第10話 森の軍勢
当初はベリアハルトに警告されるまま大人しく亡命しようとした黎犂達。だが結局「同様に男を求めている仲間がいるから、合流して一緒に迎え討とう」と主張してくるアリスティアに押し負けた結果、現在待機している彼女の仲間と接触すべく再三森林の中を進み、丁度彼女達が竜哉と戦った場所まで到達した。
「おい、もう周り真っ暗だぞ。ここまで待ちぼうけくらってりゃ、お仲間とやらも帰ってんじゃねぇの?」
「いやぁ、多少後退してるかもしれないけど、まだ退却まではしてねぇな。アタシ等が身に着けてるこの魔晶石は1種の発信機になってて、指揮官クラスが持ってる地図に装着者の現状が表示されるから、こっちのことはある程度把握してるだろ。そろそろ気の早い迎えが来ても、おかしくないかな」
「それは便利な道具だな。だが戦とは普通、斥候の数人帰ってこないところでおいそれと退却する程甘くないぞ。むしろ夜襲を仕掛けるなら、日中から身を潜めるのに手ごろな場所で陣取り、夜間まで身を伏せるのが常識だ」
すでに日は沈み、黎犂達は視界をうっすらと照らす星と月の光を頼りに進んでいるため、足取りは当然遅い。いくら何でもこんな時間まで律儀に待ってはいないだろうと感じる黎犂だったが、装備の機能を自慢するアリスティアと、剣だけでなく軍略にも通じている竜哉から否定された。この二人、性に関することを除けば意外と相性はいいのかもしれない。
「っ!何か来る。2人とも油断しないで!」
突然、周囲に警戒して探知魔法を展開していた神楽が、接近する何かを発見した。即座に黎犂と竜哉は臨戦態勢に入るが、どうやらそれに気づいたアリスティアの様子からすると、先程言っていた「気の早い迎え」らしい。1歩歩く毎にカチャカチャと音を立て、こちらへと進んできたのは、黎犂達3人とほぼ同じか、1、2歳くらい下と思われる2人の少女。だが色白の豊満な身体は局部以外の大半が曝け出され、関節から青白い炎が漏れ出す四肢も太さこそ人間のものとよく似ていたが、外観は肉の付いてない骨のようだ。そして鏡写しのような青白い顔には、眼光の代わりに魔晶石が光る、髑髏を模したような割れた面を、それぞれ左右に着けていた。
「おいおい、よりによってスケルトンかよ。迎えにどんな奴を寄越してくるかと思いきや、相手しにくい奴選びやがって…。ただ、アイツ等の様子を見るにまだアンタ等のことを警戒してるみてぇだな。っし!アタシが奴等と話をつけてくるから、いい加減この縄解いてくれや」
ある程度進んだところで足を止めたスケルトン達は、こちらの様子を窺うように、遠巻きに構えている。それを見たアリスティアは、3人が敵ではないことを伝え、奥で待機しているほかの魔物から襲われないよう説得するといって解放を要求してきた。
「おい、どうするよ?一応決定権は捕らえたお前にあると思うが、俺はここまできたら任せてもいいと思うぜ?」
スケルトン達の出方がわからない以上、アリスティアをどうするか悩むところだが、戦闘が決まった時点で半ば自棄になっていた黎犂は、投げやり気味な態度で竜哉に決定を求めた。
「ふっ、ここまできたら、今更迷うまでもないだろう。ただし解放するのはお前だけだ。残りは一応、こちらで人質として預かる」
当の竜哉はどうするか決めていたようで、神楽に拘束術を解除させると、アリスティアの縄を解いて解放する。
「ふぅ、あんがとな。そんじゃ、パパッと済ましてくっから、吉報待ってな」
身体の調子を確認するように手足を適当に動かして、問題ないことを確かめたアリスティアは、早速スケルトン達の元に向かう。が、説得は3人が思っていたより簡単に終わったようで、アリスティアはその場でスケルトン達と二言三言話したかと思いきや、2体を引き連れてアッサリこちらに戻ってきた。
「とりあえずアンタ等はアタシ等の仲間だから襲うなってのと、アタシ等を追って教団の連中がもうすぐこっちに来るってのは伝えといたぜ。後はコイツ等についてきゃ、野営先に着くだろ。それといい加減、フェズ達も解放しといてくれねぇか?もち、タダでなんて言わねぇからさぁ♥」
更に成功を報告した流れで未だ拘束されている仲間の解放も願い、媚びる様な甘い声で竜哉の腕に胸を押し付けてくる。普通なら顔を赤らめたり、目を泳がせたりと、何かしら動揺させる様な行為でも、そこは性に関心がない竜哉。無言で腕からアリスティアを引き剥がすと荷台に上がり、黙々と7人全員の縄を解いていく。
「あ〜おなか減ったなぁ…」
「にゃぎ〜、危うく手足の感覚がなくなるかと思った…」
「ありがとうございますマスター。この恩は後ほどベッドの上でお返しします」
「ふむ、やはり初夜は簡素なプレイで、お互いじっくりと理解しあうことに励むとしようか」
「くうぅ、散々馬鹿にしやがって…この借りは後でタップリと返してやるからな…」
「や、やっと助かったぁ〜…」
「ご主人さまぁ〜!メチャクチャ怖かったですぅ〜!」
フェズやリンクはやっと縄を解かれ安堵の言葉を漏らし、ケリーやビビエラは空気を読まずに早くも交わることを考えるが、解いた縄を束ねてから隅に投げ、荷台から降りた竜哉は、見るからに無関心で解放を告げるだけだった。
「ほら、これで文句ないだろ?」
「 ちぇっ、面白みのねぇ奴…。 んじゃ、案内よろしくな」
無事解放された仲間の様子を確認していたアリスティアがスケルトン達へ声をかけると、2人は早速無言で歩き始め、その後をアリスティア、フェズ、ジャネット、ベリム、クレム、リンク、ケリー、ビビエラ、竜哉、神楽が2列に並んで続き、最後尾の黎犂が馬をひいて進む。
数分ほど歩き続けると徐々に前方が明るくなっていき、その先に多数の気配が感じられた。やがて黎犂達が森の中を通る渓流と、その周囲にある程度広がる岩場が視認できるところまで到着する頃には、何人もの女性がたき火を囲んで食事や談笑したり、滝壺で沐浴したり、テントで睡眠をとっている姿が見えた。差異はあれどもそれぞれ人間とはどこかしら異なる容姿をしていることから、人間ではなく魔物だと判断できる。
3人が周囲を見渡している間に、案内役のスケルトン達はその陣中に入り、奥へと進んでいくところだった。すかさずアリスティアが呼び止め、自身を先頭に3人を囲うように列を組み直し、神楽を隣に置く。
「3人とも、アタシ等から離れるなよ?ここにいる奴は皆男に飢えてるから、油断してるとすぐ襲われちまうぞ。特にタツヤとレイリ、間違っても好奇心に任せて見に行こうなんて考えるんじゃねーぞ」
