連載小説
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血飛沫
 ここで物語は冒頭へと戻る。
 彼女、伊脳リョウコはどう自分を切り開くのであろうか。
 悲惨と絶望に包まれた彼女から湧き出るもの。
 それはあまりにも濁りすぎていた。





―――――





 薄暗い部屋の片隅に佇む彼女は見るも無残な様子で疲弊しきっており、峭刻としたその容姿は耐え難いものがある。 
 眼元は赤く脹れ、頬はげっそりと痩せこけており現役女子高生とは到底思えることができない。
 瞳孔は縮瞳と散大を繰り返しているようで焦点の合わぬその視線は表現するならばまさに「虚」そのものであった。
 虚空を見つめる彼女が見えているものは常人には見えることのない、いや、見えてはならないものが目に映っている。

 辛辣、怨嗟、遺恨、憤慨、怨恨、賊心、悪意、毒念、醜悪、惆悵、害意
 愛情、依存、執着、肉欲、独占、復讐、友愛、魍魎、色欲、快感、生死

 複雑に絡まりあった人間の負の部分である感情をその生気の孕まぬ瞳でひとつずつ紐解き、ゆっくりとゆっくりと受け入れていく。全てを受け入れられたら自分が変われるような、何もかも忘れて生まれ変われるような気がしたからだ。
 まず初めに感じたのは髄ヶ崎への友情、そして性別を越えた愛情であった。いつどんなときでも彼女はリョウコの友達でいてくれていた。それがどんなに心強くリョウコの支えになったかは言うまでもない。リョウコにとって髄ヶ崎とは全てなのだ。髄ヶ崎がいるから私がいる、髄ヶ崎が笑うから私も笑える。愛している。
 依存して。依存して依存して依存して、彼女なしでは生きていられなくなったリョウコ。命よりも大切な親友に自らの色欲に狂った醜態を晒してしまったことによる罪悪感はもうどのようなことをしても取り去ることは不可能であった。

「あへあはああは、あんなの見られたら……死しし、生きてけないあ゛ぁ゛」

 悲しく乾いた笑いが部屋を木霊する。
 右手に握り締められた短剣――短剣のような肉塊――は蠕動運動を繰り返しつつ彼女の右腕と同化している。赤と黒に彩られた刃先からはやはり灰色の液体がしみ出ているようだ。
 まさに冒涜的という言葉がピタリと当てはまる、悪意の塊のような形状である。短剣そのものに意志があるかのように、彼女の右手を操り宙に浮かせて右往左往しているようであった。
 以前よりも更におぞましさを増した短剣は彼女の右腕を覆っている。

「……死にたい欲しい死にたい欲しい、しに欲しい欲しいあっ、あはっ、えへへへうへ、あ゛ーっ」

 残りの左手で頭をぐちゃぐちゃに掻き毟る。
 これまで隠し続けていたいじめを誰よりも知られたくなかった髄ヶ崎に知られたことにより、リョウコの耐えていたものが全て決壊してしまっていた。髄ヶ崎に知られていないから今まで耐えることができていたのが、一瞬で崩されてしまったことによりもはやリョウコの中には何も残っていなかったのだ。
 代わりにあるとすれば、クラスメイト達への憎悪とブルーバタフライによる副作用のみである。
 副作用により思考を完全に性欲にしか回せなくなってしまっており、今の彼女は極度の渇望状態にある。あれほど惨たらしく犯されたというのに、今では快感が欲しくて欲しくてたまらないのだ。
 いや、与えるのだってかまわない。性に狂い、快感によがり、汗だくに塗れて交わりたいと強く望んでいた。
 それが彼女に残された最後の人間らしさというのも悲痛であるが、それしかもう残っていないのだから仕方のないことである。

 アハハハハハ
 クスクスクス
 ウフフフフ
 エヘヘヘヘヘ
 ほっこりほっこり
 ピカリピカリ
 レロレロレロレロレロレロ
 レロレロレロ
 イヒヒヒヒヒ、ヒヒヒヒ
 ヒャハハ
 ガリガリガリガリガリ
 ククククッッ
 ウヒャヒャヒャ
 がははははははh
 アハハハハハハッハハハハハハハッハハハハハハハハハハでももうだめだ

