反魔物条例、可決！ 〜Human Side〜
「九字高遠君の安否は、まだ分からないのか？」
前日である日曜日の午後３時頃、魔物の大群がＫ県Ｔ市に侵入し、さらに夜半にはＴ市が親魔物領宣言をしていた。そのときから一夜明けた月曜日の午前中に至る今まで、Ｋ県の県庁所在地、Ｋ市の助役であるこの俺、郡堂昌道（ぐんどう まさみち）は市の職員達と共に、懸命に情報収集と善後策の協議に当たっていた。
「申し訳有りません。九字君の情報は今のところまだ……」
「そうか。親魔物領宣言について、Ｔ市からの説明は来たか？」
「何度も問い合わせているのですが……そちらも梨の礫です」
「……分かった。引き続き照会を続けてくれ」
「はい……それから、このままではＫ市も親魔物領になるのではないかと、市民からの問い合わせが殺到しています」
「そんなことは絶対にないと回答しろ。市のホームページと広報にも同じ内容を載せるんだ。市民の皆様に不安を与えてはならん」
「分かりました」
職員が助役室から引き下がると、俺は自分の椅子に腰を沈めた。
「どうしてこうなった……何が起きたんだ……」
あまりに不可解な事態の連発に、俺は頭が混乱していた。
Ｋ市に隣接するＴ市では、地元の由緒ある武術道場の御曹司である九字高遠君を隊長に、魔物迎撃のための防衛隊が編制されていた。Ｓ県立Ｓ大学の魔物の専門家、白澤静准教授から対魔物戦術の特訓を受け、Ｋ市からも俺の権限でバックアップをしていたＴ市防衛隊は当然、侵入してくる魔物を完璧に撃退できるはずだったのだが……
「…………」
俺は、机の上にある小型の無線機を手に取った。Ｔ市防衛隊のサポートのために派遣したＫ市職員から定期的に入るはずの報告は、昨日の３時過ぎから途絶えている。
連絡が途絶える前、彼らが言っていた最後の言葉は、まだ俺の耳に強烈に残っていた。
『精液をかけたのに魔物が倒れないようです！』
『前後を挟まれました！ 退却できません！』
『たっ、助けてくれええ！！ うわあああああ！！！』
「くっ……」
彼らの最期の言葉を思い出し、俺は無線機を強く握りしめた。Ｋ市職員だけではなく、九字君を始め、Ｔ市防衛隊の誰とも今は連絡が取れない。
白澤准教授が教えた戦法は、魔物にまるで通用しなかったのだ。一体どういうことなのか、本人に説明してもらわねばなるまい。俺は内線電話で１人の職員を呼んだ。
「稲生（いのう）さん」
『はい、昌道さん』
「悪いが、Ｓ大学の白澤准教授に連絡を取って、ここに来させてくれ。Ｔ市防衛隊がどうして負けたのか、申し開きをしてもらわねばならん」
『分かりました』
今年採用されたばかりの女子職員である稲生葛葉（くずは）さんは、経験は浅いがよく気が付くところがあり、俺はたびたび頼っていた。しばらくした後、彼女は助役室に入ってきた。
「どうだった？」
「それが……白澤准教授は昨日付けで寿（コトブキ）退官されて、今は音信不通だそうです」
「何だと！？」
さすがに俺は激高した。自分の教え子が魔物に喰われて全滅したかも知れないというのに、自分はとっとと結婚して一抜けとは無責任極まりない。
「何があっても白澤准教授をここに呼びつけるんだ！！ もう一度Ｓ大学に連絡……いやいい、俺が直にかける！」
俺はそう言うと、机の上の受話器を取ってＳ大学の番号をプッシュしようとした。そのとき、もう１人の人物が現れる。
「昌道坊っちゃま。どうか落ち着いてください」
「あっ……」
俺は立ち上がり、現れた人物を迎えた。
「これは……申し訳有りません市長、お見苦しいところを」
俺の上司である市長は、夕べは市役所にいて俺達と魔物対策を協議していたが、朝方からは不在だった。誰かと何かの会議をしていたらしい。
「Ｓ大学で音信不通と言っている以上、もう一度電話をかけても連絡は付かないかと……白澤准教授のことは、もう諦めた方がよろしいのでは……？」
「しかし市長、彼女のために、九字君始め、Ｔ市の有望な若者２００人が犠牲になったかも知れないんです。それだけではありません。我がＫ市の職員も１０名以上が行方不明です。何らかの責任は取ってもらわなくては」
「…………」
市長が沈黙した。俺は再度受話器を取り、Ｓ大学に電話をかけた。すると、前と同じく、白澤准教授と連絡が取れないという木で鼻をくくったような回答の挙句、一方的に通話を切られてしまった。その非礼さに、俺の怒りはさらに倍加した。
「市長！ 俺がＳ大学に行ってきます。直に白澤准教授を問い詰めて……」
受話器を置いた俺が席を離れようとすると、いきなり稲生さんが俺の前に立ちふさがった。
