連載小説
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It is a story to name in Doppelganger
彼女に振られた。
理由は至極シンプルだ。

「他に好きな人が出来た」

それだけを一方的に告げられた。
何とか直接彼女と話そうとコンタクトを取ろうとしたが、にべもなく断られ2人の恋人関係は終わった。

失恋によるメンタルダメージはそう簡単に抜けず、俺はそれから三日間何もする気力が起きなかった。
仕事も休んで、ひたすらに惰眠を貪っていると来客を告げるインターホンが鳴り響く。
居留守を決め込もうとベッドのシーツを頭から被って、音を遮断しようとする。
何度も、何度も鳴らされるインターホン。
……何てしつこい客だ。
セールスの類ならとっとと諦めて次に向かいそうな物だが……
ひょっとしたら何か火急の要件だろうか?
だとしたらちゃんと応対しないと面倒な事になりそうだ……
俺は渋々体を起こし、玄関に向かう。
念の為ドアスコープから覗いて客の風貌を確認してみると、そこには意外な人物がいた。
丸い覗き穴から見えた来客の正体は三日前俺に一方的に別れを告げた彼女だった。
嫌な予感がする……自分から捨てた男に元カノが会いに来る理由なんて、明るいイメージを抱く方が難しい。
とはいえこのままずっとインターホンを鳴らされ続けるのも困る。
俺はため息をつきながら、ドアチェーンを掛けた後にドアをわずかに開く。
『何の用だ』と彼女に問いかける。
久しぶりに聞いた自分の声はどこかしゃがれた声に感じられた。
彼女は俺の顔を見るなり、安心した様な朗らかな笑顔を浮かべて用件を語り出した。
……彼女の言う事を要約するとこうだ。
『他に好きな人が出来た、というのは気の迷いだった。自分が本当に好きなのは俺だけだからヨリを戻して欲しい』と……
俺は彼女の言葉を聞いた後に俯いて下唇を噛み締める。
勘弁してくれよ……いくら何でもそりゃあ無いだろう?
三日だぞ⁉︎ 気まぐれなガキじゃあるまいし、たった三日でコロコロ心変わりする様な相手の言う事をどう信じろと言うんだ……!
俺は絞り出す様な声で、『帰ってくれ、今はとてもそんな気分になれない』と伝えてドアを閉めた。
その後も何度かインターホンが鳴らされたが無視した。
俺は自分の中にあるドロドロとした感情を振り切る様にベッドに倒れ込む。
これで良かったんだ……何よりあのまま話していたら、俺はきっと彼女に酷い暴言を吐いていただろう。
それ程に彼女の言っている事は虫が良すぎた。
自分から捨てておいて、わずか三日で元サヤに戻りたいとか人の心を何だと思ってるんだ……!
眠ろう……今はもう何も考えたくない。
このまま眠って、眠り続けて……ここ数日の出来事が全て夢だったならどんなに救われるだろうか……
そうやって現実逃避しながら、俺は意識を手放した。

それから1ヶ月が経過した。
どれほど心が傷ついていても、生活していく為には労働しなければならない。
もちろん俺も例外ではなくあの日の翌日から仕事に復帰した。
皮肉な事に必死になって仕事をしている間は辛い事を忘れる事ができた。
ひょっとしたらワーカホリックとか呼ばれる人達は、何か辛い事を忘れる為に仕事に打ち込んでいるのかもしれない。
あっと言う間に仕事が終わり、家に帰ると……やはり今日も居た。
彼女が俺の家の前で待っていたのだ。
あの日からほぼ毎日俺の帰りを待っては、復縁を懇願して来る。
……正直ウンザリしていた。
仕事で疲れ果てて早く休みたいのに、家に入る前に彼女と問答しなければならないからだ。
俺の顔を見るなり心配そうな顔でこちらに駆け寄ってくる。

顔色が悪いよ? ちゃんとご飯食べてる? 夜しっかり眠れてる?

