前編《見守愛》
私の名は手塚浩子(てづか・ひろこ)。小さな会社で働く哀れな社畜である。そんな私は毎日の如く残業に振り回され、もう生きる気力を失いかけていた。
しかし、そんな私に生きる気力を与えてくれる存在がいる。
あ、いたいた。
私が電車を降りたとき、そのちょうど隣の車両。降りてきたのは一人の小さな天使。
わずかに目にかかるほどの男の子にしては長めの黒髪。くりくりとした大きな瞳。おめかしすれば女の子にも見えるようなかわいい顔に、華奢な体つき。
私の心を射止めた小さな天使だ。
名前は知らない。向こうも私のことを知らない。ただこの時間、私があの天使を見守るのだ。
それが最近の私の仕事帰りの日課。
苦しい生活の唯一のオアシスなのだ。
ああ、かわいい。たまらない……。
私は彼の後ろを離れたところで追う。気づかれないように距離を取って、あまり露骨にならないよう、それでもしっかりと彼の姿を目に焼き付ける。ああ、癒される。後ろ姿たまらない。抱きついたいくらい。
駅を出る。駅の外は真っ暗だ。それもそのはず。時刻はとうに十時を回っている。駅の周りも住宅街なので、街灯がわずかにあるだけだし、人通りもほとんどない。
いつも思うがいったい彼はこんな時間になにをしているのだろう。塾にでもいっていたのかな。
だとしたら親はなんて無責任なのだろうな。こんなかわいい顔をこんな遅くまで塾に行かせるなんて。変な輩に絡まれたらどうするというのだ。危ないやつらに付き纏われたらどうするというのだ。
ん?私は違うわよ。私は彼を見守っているのだ。彼が天使なら私は守護天使である。これ重要。
おっと、ぼうっとしていたら彼が立ち止まった。私は曲がり角に飛び込む。
彼に見つかってはいけない。私は守護天使だが世間はストーカーだとか失礼なことを思うかもしれないのだ。あくまでも彼を隠れながらに見守る存在なのだ、私は。そのお礼として、私の心のオアシスに彼にはなってもらう。
ああ、かわいい。抱いてギューとしたい。柔らかいんだろうな。いい匂いもしそうだ。想像するだけで興奮しちゃう。
「…………はっ!」
いけないいけない。私は守護天使。彼に手を出すのはもっての他だ。彼は純真なままでいなければいけない。私ごとき、生き遅れ(でも四捨五入したら二十歳よ!)が彼に手を出すなど許されない。
でも、彼とお話できたら楽しいだろうなぁ。お姉ちゃんって呼んで、私の周りを楽しそうにパタパタと動き回るのだ。
仲良くなったら遊園地とかに行って、お化け屋敷に入ったりして、びっくりした彼が私に抱きついてくるのだ。ああ、たまらない。泣きそうな彼を私が優しく抱き締めて、背中をポンポンと叩くと、安心したように寝てしまったりするのだ。そんな彼に私は寝てることをいいことにあんなことやこんなことを……。
ってダメダメ!私ったらさっき思ったことと全然違うじゃない。
……でも、妄想するくらいならいい、よね?
「なぁなぁ、ちょっと俺達、金に困ってんだよ。お小遣いくれない?」
「お前、小野塚んとこのガキだろ?お坊っちゃんなんだから金くらいあるだろ?」
「人助けと思って頼むぜぇ。でないと俺ら、手が滑りそうだ。あ、足もな」
なにこの声。
「…………誰よあいつら」
曲がり角から顔を出して彼を見ると、その周りに三人の男がいる。明らかにガラの悪そうな風貌のやつらだ。
クズどもの顔は見えないけど、私の天使は怯えたような顔をしている。明らかに彼の友達っていうことはない。
彼の敵だ。
つまり、私の敵だ。
「…………」
でも、ここで私が出ていったら私の存在がばれてしまう。そうなったら、もうこうやって彼を見守れないかもしらない。
……ううん、違う。なんのために私はこうやって彼を見守っているのだ。こんなときのためじゃないか。
彼は私が守らないと。
「おい!早く金出せよ!」
「っ!」
私の天使が、クズに胸ぐらを掴まれた。彼が苦しそうに顔を歪める。
「…………」
許せないゆるせないユルセナイ!