「駄目です！！」
「うわっ！？」
稲生さんは、女性としてはかなり長身である。俺は勢い余って彼女の豊かな胸に、顔を軽く突っ込んでしまった。慌てて離れる。
「ご、ごめん……」
「…………」
稲生さんは一瞬顔を赤らめたが、すぐに気を取り直したようで、一気にまくし立てて来た。
「昌道さんが親魔物領のＳ県に行って、どこの馬の骨とも知れない魔物に襲われて食べられたらどうするんですか！？ ここで大人しくじっとしていてください！！ Ｓ県はもちろん、Ｔ市にも行ってはいけません！！」
「そ、そんなに怒らなくても……」
稲生さんの剣幕に、俺はいささかたじろぐ。だが言われて見ると、今の情勢で親魔物領に出向くのは、確かに無謀かも知れない。俺は自分の席に戻ると、市長と稲生さんに向かって言った。
「……白澤准教授の件は置いておくとして、問題はこれからＫ市としてどうするかです。昨夜もお話しした通り、Ｔ市を攻め落とした以上、魔物の次の狙いはこのＫ市であることは間違いありません。言わずもがな、Ｋ市の陥落はＫ県全体の親魔物領化を意味します。それだけは絶対に阻止しなくてはなりません」
「それは分かりますが……昌道坊ちゃま、具体的にはどうしたらいいのでしょうか？」
「……残念ながら、これも昨夜お話しした通り、今はまだ有効な手が思い付きません。少なくとも、白澤准教授の教えていた戦い方が役に立たないことは分かりました。やはり当面は人員を一般からは募集せず、少数精鋭で防御に徹するべきです。そして一から対魔物戦法を構築し直さなければいけません。それができる前に魔物が攻めてこないことを祈るばかりです……」
「でしたら、県知事を頼ってはいかがでしょうか？」
「親父を？」
「はい……」
説明が遅くなったが、俺の実父である郡堂善道（よしみち）は、何期にも渡ってＫ県の知事を務めている。まだ２０代の若造である俺がＫ市の助役をやっているのも、本来上役であるＫ市長が俺にヘイコラしているのも、全て親父の七光りだ。付け加えると、市長や職員が俺を名字でなく名前で呼ぶのも、親父と区別するためである。
「…………」
「……あまり、気が進まれませんか？ 昌道坊ちゃま」
自分でも気付かないうちに難しい表情になっていたのだろう。市長が心配そうに尋ねてきた。
「……いいえ。Ｋ市の、いやＫ県の存亡の危機です。県の支援を求めるのは当然かも知れません。しかし……」
俺は一度言葉を切り、市長と稲生さんと交互に見てから言った。
「市で対応できそうにないから即県に丸投げでは、行政の責任を果たしているとは言えません。こちらで可能な限り体勢を整えてから、県の支援を求めたいと思います。失礼！」
俺は再び席を離れ、助役室を出ようとした。すると、稲生さんが追いかけてきた。
「待ってください！」
「うわっ！」
稲生さんは俺の腕を両手で抱えて引き止めてきた。肘が彼女の胸の、大きな膨らみに深々とめり込んでしまう。その感触にうろたえながら、俺は言った。
「は、放してくれ」
「昌道さん、どちらへいらっしゃるんですか？」
「ちょ、ちょっとそこで人と会ってくるだけだ。午後には戻るよ」
「それなら、私も御一緒させてください」
「そ、それは……悪いけど、今日は俺一人で行かせてくれ」
「どうして？」
稲生さんは前にも言った通り、できる女性ではある。ただ、こうやってやたらと無防備に体を接触させてくるのと、俺が一人で外出しようとすると不機嫌になるのが玉に疵だった。別に俺の秘書というわけでも何でもないのだが。
「ど、どうしてって……向こうも一人ずつで来るから、俺だけ稲生さんみたいな美人を連れてたらバランスが悪いっていうか……」
「！！」
稲生さんの顔が、かーっと赤くなった。しまった。何か気に障ることを言っただろうか。
だが、俺の不安は取り越し苦労だったようで、彼女は俺の腕を解放してくれた。
「……そういうことでしたら、分かりました。ただし、一分一秒でも早く帰ってきてくださいね」
「あ、ああ……」
俺は這う這うの体で、Ｋ市役所を出た。
…………………………………………
………………………………
……………………
…………
向かった先は、Ｋ市内にあるレストラン兼ホテルのオテル・ドゥ・Ｋだった。正面から店内に入ると、顔見知りのオーナーが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、昌道坊ちゃま。お待ち申し上げておりました」
「ありがとうオーナー。あいつらは？」
「はい、お二方ともお見えになっております。しかしお見受けしたところ、お二人とも御機嫌が……」
