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自由の罰
 独房と看守室との間の長い通路。
 三人は対峙していた。正確に言えば、二人と一人が対峙している、と言った方が良いだろう。

「で?こりゃ一体どーいうことなんだ?ちゃんと説明してくれよオイ」

 二人の眼前に立ちはだかるその姿は紛れもなくもう一人の執行人。
 ミック・ハインリヒ。
 ロズの同僚にして上司であり、地下牢全域の責任者。その男だった。
 彼は腕を組み、煙草の吸い殻を踏み、二人の征く手を阻むかのように仁王立ちしている。普段ロズが目にする飄々とした雰囲気は皆無であり、ビリビリと気圧されるような威圧が彼から発せられていた。
 身長はロズよりも低く、筋力も到底及ばない。しかしそれでも彼の気迫は二人を飲み込むには十分すぎるほど強力であり、陰湿である。

「ミック……なぜここにいる。お前は今日式典に出席していたはずだ」

「あーそうさ。ンだけどなんつーか勘みたいなモンが働いてよ。こっそり途中で退席させてもらった」

「なんだと……」

「お前、カティアちゃんに対して前から様子がおかしかったからよ。トチ狂って執行しないんじゃないねーか怪しかったからこうして戻ってきたってワケ」

 そう言うとミックは腕を組みながら足を動かし、二人の方へとゆっくりと近づき始めた。
 今のミックの目はいつものお調子者の目ではなく、仕事の時の冷淡な執行人の目をしている。

「カティア、下がってろ」

 ロズはそう言い、自らの拳を構え臨戦態勢に入る。人の骨を容易く粉砕する力だ、たとえそれがミックだとしても例外ではない。
 カティアに危害を加えようものなら鋼鉄すら窪ませる鉄拳で殴打する。ロズはその気だった。

「おいおいそんなに殺気立つなよ。俺ァお前と殺る気はさんざねぇ、っつーかこっちから願い下げだ。俺がお前に勝てるわけないだろ?」

「それはお得意の嘘か?」

「あぁそうだ嘘だ。多分な」

 両手を上に広げヘラヘラとしながら近づくミック。
 しかしロズは拳の構えを解くことはなく、依然としてミックを睨み続けている。ロズは知っているのだ。この男がいかに油断のできぬ男だということを。
 真意が掴めぬ紙のような男であり、そして紛れもなくクズなのだ。

「俺はただ質問をしに来ただけだ。お前はそれに答えるだけでいい」

「答えられるものなんだろうな」

「そりゃそうさ、そうでなきゃ質問の意味がない。おおっと嘘はつくなよ?俺に嘘が通用しないことはお前が一番知ってるはずだ」

「嘘が得意なヤツがよく言えたもんだ」

 会話の内容とは裏腹に、二人の間にはとてつもない圧が発せられているのをカティアはその後ろから見つめていた。
 そして彼女は思っていた。これはただの執行官が発せられる気配でない、卓越された訓練の元で繰り広げられる軍人のモノに近い気配だと。
 元義賊風情の私が介入できる余地などありはしない、と。

「まー、その、なんだ、面倒クセェから単刀直入に聞くわ」

 頭をぼりぼりとかきばつの悪い表情をしながら口を開くミック。
 その次の瞬間、彼の纏う気配は完全に変わったたことを察したロズとカティアは思わず背筋を硬直させた。

「どうしてカティアちゃんが生きてるんだ?どうして二人揃って看守室に向かってるんだ?ちゃんと、俺が、納得するように、説明してくれや。しろ」

 いつものちゃらけた様子の彼ではなかった。その目は犯罪者を相手にする時と全く同じものであり、ロズが今まで仕事中目にしてきながら自分に対しては一度も向けられることのなかった目だ。
 その目が今、自分とカティアに向けられている。その状況が何を意味するかは語るに及ばず、というところであろう。
 ミックの問いかけに対しロズは数秒思考を巡らせる。回答の質によってこの同僚は何をしでかすか予想がつかないからだ。長年共に仕事をしてきた仲であってさえも、彼の真意を読み取るのは至難の業であった。
 そうして数秒、ロズの中では体感時間では数分と経過しているだろうが経過し、臆せず答える。
 
「俺はあの斧で……免罪斧で刑を執行した。そうしたらこうなっていただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
 
