「……そろそろだな」
雀の鳴き声が外から聞こえる頃、平日には恒例となっている『儀式』が始まる。
「えいっ」
軽やかに階段を駆け上ってそのままノックもせずに
部屋へと侵入してきた誰かが、俺の上へとのしかかってきた。
「ぐは」
衝撃に肺の空気が押し出される。
「おーい、寝ぼけてないで起きろー、遅刻するぞー」
「…………これまでさんざん言ってるように、俺は寝起きのいいほうだから
お前に起こされる必要はないよ。それと、おはよう」
これが『儀式』もとい『大きなお世話』である。
「おはよっ、はじめ」
「邪魔だから布団の上からどいてくれ。暑苦しいし動けない」
「了解！」
いつもいつも朝からイラっとするほどクソ元気な
幼馴染――恵が、布団越しに俺に馬乗りになるのをやめてベッドの脇に降りた。
こいつは今日も無駄に元気だ。
首のあたりまでしかない短めの髪にツリ目でこの性格とくれば
百人中百人が『見た目も中身も困るくらい活発』と感想を述べるだろう。
そしてこいつの幼馴染である俺への感想は『苦労人』だったりする。ちくしょう。


「食パンうめえ」
バターとイチゴジャムがたっぷり塗られたそれをパクつきながら
恵は俺と並んでニコニコ笑顔で歩いていた。
「相変わらず今日も仲いいね」
これまた幼馴染である一也が後ろから声をかけてきた。
こいつは通りすがりの人々のほとんどが、すれ違った後に
つい振り向いてしまうほどの美少年である。神様はたぶん性別を間違えた。
「うらやましいならポジション変われよ」
「…………」
一也は無言で首を振った。
「ずっと変われとは言わない。三日、ほんの三日でいいからさ」
「ごめん本当に無理」
今度は拒絶の言葉を口にしながら首を振った。
「ごくごくごくっ……ぷはー」
乾いた喉をスポーツドリンクで潤し、一息つく恵。
どうやら食事に夢中で今のやりとりは聞いてなかったらしい。
もし聞かれていたら一也はキャメルクラッチの刑を受けていただろう。

――というのが、幼稚園から中二まで続いている
我々三人のダラっとした関係なのだが、まさかこれが、どこかの誰かさんによって
ある日を境に激変することになるとは思いもよらなかった。


………………


『デロデロデロデロ』
この着信ということは、恵か。
こんな時間にメールよこすってどういうことだよ。もう深夜一時だぜ？
「全く……」

タイトル＝とにかくきて大変
本文＝とにかくきて大変わたしの部屋が異常

「どうしたっていうんだ」
いつもの毒にも薬にもならないメールとは毛色が違う。
たわいもないイタズラ…とも思えない。あいつは単純だが常識はそれなりにある。
この時刻にそんな馬鹿げた真似をやるわけない。
「…………ちっ」
なんだか胸騒ぎがする。
気のせいならいいんだが、どうにも心がざわざわするというか落ち着かない。
…恵の住むマンションまでは、チャリなら
うちから十分もかからなかったよな。
『お友達からやで〜』
今度は一也か。さっきまで、これから寝るところだったってのに
一転して忙しいなあ。今日は厄日かっての。

タイトル＝僕にもメールきた
本文＝恵の家に向かうからはじめも来て

簡潔にして明快なメールだ。さすがは一也。


「……はぁはぁ…………久々に、全力でこぐと、つ、疲れるな」
周りを見渡すが誰もいない。静かなもんだ。まだ一也は着いていないようだな。
と思っていたら見覚えのあるシルエットがチャリにまたがってきた。
「ふぅ、遅れてごめん」
「別に謝らなくってもいいさ。それより早くいこうぜ」
「そうだね」

一也がマンション入口のインターホンで恵の家の番号を
プッシュすると、あらかじめ恵は玄関にでもいたのか、すぐに繋がった。
『今そこのロックを外すから早く来て。
父さんも母さんも今はいないから遠慮しないで早く…！』
よっぽどの事態だな。
「ゴキブリが出た、とかだったりしてね」
などという軽口を一也は叩いたが、目が笑っていない。
恐らく俺の目も似たようなものだろう。


いったい何が待ち構えているのか、不安に包まれながら
俺と一也は恵の部屋に向かったわけだが…………………………とんでもなく想定外すぎた。
「なんじゃこりゃ」
腹の奥から、搾り出すように、かろうじて、それだけ、言えた。

部屋の中央に浮かんでいる、というよりも
宙に固定してあるかのように動かない、１メートルくらいの金属質の巨大な輪。
その輪の周りでは、どこかの国の文字？らしき模様が
これまた輪のように連なって、輝きながらゆっくりと回っていた。

「これは、あれだな、きっと異次元への入口だぞ」
「いや、未来へのタイムゲートだね」
「いやどっちでもいいからなんとかしてくれないかな」
人類史が始まって以来もっとも酷い無茶ぶりがきた。
「その前にひとつ聞きたいんだが、これってお前の手作りじゃないよな」
「なわけあるかぁ！！」
場の雰囲気をなごませようとしたら怒られた。クソッ、なんて時代だ。
「どうにかしようにも、僕らじゃ無理だよ。
警察にでも連絡するしかないと思う」
「そこの窓から出せない？」
いや、サイズ的に不可能だから。屏風に書かれた虎を出すほうがまだ可能性あるぞ。
それにこんなのうかつに触りたくない。
大爆発でもしたら人生オワタだ。