矢継ぎ早に質問を浴びせてくる彼女を無視して、その横を通り過ぎようとした瞬間。
ストン……と膝が落ちた。次いで頬に冷たい感触。
何が起こったかわからない……!
体の感覚が曖昧になって、視界が真っ暗になる。
まるで眠る時の様に、俺の意識はそこで途絶えた。

……意識を取り戻した俺の視界に最初に映ったのは、白い天井と彼女の顔。
ここは……どこだ?
目を覚ました俺に彼女は状況を説明してくれる。
ここは病院で俺は救急車でここに運ばれたのだ、と。
その後、看護師や医者がやって来て色々と話を聞かせてくれた。
自分の症状は典型的な過労による物で……今回は大事なかったが、一歩間違えば命に関わっていた、と。
そうか……俺はそんな危ない状態だったのか。
自分の体にそこまで疲れが溜まっていたなんて……
医者と看護師が去った後、彼女は俺の手を取って涙ながらにこう訴えて来た。

どうかあなた自身を大事にして……!
あなたに何かあれば私は、私は……!

そう言って俺の手を握りしめる彼女の手は柔らかくて、とても暖かで……そこから優しい気持ちが伝わって来る。
ひょっとして俺は誤解していたのだろうか……?
彼女の事を。
どうせ俺を捨てて選んだ男にすぐ捨てられたんだろう。
だから口先だけの言葉で俺に取り入って、また他にいい男を見つければ俺を捨てるつもりなんだろう、と。そう思っていた。
だけど……今の彼女を見ていると分からなくなってしまった。
演技でこんな涙が流せるのか?
この手に感じる温もりも全て偽りなのか?
……信じたい。でも、怖い。また捨てられるのが。
臆病な俺は、彼女を信じる事も拒絶する事も出来ずに、ただその優しさに戸惑うしか無かったのだ……

それから数日後……退院した後も彼女は献身的に俺を支えてくれた。
仕事に復帰するのもサポートしてくれて、家に泊まり込んで家事も全てやってくれた。
ここまでしてもらった相手を邪険に扱う事など俺には出来なかった。
いや、違う……正直に言おう。結局俺は寂しかったのだ。
病院で彼女に手を握られた時の温もりがどうしても欲しくて……
俺は彼女を受け入れて、復縁する事にしたのだ。
その事を伝えた際の彼女の表情はまさに花が咲いた様な笑みで、俺はその笑顔に見惚れてしまった。
俺はもう一度彼女に恋をしたのだ。その事がたまらなく嬉しかった。

ーー半年後ーー

彼女と復縁してから半年が経とうとしていた。
この半年間の生活は本当に順風満帆で……毎日が幸福で満たされていた。
彼女のたっての望みで同棲することになった俺達は、暇さえあればイチャイチャするバカップルと化していた。
下世話な話だが夜の営みの方もその……順調だった。
復縁前よりも回数も質も段違いで……俺達はお互いを求めずにはいられなかった。
彼女の性欲は底無しで、大抵の場合最後は俺が騎乗位で激しく搾られるハメになった。
俺はそんな彼女に完全に魅了されていて、何度となく射精してしまう。
圧倒的な快楽と幸福に酔いしれる毎日……コレを順風満帆と言わず何を言う。
だけど……不安はあった。
彼女は1ヶ月に一度、家を離れるのだ。
しかも決まって夜に家を離れる。
それとなく何の用事か聞いたのだが、実家に帰ってやらなきゃいけない事があって……と言われた。
その時の彼女は困った様な笑顔を浮かべていた。
まるで聞かれたくない事を聞かれた様な、後ろめたさを感じている様なそんな表情……
最初は不安では無く小さな違和感。
だが3度、4度と繰り返し違和感は不安になり、そして5ヶ月連続で彼女が家を離れた時、不安は疑惑に変わってしまった。
まさか彼女は自分以外の男と逢瀬しているのではないか……?
いや、彼女に限ってそれは無い! 無い……筈だ。
否定したいのに……脳裏によぎるのは7ヶ月前の苦い記憶。

「他に好きな人が出来た」

そう言って俺を捨てた彼女。またあの時みたいに捨てられるのでは……?
嫌だ……もうあんな思いは懲り懲りだ!
俺の中に芽生えた疑惑はあっという間に膨れ上がった。
その疑惑は焦燥感と混ざり合い、形容しがたいドロドロとした感情に変わっていった。
ソレは恐怖と猜疑心だった。
そう、俺は怖かったのだ。彼女に捨てられるのが。
妬ましかったのだ。居るかどうかもわからない「男」が。
そんな恐怖と猜疑心を抱いた俺に「その日」が訪れる。
俺たちの関係を大きく変える運命の日が……

