第八章 天を仰ぐは誰がために:天の柱G
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蒼炎がおれを包んでいた。あの理不尽な白炎はどこにもなかった。
それに。
「え、え? なんで、ええ?」
おれは何故か空を飛んでいた。しかも天の柱の外。好戦的な笑みを浮かべて見上げてくるモエニアが下にいる。
いや、飛んでいるのはおれじゃない。白と蒼の混じった尾におれは跨いでいて、それが宙に浮いていたのだ。
「大丈夫? スワロー?」
指を絡めて手を握る呈がそう言葉を投げかけてくる。
おれは頭をゆっくりあげた。
宙をうねる白麟と蒼鱗の入り混じった尾。そこに龍毛のように生える蒼い炎。
腕や身体はまるで竜の鱗のように蒼い炎を纏い、濃淡によってまるで炎の着物を着ているかのように優美に揺れている。
「ぼくはもう大丈夫。もう折れないよ。絶対に」
おれをまっすぐ見つめてくる呈。
先が蒼く硬質になっていた呈の耳からは蒼炎が伸び、頭部からは細く枝分かれた二対の角が蒼炎で象られていた。
揺らめく幽玄の炎。変わり切ってしまっているのに、おれはその姿の呈がとてもしっくりきた。白蛇の姿じゃない、もっと別の何かに変わってしまっているのに。
龍。
彼女が仕えるべき水神。
呈は、彼の竜と同じ姿になっていた。
でも、それが呈の望んだ姿で、どこまでもいっても呈だということには変わりなかった。
このドラゴニアに住まう一匹の竜として。
龍と成った呈の姿はとても美しかった。
少なくとも、思わず声も出せずにじっと見つめてしまうくらいには。
「ス、スワロー?」
そしていたたまれなくなった呈がおれに声をかけてくるくらいには。
それくらい、いまの呈はおれを魅了し尽くしたのだった。
「正直、いまの呈とセックスしたい。すごいシたい。モエニアにも他の皆にも見られてもいいからシたい」
「ぼくもシたい」
でも、だ。
「やるべきことやってから好きなだけヤろう」
「うん。生まれ変わったぼくとスワローで、あの理不尽を越えよう」
モエニアを見下ろす。じっとおれたちを見上げて、モエニアはすでに臨戦態勢を取っていた。そして翼を広げ、おれたちと同じ目線まで飛んだ。あの白炎を纏わずに。
「さぁ行こう、スワロー。今日ここで、全てを終わらせて、ぼくたちは新しい門出の一歩を踏み出すんだ!」
「ああ!」
身を尽くし、心を尽くし、死力を尽くし、愛を尽くし、おれたちは理不尽へと飛翔した。
「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
ミクスは絶叫した。周囲にいた呈の友人諸氏が一斉にミクスへと視線を吸い寄せられる。
が、気にせずミクスはホップステップジャンプと喜びを全身で表現するように忙しなく動き回った。ここは天下の竜翼通り。水球を見上げて足を止めていた通行人たちも皆ミクスを見ているが、知ったことじゃない。
「来たよ来たよ、キタキタキタキタキタァ!! あれだよ、アレ! 僕はアレが見たかったんだ! 小さな小さなか弱い少女が、己が限界を超えて成長するその瞬間! これまでの弱い自分の殻を破るその刹那! いいや! 殻じゃない! 蛇だ! だから脱皮だ! 脱ぎ捨てたんだ! 蛇はいま脱皮し、そして!」
諸手を広げてミクスは砲声する。
「龍へと昇華した!!」
くぅ〜とミクスは唸る。感情の奔流を抑えきれないとでも言いたげに、この愉悦をどこへ向ければいいのかわからないと言いたげに、自身の身体の内で破裂させる。
そして、自分を見る皆へと向けた。
「ありがとうスワロー! ありがとうリゼラ! ありがとうメッダー! ありがとうグリューエ! ありがとうストリーマ! ありがとうドラグリンデ! ありがとうデオノーラ! ありがとう龍泉! ありがとう真白! ありがとう聖! ありがとうリム! ありがとうウェント! ありがとうセルヴィス! ありがとうラミィ! ありがとうキサラギ! ありがとうヴィータ! ありがとうファリア! ありがとう皆!! 君たちがいたから、呈は龍と成った! 白蛇の魔力を枯渇させ、竜の魔力を注ぎ馴染ませ、王たるデオノーラ、ドラグリンデ、グリューエ、そして龍泉の魔力を注ぎ、呈の魔力と交わらせなければ決して龍には成り得なかった! 何より変わろうという意思! 竜に成ろうという絶対的な意思! ありがとうモエニア! 君という理不尽な壁がなければ呈は変わらなかっただろう! 感謝するよ、このドラゴニアに住まう全ての者に!」
そして何より。
「この光景が見られるよう導いたこの僕自身に! ありがとうッ!!」
そして哄笑を響かせる。竜翼通りの上から下まで響きかねないほどの、ある種狂気すら混じった淫魔の笑い声を。
仰ぐ空は蒼く、呈の魔力の片鱗がこちらまで届いていた。
「い、いつもこんななのか?」
メッダーの問いにキサラギは笑む。
「今日は特別っすね。うちだって本当は小躍りしたいんっすよ? 幸せになりきれてない魔物娘が不可逆の幸福に堕ちていく瞬間というのは、愉悦モノっすから。もうスワッちもテーちゃんもどうあがいても不幸には成り得ないんっすからね」
「わっけわかんねぇ」
「それでいいっすよ。うちらと関わると婚期が遅れるっすからね?」
「やめろよ……」
心底嫌がるメッダーにキサラギは声を噛み殺しながら笑った。
「まっ、ヴィータもついに相手を見つけたし、うちらもわかんないっすけどね。……さぁって不幸には成り得ないっすけど、あのモエニアには勝てるっすかねぇ。空を飛べることとあの膨大な魔力を差し引いても、手ごわい相手っす」
「呈たちのこと疑っちゃいねぇけど、モエニアもドラゴンの中じゃあかなり強い方だろうからな」
「ふふふっ! そこは違うぜ、キサラギ!」
同志が小躍りできない分、代わりにしてあげていたミクスは二人の会話に堪らず突っ込んだ。
「呈は空を飛んじゃない」
「はい?」
「空を泳いでいるのさ」
何を言っているのだこいつは、という顔をされたがミクスは笑みを崩さない。それどころか呆れるように肩を竦めた。
「おいおいおい、それでもジパング出身かい? 龍は空を飛ばないだろう?」
「いや飛んでるだろ」
メッダーの鋭いツッコミに、チッチッチと人差し指をミクスは振る。
「違うね、龍は空を泳ぐんだ。水中を泳ぐようにね。龍の魔力は水の魔力。一種の神ともされる龍は水の魔力を自分の周囲に浮遊させ、その中を泳ぐのさ。天候を変えるほどの膨大な魔力を持つ龍だからこそできる荒業だね」
「呈もそれをやってるって?」
「無意識にね。でもそこだけがいまの呈の凄いところじゃないんだぜ。いまの呈の魔力は包容力を持つ癒しの龍の魔力であり、そして」
ミクスは水球を見上げる。蒼炎を迸らせ、空を泳ぐ呈の姿がそこにはあった。
「己の愛しい人を独占したい嫉妬と情欲に塗れた白蛇の魔力でもある。他人の魔力を塗りつぶしかねないほどに、ね」
さぁ見せてくれよ、生まれ変わった君たちを。
ミクスは天翔ける蛇龍とその夫を抱き迎えるように、諸手を上げた。
蒼色の星と白色の星が空を舞う。おれは蒼星とともに在った。
飛ぶという感覚とはまた違う、不思議な感覚。全身に風を感じるけど、激しい風圧や冷気はほとんど感じない。優しい水で保護されているかのように、雲海のさらに上にいるにも関わらず自在に動き回れた。
呈のこの蒼い炎が守ってくれているのだと気づくのに時間はかからなかった。
おれは呈と左手で繋ぎながら、尾に跨り、空いた手でナイフピッケルを構えていた。リュックはお互い持っていない。動きを制限するため、呈が天の柱に置いてきた。
急加速急停止を繰り返し、直線的ながらも急角度の移動で翻弄してくるモエニアを、呈は尾をうねらせ流れるような動きで捉え続ける。
モエニアが空を駆けるというのならば、呈は空を泳ぐと形容した方がいいだろう。
往く川の流れの如く、決して止まらずに滑らかに飛ぶ姿は水の中を泳いでいるようだ。
塔を中心に上下左右あらゆる方向へ、地上にいたときよりも空間的に動き回る。そうしなければ、モエニアの動きを、攻撃を躱しきれない。
蒼炎の消えた一瞬を狙い迫りくるモエニアを、辛うじて呈は躱しつつ、おれはナイフピッケルで反撃する。
「さすがドラゴン、速いな……!」
「最大速度では勝てないけど、小回りなら!」
「ッッ!?」
大空と雲海の上下が反転する。負荷はかからないまでも目まぐるしく変わる視界の変化は内臓に圧をかけてくるが、泣き言なんて言っていられない。
「……」
呈がいま竜なのだとしたら、おれはその竜騎士だ。呈の動きに、働きに、最大限応えるのがおれの役目。
「やるよ……!」
おれがやれると呈は信じてくれている。なら呈の全力におれも全力で応えるだけだ!