「死のう……」

「死んだら……楽になれる、よね……」

 電池が切れたかのように高笑いを止めると腰を下ろし床へと座り込む。
 
 ネチャ
 グチャ

 視線を右手へと移すと、短剣は未だに拍動しながら彼女の右手で蠢いている。時おりひき肉をすり潰したかのような不快な音が聞こえてくるが、彼女は気にする素振りすらしない。

 「パパ、ママ……髄ヶ崎さん……ごめんね。さようなら。もう、耐えられなくなっちゃった」

 消え入るような声で呟くと、彼女は異形と化した右手の赤と黒の刃を随分と細くなった左手首に突きつける。その行動に戸惑いなど皆無であった。
 何の躊躇いもなくまるで決められた一連の動作のようにスムーズな彼女の動きはある種の畏怖を感じさせる。そしてその行動を引き立てているものとして、短剣から発せられる死の臭いがそうさせている。
 腐臭とも似つかわしい死の臭い、香りはリョウコの死への躊躇いを消し去るのは造作もないことであった。
 いや、もはやリョウコにはこの死の臭いという小細工は必要ないほど死への願望、デストルドーが強まっていると言えよう。
 
「……」

 ぴと……と短剣の切先が左手首に触れる。
 唯一の金属部分であるのにも関わらず、金属特有の突き刺さるような冷たさはなく逆に温かい、いや徐々に熱いと感じるようになってきた。
 発熱しているわけでもないのに刃先に触れる肌のみが燃えるように熱い。まるで手首が発情しているかのようであった。
 男のペニスを受け入れるときと非常に似たような上気の感覚が脳裏をかすめる。
 すると体育館庫の出来事がフラッシュバックしリョウコの秘部が一瞬にして湿り気を帯びるが、もはやそんなことにはかまっていられない。頭を掻き毟り、目を掻き毟り、頬を掻き毟り、喉を掻き毟り、全身を掻き毟り、色欲の発作を落ち着かせる。





「こんどはもっと皆に愛されるように、なれたらいいな……」

 これが"生きている"彼女の最期の言葉となった。













 グッ

 そう最期に呟くと――彼女は左手首に刃を沈めた!!

「ん……はあああぁぁぁん!!♪!♪」

 短剣の刃先はケーキカッターの如くするりと左手に突き刺さり皮膚に入り込んでいく。
 ゴムのような弾力性に富んだ太い血管をゴリゴリ、グチャグチャと擦り切っていくのが感覚を伝わってよくわかる。

 ゴリゴリ、ゴリゴリゴリゴリゴリゴリ
 ぷちゃ……ぞり、ぞりぞり……ぞり

 本来ならば絶叫、もしくはあまりの激痛に気絶してしまうのが殆どであるのにも関わらず、リョウコの表情はそれとは全く正反対のものをしており恍惚と呆けていた。
 刃先が皮を突き抜ける度に鳥肌が立つ。
 血を流す度に興奮が高まる。
 皮膚をこねくり回す度に秘部が濡れる。
 自らの命を絶つという最も罪深き行為の最中、彼女はこの上ない快感を左手首から感じ取っていた。まるでそれは今生の別れを惜しみ、苦悩してきた自分を慰め労わるかのようである。
 
「うぅふぅ……はぁ……んんっ♪どうしてぇ、どうして痛くないの……」

 彼女自身でもそれはわからなかった。
 老若男女誰に聞いても刃物が体に突き刺されば痛いというのは呼吸をするぐらいに当たり前のことだ。常識、というよりも危機を察する生物的に知らなければならないことである。
 それがどういうことか、こうもありありと左手首に突き刺さっているのに痛みなど皆無であり、ありもしない快楽を感じてしまっているということに理解が追いつかなかった。
 痛みを逃れるために痛覚を遮断し、快楽の方の神経に切り替わってしまった……というのも稀にある話だが、それにしても都合が良すぎるし、まして性的興奮を感じるなど話が破綻し過ぎている。

