読切小説
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救われた命
ああなぜ、なぜわからぬ
世の中これを生業とするものなど、山ほどいるのに
なぜ私がそうなれぬ


授業終了のチャイムが鳴り静まり返っていた教室がざわめく中で、未だ自分の席に居座り難しい顔をして本を読む少年がいた。
「ほれみろ、また首席に居座ってるぜ」
一人の男子生徒が少年の座った席を指差す。
首席といっても、別に今は試験の順位が張り出される時期ではない。しかしその時期では、かの少年はあらゆる科目において常にトップの位置に座していた。そしていつの間にか彼が常に座っている席が首席と呼ばれるようになっていった。
「神崎、面白いか?ずーっとそこにいてよ!」
神崎と呼ばれた彼が本に向けた視線のまま男子生徒を睨みつける。読書を邪魔された怒りか、それとも「面白くない」という問いに対する彼なりの答えか。いずれにせよ、男子生徒は前者の意を汲み取ったようで、
「まあ面白いからいるんだろうな、悪かったよ邪魔して」
とだけいって教室から出て行った。
神崎遼。学校一の秀才は、そう呼ばれている。

学校帰りにコンビニに寄った神崎は珍しいものを発見した。白い腕翼とはねつきあたま、そして揺れる緑色の尻尾、コカトリスだ。自分の学校の生徒は人と魔物を問わず存在しているというが、自分のクラスにはいないし、教室を出ることも少ないので実物を見たのは初めてだった。しかしそれだけ、この目で見たのは初めてだが、魔物自体は決して希少な存在ではない。無視を決め込もうとしたとき、彼女の横を、全身を黒服で包んだ男が通り過ぎた。その間際に彼女に向かって手が伸びたのを神崎ははっきりと確認した。
「痴漢か、ご愁傷様」
そう判断しかけたが、神崎は男の手に何かが握られているのも見えた。それは装飾が多く、見るからに女物の財布だった。恐らくはあのコカトリスのものであろう。その結論に至った神崎は男に向かい早足で近づいていく。
「あ、え・・・えと、こん・・・にちは・・・」
少女の側まで近づいたとき、彼女がどもりながら話かけてきた。恐らく自分と同じ学校の制服を来ているためだろう。しかし神崎は少女の方には目もくれずその側を通り過ぎて、例の男の近くまで寄っていく、そして前触れもなく男の肩を掴み床に投げ飛ばした。
「うわっ!なにしやがんだ!」
当然ながら男が怒りの声を上げる。しかし神崎はその言葉をも無視し投げ飛ばされた男を足で押さえ私物を漁った。出てきたのは大量の財布。男物、女物、高級感溢れるものから、一目で安物と分かるようなものまで多種多様。どうやらこの男は常習犯のようだった。男は暴れようとするが、この光景をみた他の客に取り押さえられそれも叶わない。その中で神崎は眉一つ動かさずに出てきた財布の山から目的のものを見つけ出した。それは先ほど男の手に握られていたのと同じ物だった。
「これ、お前のか?」
「あ・・・わ、私の・・・」
神崎から財布を受け取った少女はあわててそれを自分の鞄にしまった。神崎はその様子を見届けると、少女も、自分が投げ飛ばした男も放置して足早に店を去ろうとする。やるべきことはすべて終えた、もう自分は関係ないとでもいうように。しかし、それを少女が遮った。
「あ・・・あの!」
神崎は少女の声を聞いて振り返る、赤い顔をした彼女がこちらをじっと見つめているその様子は普通の男性ならば度肝を抜かれるだろう、しかし当然というか、神崎はこれにさえ無反応だった。
「・・・ありがとう」
やっとのことで搾り出したような小さな声は、神崎にも聞き取とることができた。もっとも彼はやはり反応せずそのまま店を出て行ってしまった。

