―中世―
辺境の魔界


「勝者、マイアー！」
熱気に満たされたコロセウムに審判の大声が響き渡り、試合の終了と勝者を観客達に知らしめた。勝ったのはマイアー、"剣術の現人神"とさえ称される稀代の剣豪であった。マイアーはあくまで厳粛な振る舞いで観客や打ち勝った相手に一礼し、競技場を後にした。
控え室を出たマイアーは早速魔物達の求婚の嵐を受けた。私を是非、いやいや私を、なんならハーレムでも構わない。黄色く妖しい声がマイアーに容赦なく降り注ぐ。だがマイアーは慣れた様子で、かつ白熱していた試合とは対照的にやや冷たい声で言い放った。
「時間が押している、悪いが道を開けて欲しい」
しかしそれだけで身を引く魔物などいはしない。聞こえなかったふりか、はたまた歓声にかき消され本当に聞こえなかったのか、彼女達はマイアーの言葉などお構いなしに迫り続けた。マイアーはその僅かな隙間を縫って足早に走り去ろうとする。幸運にも自分の側を通り抜けられた魔物の一部が、せめてとばかりに胸をマイアーに押し付けた。
魔物達の波を掻き分けたマイアーは、城下町の一角にあるレンガ造りの大きな建物の中に入っていった。ここまでは彼女達も追ってはこない。関係者以外は基本的に立ち入り禁止だし、そもそもダメもとで彼の元へ押しかけている者も多いのだ。建物の一室に入ったマイアーを、人間と魔物を合わせて数十人の少年少女が出迎えた。マイアーはこれから彼らに魔術の授業を行うのだ。
マイアーは剣士である、魔法は専門とはしていない。しかし、その知識に関しては、本職には遠く及ばないが下手な魔法使いは足元にも及ばない程のものを持っていた。故に彼自身は一切の魔法を行使できないにも関わらず、講師としてその知識を授ける役目を与えられたのだ。当然ながら極めて異例の事態である。
魔物にこそ人気のマイアーだが、一方で人間達から疎まれている存在だった。その原因は彼のやや傲慢な性格にある。頭角を現し始めた12の頃からマイアーは自分の能力を周囲にひけらかす様になった。俺はこんなにも有能なのだ、お前達とは比べ物にならないほどに。マイアーはいつもそんな物言いばかりしていた。次第にマイアーは孤立していった。その実力を評価こそすれ、彼に近づきたいと思う人間は、もう一人も居ない。
授業を終えたマイアーは家路を歩く。コロセウムでの試合を強く照らしていた日は大きく傾き、橙色の光を地平線からマイアーに注いでいる。学校の西に住むマイアーは、その夕日に向かって歩くのが少々煩わしく思い、同時に美しい光景を眺められるのを喜んでいた。
「おー、おかえりー」
家に到着したマイアーに、隣家の屋根の上から声がかけられた。夕日と同じ色の翼を持つガンダルヴァ、そしてマイアーの数少ない友人のスクリである。マイアーは夕日を背に立つ彼女を眩しそうに見上げた。
「お前、また一日中そこで演奏してたのか」
「そうだけど？」
剣士と講師を兼任するマイアーと違い、スクリは暇さえあれば手にした楽器をかき鳴らしている絵に描いたような道楽者だった。特に空を速く飛ぶこともなければ、大地を駆け回ることも無く、ただただ暢気に音楽のみを愛している。だからこそ彼女の演奏は素晴らしく洗練され、この辺境の地を越えて評判になっていた。だが出不精のスクリは彼女の家でしか演奏を行わない。いつの間にやら、それは音楽を聴くためだけにここを訪れることが出来る者が楽しめる、最高の娯楽へと昇華していった。
「もう日が暮れる。夜中にうるさくするなよ」
「ちぇっ、嫌味だねぇ。うるさくしようにも相手がいないもんね」
「演奏するなと言ってるんだよ！俺はもう寝るんだ」
マイアーは思わず声を張り上げた。それから力任せに家の扉を開き、バタンと大きな音を立ててマイアーは自宅へ入っていった。
「･･･寂しい奴になっちまったなぇ」
彼の後姿を見て、スクリがぽつりと呟いた。

