投げ出された彼女を、探すように声をあげていた。
海は、彼女そのものなのに。
でもその孤独の海は、彼女の気持ちそのものなのだ。
感じる必要も無いくらい一人で、壊死するように感じてしまう孤独は、彼女の気持ちなのだから。
彼女にとっては、それが一番今欲しいのだと、その海の中で伝わって来たから、だから、彼は声を出していた。
彼女が夫である自分にいつもそうするように、たぶんそれは、彼女もして欲しいから自分にするのだと、思ったからなのかもしれない。
自分は、傍に居る事は解り切っているのに、それでも彼は、自分が傍に居る事を伝えてやりたかった。
彼は夫だから、何度も何度も全身で自分に呼びかける嫁に、何度も何度もそう言ってやった。
言いながら、掴み所の無く突起を広げた彼女を手で掬うように集めた。伸ばした触手を掻き集めて、自分の腕の中へと半ば強引に押し込んだ。
自分という言うカタチの中に、彼女を包み込んだ。
その変えられない、変わる事のできないカタチを押し付けて、今はもう一人では無く、傍らに自分が居て、夫に包まれている事を伝えた。
彼女のように、カタチで解らせた。
腕の中の物を抱き寄せて、頬を宛てた。
二、三、震わせて、その声を聞かせていた。
その懐の中に収まるようにして、やがて彼女は、一抱えの球体のスライムとなった。
それでやっと彼は、彼女を全て抱き包む事ができた。
抱え込んだ嫁に寄りかかるように身を委ねて、肌を合わせていた。
丸くなった彼女が、ぷるっ、と震えた。
「あっ…、だぁりんだ……」
この今の、自分の形が彼への気持ちそのものであるこのスライムは、
それを彼と言うカタチに抱き締められていた。
彼と言う人のカタチは、それは気持ちとは関係の無い、その形には意味の無い、変わらないただの瓶なのかもしれない。
でも、そうしたいという、そうする腕に抱き寄せられて彼女は、痺れる程に感じていた。
彼女のこの揺らぎも、彼の腕はなにもかもを抱き包んでいた。
そうされてやっと、彼女は見つけれたように呟いていた。
彼は夢から覚めるようにそう呟かれて、そしてどこもかしこも何もかもも球体かその一部となっているのに、しかしそのどことも分からない触れた所が、妙に頬のように思えて、それを擦り寄せられているような気がした。
やがて彼女と言う海は、穏やかに凪いでいった。
夫は、やっと、と溜息をついて俯けた。
「どうしたんだ?」頭と思える部分を撫でながら呟いてしまっていた。「ほんとに……どうしたんだよ」
むしろそれは、彼女を解ってやれない自分に向かって言っていたのかもしれない。
強く感情をぶつけられているのは解っていた。
自分を空っぽのようにされて、そこに流し込むように呑み下されるのも解った。また空にしても尚、入れて溢れるくらいのものが彼女が自分に対して抱えているのも解っていた。
寂しいのも、感じていた。
しかしその理由が解らなかった。
彼は結局、スライムではなかったから。
溶け合う事ができなかったから、解れないのかもしれない。
それがどうしても悔しかった。
だからさっきから彼もそして彼女も、この二人は互いに交互に、癇癪を起しているのだ。
そうして、それしかできずに、彼は変えられぬカタチで彼は嫁を抱き包んでいる。
今日は、何の特別な日なんだろうかと考えていた。
二人の何れかの誕生日でも、初めて出会った日でもないのだ。
いつもと変わりの無い、なんでもない日なのに、彼女はいつもとは違って、特別の日のように気持ちを押し付けて来た。
戸惑ってしまうばかりで、解ってやれないのが情けなく感じて、それで彼は苛立っていた。
苛立つ自分がさらに情けなくて、俯いて、自分の懐の中の嫁を見た。
彼女はまん丸のままだったが、そんな彼を慰めるように見上げているようだった。
「だぁりん、おこってる?」
「怒ってない」
「さみしがってくれる?」
「お前が寂しがるからだ!」
彼は彼女をもっと抱き締めた。
「ほんとうにどうしたんだよ、今日は……、
そんなふうにしなくても、俺はお前で一杯なんだぞ……。
ちょくちょく意地悪してしまうくらいに好きなんだよ。
それなのに……っ、じゃぶじゃぶ、じゃぶじゃぶ、とっ!