その日の朝、彼女は俺に切り出してきた。いつもの様に。

ごめんなさい、今日の夜も実家に帰らなきゃいけないの。

俺はその言葉に『そうか』とだけ答え、無言になる。
……何となく2人の間に微妙な空気が流れる。
普段なら朝っぱらからイチャイチャするのだが、今日はそんな雰囲気にもならずどこかよそよそしい空気のまま朝食の時間が過ぎる。

朝食を食べ終わり仕事に行ってくる、とだけ告げ俺は家を出る。
背後でいってらっしゃい、という彼女の声が聞こえる。
いつもならいってらっしゃいのキスとかして、イチャイチャするのに……
その日の俺は軽く手を上げて彼女に応える事しかしなかった。
心を埋め尽くすドス黒い感情を必死に抑えながら……

仕事を定時で終え、帰宅した俺を彼女が出迎えてくれる。

おかえりなさい、今日もお疲れ様。

そう言ってくれる彼女に『ただいま……』とだけ答える。
気まずい雰囲気だ……
彼女もいたたまれなかったのだろう。

じゃあ、私そろそろ行くね……?
ごはんはもう出来てるから、温めなおして食べてね。

そう言って俺の隣を通り過ぎようとする。
俺はそんな彼女の腕を掴んで引き止める。

なぁ、頼みがあるんだ……今夜はどこにも行かずに俺のそばにいてくれないか?
離れたくないんだ、お前と……良いだろ?

俺の言葉を受けて困った顔をする彼女。

ごめんなさい、どうしても行かなきゃ駄目なの……
明日の朝には必ず帰って来るから、だから……

その言葉を聞いた俺の心の中からドス黒い感情がついに溢れ出す……!

何でだよ! 毎月毎月1日だけ夜に出かけなきゃならない用事って何だよ!
おかしいだろ、不自然だろそんなの……!
お前さ、誰かに会ってるんじゃないのか⁉︎
俺以外の男とさ……寝てるんじゃないのか!

それは不安と恐怖と嫉妬がない混ぜになった悍ましい感情。
居るかどうかも分からない男に嫉妬する見苦しく、浅ましい感情。
それらは一度吐き出してしまうと際限なく溢れ出て止まらなかった。
噴火した火山から溢れ出すマグマの様に……

そんな……そんな訳ない!
私が好きなのはあなただけ! お願い信じて!

俺の言葉を聞いて、涙を流し訴えて来る彼女。
その様子に心が痛む。嘘をついている様には見えないからだ。
でも……でもそれならどうして最初に俺を捨てたんだ!
アレさえなければ信じられた!
いや疑う事さえしなかっただろう。
それほどまでに彼女は俺を愛してくれた。幸せにしてくれたんだ!
なのにどうして……!

「他に好きな人が出来た」

あの一言が頭から離れない。
どんなに幸せな日々でもあの言葉はずっと頭の片隅に残っていた。
こびりついて消えないんだ、あの苦い記憶が……!
俺は彼女に抱きついて、情け無く懇願する。

頼む……頼むよ!
信じさせてくれよ、安心させてくれよ……!
他の男なんて居ないって……!
もう二度と捨てられたくないんだ……
嫌なんだ、あんな思いをするのはもう……!

子供の様な駄々をこねて彼女を抱きしめる。
感情が制御出来ない。
猜疑心と恐怖に駆られた俺は完全に我を失っていた。

お願い、落ち着いて……!
もう時間が無いの、このままじゃ私は……!

俺の腕の中で身もだえして激しく動揺する彼女。
そんな彼女を逃がすまいと腕に力を入れようとした次の瞬間……!
彼女の全身から強い光が放たれる。
あまりの眩しさに目を閉じて後ずさる。
何が起こった……⁉︎
しばらくして視界を取り戻した俺が彼女のいた場所を見ると、そこに居たのは小柄な少女だった。
黒髪に赤いカチューシャ、黒いドレスに黒のストッキング……
自己主張が少なく地味な印象だ。
全身黒ずくめの服装はどこか儚げに映る。
一体どういう事だ?
『彼女』はどこに行った? 目の前の『少女』は何者だ?
混乱する俺の目の前で少女は悲痛な叫びを上げる。

「いや……見ないで! こんな……こんなみすぼらしい私を見ないでぇぇぇぇっ!」

涙を流し悲鳴を上げながら、その場でうずくまる少女を前にした俺は、呆然と立ち尽くす事しか出来なかった。
ただ一つだけ分かる事。
それは俺が取り返しのつかない過ちを犯してしまった、という事実だった……