「そうか……部屋に案内してくれ」
「かしこまりました」
オーナーに案内され、“ＶＩＰ Ｒｏｏｍ”と札のかけられた個室へ通される。中に入ると、２人の男がテーブルに着いていた。
「よう」
俺が手を挙げると、一人は黙ったままこちらを不機嫌そうに見た。もう一人は「おう」と返してくる。
２人は俺とは同い年の幼馴染である。昨夜Ｔ市が魔物によって陥落した直後に、俺から会いたいと連絡していた。
まず、黙ったままの長髪で和服姿の男は、三岩勝永（みついわ かつなが）。Ｋ県武道連盟の会長を務めている。
そして、もう一人の聖職者風の衣装を着た男は、天ケ瀬時定（あまがせ ときさだ）。主神教会Ｋ県支部で大主教を務めており、Ｋ県の主神教徒の中でも指導的な立場にある。
俺は、オーナーに言った。
「悪いが、しばらくこの部屋には誰も来させないでくれ。料理を持って来てほしくなったら電話するから」
「かしこまりました。昌道坊ちゃま。お許しが出るまでこの部屋には誰も近づけませんので、どうぞごゆっくり」
オーナーが扉を閉めて退出すると、俺は席に着いた。
「２人とも、急に呼び出して済まん。よく来てくれたな」
そう言うと、やっと勝永が口を開いた。
「挨拶はいい。要件をさっさと言え」
露骨な喧嘩腰である。だが、俺には彼の態度を責めることはできなかった。
何しろＫ県武道連盟は、Ｋ県への魔物の侵入によって多大な犠牲者を出しているのだ。
中でも、Ｙ市の海浦仙理さんはＫ県武道連盟の幹部であり、勝永の大親友だった。
Ｎ町では、勝永の実の弟である隆（たかし）さんが魔物に敗れている。
そして昨日はＴ市で、勝永が弟のように可愛がってきた九字高遠君が倒された。
これで平静を保てという方が無理な注文だろう。
「要件は分かっているな？ 魔物のことだ」
「！！」
俺が言うと、勝永の身体がびくんと震えた。
「魔物がＴ市までを占領した。次は間違いなくこのＫ市だ」
「そんなことは言われなくても分かっている！」
勝永がいきり立つ。それを時定がたしなめた。
「勝永……昌道に当たるな」
「別に当たってなどいない。俺は……」
「Ｋ県がこんなことになったのは俺達が……主神教会が不甲斐ないせいだ。本当に済まん！」
急に頭を下げた時定の態度に戸惑い、俺と勝永は顔を見合わせた。
「おい、どうした時定？」
「主神教会が不甲斐ないって、別にそんなことはないだろう」
「いや、そんなことがあるんだ！」
時定がテーブルを叩く。常日頃温厚で、取り乱すことのない時定が声を荒らげたので、俺は驚いた。
「時定……」
「お前達は知らないだろうがな、今や主神教会は芯から腐っているんだ。ほとんどの高位聖職者達は、金儲けと権力のことしか考えていない。とても魔物と戦える状態じゃないんだ。そうでもなければ、Ｔ市や他の自治体だってあんなことには……」
「「…………」」
主神教会がそんな状態だとは、にわかには信じられない話だった。だが、Ｋ県の実質的なトップである時定がこれほどはっきり言うのだ。まず間違いはないだろう。
「……主神教会がどうなっていようが、俺の知ったことじゃない」
「勝永……？」
「今日まで動かずに我慢してきた。だが、これ以上魔物の侵略を許すならＫ県武道連盟の存在意義などないも同然だ。俺はこの会合が終わったら直ちに兵を集めてＴ市に討ち入る！ 仙理や隆、高遠君の弔い合戦をするぞ！」
やはり勝永はそういうつもりだったか。俺は慌てて止めた。
「勝永、それは待ってくれ」
「何！？ この期に及んで魔物と戦うなと言うのか！？ いくらお前でも許さんぞ！」
「そうじゃない。聞いてくれ」
俺は懸命に、Ｔ市防衛隊の顛末を語って聞かせた。そして、魔物と戦う方法が現時点では確立されていないことも説明した。
「九字君のようなＫ県で一流の武道家達も、正面からでは魔物に敵わなかった。今打って出るのは得策じゃない。むしろ自殺行為だ」
「ならお前は、どうすると言うんだ？」
「防御に徹して情報収集を進め、魔物との戦い方を見極める。同時に、体勢を整える」
「体勢？」
「要するに、人的資源の一本化だ。どんな戦い方をするにしても、Ｋ市役所とＫ県武道連盟、Ｋ県主神教会がバラバラでは勝てない。この三者を一本化したい」
「……平たく言えば、お前に従えということか？」
「ああ、最後に魔物を追い払うためだ」
「…………」
勝永はしばらく考えていた。そして最後に彼は言った。
「……いいだろう。だが時が来たら先陣はもらうぞ。いいな？」
「おう、頼むぞ！」
俺は勝永の手を握ると、時定に尋ねた。