自分の気持ちを俺の中に放り込みやがって!
知ってるよ、知ってるつもりだよ、お前の気持ちくらい! だからお前が大好きなんだよ!
お前がそうしなくても、俺はお前が好きなんだよ! お前と離れている時も、お前が待つ家へ帰る雪道をスキップしてすっ転ぶくらいに大好きなんだよ!
それなのにお前は、俺の気持ちを信じてないのか!? 俺を愛していないのか!?
て、あ……」
口が過ぎた。
涙目の彼女が彼を見上げていた。
言った事もなんだが、それに彼女が応えられないものを、また押し付けるようにしてしまった。
「……ごめん」
今度もまた、彼が謝った。
「お前は、やっと俺を見つけてくれたのか、お前は……」
その泣き顔を見て、そんな言葉が彼の口から洩れた。
そして彼女の寝癖を、また確かめるように撫でていた。
彼女は、それをもっとして欲しがるように、その分だけ背を伸ばした。
気持ちのままに自分の体を押し付ける。
それはやっぱり、彼女の気持ちで、それは彼の気持ちを整形して言わせた彼女の言葉だったのかもしれない。
でも、なら、こうやって抱き締めて、そのカタチを感じて言葉を交わしているのなら、自分はそんな迷子の彼女を見つけれたのだろうか。
声を上げて彼の体というカタチが震えた。
彼女も一緒に震えれていた。
「だーりん、わたしも、すきよ……」
伝わる震えを喉に通すようそう言って、彼女は自分の言葉に首を傾げるようだった。
「そう、これが、すき?」
抱き包む彼の体に確かめるように、変わらぬカタチに寄り添った。
「そっか、すき、なんだ……」
少し嬉しそうな溜息のような囁きが聞こえた。
彼はもう一度、懐の中のスライムを見た。
その俯いて見た先に、白い物が見えた。
彼女の青の中に、そんな彼に向かって一輪の白い花が浮かんでいた。
ラッパのように花びらをひろげて、
百合だろうか。
透き通る午前の日差しに揺蕩うそれは、間違いなく花のカタチだった。
そしてそれは、夫の精なのである。
海のような彼女の中へと未だ浸して繋がった男からの迸りのままに、それは白く細い茎を伸びていた。
それは夫を感じたく思ったカタチのままに、彼女が自分の中に人の胎のように編み込んだ形をなぞってその先を爆ぜさせて花開かせた物だった。
それは深い紺色の中にはっきりと輝く白で、日差し受けてそれは半透明なそれをが透かして、きらきらと輝いていた。
「だぁりん」
きらきらと、その瞬きのような鈴の音のままに鳴らして呼んだ。
彼女はまるで初めて出会った時にするように、それを夫に捧げた。
夫のカタチに強く抱き締められて、そんな彼の気持ちにそうやって応えた。
その吹き出す精が、彼女にとって食べ物だけではなく、愛しい、人が愛してと呼ぶものと同じ気持ちとして受け取っている事を、花と言う形にした。
その自分の気持ちを信じる事ができて、彼女はやっと、それをカタチに表す事ができた。
気持ちとして受け止めた精を、自身の気持ちとして彼女は夫に手向けれていた。
「いいの、か……」
彼は少しだけ躊躇った。
「俺は、お前が好きなんだよな。
好きで、良いんだよな。
こんな事訊くのはおかしいけど、俺が感じている好きは、お前の好きと同じで、良いんだよな。違うんだろうけど、同じように感じていいんだよな……。
お前は俺を好きなんだよな、なら、同じ俺の物で答えて、良いんだな。
押し付けて、良いんだよな。
これは、好きで良いんだよな」
その言葉を聞いた彼女に、伝えられる喜びに笑顔が現れる。
まるで、同じ事に悩んでいた事を喜んでいるようだった。