「ふーん、ヘェー、ほー、そうかそうかそりゃまた……」




「なめるなよ阿保が」




 ――視えなかった。
 ロズは一瞬たりとも彼の姿から目を離していたわけではない。それでも視えなかった。
 両手のひらをこちらに向け上げていたその片手にはいつの間にか拳銃らしきものが握られていたのだ。
 拳銃。最近になって開発された、剣や魔法の時代を終わらせるだとか噂の兵器。それが今、ミックの手に握られている。鉄の塊を超高速で射出し相手を打ち抜く、弓やボウガンよりも手軽で殺傷力の高いといわれる代物をロズは初めて目の当たりにした。
 動作は見えず、物音すら感じることはなかった。これは手品でも魔術でもなんでもない。ただ、彼の”懐から拳銃を取り出す”という作業が速すぎただけなのだ。
 そうして彼は、今度はあえて見せつけるかのようにゆっくりと撃鉄を起こし、その音を聞かせてやった。

「どうにも附に落ちねぇ。お前は嘘を言うような男じゃない。だが……それじゃカティアちゃんが生きている理由が矛盾している」

 緊張が走るロズ。
 さすがのロズもこの至近距離で打たれれば回避は不可能だろう。
 もしくは後ろのカティアに当たってしまうかもしれない。

「殺る気はない……んじゃなかったのか」

「嘘に決まってんだろ察しろ。正確に言やぁお前の回答次第、って奴だが」

 やはりこの男の真意は掴めない。再度実感するロズであるが今はそんなことを思っている場合ではなかった。
 下手なことを言えば本当にこの男は打ちかねない。躊躇なく、事務的に、冷徹に引き金を引くだろう。
 しかしロズは元来口下手である。それは己も重々承知していた。
 今この状況を打破できるほどの言葉を思い浮かべられるほどの舌は持ち合わせていなかったのだ。
 ロズは考える。冷や汗は頬を伝い、雫となって足元の錆水へと落ちてゆく。
 睨み合う二人に沈黙が流れる。
 
「……ロ、ロズの言っていることは本当だ!」

 その沈黙を破ったのは後ろで控えていたカティアだった。
 思わずミックは視線をカティアに映し、ロズもまた後方を振り向き彼女を見る。
 続けて彼女は言った。
 
「私はロズに死刑執行された。斧で首を切断されたんだ。この姿を見てくれ」

「カティア、お前」

「私にできることと言えばこれぐらいしかない。せめてこれでわかってもらえれば……」

 彼女は自らの頭部を持つと、それを思い切り頭上へ持ち上げ、外してみせた。
 自らの頭を首から切り離すという、生身の人間ならば不可能な芸当を彼女はいともたやすくやってのけたのだ。断面からは紫色の煙が漏れ出し、辺り一帯を漂っている。

「なっ……!!カティアちゃん、その首は……」

 その光景を目の当たりにしたミックはしばし唖然とし、拳銃を握る手から力が抜け落ちる。
 人の首が飛ぶという光景は幾度となく目の当たりにしている彼でさえも、首が飛びながら生きているという状況は経験したことがなく驚愕しないわけがなかった。
 ロズは畳みかけるように言葉を切り出す。

「正真正銘カティアだ。本物のな。ただ……もう人間ではない。死にながらにして生きている、アンデッドになったカティアだ」

「首を切り落とされて私は一度死んだ。そして新しく生まれ変わって今こうして生きているんだ。どうしてこうなったかと言われればうまく説明はできないのだけど……わかってくれないだろうかミック執行官」

「……これが真実だ。俺は免罪斧で死刑執行した。そうしたらカティアがアンデッドになって蘇った。だから俺たちは罪を逃れるために逃げようとしている」

 ロズは意を決してミックに投げかけた。
 彼の姿を凝視していると、拳銃を握る手はカタカタと震えだし、それに連なるように肩や体全体も震え始めているようだ。
 顔を見ると……何やら笑っているようである。

「あの斧で執行……?デュラハン……?ハ、ハハ、ハハハハハハ!!
なるほどそういうことか!!ハハッ、こりゃ一杯食わされたぜ、俺も、お前もなぁ!」

 彼の笑い声が地下通路全域に響き渡る。
 今までの雰囲気とは一変、彼の纏う気はいつものように飄々としたものへと変わり、気が付くと拳銃はその手に握られていなかった。

「斧が呪われた道具だと知らずそのまま執行してカティアちゃんが魔物化。魔物化をさせて執行を逃れようとした冤罪から逃げるために今こうして地下通路を歩いている……そういう算段か?」