やはり列を並び変えたのは人間3人―特に竜哉と黎犂がほかの魔物に襲われないようにするためらしい。更に黎犂が引いてきた馬も、この先を引いて通るには邪魔になるし、乗って通るわけにもいかないため、仕方なく手近な木につなぎ止めてから改めて進む。様々な魔物達の中にはアリスティア達に声を掛け、時には黎犂や竜哉に気付いて襲いかかり、返り討ちにされる者もいたが、途中思わぬハプニングが起きた。
突如地面を突き破り生えてきた手が神楽の足を掴んだと思えば、そこから体に巻いた包帯が要所以外ほぼ解けたマミーと、服がボロボロで見るからに顔色の悪いゾンビが、這い出るように顔を出したのだ。アリスティア達がいるし、魔物は男を優先して襲うと聞いたから大丈夫だろうと油断していた神楽は、まともに抵抗する間もなく捕まってしまう。
「うぁ〜人間だぁ〜…ここまで迷い込んでくれてラッキ〜…」
「っはぁっ…早く…早く精をくれ…もう我慢しきれん…!」
「ひゃっ、ひゃいぃ!?な、何で襲ってきてるの!?私女だよ!?」
2人の拘束と急に襲われた混乱でパニックに陥るが、冷静に対処したところで足は押さえられて動かせず、どうすることもできない。このまま地中に引きずり込まれると思った神楽だが、幸いにもアリスティアが両者の首を掴んで遠くへと投げ飛ばし、無事助け出される。
「てめーら何してんだ。コイツ等は客人だから、手ぇ出すんじゃねー、よっ!」
「あ〜折角の人間〜…」
「ひっ…あぁぁ〜!」
投げ飛ばされたゾンビは恨めしげに、マミーは喘ぐ様に声を上げながら、どちらも滝壺に着水して沈黙した。
「やれやれ、兵糧に精補給剤もあったはずだけど、アレって不味いから、やっぱり精は人間から直接食った方がいいんだろうねぇ…。悪りぃなカグラ。ゾンビやマミーは精が足りないと、判断能力が鈍って男女問わず襲うってのは覚えてたんだが、油断してたわ。まあすぐバレて失敗した訳だから、レイリとタツヤの傍にいれば、多分アイツ等の魔力はすぐ失せるだろ」
襲っても1度しか精を得られず、特に周囲は未婚の魔物しかいない現状では下手に同族を増やせば、男性を獲得する際のライバルになりもなり兼ねないとデメリットの多い女性に比べ、男性ならば1度魅了すればいくらでも精を放ち、伴侶にもなってくれる分魔物に襲われやすい。そのためついつい黎犂と竜哉ばかり襲われない様に警戒した結果、男に飢えた余り識別を放棄した魔物に無防備の神楽が襲われてしまった。黎犂に抱きつき半泣きの神楽を見て、アリスティアは素直に非を認め謝罪する。
「ホントに大丈夫なんだろうな?後で神楽さんの身に何かあったら殴り倒すぞ?」
だが神楽を宥める黎犂は気が立っていて、ついアリスティアに噛みつく。
「不安なら、これから会う指揮官に任せな。アイツは種族がら魔力の扱いに長けてるから、残ってる分くらいパパッと取り除いてくれるだろ。っと、着いたようだぜ」
どうやら雑談している間に到着したらしく、先導してきたスケルトン達が天幕の前で足を止め、こちらを見ている。天幕の左右には門番を務めるかの如く、肩や手首にアクセサリーと呼ぶには無骨な岩石製と思われる装飾をつけた褐色肌の魔物が槍を構え佇んでいたが、左右に並んだスケルトンがお互い相手側の手をかざし、魔晶石の埋め込まれた腕輪を見せると、門番は横にずれ道を開けた。
「やれやれ、スケルトンに案内されたと思いきや、今度はゴーレムが門番かい。何考えてるか分かんねぇ奴ばっか揃えやがって…」
「あら、こちらとしてはお客方に粗相を起こさないよう、大人しい子を選んでおいたつもりですが?もっとも、道中襲い掛かる程飢えに駆られていた者がいたことは、単純に私の失態です。どうか彼女達のことは許して下さいな」
相次いで現れる無表情な魔物達に、つい本音をつぶやくアリスティアだったが、そんな彼女をたしなめる声が天幕から聞こえた。苦笑しながら横にずれたアリスティアの後ろから見えたのは、ケリーのような犬っぽい感じがする魔物。だがケリーと違い滑らかな漆黒の毛は程よく日に焼けた肌と相まってより艶が感じられ、要所を隠す程度のビキニじみた衣装と、紀元前に栄えたエジプト文明を思わせるような黄金に輝く装飾品が目を惹く。
「アンタがここにいる魔物達の指揮官か?」
黎犂がぶっきらぼうに尋ねると、相手は右足を一歩下げてお辞儀をする。
「如何にもそうでございます、霧園黎犂様、南部神楽様、有宮竜哉様。私は今回貴方様方の回収とベルガンテ侵攻第1分隊の指揮を命じられた、アヌビスのマキーネ・ファイディと申します。今はめぼしいお相手のいない独り身ですが、以後お見知りおきを」
彼女もまた3人のことは事前に知っているようで、黎犂か竜哉を狙っているのか、名前を言い当てた後ちゃっかり自己紹介がてら独身を宣伝してきたマキーネは全員を天幕の中へ案内し、先程のスケルトン達が中央の大きなテーブルを囲う様に配置していた簡素な丸太椅子に座らせると、自分も空いたところに座る。
「ここに来る途中で、ほかの魔物に神楽さんが襲われた。アリスティアにはアンタに診せれば安心だって聞いたんだが…」
黎犂が席に着いて早々に切り出したのは、つい先程襲われた神楽のこと。だがその件は既に解決済みと言わんばかりのマキーネは、事前にスケルトン達が運んできた鍋から中身を掬うと、同じく人数分用意された小皿に装い、テーブルに並べていきながら答える。
「それについてはご安心を。幸い対応が早かったので、例え体内に彼女達の魔力を取り込んでいたとしても、ここに着く頃には分散する程度でしたから。それよりお腹も空かれていると思いますし、お食事はいかがですか?明緑魔界で採れたお野菜と、ホルスタウロスのミルクで作ったチーズとクリームを使ったクリームシチューをご用意しておきましたので、どうぞお召し上がりください」
「おぉ、アタシ等の分も用意してくれたか!こっちも腹ペコだったから丁度いいぜ!」
昼に出陣してから何も食べていなかったのはお互い同じだったようで、アリスティア達は差し出されたシチューを遠慮なく食べ始めたが、黎犂達は明緑魔界やらホルスタウロスやら聞き慣れない―おそらくどちらも魔物達にとっては一般的なのだろうが―言葉が出たために思わず食べるのを躊躇してしまう。