「時定、お前はどうだ？」
「……さっきも言った通り、主神教会の幹部のほとんどは使い物にならない」
「…………」
「だが、主神様の教えを信じ、人々の幸せを真剣に願う信徒も、一部にはいる。彼らだけでいいなら、引き連れて俺も合流しよう」
「ありがとう、時定……」
２人の協力を得ることに成功した俺は、ひとまずほっとした。まだまだＫ市防衛の目途は立っていないとはいえ、１つ明るい材料だ。
「よし、俺の奢りだ。好きなだけ喰ってくれ」
俺は部屋備え付けの電話からオーナーに電話し、料理を運んでもらった。念のため言っておくと、払いは全部俺のポケットマネーである。Ｋ市防衛のための会食とは言え、市民の皆様にお納めいただいた血税をおろそかに使うわけには行かない。
そして、料理に舌鼓を打っていたとき、俺の携帯が鳴った。市長からだ。
『昌道坊ちゃま！ 急に申し訳ありません。今どちらにおられますか？』
「オテル・ドゥ・Ｋです。何かありましたか！？」
『そこでテレビは御覧になれますでしょうか？』
「て、テレビですか？」
『はい、お父様、いえ、Ｋ県県知事がこれからテレビで重大発表を行うと……』
「親父が……」
振り返ると、俺が漏らした言葉を聞いていたのだろう。ボーイさんがリモコンのスイッチを入れていた。部屋に備え付けのモニターに映像が入る。映っているのはＫ県県庁の一室だとすぐに分かった。長い机にいくつもマイクが置かれ、その真ん中に座っている恰幅の良い中年の男が俺の親父、郡堂善道だ。
「親父、何を話す気だ……？ 市長、後でかけ直します」
俺は電話を切ると、モニターに集中した。モニターの中の親父は軽く一礼し、マイクに向かって話し始める。
『Ｋ県県民の皆様。県知事の郡堂善道でございます。本日は皆様に重大な発表があり、お時間をいただくことにしました』
『皆様も御存じの通り、人を喰らう忌まわしい魔物がこのＫ県への侵入を繰り返しております。今現在、残念ながらＹ市、Ｎ町、Ｔ市などが魔物の支配下に置かれております。これは全て、県知事である私の力不足によるものであり、県民の皆様に与えた損害と不安について、お詫びの念に堪えません』
親父がしおらしく、深々と頭を下げた。らしくない、と俺は思う。親父に限らず、政治家がこうやって頭を下げるときには、大抵何か裏があるのだ。
『しかしながら……』
顔を上げ、親父は話を続ける。
『県民の皆様、どうか御安心ください。Ｋ県はこれ以上、魔物の侵入を座して放置することは致しません。Ｋ県はこのたび、反魔物条例を制定いたします。すなわち、Ｋ県全域に渡って、魔物の居住はもちろん通行も禁止し、これを排除するために必要な予算を計上する取り決めでございます』
「ふーん……」
俺は鼻を鳴らした。Ｋ県から魔物を追い出す条例はいい。しかしそれを実現するには、物理的に魔物を撃退する手段が必要なのであって、今はまだ人間の手では……
『そして、実際にＫ県から魔物を排除するため、私はＫ県魔物討伐隊の設立をここに宣言いたします。Ｋ県の屈強な男性を多数集めてＴ市他、親魔物領宣言をした自治体に進撃し、生身の人間による体当たりを以って魔物を追い払います。これより募集を開始いたしますので、我こそはという男性はＫ県県庁まで御連絡ください。高級優遇の三食付き、交通費も全額支給でございます！』
「…………え？」
親父の言葉に、俺は思わず携帯を取り落としていた。
ありえない。
魔物に対抗する戦い方がまだ分からないのに、こちらから打って出るなんて死にに行くようなものだ。
画面の中では、マスコミによる親父への質問が始まっていた。
『知事、討伐隊の人数はどれくらいを予定しているのでしょうか？』
『五千人を募集する予定でおります』
「嘘だろおい……」
下手したら五千人犬死するぞ。そうなったら、後で魔物との戦い方が分かっても何にもならない。
『知事、討伐隊の指揮は誰が取るのでしょうか？』
そうそう。五千人の隊員を率いて魔物と戦えるような、都合いい人材がその辺に転がってるわけがない。隊長がいなければ討伐隊も動けないだろう。俺は少し安心し、グラスの水を口に含んだ。
『よくぞ聞いてくださいました……』
「？」
俺の目には、親父がかすかに笑ったように見えた。
『討伐隊の隊長は、既に人選を終えております。このＫ市に、ふさわしい者がおります』
「？？」
『五千人の討伐隊を率い、Ｋ県から魔物を打ち払う、その男の名は』
「？？？」
『我が息子、郡堂昌道であります！』
ブーーーーーーーーーーーーーーーーー！！！
俺は、口の中の水を勢いよく噴いていた。