それからしばらく時間が経って……
少し落ち着きを取り戻した俺と少女は、居間のテーブルの上で向かい合っていた。
少女の怯えぶりは尋常ではなく、未だに身体を小刻みに震わせながら「ごめんなさい、ごめんなさい……」と呟き続けている。
……ここまで取り乱されると逆にこっちは冷静になれた。
俺は温かいココアをマグカップに入れると、少女の前に差し出す。

飲んで。落ち着くと思うから……

少女は俺の顔をチラチラ見ながら、おずおずとマグカップに手を伸ばす。
フーフーと息を吹きかけて冷ました後にココアを口にする少女。
それを数回繰り返して、人心地ついたのだろう。
落ち着きを取り戻した様子を見て、俺は安心する。
……とはいえ、流石にこのまま何も聞かずに終わり、という訳にもいかない。
現状を理解する為にも、最低限少女の素性くらいは聞き出さないと……
俺は少女に疑問を投げかける。君は何者なんだ、と。
少女は俯いて沈黙を続ける。
その態度から怯えと拒絶を感じた俺は、すぐさまフォローする。

答えにくいなら無理に答えなくて良い。
とりあえず今日はもう休もう。寝室のベッドは君が使ってくれ。
また明日、落ち着いたら話そう。

……まあ今はこれくらいが限界だろう。正直な所、俺も疲れていた。
続きはまた明日にして、今夜はゆっくり休もう。
とりあえず俺は席を外した方が良いな。
自分がこの場にいてもこの娘を怯えさせるだけだろう。
席を立ち廊下に向かおうとした所、少女が声を上げる。

「あっ、あの……お話します。全部……
でも、その、信じてもらえる自信が無くて……
現実離れし過ぎてて……だから、えっと……」

たどたどしい話し方で一生懸命に説明しようとする少女。
話そうとしてくれるのは嬉しいが……無理させるのも忍びない。
だから俺は少女にこう言った。

……さっきも言ったけど無理しなくても良い。
少し時間を置いて冷静になってからの方が話しやすいだろう?

「いえ……今お話したいんです。
時間を置いたら私はきっと逃げちゃうから……
あなたを騙していた、という事実から……
だから、だから聞いてください、私の正体を……!」

どこか悲壮感すら感じる表情で俺を見つめて来る少女。
そこまで真剣な訴えをされたらこちらもキチンと向き合うべきだろう。
俺は再び席について少女の話を聞く事にしたのだった……

少女の話は驚愕の内容だった。
まず目の前の少女は人間では無い。
少女曰く、自身は『魔物娘』と呼ばれる人外の存在であり、その中の『ドッペルゲンガー』と呼ばれる種族なんだとか。
魔物娘は女性しか存在せず、伴侶として人間の男性を求めその『精』を糧にするのだ、と。
彼女達には様々な種族が存在して、それぞれに異なる姿や能力を持つらしい。
その中でドッペルゲンガーの持つ能力は『変身能力』……
ドッペルゲンガーは失恋した男性の心を読み取り、その男性が想いを寄せていた女性に変身できる。しかもその変身は姿形を真似るだけではなく、記憶や能力まで完璧にコピーする事ができる。
しかし、その変身能力も万能ではない。月の無い『新月』の夜、その間だけは変身が解けてしまう。
故に正体を見抜かれない為に俺から離れざるを得なかったのだ、と……
ネットで彼女が出かけた日と月齢を照らし合わせると……確かに新月の日と一致した。
どれもこれも到底信じられない様な話だが、納得するしか無かった。
何より俺は『彼女』が目の前の『少女』に変わる瞬間を目の当たりにしているのだから……

少女の話を最後まで聞いた俺は震えが止まらなかった。
……ショックだったからだ。打ちのめされていたからだ。
もちろん目の前の『少女』が『彼女』に化けていた事もショックだったが……
それ以上に俺を打ちのめしたのは、ある可能性に気付いたからだ。

……なあ、一つ聞いて良いかな?

俺は震える声で少女に問いかける。
『やめろ! 聞くな……!』と心の中で自分の声がする。
でも気付いた以上、聞かずにはいれなかった。
分からないままの方がずっと怖かったから。

君の変身した『彼女』の性格とかってさ……
ひょっとして俺の理想とかが反映されてたりする……?