魔力の保護を纏っていても急激な風圧が顔を襲う。それでも視線は定め、モエニアの姿を逃さない。
揺らめく白炎を身に纏うモエニアと交差する。
「くッ!」
「チッ!」
呈を狙う爪と迎え打つおれのナイフピッケルが弾き合い、火花を散らせた。
モエニアが離れると同時に、呈が放つ蒼い炎が白炎を侵食しようとするが、モエニアは次々に白炎を身体中から吐き出し、蒼炎に汚染された部位を剥がしていく。
「はぁッ!」
「おぉッ!」
空を縦横無尽に舞い飛び泳ぎ、おれと呈は白い流星と幾度となく刃を交える。それぞれの魔力が蒼い帯と白い帯を空に描く。
その帯となるおれたちが交差する度に、激しい火花が舞い散った。
追い付けている。あのモエニアの動きに、おれは対応できている。
「随分と冷静に捌けてるじゃないか! フラフラだったろうに!」
「呈のおかげだよ! いまならあんたの首を刈れそうだ!」
「抜かせ!」
急上昇したモエニアを追い、呈は身体を反転、急浮上。モエニアを追跡するが、同時にモエニアは突如急降下に移行した。
「このまま……!」
「わかった!」
呈の言葉に応え、おれは備える。
モエニアが手をかざしながら白炎の連弾を飛ばす。呈はそれを同じ蒼炎の連弾で迎え撃った。
「ぉおおおおおおおおおおッ!」
「ぁああああああああああッ!」
炎が衝突した瞬間、蒼炎が白炎を呑み込みすぐに消失する。ほぼ相殺。呈の魔力は少なくともモエニアの白炎を上回っている。
あと数秒もなく正面衝突をするという寸前、モエニアの全身が実体のある白炎に包まれた。
瞬間、急加速した。
「ッ!?」
モエニアの周囲の空気が赤く燃えているように見えた。
呈は咄嗟に蒼炎を前方に展開しようとするが間に合わない。物理的に貫かれる。
「ぐぅぉおおおおおおおおおおおッ!!」
全力の砲声。おれは呈を背から抱いて、無理矢理進行方向をずらした。ずれたのはほんのわずか。しかし、間一髪、肌を焼ききるような熱とともにモエニアが真横を急速落下していく。
「熱いッ」
「大丈夫かッ!?」
熱波がおれたちを煽る。蒼い炎で防御していたのにも関わらず、掠めた呈の肌が赤く染まっていた。直撃していればどうなっていたか、考えたくもない。
「あ、ありがとう、スワロー」
「いやまだだ、呈! もう来てる!」
「ん!」
白炎弾が下から幾発も放たれ、呈はすぐさま回避行動と迎撃に移った。
蒼炎弾と白炎弾が空中に乱れ弾ける。完全に弾幕の張り合いの様相を呈し始めた。
雲海の上を滑空し、並走しながら弾を応酬する。だが、僅かにモエニアの方が弾速と次弾への速さがあった。特に尾の後方を狙われると、纏う蒼炎だけで防ぐのは難しい。
そして。
「うッ!」
「呈!」
被弾。蒼炎の装甲が剥がされ、そこへ次弾の白炎弾が迫る。
当たれば体勢が崩れることは必至。何より呈にそんなものを当てるなんて。
「させるかッ!」
鉤爪つきのロープを俺は投擲した。白炎弾の直線状と装甲の剥がされた尾の間へと滑り込む。
ゴォッと炎が燃え盛る音ともに鉤爪は弾かれた。僅かに赤熱していたが無事。呈への直撃を避けられた。
「やるな、スワロー!」
「チマチマしやがって! おれとやりあえ!」
「してるさ! お前たち二人とな!」
弾幕の応酬。こぼれ弾をおれの鉤爪で弾き、なんとか遠距離戦で耐えていた。
「駄目、スワロー、ぼくの炎だけじゃあ決定打にならないっ!」
全部が全部相殺されているわけじゃない。モエニアを僅かに掠めた弾もある。だが、それ以上にこちらの方が多く被弾していた。遠距離戦だと分が悪い。
「ならもうちょい近づけるか!?」
「……やってみる!」
何も聞かずに呈はおれを信じてくれた。
纏う蒼炎の量を増やし、連弾とともにモエニアへと呈は突っ込む。
「さっきと逆か! だが、真っすぐすぎるぞ!」
モエニアの翼が大きく開かれたかと思うと、手からではなくそこからも白炎弾が放たれた。無数の白炎が、蒼炎弾どころか纏った装甲すら見る見るうちに剥がす。
そして、呈の上半身を無防備にさせた。
「くぅっ!」
「逃がさん!」
呈は水に潜るように雲海へと逃げる。当然、モエニアはそれを追い、身体を下方に向けた。
直後、モエニアの首にロープが絡まり、鉤爪が食い込む。
「なっ!」
おれは呈の尾の一番後ろ、その影に張り付いていた。呈と一緒に潜らなかった。
巻き取り機を起動と同時、呈の尾を踏み台に跳躍。前方、体勢を崩したモエニアへ。
ナイフピッケルを大きく振りかざし、その頭部へ思い切り振り下ろす。
「ぐぅッ!?」
初めてモエニアの生々しい呻き声を聞いた。
だが。
「くそっ……!」
ナイフピッケルの刃先が貫いたのはモエニアの掌だった。
毎度毎度! 防御と危機察知能力が高すぎるんだよくそ!
決めきれなかったおれはすぐさまナイフピッケルを引き抜き、巻き取り機ごとベルトから引きちぎってロープを離す。
そして、モエニアの体勢を崩すためと白炎弾を回避するため、彼女の肩を蹴り飛ばしたのだが。
「え?」
おれをキャッチしてくれるはずの呈の姿がなかった。どこにも。
さらに。
「うっ、ぐっ!?」
息が詰まった。息を吸った瞬間、肺が凍えそうなほどの冷気がおれの体内を満たしたのである。さらに冷気を伴う激しい突風。上から吹き下ろしてくる暴風におれは一瞬で雲海の中へと叩き落とされた。
「がっ、ごっ、ぐぁ!」
身体が錐揉み回転しながら雲海の中を急降下していく。小さな粒が身体と顔面に突き刺さり目を開けていられず、体勢を取り戻すことすらままならない。
意識を刈り取られなかったのは子供の姿であっても、もう人ではなく魔物の身体となっていたからだろう。
そして数秒の落下の後、雲海を抜けおれは歯を食いしばり顔を下へと向ける。
呈!
呈がいた。蒼炎を纏わず、白蛇の姿で急落していっている。
まさか、龍化が解けた!?
しかし考えている暇はない。この状況、すぐ傍に天の柱はない。おれは迷わず頭を地面に身体を一本の棒とした。
空気抵抗の最大低減。風圧を貫き、呈へと急降下する。
呈に動きがない。意識を失っている?
「……! ……!」
冷気がおれの喉を凍らせる。おれの叫びが突風に掻き消される。
それがどうした。燃やせ。声を、心を、思いを。伝えろ呈に。届けろ言葉を。
こんな風と寒さに負けるほど、おれの身体は軟じゃないだろうが!
「……! てぇえええええいッ!」
「!」
おれを見上げる呈の呆けた顔が泣き顔と安堵の笑みで入り混じる。
おれは手を伸ばす。呈もおれに手を伸ばす。もう少し。届け!
瞬間、荒れ狂うだけだった暴風が不思議な動きをした。呈の身体が不自然に浮き、おれの身体はその速度を上げた。
「スワロー!」
「呈!」
そして触れ合う。指先が交差し、深く絡め合う。
その刹那、蒼炎が再びおれたちを包み込んだ。
龍となった呈の魔力が周囲を満たし、冷気も風もその悪辣な影響を全て遮断する。
「ううぅスワロ〜!」
「わ、悪かった、呈!」
おれたちは空に滞空したまま抱き合う。本当に死ぬかと思った。何より、呈が消えてしまったあの瞬間がとても怖かった。呈の傍にいられなかったこと、落ちていく呈に気づけなかったことで酷く後悔の念が襲い掛かってくる。
もう離すものかと固く抱きしめ合った。
「なるほど……呈、お前の魔力の正体がおおよそわかってきたぞ」
「モエニアさん……!」
白炎弾を周囲に携えながらにモエニアがおれたちの上を取る。この状況、下手に動けない。
「まさか他者の魔力を自身の魔力に転換するとはな。いや、転換というよりは侵食か。魔力を喰らい、自身の影響下に置く。単純に魔力を傷つけるよりも厄介な性質と言える。究極的には使い手の思い通りになるのだからな」
無論、誰かを傷つけろなどの命令は絶対に効果ないだろうけど。
「……そうだね。ぼくはもう誰にもスワローを取られたくないんだ。スワローはぼくのだ。誰にも奪わせはしないよ。他の娘にだって、理不尽にだって」
確かな意志を抱いた呈の宣誓。はっきりとモエニアに対して反抗の意を示している。
おれに執着してくれていることがすごく嬉しい。
「その結果があのワイバーンたちか。まだ知らないだろうが、昨夜のお前たちを襲ったワイバーンたちは全て夫を得たよ。お前がドラゴニア各地を回って残した魔力の片鱗が、夫となるべき者に微かに付着した結果だろう。お前の魔力が付いたオスとメスは引き寄せ合い、番いとなった。それも全てスワローを奪わせないため。半強制的に相性の良い者と引き寄せ合わせる――随分と偏った魔力じゃないか」
呈は笑む。白蛇とも龍とも似つかわしくない、淫靡で爛れた笑みを。それがどうしようもなく綺麗でゾクゾクする。
「じゃあ、モエニアさんにいっぱいこの魔力を注ぎ込めばいいんだよね? ぼくたちの邪魔をするモエニアさんに」
「そうだな。それを直接注ぎ込まれれば幾ら私と言えど、メストカゲとなって夫の下へすぐにでも向かって行ってしまうだろう。できれば、の話だが」
風切り音が響く中、呈とモエニアの間で火花が散る。置いてけぼり食らってる感は否めないけど、おれは黙って機を伺うことにしたことにした。
「確かにモエニアさんは速いよ。でもぼくだってそろそろこの蒼い炎の扱い方はわかってきたんだ。次はもっと上手くやる」
「強がりは止せ。お前の魔力、その蒼い炎は体力をかなり消耗するのだろう。最初みたいな大袈裟な放出を行っていないのがその証拠だ。それに魔力を転換するとは言っても、魔力の弾を飛ばしていては吸収もできまい。お前の炎は消えやすいのだからな」
モエニアの炎は消えにくい性質を持っていたけど、どうやら呈はその逆。すぐに消えてしまうようだった。
「ただ飛ぶだけでも魔力を消費し続けているのだろう? 確かにお前は白蛇というよりは龍のソレに近い魔力の量と質だが、長くは保つまい。おまけにスワローと手を繋いでいなければその力は失われてしまうのだからな」
モエニアの言っていることは正しい。
おれの身体の中を何かが巡る感覚がある。それが何らかの力で、呈へと再び巡ることで龍に成れている。手を離せばすぐさま白蛇に戻ってしまう以上、かなり限定的な力だ。二対一という数的有利がほとんど効果を発揮しなくなってしまう。
「でもそういうあんただって、あの炎を使わないよな」
物理的な力を持つ尾のような炎。あれを使ったのはただの一瞬。さっきの交戦時、モエニアが直上から落下してきたときのみだ。それも発動はほんの一瞬だけ。
「……あえて使わない、とは考えなかったか?」
「使わないじゃなくて使えないんだろ? 重すぎて」
モエニアの眉がぴくりと小さく跳ねる。どうやら予想は的中した。
制約を受けているのはおれたちだけじゃない。モエニアもだ
「物を掴めるくらいの炎だ。炎そのものに重量があるんだろ? 移動が困難なくらいにな。発動したとき、床に亀裂が走ってたもんな」
おれたちを追わなかったのもそのため。それでも逃さない確かな自信があのときのモエニアにはあったのだろう。
だが、呈が空を飛べるようになったため状況が変わってしまったのだ。
「しかも出せる炎の量にも限度があるんじゃないか? おれたちが下に行けば行くほど炎の尾の数が減ってたからな」
最初の数でずっと追えば、おれたちは詰んでいた。できなかったのはその制限があったからだ。重く、しかし出せる量にも限度がある。あくまで守りのための炎。それがあの重い白炎だ
「それに弾を飛ばすのなら消耗するのはそっちだって同じだ。モエニアも魔力を飛ばしてるんだからな」
モエニアは肩を竦めて笑う。そして、あっさりと首肯した。
「……ああ、正解だ。だが、一つ訂正させてもらおう」
「……?」
「使うことはできる」
モエニアの全身が重い白炎を纏った直後、おれたちの方へと急降下する。
さきほどの正面衝突寸前にまでなったときと同じ急加速。
「迎撃!」
「うん!」
蒼炎弾を飛ばし突然の突進を迎撃するが。
「……! 曲がった!?」
片翼だけを大きく広げたかと思うと、モエニアは急転回。蒼炎弾を全弾躱した上で側面に回り込んでくる。
さらにモエニアの後方で炎が爆発。その爆風を利用して直角に方向転換し、最高速度を保ったままおれたちへと突っ込んできた。
弾では間に合わず蒼炎の壁を大きく広げることで呈はその進行を妨害しようとするが。
炎がノッキングするような音を交えて、モエニアの眼前に現れた炎が不自然に瞬くと、呈の蒼炎が掻き消えた。
「蒼炎の強制反応と消失速度」
モエニアの呟きとともに、炎の鎧を引っぺがされた呈へモエニアの蹴りが放たれる。
「くっ!」
おれが間に割り込むようにするも、意味があったかどうかはわからない。
「炎は本人の意思によって発動。反応速度に比例」
モエニアの加速した弾丸のような蹴りはおれの肩へとめり込み、そのまま呈ごと下方へ叩き飛ばした。
尋常じゃない風圧が全身に襲い来る。そのくらいの勢いで下方に突き飛ばしたのにも関わらず、モエニアはすでにおれたちの下に回り込んでいた。
さきほどまで全身を覆っていた重い白炎が、翼に纏わりついている。白炎の翼が不可思議に蠢き羽ばたくと、モエニアの動きが加速した。
「『白炎の泪(ミーティア)』」
モエニアの姿が白炎の帯に消えた。
「がッ!?」
「あぐッ!」
瞬間、おれたちの全方位から衝撃が襲い掛かる。
モエニアの動きが目で追えない。白い彗星の帯だけが視界の端に残る。モエニアがもたらす音全てが遅れている。音速を遥かに超える速度でモエニアはおれたちを中心にした空間を縦横無尽に駆け巡っていた。
殴られている。
蹴られている。
引き裂かれている。
白炎の弾で蒼炎の鎧を瞬時に剥がされ、次の瞬間には流星の如き速さで攻撃されている。
「くそ、見えな、ぐあッ!」
頭ではわかっている。だが、反撃できない。それどころか身動きすら取れない。
四方八方あらゆる空間から、動きの読めない速度で暴虐の嵐を繰り出してくる。
これはいままでのとは違う。
あの重さのある白炎がモエニアの竜としての特性なのだとしたら、これは技術。
特性を理解し、戦うための力へと昇華させたモエニアだけの技だ。
ワイバーンの動きの比ではない。流星が意思を持っているかのような、そんな無茶苦茶な動きだ。
まだこんな隠し技を持っていたというのか、モエニアは。
「て、い……」
「あうッ! ううッ!」
嵐に呑まれた者にできるのはただ過ぎ去るのを待つのみ。だが、この嵐は耐え忍ぶことを許さない。
「トドメだ」
来るッ! 今度は目で追えた。ちょうど直上。白炎を纏わらせた鋭爪をおれたちに向け、モエニアが急降下する。
くそっ。
わかっていても反応できない。体勢は完全に崩され、防御にも回避にも移れない。
蒼炎は完全に剥がされ、呈はどこからモエニアが来ているのか気づけていない。
やられる……!