汚いてでユウくんに触るなんて。乱暴するなんて!
私は音も立てずにクズどもに近寄り、彼とクズの間に割って入る。
「汚い手で触らないで」
そして、彼の胸ぐらを掴む男の手首を握った。そして、
「なんだてめ、あいててててててて!は、離せっ」
私は力任せにその手首を握る。ミシミシと骨の軋む音が伝わってくる。いつもならここで逃がしてやるのだが、今日は別だ。こいつは私の天使に乱暴したのだ。ゆえにそれ相応の罰は受けるべきなのだ。
だから、
「ふんっ!」
「ぎゃっ!」
私は力任せにクズの手を握り潰した。
「あ、がぁ……いてぇ!いてえよぉ!」
悶絶してクズはその場にうずくまる。いい気味だ。
「て、てめえなにしやがる!なにもんだ!」
クズお決まりの台詞ね。ふん。
私は左手の平を顔にあて、右手の平をクズどもに向ける。某マンガ主人公の立ち方だ。
「私は弱気を助け、強気を挫く正義の味方!この手塚浩子、悪党に名乗る名は持ち合わせていないわ!このクズと同じになりたくなければさっさと消え失せなさい!」
「…………」
「…………名乗ってんじゃねえか!」
「……………………成敗!」
私はつっこみを入れてきた男の鼻っ柱を殴る。グシャッと鼻が潰れたのが拳に伝わった。当然、戦意喪失したので、私は最後のクズに向き直る。
「さあ、最後はあんたよ」
「ぐっ!ふざけんなババア!」
バッ、ババア!?失礼な、これでも24よ!
クズが胸ポケットから小振りのナイフを出してくる。
「許さねぇぞてめえ……」
「は、そんなナイフ一本でなにができるっていうのよ」
私は呆れる。他の二人を見て実力差に気づけなかったというのか。哀れな。
「うるせぇ!死ねえ!」
男がナイフの先を私に向け、突撃してくる。後ろには少年がいる。避けることはできない。
まあ、必要ないけどね。
私はナイフに向けて素早く拳を振るった。刃先ではなく、胴の脆い部分にだ。
「あっ?」
哀れなクズはナイフから伝わった衝撃に立ち尽くす。私はふんっと鼻を鳴らした。
「さっさと消えないと、そのナイフみたいにするわよ?」
私が殴ったナイフは、刃先がなくなっていた。これみたいにクズをするとなると……うん。首に胴体とお別れしてもらいましょう。
「あ、うぁ、あわわわわわ」
クズはナイフを取り落とし、その場に腰を抜かした。そして、股の辺りが濡れている。うわー、こいつ漏らしてやがる。最悪だ。
こんなところにいたら、私の天使の教育上よろしくない。仕方ない、こちらから立ち去ることとしよう。
私は踵をかえして、天使と向き直る。
まだ怯えたふうに身体を震わしている彼の手を取り、歩き出した。
「さ、行きましょう?もう悪いやつは私がやっつけたからね?」
ああ、手握っちゃったぁ。柔らかい。フニフニだぁ。ヤバイ、鼻血出そう。
「あ、えっと……」
「お家に案内してくれるかしら?連れてってあげるわ」
私は精一杯平静を取り繕って、にこりと彼に微笑みかける。そこでようやく不安がなくなったのか、ぎこちないながらも笑顔を返してくる。んあああ、やべえ、かわええのう、かわええのう。今すぐ抱きついてペロペロしたいお。
「……お姉さん?」
「はっ!」
やばいやばい。妄想しかけた。あくまで私はこの子を守る存在だ。手を出してはいけないのだ。
「なんでもないわ。さ、帰りましょうか?」
―∞―
天使の名前は、小野塚裕太(おのづか・ゆうた)というらしい。これからはユウくんと呼ぶことにしよう。ユウくんユウくんユウくん。ふふふ、いい響きだ。
私とユウくんは今、公園のベンチに並んで腰かけている。ユウくんは私が買ってあげたコーラを飲んでいる。けぷっ、と控え目なゲップがこれまたかわいらしい。
こうして公園に座っているのはユウくんに誘われたからだ。家は公園を出たところの高級マンションらしい。クズどもが言っていた通り、良いとこの息子らしい。とは言え私には関係ないことだ。金持ちなどこの子のかわいさの前にはなんの価値にもならない。
「改めてお姉さん、助けてくれてありがとうございました」
ユウくんは恭しく私に頭を下げる。かわいい。
「いいのよ。ユウくんが無事でよかった。胸ぐらを掴まれて苦しくなかった?」
「お姉さんが、すぐ助けてくれたから」
と言って、ひまわりのように明るく笑う。かわいい。
「怪我がなくてよかったわ」
「お姉さんのおかげです」
「にっこり笑顔。かわいい」
「え?」
おっと、心の声が出てしまった。気を付けないと。にやけてしまいそうな頬も引き締めてっと。
「あのお姉さん?」
「んん?どうしたのかな?」
「お姉さんって、いつもこの時間に僕の後ろに着いてきていた人ですよね?」
「……………………」
……………………え?