「もっと……もっと死ぬのぉ……死にたい…………血、血ぃ」

 ザクッ
 ざすっ、ぶちぶちっ

 ―痛くない。これじゃ死ねない。だからもっと。

 単純にして明確な思考。これではまだダメだと思いさらに体を傷つけようとしたリョウコ。
 しかし、右手を引き抜こうとすると腕に力が入らないことに気がついた。いくら力を入れようともピクリとも動かない右手。
 短剣を握り締め蠕動運動を繰り返すグロテスクな右手。その姿はあまりに醜悪。刃先からはリョウコの血液と灰色の液体とが混ざり合い不可解なグラデーションを彩っている。
 ビチビチと唸りを上げる右腕。
 するとふいに肉の塊に包まれた右腕は彼女の意思とは関係なしに動き始め、血と液体を振り回しながら虚空を八の字に描き暴れている。

「ああっ♪♪もっと、もっと、も、もっとっ……きもちいぃ!死ぬのイイ!♪あはへははえはは♪」

 もはや自らの意思とは全く独立した肉塊の右腕は奇声を上げながらリョウコの体を切り刻む。
 その刃が皮膚にあたり肉を裂く度に彼女は絶頂に達しているようであった。全身は血まみれで、彼女が座り込むもとには血溜まりが形成されている。
 夥しい量の血が流れると同時に、皮膚を切りつけるごとに体内に侵入してくる灰色の液体は際限なく溢れ出てくる。それも彼女が血を失えば失うほど比例するように代わりとして体内に入っていくようだった。
 死の原液ともされる灰色の液体は今の彼女からしてみれば、甘美なシロップとなんら変わりないものなのだろう。体の細胞ひとつひとつを殺し、再生させ作り変えるように。
 自分の姿形をした全く異なる新たなる存在へと変わっているような、そんな気がした。

「……あは、ああはあは♪♪すごい……血、キレイ……あんっ」

 生命活動の限界近くまで血液を失った彼女にもはや物事を考えられるほど理性は残されていなかった。全身を刻む痛々しい傷跡がそれを証明している。
 血溜まりとなった自分の血液を舌で舐めとり、鉄の味に恍惚と酔いしれるその姿は畏怖せざるを得ないものだ。
 狂気。
 彼女もまた狂った魔力に付け込まれた狂人のひとりである。
 
「……ん、そうかぁ、最初からそうすればよかったんだぁ♪」

 再び皮膚から右腕が抜かれると、今度は右腕を真っ直ぐ水平に伸ばす。刃先は内側つまりリョウコの胸部に向けられている。
 一瞬戸惑う彼女。しかし―

 ―これならば確実に死ねる。

 そう思った彼女はこれから右腕が行なうであろう行動に全てを託す。
 今までいじめられてきて安らぐひと時など皆無であった彼女にとって、今この瞬間は安息の時とでも表現できるほどに穏やかであった。
 
「やっと休める…………きもちいい」

 最期の死の間際、そのひと時だけ全てのしがらみから開放され心が晴れた。
 しかし、もう遅すぎたのだ。
 最期を迎えると彼女の脳裏には幼稚園、小中高の思い出、父や母との楽しかった日々、そして髄ヶ崎への愛情を一通り思い出し満足する。
 これでいいのだ。
 そう一言で終わらせるにはあまりにも言葉が少なすぎるが、彼女にはこれで十分だった。




 ドスッ



 胸に突き刺さるは血塗られた短剣。
 肋骨をいとも容易く突き破り、心の臓を貫通した短剣はさらに2、3度体内でぐりぐりとねじれ、勢いよく引き抜かれた。胸の穴からは心臓のポンプに押し出され行き場のなくなった血液が噴水の如く溢れ出て、部屋中を真っ赤に染め上げていく。
 これで終わり。
 最高の絶頂を感じ取ると彼女は安らかに笑いながら床へと倒れこむ。
 自身の鼓動と体温が徐々に下がっていくのを感じながら生暖かい血溜まりへと身を投ずると、心の中で皆に別れを告げひっそりと目を閉じた。
 だが彼女にはひとつだけ確信めいたものがあった。それは、また近いうちに皆に会えるかもしれないということ。
 そのときは皆が皆、私を愛してくれているということ。