凶爪の衝撃をおれは覚悟した。
だが。
「ぐぁッ!」
「!?」
悲鳴を上げたのはモエニアの方だった。
「あぐぅッ、ううぅうう!」
苦痛に顔を歪め、白翼に纏っていた炎が掻き消える。
しかし、その炎から出てきたのは赤黒く濁った翼だった。被膜が所々破れ、炎によって焼け蒸発した血が翼にこべりついている。
「血が出て……?」
「ッ、ぅぉおおおおおおお!!」
しかし、無理矢理翼をはためかせると、モエニアはおれたちを蹴り飛ばした。咄嗟に呈を庇うが空中で身体を抑えることなどできず、おれたちは揃って吹き飛ばされる。
「あぐッ!」
遅れて岩を砕く轟音とともに衝撃が全身を伝播した。
吹き飛ばされたおれたちは天の柱の外壁へとぶつかったのだ。
「て、てい……」
「だいじょう、ぶ。スワローは……?」
大丈夫と答えようとした。だが。
「ぐっ、はぁはぁ……やるな、呈。随分と耐えられてしまった」
「やっぱり、いまのは捨て身の攻撃だったんですね」
頭上で滞空するモエニアが壁に埋まるおれたちを見下ろす。その翼はボロボロになり、白かったはずの翼は黒ずんでいた。翼は力なくはためき、どこか頼りない。
魔物、特にドラゴンともあろう種族なら身体は通常魔力で保護されている。にも関わらず、いまのモエニアの身体は深刻なダメージを負っている。
つまりあの動きは、魔力の保護を突き破って身体に負荷を与えるほど無茶な動きだったのだ。
「ふふ、正直いまので決めたかったんだが。上手く耐えたな」
そして、呈は動けなかったんじゃなくて動かなかったんだ。あれほどの動きは長く続かないと悟り、防御だけに全力を傾けた。
「モエニアさん、その翼でまだ」
「やるさ。それに、お前が耐え忍んだことが無駄じゃなかったように、私の先ほどの攻撃も無駄ではなかったのだからな!」
モエニアが全身の皮膚から白炎を迸らせる。身体から独立したそれは瞬時に弾へと変化した。
「ッ!」
弾が放たれる。呈は蒼炎の壁で防御するが。
「躱せ!」
「え? ……痛っ!?」
白炎弾が蒼炎に呑まれて消えたかと思うと、その中から細い鋭利な物が飛び出した。それがおれたちの身体に突き刺さる。
白炎の色に似た乳白色の鋭利な刃物。いや、これは尖った竜鱗だ。
「さっきの攻撃でわかったよ。お前の炎は魔力に干渉出来ても物理干渉はできない。実体がない」
天の柱の壁に腕を突っ込んだかと思うと、あの重い白炎を身に纏い、その巨大な炎の腕で天の柱からえぐり出した岩の塊を持つ。いや、あれは魔宝石だ。
「っ!」
投げられた直後に浮遊して回避。天の柱を中心に影の場所へと逃げるが、竜麟の混じった白炎弾を放ちつつ追いかけてくる。蒼炎で防いでも中から竜麟が飛び出してきて、躱すほかに防ぐ手段がない。
天の柱に沿って螺旋階段を登るように飛ぶ。天の柱からは離れられなかった。回避でしか白炎弾を防げないいま、遮蔽物がない場所に出ることは仕留めてくれと自ら首を差し出しているのと同義だ。
「痛いっ!」
微かに尾先に白麟が刺さる。おれは呈の尾を滑り降り、尾先まで行く。下方から放たれる白炎弾。蒼炎に反応して消えたその弾の中から現れる白麟をおれはナイフピッケルで迎撃し、打ち落としていく。
それでも防ぎきれない。さっきのモエニアにしこたま殴られ、引き裂かれたダメージが尾を引いていた。
掠ったところ突き刺さったところが甘い熱を帯びる。どんどんと理性が削られていく。体内を巡る呈の魔力がなければすぐにでも理性は殺され、本能の赴くまま呈を襲ってしまっていたことだろう。
呈の炎の弱点。それは必ず魔力に対して反応してしまい、炎を注ぎ続けていないなければ消失すること。さらに単なる物質に対しては無力だということ。例え魔力を含んでいても、鱗や魔宝石といった実体のある物質を呈の魔力に転換することはできない。
魔力に対しては絶対的な優位性を持つが、それ以外には弱いのだ。
それをこの短時間で、捨て身の攻撃までして見極めたモエニア。幾らモエニアの翼にこれまでの力強さがなくても、このまま空を飛び続けるのはまずい。
「呈、屋内に入れ。このままだとジリ貧だ!」
「うん!」
塔内部に入れる横穴を見つけ、そこへと飛び込み、そのまま入り組んだ屋内を突き進んでモエニアの射線を切る。幸い、追ってくることはなかった。が、当然安心もできない。
「上の方にモエニアさんも入ったみたい。でも大丈夫、いまのところあのブレスのときみたいな魔力の高まりは感じないよ」
「よし、リュックを置いた場所まで行こう」
そのまま屋内を呈に乗って移動し、リュックを回収する。
ここからどうするか。
ちょうどここは魔力の雲があった場所の下の区画。階段の崩落などで通れなかった場所も、モエニアのブレスや戦いの衝撃でさらに崩れ、通れるようになっている。
モエニアのあの地力の強さを掻い潜って抜ける方法が思いつかないと、どうにもならない。
そんなときだった。
「スワロー! 呈!」
雷の轟音のような声が、塔を揺るがすほどに響く。モエニアの声だった。
「お前たちの戦い、見事だった。私という理不尽に対し戦い抜き、互いを信頼し合い、よくぞここまで跳ね除けてきた。賞賛に値する」
いったい何のつもりだ? 単に褒めるために言っているのではないだろう。まだおれたちは争っている最中だ。
「お前たちは十二分に理不尽と戦い、もはや乗り越えたと言っても過言ではない」
故に、とモエニアは続ける。
「私はもうお前たちを追わん。龍と成ったあの瞬間、お前たちは自身の力で理不尽を越えた。ドラゲイがドラゴニアへと生まれ変わったときのように、お前たちもまた生まれ変わったのだ!」
「スワロー!」
「あ、ああ。なんだかよくわからないけど、終わったみたいだ」
あれだけ追いかけて、呈の弱点まで見抜いたのにも関わらず、もう追わないという宣言。だがそこに嘘はない。誇り高いドラゴンであるモエニアがこんな嘘をつくはずがない。
おれたちは一緒に肩の力を抜いた。ようやく終わった。なんにせよ、あのモエニアを諦めさせることができたのだ。
「だから、ここからは私の願いだ」
だが、モエニアの話はまだ終わっていなかった。
おれたちはモエニアのいる上を仰ぐ。モエニアの声質が変わった。おどろおどろしい悪竜のものではない。気品に溢れる気高い竜の声。
「私、白炎竜モエニアは貴君らとの決着を望む。故にこの場所にて待つ」
一匹の誇り高い竜としての望み。もともと人間のメイドだったのかと疑いたくなるほど気高いその言葉を最後に、モエニアの声は響かなくなった。
地べたに座り込んで、おれはため息をつく。心配そうに顔を覗き込んでくる呈に、「ごめん」と謝った。
でもおれがその理由を言う前に、呈は笑って頭を横に振る。
「大丈夫。スワローと同じ気持ちだよ」
「呈……」
本当ならこのままモエニアを無視して頂上へと行くべきだろう。勝つ目算も立っていないのに立ち向かうのは愚か者のすることだ。
でも、これは理不尽と戦うための戦いじゃない。呈を守るための戦いでもない。おれを呈が守るためのものでもない。
これはケジメ。おれが天の柱に登り記憶を取り戻すことと同じ、つけなければならないケジメの一つだ。
それにあれだけ大きく宣言されて、逃げるなんて最高に格好悪い。ここまでモエニアにはしてやられっぱなしだ。男として竜として、逃げるなんて考え、端からない。
あの気高い竜に、おれは、いやおれたちは勝ちたいんだ。
だから、叫ぶ。塔を震わすほどに。応える。
「勝負だ、モエニアァッ! 首洗って待ってろッ!」
聞こえたかどうかはわからないけど、多分大丈夫。
「……よし、勝ちに行くぞ、呈」
「うん」
「おれたちで勝とう」
正真正銘最後の一戦。
おれはモエニアから白星を勝ち取るための策を頭に張り巡らした。
「勝負だ、モエニアァッ! 首洗って待ってろッ!」
その声はちゃんとモエニアの下へ届いていた。
こちらの願いに応えてくれたことにモエニアは純粋に感謝する。
久方ぶりの戦闘による昂り。ドラゴンスレイヤーであった夫との戦い以来のことであった。
「ああ、今日は熱い交わりをすることができそうだ」
この昂った思いのまま夫と交わる。それを思っただけでモエニアの身体は芯から甘く痺れるようだった。傷ついた翼すら勲章のように思える。この翼の傷を夫の精で癒してもらうのが楽しみでしかたない。
「……」
だが、気は抜かない。抜くつもりはない。負けるつもりなどないのだ。
ここまで己に食らいついてきたあの若年の竜たちに、何よりも勝ちたいのである。
ここで待ち受けるのも、もう体力と魔力が限界に近いからである。翼は「白炎の泪(ミーティア)」の反動と負荷でもうろくに動かない。呈の矢で幾度も射抜かれていなければ、ここまで酷くダメージは負わなかったのだろうが。それも無理をした報いだ。
おそらくあのまま屋内で追っていれば、追い付けず結局体力が尽きて動けなくなっていたことだろう。モエニアは、そんな終わり方はごめんだった。
だから宣言をした。彼らの思いを、悪い言い方をすれば利用した。
卑怯だと思われるかもしれない。それでも戦いたい。そして、勝ちたい。
そうしたいほど、あの二人は目覚ましい成長と進化を遂げている。
ドラゴンたる自身にも臆さず、刃と炎でここまで追い詰めてきたのだ。理不尽の連続であった逆境を跳ね退けてきたのだ。もはや子供だからと侮っていいような存在ではない。
だからこそ。
このドラゴニアに住まう二匹の竜と成った二人と、己が刃を交える最後の戦いをしたいのだ。
「やはり大人げないかな……」
モエニアはひとりごちる。
だがこうして理不尽の権化として在り続けていたのである。
最後くらい、一匹の竜としての望みを叶えても罰は当たらないだろう。
「来たな」
モエニアは炎を展開した。
そこは天井が崩落し、三階分まるまる吹き抜けとなった場所。無骨な柱が剥き出しになり、ところどころは床が抜けている。その不安定な中で、モエニアはあの重い炎を周囲へ広げた。
二階半に相当する場所で浮くモエニア。しかし浮いているのではない。その周囲の壁や地面にへばりつくように伸びる白炎によって身体が支えられている状態であった。
その白炎の中に魔宝石や竜麟が呑み込まれており、いつでも射出できる状態である。