「概ね、というかほぼそうだ。察しが良くて助かる」

 ミックはクククと笑いながら、別の懐に手を伸ばし煙草を取り出し吸い始めた。
 灰色に煙に紛れ彼の表情が見えなくなる。

「フゥー……俺ら執行官の仕事はあくまで死刑囚の管理、及び執行の完遂までが業務だ。その後の死体処理は俺らの仕事じゃない。知っているだろうロズ?」

「当たり前だ。それが執行官の仕事だからな」

「んじゃあ、そういうこった。お前はちゃんと仕事をこなした。カティアちゃんをぶっ殺して、その死体を処理しようとしている。何も問題はないよなぁー。死体が喋る?魔物化?俺は何も見ちゃいねぇぞ」

「ミ、ミック執行官……」

 悪知恵の働いた、狡猾でしたたかな笑みをこぼすミック。
 それが何を意味するかを理解した二人は顔を合わせともに頷く。
 カティアはロズの隣に並ぶと、二人で手を取り合いミックの正面に向かい合った。

「確かにお前は執行を完遂した。責任を果たした。もし仮にお前が執行にビビって一緒に脱獄しようとしていたのなら俺は躊躇なくそのドタマをぶち抜いていたところだ。
……だが、罪を逃れようとしているのは流石に見逃せないぜ。何しろ俺が納得してない」

「ミック、そこをどいてくれ。俺たちは二人でこれからを生きていく。過去に囚われることなく、未来に生きると決めたのだ」

「俺ら執行官には転機なんてものはねぇ。ドラマチックな展開とか、劇的な状況とか、そんなモンはなくていい。ただ言われるがまま、人を殺し罪を裁く。それが執行官というモノだ。お前はその生活に不足ないと言っていたじゃねぇか」

「確かに俺は執行官という仕事に誇りを持っている。だが、それ以上に大切なものが見つかったのだ。命にも代えがたい大切なものを」

「その行為がお前の今まで過ごしてきた人生を否定し、誇りを踏みにじる行為だとしてもか?」

 彼はロズを確かめるように問いただす。
 ロズはミックに言われたことを受け止め、そして清算した。
 今までの自分は家族殺しという罪に縛られていた人形のようなものだったのだ。ただ仕事をこなし、ただ毎日を送る。感情の起伏はなく業務を遂行するのみ。
 それが執行人としての誇りある仕事と思い込んでいたのは、罪の意識からなら懺悔の他ならなかったのだろう。
 だが今は――
 今はもう違う。
 彼は見つけたのだ。過去の罪を清算して、新たに守りたいものが。

「俺はもう振り返らない。失った過去はもう戻ってこない。ならばこれから、過去を繰り返さぬよう全てを守る。守ってみせる。そしてカティアを愛し続ける」

「私もロズと共について行く。たとえどんな目にあおうとも彼を愛し隣にい続ける」

 決意を固くするロズとカティア。
 その姿を見たミックは思わず咥えた煙草を落とし、その足で踏みつぶすことも忘れていた。

「……ッケ。甘ェな。砂吐いちまう。てめぇそんな顔もできたのか……まったく……」

 ミックはそう言うと、おもむろに壁の方へと歩き始めた。
 そうして彼は壁を一度コツンと叩くと、何やら装置が作動し始め頭上から一本の管のようなものが降りてくる。
 ロズはその装置に見覚えがあるようで、再び身構えると同時にカティアの手を強く握り身を寄せ合った。

「わぁーったよ、お前たちの熱意に負けた。好き勝手出ていくといい。ただしタダで出すってほど人生甘くはねぇ。これが最後の試練だ」

 ミックは天井から垂れ下がる一本の管を掴み、思いっきり引っ張ると――




 ジリリリリリリリ!!!




 稲妻のような激しい音が地下牢、いや国全土に響き渡った。
 警鐘だ。何か重大なトラブルがあったときに限り緊急的に使用が許可される、非常事態警報がけたたましい音を鳴り広げていた。
 続けてミックは拡声器を口に当て、こう言った。


『緊急警報、緊急警報。
こちらミック・ハインリヒ執行官。
ロズ・オーンス執行官がカティア死刑囚を連れ脱獄した。脱獄した。
二名は西門へと逃亡中。西門へと逃亡中。至急西門の警備を固め、二名を捕らえよ。
繰り返し通達。ロズ・オーンス執行官及びカティア死刑囚二名が西門へと脱獄。見つけ次第即刻捕縛せよ。
この警報は国全域に通達している。市民たちは安全のため一歩も家から出てはならない。これは国からの命令である。決して家から出てはならない』