えええええええええ!?
ば、バレてた?バレてたの?
私が追いかけていたの、バレてたの!?
「あ、うぅ、ああ……」
頭が真っ白に、目の前が真っ暗になる。
私は、今、地獄にいる。
終わった。私、終わった。
ユウくんに、私が彼を追いかけていたことがバレてしまった。もうおしまいだ。変人だと思われる。キモいと思われる。ストーカーだと思われる。もう、ユウくんを見守ることができない。ユウくんのいない人生……。私の人生は、
お、おしまいだぁ……。
「お、お姉さん?」
「ごめんね、私、キモいよね。ごめんね、消えるから。私もう君の前に現れないから。ごめんね。ごめんね」
ああ、家に帰って首吊ろう。
私が力なくベンチから立ち上がろうとすると、手が柔らかいものに包まれる。
それは、ユウくんの手だった。
「お姉さん、待ってよ」
「えっ?」
「僕、もっとお姉さんと話がしたい」
「…………」
「いつも僕を見守ってくれてたんだよね?だから今日もすぐに助けてくれたんだよね?僕、ずっとお姉さんに話しかけたかったんだ。だけど、そんな勇気出なくて……。でも、今日はようやく話せたから。……僕、もっとお姉さんのこと、知りたいな」
「……………………」
だらぁ。
我慢、できなかった。
「お、お姉さん!鼻血鼻血!」
やべえよ。この子かわいすぎだよぉ。
鼻血出すぎて貧血起こしそうだよぅ。うへへ。
「は、早く拭かないと。えっと、はい」
ユウくんからのディッシュを素直に受けとる。ユウくん優しい。やばい、涙出そう。
「ありがとね、ありがとね」
私は鼻声で言いながら、鼻をかむ。
幸い、鼻血はさほど出ていなかったし、拭った分以上の鼻血も出てこないようだった。鼻血が止まるのを見計らっていたのか、ユウくんは私の手を取った。
「こ、こうしてても、いいかな?」
「う、うん、いいよ」
動悸がムネムネする。
っべえわぁ、マジで、っべえわぁ。
ユウくんかわいすぎだわ。手柔らかすぎだわ。
「お姉さんのこと聞いてもいいかな?」
「ん?う、うん!いいわよ。なんでも聞いて」
「お姉さんって近くに住んでるの?」
「ええそうよ。一人暮らししてるの。ユウくんのマンションから歩いて十五分くらいかなぁ」
ユウくんが家に来てくれたらいいのになぁ。
「そっかぁ。今度、遊びに行ってもいい?」
とか思ってたら遊びに来たい宣言されましたぜ。うわほわほほほ。
私、今、天国にいます。
「もちろんいいわよ!いつでも何度でも来ていいわよ!あ、合鍵渡そっか?私がいないときにいてもいいよ」
「お姉さんがいないときにいっても意味ないよ」
嬉しいこと言ってくれる、この子は。お姉さんを悶え死にさせる気か。
「じゃあ今度、案内してね!えっと次はね。あの悪い人たちやっつけたけど、お姉さんってすっごく強いんだね!パンチ!」
私の真似をしてか空に向かって拳を突き出す。残念ながら、そのパンチでは人を倒すことはできないだろう。……私はノックアウトされたけどね!もうユウくんかわいすぎ!