翌日
扉の陰からじーっと一点、いや一人を見つめる少女がいた。白い腕翼と尻尾、例のコカトリスの処女である。彼女達は見つめたものを石にしてしまうというが、不思議なことにその対象は平然としていた。もっとも少女にその意思がないので当然ではあるが。
「リーユ、あんまり見てると石になっちゃうぞ」
「ひあああああ!!」
後ろから声を掛けられ彼女は文字通り飛び上がった、コカトリスは飛べないはずなのに。振り返るとその声の主はラミアだった。
「ほんっとに臆病ねぇ、そんなだからいつまでたっても独り身なのよ」
「こ、これは・・・生まれつきだもん」
リーユがやや涙目になりながら反論した。そのときラミアが若干にやけたのを見て涙をこらえながら相手を見つめる。
「あらあらそんなに睨まないでよ、石にはされたくないわ。それよりじーっと何見てたのよ」
ラミアはリーユとおなじように教室を覗いた。
「まあ、こんな時間に教室に陣取ってるのはあれぐらいのもんよねぇ」
本を読む神崎の姿を見ながらラミアが呟いた。
「それにしても結構な目の付け所じゃない。天才、かつなかなかの容姿を持ってるわ。でも人気はいまひとつなのよねぇ、なんでかしら」
「な、何言ってるの、そんなんじゃなくて・・・」
この発言にラミアは少し呆れたようだった。
「あんたねぇ、それが魔物の言う言葉?いい男見つけたら即効誘うなり襲うなりしてこそ私らでしょうが!」
「だ、だから違うってば・・・」
「じゃあなんであんなに熱心に見てんのよ」
「・・・お礼がしたいの、昨日、スリから財布を取り戻してくれて・・・」
なるほど、惚れた原因はこれか。しかし当の本人は自分の恋心に一切気付いていないようだ。しかしこのお礼を機に二人の距離を一気に縮められるかもしれない。
善は急げ、結論が出たラミアはすぐにリーユを背を押し始める。
「それならさっさと言っちゃいなさい!さあ入った入った!」
「ちょ、ちょっと・・・!」
ラミアは神崎の下にコカトリスを押しやると自分はさっさと教室から出て行った・・・かと思いきや、外で待機し中の様子を伺っている。
一方のコカトリスはというと・・・
「あ、あの・・・」
どもったその口調、間違いない昨日財布を男に盗られかけたコカトリスだ。
神崎はすぐに気がついた。しかし今更何の用であろう、確認した限り全ては持ち主に帰ったはず。事の前後で中身が違うというのならなおのこと自分はお門違いだ。どさくさまぎれに抜き取ったとでも思われていなければ。
「えっと、き・・・昨日は・・・ありがとう」
真っ赤な顔をしてリーユが言った。
「うん・・・それだけ?」
「えっ・・・?そ、そうだけど・・・あ、ごめん、邪魔した・・・みたいだね」
それ以上何も言えず、かといってこのまま立ち去ることも出来ずにリーユはその場に立ち尽くしてしまった。
一連の様子を見ていたラミアは、謎が解けたような顔をして呟く。
「・・・人気のなさは性格か、全く計算外だったわ・・・。こりゃあ難易度高そうねぇ・・・」

そして数日後、やはり首席に陣取り本を読む神崎のもとに再びリーユがやってきた、今日はその両手(翼だが)に袋を一つ抱えている。
「やっぱり手ぶらでお礼なんてだめだわ、彼のことだし本かなにか渡してみれば?自分も同じの読めばきっかけにもなるし」
という、ラミアの入れ知恵からだった。もちろん彼女のいうきっかけというのは否定したのだが、二人をくっつけようという彼女の気迫に押し負け結局言うとおりに2冊買ってしまった。
「か、神崎・・・くん」
名前を呼ぶといつもと同じように冷たい無表情な顔でこちらを見てきた。
「あの・・・こ、これ・・・!この前のお礼に、私も同じの読んでるしどうかなって・・・」
ラミアに言われたセリフを一字一句間違えずに早口で並べたてた。これで受け取ってくれなかったら、もう立ち直る自信はない。
しかし神崎はそんな彼女の心配を覆すようにすんなりと本を受け取ってくれた。
「・・・読んでみる。」
無表情な顔に一瞬変化が訪れた気がしたが、それがどういうものかまでは分からない。
一方のリーユは不安げな顔から打って変わって満面の笑顔になり
「リ、リーユ・・・私、リーユ・イクネウっていうの・・・!」
ようやく自分の名前を伝えることができた。
神崎の方はまた表情を戻し「神崎遼」とぶっきらぼうに名乗ったところで授業開始の予鈴が鳴った。
その日の学校帰りに神崎は今日貰った本を鞄にしまわずずっと見つめながら帰路についていた。
その無愛想な性格から神崎が家族以外から何かを貰ったのは、十数年の彼の人生において初めての経験だった。
自宅に到着すると、真っ先に自室に行き袋から本を取り出した。
表紙には「恋が生命を救った」と書かれており、裏表紙に書かれたあらすじから察するに恋愛ものの小説らしかった。
一切の経験がない自分に、果たして理解ができるのか。まあ暇つぶしに読んでみるか、つまらなければそう伝えればいいだけの話だ。
そう割り切って神崎は本を開いた。そして思いの外面白かったのか、それとも、彼に何か別の感情があったのか、どちらにせよ、彼は夜遅くまでその本を読み耽り、翌朝珍しく寝坊しかけ家族を驚かせたという。