スワローと呈が一階に立ち、モエニアを見上げていた。そこに驚嘆の表情はなく、成り立ての子竜どころか、大人になって久しい成竜とすら思える、精悍な顔つきだった。
「おれたちでお前に勝つよ」
「勝負だよ、モエニアさん!」
「来い、スワロー! 呈!」
喜悦を以てモエニアはスワローと呈を迎え打つ。
限界が近い。だがそれはお互い様だ。
勝負は一瞬。ここで全てが決まる。
白煙が舞った。
三者の声が響き終わるのと同時に、呈の足元で煙玉が弾け白煙が舞う。それは一階全てを満たし、たちまちスワローと呈の姿を呑み込んだ。
モエニアの魔力感知は大まかな位置こそわかるものの、機敏にその動きを察知できるものではない。当然、呈のように体温や魔力を形として感知できるものでもなかった。
だが、煙はこちらまで届いていない。攻撃するためには接近せざるを得ない。待ちの利はモエニアにある。だがただ待つつもりはない。
白炎の内側より竜麟を二人が元いた場所へ射出する。
「?」
手ごたえはあった。だが動きがない。
「……! 確実を取ったか!」
白煙を貫いて飛び出た影、それは一矢だった。呈が放ったであろう矢。最初の交戦時にも使われた手、それをモエニアが忘れるはずがない。
操った白炎で矢を呑み込む。幾ら空を切り裂く矢とは言え、白炎の火力に耐えられる代物ではない。何より物理効果のある白炎を貫けるわけがない。
はずだった。
「……ッ!?」
白炎を穿ち飛翔する矢。
それはモエニアの胸の正鵠に定まっていた。
内心で舌打ちするとともに、モエニアは右手を上げる。間一髪。矢を右手で鷲掴みにする。矢先は一寸の隙間もないほど、心の臓へと迫っていたが命中は免れた。
「そういう、ことか……!」
そして、何故白炎を貫けたのかも理解する。矢羽から伸びるアラクネの糸、それを伝い蒼炎が矢と糸を薄く保護していた。常に魔力を注ぎ続け、白炎を無効化したのだ。
「確かに使いこなしつつある……」
蒼炎との接触は魔力の侵食を許す。早々に灰燼へと還したが右手の痺れはしばらく取れない。
一手奪われた。形勢が一つスワローたちに傾きはした。しかしそれでも。
「ここで真正面からとはな!」
そして矢を受け止められた直後、間髪入れず白炎の中から現れたのは呈だった。龍の姿で飛翔し、真正面からの突進。左掌をこちらにかざし、右手は煙の中。
蒼炎弾と白炎弾がこの一瞬に何十発と弾ける。だがダメージがあるのは呈の方だ。白炎弾には竜麟を混じらせている。
なのに退かずに突っ込んできた。数多の竜麟を身体から生やしながら。
「ぅああッ!!」
「愚直すぎるぞッ!」
カウンターは容易い。巨剣を振り下ろすが如く、眼下より迫りくる呈に速度に合わせて白炎を纏わせた左手の手刀を振るった。
「んッ!」
「!?」
呈の呻き声とともに手刀は虚空を斬った。
躱されたのではない。突如、呈の飛翔が減速した。
龍の姿から白蛇の姿へと戻り、下降に転じたのだ。
体勢が崩れる。それでも白炎に支えられた状態であるため致命傷にはならない。
だが、安心できなかった。ある疑念がモエニアの頭を駆け巡った。
龍から白蛇への変化。ならばスワローはどこにいったのか。
呈の右手にスワローの手はなかった。
左右いない。上はありえない。下は炎の壁。背後に回り道する暇はない。
「どこに……ッ!?」
自身の身体を支えていた炎が揺れる。同時に炎が削られるような感覚が足元から伝わった。
「まさか炎の中をだとッ!?」
カカカッと小気味良い音が響く。足元後方の炎が抉られる感覚とともに。
それは硬いものを弾くような音。
炎の中で唯一形を保っている硬質な物質は一つ、魔宝石しかなかった。
それを足場とした存在が、モエニアの背後で炎を盛り上げる。
粘質の炎を破り現れたのは、耐火の外套を着たスワローだった。同時に目深に被られたフードごと外套が燃え尽きる。
手にはナイフピッケル。彼と同時に持ち上げられた魔宝石を蹴り、モエニアの背へと地面と平行に跳び迫った。
「スワロォッ!」
「モエニアッ!」
まだ前身を反転し切れておらず、半身だけがスワローへと向いている。それも攻撃の空振りの勢いのままで向いたため、痺れのある右手側。
許された迎撃手段は尻尾のみ。
だが。
「フッ!」
追い詰められた状況ほど攻撃は単純になりやすい。何より。
「見せすぎたか!」
尻尾の攻撃は完全に見切られ、ナイフピッケルを持たない左手で叩くように尾を飛び越えられる。
間合いに入られた。重い白炎を出すには一瞬間足りない。何より、自身の身体を支えるのに使い切ってしまっている。
すでに振りかぶられたナイフピッケルの切っ先は、心臓へと寸分の違いなく突き刺さることをモエニアは予期した。
「だが、惜しい」
冷徹に下す。
もう一手。何かしらの意識を逸らす手段があれば確実にその切っ先は届いていた。
ここまでの消耗がここに来て響いたのだ。
モエニアは備えていた。この事態、この状況、背後を取られる、上を取られるなど。
手足、尻尾の動きが取れなくなる状況でも対応できるように、喉奥にて最初からすでに魔力を練っていたのだ。
故に、業火は刹那の時を待たずに放たれる。
白炎がモエニアの眼前のスワローを呑み込んだ。白い燐光を放つ光炎は塔の外壁を穿ち、空へと続く穴を広げる。
その残光に残るスワローの影は蹲り、その勢いを失っていた。
「私を仕留められる呈をあえて囮にした手、悪くはなかったよ」
だが、それも考えていないわけではなかった。なんらかの手段で、呈とは別の位置から自身に肉薄することは一つの可能性として念頭に置いてあったのだ。
「あとは呈を……?」
だが、これは予想していなかった。
白炎のブレスを放った先に白蛇の尾が伸びていることは。
その尾が、蒼炎の龍毛を生やし、スワローの足に絡みついていることは。
「ッッ!?」
最大級の悪寒が背筋をなぞり上げる。
その尾はいつから絡んでいた? いま? 違う。そんな気配はなかった。
それに呈にこの高さまで自力で昇る術はない。
だとすれば最初から。常に繋がっていた。
なら最初の交戦で蒼い炎が消えたのは。
――まさかまさかまさか!
呈を囮にしたスワローこそ、囮。
気づいた刹那、背中を抱きすくめられた。
そして、蒼炎が視界を真っ蒼に染め上げる。
「ぐっ、ああああああああああああああああああああああああああ!?」
抗い難い甘い痺れ、忘我の境地へと誘う悦楽の暴力が全身に襲い掛かった。
「あ、がっ、ぐく、くあぁああああああああああああああああああ!!」
魔力が犯される。自身の竜の魔力が呈の爛れた蒼い魔力に汚染され、呑み溶かされていく。夫との交わり以外考えられなくなれと、脳内を桃色に染めようとしてきた。
これが昨夜ワイバーンたちが受けた魔力。一瞬にして思考が溶かされ、夫となるべき者へと飛び去った彼女たちの気持ちをモエニアは改めて理解した。
これを受けて抗えるものは相応の精神力を持つ者しかありえない。
「あ、ああああああッ! だが、私も負けたくは、ないぞッ!」
「モエニアさ、んッ!」
白炎が迸る。呑み込もうとする蒼炎に抗い、その許容量を凌ぐほどに。
蒼炎も魔力を呑み込めるとは言え、ある一定量で転換できる魔力の容量は決まっている。
ならば、蒼炎が呑み込めないほどの魔力を溢れさせればいい。
そして、身体がまだ言うことを聞くならば。
「お前の力で、私を抑えつけとくことはできんさッ!」
呈を引っぺがせば終わりだ。
「ぐぅっ、離すもんかっ!」
普通ならばすぐにでも引き剥がせたはずだが、蒼炎の侵食は思った以上に身体を蝕んでいた。何より呈の意地がモエニアの身体から剥がされることを許さない。
だが、それでもまだ呈の力よりもモエニアの方が圧倒的に強い。
首根っこを掴み、無理矢理引き剥がしにかかる。
蒼炎が最大級に迸る。
灯消えんとして光を増す。
全力。全身全霊。最大最後の烈火。
意地と意地の勝負。
「うぅぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「うぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
砲声が響き、白炎と蒼炎が瞬いてこの空間を埋め尽くす。
そして。
そこに一つの影があった。
「――?」
何故。疑問は尽きなかった。
何故何故何故。
直撃だった。必殺だった。理性は焼かれ、悦楽に降り、もはや戦う意思など一片も残っていないはず。呈が蒼炎を使うためのある種のブースター。そのための役割しか残っていなかったはず。
――なのに何故!?
「スワローォおおおおおおおおおおお!!」
――何故貴様は動ける!?
モエニアは勝負をしてくれた。だからおれはここにいる。
待ち以外の戦術を取られれば、この状況には至れなかった。
互いを囮にし合う作戦。どちらかがやられればそれで終わりな杜撰な作戦。
だがそれも、呈の蒼炎が身体の自由を奪うという付随効果があって成立した。
そして、“最初から”魔力を溜めて備えていたモエニアのブレスを、引き出せた。
おれに向けて撃たせられた。
その時点でおれたちの勝ちだ。
何もない空間にあるものが出現する。火の粉を浴びて、半分まで燃えた薄い一枚の紙が。
インビジブルシール。それは、使用者の姿を隠すことができるマジックアイテム。だが、隠してたのはおれ自身じゃない。
モエニアの表情が驚愕に彩られる。
「スワローォおおおおおおおおおおお!!」
おれの全身を覆うように出現した真っ赤な焔の外套。
それはあらゆる竜の頂点、王の中の王、レッドドラゴン・デオノーラの吐いた焔により編まれたクローク。
その耐火性能は一般に売られる耐火の外套の比ではない。あらゆる炎、熱から使用者を守るその焔は絶対の業火すら跳ね除ける。
――赤竜の外套。
ドラゴニアにおいて、正式に竜騎士となった者のみが、陛下より賜る最上級魔法防具。
「呈!」
「スワロー!」
おれの足に巻き付いていた尾が、おれをモエニアの下へと誘う。
もう下手な小細工はいらない。ナイフピッケルを胸元に構え、このまま突っ込むだけだ。
使える手は使い果たした。これが正真正銘最後の攻撃。
手は封じた。脚も封じた。尻尾も翼もブレスも白炎も全て封じた。
だから――これでッ!!
「モエニアァああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
モエニアは笑う。
それは諦観ではなく、しかし、勝負に飢えたぎらついた笑みでもなかった。
これまで交えた戦いを、ここまでの健闘を、戦い抜いた者を称え認めるような笑み。
たった一言分の猶予しかなく、モエニアは砲声を轟かせなかった。
ただ一言。おれを見据えて、おれたち二人に彼女は言う。
「見事」
腕に得物が沈む感触が伝わった。
直後、蒼炎は白炎を完全に呑み込み、モエニア自身を支えていた白炎すらも呑み込み、この空間全てを埋め尽くす。
全てを出し尽くす。
そして、消失した。
全てを出し切った呈も白蛇の姿へと戻った。
時が止まる。
無音の賞賛。
おれたちの勝利がこの瞬間、決まった。
蒼炎がおれを包んでいた。あの理不尽な白炎はどこにもなかった。
それに。
「え、え? なんで、ええ?」
おれは何故か空を飛んでいた。しかも天の柱の外。好戦的な笑みを浮かべて見上げてくるモエニアが下にいる。
いや、飛んでいるのはおれじゃない。白と蒼の混じった尾におれは跨いでいて、それが宙に浮いていたのだ。
「大丈夫? スワロー?」
指を絡めて手を握る呈がそう言葉を投げかけてくる。
おれは頭をゆっくりあげた。
宙をうねる白麟と蒼鱗の入り混じった尾。そこに龍毛のように生える蒼い炎。
腕や身体はまるで竜の鱗のように蒼い炎を纏い、濃淡によってまるで炎の着物を着ているかのように優美に揺れている。
「ぼくはもう大丈夫。もう折れないよ。絶対に」
おれをまっすぐ見つめてくる呈。
先が蒼く硬質になっていた呈の耳からは蒼炎が伸び、頭部からは細く枝分かれた二対の角が蒼炎で象られていた。
揺らめく幽玄の炎。変わり切ってしまっているのに、おれはその姿の呈がとてもしっくりきた。白蛇の姿じゃない、もっと別の何かに変わってしまっているのに。
龍。
彼女が仕えるべき水神。
呈は、彼の竜と同じ姿になっていた。
でも、それが呈の望んだ姿で、どこまでもいっても呈だということには変わりなかった。
このドラゴニアに住まう一匹の竜として。
龍と成った呈の姿はとても美しかった。
少なくとも、思わず声も出せずにじっと見つめてしまうくらいには。
「ス、スワロー?」
そしていたたまれなくなった呈がおれに声をかけてくるくらいには。
それくらい、いまの呈はおれを魅了し尽くしたのだった。
「正直、いまの呈とセックスしたい。すごいシたい。モエニアにも他の皆にも見られてもいいからシたい」
「ぼくもシたい」
でも、だ。
「やるべきことやってから好きなだけヤろう」
「うん。生まれ変わったぼくとスワローで、あの理不尽を越えよう」
モエニアを見下ろす。じっとおれたちを見上げて、モエニアはすでに臨戦態勢を取っていた。そして翼を広げ、おれたちと同じ目線まで飛んだ。あの白炎を纏わずに。
「さぁ行こう、スワロー。今日ここで、全てを終わらせて、ぼくたちは新しい門出の一歩を踏み出すんだ!」
「ああ!」
身を尽くし、心を尽くし、死力を尽くし、愛を尽くし、おれたちは理不尽へと飛翔した。
「キターーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!」
ミクスは絶叫した。周囲にいた呈の友人諸氏が一斉にミクスへと視線を吸い寄せられる。
が、気にせずミクスはホップステップジャンプと喜びを全身で表現するように忙しなく動き回った。ここは天下の竜翼通り。水球を見上げて足を止めていた通行人たちも皆ミクスを見ているが、知ったことじゃない。
「来たよ来たよ、キタキタキタキタキタァ!! あれだよ、アレ! 僕はアレが見たかったんだ! 小さな小さなか弱い少女が、己が限界を超えて成長するその瞬間! これまでの弱い自分の殻を破るその刹那! いいや! 殻じゃない! 蛇だ! だから脱皮だ! 脱ぎ捨てたんだ! 蛇はいま脱皮し、そして!」
諸手を広げてミクスは砲声する。
「龍へと昇華した!!」
くぅ〜とミクスは唸る。感情の奔流を抑えきれないとでも言いたげに、この愉悦をどこへ向ければいいのかわからないと言いたげに、自身の身体の内で破裂させる。
そして、自分を見る皆へと向けた。
「ありがとうスワロー! ありがとうリゼラ! ありがとうメッダー! ありがとうグリューエ! ありがとうストリーマ! ありがとうドラグリンデ! ありがとうデオノーラ! ありがとう龍泉! ありがとう真白! ありがとう聖! ありがとうリム! ありがとうウェント! ありがとうセルヴィス! ありがとうラミィ! ありがとうキサラギ! ありがとうヴィータ! ありがとうファリア! ありがとう皆!! 君たちがいたから、呈は龍と成った! 白蛇の魔力を枯渇させ、竜の魔力を注ぎ馴染ませ、王たるデオノーラ、ドラグリンデ、グリューエ、そして龍泉の魔力を注ぎ、呈の魔力と交わらせなければ決して龍には成り得なかった! 何より変わろうという意思! 竜に成ろうという絶対的な意思! ありがとうモエニア! 君という理不尽な壁がなければ呈は変わらなかっただろう! 感謝するよ、このドラゴニアに住まう全ての者に!」
そして何より。
「この光景が見られるよう導いたこの僕自身に! ありがとうッ!!」
そして哄笑を響かせる。竜翼通りの上から下まで響きかねないほどの、ある種狂気すら混じった淫魔の笑い声を。
仰ぐ空は蒼く、呈の魔力の片鱗がこちらまで届いていた。
「い、いつもこんななのか?」
メッダーの問いにキサラギは笑む。
「今日は特別っすね。うちだって本当は小躍りしたいんっすよ? 幸せになりきれてない魔物娘が不可逆の幸福に堕ちていく瞬間というのは、愉悦モノっすから。もうスワッちもテーちゃんもどうあがいても不幸には成り得ないんっすからね」
「わっけわかんねぇ」
「それでいいっすよ。うちらと関わると婚期が遅れるっすからね?」
「やめろよ……」
心底嫌がるメッダーにキサラギは声を噛み殺しながら笑った。
「まっ、ヴィータもついに相手を見つけたし、うちらもわかんないっすけどね。……さぁって不幸には成り得ないっすけど、あのモエニアには勝てるっすかねぇ。空を飛べることとあの膨大な魔力を差し引いても、手ごわい相手っす」
「呈たちのこと疑っちゃいねぇけど、モエニアもドラゴンの中じゃあかなり強い方だろうからな」
「ふふふっ! そこは違うぜ、キサラギ!」
同志が小躍りできない分、代わりにしてあげていたミクスは二人の会話に堪らず突っ込んだ。
「呈は空を飛んじゃない」
「はい?」
「空を泳いでいるのさ」
何を言っているのだこいつは、という顔をされたがミクスは笑みを崩さない。それどころか呆れるように肩を竦めた。
「おいおいおい、それでもジパング出身かい? 龍は空を飛ばないだろう?」
「いや飛んでるだろ」
メッダーの鋭いツッコミに、チッチッチと人差し指をミクスは振る。
「違うね、龍は空を泳ぐんだ。水中を泳ぐようにね。龍の魔力は水の魔力。一種の神ともされる龍は水の魔力を自分の周囲に浮遊させ、その中を泳ぐのさ。天候を変えるほどの膨大な魔力を持つ龍だからこそできる荒業だね」
「呈もそれをやってるって?」
「無意識にね。でもそこだけがいまの呈の凄いところじゃないんだぜ。いまの呈の魔力は包容力を持つ癒しの龍の魔力であり、そして」
ミクスは水球を見上げる。蒼炎を迸らせ、空を泳ぐ呈の姿がそこにはあった。
「己の愛しい人を独占したい嫉妬と情欲に塗れた白蛇の魔力でもある。他人の魔力を塗りつぶしかねないほどに、ね」
さぁ見せてくれよ、生まれ変わった君たちを。
ミクスは天翔ける蛇龍とその夫を抱き迎えるように、諸手を上げた。
蒼色の星と白色の星が空を舞う。おれは蒼星とともに在った。
飛ぶという感覚とはまた違う、不思議な感覚。全身に風を感じるけど、激しい風圧や冷気はほとんど感じない。優しい水で保護されているかのように、雲海のさらに上にいるにも関わらず自在に動き回れた。
呈のこの蒼い炎が守ってくれているのだと気づくのに時間はかからなかった。
おれは呈と左手で繋ぎながら、尾に跨り、空いた手でナイフピッケルを構えていた。リュックはお互い持っていない。動きを制限するため、呈が天の柱に置いてきた。
急加速急停止を繰り返し、直線的ながらも急角度の移動で翻弄してくるモエニアを、呈は尾をうねらせ流れるような動きで捉え続ける。
モエニアが空を駆けるというのならば、呈は空を泳ぐと形容した方がいいだろう。
往く川の流れの如く、決して止まらずに滑らかに飛ぶ姿は水の中を泳いでいるようだ。
塔を中心に上下左右あらゆる方向へ、地上にいたときよりも空間的に動き回る。そうしなければ、モエニアの動きを、攻撃を躱しきれない。
蒼炎の消えた一瞬を狙い迫りくるモエニアを、辛うじて呈は躱しつつ、おれはナイフピッケルで反撃する。
「さすがドラゴン、速いな……!」
「最大速度では勝てないけど、小回りなら!」
「ッッ!?」
大空と雲海の上下が反転する。負荷はかからないまでも目まぐるしく変わる視界の変化は内臓に圧をかけてくるが、泣き言なんて言っていられない。
「……」
呈がいま竜なのだとしたら、おれはその竜騎士だ。呈の動きに、働きに、最大限応えるのがおれの役目。
「やるよ……!」
おれがやれると呈は信じてくれている。なら呈の全力におれも全力で応えるだけだ!
魔力の保護を纏っていても急激な風圧が顔を襲う。それでも視線は定め、モエニアの姿を逃さない。
揺らめく白炎を身に纏うモエニアと交差する。
「くッ!」
「チッ!」
呈を狙う爪と迎え打つおれのナイフピッケルが弾き合い、火花を散らせた。
モエニアが離れると同時に、呈が放つ蒼い炎が白炎を侵食しようとするが、モエニアは次々に白炎を身体中から吐き出し、蒼炎に汚染された部位を剥がしていく。
「はぁッ!」
「おぉッ!」
空を縦横無尽に舞い飛び泳ぎ、おれと呈は白い流星と幾度となく刃を交える。それぞれの魔力が蒼い帯と白い帯を空に描く。
その帯となるおれたちが交差する度に、激しい火花が舞い散った。
追い付けている。あのモエニアの動きに、おれは対応できている。
「随分と冷静に捌けてるじゃないか! フラフラだったろうに!」
「呈のおかげだよ! いまならあんたの首を刈れそうだ!」
「抜かせ!」
急上昇したモエニアを追い、呈は身体を反転、急浮上。モエニアを追跡するが、同時にモエニアは突如急降下に移行した。
「このまま……!」
「わかった!」
呈の言葉に応え、おれは備える。
モエニアが手をかざしながら白炎の連弾を飛ばす。呈はそれを同じ蒼炎の連弾で迎え撃った。
「ぉおおおおおおおおおおッ!」
「ぁああああああああああッ!」
炎が衝突した瞬間、蒼炎が白炎を呑み込みすぐに消失する。ほぼ相殺。呈の魔力は少なくともモエニアの白炎を上回っている。
あと数秒もなく正面衝突をするという寸前、モエニアの全身が実体のある白炎に包まれた。
瞬間、急加速した。
「ッ!?」
モエニアの周囲の空気が赤く燃えているように見えた。
呈は咄嗟に蒼炎を前方に展開しようとするが間に合わない。物理的に貫かれる。
「ぐぅぉおおおおおおおおおおおッ!!」
全力の砲声。おれは呈を背から抱いて、無理矢理進行方向をずらした。ずれたのはほんのわずか。しかし、間一髪、肌を焼ききるような熱とともにモエニアが真横を急速落下していく。
「熱いッ」
「大丈夫かッ!?」
熱波がおれたちを煽る。蒼い炎で防御していたのにも関わらず、掠めた呈の肌が赤く染まっていた。直撃していればどうなっていたか、考えたくもない。
「あ、ありがとう、スワロー」
「いやまだだ、呈! もう来てる!」
「ん!」
白炎弾が下から幾発も放たれ、呈はすぐさま回避行動と迎撃に移った。
蒼炎弾と白炎弾が空中に乱れ弾ける。完全に弾幕の張り合いの様相を呈し始めた。
雲海の上を滑空し、並走しながら弾を応酬する。だが、僅かにモエニアの方が弾速と次弾への速さがあった。特に尾の後方を狙われると、纏う蒼炎だけで防ぐのは難しい。
そして。
「うッ!」
「呈!」
被弾。蒼炎の装甲が剥がされ、そこへ次弾の白炎弾が迫る。
当たれば体勢が崩れることは必至。何より呈にそんなものを当てるなんて。
「させるかッ!」
鉤爪つきのロープを俺は投擲した。白炎弾の直線状と装甲の剥がされた尾の間へと滑り込む。
ゴォッと炎が燃え盛る音ともに鉤爪は弾かれた。僅かに赤熱していたが無事。呈への直撃を避けられた。
「やるな、スワロー!」
「チマチマしやがって! おれとやりあえ!」
「してるさ! お前たち二人とな!」
弾幕の応酬。こぼれ弾をおれの鉤爪で弾き、なんとか遠距離戦で耐えていた。
「駄目、スワロー、ぼくの炎だけじゃあ決定打にならないっ!」
全部が全部相殺されているわけじゃない。モエニアを僅かに掠めた弾もある。だが、それ以上にこちらの方が多く被弾していた。遠距離戦だと分が悪い。
「ならもうちょい近づけるか!?」
「……やってみる!」
何も聞かずに呈はおれを信じてくれた。
纏う蒼炎の量を増やし、連弾とともにモエニアへと呈は突っ込む。
「さっきと逆か! だが、真っすぐすぎるぞ!」
モエニアの翼が大きく開かれたかと思うと、手からではなくそこからも白炎弾が放たれた。無数の白炎が、蒼炎弾どころか纏った装甲すら見る見るうちに剥がす。
そして、呈の上半身を無防備にさせた。
「くぅっ!」
「逃がさん!」
呈は水に潜るように雲海へと逃げる。当然、モエニアはそれを追い、身体を下方に向けた。
直後、モエニアの首にロープが絡まり、鉤爪が食い込む。
「なっ!」
おれは呈の尾の一番後ろ、その影に張り付いていた。呈と一緒に潜らなかった。
巻き取り機を起動と同時、呈の尾を踏み台に跳躍。前方、体勢を崩したモエニアへ。
ナイフピッケルを大きく振りかざし、その頭部へ思い切り振り下ろす。
「ぐぅッ!?」
初めてモエニアの生々しい呻き声を聞いた。
だが。
「くそっ……!」
ナイフピッケルの刃先が貫いたのはモエニアの掌だった。
毎度毎度! 防御と危機察知能力が高すぎるんだよくそ!
