ある湖畔の蟷螂の話
霧に包まれた静かな湖畔の中心、一本の鉄の橋で岸を繋がれた島に、不釣合いな城が建っていた。
ぺた、ぺた、ぺた・・・
橋の正面に城の入り口の扉があり、そこに傷だらけの黒い鎧が座り込んでいた。
抱える大剣はにぶく光を反射し、重みを伝えている。
ぺた、ぺた、ぺた・・・
鎧の回りには、死屍累々。様様な死体が横たわっていた。
人間の騎士、エルフの戦士、ケンタウルスの騎馬戦士、etc、etc・・・
全て、鎧が断ち切った骸である。中には白骨したものまである。
ぺた、ぺた、ぺた。
裸足で歩くような足音が止み、霧の中、橋を渡ってきた挑戦者が現れた。
『・・・また、戦いに来たのか、てめぇよ』
鎧からくぐもった男の声が聞こえる。
橋の上に立つのは、一人の魔物。
両手に大きな鎌を備え、髪はショート、目はキリリと引き締まっている。
森のアサシンとも言われる、マンティスである。
『いい加減、諦めろよ。この先に、てめえの望むモノなど、無い』
「それは、私が決めること。もう、何回も言ったこと」
『・・・そうだな。じゃ始めるか』
黒鎧が立ち上がり、大剣を構える。
それにあわせ、マンティスが構える。
『もう来れぬよう、その鎌を斬り落とす必要があるようだな』
「今日は、負けない」
空気が切り詰め、静かに時間が流れてゆく。
ポチャン。
何かが水面に落ちた。
刹那、金属音が響き渡った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある村に、そのマンティスが来たのは
もう三ヶ月も前になる。
「お肉、ちょうだい」
「あいよ、何の肉・・って、マンティスとは珍しい。ムコさん探しに来たのかい?悪りぃな、こんなジジィが店主で」
村の精肉屋に、マンティスが食料を買いに来たのが、村人接触第一号だった。
「なんでもいい。お腹いっぱいになるくらい」
ジャラッ。マンティスが出してきた袋は金貨でパンパンに膨れ、普通の大人では持ち上げるのも苦労しそうな大きさだった。
「うへ、お嬢ちゃんどんぐらい食うんだ?下手すると店の肉、みんな食われちまいそうだ」
「じゃ、今、店に並んでるの、全部でいいや」
「・・・あいよ(冗談だったんだがなぁ)」
店主が袋から金貨を取り出してから(でもあんまり袋は変わらず)、マンティスは店頭の肉を鷲掴んで、食べ始めた。店に椅子まで出してもらい、店頭で魔物が生肉を食べる様子に、人々は目を丸くしながら通り過ぎてゆく。
「しかし、一体、何しにこんなとこ来たんだい?アンタみたいな魔物が、こんな村に興味がわくものなんざ、ないように思えるけどねぇ」
「・・・夢を叶える、モノがあるって、聞いた」
黙々と食べていた(くちゃくちゃと音がなっていたが)マンティスが、顔を上げて答えた。
「夢を叶える・・・?あぁ、あのホラ話か」
「ほら?」
「お嬢ちゃん、時間の無駄だ。帰ったほうがいい。今まで色んな野郎が酒池肉林だの、大金持ちだの、言いふらして行ったが、だぁれも帰って来やしないし、成功したって噂も聞かない。ありゃぁ、自分らがひっかかって悔しくてホラ話を広めてるんだろ」
やれやれ、と息を吐いた店主だったが。
「どこ?」
「あん?」
マンティスは真剣な眼差しで、店主に訊ねた。
「全部食べたら、行く。どこにあるの?願いを叶えるモノ」
店主が呆れながら噂の場所までの道を教えた三日後、村は大騒ぎになった。
マンティスが、見るも無惨なボロボロの瀕死状態で帰って来たのだから。
傷が癒えた彼女に聞けば、噂はホラ話ではなく、古城が建っており、そこの門番にコテンパンにされたとのこと。
もうおやめ、危ないよと釘を刺された次の日、厳密にはその日の夜、彼女は再度、城へ向かった。
そして、またボロ雑巾のようになって、帰って来た。
そんなことが何度も、何度も続いた。
雨の日も、風の日も、雷鳴り響く嵐の日も。
彼女は城に足を運び続け、傷ついて帰って来た。回を重ねるごとに、受ける傷は減りはじめたが、それでも痛々しかった。
「もうやめなよ。嬢ちゃん」
ある雨の日、ベッドで生肉を食べるマンティスに、精肉屋の店長が言った。マンティスは黙っている。
「嬢ちゃんが何を叶えてもらおうか思ってるなんて知らねぇし、関係ねぇと思う。でもな、それはこんなに傷ついて、死にかけてまでしねぇと手に入れられないもんなのか!?」
「・・・」
マンティスは黙って肉を食べ続ける。