ベルガンテでは体面上勇者ともてなされたが、実際の待遇、特に食事に関しては「出兵先で支給される質素な食事に慣れておけるようにと、今後共に戦うこともある一般兵に対し、不平等な待遇で反感を与えないように」との理由でかなり質素なものだった。量こそ制限は厳しくなかったが、献立の大半をやけに硬いパンとサラダ等簡素な調理を施された野菜が占め、肉はごく少量のひき肉か細切れ肉が野菜に隠れてスープに混じる程度で、腹持ちはよくても到底満足感は得られると言える様な品ではなかった。
一方目の前でホクホクと湯気を立てるシチューはどうかと言えば、具材が大きめながらも食べやすい大きさに切り分けられており、特に肉は厚みも申し分なく、空腹やベルガンテでの貧相なメニューを差し引いてなお魅力的に感じられる。
「ご安心を、毒も薬品も入れてませんし、下拵えの段階で魔力も抜いておきましたから、安全ですよ?早く食べないと冷めちゃいますし、お代わりの分も十分用意しておりますから、どうぞ召し上がりくださいな」
困惑し、なかなか食べようとしない黎犂達の様子を見て自然と不安がっていることに気付いたのか、半分ほど食べ進めていたマキーネは竜哉に向けて、自分の皿から自分のスプーンで肉を多めに掬い、目の前に差し出して食べるように促す。彼女もまた、竜哉に狙いを定めたようだ。
「あぁっ!ズリィぞてめえ!タツヤはアタシ等が先に目ぇ付けてたんだぞ!」
それを見て腹を立てたアリスティアがマキーネに食って掛かるが、マキーネは動じることなく竜哉にシチューを勧め続ける傍ら、顔だけアリスティアに向けて反論する。
「あら、貴女や彼から精の匂いは感じられませんが?見つけた順番なんて行為に及んだかに比べれば意味を持ちませんし、何も考えず自分の分にがっついて、食べ終わったところでやっと気付いたような貴女に言われたくありません。」
「んだとぉ!?」
言われてみれば確かにアリスティアの皿はきれいに中身がなくなっていたが、今はそれどころでなく、このままではアリスティアが暴れだすのも時間の問題だろう。巻き添えを食らう前になんとかせねばと判断した黎犂は、ちょうどさっき聞いた言葉について、両者の気を紛らわせるついでに訊ねることにした。
「あ…あのさぁ、今訊くのも変だけど、さっき言ってた明緑魔界だのホルスタウロスだのって、いったい何だ?」
急に声をかけられた両者がうまい事反応し振り向くと、途端に興が冷めたようで、さっきまでの緊張感は沈静し、アリスティアも黙って座る。そしてそれを確認したマキーネが仕方ないと言わんばかりに咳払いをすると、手元の皿とスプーンをテーブルに置き説明を始めた。
「コホン…えー、まず明緑魔界の方ですが、簡単に説明するなら、一見すると人間界と変化が無い魔界のことです。普通、皆さんが想像する様な闇に覆われた魔界は暗黒魔界と呼ばれてますが、そちらに比べれば大気や水に含まれる我々魔物の魔力は薄く、引き続き人間界の作物が育てやすい環境の土地です。暗黒魔界の方は後々説明するとして、次はホルスタウロスですが…」
ここで一旦話を止め、ちょうどシチューのおかわりをよそい、席に戻ったジャネットに目を向ける。
「…ん?」
「そこにいるジャネット、ミノタウロスの近縁種に当たる温厚な性格の魔物で、豊満な胸から溢れる栄養満点のミルクは各地で愛飲される程に人気があります。このシチューにも我が部隊で炊事や医療などを担当する後方支援として在籍する4人の胸から搾ったミルクで作った生クリームやチーズを使用していますが、市場に流通している既婚の同族から絞られたものに比べると、全員未婚ですから、味はまだまだですね。…ハァ、他に何か質問は?なければ早いとこ召し上がって欲しいのですが、これ以上ごねると無理矢理にでも食べさせますよ?」
急に注目され「何見てるんだ」と言わんばかりのジャネットを無視し、早口で簡潔に説明を終えたところにため息をつくマキーネだったが、直後に「これ以上手間をかけるな」と言わんばかりの脅し文句を付け加え、睨みを効かせてきた。その睨みが余りにキツかったのと、使われている乳製品が魔物と言えども見ず知らずの女性の胸から搾られた―要は母乳でできた物だと知ったのとでか、黎犂と神楽は苦笑を浮かべ、竜哉も無表情でだが、ようやっと完全に無害と判明したシチューを口にする。
「あ、美味い」
「ホントだ、何だか優しい味がする」
「ふむ、兵糧、それも遠征で持参した食材でこれ程いいものが出されるとはな。これなら兵の士気もそう下がることもあるまい。常日頃質素なものばかり食わされてきたベルガンテとは雲泥の差だ」
いざ一口食べれば黎犂と神楽は単純に味を、竜哉は加えて状況に対する料理の出来を賞賛するが、すぐに黙って食べることに集中し、黎犂は4杯、神楽は2杯、竜哉は3杯食べたところでようやっと落ち着いた。
食後アリスティアから状況を聞いたマキーネは、3人にベルガンテ攻略について協力を願うことにした。竜哉はこれ程の規模が控えていたとは思わず、報告の際も敵は全て倒したと伝えている。さすがに勇者と崇めた強力な人間が魔物を連れていたと言えども、わずか10人足らずを相手に大規模な編成はされないと考え、先発隊の敗北を皮切りに動き出すであろう控えの部隊を街ごと叩くことで、帰還時の安全と自軍兵士達の伴侶候補を一括して入手しようと考えたのだ。
「此度の戦い、皆様が私達の側についてくれた事を感謝いたします。最優先目標たる皆様の身柄回収がこうも上手くいったのは嬉しい誤算ですが、皆様を無事に我が主の下へと連れ帰るまでの身の安全と、遠路はるばる従軍してきた兵士達の旦那様となる男性を確保するためにも、ベルガンテは堕としておかなくてはなりません。1月足らずと言え共に過ごした皆様には辛いかもしれませんが「別にいいぜ」何分ご協力を…え?」
そのためにどう説得しようかと考えていたのだが、呆気ないほど簡単に望んでいた返事を得てしまった。即決過ぎて復帰のため逆に時間がかかってしまったが、無事立ち直ったマキーネはすでに食事から会談の場へと役目を変えた机の中央に地図を広げ、その上に兵士達が持つそれと連動しているであろう魔晶石を配置していく。完了した配置を見ると大半は森の中で一箇所に集中しているが、15個だけ森からベルガンテにかけてバラバラと配備されている。
「先程偵察隊のワーバット15人を、森の入口からベルガンテ周辺までに配備しました。ベルガンテの方に動きがあれば、彼女達から順々に報告が入るでしょう。出来ることなら貴方達を狙う討伐隊が出撃する前に先手を打ちたいと考えていますが、向こうに先手を打たれた場合は十中八、九、貴方達を探すため森に入ってきますから、平原に進撃するよりも、障害物が多い森の中で待ち伏せた方が得策と考えております。そこで貴方達には、何か敵方の軍備や戦力に関する有益な情報、あるいは何か策などありましたら伺えないでしょうか?」