前日である日曜日の午後３時頃、魔物の大群がＫ県Ｔ市に侵入し、さらに夜半にはＴ市が親魔物領宣言をしていた。そのときから一夜明けた月曜日の午前中に至る今まで、Ｋ県の県庁所在地、Ｋ市の助役であるこの俺、郡堂昌道（ぐんどう まさみち）は市の職員達と共に、懸命に情報収集と善後策の協議に当たっていた。
「申し訳有りません。九字君の情報は今のところまだ……」
「そうか。親魔物領宣言について、Ｔ市からの説明は来たか？」
「何度も問い合わせているのですが……そちらも梨の礫です」
「……分かった。引き続き照会を続けてくれ」
「はい……それから、このままではＫ市も親魔物領になるのではないかと、市民からの問い合わせが殺到しています」
「そんなことは絶対にないと回答しろ。市のホームページと広報にも同じ内容を載せるんだ。市民の皆様に不安を与えてはならん」
「分かりました」
職員が助役室から引き下がると、俺は自分の椅子に腰を沈めた。
「どうしてこうなった……何が起きたんだ……」
あまりに不可解な事態の連発に、俺は頭が混乱していた。
Ｋ市に隣接するＴ市では、地元の由緒ある武術道場の御曹司である九字高遠君を隊長に、魔物迎撃のための防衛隊が編制されていた。Ｓ県立Ｓ大学の魔物の専門家、白澤静准教授から対魔物戦術の特訓を受け、Ｋ市からも俺の権限でバックアップをしていたＴ市防衛隊は当然、侵入してくる魔物を完璧に撃退できるはずだったのだが……
「…………」
俺は、机の上にある小型の無線機を手に取った。Ｔ市防衛隊のサポートのために派遣したＫ市職員から定期的に入るはずの報告は、昨日の３時過ぎから途絶えている。
連絡が途絶える前、彼らが言っていた最後の言葉は、まだ俺の耳に強烈に残っていた。
『精液をかけたのに魔物が倒れないようです！』
『前後を挟まれました！ 退却できません！』
『たっ、助けてくれええ！！ うわあああああ！！！』
「くっ……」
彼らの最期の言葉を思い出し、俺は無線機を強く握りしめた。Ｋ市職員だけではなく、九字君を始め、Ｔ市防衛隊の誰とも今は連絡が取れない。
白澤准教授が教えた戦法は、魔物にまるで通用しなかったのだ。一体どういうことなのか、本人に説明してもらわねばなるまい。俺は内線電話で１人の職員を呼んだ。
「稲生（いのう）さん」
『はい、昌道さん』
「悪いが、Ｓ大学の白澤准教授に連絡を取って、ここに来させてくれ。Ｔ市防衛隊がどうして負けたのか、申し開きをしてもらわねばならん」
『分かりました』
今年採用されたばかりの女子職員である稲生葛葉（くずは）さんは、経験は浅いがよく気が付くところがあり、俺はたびたび頼っていた。しばらくした後、彼女は助役室に入ってきた。
「どうだった？」
「それが……白澤准教授は昨日付けで寿（コトブキ）退官されて、今は音信不通だそうです」
「何だと！？」
さすがに俺は激高した。自分の教え子が魔物に喰われて全滅したかも知れないというのに、自分はとっとと結婚して一抜けとは無責任極まりない。
「何があっても白澤准教授をここに呼びつけるんだ！！ もう一度Ｓ大学に連絡……いやいい、俺が直にかける！」
俺はそう言うと、机の上の受話器を取ってＳ大学の番号をプッシュしようとした。そのとき、もう１人の人物が現れる。
「昌道坊っちゃま。どうか落ち着いてください」
「あっ……」
俺は立ち上がり、現れた人物を迎えた。
「これは……申し訳有りません市長、お見苦しいところを」
俺の上司である市長は、夕べは市役所にいて俺達と魔物対策を協議していたが、朝方からは不在だった。誰かと何かの会議をしていたらしい。
「Ｓ大学で音信不通と言っている以上、もう一度電話をかけても連絡は付かないかと……白澤准教授のことは、もう諦めた方がよろしいのでは……？」
「しかし市長、彼女のために、九字君始め、Ｔ市の有望な若者２００人が犠牲になったかも知れないんです。それだけではありません。我がＫ市の職員も１０名以上が行方不明です。何らかの責任は取ってもらわなくては」
「…………」
市長が沈黙した。俺は再度受話器を取り、Ｓ大学に電話をかけた。すると、前と同じく、白澤准教授と連絡が取れないという木で鼻をくくったような回答の挙句、一方的に通話を切られてしまった。その非礼さに、俺の怒りはさらに倍加した。
「市長！ 俺がＳ大学に行ってきます。直に白澤准教授を問い詰めて……」
受話器を置いた俺が席を離れようとすると、いきなり稲生さんが俺の前に立ちふさがった。
「駄目です！！」
「うわっ！？」