「何を願うんだ?金か?ムコさんか?そんならどっかのお金持ちと結ばれりゃいいじゃねぇか!なんなら、知り合いの領主様、紹介してやる!若いし優しい、それに・・・」
「・・・きおく」
「え?」
マンティスが食べるのをやめ、左手を眺めるように上げた。
その薬指には、指輪がはめてあった。
「私、目覚めたとき、ひとりぽっちだった。雨の中、座ってた。持ち物は、あのお金の入った袋と、この指輪だけ。
あとは、本当に何もなかった。どうしてそこにいるのか、どうしてあんなお金を持ってたのか・・・私は、誰なのか。何にも、分からなかった。
でも、なぜかこの指輪を見ると、ホッとするの。なぜか分からない。だから、知りたくなった。
指輪が、もし、旦那様からもらったモノなら、急いで旦那様を思いだして、会いたいの。
もう、いろんなとこ行ったけど、なにも思い出せなかった。だから、ここで、『記憶を欲しい』の」
そこまで言うと、マンティスは肉を再び食べ始めた。
店主は、その意志の強さに、静かに泣いていた。
あとどれだけ、この娘は傷ついて、記憶を取り戻すのだろうか、と。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドガッ!
「うぐ、げ」
マンティスの鳩尾に蹴りが入る。
綺麗な顔が苦痛に歪み、よろめく。
続きとばかりに、正面から拳が飛ぶ。
ヒュ、ガッ!
「あう!」
鼻血が出て、マンティスの顔を紅く染める。もうすでに膝が笑いはじめていた。
『まだ懲りねぇかな』
黒鎧の騎士も、余裕ぶったセリフとは違い、肩を上下させて疲労が目に見えるほどだった。
「う、ま、まだ・・・」
『・・・もう、やめろよ、てめえ』
騎士が大剣を下げる。ふたりの距離はそれほど遠くない。マンティスが勢いよく踏み込めば、おそらく騎士は守りが間に合わない。
『そこまで一途に何を求める?覚えているか?てめえはもう34回もここに来て、斬られて、殴られ、蹴り飛ばされ、満身創痍で帰り・・・』
そこまで言ったとき、マンティスが素早く動いた。
素早く右に回り、剣を持ってない側から斬りかかる。騎士は守りが間に合わない。騎士の鎧の隙間から、刃を突き刺す体勢になり、突撃した。
が、駄目。
騎士が左手で裏拳をかます。マンティスが一瞬ひるんだ隙に、足払いをし、マンティスを倒す。
そして倒れたマンティスの鳩尾あたりに足を乗せ、腕の鎌の付け根を狙って・・・
バギンッ!
「ぎっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
大剣が、落とされた。
金属が割れる音にも、骨が折れる音にも聞こえる音のあと、マンティスの叫び声が響いた。
『そしてまた、痛めつけられに来てんだ。無駄だ、諦めろ』
騎士が足を右腕の二の腕に乗せかえ、大剣を振り上げた。
バギンッ!
「あっ、ぎっ、ぐぎぃぃぃぃぃぃっ!」
両手の鎌を切り落とされ、痛みに悶えるマンティス。
騎士は彼女に馬乗りになり、大剣を首筋に当てた。
『もう、やめろよ。不毛だ、こんな戦いは』
どこか、やる気が無くなった声がマンティスに降りかかる。
マンティスは、涙目を取り繕い、まだ意志を持った目を騎士に向けた。
『ッ、てめえ、まだそんな目をするかっ!』
急に騎士が興奮し、マンティスの首に手をかけた。ギリギリと首を絞められる。
「あっ、ぐる、ひっ・・・」
『あの時も!俺をおいて行けば!あんな目を、そんな目をしたからっ、てめえはっ!』
ピクピクとマンティスが痙攣し、意識を手放す、一歩手前だった。
暴れていた左手が、硬いものを見つけた。
ドスッ・・・
『・・・なん、だ、と・・・?』
割ったマンティスの鎌。マンティスはそれを強く握りしめ、自分の指から血がでるのも構わず、切っ先を騎士のよろいの首元に向けた。
偶然か、狙ったか。刃は鎧の隙間にスルッと入り、中から血が流れ出した。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
ドサッ・・・ガラン・・・
首から血を流しながら男が倒れた。それにつづいて、兜がとれた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・?」
息をつき、振り返り、騎士の顔を見た。
若い、赤髪の男だった。
・・・ドクン
何故か、その男の目に惹かれるように、騎士に近づく。
「・・・俺を、殺すのか?」
・・・ドクン
何故か、そのセリフに、懐かしいものを感じた。
・・・なつか、しい?