ある日、マイアーがいつものように騎士団の詰め所に行こうと自宅を出ると、同僚の一人が待ち構えていた。
「マイアー！大変だ！」
「なんだなんだ、教団でも攻めて来たのか」
「ああ、旅人に成りすました二人組みがもぐりこんで来たんだ。そしたら連中、広場で一人とっ捕まえて攫っていきやがった」
「攫われたのは誰だ」
「スクリだよ、あんたもよく知ってるだろう」
同僚の言葉を聞いてマイアーは少なからず衝撃を受けた。しかし、よく考えればそれも不思議なことではない。彼女のことだ、ふらふらとうろついている所を、格好の獲物だとされたのだろう。
「･･･そうか、二人なら騎士団を動かすまでもあるまい、俺が行こう」
マイアーは手早く武具を身にまとって家を飛び出し、城下町を走り抜けて最後に二人組みが目撃された場所へと急いだ。その途中、話を聞いたリザードマンとミノタウロスが同行することになった。リザードマンはスクリの友人だからと協力を申し出て、ミノタウロスは単に喧嘩好きなのと、あわよくば教団兵をその場で襲って自分の夫にするためだった。
人気の無い裏道から空き家までを虱潰しに探し、マイアー達は教団の二人組みが立てこもっている場所を見つけ出した。その場所は町はずれにある倉庫だった。誰も使う者がいなくなり、埃とカビ以外のものが入っていないその場所はひとまず隠れるには絶好といえた。いきなりの突入は避け、三人は中の様子を探る。物音はしない、スクリの悲鳴などは聞こえてこなかった。だが確かに気配はある、マイアーは倉庫の扉を勢い良く開いた。
「狂信者どもめ、もう逃がさんぞ！人質を解放してさっさと巣に帰るんだな！」
「いや、帰さんよ。少なくとも一人はアタイのもんになるんだ。お前さんもそのつもりだろ？」
ミノタウロスが教団兵を見て、そしてリザードマンを見てニヤつきながら言った。
「わ、私は純粋にスクリを助けに来ただけだ！戦士としてそこらの魔物のように見境無く男になど･･･」
「ええい、黙れ黙れ！俺はマイアー、この国で俺の右に出るものはいない。さぁ痛い目を見ない内に降伏するがいい」
マイアーの怒声が無駄話を遮った。二人はハッとして二人組みとスクリの方に向き直る。相手が教団である以上油断はしていられないことは、どちらもよく理解していた。
マイアーは剣を抜いて静かに教団兵に歩み寄る。しかし相手は身動き一つしない、特に構えているわけでもなく。妙だ、抜き身を持った相手が近づいているのにこちらを向きもしないとはどういうわけだ。マイアーは僅かに困惑したが、その雑念をすぐに振り払った。もう相手は自分の間合いに入っている、ここまで隙だらけならば斬らずに失神させることも可能だろう。
マイアーの目に信じられないものが飛び込んできたのは、そう思って剣を構え直した時だった。教団兵達が、スクリを取り囲み涙を流している。
「あ、ああ、心が洗われる。降格された腹いせにコイツを切り刻もうとしていた自分がバカみたいだ」
「冗談じゃない。そんなことしたらこの音楽が二度と聴けなくなる」
マイアーの耳にそんな会話が聞こえてきた。
「やれやれ早速懐柔されてるよ。まあスクリなら仕方ないか」
様子を見たミノタウロスがやはりといった感じで呟いた。
「あれ、マイアー？助けに来てくれたの？心配しなくたって、アタシは大丈夫だよ！いきなり連れ去られたときはビックリしたけどね」
唖然とするマイアーとリザードマンをよそに、ミノタウロスは教団兵を覗き込む。そして頭からつま先までを舐め回すように見定めた。そして自分の夫を決めたのか
「なんだい男が泣きじゃくって情けない。でも結構いい体つきと顔してるじゃないか･･･♥」
そう言うとミノタウロスはリザードマンを引っ張って教団兵に駆け寄った。そしてその内の一人を組み敷き、もう一方にリザードマンを押し付けると、自分は組み敷いた教団兵に馬乗りになる。
「おい何するんだ！だから私はそんなつもりじゃ･･･」
「そんなつもりじゃなくたって、今はそのつもりなんだろ？スクリの曲を聴いた奴は、魔物ならみんなそうなっちまうさ」
「っ･･･！」
ミノタウロスは自慢の大きな胸を押し付け、その唇を奪う。教団兵は特に抵抗もせず、それを受け入れ恍惚としていた。
「あんた美人だなぁ」
「おい、こっちだってめちゃくちゃかわいいぞ」
「かっ、かわいい･･･！？」
「おやおやよかったな、どうせお前さんのことだからそんなこと言われるのも初めてだろ？」
「うるさい！」
不意に教団兵がリザードマンを抱き締めた。彼女はビクリと震えつつも、本能が彼を求めてしまっていた。恐るべしスクリ。彼女は心の中でそう叫びつつも、魔物の根源ともいえる欲求の一つに抗うことなどできよう筈がなかった。
マイアーはその場で出来上がった二組の恋人、いやすぐに夫婦になるであろう四人を見たまま、ただ立ち尽くしていた。剣は取り落とし、全身から力が抜け出てしまっていた。
これはなんだ、何が起こっている。そこにいるのはおぞましい教団の人間だぞ。それがなぜ、魔物と愛など語らっている。スクリが魅了したからか？一滴の血も流さず、ただ暢気に演奏しただけで？だとすれば俺はなんだ、何故俺はここにいる。奴らの魔の手から国を守るのが俺の使命ではないのか。そうだ、彼女達を守らねば。でなければ俺は･･･
「･･･消えろ外道！魔物と、魔物を愛する人間の敵め！今すぐこの場から―」
マイアーが感情にまかせて絶叫した。落とした剣を取り直し、猛然と教団兵たちに駆け出すその前に、スクリが飛び立ち、マイアーを倉庫の外へ押し出した。それでもなおもがくマイアーをスクリが押さえつけながら、彼女は初めて怒りに身を震わせていた。
「･･･ふざけんじゃないよ。誇りを持つのはいいけど、アンタが今やろうとしてたのはただの人殺しだよ！もうあいつらは敵なんかじゃない、あの二人とここで幸せに生きていくんだ。それを･･･！」
「うるさい、俺は強いんだ。誰よりも優れているんだ。そんな俺が、たった二人の救出も出来ないとなったら･･･」
スクリはマイアーの顔をさらに睨みつけた。そして次の言葉を怒鳴りつけようとしたとき･･･マイアーが、あの剣術の現人神が怯えているのが分かった。
スクリは驚いた。確かに乱暴な手段で連れ出しはしたが、場慣れしているマイアーがひるむような動きではない。ましてこの男が怯えるなどありえないはずなのに。
「アンタ、何のために剣術なんかやってんだ･･･。あの二人が出会った男まで斬って、何がしたいんだよ！」
マイアーは震えながら、蚊の鳴くような声でその問いに答えた。