どうやら点在する魔晶石の所有者は偵察に出たワーバット達らしい。状況とそれに合わせ予定した策の解説を終え、マキーネがベルガンテの教団軍に関する情報を求めると、まず反応したのは黎犂。頭の横で気だるそうに挙げた手にマキーネが気づくと、すぐに話し始める。
「情報ねぇ…有益かどうかは分らねぇが、熟練の兵士はそれなりに腕が立つ。以前竜哉と一緒に兵を六人一組にして組み手をしたが、新人だけなら大したことはなくても、一人二人熟練がいただけで負けそうになったからな。特に重装兵は防御が硬いし、騎馬兵は馬の機動力と、馬上でできる高低差が厄介で有効打を当てにくい。逆に指揮官は専ら後方から野次飛ばすばっかの戦力外だから、忍び込んで潰す分には苦戦しねぇだろ」
黎犂が思い出したのは、訓練時の光景。主に剣や槍、弓矢を武器とする教団兵達は強さもまちまちだったが、ある程度在籍してきた兵士や、時折町を訪れ雇われて在籍した傭兵達は強力だった。薄いプレートアーマーや革の胴あてなど、機動に優れた軽装兵なら装備の隙間や関節部分を狙って怯ませることもできたが、鎖帷子の上から金属製の立派な鎧兜を装備した重装兵や、馬上から的確に攻撃を繰り出す騎馬兵が相手ではそうもいかなかった。重装兵はドミノ倒しの要領で複数人を一気に転ばせ、騎馬兵は強引に馬から叩き落としてなんとか勝利したが、仮に実戦で戦うとなればこれほど厄介な敵はそうそういない。
一方指揮官は専ら有力な貴族や富豪の血縁者で、ほぼ全員大した功績もなく、家柄や金で得た官位を振りかざして威張り散らすような者ばかりだった。時折気まぐれで訓練に参加することもあったが、良質の装備に反し腕はからきしダメなことも多く、下手に叩きのめすとすぐ官位や家柄を出して鬱陶しかったので、出てきた時点で相手にすることなく引き揚げることにしていた。
「なるほど、歩兵は戦闘において基本かつ重要なポジションですし、兵種がある程度判明すれば対策も考慮しやすくなりますから、ためになりました。そうなると重装兵には鎧を破壊できるパワー型や打たれ強い防御型、騎馬兵には馬の影響を受けにくい飛行型、そして歩兵部隊全般に白兵戦が得意な近接型を前面に、接近前から攻撃できる遠距離型や魔法型の魔物を援護に宛てるのが適切でしょう。では続いて神楽様にお聞きいたしますが、魔術部隊は存在するか、するなら規模や技術、使用する魔法の種類などを教えていただけますか?」
脇に重ねていた羊皮紙の束から一枚手に取り、黎犂の話を聞きながら犬のような手で器用に羽ペンを走らせていたマキーネ。記入が終わるとその対策を説明し、今度は神楽に魔導部隊のことを尋ねてきた。竜哉を指名しなかったのは、得られる情報は同じと思われたからだろう。実際その通りではあるが。
「えぇっと…私に魔法の指導をしてくれた師団長の下に、同じく魔法を習った弟子の部隊長達が5人いて、1つの隊は魔法を使って味方の回復や援護をする3人の魔術師と、魔術師を護衛する2人の魔戦士が男女混合で構成されてました。魔戦士は魔法も武器も使える人達で、炎の剣とか振るうと風の刃が飛んで行く槍みたいに、武器に魔力を纏わせて攻撃することができます。」
一方で神楽が話した魔法部隊に関しては、交流の機会自体少なかったため規模すらよく知らなかった。一応「素質がある」と部隊長の一人に簡単な訓練を施されたことはあったが、なぜか魔法を発動させることができずに匙を投げられた。
「ふむ、そうなると先手を打って魔力攻撃を行い、魔物にしてしまうのが有効でしょう。これで対策はできました、ありがとうございます」
どうやら今二人から得た情報で、十分勝機をつかめる計算ができたらしい。早速腕輪に付いた魔晶石に手をかざし、何かを念じるように数秒目を閉じていると、雪のような白い肌と透き通るような青い髪の魔物が陣に姿を見せた。その手足や肩、胸や局部は似合わないほど無骨な荒削りの青い水晶に包まれており、3人は風貌こそ違うが、先ほど陣の前で見たゴーレムと同族ではないかと推測する。
「私の副官を務めるスピアローゼ・マリアス、種族は見当が付いていると思いますが、ゴーレムです。アロー、全部隊に出撃準備の通達を。これよりベルガンテに攻撃を仕掛けます」
直後、バサバサと大きな鳥が羽ばたくような音が聞こえる。何事かとその場にいる全員が上を見ると、また別の魔物が下りてきた。一見するとハーピーのようだが、頭頂部に大きな耳を持ち、翼を構成しているのも羽毛ではなく皮膜だ。見たところ遠くから、または大急ぎで飛んできたようで、ぜえぜえと息切れしている。
「偵察隊のワーバット…!アロー、彼女に水を!一体何があったのですか!?」
マキーネがスピアローゼ―先程からアローと呼んでいるが、どうやら愛称のようだ―に水をとりに行かせ、飛んできたワーバットに慌てて駆け寄り背中をさすってやると、呼吸が落ち着いてきたのかボソボソと喋り始める。
「ケホッ…で、伝令、ベルガンテに動きあり。目測100程の兵が中央の大きな建造物前に集結し、指揮官らしき人物が演説を始めました…よ、様子を確認中こちらの存在が発覚し、早急な報告と逃走のために、戻ってまいりました…」
どうやらついに討伐隊が動き出したらしい。すぐにこちらへと向かってくるだろう。
「先手を打たれましたか。ですが早急に転移魔法で近辺にいくつか部隊を送ればまだ間に合うはず…しかしそれ程の大人数を転送するには多大な魔力が…それを複数体でも供給できるような魔物は…」
敵の動きが想定よりも早かったせいか、若干焦りながらも必死に対処を考えようとするマキーネだが、思うように行かず余計に焦りが増す中、黎犂が声をかけた。
「あのさ、何とかなりそうな案があるんだけど」
「…どのような策でしょうか?お聞きかせください」
声をかけられ我に返ったことで幾分思考に余裕ができたのか、少し間をおいてからマキーネの返事は返された。
「入る際に見たが、あの街は外堀の中に杭まであって魔物に対する防御設備が半端じゃない。だが、ソイツが入れたってことは、空からの攻撃には弱いようだな。なら、飛べて魔法が使える魔物を集めて、上空から街を焼き払えばいい。要は空襲だ」
「…はああああああああああああああああっ!?」