ドクン、ドクン、ドクン
知っている?私はこの人を知っている?目も、顔も、声も、知って、いる?
ドクドクドクドクドク!
心臓の音がうるさい。私は自分でもわけが分からないまま、男の鎧の小手、左腕の小手を外そうとする。
「・・・お、い。何を、す、る?」
めんどうくさい。力任せに引っ張ると、脆くなってたのか、関節部分が割れて、外れた。
薬指に、見たことのある、指輪が、あった。
・・・・・・ド、クン・・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーー〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マンティスは、ひとりの男を襲った。
傭兵のようだったが、戦争で落ちぶれてきたのか、えらい疲労してて、弱かった。
「俺を、殺すのかよ?」
ぜぇぜぇ息を吐きながら、男が言った。マンティスは馬乗りになっている。
「殺されたい?」
「いやに決まってんだろ、バカ」
「じゃあ・・・」
マンティスは、腰を振りながら言った。
「私を、抱いて?」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「おい、ちょっといいか?」
野戦場のテントの中にいるマンティスに、男が声をかけた。マンティスはこくりとうなずいて、外に出てきた。
「おっ、ファング、逢引かぁ?」
「奥さん連れて戦場に来たやつぁ、羨ましいねぇ」
「うっせ!黙ってろ!」
ファングと呼ばれた男がマンティスを連れ、人がいないとこまで歩いてゆく。
人がいないのを確認してから、ファングが切りだした。
「んーと、あのな・・・」
「うん」
何故かファングはあたりを見回し、落ち着かない様子でしゃべっている。
「俺らが、なんだ。出会ってから、もう、一年くらい、経つわけだ」
「まだ十ヶ月だよ?」
「・・・うん、まぁ、十ヶ月だ。そんくらい俺らは一緒に、いるわけ、だ」
「・・・うん?」
「そんでな、今日、この戦闘で、最期の戦闘なんだよな。傭兵として駆り出されるのが、一旦、終わる訳でー、あーとぉ・・・」
何を言いたいのか分からないマンティスは、首を傾げる。
頭をかいたり、顎をさすったりしながら話していたファングが、もう耐えきれんと言った感じで、叫んだ。
「・・・あーっ、もう!こんなん俺のキャラじゃねぇ!おい!手ぇ出せ!手!」
「え?はい」
素直に出されたマンティスの手を、ファングはガッと掴んで、ポケットから取り出したものを、指にはめた。
「・・・なに?これ」
「指輪だ!見てわかんだろ!」
無駄な装飾のない、白銀の指輪。今まで分からなかったマンティスも、意味を考えて頬が染まってゆく。
「え、つまり、これ・・・」
「言わせんなバカ!結婚指輪のつもりだ!」
そう言うファングも、顔を真っ赤にしている。普段こんなことをしない彼は、もう頭の中が恥ずかしさでパンク寸前だ。
「い、いいか!今回の戦闘、お前は前に出るなよ!てめえ、前に俺を守るとか言ったが、そんなセリフ、夫の俺が言うべきなんだよ!」
恥ずかしさで聞き取れるか聞き取れないかレベルのスピードでまくし立てるファング。その締めに、彼はこう言った。
「今回は、俺がてめえを守ってやる。絶対前にでるな。わかったな!死なれたら困るんだよ!式場予約してんだからなッ!
わかったな!?マコト!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マンティス、いや、マコトは思いだした。
名前も、指輪も、自分の夫も。
自分が、死んだことも。
戦闘に勝った直後、負けを認めない一部の敵兵が、ファングのいる部隊を襲った。
マコトはかけ出して、ファングを守った。後ろで傷ついて動けないファングが叫んでも、引かなかった。
守りたかった。ただそれだけだった。
なんとか撃退したが、マコトは致命傷を受け、ファングの腕に抱かれて死んだ。
では何故、今、マコトは生きているのか?