その後神崎とリーユはしばらく顔を合わせなかった。リーユはいつの間にか本心から神崎との距離が縮まることを望んで例の小説を読み、神崎もまたそれを熱心に読み続けていた。しかし学校で読んでいるものはやはりいつもの本であり、彼はリーユの前でさえその小説を読むことはなかった。
その様子が気になったリーユは意を決してラミアの助言を受けずに自分から神埼に近づいてみることにした。
「神崎くん、その・・・本・・・読んでみた・・・?」
リーユが声をかけると神崎はやはり無表情のまま振り向く。
「・・・結構面白かった。」
その言葉を聞いてリーユの顔が笑顔に変わった。
「ほ、本当!?どこまで読んだ・・・?」
神崎は鞄から小説を取り出してしおりをはさんだ箇所の内容を伝える。奇しくも、そこはリーユも今読んでいる部分でもあった。
「この本、なんか、ワクワクするよね・・・この先どうなるんだろうって・・・」
「うん、全然先が読めない」
二人はその場で続きを読みながらその後の展開を予想しあった。
すれ違い続けている彼らは幸せになれるのだろうか。
これ以上二人の仲を裂くものが出てきたりしないだろうか。
二人はあれこれ考えては期待し、あるいは不安になりながら語り合った

こうして昼休みの教室の常連が一人増えた。
いつもどおり首席に居座る神崎遼と、新しくその側にリーユ=イクネウが加わった。
それからというもの、神崎の側にいるときのリーユの顔が赤くなることは次第に少なくなった。しかし変化が大きかった方は神崎のほうかもしれない。
なんと、あの天地がひっくり返ろうと無表情を保っているような顔に、リーユがいるときに限ってほんの一瞬だが、笑顔が映るようになったのである。そしてリーユはその一瞬を決して見逃さず、彼の笑顔を捉えるたびに、少しだけ顔を赤くするのだった。
その後、神崎に異変が起きたのは数ヵ月後だった。
最近、何かがおかしくなりはじめた。体調不良ではない、身体的にはすこぶる健康である・・・はずなのに、胸の奥深くに何か違和感がある。ピースの足りないパズルのような、数字で例えるなら、98、998、あと一、二歩及ばないようなもどかしさ、そんな感じであろうか。とにかくなにもかもがすっきりしない。
そんな感触が神崎の頭を悩ませた。身体的ではなく精神的な問題だろうか、しかしそうなるとどうにも抽象的すぎて原因を調べようがない。こんな中途半端な状態が続くなら・・・
「・・・本物の病気の方が対処がはっきりしているぶんまだマシだ」
「え?何か言った?」
思わず思考を口に出してしまった。昼休みでいつものように隣にいるリーユがそれを聞きとがめた。
「・・・なんでもない」
言葉が言葉なだけにあまりいい意味にはとられないだろう。神崎はリーユから目を逸らし、鞄から彼女から貰った本を取り出して適当に広げて誤魔化した。
もちろん既に読み終えたものであるが、ある一節が神崎の視線を独占した。