無茶苦茶で極悪過ぎる黎犂の提案にマキーネが挙げたのは、驚愕の悲鳴だった。
「おい、もう周り真っ暗だぞ。ここまで待ちぼうけくらってりゃ、お仲間とやらも帰ってんじゃねぇの?」
「いやぁ、多少後退してるかもしれないけど、まだ退却まではしてねぇな。アタシ等が身に着けてるこの魔晶石は1種の発信機になってて、指揮官クラスが持ってる地図に装着者の現状が表示されるから、こっちのことはある程度把握してるだろ。そろそろ気の早い迎えが来ても、おかしくないかな」
「それは便利な道具だな。だが戦とは普通、斥候の数人帰ってこないところでおいそれと退却する程甘くないぞ。むしろ夜襲を仕掛けるなら、日中から身を潜めるのに手ごろな場所で陣取り、夜間まで身を伏せるのが常識だ」
すでに日は沈み、黎犂達は視界をうっすらと照らす星と月の光を頼りに進んでいるため、足取りは当然遅い。いくら何でもこんな時間まで律儀に待ってはいないだろうと感じる黎犂だったが、装備の機能を自慢するアリスティアと、剣だけでなく軍略にも通じている竜哉から否定された。この二人、性に関することを除けば意外と相性はいいのかもしれない。
「っ!何か来る。2人とも油断しないで!」
突然、周囲に警戒して探知魔法を展開していた神楽が、接近する何かを発見した。即座に黎犂と竜哉は臨戦態勢に入るが、どうやらそれに気づいたアリスティアの様子からすると、先程言っていた「気の早い迎え」らしい。1歩歩く毎にカチャカチャと音を立て、こちらへと進んできたのは、黎犂達3人とほぼ同じか、1、2歳くらい下と思われる2人の少女。だが色白の豊満な身体は局部以外の大半が曝け出され、関節から青白い炎が漏れ出す四肢も太さこそ人間のものとよく似ていたが、外観は肉の付いてない骨のようだ。そして鏡写しのような青白い顔には、眼光の代わりに魔晶石が光る、髑髏を模したような割れた面を、それぞれ左右に着けていた。
「おいおい、よりによってスケルトンかよ。迎えにどんな奴を寄越してくるかと思いきや、相手しにくい奴選びやがって…。ただ、アイツ等の様子を見るにまだアンタ等のことを警戒してるみてぇだな。っし!アタシが奴等と話をつけてくるから、いい加減この縄解いてくれや」
ある程度進んだところで足を止めたスケルトン達は、こちらの様子を窺うように、遠巻きに構えている。それを見たアリスティアは、3人が敵ではないことを伝え、奥で待機しているほかの魔物から襲われないよう説得するといって解放を要求してきた。
「おい、どうするよ?一応決定権は捕らえたお前にあると思うが、俺はここまできたら任せてもいいと思うぜ?」
スケルトン達の出方がわからない以上、アリスティアをどうするか悩むところだが、戦闘が決まった時点で半ば自棄になっていた黎犂は、投げやり気味な態度で竜哉に決定を求めた。
「ふっ、ここまできたら、今更迷うまでもないだろう。ただし解放するのはお前だけだ。残りは一応、こちらで人質として預かる」
当の竜哉はどうするか決めていたようで、神楽に拘束術を解除させると、アリスティアの縄を解いて解放する。
「ふぅ、あんがとな。そんじゃ、パパッと済ましてくっから、吉報待ってな」
身体の調子を確認するように手足を適当に動かして、問題ないことを確かめたアリスティアは、早速スケルトン達の元に向かう。が、説得は3人が思っていたより簡単に終わったようで、アリスティアはその場でスケルトン達と二言三言話したかと思いきや、2体を引き連れてアッサリこちらに戻ってきた。
「とりあえずアンタ等はアタシ等の仲間だから襲うなってのと、アタシ等を追って教団の連中がもうすぐこっちに来るってのは伝えといたぜ。後はコイツ等についてきゃ、野営先に着くだろ。それといい加減、フェズ達も解放しといてくれねぇか?もち、タダでなんて言わねぇからさぁ♥」
更に成功を報告した流れで未だ拘束されている仲間の解放も願い、媚びる様な甘い声で竜哉の腕に胸を押し付けてくる。普通なら顔を赤らめたり、目を泳がせたりと、何かしら動揺させる様な行為でも、そこは性に関心がない竜哉。無言で腕からアリスティアを引き剥がすと荷台に上がり、黙々と7人全員の縄を解いていく。
「あ〜おなか減ったなぁ…」
「にゃぎ〜、危うく手足の感覚がなくなるかと思った…」
「ありがとうございますマスター。この恩は後ほどベッドの上でお返しします」
「ふむ、やはり初夜は簡素なプレイで、お互いじっくりと理解しあうことに励むとしようか」
「くうぅ、散々馬鹿にしやがって…この借りは後でタップリと返してやるからな…」
「や、やっと助かったぁ〜…」
「ご主人さまぁ〜!メチャクチャ怖かったですぅ〜!」
フェズやリンクはやっと縄を解かれ安堵の言葉を漏らし、ケリーやビビエラは空気を読まずに早くも交わることを考えるが、解いた縄を束ねてから隅に投げ、荷台から降りた竜哉は、見るからに無関心で解放を告げるだけだった。
「ほら、これで文句ないだろ?」
「 ちぇっ、面白みのねぇ奴…。 んじゃ、案内よろしくな」
無事解放された仲間の様子を確認していたアリスティアがスケルトン達へ声をかけると、2人は早速無言で歩き始め、その後をアリスティア、フェズ、ジャネット、ベリム、クレム、リンク、ケリー、ビビエラ、竜哉、神楽が2列に並んで続き、最後尾の黎犂が馬をひいて進む。
数分ほど歩き続けると徐々に前方が明るくなっていき、その先に多数の気配が感じられた。やがて黎犂達が森の中を通る渓流と、その周囲にある程度広がる岩場が視認できるところまで到着する頃には、何人もの女性がたき火を囲んで食事や談笑したり、滝壺で沐浴したり、テントで睡眠をとっている姿が見えた。差異はあれどもそれぞれ人間とはどこかしら異なる容姿をしていることから、人間ではなく魔物だと判断できる。
3人が周囲を見渡している間に、案内役のスケルトン達はその陣中に入り、奥へと進んでいくところだった。すかさずアリスティアが呼び止め、自身を先頭に3人を囲うように列を組み直し、神楽を隣に置く。
「3人とも、アタシ等から離れるなよ?ここにいる奴は皆男に飢えてるから、油断してるとすぐ襲われちまうぞ。特にタツヤとレイリ、間違っても好奇心に任せて見に行こうなんて考えるんじゃねーぞ」
やはり列を並び変えたのは人間3人―特に竜哉と黎犂がほかの魔物に襲われないようにするためらしい。更に黎犂が引いてきた馬も、この先を引いて通るには邪魔になるし、乗って通るわけにもいかないため、仕方なく手近な木につなぎ止めてから改めて進む。様々な魔物達の中にはアリスティア達に声を掛け、時には黎犂や竜哉に気付いて襲いかかり、返り討ちにされる者もいたが、途中思わぬハプニングが起きた。