マコトはすぐに察しがついた。
『願いを叶えるモノ』だ。
ファングは、マコトを生き返らしてもらったんだ。そう予測がついた。
「あ、あ・・・あぁぁぁっ!」
そして気づいた。自分が、ファングを殺したことを。
「ファング!ファング!ごめんなさい!ごめんなさい!」
慌てて傷口を布で縛ろうとするが、いかんせん傷口は首だ。下手な縛り方をすれば、息を止めてしまう。
「・・・ふぁん、ぐ?お前、きおく・・が・・・」
「だめ!喋らないで!傷が!」
傷口を布でおさえるマコトの手を、ファングが優しく握った。
「は、はは、神様ってぇ、やつぁ、どこまでも、いじ、わる、だ」
「ファング・・・」
徐々に小さくなるファングの声に、マコトは涙を流した。
「五年。てめえが、自分、かっ、てに、死んで、生き返、らじで、今日まで、五年かかった。生き返らじた、あと、俺は、ここからうごけ、なく、てな・・・てめえを、迎えに、いげ、な、かった。わ、る、い」
「・・・何で、ファングが謝るの?悪いのは、死んだ私だよ」
応えるマコトは完全に涙声だった。
「はじめで、来た、とき、俺、を、わすれ、てた、ときは、かなし、かったぜ。鎧も、かわって、ねぇ、のに、よぉ」
「ごめん、ごめんなさい」
「いいんだ。ざいご、思いだしで、ぐ、れだ、がら。あぁ、ちっ、と、寝るぜ・・・眠たい、や・・・」
「ッ、だめ!待って!思いだした途端お別れなんて、絶対イヤッ!」
マコトは涙をボロボロ流してファングを抱きしめた。そのマコトの背に、弱々しい手が乗った。
「なぁ、に・・・すぐ、起きる、さ・・・まっ、て、な・・・すぐ、だから・・・・・・・・・」
ぱたりと、マコトの背に乗っていた手が、地に落ちた。
「・・・ファング?」
目の前の男は、応えない。
「ファング、ファング!」
無音。静寂。深閑。悲しみが、その辺りを包んだ。
「ファングゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
城の最上階。そこに、マコトはいた。
肩に、ファングの遺体を担いで、登って来たのだ。
『ようこそ、願いを持ちし者よ』
そこにあったのは、一枚の鏡だった。
『さぁ、我に願いを言いたまえ。可能ならば、ひとつだけ、叶えてやろう』
マコトは、考えるそぶりもなく、答えた。
「ファングを、生き返らせて」
『・・・それは、無理だ』
しかし、返ってきた答えは、意に反するものだった。
「・・・なんで?なんでも叶えてくれるんでしょう?」
『不可能なことは叶えられない。他の願いを言いたまえ』
「これ以外、願いなんてない!」
『ならば去れ、森の暗殺者よ。求める物が無ければ、去るのが当たり前ぞ』
マコトは唇をかみ、手を握りしめた。
何故?どうして?
悲しみと後悔が渦巻き、そこにへたり込んだ。
「・・・生き返らせてよ」
『無理だ』
「お願いだから・・・」
『無理だ』
「・・・どうし、て?」
『不可能な願いは叶えられんからだ』
何故、人を生き返らせるのは無理なのか。自分は生き返ったのに。
そう思いながら、マコトは冷たくなったファングの遺体に手を置いた。
「・・・あれ?」
そこで気づいた。
死んだはずのファングが、冷たくない。
『死んでない者を生き返らせるなど、不可能であるぞ、森の暗殺者よ』
次の瞬間。ファングがのっそり起き上がった。
「くぅ・・・あぁ、良く寝た。けどまだ、ふらっとすんな」
「!?!!??!??」
口をパクパクさせ、マコトはファングを見ていた。
「おはよう、マコト・・・って、どうした?そんな驚いた顔して」
『森の暗殺者よ、我が説明しよう。此奴は、貴様を生き返らす代償として、未来永劫、我の従者となったのだ。「不老不死」となってな』
「・・・え、つまり」
ファングは不老不死
→一時的な貧血で気絶
→血が戻って、起床
「・・・ってこと?」
『うむ』
「・・・え?俺、言ってなかったっけ?すぐ起きるって?」
「・・・そんなの」
ガリリ。かろうじて腕に残っている鎌を、マコトが床にこすりつけながら、振り上げた。
「え?マコト?いや、マコトさん?不老不死でも、痛いもんは痛いんだぞ?そのまま下ろすと、俺の頭に直下するんだが?いやいやいや危ない危ないあぶな」
「分かるか馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
静かな湖畔に、男の絶叫が響き渡った。
ぺた、ぺた、ぺた・・・
橋の正面に城の入り口の扉があり、そこに傷だらけの黒い鎧が座り込んでいた。
抱える大剣はにぶく光を反射し、重みを伝えている。
ぺた、ぺた、ぺた・・・
鎧の回りには、死屍累々。様様な死体が横たわっていた。
人間の騎士、エルフの戦士、ケンタウルスの騎馬戦士、etc、etc・・・
全て、鎧が断ち切った骸である。中には白骨したものまである。
ぺた、ぺた、ぺた。
裸足で歩くような足音が止み、霧の中、橋を渡ってきた挑戦者が現れた。
『・・・また、戦いに来たのか、てめぇよ』