「小さい頃から鍛えまくってたからね。ふふふ、私の手は林檎を握り潰せるのだ」
手をわきわきしてユウくんの脇をくすぐる。ユウくんはこそばゆそうに笑った。
「まあ、こんな女だから男なんて全く近寄らなかったけどねえ。寂しい一人身なのよ」
自嘲気味に私は言った。
「…………僕も、同じだよ」
不意にユウくんの声のトーンが下がる。
「僕も一人みたいなもんだよ。学校でも家でも一人だし」
「友達は?」
「………………」
沈黙が答えだった。
さっきまでの微笑みが消えて、今にも海の底に沈んでいきそうな表情。そんな顔、見たくない。ユウくんに似合わない。
「お父さんもお母さんも、仕事でいつも家にいないし。僕の周りには誰もいないんだ。誰も、誰も……」
苦しい。ユウくんの寂しげな顔を見てると、胸が張り裂けそうなくらいに苦しくなる。ユウくんのそんな顔は見たくない。ユウくんは笑ってる方が似合う。どうにかして、ユウくんの笑顔を取り戻したい。
そして、私はほとんど無意識に言葉を発していた。
「私がユウくんの傍にいるよ」
「……お姉さん?」
「ユウくんは一人じゃない。私が傍にいる。私が傍にいてあげるから、そんな悲しそうな顔しないで」
「お姉さん」
「たとえ、皆がユウくんを一人にしても、私は絶対にユウくんを一人にしない。だから、笑って?」
「お姉、さん」
ユウくんは涙をボロボロ流し始めると私に抱きついてきた。慎重差もあってか、彼の頭が私の胸に埋まる。私はユウくん引き離すことはせず、その頭を優しく撫でた。何度も何度も。
「ユウくんは一人じゃないよ。私がいるから」
「…………うん。うん!」
私とユウくんはそうしてずっと抱き合っていた。
宵闇が私たちを、二人だけにして包んでくれた。
―∞―
それから二週間と経ち、私たちはその間、毎日のように会った。ユウくんが家に遊びに来ることもあった。ユウくんの家に遊びに行ったこともあった。基本的にユウくんのご両親は家にいないので、遊びに行くのに問題はなかった。ただ問題なのはユウくんの食生活だ。充分なお金はもらっているらしいけど、食事はほとんどレトルトのものばかり。栄養が偏っているのである。そんなのではダメだと私は手料理を振る舞った。一人暮らしの女の自炊力を舐めるな。私はただの筋肉バカじゃない。料理ができる筋肉バカだ。……断っておくけど私はマッチョではないわよ?
他にも彼の通う中学校にも一度だけ行って、下校するユウくんを驚かせたりした。そのときユウくんの頭をいきなり殴ったクズがいた。ただ殴るだけ殴って、どこかに行こうとしたので、無理矢理路地に連れ込んで良いことしてあげた。もう、ユウくんに関わることはないだろう。(このことはユウくんには見せていない。暴力女と思われたくないのだ)
どれも楽しかったけど一番は日曜に遊園地へ行ったことだ。ユウくんも塾がなく、私もちょうど仕事がなかったので、これ幸いと行ってきたのである。
歳の差は姉妹もしくは従兄弟関係にしておけばなにも問題はなかった。ユウくんも私のことをお姉さんと呼ぶしね。
遊園地は楽しかった。定番のジェットコースターからお化け屋敷までとにかく色々まわった。ベストはやっぱりお化け屋敷かな。妄想していたお化け屋敷での抱きつき大作戦が成功したのだ。怯えるユウくんの顔、私の腰に抱きつくユウくんの柔らかな腕、仄かに香るユウくんの甘い匂い。どれも最高で大変満足でした。ムフフ。
ユウくんもかなり楽しんでくれて、お家に来たときなんかはすごくはしゃいでいた。スキンシップの一環でユウくんの股間を触っちゃったりしたが、ユウくんも私のおっぱい触ったりしたからおあいこなのだ。ふふふ、ユウくんのアレを触れるならおっぱいの一つや二つ。いや、むしろ、もっと触ってくれって感じだ。今度、誘ってみるか?いやいや、手を出しては。彼は中学生だぞ。犯罪だ。でも、ユウくんなら受け入れてくれそうな。そんなことに興味ある年頃のはずだし。うむむ。
とか色々な悶々としつつも幸せな毎日を私は過ごしていた。仕事の辛さもなんのその。ユウくんとの日々に比べたらたいしたことじゃない。