突如地面を突き破り生えてきた手が神楽の足を掴んだと思えば、そこから体に巻いた包帯が要所以外ほぼ解けたマミーと、服がボロボロで見るからに顔色の悪いゾンビが、這い出るように顔を出したのだ。アリスティア達がいるし、魔物は男を優先して襲うと聞いたから大丈夫だろうと油断していた神楽は、まともに抵抗する間もなく捕まってしまう。
「うぁ〜人間だぁ〜…ここまで迷い込んでくれてラッキ〜…」
「っはぁっ…早く…早く精をくれ…もう我慢しきれん…!」
「ひゃっ、ひゃいぃ!?な、何で襲ってきてるの!?私女だよ!?」
2人の拘束と急に襲われた混乱でパニックに陥るが、冷静に対処したところで足は押さえられて動かせず、どうすることもできない。このまま地中に引きずり込まれると思った神楽だが、幸いにもアリスティアが両者の首を掴んで遠くへと投げ飛ばし、無事助け出される。
「てめーら何してんだ。コイツ等は客人だから、手ぇ出すんじゃねー、よっ!」
「あ〜折角の人間〜…」
「ひっ…あぁぁ〜!」
投げ飛ばされたゾンビは恨めしげに、マミーは喘ぐ様に声を上げながら、どちらも滝壺に着水して沈黙した。
「やれやれ、兵糧に精補給剤もあったはずだけど、アレって不味いから、やっぱり精は人間から直接食った方がいいんだろうねぇ…。悪りぃなカグラ。ゾンビやマミーは精が足りないと、判断能力が鈍って男女問わず襲うってのは覚えてたんだが、油断してたわ。まあすぐバレて失敗した訳だから、レイリとタツヤの傍にいれば、多分アイツ等の魔力はすぐ失せるだろ」
襲っても1度しか精を得られず、特に周囲は未婚の魔物しかいない現状では下手に同族を増やせば、男性を獲得する際のライバルになりもなり兼ねないとデメリットの多い女性に比べ、男性ならば1度魅了すればいくらでも精を放ち、伴侶にもなってくれる分魔物に襲われやすい。そのためついつい黎犂と竜哉ばかり襲われない様に警戒した結果、男に飢えた余り識別を放棄した魔物に無防備の神楽が襲われてしまった。黎犂に抱きつき半泣きの神楽を見て、アリスティアは素直に非を認め謝罪する。
「ホントに大丈夫なんだろうな?後で神楽さんの身に何かあったら殴り倒すぞ?」
だが神楽を宥める黎犂は気が立っていて、ついアリスティアに噛みつく。
「不安なら、これから会う指揮官に任せな。アイツは種族がら魔力の扱いに長けてるから、残ってる分くらいパパッと取り除いてくれるだろ。っと、着いたようだぜ」
どうやら雑談している間に到着したらしく、先導してきたスケルトン達が天幕の前で足を止め、こちらを見ている。天幕の左右には門番を務めるかの如く、肩や手首にアクセサリーと呼ぶには無骨な岩石製と思われる装飾をつけた褐色肌の魔物が槍を構え佇んでいたが、左右に並んだスケルトンがお互い相手側の手をかざし、魔晶石の埋め込まれた腕輪を見せると、門番は横にずれ道を開けた。
「やれやれ、スケルトンに案内されたと思いきや、今度はゴーレムが門番かい。何考えてるか分かんねぇ奴ばっか揃えやがって…」
「あら、こちらとしてはお客方に粗相を起こさないよう、大人しい子を選んでおいたつもりですが?もっとも、道中襲い掛かる程飢えに駆られていた者がいたことは、単純に私の失態です。どうか彼女達のことは許して下さいな」
相次いで現れる無表情な魔物達に、つい本音をつぶやくアリスティアだったが、そんな彼女をたしなめる声が天幕から聞こえた。苦笑しながら横にずれたアリスティアの後ろから見えたのは、ケリーのような犬っぽい感じがする魔物。だがケリーと違い滑らかな漆黒の毛は程よく日に焼けた肌と相まってより艶が感じられ、要所を隠す程度のビキニじみた衣装と、紀元前に栄えたエジプト文明を思わせるような黄金に輝く装飾品が目を惹く。
「アンタがここにいる魔物達の指揮官か?」
黎犂がぶっきらぼうに尋ねると、相手は右足を一歩下げてお辞儀をする。
「如何にもそうでございます、霧園黎犂様、南部神楽様、有宮竜哉様。私は今回貴方様方の回収とベルガンテ侵攻第1分隊の指揮を命じられた、アヌビスのマキーネ・ファイディと申します。今はめぼしいお相手のいない独り身ですが、以後お見知りおきを」
彼女もまた3人のことは事前に知っているようで、黎犂か竜哉を狙っているのか、名前を言い当てた後ちゃっかり自己紹介がてら独身を宣伝してきたマキーネは全員を天幕の中へ案内し、先程のスケルトン達が中央の大きなテーブルを囲う様に配置していた簡素な丸太椅子に座らせると、自分も空いたところに座る。
「ここに来る途中で、ほかの魔物に神楽さんが襲われた。アリスティアにはアンタに診せれば安心だって聞いたんだが…」
黎犂が席に着いて早々に切り出したのは、つい先程襲われた神楽のこと。だがその件は既に解決済みと言わんばかりのマキーネは、事前にスケルトン達が運んできた鍋から中身を掬うと、同じく人数分用意された小皿に装い、テーブルに並べていきながら答える。
「それについてはご安心を。幸い対応が早かったので、例え体内に彼女達の魔力を取り込んでいたとしても、ここに着く頃には分散する程度でしたから。それよりお腹も空かれていると思いますし、お食事はいかがですか?明緑魔界で採れたお野菜と、ホルスタウロスのミルクで作ったチーズとクリームを使ったクリームシチューをご用意しておきましたので、どうぞお召し上がりください」
「おぉ、アタシ等の分も用意してくれたか!こっちも腹ペコだったから丁度いいぜ!」
昼に出陣してから何も食べていなかったのはお互い同じだったようで、アリスティア達は差し出されたシチューを遠慮なく食べ始めたが、黎犂達は明緑魔界やらホルスタウロスやら聞き慣れない―おそらくどちらも魔物達にとっては一般的なのだろうが―言葉が出たために思わず食べるのを躊躇してしまう。
ベルガンテでは体面上勇者ともてなされたが、実際の待遇、特に食事に関しては「出兵先で支給される質素な食事に慣れておけるようにと、今後共に戦うこともある一般兵に対し、不平等な待遇で反感を与えないように」との理由でかなり質素なものだった。量こそ制限は厳しくなかったが、献立の大半をやけに硬いパンとサラダ等簡素な調理を施された野菜が占め、肉はごく少量のひき肉か細切れ肉が野菜に隠れてスープに混じる程度で、腹持ちはよくても到底満足感は得られると言える様な品ではなかった。