―ついに、テイラーは彼女に対し自分の思いの丈を打ち明けた。その瞬間に、彼の胸の内に巣食っていたもどかしさが、それら全てが瞬く間に消え失せた―

一瞬浮かんだ荒唐無稽な考えを、神崎は即座に否定した。
「思いの丈」がこのテイラーという男ののどのような心情を表すかなど、いくら神崎といえど分かりきったことだった。
しかし一片たりとて認められるような説ではない、自分が恋心を抱いているなど・・・。
ふと、神崎はリーユを見つめ、さらに考えを巡らす。もし、万が一にもそうだとしたら、相手はこのリーユ=イクネウ以外には考えられない・・・そういえば、自分は彼女のことは名前以外一切知らなかったな・・・と。
それは神崎にとって大きな進歩だった。友人といえる存在さえ、幼い頃から一人とて出来ず、次第に諦め、遂にはその必要すら感じなくなった神埼が、再び他者との関わりに関心を持ち始めたのだ。
リーユが神崎の視線に気付き、二人の目が合った。硬直して数秒見つめあったあと、リーユが顔を朱に染めて目を逸らされた。
「あ・・・な、なに・・・?」
「いや・・・」
神崎もなぜか言葉に詰まってしまった。
リーユと真面目に向き合うのは初めてだったが、神崎さえも「可愛い」などという表現が瞬時に浮かぶほどの、実に可憐な容姿だった。
神崎は口を開き、「思いの丈」を打ち明けようとしかけたが、それはまだ神崎でさえまとめることは愚か、存在を認めてすらいない代物であるが故に、声すら出せず、彼が彼女に何かを伝えることはなかった。
神崎が、得体の知れない強い不快感を覚えたところで、授業開始の予鈴が鳴りリーユは「ま、またね」とどもりながら言って教室から出て行った。ちなみに、例のラミアはまるで進展しない二人に呆れ果て、既に教室内の様子を伺うストーカーじみた行動とは縁を切っており、その姿は確認できなかった。

神崎は帰るなり自室にこもって記憶を反芻した。
冷静に自身の今日の行動を見直すと、明らかに今までの自分なら考えられない行動があった。神崎はそれに苦悩した。
一体何が原因だ、何が自分をそうさせているのだ。
しかしいくら考えてもその結論は出てこない。苦悩するうちに小説のあの一節が脳裏に浮かんできた。
荒唐無稽とあしらったあの考えが強く思い起こされる。
神崎は「有り得ない」と必死で否定するが、その次に浮かぶのは間近で見た朱に染まったリーユの顔だった。そこで神崎の思考は一瞬停止し、先ほどの説が強く脳内を侵食する。神崎はそれらから逃れようとベッドに倒れ布団にもぐりこんだが、それでも否定する決定的な根拠が見つけられず、かといって認めることも出来ずに長い時間悩み続け、結果翌日は眠い目をこすりながら登校する羽目になってしまった。
廊下を歩いていると前方にリーユの姿が見え、あのコンビニでの事件がフラッシュバックした。
リーユは神崎を発見すると駆け寄ってきて「お、おはよう」とやはりどもりながら挨拶し、神崎は「おはよう」と静かに返した。
その直後だった。
眠気による判断力の欠如か。
はたまた、昨夜の苦悩がまだ燻っているの原因か。
神崎は

「リーユ、好きだ」

それだけ、本当にただそれだけ言ってのけた。
朝っぱらから、大勢の目の前での告白。それも一方は知らぬ人はいないあの万年首席ときた。当然辺りは水を打ったように静まりかえり、大衆の注目は全て二人に集中した。
「あ、あ・・・え・・・?」
処理能力の限界を超えた情報を突きつけられたリーユが上げる声と、茹蛸のように赤くなった顔で、神崎は欠如した判断力の全てを取り戻した。
だが時既に遅し、リーユはコカトリス特有の健脚で瞬く間に走り去ってしまった。静まり返った辺り一帯の生徒が歓声を上げる。
「ついにあの首席が!」
「俺は夢でも見てんのか!?」
などと叫び合い、ある者は神崎の肩を組み、ある者は小突きながらその場はまだ眠い時間帯であろに、前代未聞の大騒ぎとなった。
だが神崎には、それら全てが意識の外だった。
間違いない、自分はリーユに好きだと言った。
その結果、彼女は逃げ出してしまった・・・おそらく受け入れられずに。
事実だけが神崎の心に深々と突き刺さり、
また、散々悩んだあの説を、真と認めざるを得なかった。