稲生さんは、女性としてはかなり長身である。俺は勢い余って彼女の豊かな胸に、顔を軽く突っ込んでしまった。慌てて離れる。
「ご、ごめん……」
「…………」
稲生さんは一瞬顔を赤らめたが、すぐに気を取り直したようで、一気にまくし立てて来た。
「昌道さんが親魔物領のＳ県に行って、どこの馬の骨とも知れない魔物に襲われて食べられたらどうするんですか！？ ここで大人しくじっとしていてください！！ Ｓ県はもちろん、Ｔ市にも行ってはいけません！！」
「そ、そんなに怒らなくても……」
稲生さんの剣幕に、俺はいささかたじろぐ。だが言われて見ると、今の情勢で親魔物領に出向くのは、確かに無謀かも知れない。俺は自分の席に戻ると、市長と稲生さんに向かって言った。
「……白澤准教授の件は置いておくとして、問題はこれからＫ市としてどうするかです。昨夜もお話しした通り、Ｔ市を攻め落とした以上、魔物の次の狙いはこのＫ市であることは間違いありません。言わずもがな、Ｋ市の陥落はＫ県全体の親魔物領化を意味します。それだけは絶対に阻止しなくてはなりません」
「それは分かりますが……昌道坊ちゃま、具体的にはどうしたらいいのでしょうか？」
「……残念ながら、これも昨夜お話しした通り、今はまだ有効な手が思い付きません。少なくとも、白澤准教授の教えていた戦い方が役に立たないことは分かりました。やはり当面は人員を一般からは募集せず、少数精鋭で防御に徹するべきです。そして一から対魔物戦法を構築し直さなければいけません。それができる前に魔物が攻めてこないことを祈るばかりです……」
「でしたら、県知事を頼ってはいかがでしょうか？」
「親父を？」
「はい……」
説明が遅くなったが、俺の実父である郡堂善道（よしみち）は、何期にも渡ってＫ県の知事を務めている。まだ２０代の若造である俺がＫ市の助役をやっているのも、本来上役であるＫ市長が俺にヘイコラしているのも、全て親父の七光りだ。付け加えると、市長や職員が俺を名字でなく名前で呼ぶのも、親父と区別するためである。
「…………」
「……あまり、気が進まれませんか？ 昌道坊ちゃま」
自分でも気付かないうちに難しい表情になっていたのだろう。市長が心配そうに尋ねてきた。
「……いいえ。Ｋ市の、いやＫ県の存亡の危機です。県の支援を求めるのは当然かも知れません。しかし……」
俺は一度言葉を切り、市長と稲生さんと交互に見てから言った。
「市で対応できそうにないから即県に丸投げでは、行政の責任を果たしているとは言えません。こちらで可能な限り体勢を整えてから、県の支援を求めたいと思います。失礼！」
俺は再び席を離れ、助役室を出ようとした。すると、稲生さんが追いかけてきた。
「待ってください！」
「うわっ！」
稲生さんは俺の腕を両手で抱えて引き止めてきた。肘が彼女の胸の、大きな膨らみに深々とめり込んでしまう。その感触にうろたえながら、俺は言った。
「は、放してくれ」
「昌道さん、どちらへいらっしゃるんですか？」
「ちょ、ちょっとそこで人と会ってくるだけだ。午後には戻るよ」
「それなら、私も御一緒させてください」
「そ、それは……悪いけど、今日は俺一人で行かせてくれ」
「どうして？」
稲生さんは前にも言った通り、できる女性ではある。ただ、こうやってやたらと無防備に体を接触させてくるのと、俺が一人で外出しようとすると不機嫌になるのが玉に疵だった。別に俺の秘書というわけでも何でもないのだが。
「ど、どうしてって……向こうも一人ずつで来るから、俺だけ稲生さんみたいな美人を連れてたらバランスが悪いっていうか……」
「！！」
稲生さんの顔が、かーっと赤くなった。しまった。何か気に障ることを言っただろうか。
だが、俺の不安は取り越し苦労だったようで、彼女は俺の腕を解放してくれた。
「……そういうことでしたら、分かりました。ただし、一分一秒でも早く帰ってきてくださいね」
「あ、ああ……」
俺は這う這うの体で、Ｋ市役所を出た。
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向かった先は、Ｋ市内にあるレストラン兼ホテルのオテル・ドゥ・Ｋだった。正面から店内に入ると、顔見知りのオーナーが出迎えてくれた。
「いらっしゃいませ、昌道坊ちゃま。お待ち申し上げておりました」
「ありがとうオーナー。あいつらは？」
「はい、お二方ともお見えになっております。しかしお見受けしたところ、お二人とも御機嫌が……」
「そうか……部屋に案内してくれ」
「かしこまりました」