決めきれなかったおれはすぐさまナイフピッケルを引き抜き、巻き取り機ごとベルトから引きちぎってロープを離す。
そして、モエニアの体勢を崩すためと白炎弾を回避するため、彼女の肩を蹴り飛ばしたのだが。
「え?」
おれをキャッチしてくれるはずの呈の姿がなかった。どこにも。
さらに。
「うっ、ぐっ!?」
息が詰まった。息を吸った瞬間、肺が凍えそうなほどの冷気がおれの体内を満たしたのである。さらに冷気を伴う激しい突風。上から吹き下ろしてくる暴風におれは一瞬で雲海の中へと叩き落とされた。
「がっ、ごっ、ぐぁ!」
身体が錐揉み回転しながら雲海の中を急降下していく。小さな粒が身体と顔面に突き刺さり目を開けていられず、体勢を取り戻すことすらままならない。
意識を刈り取られなかったのは子供の姿であっても、もう人ではなく魔物の身体となっていたからだろう。
そして数秒の落下の後、雲海を抜けおれは歯を食いしばり顔を下へと向ける。
呈!
呈がいた。蒼炎を纏わず、白蛇の姿で急落していっている。
まさか、龍化が解けた!?
しかし考えている暇はない。この状況、すぐ傍に天の柱はない。おれは迷わず頭を地面に身体を一本の棒とした。
空気抵抗の最大低減。風圧を貫き、呈へと急降下する。
呈に動きがない。意識を失っている?
「……! ……!」
冷気がおれの喉を凍らせる。おれの叫びが突風に掻き消される。
それがどうした。燃やせ。声を、心を、思いを。伝えろ呈に。届けろ言葉を。
こんな風と寒さに負けるほど、おれの身体は軟じゃないだろうが!
「……! てぇえええええいッ!」
「!」
おれを見上げる呈の呆けた顔が泣き顔と安堵の笑みで入り混じる。
おれは手を伸ばす。呈もおれに手を伸ばす。もう少し。届け!
瞬間、荒れ狂うだけだった暴風が不思議な動きをした。呈の身体が不自然に浮き、おれの身体はその速度を上げた。
「スワロー!」
「呈!」
そして触れ合う。指先が交差し、深く絡め合う。
その刹那、蒼炎が再びおれたちを包み込んだ。
龍となった呈の魔力が周囲を満たし、冷気も風もその悪辣な影響を全て遮断する。
「ううぅスワロ〜!」
「わ、悪かった、呈!」
おれたちは空に滞空したまま抱き合う。本当に死ぬかと思った。何より、呈が消えてしまったあの瞬間がとても怖かった。呈の傍にいられなかったこと、落ちていく呈に気づけなかったことで酷く後悔の念が襲い掛かってくる。
もう離すものかと固く抱きしめ合った。
「なるほど……呈、お前の魔力の正体がおおよそわかってきたぞ」
「モエニアさん……!」
白炎弾を周囲に携えながらにモエニアがおれたちの上を取る。この状況、下手に動けない。
「まさか他者の魔力を自身の魔力に転換するとはな。いや、転換というよりは侵食か。魔力を喰らい、自身の影響下に置く。単純に魔力を傷つけるよりも厄介な性質と言える。究極的には使い手の思い通りになるのだからな」
無論、誰かを傷つけろなどの命令は絶対に効果ないだろうけど。
「……そうだね。ぼくはもう誰にもスワローを取られたくないんだ。スワローはぼくのだ。誰にも奪わせはしないよ。他の娘にだって、理不尽にだって」
確かな意志を抱いた呈の宣誓。はっきりとモエニアに対して反抗の意を示している。
おれに執着してくれていることがすごく嬉しい。
「その結果があのワイバーンたちか。まだ知らないだろうが、昨夜のお前たちを襲ったワイバーンたちは全て夫を得たよ。お前がドラゴニア各地を回って残した魔力の片鱗が、夫となるべき者に微かに付着した結果だろう。お前の魔力が付いたオスとメスは引き寄せ合い、番いとなった。それも全てスワローを奪わせないため。半強制的に相性の良い者と引き寄せ合わせる――随分と偏った魔力じゃないか」
呈は笑む。白蛇とも龍とも似つかわしくない、淫靡で爛れた笑みを。それがどうしようもなく綺麗でゾクゾクする。
「じゃあ、モエニアさんにいっぱいこの魔力を注ぎ込めばいいんだよね? ぼくたちの邪魔をするモエニアさんに」
「そうだな。それを直接注ぎ込まれれば幾ら私と言えど、メストカゲとなって夫の下へすぐにでも向かって行ってしまうだろう。できれば、の話だが」
風切り音が響く中、呈とモエニアの間で火花が散る。置いてけぼり食らってる感は否めないけど、おれは黙って機を伺うことにしたことにした。
「確かにモエニアさんは速いよ。でもぼくだってそろそろこの蒼い炎の扱い方はわかってきたんだ。次はもっと上手くやる」
「強がりは止せ。お前の魔力、その蒼い炎は体力をかなり消耗するのだろう。最初みたいな大袈裟な放出を行っていないのがその証拠だ。それに魔力を転換するとは言っても、魔力の弾を飛ばしていては吸収もできまい。お前の炎は消えやすいのだからな」
モエニアの炎は消えにくい性質を持っていたけど、どうやら呈はその逆。すぐに消えてしまうようだった。
「ただ飛ぶだけでも魔力を消費し続けているのだろう? 確かにお前は白蛇というよりは龍のソレに近い魔力の量と質だが、長くは保つまい。おまけにスワローと手を繋いでいなければその力は失われてしまうのだからな」
モエニアの言っていることは正しい。
おれの身体の中を何かが巡る感覚がある。それが何らかの力で、呈へと再び巡ることで龍に成れている。手を離せばすぐさま白蛇に戻ってしまう以上、かなり限定的な力だ。二対一という数的有利がほとんど効果を発揮しなくなってしまう。
「でもそういうあんただって、あの炎を使わないよな」
物理的な力を持つ尾のような炎。あれを使ったのはただの一瞬。さっきの交戦時、モエニアが直上から落下してきたときのみだ。それも発動はほんの一瞬だけ。
「……あえて使わない、とは考えなかったか?」
「使わないじゃなくて使えないんだろ? 重すぎて」
モエニアの眉がぴくりと小さく跳ねる。どうやら予想は的中した。
制約を受けているのはおれたちだけじゃない。モエニアもだ
「物を掴めるくらいの炎だ。炎そのものに重量があるんだろ? 移動が困難なくらいにな。発動したとき、床に亀裂が走ってたもんな」
おれたちを追わなかったのもそのため。それでも逃さない確かな自信があのときのモエニアにはあったのだろう。
だが、呈が空を飛べるようになったため状況が変わってしまったのだ。
「しかも出せる炎の量にも限度があるんじゃないか? おれたちが下に行けば行くほど炎の尾の数が減ってたからな」
最初の数でずっと追えば、おれたちは詰んでいた。できなかったのはその制限があったからだ。重く、しかし出せる量にも限度がある。あくまで守りのための炎。それがあの重い白炎だ
「それに弾を飛ばすのなら消耗するのはそっちだって同じだ。モエニアも魔力を飛ばしてるんだからな」
モエニアは肩を竦めて笑う。そして、あっさりと首肯した。
「……ああ、正解だ。だが、一つ訂正させてもらおう」
「……?」
「使うことはできる」
モエニアの全身が重い白炎を纏った直後、おれたちの方へと急降下する。
さきほどの正面衝突寸前にまでなったときと同じ急加速。
「迎撃!」
「うん!」
蒼炎弾を飛ばし突然の突進を迎撃するが。
「……! 曲がった!?」
片翼だけを大きく広げたかと思うと、モエニアは急転回。蒼炎弾を全弾躱した上で側面に回り込んでくる。
さらにモエニアの後方で炎が爆発。その爆風を利用して直角に方向転換し、最高速度を保ったままおれたちへと突っ込んできた。
弾では間に合わず蒼炎の壁を大きく広げることで呈はその進行を妨害しようとするが。
炎がノッキングするような音を交えて、モエニアの眼前に現れた炎が不自然に瞬くと、呈の蒼炎が掻き消えた。
「蒼炎の強制反応と消失速度」
モエニアの呟きとともに、炎の鎧を引っぺがされた呈へモエニアの蹴りが放たれる。
「くっ!」
おれが間に割り込むようにするも、意味があったかどうかはわからない。
「炎は本人の意思によって発動。反応速度に比例」
モエニアの加速した弾丸のような蹴りはおれの肩へとめり込み、そのまま呈ごと下方へ叩き飛ばした。
尋常じゃない風圧が全身に襲い来る。そのくらいの勢いで下方に突き飛ばしたのにも関わらず、モエニアはすでにおれたちの下に回り込んでいた。
さきほどまで全身を覆っていた重い白炎が、翼に纏わりついている。白炎の翼が不可思議に蠢き羽ばたくと、モエニアの動きが加速した。
「『白炎の泪(ミーティア)』」
モエニアの姿が白炎の帯に消えた。
「がッ!?」
「あぐッ!」
瞬間、おれたちの全方位から衝撃が襲い掛かる。
モエニアの動きが目で追えない。白い彗星の帯だけが視界の端に残る。モエニアがもたらす音全てが遅れている。音速を遥かに超える速度でモエニアはおれたちを中心にした空間を縦横無尽に駆け巡っていた。
殴られている。
蹴られている。
引き裂かれている。
白炎の弾で蒼炎の鎧を瞬時に剥がされ、次の瞬間には流星の如き速さで攻撃されている。
「くそ、見えな、ぐあッ!」
頭ではわかっている。だが、反撃できない。それどころか身動きすら取れない。
四方八方あらゆる空間から、動きの読めない速度で暴虐の嵐を繰り出してくる。
これはいままでのとは違う。
あの重さのある白炎がモエニアの竜としての特性なのだとしたら、これは技術。
特性を理解し、戦うための力へと昇華させたモエニアだけの技だ。
ワイバーンの動きの比ではない。流星が意思を持っているかのような、そんな無茶苦茶な動きだ。
まだこんな隠し技を持っていたというのか、モエニアは。
「て、い……」
「あうッ! ううッ!」
嵐に呑まれた者にできるのはただ過ぎ去るのを待つのみ。だが、この嵐は耐え忍ぶことを許さない。
「トドメだ」
来るッ! 今度は目で追えた。ちょうど直上。白炎を纏わらせた鋭爪をおれたちに向け、モエニアが急降下する。
くそっ。
わかっていても反応できない。体勢は完全に崩され、防御にも回避にも移れない。
蒼炎は完全に剥がされ、呈はどこからモエニアが来ているのか気づけていない。
やられる……!