それから数日、首席は再び神崎だけのものになった。

「おい、神崎はどこだ!?」
「さあ、珍しく教室にいないと思ったら、もうどこにも見当たりゃしねぇ」
「きっとあのコカトリスとどっかでよろしくヤってんだろ!」
ある日の昼休み、首席の周りで勝手な憶測が飛び交うも、やはり神崎の耳には届かなかった。今度は正真正銘物理的に。
その時彼は屋上にいた、とにかく今は一人になりたかったのだ。いや、いつも一人でいたのだが、今日ばかりは、誰の声も聞きたくなかった。
眼下に広がる町の景色を眺めながら、神崎は放心していた。
そしておもむろに、鞄から一冊の本を取り出した。それは神崎がいつもあの首席で読みふけっていた本である。持ち歩いてはいたが、リーユから小説を貰ってからほとんど開いていない本を、久しぶりに読もうと、すがるように本を広げる。
そこには、神崎が幼少期に父親から怪我の手当ての上手さを褒められ、それ以来ずっと志していた医者になるための知識が、事細かに綴られていた。体の構造、薬品、内科的治療、外科的治療など、あらゆる情報が存在している。
だが神崎には、その半分も理解できていなかった。万年首席、学校一の秀才と呼ばれる彼にさえも、その内容は複雑すぎて、頭に叩き込むことも困難なことだった。
神崎は思い出した、自分が最初に悩んでいたことを。本来この理解に全てを費やすはずだったのに、なぜこの数ヶ月失念していたのだろうか。
しかし、現状は一切変化しない。どれほど読み返そうと、やはり神崎には解からなかった。
なぜ、なぜわからぬのだと、ついに神崎に怒りが湧き出した。それに任せてグシャリと本を握り潰し、屋上から投げ捨てた。本は風に煽られて校庭に植えられた木に引っかかり表紙以外はほとんど敗れてしまった。神崎が怒りで荒くなった呼吸を整えると、どうしようもない喪失感に襲われた。
「リーユ・・・」
ほぼ無意識に名前を呼ぶと、赤い彼女の顔と走り去る背中が思い起こされる。神崎の喪失感が一層強まった。
「・・・さあどうだ、神様よ。もう俺には何も残ってねえぞ、友達も、夢も・・・リーユも・・・・・・満足かよぉ!!」
空を仰ぎ、天を突き抜ける大声で神崎は叫んだ。
「そんなに奪いたけりゃ、もうなにもかもくれてやる。もう俺には、用のない代物だ・・・」
全ての希望を来世に傾け、虚空へ足を踏み出そうとしたその時

「遼ーーーーッッ!!」

バタン、と校舎に繋がる扉が絶叫と共に開かれ、そこから飛び出してきた少女が神崎に突進してきた。まともに受け止めて神崎は進もうとしていた方向とは90度逸れた方向に倒れ、その上にリーユも倒れこむ。神崎の動作は思考も含めて数秒間全てが停止し、我に返った後もしばらく動けないでいた。
リーユは涙を流し神崎の顔を見つめている。顔が赤いのはもう見慣れたが、涙を見るのは、これが初めてだった。
「ごめんね・・・逃げたりしてごめんね・・・。あの後、ずっと謝らなきゃって思ってたんだけど・・・ごめんね・・・私、会う勇気が出なかった・・・ごめんね・・・!」
リーユは泣きながら、必死で神崎に謝り続けた。神崎は黙って聞いていたが、その顔には驚愕だけが浮かんでいた。
「今日こそは・・・って思って、教室に行ったんだけど・・・いなくて。それで聞いて周ったら・・・屋上に行くのを見たって人がいて・・・来てみたら、神崎くんが・・・」
神崎は自分のやろうとしていたことを思い返す。
医者を目指す人間が、命を粗末に扱おうとしていた。自分には、永久に人の命など救えはしないだろう。
結論を下し、神崎の表情から驚愕が消え、代わりに重苦しいまでの絶望が支配した。やはり、希望はもう、全て奪われてしまったのだと・・・。
冷静に力をこめてリーユをどかして立ち上がり、何も見ずに再び空へ身を乗り出そうとしたその時、リーユの口から思いも寄らなかった言葉が出た。

「神崎くん・・・私も・・・!好きだから!」

神崎の動きがまた止められ、その顔を支配するものも絶望から困惑に変わった。
ゆっくりとリーユの方を見ると、彼女はいつもの赤い顔をしながらギュッと目を閉じて神崎を見ないようにしていた。
「ずるいぞ・・・今更・・・」
呟き、静かに涙を零しながら、震える手で彼女を抱きしめた。抱きつくといってもいいほどに、強く、強く。「もう何も失いたくない」頭の中で繰り返しながら、抱きしめた。

リーユの顔が泣き顔から一転、今まで見たことのない最高の笑顔に変わったのを、神崎は見逃さなかった。
                                                       <END>
13/06/30 23:50更新 / fvo

■作者メッセージ
さて、そろそろハッピーエンドにも飽きてきたな。

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