鎧からくぐもった男の声が聞こえる。
橋の上に立つのは、一人の魔物。
両手に大きな鎌を備え、髪はショート、目はキリリと引き締まっている。
森のアサシンとも言われる、マンティスである。
『いい加減、諦めろよ。この先に、てめえの望むモノなど、無い』
「それは、私が決めること。もう、何回も言ったこと」
『・・・そうだな。じゃ始めるか』
黒鎧が立ち上がり、大剣を構える。
それにあわせ、マンティスが構える。
『もう来れぬよう、その鎌を斬り落とす必要があるようだな』
「今日は、負けない」
空気が切り詰め、静かに時間が流れてゆく。
ポチャン。
何かが水面に落ちた。
刹那、金属音が響き渡った。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ある村に、そのマンティスが来たのは
もう三ヶ月も前になる。
「お肉、ちょうだい」
「あいよ、何の肉・・って、マンティスとは珍しい。ムコさん探しに来たのかい?悪りぃな、こんなジジィが店主で」
村の精肉屋に、マンティスが食料を買いに来たのが、村人接触第一号だった。
「なんでもいい。お腹いっぱいになるくらい」
ジャラッ。マンティスが出してきた袋は金貨でパンパンに膨れ、普通の大人では持ち上げるのも苦労しそうな大きさだった。
「うへ、お嬢ちゃんどんぐらい食うんだ?下手すると店の肉、みんな食われちまいそうだ」
「じゃ、今、店に並んでるの、全部でいいや」
「・・・あいよ(冗談だったんだがなぁ)」
店主が袋から金貨を取り出してから(でもあんまり袋は変わらず)、マンティスは店頭の肉を鷲掴んで、食べ始めた。店に椅子まで出してもらい、店頭で魔物が生肉を食べる様子に、人々は目を丸くしながら通り過ぎてゆく。
「しかし、一体、何しにこんなとこ来たんだい?アンタみたいな魔物が、こんな村に興味がわくものなんざ、ないように思えるけどねぇ」
「・・・夢を叶える、モノがあるって、聞いた」
黙々と食べていた(くちゃくちゃと音がなっていたが)マンティスが、顔を上げて答えた。
「夢を叶える・・・?あぁ、あのホラ話か」
「ほら?」
「お嬢ちゃん、時間の無駄だ。帰ったほうがいい。今まで色んな野郎が酒池肉林だの、大金持ちだの、言いふらして行ったが、だぁれも帰って来やしないし、成功したって噂も聞かない。ありゃぁ、自分らがひっかかって悔しくてホラ話を広めてるんだろ」
やれやれ、と息を吐いた店主だったが。
「どこ?」
「あん?」
マンティスは真剣な眼差しで、店主に訊ねた。
「全部食べたら、行く。どこにあるの?願いを叶えるモノ」
店主が呆れながら噂の場所までの道を教えた三日後、村は大騒ぎになった。
マンティスが、見るも無惨なボロボロの瀕死状態で帰って来たのだから。
傷が癒えた彼女に聞けば、噂はホラ話ではなく、古城が建っており、そこの門番にコテンパンにされたとのこと。
もうおやめ、危ないよと釘を刺された次の日、厳密にはその日の夜、彼女は再度、城へ向かった。
そして、またボロ雑巾のようになって、帰って来た。
そんなことが何度も、何度も続いた。
雨の日も、風の日も、雷鳴り響く嵐の日も。
彼女は城に足を運び続け、傷ついて帰って来た。回を重ねるごとに、受ける傷は減りはじめたが、それでも痛々しかった。
「もうやめなよ。嬢ちゃん」
ある雨の日、ベッドで生肉を食べるマンティスに、精肉屋の店長が言った。マンティスは黙っている。
「嬢ちゃんが何を叶えてもらおうか思ってるなんて知らねぇし、関係ねぇと思う。でもな、それはこんなに傷ついて、死にかけてまでしねぇと手に入れられないもんなのか!?」
「・・・」
マンティスは黙って肉を食べ続ける。
「何を願うんだ?金か?ムコさんか?そんならどっかのお金持ちと結ばれりゃいいじゃねぇか!なんなら、知り合いの領主様、紹介してやる!若いし優しい、それに・・・」
「・・・きおく」
「え?」
マンティスが食べるのをやめ、左手を眺めるように上げた。
その薬指には、指輪がはめてあった。
「私、目覚めたとき、ひとりぽっちだった。雨の中、座ってた。持ち物は、あのお金の入った袋と、この指輪だけ。
あとは、本当に何もなかった。どうしてそこにいるのか、どうしてあんなお金を持ってたのか・・・私は、誰なのか。何にも、分からなかった。
でも、なぜかこの指輪を見ると、ホッとするの。なぜか分からない。だから、知りたくなった。
指輪が、もし、旦那様からもらったモノなら、急いで旦那様を思いだして、会いたいの。
もう、いろんなとこ行ったけど、なにも思い出せなかった。だから、ここで、『記憶を欲しい』の」
そこまで言うと、マンティスは肉を再び食べ始めた。
店主は、その意志の強さに、静かに泣いていた。
あとどれだけ、この娘は傷ついて、記憶を取り戻すのだろうか、と。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
ドガッ!