 そう確信して、
  彼女は、
   いつの間にか、
    意識を、
     失った……





―――――





 暗闇の部屋。
 壁、床、天井は血で赤く染まり惨たらしいものとなっている。いくら重篤な殺人事件だとしてもここまで真っ赤には染まりはしないだろう。それぐらい赤かった。
 部屋に横たえるは冷たくなった少女とその少女の血溜まりと赤黒い短剣のみ。
 少女が死んでから数分が経とうとしていたところである変化が現れ始めた。
 
 ずる……ずるずる……
 ズズズズ……

 何か這うような物音が聞こえる。とても遅く、不快な雰囲気にさせる粘り気のある音。
 死んだ少女は動かないので少女の音ではない。
 その音の正体――
 それは血液であった。
 部屋中に飛び散った血液が独りでに動き出し這っている音であったのだ。
 これだけ放置されているのにも関わらず、血液は一切凝固することなく液性を保っているのは不可解なことである。
 部屋の血液は一番大きな血溜まりがある少女の元へと集合しているようで、部屋中の血液が全てひとつになるとその血溜まりはより一層面積を広げ大きなものとなった。まるで血液そのものが生きているようである。

 ぴと、ぴと……

 ひとつになった血液は小さなドーム状になると死んだ少女を覆い始める。
 血液が動きだすというのも怪異であるがその血液がドーム状になるとなればそれ以上の怪異としか表すことができない。
 少女を覆った血液は全身の素肌に密着すると、ずりずりと皮膚の上を這いずり回って何かを探しているようであった。
 その何かとは、血液自身が体外に排出された場所、つまり傷口である。
 傷口を見つけた血液はすかさず傷口へと付着し体内に戻っているようであった。現に少女を覆う血液の量が徐々に少なくなっていっている。
 一度出た血液が、再び体内へと自らの力で戻っている。同時に傷口が塞がって跡形もなく消失している。
 どう考えてもありえないことだが、今ここで現実となっているのだから受け入れるしか他ない。

 みちっ……みちちっ

 血液が全て少女の体内に戻ると、またも変化が訪れる。
 次は少女自身が変化を始め出したのだ。
 蒼白で冷たくなった皮膚は再び色と熱を取り戻し始め、生気が宿り始める。
 止まったはずの心臓が息を吹き返し再度循環器としての役割を担い始めた頃、今度は少女の体の外側に変化が。
 ごくごく普通の高校生の体形である少女の体つきが変わり始める。
 やや小ぶりであった乳房は一回りも二回りも大きくなり、それでいて形は崩れていなく左右とも均等に垂れていない美乳となる。
 帰宅部で腹筋のないややたるみかけの腹はスタイル良く締まり、それでいて筋肉はつきすぎない女性らしい柔らかさを保っている。
 尻はウエストの細さとのギャップにより限りなく官能さを磨き上げた美尻。
 きめ細かな白い肌から伸びるしなやかな脚はフェティシズムを持ち得ていない者でさえも脚フェチに目覚めさせてしまうほどだ。
 普通の女子高生であった少女はこの数分でかくも美しい絶世の美女へと変貌したのである。
 
 バキバキッ!
 ずるずるずる……

 体形の変が終わったところで最後の変化が残されている。
 少女の背中、指すところの肩甲骨の辺り。
 その辺りで両側の肩甲骨が隆起し蠢き始めた。
 出ては引っ込み、出ては引っ込みの繰り返しで徐々に出るのが大きくなっていくのがわかる。まるで羽化をする蛹のようだ。

 出て……
 引いて……

 出て…………
 引いて…………

 そして最後に………………

 極限まで引いた直後、その引いた力の反動を利用し一気に伸びる!

 ブチィ!!