俺の問いに少女は一瞬目を見開き……そのまま目を逸らした。
少女は答えなかったが、そのリアクションが如実に語っていた。
俺の気付きが正しい事を。

ああ、やっぱりそうだったんだな……
少女が変身した彼女の姿。
アレは、鏡だ。
俺の心を写す鏡そのもの。
……ドッペルゲンガー、とはよく言ったものだ。
その鏡が写し出すのは俺の心の弱さ、醜さ、そして歪んだエゴ……
『罪』そのものだ。
体がガタガタと震える。冷や汗が止まらなくて、吐き気もする。

……っ!

俺は口元を抑え、床にうずくまる。
頭がクラクラして視界が定まらない。
そんな俺を心配したのだろう、少女が椅子を降りてこちらに駆け寄って来る。

「どうしたんですか⁉︎ 気分が悪いんですか⁉︎
どうしよう、どうしよう……! とりあえずお水を……!」

取り乱す少女の脚を掴み、俺は額を床にこすりつける。

済まない、済まない……! 本当に済まなかった!

そうやってひたすらに謝った。
そうしないと自分を保てそうになかった。

「なっ……! どうしてあなたが謝るんですか⁉︎
悪いのは私です! あなたを騙していた私が悪いんです……!」

違う、違うんだ……!
騙すとかそういう話じゃなくて……
俺は気付いたんだ、本当の自分に……!
弱くて、醜くて、エゴイストな己の本性に!
聞いてくれ、俺の話を……俺の『罪』を!



嫌気がさす、自分の心の弱さに……!
だってそうだろう⁉︎
本当はずっと前から違和感を抱いていた。
復縁前と復縁後の彼女の差に……
パッと見は同一人物だった。復縁前の事も全て覚えていた。
しかし性格はとても穏やかになっていたし、夜の営みでの態度も以前とは比べ物にならない程積極的だった。
そう、本当は気付いていた。復縁後の『彼女』は別人だと。
俺は見て見ぬふりをしていたのだ。
見たいモノだけ見て、信じたいモノだけ信じる現実逃避……
目先の幸福の事だけ考えて、向き合わなきゃいけない真実から目を逸らし続けた。
俺は、弱い……

吐き気がする、自分の心の醜さに……!
だってそうだろう⁉︎
さっきの少女のリアクションから察するに、変身した『彼女』の性格には俺の理想が反映されているのだろう。
優しくて従順で自分だけを愛してくれて、夜は娼婦の様に乱れる……
そんな都合の良いオンナを求めていたのだ、俺は。
甘ったれた幻想と下衆な欲望に塗れた精神。
それが俺と言う人間の正体だったのだ。
俺は、醜い……

呆れ果てる、自分のエゴに……!
だってそうだろう⁉︎
そもそも俺は『最初』からずっとそうだった。
彼女に振られた、捨てられた……
その『結果』だけを語って『過程』や『理由』を一切語らなかったのだ。
例えば明らかに減ったメッセージアプリでのやり取り。
例えば俺の家に寄る頻度が激減した事。
例えば夜の誘いをかけても、サラリとかわされた事……
思い返せばキリがない。
彼女の方から歩み寄ろうとしてくれた事もあった。
なのに俺はそれを蔑ろにし続けた……
そういった事を一切語らなかった。
『自分は悪くない』と。
悪事を働いた子供がその事を隠して、無罪を主張するかの様な幼稚さ。
俺は、エゴイストだ……

脆弱で、醜悪で、利己的……
そんな自分の心に打ちのめされた俺はその罪を吐き出し続けた。
神に懺悔する罪人の様に。

「もう……もう止めてください!
悪いのは私です!
嘘をついて、傷ついたあなたの心に付け入って、騙した……!
そんな私の方がよっぽど罪深いです!」

少女が俺を止めようと抱きついて来る。

「あなたは悪くない……! 悪いのは私!
ソレを証明する為に聞いてください!
私の『罪』を……!」

少女は俺に抱きつきながら、語り始める。
自らの罪を……



嫌気がさす、自分の心の弱さに……!
だってそうでしょう⁉︎
本当は分かっていた。
こんな生活、長く続けられないという事は。
自らを偽り、あなたに嘘をついて得た幸せなんていつか終わる……
そうなる前に真実をあなたに語るべきだった。
でも、無理だった……怖かったから。
本当の私はあなたが好きな『あの人』とは似ても似つかないみすぼらしい姿……
きっと嫌われる、拒絶される……
それが怖くて、どうしようもなく怖くて……!
だから……逃げた。あなたに嘘をついている、という罪悪感から。
今の状況に甘んじたんです。
大丈夫、きっと見抜かれない……
このまま過ごした方が私にとってもあなたにとっても良い……
そう決めつけて現実逃避したんです……
私は、弱い……