「うぐ、げ」
マンティスの鳩尾に蹴りが入る。
綺麗な顔が苦痛に歪み、よろめく。
続きとばかりに、正面から拳が飛ぶ。
ヒュ、ガッ!
「あう!」
鼻血が出て、マンティスの顔を紅く染める。もうすでに膝が笑いはじめていた。
『まだ懲りねぇかな』
黒鎧の騎士も、余裕ぶったセリフとは違い、肩を上下させて疲労が目に見えるほどだった。
「う、ま、まだ・・・」
『・・・もう、やめろよ、てめえ』
騎士が大剣を下げる。ふたりの距離はそれほど遠くない。マンティスが勢いよく踏み込めば、おそらく騎士は守りが間に合わない。
『そこまで一途に何を求める?覚えているか?てめえはもう34回もここに来て、斬られて、殴られ、蹴り飛ばされ、満身創痍で帰り・・・』
そこまで言ったとき、マンティスが素早く動いた。
素早く右に回り、剣を持ってない側から斬りかかる。騎士は守りが間に合わない。騎士の鎧の隙間から、刃を突き刺す体勢になり、突撃した。
が、駄目。
騎士が左手で裏拳をかます。マンティスが一瞬ひるんだ隙に、足払いをし、マンティスを倒す。
そして倒れたマンティスの鳩尾あたりに足を乗せ、腕の鎌の付け根を狙って・・・
バギンッ!
「ぎっあぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!」
大剣が、落とされた。
金属が割れる音にも、骨が折れる音にも聞こえる音のあと、マンティスの叫び声が響いた。
『そしてまた、痛めつけられに来てんだ。無駄だ、諦めろ』
騎士が足を右腕の二の腕に乗せかえ、大剣を振り上げた。
バギンッ!
「あっ、ぎっ、ぐぎぃぃぃぃぃぃっ!」
両手の鎌を切り落とされ、痛みに悶えるマンティス。
騎士は彼女に馬乗りになり、大剣を首筋に当てた。
『もう、やめろよ。不毛だ、こんな戦いは』
どこか、やる気が無くなった声がマンティスに降りかかる。
マンティスは、涙目を取り繕い、まだ意志を持った目を騎士に向けた。
『ッ、てめえ、まだそんな目をするかっ!』
急に騎士が興奮し、マンティスの首に手をかけた。ギリギリと首を絞められる。
「あっ、ぐる、ひっ・・・」
『あの時も!俺をおいて行けば!あんな目を、そんな目をしたからっ、てめえはっ!』
ピクピクとマンティスが痙攣し、意識を手放す、一歩手前だった。
暴れていた左手が、硬いものを見つけた。
ドスッ・・・
『・・・なん、だ、と・・・?』
割ったマンティスの鎌。マンティスはそれを強く握りしめ、自分の指から血がでるのも構わず、切っ先を騎士のよろいの首元に向けた。
偶然か、狙ったか。刃は鎧の隙間にスルッと入り、中から血が流れ出した。
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ドサッ・・・ガラン・・・
首から血を流しながら男が倒れた。それにつづいて、兜がとれた。
「ハァッ、ハァッ、ハァッ・・・?」
息をつき、振り返り、騎士の顔を見た。
若い、赤髪の男だった。
・・・ドクン
何故か、その男の目に惹かれるように、騎士に近づく。
「・・・俺を、殺すのか?」
・・・ドクン
何故か、そのセリフに、懐かしいものを感じた。
・・・なつか、しい?