「……ま、そういうこった。いきなりいなくなったお前らの説明を上層部に連絡するのがメンドクセーのよ」

 彼はどこまでもしたたかであった。
 自らの保身を考えつつ、いかに安全に穏便に過ごすことができるか。その結果がこれだ。
 上層部への説明の仕方によっては彼が脱獄の手助けをしたと疑われてしまう可能性がある。
 だから彼は”既に脱獄した”ことにしたのだ。自らの手助けの介入はないものとしてあるはずのない結果を生み出してしまう。
 利己的で合理的でもあり小賢しい極みである。

「脱獄を許したからちっとばかし階級は落ちるかも知れねぇが……ンなもん別にどーだっていい」

「ミック、お前……」

「るせーな、俺の気が変わらんうちにさっさと行け。行っちまえ馬鹿野郎どもが。東門から逃げろよ」

 彼は悪態をつきながら、壁にもたれかかり道を開いた。
 その顔は機嫌の悪そうな目つきをしつつも、どこか嬉しそうな、そんな表情だった。
 煙に巻かれ薄暗い地下通路では表情は確認することはできないのだが、確かにそう見えたのだった。

「……恩にきる」

「ミック執行官殿。本当に世話になった……なりました。私のようなものに対しここまで施してくれるとは感謝してもしきれない。この恩はいつか必ず…………」

「いーや返さなくていい。あー、うん、ってかもうぶっちゃけ二度と俺の目の前に姿を現すな。お前たちはこんなところにいるような奴じゃねぇんだよ」

「……ミック、今まで世話になった」

「じゃあな、もう一生会うこともねぇだろ。もし次に会うことがあったとしたら、それは俺がお前たちを処刑するときだ。そうなはってくれるなよ?」

「ミック執行官……」

「行くぞ、カティア」

 ロズはカティアの手をぎゅっと握り、彼女もまた握り返す。
 そうして二人はミックに別れを告げ共に走り去ってゆく。決して振り返ることなく、足を止めることなく。むらがるネズミを蹴散らし、錆水をかき分けながら出口を目指して地下通路の暗闇に消えていった。

「行け。お前たちは脱獄した。その罪状は【自由】という罰をもってして償うといい」

「その罪は……裁けねぇな。俺が裁くにはちと重たすぎる」

 二人の姿が見えなくなった頃、ミックは走り去った方向に向かって呟いた。 
 壁にもたれながら、満足げに。





―――――





 時刻は深夜、未明。
 二つの影が町の裏通りを通り抜ける。
 一つの影は身のこなしが軽やかでこの状況にとても慣れているような動きだった。もう一方はただでさえ大きな体を隠しながら、慣れない隠密行動が拍車を立ててぎこちなくしている。
 それでも二人の姿が人目につかないのは深夜ということ、大雨ということ、そして先ほどの警報の通り町の通路には通行人は誰一人として存在していなかったからだ。
 時折見かける人といえば西門へと向かう兵士くらいである。
 ロズとカティアはその兵士らとは真逆、東門へと足を進めていた。

「流石っ……元義賊だな。まるで猫みたいだ」

「そう言うロズは飼い慣らされた番犬みたいだぞ」

「あながち間違ってはいないが……む、カティアそこの角を左だ」

 カティアがその身のこなしで先を進み、ロズが道誘導をする。そうして町の入り組んだ裏通りを通り抜けていっているところだった。
 長年親しんだ町ともこれで最後となると若干の寂しさを感じさせる。だがロズはそれよりもこれから始まる二人の生活が楽しみで仕方なかった。薄暗い地下牢とは違う、光ある太陽の下で胸を張って堂々と生きるのだ。
 それはカティアも同じであった。自らの血塗られた過去も知らぬ、魔物であっても差別なく暮らせる地への逃避行。その希望が二人を昂ぶらせる。

「カティア、寒くはないか」

「ん、平気だよ。このコートが意外と雨を弾いてくれてね」

 さすがに囚人服のまま外に出るのは無謀すぎると思ったロズは脱獄する手前、看守室からコートをくすねていたのだ。国より正式に支給される特別仕様の制服は雨風を防げ、防寒対策の整った丈夫な素材で作られていた。

「首もちゃんと固定しておけよ。万が一取れたら洒落にならん」

「わかってるって」


 1時間が過ぎ、2時間が過ぎ……
 
 深夜の逃亡を繰り広げていたが、ふと空を見上げると、暗黒だった空は黎明に染まりつつある。夜が明け始めていた。
 時折通る兵士をかいくぐり、避けられなければ衝突、気絶させ東門へと急ぐ二人。
 西門へ兵士が集まっている今が最大のチャンスなのだ。この機を逃したら恐らくもう二度とこの国から安全に出る手段はなくなるだろう。そうなれば完全に終わりである。
 二人は捕縛され、処刑される。それだけは絶対に避けなければならない結末だ。