一方目の前でホクホクと湯気を立てるシチューはどうかと言えば、具材が大きめながらも食べやすい大きさに切り分けられており、特に肉は厚みも申し分なく、空腹やベルガンテでの貧相なメニューを差し引いてなお魅力的に感じられる。
「ご安心を、毒も薬品も入れてませんし、下拵えの段階で魔力も抜いておきましたから、安全ですよ?早く食べないと冷めちゃいますし、お代わりの分も十分用意しておりますから、どうぞ召し上がりくださいな」
困惑し、なかなか食べようとしない黎犂達の様子を見て自然と不安がっていることに気付いたのか、半分ほど食べ進めていたマキーネは竜哉に向けて、自分の皿から自分のスプーンで肉を多めに掬い、目の前に差し出して食べるように促す。彼女もまた、竜哉に狙いを定めたようだ。
「あぁっ!ズリィぞてめえ!タツヤはアタシ等が先に目ぇ付けてたんだぞ!」
それを見て腹を立てたアリスティアがマキーネに食って掛かるが、マキーネは動じることなく竜哉にシチューを勧め続ける傍ら、顔だけアリスティアに向けて反論する。
「あら、貴女や彼から精の匂いは感じられませんが?見つけた順番なんて行為に及んだかに比べれば意味を持ちませんし、何も考えず自分の分にがっついて、食べ終わったところでやっと気付いたような貴女に言われたくありません。」
「んだとぉ!?」
言われてみれば確かにアリスティアの皿はきれいに中身がなくなっていたが、今はそれどころでなく、このままではアリスティアが暴れだすのも時間の問題だろう。巻き添えを食らう前になんとかせねばと判断した黎犂は、ちょうどさっき聞いた言葉について、両者の気を紛らわせるついでに訊ねることにした。
「あ…あのさぁ、今訊くのも変だけど、さっき言ってた明緑魔界だのホルスタウロスだのって、いったい何だ?」
急に声をかけられた両者がうまい事反応し振り向くと、途端に興が冷めたようで、さっきまでの緊張感は沈静し、アリスティアも黙って座る。そしてそれを確認したマキーネが仕方ないと言わんばかりに咳払いをすると、手元の皿とスプーンをテーブルに置き説明を始めた。
「コホン…えー、まず明緑魔界の方ですが、簡単に説明するなら、一見すると人間界と変化が無い魔界のことです。普通、皆さんが想像する様な闇に覆われた魔界は暗黒魔界と呼ばれてますが、そちらに比べれば大気や水に含まれる我々魔物の魔力は薄く、引き続き人間界の作物が育てやすい環境の土地です。暗黒魔界の方は後々説明するとして、次はホルスタウロスですが…」
ここで一旦話を止め、ちょうどシチューのおかわりをよそい、席に戻ったジャネットに目を向ける。
「…ん?」
「そこにいるジャネット、ミノタウロスの近縁種に当たる温厚な性格の魔物で、豊満な胸から溢れる栄養満点のミルクは各地で愛飲される程に人気があります。このシチューにも我が部隊で炊事や医療などを担当する後方支援として在籍する4人の胸から搾ったミルクで作った生クリームやチーズを使用していますが、市場に流通している既婚の同族から絞られたものに比べると、全員未婚ですから、味はまだまだですね。…ハァ、他に何か質問は?なければ早いとこ召し上がって欲しいのですが、これ以上ごねると無理矢理にでも食べさせますよ?」
急に注目され「何見てるんだ」と言わんばかりのジャネットを無視し、早口で簡潔に説明を終えたところにため息をつくマキーネだったが、直後に「これ以上手間をかけるな」と言わんばかりの脅し文句を付け加え、睨みを効かせてきた。その睨みが余りにキツかったのと、使われている乳製品が魔物と言えども見ず知らずの女性の胸から搾られた―要は母乳でできた物だと知ったのとでか、黎犂と神楽は苦笑を浮かべ、竜哉も無表情でだが、ようやっと完全に無害と判明したシチューを口にする。
「あ、美味い」
「ホントだ、何だか優しい味がする」
「ふむ、兵糧、それも遠征で持参した食材でこれ程いいものが出されるとはな。これなら兵の士気もそう下がることもあるまい。常日頃質素なものばかり食わされてきたベルガンテとは雲泥の差だ」
いざ一口食べれば黎犂と神楽は単純に味を、竜哉は加えて状況に対する料理の出来を賞賛するが、すぐに黙って食べることに集中し、黎犂は4杯、神楽は2杯、竜哉は3杯食べたところでようやっと落ち着いた。
食後アリスティアから状況を聞いたマキーネは、3人にベルガンテ攻略について協力を願うことにした。竜哉はこれ程の規模が控えていたとは思わず、報告の際も敵は全て倒したと伝えている。さすがに勇者と崇めた強力な人間が魔物を連れていたと言えども、わずか10人足らずを相手に大規模な編成はされないと考え、先発隊の敗北を皮切りに動き出すであろう控えの部隊を街ごと叩くことで、帰還時の安全と自軍兵士達の伴侶候補を一括して入手しようと考えたのだ。
「此度の戦い、皆様が私達の側についてくれた事を感謝いたします。最優先目標たる皆様の身柄回収がこうも上手くいったのは嬉しい誤算ですが、皆様を無事に我が主の下へと連れ帰るまでの身の安全と、遠路はるばる従軍してきた兵士達の旦那様となる男性を確保するためにも、ベルガンテは堕としておかなくてはなりません。1月足らずと言え共に過ごした皆様には辛いかもしれませんが「別にいいぜ」何分ご協力を…え?」
そのためにどう説得しようかと考えていたのだが、呆気ないほど簡単に望んでいた返事を得てしまった。即決過ぎて復帰のため逆に時間がかかってしまったが、無事立ち直ったマキーネはすでに食事から会談の場へと役目を変えた机の中央に地図を広げ、その上に兵士達が持つそれと連動しているであろう魔晶石を配置していく。完了した配置を見ると大半は森の中で一箇所に集中しているが、15個だけ森からベルガンテにかけてバラバラと配備されている。
「先程偵察隊のワーバット15人を、森の入口からベルガンテ周辺までに配備しました。ベルガンテの方に動きがあれば、彼女達から順々に報告が入るでしょう。出来ることなら貴方達を狙う討伐隊が出撃する前に先手を打ちたいと考えていますが、向こうに先手を打たれた場合は十中八、九、貴方達を探すため森に入ってきますから、平原に進撃するよりも、障害物が多い森の中で待ち伏せた方が得策と考えております。そこで貴方達には、何か敵方の軍備や戦力に関する有益な情報、あるいは何か策などありましたら伺えないでしょうか?」