パアアアアアアアアア……

「えっ？」
あれれれれれれ、もしかして、本当に大爆発きちゃったのかなー？
「ひ、光ってるんだけど…」
「うん、僕にも光ってるように見えるよ」
「言いたくないが、俺もだ」
文字から放たれる光は、ますますその輝きを強めていく。
「俺たち、短い人生だったな。
だが、人生を謳歌してる真っ最中に死ねるんだから、勝ち逃げといえないこともない」
「不吉なこと言わないでほしいな。まだ何が起こるかわからないよ」
「何のんきなこと言ってるの！？早く逃げないと！！」
俺と一也の手を引いて恵が部屋から離れようとするのだが、
「もう遅いようだぞ」
「え？」
「あの世まで腐れ縁が続くとは思わなかったね」

カッ！！！


………………


「――以上で説明終わり」
「ほっほっほっ、爆発ではなくてよかったのう」
山羊とロリをかけ合わせたかのような生き物が年寄り臭く笑った。
こいつはバフォメットとかいう種族らしい。魔術に長けた最上級の魔物なんだとか。
「笑い事じゃありませんよゼレア様」
「それもそうじゃな、ミナ」
それを聞いて、どう見てもロリそのものな生き物が山羊ロリに注意した。
こっちは魔女だそうで、山羊ロリほどではないが
それなりに魔術を使いこなす魔物だってさ。
…最初は壮大なドッキリかとも思ったが、ちょっと強引に触ってみた
山羊ロリの手足や耳や尻尾の感触は特殊メイクとかに素人な俺でも
作り物じゃないとわかる、生物的な感触があった。
その直後、このガチロリがタイミングよくこの部屋にやって来て、ひとしきり触りつくして
満足した俺と触られつくしてヘナヘナになった山羊ロリを交互に数回見てから
おもむろに放ってきた光る鎖で俺は拘束され、魔術も実在するんだと体で納得した。
「で、俺の幼馴染ふたりは、どうなったのかな。
ここに飛ばされているんじゃないのか？」
「まあ待て。その前にお主の身体について話さねばな。
もうなんとなく理解してると思うが、お主は人間をやめておる。あの二人もじゃ」
「うわぁい」
死ぬのとは別の意味で人生が終わってしまった。
「でなければ、このわしに、あ、あんな強引に愛撫できん…」
「異世界の男性は油断も隙もありませんね、もう」
愛撫って言うな。ロリコンか俺は。
「…コホン。えーと、その、お主らをわしらの世界に飛ばした物体じゃが
おそらくはいにしえの転移装置…というか、兵器じゃ」
「ほう」
「射程範囲内の生物を強制的に異次元へ転移させる、凶悪な魔術兵器。
かつて、知の化身と呼ばれた、人間の大魔術師が心血を注いで作り上げたものらしいが
如何せんあまりにも当時の情報がなくての、詳しいことはまるでわからん。
まあ、強大な魔物に対抗する最終手段として作られたのじゃろう」
「それがなんで俺の友人の部屋に？」
「うむ、それがじゃな。偶然この近辺の遺跡から発掘されたそれを
バフォメットの中でも古代知識に詳しいこのわしが面白半分にいじくってたら
突然光り初めてのぅ。怖くなって部屋から出て、しばらくしてから
助手のこやつに様子を見にいかせてみると、なんとお主ら三人が倒れていたのじゃ」
「ころすぞ」
早い話、お前が諸悪の根源なんだろうが。
「そんな目で睨むでない。わしとて悪気があったわけでは…」

反省の色がまるでないようなので、俺は光る鎖をおもむろに引きちぎって
山羊ロリをがっしり押さえつけてから中指を根元までケツの穴に突っ込んでやった。
そしてまたガチロリに魔術で拘束された。

「よ、よりにもよって後ろに、指を入れるとは、お、お主はオニじゃ……」
「大丈夫ですか」
「うむ、も、問題はない。
むしろ悪くなかった…………な、何を言わせるのじゃ！」
「私は何も言わせたりしてませんよ」
「話を戻そうぜ。で、なんで俺とあの二人は人間じゃなくなったんだ？」
呪縛の魔術をなんとなく気合で吹き飛ばし、話の続きを促す。
「そ、そうじゃったな。言うのを忘れておった。
その転移兵器なんじゃが、土地の精霊力を吸い上げて発動するという
極めて画期的なシステムを用いておってな。魔界であるこの地では、当然じゃが
精霊も魔物に近い性質を持ち、兵器が吸い上げる精霊力も
魔力を濃厚に帯びていることになる。これは仮説じゃが、もしかすると
そういった魔の精霊力をエネルギーにしたのが今回の暴走の原因かもしれん。
そして、偶然お主らの世界に移動してから発動したとき、本来であれば
転移のみさせるはずが、エネルギー源に魔の力が混ざっていたことで
その影響をもろに受けてしまったのではなかろうか」
エネルギー源が汚染されていたから、俺達もその余波で汚染されたのか。
そんな適当な理由で人間やめるとかどこのアメコミヒーローだ俺ら。

「まあ、だいたいはわかった。落とし前は後であんたに取らせるとして
ひとまず二人に合わせてくれ」
「それがのう……。
あの者たちは、お主に今の姿を見られたくないそうなのじゃ。
嫌われたくないといっておる」
そう言われても、こんな誰も知人のいない異世界で
たった三人しかいない同郷の士だ。会わないわけにもいかない。


ということで、俺は山羊ロリから二人の部屋場所を聞くと、
建物の壁伝いにヤモリよろしくヒタヒタ這って行って
こっそり窓から変わり果てたその姿を覗き見することにしたのだった―

■作者メッセージ
主人公である彼は、どういうわけか今の自分の能力を
『生まれつきのもの』と勘違いし、当たり前のように使用しています。
そして、親友二人は、人間から魔物になったにしては
人間としての倫理観をそれなりに保っています。

兵器の不具合による副作用なんかで人間をやめたせいでしょうね。