オーナーに案内され、“ＶＩＰ Ｒｏｏｍ”と札のかけられた個室へ通される。中に入ると、２人の男がテーブルに着いていた。
「よう」
俺が手を挙げると、一人は黙ったままこちらを不機嫌そうに見た。もう一人は「おう」と返してくる。
２人は俺とは同い年の幼馴染である。昨夜Ｔ市が魔物によって陥落した直後に、俺から会いたいと連絡していた。
まず、黙ったままの長髪で和服姿の男は、三岩勝永（みついわ かつなが）。Ｋ県武道連盟の会長を務めている。
そして、もう一人の聖職者風の衣装を着た男は、天ケ瀬時定（あまがせ ときさだ）。主神教会Ｋ県支部で大主教を務めており、Ｋ県の主神教徒の中でも指導的な立場にある。
俺は、オーナーに言った。
「悪いが、しばらくこの部屋には誰も来させないでくれ。料理を持って来てほしくなったら電話するから」
「かしこまりました。昌道坊ちゃま。お許しが出るまでこの部屋には誰も近づけませんので、どうぞごゆっくり」
オーナーが扉を閉めて退出すると、俺は席に着いた。
「２人とも、急に呼び出して済まん。よく来てくれたな」
そう言うと、やっと勝永が口を開いた。
「挨拶はいい。要件をさっさと言え」
露骨な喧嘩腰である。だが、俺には彼の態度を責めることはできなかった。
何しろＫ県武道連盟は、Ｋ県への魔物の侵入によって多大な犠牲者を出しているのだ。
中でも、Ｙ市の海浦仙理さんはＫ県武道連盟の幹部であり、勝永の大親友だった。
Ｎ町では、勝永の実の弟である隆（たかし）さんが魔物に敗れている。
そして昨日はＴ市で、勝永が弟のように可愛がってきた九字高遠君が倒された。
これで平静を保てという方が無理な注文だろう。
「要件は分かっているな？ 魔物のことだ」
「！！」
俺が言うと、勝永の身体がびくんと震えた。
「魔物がＴ市までを占領した。次は間違いなくこのＫ市だ」
「そんなことは言われなくても分かっている！」
勝永がいきり立つ。それを時定がたしなめた。
「勝永……昌道に当たるな」
「別に当たってなどいない。俺は……」
「Ｋ県がこんなことになったのは俺達が……主神教会が不甲斐ないせいだ。本当に済まん！」
急に頭を下げた時定の態度に戸惑い、俺と勝永は顔を見合わせた。
「おい、どうした時定？」
「主神教会が不甲斐ないって、別にそんなことはないだろう」
「いや、そんなことがあるんだ！」
時定がテーブルを叩く。常日頃温厚で、取り乱すことのない時定が声を荒らげたので、俺は驚いた。
「時定……」
「お前達は知らないだろうがな、今や主神教会は芯から腐っているんだ。ほとんどの高位聖職者達は、金儲けと権力のことしか考えていない。とても魔物と戦える状態じゃないんだ。そうでもなければ、Ｔ市や他の自治体だってあんなことには……」
「「…………」」
主神教会がそんな状態だとは、にわかには信じられない話だった。だが、Ｋ県の実質的なトップである時定がこれほどはっきり言うのだ。まず間違いはないだろう。
「……主神教会がどうなっていようが、俺の知ったことじゃない」
「勝永……？」
「今日まで動かずに我慢してきた。だが、これ以上魔物の侵略を許すならＫ県武道連盟の存在意義などないも同然だ。俺はこの会合が終わったら直ちに兵を集めてＴ市に討ち入る！ 仙理や隆、高遠君の弔い合戦をするぞ！」
やはり勝永はそういうつもりだったか。俺は慌てて止めた。
「勝永、それは待ってくれ」
「何！？ この期に及んで魔物と戦うなと言うのか！？ いくらお前でも許さんぞ！」
「そうじゃない。聞いてくれ」
俺は懸命に、Ｔ市防衛隊の顛末を語って聞かせた。そして、魔物と戦う方法が現時点では確立されていないことも説明した。
「九字君のようなＫ県で一流の武道家達も、正面からでは魔物に敵わなかった。今打って出るのは得策じゃない。むしろ自殺行為だ」
「ならお前は、どうすると言うんだ？」
「防御に徹して情報収集を進め、魔物との戦い方を見極める。同時に、体勢を整える」
「体勢？」
「要するに、人的資源の一本化だ。どんな戦い方をするにしても、Ｋ市役所とＫ県武道連盟、Ｋ県主神教会がバラバラでは勝てない。この三者を一本化したい」
「……平たく言えば、お前に従えということか？」
「ああ、最後に魔物を追い払うためだ」
「…………」
勝永はしばらく考えていた。そして最後に彼は言った。
「……いいだろう。だが時が来たら先陣はもらうぞ。いいな？」
「おう、頼むぞ！」
俺は勝永の手を握ると、時定に尋ねた。
「時定、お前はどうだ？」
「……さっきも言った通り、主神教会の幹部のほとんどは使い物にならない」
「…………」