「だって、強くなれば･･･賢くなれば･･････誰も、俺をいじめなくなるじゃないか･･･」

マイアーのその一言から、スクリーは大体のことを悟った。彼が誰も太刀打ちできぬほどに強くなり、剣士でありながら魔術にまで精通し、そしてそれらを過剰なまでに誇っていた理由を。
マイアーはいじめられていた。恐らくその理由はほんの些細なことに過ぎなかっただろう。それでも彼には大きく響いてしまった。散々に蔑まれる中で、マイアーはそこから脱出する手段を思い付いた。誰も文句が付けようのない人物になり、周り全てを捻じ伏せてやればいい。マイアーはそれを成功させた。あらゆる交わりと引き換えに、生き地獄から這い上がったのだ。
「な、なんて奴だ･･･」
マイアーを押さえつけたまま、スクリは彼を抱き締めた。
「離してくれ、このまま誰も助けられなかったら俺は･･･」
「もういいよマイアー。もう強くなくても、自慢しなくてもいいから。もう誰もいじめないからさ」
「ち、違う。俺が強いから誰もいじめなかったんだ。今更弱くなんてなったら、また俺は･･･」
「たとえそうなっても、アタシはずっとアンタの側にいる。誰が何を言おうが、やろうがアタシは今のまま変わらない」
スクリは起き上がり、幼子のように涙を流すマイアーの目を見つめる。寂しさと恐怖に支配された、哀れな瞳がスクリを見つめていた。でも誰かがマイアーを愛せば、この瞳もすぐに幸福で満たされる。そしてスクリは、その役目を他人にやらせる気には到底なれなかった。
「信じられないかい？今までずっと一緒にいたのに」
その言葉を聴いた瞬間マイアーは飛び起き、スクリの胸に顔を埋めて日が暮れるまで涙を流し続けた。

安らかに寝息を立てるスクリの横で、マイアーは静かに目を閉じた。あの一件から数日、二人は共に暮らしていた。今夜も疲れ果てるまで交わり、数え切れないほど果てた後で、ピロートークも程ほどにスクリはさっさと寝てしまった。その寝顔を見ることがマイアーの一日の最後の楽しみになっていた。無論最初の楽しみは、彼女に起こされることである。あの日のスクリの言葉に偽りは全く無かった、彼女は心からマイアーを愛していた。
マイアーは夢を見た。暗闇の中で何者かが語りかけてくる。

「お前は、これ以上何も望まぬか」

「望みか･･･。俺には愛する妻が出来た。彼女は奢り高ぶった俺に、愛というものを教えてくれた。望みがあるならば、これを、この愛の素晴らしさを誰かに伝えたい。例えば、はるかなる場所も、時間も超えて」

マイアーはそこで目が覚めた。隣にいるスクリはまだ眠っている。そして、起きたマイアーはまず自分の目を疑った。家ではなく神殿のような場所にあるベッドに、自分とスクリが横たわっている。マイアーはベッドから起きて辺りを見渡すと、更に不可解なものを発見した。
カラステング、セイレーン、サンダーバード。三人の魔物が床に倒れていた。マイアーはここがどこなのかも、彼女達が何者かも分からない。だが何をすべきかは全て理解した。

「なるほど、この者達に、存分に誇ればいいと。そうだ、俺は今よりマイアーではない」

「我が名は･･･愛の使途、アモル！」
　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　　ＴＯ　ＢＥ　ＣＯＮＴＩＮＵＥＤ

■作者メッセージ
実は邦子に見せかけたＬＩＶＥＡＬＩＶＥパロだったのさ！