吐き気がする、自分の心の醜さに……!
だってそうでしょう⁉︎
あなたとの夜の営みで私がどんな事考えていたと思います?
幸福と快楽……それだけを感じるのなら良かった。
ですが私は……優越感を感じていた。
『あの人』よりも私の方があなたを幸せにできる……
その事実に女としての優越感と……あまつさえ昏い悦びまで感じていたんです、私は……!
何という浅ましさと汚らわしさ……!
そもそもこのカラダは自分のものじゃ無いのに……
借り物のカラダとココロでしかあなたを愛せないのに……!
私は、醜い……

呆れ果てる、自分のエゴに……!
だってそうでしょう⁉︎
この変身能力は私の『力』だ。
その『力』を私自身が幸せになるのに使って何が悪い?
……私はそうやっていつも自分を正当化してました。
その行為そのものがあなたを裏切っている事から目を逸らしながら……
だって、だってしょうがないじゃないですか⁉︎
何故なら私は『ドッペルゲンガー』
他の魔物娘と違って、誰かのカラダとココロを借りなきゃ想いを遂げる事もできない……卑怯な盗人なんですから……!
私は、エゴイストだ……

ポロポロと涙をこぼしながら、自らの罪を語る少女。
……何故だろう? 少女を見てると悲しみと痛みが止まらない……
まるで自分の心が傷つけられるかの様な痛み。どうして……?
……ああ、そうか。ようやく分かった。
俺とこの少女は同じ『弱さ』を持ってるんだ。
少女がさっき俺を止めた理由がよく分かる。
自らを責める『自虐』で傷つくのは自分だけじゃない。
周りの人も傷つけてしまうんだ、自虐は。
なら、止めなきゃ……少女が俺を止めようとしてくれた様に。
俺は膝立ちになると少女の背中に手を回す。
そのままギュッと抱きしめる。
少女も俺の背中に手を回して、キュッと服を掴む。
少女の温もりを胸元に感じた瞬間、

涙が、溢れた。

俺と少女は泣いた。
わんわんと。
幼子の様に。
泣きながら謝った。

ワガママでゴメンナサイ

ズルくてゴメンナサイ

弱くて、ゴメンナサイ……と

自らの悲しみと痛みを涙と嗚咽に変えて、俺達は泣き続けた。
いつまでも、いつまでも……



……どれくらい時間が経っただろう?
もう流す涙も尽きて、声も枯れた。
それでも俺達はお互いを抱きしめ続けた。
俺がギュッと少女を抱きしめると、「んぅっ……」と苦しそうな声を出す。
その声で、ハッと気付く。かなり強い力で少女を抱きしめていた事に。

……っ! ゴメン!

そう言って少女を放した。

少女は頬を染めながら、

「いえ、その……大丈夫です……」

と言ってモジモジする。
何か妙な空気だ……とはいえさっきまでの重苦しい空気とは違う。
照れ臭いというか、恥ずかしいというか……そんな感じだ。
それに何というか……スッキリした。
思いっきり泣いたからだろうか?
思えばこんなに泣いたのはいつ以来だろうか……
俺がぼんやりと考え事をしていると、少女は突然自分の頬を両手でパンパン、と叩いた。
両手でガッツポーズを取り、「よし……!」と気合いを入れる少女。
何事かと身構える俺に、少女はズイッと身を乗り出してきてこう言った。

「あの……あのですね!
もし、もし良かったらもう一度やり直しませんか⁉︎
私達の関係をゼロから……!
こ、恋人同士として……!」

真っ赤な顔で、握り拳を震わせながら俺に告白して来る少女。
その真っ直ぐさに、純粋さに、そして強さに……俺は胸を打たれた。

強いな……君は。それに比べて俺は……

少女の様な強さは自分には無い。
あんな事があった後に自分の想いを伝えられるこの娘の強さは、今の俺には余りにも眩し過ぎて……つい下を向いて俯いてしまう。
そんな俺の手にそっと少女の手が重なる。

「あなたは強いです……何故ならこの強さはあなたに貰ったものだからです。あなたはきっと自覚が無いでしょうけど……」

少女の言葉に顔を上げる。
強い……? 俺が? そんな馬鹿な……俺のどこにそんな強さが?