ドクン、ドクン、ドクン
知っている?私はこの人を知っている?目も、顔も、声も、知って、いる?
ドクドクドクドクドク!
心臓の音がうるさい。私は自分でもわけが分からないまま、男の鎧の小手、左腕の小手を外そうとする。
「・・・お、い。何を、す、る?」
めんどうくさい。力任せに引っ張ると、脆くなってたのか、関節部分が割れて、外れた。
薬指に、見たことのある、指輪が、あった。
・・・・・・ド、クン・・・・・・
ーーーーーーーーーーーーーーーーー〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マンティスは、ひとりの男を襲った。
傭兵のようだったが、戦争で落ちぶれてきたのか、えらい疲労してて、弱かった。
「俺を、殺すのかよ?」
ぜぇぜぇ息を吐きながら、男が言った。マンティスは馬乗りになっている。
「殺されたい?」
「いやに決まってんだろ、バカ」
「じゃあ・・・」
マンティスは、腰を振りながら言った。
「私を、抱いて?」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
「おい、ちょっといいか?」
野戦場のテントの中にいるマンティスに、男が声をかけた。マンティスはこくりとうなずいて、外に出てきた。
「おっ、ファング、逢引かぁ?」
「奥さん連れて戦場に来たやつぁ、羨ましいねぇ」
「うっせ!黙ってろ!」
ファングと呼ばれた男がマンティスを連れ、人がいないとこまで歩いてゆく。
人がいないのを確認してから、ファングが切りだした。
「んーと、あのな・・・」
「うん」
何故かファングはあたりを見回し、落ち着かない様子でしゃべっている。
「俺らが、なんだ。出会ってから、もう、一年くらい、経つわけだ」
「まだ十ヶ月だよ?」
「・・・うん、まぁ、十ヶ月だ。そんくらい俺らは一緒に、いるわけ、だ」
「・・・うん?」
「そんでな、今日、この戦闘で、最期の戦闘なんだよな。傭兵として駆り出されるのが、一旦、終わる訳でー、あーとぉ・・・」
何を言いたいのか分からないマンティスは、首を傾げる。
頭をかいたり、顎をさすったりしながら話していたファングが、もう耐えきれんと言った感じで、叫んだ。
「・・・あーっ、もう!こんなん俺のキャラじゃねぇ!おい!手ぇ出せ!手!」
「え?はい」
素直に出されたマンティスの手を、ファングはガッと掴んで、ポケットから取り出したものを、指にはめた。
「・・・なに?これ」
「指輪だ!見てわかんだろ!」
無駄な装飾のない、白銀の指輪。今まで分からなかったマンティスも、意味を考えて頬が染まってゆく。
「え、つまり、これ・・・」
「言わせんなバカ!結婚指輪のつもりだ!」
そう言うファングも、顔を真っ赤にしている。普段こんなことをしない彼は、もう頭の中が恥ずかしさでパンク寸前だ。
「い、いいか!今回の戦闘、お前は前に出るなよ!てめえ、前に俺を守るとか言ったが、そんなセリフ、夫の俺が言うべきなんだよ!」
恥ずかしさで聞き取れるか聞き取れないかレベルのスピードでまくし立てるファング。その締めに、彼はこう言った。
「今回は、俺がてめえを守ってやる。絶対前にでるな。わかったな!死なれたら困るんだよ!式場予約してんだからなッ!
わかったな!?マコト!」
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
マンティス、いや、マコトは思いだした。
名前も、指輪も、自分の夫も。
自分が、死んだことも。
戦闘に勝った直後、負けを認めない一部の敵兵が、ファングのいる部隊を襲った。
マコトはかけ出して、ファングを守った。後ろで傷ついて動けないファングが叫んでも、引かなかった。
守りたかった。ただそれだけだった。
なんとか撃退したが、マコトは致命傷を受け、ファングの腕に抱かれて死んだ。
では何故、今、マコトは生きているのか?