私は幸せだった。
だから、気がつかなかった。
理不尽な悪魔が、私の後ろまで近寄ってきていることに。
しかし、そんな私に生きる気力を与えてくれる存在がいる。
あ、いたいた。
私が電車を降りたとき、そのちょうど隣の車両。降りてきたのは一人の小さな天使。
わずかに目にかかるほどの男の子にしては長めの黒髪。くりくりとした大きな瞳。おめかしすれば女の子にも見えるようなかわいい顔に、華奢な体つき。
私の心を射止めた小さな天使だ。
名前は知らない。向こうも私のことを知らない。ただこの時間、私があの天使を見守るのだ。
それが最近の私の仕事帰りの日課。
苦しい生活の唯一のオアシスなのだ。
ああ、かわいい。たまらない……。
私は彼の後ろを離れたところで追う。気づかれないように距離を取って、あまり露骨にならないよう、それでもしっかりと彼の姿を目に焼き付ける。ああ、癒される。後ろ姿たまらない。抱きついたいくらい。
駅を出る。駅の外は真っ暗だ。それもそのはず。時刻はとうに十時を回っている。駅の周りも住宅街なので、街灯がわずかにあるだけだし、人通りもほとんどない。
いつも思うがいったい彼はこんな時間になにをしているのだろう。塾にでもいっていたのかな。
だとしたら親はなんて無責任なのだろうな。こんなかわいい顔をこんな遅くまで塾に行かせるなんて。変な輩に絡まれたらどうするというのだ。危ないやつらに付き纏われたらどうするというのだ。
ん?私は違うわよ。私は彼を見守っているのだ。彼が天使なら私は守護天使である。これ重要。
おっと、ぼうっとしていたら彼が立ち止まった。私は曲がり角に飛び込む。
彼に見つかってはいけない。私は守護天使だが世間はストーカーだとか失礼なことを思うかもしれないのだ。あくまでも彼を隠れながらに見守る存在なのだ、私は。そのお礼として、私の心のオアシスに彼にはなってもらう。
ああ、かわいい。抱いてギューとしたい。柔らかいんだろうな。いい匂いもしそうだ。想像するだけで興奮しちゃう。
「…………はっ!」
いけないいけない。私は守護天使。彼に手を出すのはもっての他だ。彼は純真なままでいなければいけない。私ごとき、生き遅れ(でも四捨五入したら二十歳よ!)が彼に手を出すなど許されない。
でも、彼とお話できたら楽しいだろうなぁ。お姉ちゃんって呼んで、私の周りを楽しそうにパタパタと動き回るのだ。
仲良くなったら遊園地とかに行って、お化け屋敷に入ったりして、びっくりした彼が私に抱きついてくるのだ。ああ、たまらない。泣きそうな彼を私が優しく抱き締めて、背中をポンポンと叩くと、安心したように寝てしまったりするのだ。そんな彼に私は寝てることをいいことにあんなことやこんなことを……。
ってダメダメ!私ったらさっき思ったことと全然違うじゃない。
……でも、妄想するくらいならいい、よね?
「なぁなぁ、ちょっと俺達、金に困ってんだよ。お小遣いくれない?」
「お前、小野塚んとこのガキだろ?お坊っちゃんなんだから金くらいあるだろ?」
「人助けと思って頼むぜぇ。でないと俺ら、手が滑りそうだ。あ、足もな」
なにこの声。
「…………誰よあいつら」
曲がり角から顔を出して彼を見ると、その周りに三人の男がいる。明らかにガラの悪そうな風貌のやつらだ。
クズどもの顔は見えないけど、私の天使は怯えたような顔をしている。明らかに彼の友達っていうことはない。
彼の敵だ。
つまり、私の敵だ。
「…………」
でも、ここで私が出ていったら私の存在がばれてしまう。そうなったら、もうこうやって彼を見守れないかもしらない。
……ううん、違う。なんのために私はこうやって彼を見守っているのだ。こんなときのためじゃないか。
彼は私が守らないと。
「おい!早く金出せよ!」
「っ!」
私の天使が、クズに胸ぐらを掴まれた。彼が苦しそうに顔を歪める。
「…………」
許せないゆるせないユルセナイ!
汚いてでユウくんに触るなんて。乱暴するなんて!