 大きく皮膚が伸びるとその皮膚を突き破って少女の体内、背中から新たな器官が対になって生えそろった。
 それは翼。
 蝙蝠状の翼でまるでゲームや漫画に登場してきそうな悪魔のそれとほぼ同じものである。やや異なる点は、蝙蝠状にしては翼膜が大きすぎる点くらいだが翼としての機能は十分に果たしそうだ。
 暗闇よりも暗い完全な夜色は万象を飲み込んでしまうほどに暗く底を伺うことができない。まるで少女の心の闇の深さを物語っているような気がしてならない。
 翼が生えた反動か否か、彼女の口内からは僅かにだが新たな血液が流れ始めている。
 よくよく見てみると今まで生えていた数十本の歯は抜け落ちており、代わりに今までの歯よりも鋭利で強靭な歯が美しく生え揃っていた。
 その鋭さは用意に肉を貫き引き裂くことが可能であろう。また、弾丸すらも噛み砕けるほどの強靭さも兼ね揃えているかもしれない。

 今ここに非凡な女子高生伊脳リョウコは死に、新たに生まれ変わった。
 絶大なる美貌を持ち、血の力を宿す者として。
 不死者の王ノーライフキングとして夜を統べる者、ヴァンパイアとして生まれ変わったのだ。





―――――





「……すごい……」

 その後何事もなかったかのように目覚めた彼女は、自分が生き返ったことよりもまずなによりも己の内に溢れる凄まじい力とこの上ない爽快感に感動を覚えていた。
 
 ―まだわからないけど多分空も飛べる。岩も砕ける。体も丈夫。

 自分が自分でなくなったことはなんとなく察したリョウコは、あれほど決心して死んだというのにこうもあっさり生き返ってしまって若干拍子抜けしている部分もあるが、それでもなお体の内を流れる爽快感が心地よくてたまらなかった。
 
「翼も生えてるし、すごい……悪魔みたい」

 自分の背中に生える翼をふにふにと触るリョウコ。確かに紛れもない本物の翼でフィクションを思い描いたような自分の姿に思わず息を呑む。
 長くなった脚や大きくなった胸と尻、引き締まったくびれを触り思わずにへらと怪しげな笑みをこぼし、よだれを拭き取る。
 丁度その時新たに生え変わった歯を触り、本当に自分は変わったんだと実感する。

「もう、人間じゃないんだ。……ふふっ」

 ちょっぴり悲しかったけど、こんなに気持ちがいいのならもっと早く死んでおくべきだったと適当に開き直る彼女。
 なぜ自分が死んで再び生き返ることができたのを考えてみたが、今の彼女にとってそれは悩むに値しないどうでもいいことであった。今はこの感動に酔いしれていたい、そう思うのみである。
 体が嘘のように軽くビルなんて余裕で飛び越えられそうな気がするので早速新しい肉体を試したくなるが、それよりも先に彼女にはやらなければならないことがあった。

「復讐だなんてつまらない。この素晴らしさを教えてあげればきっといじめなんて……」

 そう微笑すると彼女は適当な服をクローゼットから取り出し着始める。
 気がつけば右手は本来の普通の腕に戻っており、足元には元の形のままの短剣が転がっているだけであった。
 彼女はその短剣を再び手に持つと、上着の背中の部分を切り取りそこから翼を出して着用する。短剣は形状を変えることなく、彼女に握られていた。

「パパ、ママ、みんな……そして髄ヶ崎さん……待っててね、今行くから♪」

 くすりと可愛らしく微笑んだつもりだった。
 しかしその笑みはこの世のものとは思えぬほど凄惨であったとは彼女は知らない。
 幸せの伝道師である彼女は、同時に殺戮の鬼と化すのだから。