どうやら点在する魔晶石の所有者は偵察に出たワーバット達らしい。状況とそれに合わせ予定した策の解説を終え、マキーネがベルガンテの教団軍に関する情報を求めると、まず反応したのは黎犂。頭の横で気だるそうに挙げた手にマキーネが気づくと、すぐに話し始める。
「情報ねぇ…有益かどうかは分らねぇが、熟練の兵士はそれなりに腕が立つ。以前竜哉と一緒に兵を六人一組にして組み手をしたが、新人だけなら大したことはなくても、一人二人熟練がいただけで負けそうになったからな。特に重装兵は防御が硬いし、騎馬兵は馬の機動力と、馬上でできる高低差が厄介で有効打を当てにくい。逆に指揮官は専ら後方から野次飛ばすばっかの戦力外だから、忍び込んで潰す分には苦戦しねぇだろ」
黎犂が思い出したのは、訓練時の光景。主に剣や槍、弓矢を武器とする教団兵達は強さもまちまちだったが、ある程度在籍してきた兵士や、時折町を訪れ雇われて在籍した傭兵達は強力だった。薄いプレートアーマーや革の胴あてなど、機動に優れた軽装兵なら装備の隙間や関節部分を狙って怯ませることもできたが、鎖帷子の上から金属製の立派な鎧兜を装備した重装兵や、馬上から的確に攻撃を繰り出す騎馬兵が相手ではそうもいかなかった。重装兵はドミノ倒しの要領で複数人を一気に転ばせ、騎馬兵は強引に馬から叩き落としてなんとか勝利したが、仮に実戦で戦うとなればこれほど厄介な敵はそうそういない。
一方指揮官は専ら有力な貴族や富豪の血縁者で、ほぼ全員大した功績もなく、家柄や金で得た官位を振りかざして威張り散らすような者ばかりだった。時折気まぐれで訓練に参加することもあったが、良質の装備に反し腕はからきしダメなことも多く、下手に叩きのめすとすぐ官位や家柄を出して鬱陶しかったので、出てきた時点で相手にすることなく引き揚げることにしていた。
「なるほど、歩兵は戦闘において基本かつ重要なポジションですし、兵種がある程度判明すれば対策も考慮しやすくなりますから、ためになりました。そうなると重装兵には鎧を破壊できるパワー型や打たれ強い防御型、騎馬兵には馬の影響を受けにくい飛行型、そして歩兵部隊全般に白兵戦が得意な近接型を前面に、接近前から攻撃できる遠距離型や魔法型の魔物を援護に宛てるのが適切でしょう。では続いて神楽様にお聞きいたしますが、魔術部隊は存在するか、するなら規模や技術、使用する魔法の種類などを教えていただけますか?」
脇に重ねていた羊皮紙の束から一枚手に取り、黎犂の話を聞きながら犬のような手で器用に羽ペンを走らせていたマキーネ。記入が終わるとその対策を説明し、今度は神楽に魔導部隊のことを尋ねてきた。竜哉を指名しなかったのは、得られる情報は同じと思われたからだろう。実際その通りではあるが。
「えぇっと…私に魔法の指導をしてくれた師団長の下に、同じく魔法を習った弟子の部隊長達が5人いて、1つの隊は魔法を使って味方の回復や援護をする3人の魔術師と、魔術師を護衛する2人の魔戦士が男女混合で構成されてました。魔戦士は魔法も武器も使える人達で、炎の剣とか振るうと風の刃が飛んで行く槍みたいに、武器に魔力を纏わせて攻撃することができます。」
一方で神楽が話した魔法部隊に関しては、交流の機会自体少なかったため規模すらよく知らなかった。一応「素質がある」と部隊長の一人に簡単な訓練を施されたことはあったが、なぜか魔法を発動させることができずに匙を投げられた。
「ふむ、そうなると先手を打って魔力攻撃を行い、魔物にしてしまうのが有効でしょう。これで対策はできました、ありがとうございます」
どうやら今二人から得た情報で、十分勝機をつかめる計算ができたらしい。早速腕輪に付いた魔晶石に手をかざし、何かを念じるように数秒目を閉じていると、雪のような白い肌と透き通るような青い髪の魔物が陣に姿を見せた。その手足や肩、胸や局部は似合わないほど無骨な荒削りの青い水晶に包まれており、3人は風貌こそ違うが、先ほど陣の前で見たゴーレムと同族ではないかと推測する。
「私の副官を務めるスピアローゼ・マリアス、種族は見当が付いていると思いますが、ゴーレムです。アロー、全部隊に出撃準備の通達を。これよりベルガンテに攻撃を仕掛けます」
直後、バサバサと大きな鳥が羽ばたくような音が聞こえる。何事かとその場にいる全員が上を見ると、また別の魔物が下りてきた。一見するとハーピーのようだが、頭頂部に大きな耳を持ち、翼を構成しているのも羽毛ではなく皮膜だ。見たところ遠くから、または大急ぎで飛んできたようで、ぜえぜえと息切れしている。
「偵察隊のワーバット…!アロー、彼女に水を!一体何があったのですか!?」
マキーネがスピアローゼ―先程からアローと呼んでいるが、どうやら愛称のようだ―に水をとりに行かせ、飛んできたワーバットに慌てて駆け寄り背中をさすってやると、呼吸が落ち着いてきたのかボソボソと喋り始める。
「ケホッ…で、伝令、ベルガンテに動きあり。目測100程の兵が中央の大きな建造物前に集結し、指揮官らしき人物が演説を始めました…よ、様子を確認中こちらの存在が発覚し、早急な報告と逃走のために、戻ってまいりました…」
どうやらついに討伐隊が動き出したらしい。すぐにこちらへと向かってくるだろう。
「先手を打たれましたか。ですが早急に転移魔法で近辺にいくつか部隊を送ればまだ間に合うはず…しかしそれ程の大人数を転送するには多大な魔力が…それを複数体でも供給できるような魔物は…」
敵の動きが想定よりも早かったせいか、若干焦りながらも必死に対処を考えようとするマキーネだが、思うように行かず余計に焦りが増す中、黎犂が声をかけた。
「あのさ、何とかなりそうな案があるんだけど」
「…どのような策でしょうか?お聞きかせください」
声をかけられ我に返ったことで幾分思考に余裕ができたのか、少し間をおいてからマキーネの返事は返された。
「入る際に見たが、あの街は外堀の中に杭まであって魔物に対する防御設備が半端じゃない。だが、ソイツが入れたってことは、空からの攻撃には弱いようだな。なら、飛べて魔法が使える魔物を集めて、上空から街を焼き払えばいい。要は空襲だ」
「…はああああああああああああああああっ!?」
無茶苦茶で極悪過ぎる黎犂の提案にマキーネが挙げたのは、驚愕の悲鳴だった。
12/11/11 11:11更新 / ゲオザーグ
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