少女は優しく微笑んで語り出す。

「私があなたを好きになった理由は……強さに惹かれたからです。
誰かを想い、その為に努力して……言葉にして愛を伝える。
そんなあなたに恋したんです、私は。
覚えてないんですか? 『あの人』の記憶にありましたよ?
あなたが『あの人』の気を惹こうと色々と頑張って……そして想いを告げた事を。
私はその時のあなたの強さに惹かれました。
いつかこの人の様に想いを言葉にできる強さを持ちたい、って。
……伝わりましたか? 私の想い……♥」

……っ! 反則だろう、こんなの!
少女の想いが真っ直ぐに伝わって来る。
頬が熱い。心臓が高鳴る。
間違いない。俺はこの時、少女に恋をしたのだ。

……俺で良ければ、喜んで。

俺は少女の手を握って、少女の想いに応えた。

「……ありがとうございます!
私はあなたが良いです! あなただから良いんです♥」

そして俺達は『また』恋人同士になった。
いや、本当の意味で恋人になった、と言った方が良いか。
ここから始めよう。俺達2人の関係を。
新しい時間を刻もう。
俺は少女の名を呼ぼうとして……名前を知らない事に気付いた。

なあ、今更なんだけど君の名前を教えてくれないか?

俺の言葉を受けた少女は、困った表情を浮かべる。

「えっと……ありません、名前。
私が生まれたのは、その……私があなたの前に姿を見せた日だから」

……何だって?
俺が失恋して家に閉じこもってたあの日に生まれた、って事か?
……いや、この娘は人間じゃない。常識は捨てよう。
ドッペルゲンガーとはそういうものなんだろう。

……じゃあ、つけようか名前?
うん、そうしよう。2人で君の名前を考えよう。

俺の言葉に少女は嬉しそうな笑顔を浮かべる。

「わぁ……ホントですか⁉︎
嬉しいです、とっても!
どんな名前が良いかな? エヘヘ……♥」

可愛いな、この娘……
心からそう思える。そしてそんな自分が誇らしかった。
こんな自分でも誰かを愛しく想い、慈しめる。その事が嬉しかったのだ。

それから2人で名前を考えた。紙とペンで色んな候補を書いて、ああでもない、こうでもないと議論を続けた。
だけど中々決まらなかった。何だかどれもしっくり来ないのだ。

「うーん、難しいですね……名前考えるのって。
変に拘らない方が良いのかなぁ? もっとシンプルで、素敵な名前って無いかなぁ……」

そう言ってすっかり冷えたココアを口にする少女。

……もう冷めてるんじゃないか? そのココア。
何なら新しく入れ直すけど?

「いえいえ、気にしないでください。
私、猫舌気味なので冷めてる方が飲みやすいんですよ」

そう言って舌をチロリと出す少女。
いちいち仕草があざとくて可愛い。
……ひょっとして狙ってやってるのか?
まあ俺は可愛いこの娘が見れて嬉しいから良いんだけど……
ココアをくぴくぴと飲む少女を眺めていると……閃いた!

そうだ、ココアだ……『ココア』なんてどうだろう⁉︎

キョトンとした顔で俺を見る少女。そんな顔も可愛い。
おっとイカンイカン、今は名前の事だ。
俺はペンで紙にその『文字』を書く。


『心愛』


心に、愛を。

……俺達は愚かで弱い。
だからまた今日みたいに、すれ違ってお互いを傷つけてしまうかもしれない。
でも、俺はこの名前を呼ぶ度に。
君はこの名前で呼ばれる度に。
今の素直な気持ちを思い出せる……
そんな祈りと願いを込めた名前。
どうかな、この名前?
素敵だと思わない?

俺のアイデアを聞いた少女は、

「心愛……心に、愛を……
素敵、だと思います、とっても!
私、その名前が良いです!
それに決めましょう!」

満面の笑みを浮かべる少女……いや、『心愛』
ああ、嬉しい……!
好きな娘の名前を呼べるのがこんなに嬉しいなんて知らなかった。
心愛、ココア、ここあ……
漢字でもカタカナでもひらがなでも可愛い……!
俺はこの先、ずっとこの名前を叫び続けるのだ。
そうやって世界に知らしめよう。
心に愛を持つ事の素晴らしさを……!
24/07/11 06:05更新 /  
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