私は音も立てずにクズどもに近寄り、彼とクズの間に割って入る。
「汚い手で触らないで」
そして、彼の胸ぐらを掴む男の手首を握った。そして、
「なんだてめ、あいててててててて!は、離せっ」
私は力任せにその手首を握る。ミシミシと骨の軋む音が伝わってくる。いつもならここで逃がしてやるのだが、今日は別だ。こいつは私の天使に乱暴したのだ。ゆえにそれ相応の罰は受けるべきなのだ。
だから、
「ふんっ!」
「ぎゃっ!」
私は力任せにクズの手を握り潰した。
「あ、がぁ……いてぇ!いてえよぉ!」
悶絶してクズはその場にうずくまる。いい気味だ。
「て、てめえなにしやがる!なにもんだ!」
クズお決まりの台詞ね。ふん。
私は左手の平を顔にあて、右手の平をクズどもに向ける。某マンガ主人公の立ち方だ。
「私は弱気を助け、強気を挫く正義の味方!この手塚浩子、悪党に名乗る名は持ち合わせていないわ!このクズと同じになりたくなければさっさと消え失せなさい!」
「…………」
「…………名乗ってんじゃねえか!」
「……………………成敗!」
私はつっこみを入れてきた男の鼻っ柱を殴る。グシャッと鼻が潰れたのが拳に伝わった。当然、戦意喪失したので、私は最後のクズに向き直る。
「さあ、最後はあんたよ」
「ぐっ!ふざけんなババア!」
バッ、ババア!?失礼な、これでも24よ!
クズが胸ポケットから小振りのナイフを出してくる。
「許さねぇぞてめえ……」
「は、そんなナイフ一本でなにができるっていうのよ」
私は呆れる。他の二人を見て実力差に気づけなかったというのか。哀れな。
「うるせぇ!死ねえ!」
男がナイフの先を私に向け、突撃してくる。後ろには少年がいる。避けることはできない。
まあ、必要ないけどね。
私はナイフに向けて素早く拳を振るった。刃先ではなく、胴の脆い部分にだ。
「あっ?」
哀れなクズはナイフから伝わった衝撃に立ち尽くす。私はふんっと鼻を鳴らした。
「さっさと消えないと、そのナイフみたいにするわよ?」
私が殴ったナイフは、刃先がなくなっていた。これみたいにクズをするとなると……うん。首に胴体とお別れしてもらいましょう。
「あ、うぁ、あわわわわわ」
クズはナイフを取り落とし、その場に腰を抜かした。そして、股の辺りが濡れている。うわー、こいつ漏らしてやがる。最悪だ。
こんなところにいたら、私の天使の教育上よろしくない。仕方ない、こちらから立ち去ることとしよう。
私は踵をかえして、天使と向き直る。
まだ怯えたふうに身体を震わしている彼の手を取り、歩き出した。
「さ、行きましょう?もう悪いやつは私がやっつけたからね?」
ああ、手握っちゃったぁ。柔らかい。フニフニだぁ。ヤバイ、鼻血出そう。
「あ、えっと……」
「お家に案内してくれるかしら?連れてってあげるわ」
私は精一杯平静を取り繕って、にこりと彼に微笑みかける。そこでようやく不安がなくなったのか、ぎこちないながらも笑顔を返してくる。んあああ、やべえ、かわええのう、かわええのう。今すぐ抱きついてペロペロしたいお。
「……お姉さん?」
「はっ!」
やばいやばい。妄想しかけた。あくまで私はこの子を守る存在だ。手を出してはいけないのだ。
「なんでもないわ。さ、帰りましょうか?」
―∞―
天使の名前は、小野塚裕太(おのづか・ゆうた)というらしい。これからはユウくんと呼ぶことにしよう。ユウくんユウくんユウくん。ふふふ、いい響きだ。
私とユウくんは今、公園のベンチに並んで腰かけている。ユウくんは私が買ってあげたコーラを飲んでいる。けぷっ、と控え目なゲップがこれまたかわいらしい。
こうして公園に座っているのはユウくんに誘われたからだ。家は公園を出たところの高級マンションらしい。クズどもが言っていた通り、良いとこの息子らしい。とは言え私には関係ないことだ。金持ちなどこの子のかわいさの前にはなんの価値にもならない。
「改めてお姉さん、助けてくれてありがとうございました」
ユウくんは恭しく私に頭を下げる。かわいい。
「いいのよ。ユウくんが無事でよかった。胸ぐらを掴まれて苦しくなかった?」
「お姉さんが、すぐ助けてくれたから」
と言って、ひまわりのように明るく笑う。かわいい。
「怪我がなくてよかったわ」
「お姉さんのおかげです」
「にっこり笑顔。かわいい」
「え?」
おっと、心の声が出てしまった。気を付けないと。にやけてしまいそうな頬も引き締めてっと。
「あのお姉さん?」
「んん?どうしたのかな?」
「お姉さんって、いつもこの時間に僕の後ろに着いてきていた人ですよね?」
「……………………」
……………………え?