温かなガラス玉のような、伝えたい気持ち一杯の彼女の笑顔と重なって見えていた。
それは自分の現したい事を、解ってもらえた事を喜んでいるような笑顔だった。
その眼差しがまっすぐと、夫である彼を見ていた。
そして彼女は、伸びをするようにまた手足を伸ばしていった。
人と接する為のカタチで、夫を抱き締めていた。
夫は、肌が押し返されるのを確かめるように、嫁を抱き返していた。
その腕の中で囁かれた。
「ねー、だぁりん。帰って来たんだよー…、」
その唇が、はにかむようにまた震えた。
「わたし、霧みたいにモヤモヤになってー…、風に吹かれてー…、流されて…、独ぼっちで、知らない遠くまで行っちゃって、とっても、寂しかった、の、でも、やっとだぁりんの所にかえって来れた……の」
形にできない、とりとめの無い言葉が溢れ出したようなそれは、彼女のあの欠片の話だ。
それっきり、彼の胸に頭を埋めてしまった彼女を見る。
ああ、そういえば、そうなのだ。
雪の中で拾い上げた彼女の一欠片は、手の中でそんなふうだった。
何かに濡れて、しかしそれは雪が溶けたものばかりじゃなくて、すこしだけ温かかった。自分は冷たくなってしまっているのに、それはありったけの温もりを伝えようとするかのように、寂しかった事を伝える涙だったのかもしれない。
夫の居ない寒空は深海の海のように冷たくて、その暗い底の重い海流のような風に流されていた。
冷たくなって雨のように地面に落ちて、小さくて見渡せぬ知らない世界ばかりで。
それは寂しかった事でもあり、でも、それでもまた夫である男に会えた喜びでもあった。
それで彼女は、本当に遠くから、自分を憶いながら帰って来たのだと、それが伝わって来た。
あれは一欠片であったのかもしれないけれど、紛れも無い彼女なのだ。
それで……、それで、か。
まるで初めて出会った時のように。
初めて想いを伝えるように、花を。
彼は、急に拗ねだした彼女を思い出していた。
強引に引き摺って、朝日を浴びれるこの寝室まで連れて来られた。どこでもなく、夫が一番自分を綺麗だと抱き締めてくれるこの場所に。
思いっ切り抱いてもらう為に、一身に求められたいから、彼女はここを選んだのだろう。
「だぁりんは、私のだいじな、はなれたくないヒト」
彼女はそう言った。
そしてまた彼女は、彼への気持ちという自分の姿を、その両腕を広げてみせた。
それは多分、御飯をくれる人という事と同義なのだと思う。
それは、普通の恋愛感情ではないのかもしれない。
夫は、嫁が自分の為に咲かせた、その百合の花をもう一度見た。
それは彼女が言い表せずにいた、今、夫から抱き包まれて、やっと作ったカタチだった。
彼はそれを、愛しの人に花を捧ぐ時の、その感情の昂りを感じていた。
その人を大事に想って、その近くに居なければ寂しい思いをして、遠くに流されれば慕いながら、再会を念いながら再び自分の元に帰って来てくれるヒトが、それを嬉しいと言ってくれる心が、普通に人や、よりヒューマノイドに近い魔物が抱くような恋愛感情と何ら変わるはずはないんだ。
彼女らの気持ちの持ち様は、結局異なる人である自分には正しくは解らないのかもしれない。
でも少なくとも彼は夫として、彼女の自分に対するものを愛情として感じて、それと同じものを嫁である彼女に抱いていた。
だから彼女の、この言葉を聞いた時、彼は自分が人間である事を悔いていたのかもしれない。
彼女のようなスライムなら、自分は彼女らのように、この彼女の言葉から受け取った気持ちをどれだけの形で表してやれるだろうか。