―――――










「パパ、ママ!見てみて!!」

「んー、どうした……って……リ、リョウコお前……」

「そ、そそそその背中の、なにそれ……」

「あぁ、これはただのコスプレだよっ♪今度学校祭で披露するんだー」

「学校祭って……先月に終わったばかりじゃない。それに、リョウコ、そんなにスタイル良かった……け?」

「いやぁ、日頃の自主トレが効いてるのかなーあはは」

「お前………………本当にリョウコか……?」

「あ、あなた!!なんてことを」

「……いや、そうだな、すまない」

「ね、ねぇリョウコ。コスプレを見せたい気持ちはわかるけど、そ、そのナイフみたいなの放してくれないかしら」

「ちょっと待ってねパパ、ママ。私言いたいことがあるの
二人はさ、人生って何だと思う?」

「唐突になんだ、授業の宿題かそれは」

「んーん、ちょっと聞いてみたくなっただけだよ。ねぇ何だと思う?」

「ちょっとリョウコ、あなた少し変よ。熱でもでてるん」

「言わないなら私が言っちゃうね。
私が思うに人生って死だと思うの。ある作家さんの言葉を借りたらこうだね。
 『人生を愛せよ、死を思え、時が来たら、誇りをもって、わきへどけ。一度は生きなければならない。それが第一の掟で、一度だけ生きることが許される。それが第二の掟だ。』
ってさ。
それに比べたら私の人生なんてホントゴミクズみたいなものだったよ。齢十そこらの女子が一丁前に人生なんて語れるわけないんだけどさ、誇れることなんて何にもないし人生を愛することなんてできなかった。だから死へ逃げちゃったんだと思う」

「リョウコお前は一体何を言っているんだ。死へ逃げただと……わけがわからない……」

「二人ともそろそろ歳も四十代半ばで人生の半分を過ごしたわけでさ。娘の私からしてみたらもっともっと長生きして欲しいんだよね。これからも家族みんなで楽しく過ごしていきたい」

「え、えぇそうね、私たちももっと長生きして頑張ってみるわ……だ、だからそのナイフを」

「それじゃダメなのママ。生きてるものはいつか必ず死んじゃうんだよ。一人残される私の身にもなってよ。
……だからね、私考えたの。生きててダメなら死んじゃえばいいんだっ、て♪」

「リョウコ、その考えは狂っている。とりあえず落ち着け、な?落ち着いてナイフを落として……よく考えようか」

「おかしくないよパパ。死ぬってことは素晴らしいことなの。すっごい気持ちいいんだよ、清清しいんだよ、元気になれるんだよ。
大丈夫、パパもママもみんなも死なせてあげるから。そしたらこの気持ちよさがわかるはずだから。ホラ、この刃先からね、どろどろ流れる液体あるでしょ?これすごい気持ちいいんだから。
だから早く……死なされてっ!」

ドスッ

「うぐっ……!!リョウ……コ」

「あ、あなた!!」

「けいさ、つ……でん…………わ………………」

「ママ、警察なんて呼んだら面倒くさいよ?やめようよ。大丈夫、怖くないよ、痛くないよ。死ぬだけだから。
後でまた会えるんだから、それからはいつまでも死なずに暮らしていこうよ」

「ご……ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……
リョウコ、ママにはあなたの苦悩はわからないけど、何か辛いことがあったのよね。それで追い詰められて心中しようとしているのよね。
ゴメンねリョウコ、こんなになるまで気が付かないママでゴメンね……」