凶爪の衝撃をおれは覚悟した。
だが。
「ぐぁッ!」
「!?」
悲鳴を上げたのはモエニアの方だった。
「あぐぅッ、ううぅうう!」
苦痛に顔を歪め、白翼に纏っていた炎が掻き消える。
しかし、その炎から出てきたのは赤黒く濁った翼だった。被膜が所々破れ、炎によって焼け蒸発した血が翼にこべりついている。
「血が出て……?」
「ッ、ぅぉおおおおおおお!!」
しかし、無理矢理翼をはためかせると、モエニアはおれたちを蹴り飛ばした。咄嗟に呈を庇うが空中で身体を抑えることなどできず、おれたちは揃って吹き飛ばされる。
「あぐッ!」
遅れて岩を砕く轟音とともに衝撃が全身を伝播した。
吹き飛ばされたおれたちは天の柱の外壁へとぶつかったのだ。
「て、てい……」
「だいじょう、ぶ。スワローは……?」
大丈夫と答えようとした。だが。
「ぐっ、はぁはぁ……やるな、呈。随分と耐えられてしまった」
「やっぱり、いまのは捨て身の攻撃だったんですね」
頭上で滞空するモエニアが壁に埋まるおれたちを見下ろす。その翼はボロボロになり、白かったはずの翼は黒ずんでいた。翼は力なくはためき、どこか頼りない。
魔物、特にドラゴンともあろう種族なら身体は通常魔力で保護されている。にも関わらず、いまのモエニアの身体は深刻なダメージを負っている。
つまりあの動きは、魔力の保護を突き破って身体に負荷を与えるほど無茶な動きだったのだ。
「ふふ、正直いまので決めたかったんだが。上手く耐えたな」
そして、呈は動けなかったんじゃなくて動かなかったんだ。あれほどの動きは長く続かないと悟り、防御だけに全力を傾けた。
「モエニアさん、その翼でまだ」
「やるさ。それに、お前が耐え忍んだことが無駄じゃなかったように、私の先ほどの攻撃も無駄ではなかったのだからな!」
モエニアが全身の皮膚から白炎を迸らせる。身体から独立したそれは瞬時に弾へと変化した。
「ッ!」
弾が放たれる。呈は蒼炎の壁で防御するが。
「躱せ!」
「え? ……痛っ!?」
白炎弾が蒼炎に呑まれて消えたかと思うと、その中から細い鋭利な物が飛び出した。それがおれたちの身体に突き刺さる。
白炎の色に似た乳白色の鋭利な刃物。いや、これは尖った竜鱗だ。
「さっきの攻撃でわかったよ。お前の炎は魔力に干渉出来ても物理干渉はできない。実体がない」
天の柱の壁に腕を突っ込んだかと思うと、あの重い白炎を身に纏い、その巨大な炎の腕で天の柱からえぐり出した岩の塊を持つ。いや、あれは魔宝石だ。
「っ!」
投げられた直後に浮遊して回避。天の柱を中心に影の場所へと逃げるが、竜麟の混じった白炎弾を放ちつつ追いかけてくる。蒼炎で防いでも中から竜麟が飛び出してきて、躱すほかに防ぐ手段がない。
天の柱に沿って螺旋階段を登るように飛ぶ。天の柱からは離れられなかった。回避でしか白炎弾を防げないいま、遮蔽物がない場所に出ることは仕留めてくれと自ら首を差し出しているのと同義だ。
「痛いっ!」
微かに尾先に白麟が刺さる。おれは呈の尾を滑り降り、尾先まで行く。下方から放たれる白炎弾。蒼炎に反応して消えたその弾の中から現れる白麟をおれはナイフピッケルで迎撃し、打ち落としていく。
それでも防ぎきれない。さっきのモエニアにしこたま殴られ、引き裂かれたダメージが尾を引いていた。
掠ったところ突き刺さったところが甘い熱を帯びる。どんどんと理性が削られていく。体内を巡る呈の魔力がなければすぐにでも理性は殺され、本能の赴くまま呈を襲ってしまっていたことだろう。
呈の炎の弱点。それは必ず魔力に対して反応してしまい、炎を注ぎ続けていないなければ消失すること。さらに単なる物質に対しては無力だということ。例え魔力を含んでいても、鱗や魔宝石といった実体のある物質を呈の魔力に転換することはできない。
魔力に対しては絶対的な優位性を持つが、それ以外には弱いのだ。
それをこの短時間で、捨て身の攻撃までして見極めたモエニア。幾らモエニアの翼にこれまでの力強さがなくても、このまま空を飛び続けるのはまずい。
「呈、屋内に入れ。このままだとジリ貧だ!」
「うん!」
塔内部に入れる横穴を見つけ、そこへと飛び込み、そのまま入り組んだ屋内を突き進んでモエニアの射線を切る。幸い、追ってくることはなかった。が、当然安心もできない。
「上の方にモエニアさんも入ったみたい。でも大丈夫、いまのところあのブレスのときみたいな魔力の高まりは感じないよ」
「よし、リュックを置いた場所まで行こう」
そのまま屋内を呈に乗って移動し、リュックを回収する。
ここからどうするか。
ちょうどここは魔力の雲があった場所の下の区画。階段の崩落などで通れなかった場所も、モエニアのブレスや戦いの衝撃でさらに崩れ、通れるようになっている。
モエニアのあの地力の強さを掻い潜って抜ける方法が思いつかないと、どうにもならない。
そんなときだった。
「スワロー! 呈!」
雷の轟音のような声が、塔を揺るがすほどに響く。モエニアの声だった。
「お前たちの戦い、見事だった。私という理不尽に対し戦い抜き、互いを信頼し合い、よくぞここまで跳ね除けてきた。賞賛に値する」
いったい何のつもりだ? 単に褒めるために言っているのではないだろう。まだおれたちは争っている最中だ。
「お前たちは十二分に理不尽と戦い、もはや乗り越えたと言っても過言ではない」
故に、とモエニアは続ける。
「私はもうお前たちを追わん。龍と成ったあの瞬間、お前たちは自身の力で理不尽を越えた。ドラゲイがドラゴニアへと生まれ変わったときのように、お前たちもまた生まれ変わったのだ!」
「スワロー!」
「あ、ああ。なんだかよくわからないけど、終わったみたいだ」
あれだけ追いかけて、呈の弱点まで見抜いたのにも関わらず、もう追わないという宣言。だがそこに嘘はない。誇り高いドラゴンであるモエニアがこんな嘘をつくはずがない。
おれたちは一緒に肩の力を抜いた。ようやく終わった。なんにせよ、あのモエニアを諦めさせることができたのだ。
「だから、ここからは私の願いだ」
だが、モエニアの話はまだ終わっていなかった。
おれたちはモエニアのいる上を仰ぐ。モエニアの声質が変わった。おどろおどろしい悪竜のものではない。気品に溢れる気高い竜の声。
「私、白炎竜モエニアは貴君らとの決着を望む。故にこの場所にて待つ」
一匹の誇り高い竜としての望み。もともと人間のメイドだったのかと疑いたくなるほど気高いその言葉を最後に、モエニアの声は響かなくなった。
地べたに座り込んで、おれはため息をつく。心配そうに顔を覗き込んでくる呈に、「ごめん」と謝った。
でもおれがその理由を言う前に、呈は笑って頭を横に振る。
「大丈夫。スワローと同じ気持ちだよ」
「呈……」
本当ならこのままモエニアを無視して頂上へと行くべきだろう。勝つ目算も立っていないのに立ち向かうのは愚か者のすることだ。
でも、これは理不尽と戦うための戦いじゃない。呈を守るための戦いでもない。おれを呈が守るためのものでもない。
これはケジメ。おれが天の柱に登り記憶を取り戻すことと同じ、つけなければならないケジメの一つだ。
それにあれだけ大きく宣言されて、逃げるなんて最高に格好悪い。ここまでモエニアにはしてやられっぱなしだ。男として竜として、逃げるなんて考え、端からない。
あの気高い竜に、おれは、いやおれたちは勝ちたいんだ。
だから、叫ぶ。塔を震わすほどに。応える。
「勝負だ、モエニアァッ! 首洗って待ってろッ!」
聞こえたかどうかはわからないけど、多分大丈夫。
「……よし、勝ちに行くぞ、呈」
「うん」
「おれたちで勝とう」
正真正銘最後の一戦。
おれはモエニアから白星を勝ち取るための策を頭に張り巡らした。
「勝負だ、モエニアァッ! 首洗って待ってろッ!」
その声はちゃんとモエニアの下へ届いていた。
こちらの願いに応えてくれたことにモエニアは純粋に感謝する。
久方ぶりの戦闘による昂り。ドラゴンスレイヤーであった夫との戦い以来のことであった。
「ああ、今日は熱い交わりをすることができそうだ」
この昂った思いのまま夫と交わる。それを思っただけでモエニアの身体は芯から甘く痺れるようだった。傷ついた翼すら勲章のように思える。この翼の傷を夫の精で癒してもらうのが楽しみでしかたない。
「……」
だが、気は抜かない。抜くつもりはない。負けるつもりなどないのだ。
ここまで己に食らいついてきたあの若年の竜たちに、何よりも勝ちたいのである。
ここで待ち受けるのも、もう体力と魔力が限界に近いからである。翼は「白炎の泪(ミーティア)」の反動と負荷でもうろくに動かない。呈の矢で幾度も射抜かれていなければ、ここまで酷くダメージは負わなかったのだろうが。それも無理をした報いだ。
おそらくあのまま屋内で追っていれば、追い付けず結局体力が尽きて動けなくなっていたことだろう。モエニアは、そんな終わり方はごめんだった。
だから宣言をした。彼らの思いを、悪い言い方をすれば利用した。
卑怯だと思われるかもしれない。それでも戦いたい。そして、勝ちたい。
そうしたいほど、あの二人は目覚ましい成長と進化を遂げている。
ドラゴンたる自身にも臆さず、刃と炎でここまで追い詰めてきたのだ。理不尽の連続であった逆境を跳ね退けてきたのだ。もはや子供だからと侮っていいような存在ではない。
だからこそ。
このドラゴニアに住まう二匹の竜と成った二人と、己が刃を交える最後の戦いをしたいのだ。
「やはり大人げないかな……」
モエニアはひとりごちる。
だがこうして理不尽の権化として在り続けていたのである。
最後くらい、一匹の竜としての望みを叶えても罰は当たらないだろう。
「来たな」
モエニアは炎を展開した。
そこは天井が崩落し、三階分まるまる吹き抜けとなった場所。無骨な柱が剥き出しになり、ところどころは床が抜けている。その不安定な中で、モエニアはあの重い炎を周囲へ広げた。
二階半に相当する場所で浮くモエニア。しかし浮いているのではない。その周囲の壁や地面にへばりつくように伸びる白炎によって身体が支えられている状態であった。
その白炎の中に魔宝石や竜麟が呑み込まれており、いつでも射出できる状態である。
スワローと呈が一階に立ち、モエニアを見上げていた。そこに驚嘆の表情はなく、成り立ての子竜どころか、大人になって久しい成竜とすら思える、精悍な顔つきだった。
「おれたちでお前に勝つよ」
「勝負だよ、モエニアさん!」
「来い、スワロー! 呈!」
喜悦を以てモエニアはスワローと呈を迎え打つ。
限界が近い。だがそれはお互い様だ。
勝負は一瞬。ここで全てが決まる。
白煙が舞った。
三者の声が響き終わるのと同時に、呈の足元で煙玉が弾け白煙が舞う。それは一階全てを満たし、たちまちスワローと呈の姿を呑み込んだ。