その嫁の言葉は、まるで温かな煮物を食べた時のように腹の底から熱くなるのを感じた。
その湯気が、喉を通った。
「おかえり……寒かったよな」
たった一言、久々に帰って来たひとを迎えるように言うのが、今更になって、やっとだった。
でも、それでも彼女は笑ってこう言うのだ。
「うん……、だから今は、とっても、あったかぁい、だぁりん、だ」
食べるにしろ、愛するにしろ、傍らに誰もいないと言う事は、凍てついて、冷たくなってしまうのと同じなんだ。
おでんが食べたくなった。彼女にも、熱々の大根を食べさせたくなった。今晩の夕食はそういう事になるだろうか。でも彼女は、食べれただろうか。
「おまえを、食べてしまいたいよ」
彼女の言葉で温かくなった自分を食べてもらいたかった。だから、自分から食べてやると言って、相手に自分の気持ちを食べてほしかった。
彼の言葉は勿論、人としては揶揄である。
それは人に対する愛ではないのかもしれないけれど、彼女が食べ物である夫の精を花にしてみせたように、それが彼女ら流の、好意の表し方なのだから。
「ん…、だぁりん、……あいして、る」
僅かに語尾に疑問符をつけた彼女は、少し不慣れに、まるで人のようにそう言った。
おあいこ、と自分と彼との言葉を見比べると、相槌を求めるように微笑まれる。
気が付けば、彼はその嫁の手を握っていた。
そこに、スライムが夫を感じたくて手を作っていた。
その掌を、応えるように彼は握り返していた。
そしてまた、二人は抱き合って一つになる。
ぷるぷると震える中で、やがて彼女の中に咲いた百合の花は、新しい精の迸りに散って行く。
あるいは、その熱さに溶かされるように、彼の気持ちを読み解くように自分の中に一緒なっていく。
まるで花火を散らすように、炭酸が弾け消えるようにして、彼女の中に無数の花を咲かせて、そして温かさを溶かしてまた、一つになって消えていった。
そして翌朝である。
相変わらずの冬である。
「あーん、だぁりぃーん、あしもと凍ったぁっ」
「だから、雪の残った石畳の所まで見送りに出て来るなと」
「だぁりん、あっためてぇー」
「だぁーっ、遅刻する!」
まぁ、それも織り込み済みの朝の時間なのであるが。
そう言ってヤカンを取りにいくその袖を、彼女は掴んで止めていた。
何を求めているのか、解っているつもりだった。というか、彼女はとても解り易い。
とっても魅力的な腕を形作ると、それを一杯に広げてみせていた。
それは色々な形になって、精一杯自分を伝えて来てくれる。自分の形を変える程にそれは、とてもとても彼女らの人への想いは深いように、人間には思えてならないのだ。
本当に彼女は、解り易く教えてくれる。
狡い、と思う。
彼女は、してほしいカタチになる。
それは余りにも素直で、解り易過ぎて、だから、頭を掻いて困った顔をしてみせるが納得してくれそうも無く、何より自分も納得できる訳も無く、しょうがなく、策にハマったような気もしない訳でも無いがあくまでしょうがなく、と自分に言い訳して、自分の腕に抱き包んでゆっくりと抱き温める。
彼もまた、彼女の腕と、そして幾つかの透明に朝日を透かす青い触手に包まれていた。
暫くして、その中で、ほっこりした声がした。
「いってらっしゃい、だぁりん」
「うん、行って来るよ」
二人は、その朝もそうして、相手の自分への気持ちを触れ合わせていた。
そうしてからバタバタと、お互いの冬の日を始めるのであった。
12/05/15 22:40更新 / 雑食ハイエナ