「だが、主神様の教えを信じ、人々の幸せを真剣に願う信徒も、一部にはいる。彼らだけでいいなら、引き連れて俺も合流しよう」
「ありがとう、時定……」
２人の協力を得ることに成功した俺は、ひとまずほっとした。まだまだＫ市防衛の目途は立っていないとはいえ、１つ明るい材料だ。
「よし、俺の奢りだ。好きなだけ喰ってくれ」
俺は部屋備え付けの電話からオーナーに電話し、料理を運んでもらった。念のため言っておくと、払いは全部俺のポケットマネーである。Ｋ市防衛のための会食とは言え、市民の皆様にお納めいただいた血税をおろそかに使うわけには行かない。
そして、料理に舌鼓を打っていたとき、俺の携帯が鳴った。市長からだ。
『昌道坊ちゃま！ 急に申し訳ありません。今どちらにおられますか？』
「オテル・ドゥ・Ｋです。何かありましたか！？」
『そこでテレビは御覧になれますでしょうか？』
「て、テレビですか？」
『はい、お父様、いえ、Ｋ県県知事がこれからテレビで重大発表を行うと……』
「親父が……」
振り返ると、俺が漏らした言葉を聞いていたのだろう。ボーイさんがリモコンのスイッチを入れていた。部屋に備え付けのモニターに映像が入る。映っているのはＫ県県庁の一室だとすぐに分かった。長い机にいくつもマイクが置かれ、その真ん中に座っている恰幅の良い中年の男が俺の親父、郡堂善道だ。
「親父、何を話す気だ……？ 市長、後でかけ直します」
俺は電話を切ると、モニターに集中した。モニターの中の親父は軽く一礼し、マイクに向かって話し始める。
『Ｋ県県民の皆様。県知事の郡堂善道でございます。本日は皆様に重大な発表があり、お時間をいただくことにしました』
『皆様も御存じの通り、人を喰らう忌まわしい魔物がこのＫ県への侵入を繰り返しております。今現在、残念ながらＹ市、Ｎ町、Ｔ市などが魔物の支配下に置かれております。これは全て、県知事である私の力不足によるものであり、県民の皆様に与えた損害と不安について、お詫びの念に堪えません』
親父がしおらしく、深々と頭を下げた。らしくない、と俺は思う。親父に限らず、政治家がこうやって頭を下げるときには、大抵何か裏があるのだ。
『しかしながら……』
顔を上げ、親父は話を続ける。
『県民の皆様、どうか御安心ください。Ｋ県はこれ以上、魔物の侵入を座して放置することは致しません。Ｋ県はこのたび、反魔物条例を制定いたします。すなわち、Ｋ県全域に渡って、魔物の居住はもちろん通行も禁止し、これを排除するために必要な予算を計上する取り決めでございます』
「ふーん……」
俺は鼻を鳴らした。Ｋ県から魔物を追い出す条例はいい。しかしそれを実現するには、物理的に魔物を撃退する手段が必要なのであって、今はまだ人間の手では……
『そして、実際にＫ県から魔物を排除するため、私はＫ県魔物討伐隊の設立をここに宣言いたします。Ｋ県の屈強な男性を多数集めてＴ市他、親魔物領宣言をした自治体に進撃し、生身の人間による体当たりを以って魔物を追い払います。これより募集を開始いたしますので、我こそはという男性はＫ県県庁まで御連絡ください。高級優遇の三食付き、交通費も全額支給でございます！』
「…………え？」
親父の言葉に、俺は思わず携帯を取り落としていた。
ありえない。
魔物に対抗する戦い方がまだ分からないのに、こちらから打って出るなんて死にに行くようなものだ。
画面の中では、マスコミによる親父への質問が始まっていた。
『知事、討伐隊の人数はどれくらいを予定しているのでしょうか？』
『五千人を募集する予定でおります』
「嘘だろおい……」
下手したら五千人犬死するぞ。そうなったら、後で魔物との戦い方が分かっても何にもならない。
『知事、討伐隊の指揮は誰が取るのでしょうか？』
そうそう。五千人の隊員を率いて魔物と戦えるような、都合いい人材がその辺に転がってるわけがない。隊長がいなければ討伐隊も動けないだろう。俺は少し安心し、グラスの水を口に含んだ。
『よくぞ聞いてくださいました……』
「？」
俺の目には、親父がかすかに笑ったように見えた。
『討伐隊の隊長は、既に人選を終えております。このＫ市に、ふさわしい者がおります』
「？？」
『五千人の討伐隊を率い、Ｋ県から魔物を打ち払う、その男の名は』
「？？？」
『我が息子、郡堂昌道であります！』
ブーーーーーーーーーーーーーーーーー！！！
俺は、口の中の水を勢いよく噴いていた。
18/07/08 00:04更新 / 水仙鳥
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