モエニアの魔力感知は大まかな位置こそわかるものの、機敏にその動きを察知できるものではない。当然、呈のように体温や魔力を形として感知できるものでもなかった。
だが、煙はこちらまで届いていない。攻撃するためには接近せざるを得ない。待ちの利はモエニアにある。だがただ待つつもりはない。
白炎の内側より竜麟を二人が元いた場所へ射出する。
「?」
手ごたえはあった。だが動きがない。
「……! 確実を取ったか!」
白煙を貫いて飛び出た影、それは一矢だった。呈が放ったであろう矢。最初の交戦時にも使われた手、それをモエニアが忘れるはずがない。
操った白炎で矢を呑み込む。幾ら空を切り裂く矢とは言え、白炎の火力に耐えられる代物ではない。何より物理効果のある白炎を貫けるわけがない。
はずだった。
「……ッ!?」
白炎を穿ち飛翔する矢。
それはモエニアの胸の正鵠に定まっていた。
内心で舌打ちするとともに、モエニアは右手を上げる。間一髪。矢を右手で鷲掴みにする。矢先は一寸の隙間もないほど、心の臓へと迫っていたが命中は免れた。
「そういう、ことか……!」
そして、何故白炎を貫けたのかも理解する。矢羽から伸びるアラクネの糸、それを伝い蒼炎が矢と糸を薄く保護していた。常に魔力を注ぎ続け、白炎を無効化したのだ。
「確かに使いこなしつつある……」
蒼炎との接触は魔力の侵食を許す。早々に灰燼へと還したが右手の痺れはしばらく取れない。
一手奪われた。形勢が一つスワローたちに傾きはした。しかしそれでも。
「ここで真正面からとはな!」
そして矢を受け止められた直後、間髪入れず白炎の中から現れたのは呈だった。龍の姿で飛翔し、真正面からの突進。左掌をこちらにかざし、右手は煙の中。
蒼炎弾と白炎弾がこの一瞬に何十発と弾ける。だがダメージがあるのは呈の方だ。白炎弾には竜麟を混じらせている。
なのに退かずに突っ込んできた。数多の竜麟を身体から生やしながら。
「ぅああッ!!」
「愚直すぎるぞッ!」
カウンターは容易い。巨剣を振り下ろすが如く、眼下より迫りくる呈に速度に合わせて白炎を纏わせた左手の手刀を振るった。
「んッ!」
「!?」
呈の呻き声とともに手刀は虚空を斬った。
躱されたのではない。突如、呈の飛翔が減速した。
龍の姿から白蛇の姿へと戻り、下降に転じたのだ。
体勢が崩れる。それでも白炎に支えられた状態であるため致命傷にはならない。
だが、安心できなかった。ある疑念がモエニアの頭を駆け巡った。
龍から白蛇への変化。ならばスワローはどこにいったのか。
呈の右手にスワローの手はなかった。
左右いない。上はありえない。下は炎の壁。背後に回り道する暇はない。
「どこに……ッ!?」
自身の身体を支えていた炎が揺れる。同時に炎が削られるような感覚が足元から伝わった。
「まさか炎の中をだとッ!?」
カカカッと小気味良い音が響く。足元後方の炎が抉られる感覚とともに。
それは硬いものを弾くような音。
炎の中で唯一形を保っている硬質な物質は一つ、魔宝石しかなかった。
それを足場とした存在が、モエニアの背後で炎を盛り上げる。
粘質の炎を破り現れたのは、耐火の外套を着たスワローだった。同時に目深に被られたフードごと外套が燃え尽きる。
手にはナイフピッケル。彼と同時に持ち上げられた魔宝石を蹴り、モエニアの背へと地面と平行に跳び迫った。
「スワロォッ!」
「モエニアッ!」
まだ前身を反転し切れておらず、半身だけがスワローへと向いている。それも攻撃の空振りの勢いのままで向いたため、痺れのある右手側。
許された迎撃手段は尻尾のみ。
だが。
「フッ!」
追い詰められた状況ほど攻撃は単純になりやすい。何より。
「見せすぎたか!」
尻尾の攻撃は完全に見切られ、ナイフピッケルを持たない左手で叩くように尾を飛び越えられる。
間合いに入られた。重い白炎を出すには一瞬間足りない。何より、自身の身体を支えるのに使い切ってしまっている。
すでに振りかぶられたナイフピッケルの切っ先は、心臓へと寸分の違いなく突き刺さることをモエニアは予期した。
「だが、惜しい」
冷徹に下す。
もう一手。何かしらの意識を逸らす手段があれば確実にその切っ先は届いていた。
ここまでの消耗がここに来て響いたのだ。
モエニアは備えていた。この事態、この状況、背後を取られる、上を取られるなど。
手足、尻尾の動きが取れなくなる状況でも対応できるように、喉奥にて最初からすでに魔力を練っていたのだ。
故に、業火は刹那の時を待たずに放たれる。
白炎がモエニアの眼前のスワローを呑み込んだ。白い燐光を放つ光炎は塔の外壁を穿ち、空へと続く穴を広げる。
その残光に残るスワローの影は蹲り、その勢いを失っていた。
「私を仕留められる呈をあえて囮にした手、悪くはなかったよ」
だが、それも考えていないわけではなかった。なんらかの手段で、呈とは別の位置から自身に肉薄することは一つの可能性として念頭に置いてあったのだ。
「あとは呈を……?」
だが、これは予想していなかった。
白炎のブレスを放った先に白蛇の尾が伸びていることは。
その尾が、蒼炎の龍毛を生やし、スワローの足に絡みついていることは。
「ッッ!?」
最大級の悪寒が背筋をなぞり上げる。
その尾はいつから絡んでいた? いま? 違う。そんな気配はなかった。
それに呈にこの高さまで自力で昇る術はない。
だとすれば最初から。常に繋がっていた。
なら最初の交戦で蒼い炎が消えたのは。
――まさかまさかまさか!
呈を囮にしたスワローこそ、囮。
気づいた刹那、背中を抱きすくめられた。
そして、蒼炎が視界を真っ蒼に染め上げる。
「ぐっ、ああああああああああああああああああああああああああ!?」
抗い難い甘い痺れ、忘我の境地へと誘う悦楽の暴力が全身に襲い掛かった。
「あ、がっ、ぐく、くあぁああああああああああああああああああ!!」
魔力が犯される。自身の竜の魔力が呈の爛れた蒼い魔力に汚染され、呑み溶かされていく。夫との交わり以外考えられなくなれと、脳内を桃色に染めようとしてきた。
これが昨夜ワイバーンたちが受けた魔力。一瞬にして思考が溶かされ、夫となるべき者へと飛び去った彼女たちの気持ちをモエニアは改めて理解した。
これを受けて抗えるものは相応の精神力を持つ者しかありえない。
「あ、ああああああッ! だが、私も負けたくは、ないぞッ!」
「モエニアさ、んッ!」
白炎が迸る。呑み込もうとする蒼炎に抗い、その許容量を凌ぐほどに。
蒼炎も魔力を呑み込めるとは言え、ある一定量で転換できる魔力の容量は決まっている。
ならば、蒼炎が呑み込めないほどの魔力を溢れさせればいい。
そして、身体がまだ言うことを聞くならば。
「お前の力で、私を抑えつけとくことはできんさッ!」
呈を引っぺがせば終わりだ。
「ぐぅっ、離すもんかっ!」
普通ならばすぐにでも引き剥がせたはずだが、蒼炎の侵食は思った以上に身体を蝕んでいた。何より呈の意地がモエニアの身体から剥がされることを許さない。
だが、それでもまだ呈の力よりもモエニアの方が圧倒的に強い。
首根っこを掴み、無理矢理引き剥がしにかかる。
蒼炎が最大級に迸る。
灯消えんとして光を増す。
全力。全身全霊。最大最後の烈火。
意地と意地の勝負。
「うぅぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
「うぅぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
砲声が響き、白炎と蒼炎が瞬いてこの空間を埋め尽くす。
そして。
そこに一つの影があった。
「――?」
何故。疑問は尽きなかった。
何故何故何故。
直撃だった。必殺だった。理性は焼かれ、悦楽に降り、もはや戦う意思など一片も残っていないはず。呈が蒼炎を使うためのある種のブースター。そのための役割しか残っていなかったはず。
――なのに何故!?
「スワローォおおおおおおおおおおお!!」
――何故貴様は動ける!?
モエニアは勝負をしてくれた。だからおれはここにいる。
待ち以外の戦術を取られれば、この状況には至れなかった。
互いを囮にし合う作戦。どちらかがやられればそれで終わりな杜撰な作戦。
だがそれも、呈の蒼炎が身体の自由を奪うという付随効果があって成立した。
そして、“最初から”魔力を溜めて備えていたモエニアのブレスを、引き出せた。
おれに向けて撃たせられた。
その時点でおれたちの勝ちだ。
何もない空間にあるものが出現する。火の粉を浴びて、半分まで燃えた薄い一枚の紙が。
インビジブルシール。それは、使用者の姿を隠すことができるマジックアイテム。だが、隠してたのはおれ自身じゃない。
モエニアの表情が驚愕に彩られる。
「スワローォおおおおおおおおおおお!!」
おれの全身を覆うように出現した真っ赤な焔の外套。
それはあらゆる竜の頂点、王の中の王、レッドドラゴン・デオノーラの吐いた焔により編まれたクローク。
その耐火性能は一般に売られる耐火の外套の比ではない。あらゆる炎、熱から使用者を守るその焔は絶対の業火すら跳ね除ける。
――赤竜の外套。
ドラゴニアにおいて、正式に竜騎士となった者のみが、陛下より賜る最上級魔法防具。
「呈!」
「スワロー!」
おれの足に巻き付いていた尾が、おれをモエニアの下へと誘う。
もう下手な小細工はいらない。ナイフピッケルを胸元に構え、このまま突っ込むだけだ。
使える手は使い果たした。これが正真正銘最後の攻撃。
手は封じた。脚も封じた。尻尾も翼もブレスも白炎も全て封じた。
だから――これでッ!!
「モエニアァああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!」
モエニアは笑う。
それは諦観ではなく、しかし、勝負に飢えたぎらついた笑みでもなかった。
これまで交えた戦いを、ここまでの健闘を、戦い抜いた者を称え認めるような笑み。
たった一言分の猶予しかなく、モエニアは砲声を轟かせなかった。
ただ一言。おれを見据えて、おれたち二人に彼女は言う。
「見事」
腕に得物が沈む感触が伝わった。
直後、蒼炎は白炎を完全に呑み込み、モエニア自身を支えていた白炎すらも呑み込み、この空間全てを埋め尽くす。
全てを出し尽くす。
そして、消失した。
全てを出し切った呈も白蛇の姿へと戻った。
時が止まる。
無音の賞賛。
おれたちの勝利がこの瞬間、決まった。
17/11/19 17:47更新 / ヤンデレラ
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