「ううん、ママのことを嫌いになったりしないよ。だから死んで、ね?」

ザクッ

「……!!ぁ……あぁ…………リョウ、コ……あな……た……………………」

「ママ大好き。パパも大好き。後でまた会おうね」
















ピンポーン


「はいはーい(ったく誰よこんな時間に)」

「あの、すみません脾山さんのお宅でよろしかったでしょうか」

「そうですけど、一体何の用で?(うわ、すっごい美人)」

「息子さんと同じクラスメイトの伊脳と申します。あの、今日脾山さんのお宅でお泊まりする約束をしていまして……」

「あらあらまあまあ!!どうぞどうぞ上がってって、部屋は二階の突き当たりだから(あの子いつの間にかこんなにかわいい彼女作っちゃってもう!)」


ガチャ……

「げ、母さん、ドア開けるならノックぐらいし……て…………」

「こ、こんばんわ脾山くん……なんだか男子の家って緊張しちゃうね♪濡れちゃう」

「お、おまっ……!?伊脳……伊脳リョウコなの、か?」

「そうだよー♪やっぱりみんな驚いちゃうんだ。そんなに変わったのかなぁ」

「いや、おかしいおかしい、本物の伊脳リョウコはこんな抜群なスタイルはしていない。現に今日アイツの裸を見たんだ、お前のそのスタイルとはかけ離れ過ぎている」

「んふーそうだねぇ。んじゃ、皆に犯されたから女としての私が目覚めたとか……ダメ?」

「それを知ってるってことはやっぱお前本物の伊脳なのか。まさかアイツが送り込んだ刺客とかじゃないだろうな」

「違うよ!正真正銘私は伊能リョウコですってば!もうっ!」

「そう騒ぐな親が来る。んで、俺のとこへ来たってことは写真のことについてだろ?お前が来ることぐらい大体予想はしていた」

「いや、写真はもうどうでもいい。ネットに流すなり学校にばら撒くなり好きにしていいよ」

「うんうん、お前がそこまで写真のデータを取り返して欲しいなら……………………って、はぁぁ!?」

「もうそういうの興味ないから。私はね、いじめなんかよりももっと素晴らしいことがあるってことを伝えに来たんだ」

「いいのかよ、そんなことしたらお前の大好きな髄ヶ崎がいじめられることになるんだぞ!?お前それで嫌じゃないのかよ」

「んーとだからね、髄ヶ崎さんがターゲットになるうんぬんよりもまず根本的にいじめっていう存在をなくしたら怯えることなく過ごせるんだよね。
けど、いじめを無くすのって難しいでしょ?だからいじめよりも素晴らしいものを発見した私は皆にこれを伝えたくて回っているの」

「わけがわからねぇ……他人に相談するって選択はないのかよ」

「ないね。私が抱える問題は私自身が解決しなきゃ意味ないからさ。それに髄ヶ崎さんって何でも他人の為に尽くしたがるから、いじめられてるなんて言えなかったんだよね」

「はぁ……そういうことかよ、これじゃいくらいじめてもダメだったってわけか」

「そういうこと♪だから髄ヶ崎さんだけには知られたくなかったのに脾山くんったら写真送信しちゃうんだから」

「ふん勝手に言ってろ。
で、さっき言ってたいじめよりも素晴らしいものってなんだよ。回ってるって事はもう皆のところには行ったのか?」

「んーん、まだだよ。脾山くんはクラス委員だからなんとなく最初に来ただけ。出席番号順とかでもよかったかもねー」

「……」

「もったいぶらずに言えって?えへ、怒られちった♪
ええとね脾山くん。脾山くんってさ、死って何だと思う?」

「死?死ぬってそりゃ……死ぬしかねぇだろ。
はっ!まさかお前、いじめに耐えかねて自殺しようと……」

「あはは、もう死んでるから自殺なんてできないよ」

「伊脳って結構面白い冗談言うんだな」

「冗談じゃないよ。私もう死んでるからうふふふふ」

「…………いじめすぎてとうとう壊れたか」

「ふふっ、つい面白くって♪
『千年後にも人間は「ああ、人生はなんというつまらないものだろう!」と嘆きつづけるにちがいない。
そしてまた同時に、今とまったく同じように死を恐れ、死ぬことをいやがるにちがいない。』
私の言葉じゃないけどさ、結局死ってどんなに時が流れても語り継がれる歴史みたいなものだと思ってるんだよね。作家とかでも死後有名になるとかよくある話でしょ?
いじめなんて自分の生きている間、そして死んだ後の時間も考えるとほんの僅かな取るに足らないただの出来事なんだよ。そんなくだらないことにうだうだ考えているのがもったいないと思ってね。
ねぇ脾山くん。死ぬのってすっごい気持ちいいんだよ。
手千切れてぶしゃー!とかさ、内蔵掻き混ぜられてどろっどろになるのとかさ、見てるだけで興奮してきちゃうんだ。そして、その快感を一番味わうことができるのが死なんだよね」

「お前……なんだその、目の色……あ、あか……く」

「セックスが性の快感だとしたら、死は生命の快感とでも言うべきなのかな。セックスも死も与えるのと受け入れるの両方が気持ちいい。
人間はみんな死を恐れすぎなんだよ。人は死を受け入れることによって次の段階へと進めるもの。脾山くんも死を越えたいとは思わない?」