えええええええええ!?
ば、バレてた?バレてたの?
私が追いかけていたの、バレてたの!?
「あ、うぅ、ああ……」
頭が真っ白に、目の前が真っ暗になる。
私は、今、地獄にいる。
終わった。私、終わった。
ユウくんに、私が彼を追いかけていたことがバレてしまった。もうおしまいだ。変人だと思われる。キモいと思われる。ストーカーだと思われる。もう、ユウくんを見守ることができない。ユウくんのいない人生……。私の人生は、
お、おしまいだぁ……。
「お、お姉さん?」
「ごめんね、私、キモいよね。ごめんね、消えるから。私もう君の前に現れないから。ごめんね。ごめんね」
ああ、家に帰って首吊ろう。
私が力なくベンチから立ち上がろうとすると、手が柔らかいものに包まれる。
それは、ユウくんの手だった。
「お姉さん、待ってよ」
「えっ?」
「僕、もっとお姉さんと話がしたい」
「…………」
「いつも僕を見守ってくれてたんだよね?だから今日もすぐに助けてくれたんだよね?僕、ずっとお姉さんに話しかけたかったんだ。だけど、そんな勇気出なくて……。でも、今日はようやく話せたから。……僕、もっとお姉さんのこと、知りたいな」
「……………………」
だらぁ。
我慢、できなかった。
「お、お姉さん!鼻血鼻血!」
やべえよ。この子かわいすぎだよぉ。
鼻血出すぎて貧血起こしそうだよぅ。うへへ。
「は、早く拭かないと。えっと、はい」
ユウくんからのディッシュを素直に受けとる。ユウくん優しい。やばい、涙出そう。
「ありがとね、ありがとね」
私は鼻声で言いながら、鼻をかむ。
幸い、鼻血はさほど出ていなかったし、拭った分以上の鼻血も出てこないようだった。鼻血が止まるのを見計らっていたのか、ユウくんは私の手を取った。
「こ、こうしてても、いいかな?」
「う、うん、いいよ」
動悸がムネムネする。
っべえわぁ、マジで、っべえわぁ。
ユウくんかわいすぎだわ。手柔らかすぎだわ。
「お姉さんのこと聞いてもいいかな?」
「ん?う、うん!いいわよ。なんでも聞いて」
「お姉さんって近くに住んでるの?」
「ええそうよ。一人暮らししてるの。ユウくんのマンションから歩いて十五分くらいかなぁ」
ユウくんが家に来てくれたらいいのになぁ。
「そっかぁ。今度、遊びに行ってもいい?」
とか思ってたら遊びに来たい宣言されましたぜ。うわほわほほほ。
私、今、天国にいます。
「もちろんいいわよ!いつでも何度でも来ていいわよ!あ、合鍵渡そっか?私がいないときにいてもいいよ」
「お姉さんがいないときにいっても意味ないよ」
嬉しいこと言ってくれる、この子は。お姉さんを悶え死にさせる気か。
「じゃあ今度、案内してね!えっと次はね。あの悪い人たちやっつけたけど、お姉さんってすっごく強いんだね!パンチ!」
私の真似をしてか空に向かって拳を突き出す。残念ながら、そのパンチでは人を倒すことはできないだろう。……私はノックアウトされたけどね!もうユウくんかわいすぎ!