マコトはすぐに察しがついた。
『願いを叶えるモノ』だ。
ファングは、マコトを生き返らしてもらったんだ。そう予測がついた。
「あ、あ・・・あぁぁぁっ!」
そして気づいた。自分が、ファングを殺したことを。
「ファング!ファング!ごめんなさい!ごめんなさい!」
慌てて傷口を布で縛ろうとするが、いかんせん傷口は首だ。下手な縛り方をすれば、息を止めてしまう。
「・・・ふぁん、ぐ?お前、きおく・・が・・・」
「だめ!喋らないで!傷が!」
傷口を布でおさえるマコトの手を、ファングが優しく握った。
「は、はは、神様ってぇ、やつぁ、どこまでも、いじ、わる、だ」
「ファング・・・」
徐々に小さくなるファングの声に、マコトは涙を流した。
「五年。てめえが、自分、かっ、てに、死んで、生き返、らじで、今日まで、五年かかった。生き返らじた、あと、俺は、ここからうごけ、なく、てな・・・てめえを、迎えに、いげ、な、かった。わ、る、い」
「・・・何で、ファングが謝るの?悪いのは、死んだ私だよ」
応えるマコトは完全に涙声だった。
「はじめで、来た、とき、俺、を、わすれ、てた、ときは、かなし、かったぜ。鎧も、かわって、ねぇ、のに、よぉ」
「ごめん、ごめんなさい」
「いいんだ。ざいご、思いだしで、ぐ、れだ、がら。あぁ、ちっ、と、寝るぜ・・・眠たい、や・・・」
「ッ、だめ!待って!思いだした途端お別れなんて、絶対イヤッ!」
マコトは涙をボロボロ流してファングを抱きしめた。そのマコトの背に、弱々しい手が乗った。
「なぁ、に・・・すぐ、起きる、さ・・・まっ、て、な・・・すぐ、だから・・・・・・・・・」
ぱたりと、マコトの背に乗っていた手が、地に落ちた。
「・・・ファング?」
目の前の男は、応えない。
「ファング、ファング!」
無音。静寂。深閑。悲しみが、その辺りを包んだ。
「ファングゥゥゥゥゥゥゥゥッ!」
・・・
・・・・・・
・・・・・・・・・・・・
城の最上階。そこに、マコトはいた。
肩に、ファングの遺体を担いで、登って来たのだ。
『ようこそ、願いを持ちし者よ』
そこにあったのは、一枚の鏡だった。
『さぁ、我に願いを言いたまえ。可能ならば、ひとつだけ、叶えてやろう』
マコトは、考えるそぶりもなく、答えた。
「ファングを、生き返らせて」
『・・・それは、無理だ』
しかし、返ってきた答えは、意に反するものだった。
「・・・なんで?なんでも叶えてくれるんでしょう?」
『不可能なことは叶えられない。他の願いを言いたまえ』
「これ以外、願いなんてない!」
『ならば去れ、森の暗殺者よ。求める物が無ければ、去るのが当たり前ぞ』
マコトは唇をかみ、手を握りしめた。
何故?どうして?
悲しみと後悔が渦巻き、そこにへたり込んだ。
「・・・生き返らせてよ」
『無理だ』
「お願いだから・・・」
『無理だ』
「・・・どうし、て?」
『不可能な願いは叶えられんからだ』
何故、人を生き返らせるのは無理なのか。自分は生き返ったのに。
そう思いながら、マコトは冷たくなったファングの遺体に手を置いた。
「・・・あれ?」
そこで気づいた。
死んだはずのファングが、冷たくない。
『死んでない者を生き返らせるなど、不可能であるぞ、森の暗殺者よ』
次の瞬間。ファングがのっそり起き上がった。
「くぅ・・・あぁ、良く寝た。けどまだ、ふらっとすんな」
「!?!!??!??」
口をパクパクさせ、マコトはファングを見ていた。
「おはよう、マコト・・・って、どうした?そんな驚いた顔して」
『森の暗殺者よ、我が説明しよう。此奴は、貴様を生き返らす代償として、未来永劫、我の従者となったのだ。「不老不死」となってな』
「・・・え、つまり」
ファングは不老不死
→一時的な貧血で気絶
→血が戻って、起床
「・・・ってこと?」
『うむ』
「・・・え?俺、言ってなかったっけ?すぐ起きるって?」
「・・・そんなの」
ガリリ。かろうじて腕に残っている鎌を、マコトが床にこすりつけながら、振り上げた。
「え?マコト?いや、マコトさん?不老不死でも、痛いもんは痛いんだぞ?そのまま下ろすと、俺の頭に直下するんだが?いやいやいや危ない危ないあぶな」
「分かるか馬鹿ぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
静かな湖畔に、男の絶叫が響き渡った。
11/04/09 14:34更新 / ganota_Mk2