「!!!……な、なんだ、お前やっぱり、報復しに来ただけじぇねぇか……
そのナイフで俺を刺すのか……?か、考えてみろ、お前すぐ捕まっちまうぞ」

「違うよ脾山くん、報復じゃない。言ったでしょ私は伝え回っているって。死の素晴らしさをみんなに伝えるためにって。
でも、こう喋ってるだけじゃ伝わらないからさ、やっぱり実際に体験してもらわないと感想を聞けないじゃん」

「ハ、ハハ……なんだよその赤い目……なんだよその背中の翼……何だよコレ!!」

「大丈夫怖がらなくていいんだよ。私も最初は戸惑ったから」

バキッ

「フーッ!フーッ……や……やめろ!!死だかなんだかよくわからんが俺はまだ死にたくないんだ!そんな勝手な理由で死んだたまるか!
俺だって……俺だってやりたくてやってるわけじゃ……!」

「痛っ〜い。レディを殴るなんてそれでも男子?それなら私だって仕返しするよっ」

ガッ
ボグンっ!!

「っあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ぎい゛ぃぃいい゛!!!」

「あっ、あれっ?軽く腕握っただけでちぎれちゃった」

「ん゛ぐぅう゛っぅぅうう゛う゛……!!」

「ごめんねっごめん、脾山くん痛かったよね、今楽に死なせてあげるからね。そしたら後でまたお話いっぱいしようよ。意外と脾山くん、話してみたら気が合いそうだし」

「あがっ……い、いのう゛っ、やめ、て……くれ……死にたく……」

「ナイフさんナイフさんお願いします、脾山くんを立派に蘇らせて下さい。
……ああそうだ『嘆きのタナトス』ってちゃんと名前あったんだっけ。
タナトスさんタナトスさんお願いします、貴方の素敵な力で脾山くんを素敵にして下さい……っと」

ドスッ

「うぐっ……」

「あははっ♪血すごいよ脾山くん、まるであれだね理科でやったアンモニアの噴水みたいだー♪
んくっ、んくっ……脾山くんの血美味しいよ」

「……あ…………う………………」

「喋ると辛いから黙ってていいよ。しばらくしたら世界が違って見えてくるはずだから安心して死んで♪
脾山くんが寂しくならないように親も一緒に死なせてあげるから」

「…………………………………………………………」

「脾山くんだったら私の召使に相応しいかもね。早くインキュバスにしてあげたいかも〜♪
……あれ、今無意識に言ったけどインキュバスってなんだろ?なんだかすっごい気持ちよさそうなのは確かなんだけど」

「……まいっか!よし、これで一人目完了!後のこり38人かぁ〜これは骨が折れそうだ」






ヴー、ヴー、ヴー






「ん、脾山くんの携帯が鳴ってる。ゴメンね脾山くん、ちょっと拝借させてもらうよ」

「メールだったみたい。送り主は……え、髄ヶ崎さん?」

【送主:髄ヶ崎
 件名:計画について
 添付ファイル:なし
 本文:写真の確認は済ませた、計画通り実行ありがとう。でも、やっぱりあれくらいじゃダメだったみたいだ、一向に私に連絡をよこしてこない。
 新しい計画が練れるまであなたたちはこれからもいじめを継続していて頂戴。それなりの報酬をはずむからよろしくね。そうみんなにも送信しておいて。
 くれぐれもやめたいだなんて思わないで。あなたたちはみんな私を慕って頼りにしてくれればそれでいいんだから。私を頼りにしてくれているだけであなたたちは社会的に死ぬことはないんだから】




「ふぅん…………そっか。待っててね髄ヶ崎さん。大好きな髄ヶ崎さんは最後にしておくよ」

「さて、じゃあ次は誰にしようかな。早くみんなを死合わせにしてあげたい!」
13/03/25 12:32更新 / ゆず胡椒
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■作者メッセージ
今回で終わると思いましたが区切り的に次回を終わりにした方がよさそうでしたので分けましたすみません。

前回、前々回と人を選ぶ内容でありますが今回でさらに人を選ぶ内容になりそうです。
それでも呼んでくれている人がいる限り筆の手は止まりませぬよ。
次回でやっとエロと百合とを出せそうな気がします。

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