「小さい頃から鍛えまくってたからね。ふふふ、私の手は林檎を握り潰せるのだ」
手をわきわきしてユウくんの脇をくすぐる。ユウくんはこそばゆそうに笑った。
「まあ、こんな女だから男なんて全く近寄らなかったけどねえ。寂しい一人身なのよ」
自嘲気味に私は言った。
「…………僕も、同じだよ」
不意にユウくんの声のトーンが下がる。
「僕も一人みたいなもんだよ。学校でも家でも一人だし」
「友達は?」
「………………」
沈黙が答えだった。
さっきまでの微笑みが消えて、今にも海の底に沈んでいきそうな表情。そんな顔、見たくない。ユウくんに似合わない。
「お父さんもお母さんも、仕事でいつも家にいないし。僕の周りには誰もいないんだ。誰も、誰も……」
苦しい。ユウくんの寂しげな顔を見てると、胸が張り裂けそうなくらいに苦しくなる。ユウくんのそんな顔は見たくない。ユウくんは笑ってる方が似合う。どうにかして、ユウくんの笑顔を取り戻したい。
そして、私はほとんど無意識に言葉を発していた。
「私がユウくんの傍にいるよ」
「……お姉さん?」
「ユウくんは一人じゃない。私が傍にいる。私が傍にいてあげるから、そんな悲しそうな顔しないで」
「お姉さん」
「たとえ、皆がユウくんを一人にしても、私は絶対にユウくんを一人にしない。だから、笑って?」
「お姉、さん」
ユウくんは涙をボロボロ流し始めると私に抱きついてきた。慎重差もあってか、彼の頭が私の胸に埋まる。私はユウくん引き離すことはせず、その頭を優しく撫でた。何度も何度も。
「ユウくんは一人じゃないよ。私がいるから」
「…………うん。うん!」
私とユウくんはそうしてずっと抱き合っていた。
宵闇が私たちを、二人だけにして包んでくれた。
―∞―
それから二週間と経ち、私たちはその間、毎日のように会った。ユウくんが家に遊びに来ることもあった。ユウくんの家に遊びに行ったこともあった。基本的にユウくんのご両親は家にいないので、遊びに行くのに問題はなかった。ただ問題なのはユウくんの食生活だ。充分なお金はもらっているらしいけど、食事はほとんどレトルトのものばかり。栄養が偏っているのである。そんなのではダメだと私は手料理を振る舞った。一人暮らしの女の自炊力を舐めるな。私はただの筋肉バカじゃない。料理ができる筋肉バカだ。……断っておくけど私はマッチョではないわよ?
他にも彼の通う中学校にも一度だけ行って、下校するユウくんを驚かせたりした。そのときユウくんの頭をいきなり殴ったクズがいた。ただ殴るだけ殴って、どこかに行こうとしたので、無理矢理路地に連れ込んで良いことしてあげた。もう、ユウくんに関わることはないだろう。(このことはユウくんには見せていない。暴力女と思われたくないのだ)
どれも楽しかったけど一番は日曜に遊園地へ行ったことだ。ユウくんも塾がなく、私もちょうど仕事がなかったので、これ幸いと行ってきたのである。
歳の差は姉妹もしくは従兄弟関係にしておけばなにも問題はなかった。ユウくんも私のことをお姉さんと呼ぶしね。
遊園地は楽しかった。定番のジェットコースターからお化け屋敷までとにかく色々まわった。ベストはやっぱりお化け屋敷かな。妄想していたお化け屋敷での抱きつき大作戦が成功したのだ。怯えるユウくんの顔、私の腰に抱きつくユウくんの柔らかな腕、仄かに香るユウくんの甘い匂い。どれも最高で大変満足でした。ムフフ。
ユウくんもかなり楽しんでくれて、お家に来たときなんかはすごくはしゃいでいた。スキンシップの一環でユウくんの股間を触っちゃったりしたが、ユウくんも私のおっぱい触ったりしたからおあいこなのだ。ふふふ、ユウくんのアレを触れるならおっぱいの一つや二つ。いや、むしろ、もっと触ってくれって感じだ。今度、誘ってみるか?いやいや、手を出しては。彼は中学生だぞ。犯罪だ。でも、ユウくんなら受け入れてくれそうな。そんなことに興味ある年頃のはずだし。うむむ。
とか色々な悶々としつつも幸せな毎日を私は過ごしていた。仕事の辛さもなんのその。ユウくんとの日々に比べたらたいしたことじゃない。
私は幸せだった。
だから、気がつかなかった。
理不尽な悪魔が、私の後ろまで近寄ってきていることに。
13/02/23 01:24更新 / ヤンデレラ
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