「カティア、止まれ」

「!!どうしたのロズ」

「……この道を突っ切ると大きな街道に出る。そうしたらもう東門は目の前だ」

「それ以外に道は?」

「ない。東門へと通ずる道はその街道だけだ。正面突破、ということになる」

「……ふふっ、義賊時代だったら絶対通らない道ね」

「だろうな。だが、そこしかない。行けるかカティア」

「もちろん。ふたり一緒ならどこだって私たちは行ける。そうでしょ?」

 ロズの問いかけに彼女は迷うことなく即答してみせた。
 もはや彼女を縛るものは何もないのだ。錠を外され、地下牢から脱獄した彼女を止めるのは至難の業であろう。
 そしてカティアの問いかけに対して、ロズもまた即答する。

「当たり前だ。カティア、見張りは何人いるかわかるか」

 彼女は建物の陰から身を乗り上げ、向こうからは気付かれない角度から偵察している。
 夜明けと言いつつもまだ視界は深夜と変わらないほど暗闇に包まれている。それでも遠目から人数を確認できるのは義賊時代に鍛えられた夜目のおかげだ。

「兵士が3人、あと街道を歩いている一般人らしき人が1人いるね」

「一般人だと……さっきの警報は聞いていなかったのか」

「さぁ……どうする?」

「もうここまで来たんだ。一般人は無視して兵士3人を無理やり突っ切る。3人程度ならなんとかなるだろ」

「私も手伝うよ」

 ロズは腕の骨をボキボキと鳴らしウォーミングアップを行っている。無論、彼とて無理に争いを起こす気はない。しかしここは避けては通れぬ道なのだ。

「一度走り出したら決して止まるな。東門を抜ければあとは逃げるだけ、ここが正真正銘最後の山場ってやつだ。準備はいいか」

 カティアは前方で親指を上げる。了解の合図だ。

「出来るだけ兵士間が散り散りになったタイミングを見計らって………………」



「もう少し……」






「あとちょっと……」




「今!!!!行けるよロズ!」

 二人は走り出した。
 距離にしておよそ50m。走れば数秒の距離だ。
 この数秒にすべてがかかっている。

 まず始めに東門とロズ達が隠れていた物陰のちょうど中間地点に存在している一般人を通過する。間に佇んでいるので二人は極力避けたいと思いつつもすれ違うスレスレの所を走り抜けようと一気に加速した。
 どうやら背丈からして13、4歳前後の子供のようだ。こんな時間にしかも一人でいることが不思議でならないが今はそんなことを気にかけている場合ではない。
 ロズとカティアは二手に分かれ、一般人のすぐ隣を通り抜ける。
 長いローブを羽織っておりその顔をうかがい知ることはできなかったが、特に呼び止められることもなくそのまま通過できそう――――





「ご利用ありがとうございました」






「……?」

「ロズ?」

「む……いやなんでもない」

 一般人の横を通り過ぎた瞬間ふと、ロズの耳に声が聴こえた。
 か細く消え入りそうな、それでいて妖しさの孕んだ声が脳に直接流れ込んできたのだ。
 ロズはこの一般人の姿をよく見て、どこかで見たような記憶があるような気がした。しかしそれがいつ、どこで出会ったのかがさっぱりわからない。記憶の片隅にあるような気がしているのだがどうしても思い出すことができなかった。
 若干のわだかまりが残りつつも二人は足を止めることなくそのまま東門へと突っ込む。

「カティア、左の奴頼む。真ん中と右は俺がやる」

 ゴ キ リ。
 指の関節を鳴らし標的を目前に捉える。別に殴殺しようというわけではない。
 ただ、すこし、ちょっと強く殴って気絶させてやるだけだ。そう、ほんの少しの力だけでいい。後は体重と勢いを乗せて……

「ん?……………!!?!?!
と、とまっ、止まってくだ、止まってください!!ロズ執行官殿!!
止まってッ!ミ、ミック執行官が!!」

 真ん中の兵士が迫り来る二人の姿を捉え、それとほぼ同時に左右の兵士も二人の存在に気がついた。そうして彼らはロズとミックを静止させようとしている。
 だが何かがおかしい。彼らは武器らしきものを何も携帯していなかったのだ。それどころか二人を捕らえる素振りすらせず、両手を挙げて敵意がないことを証明していた。
 明らかに異質な気配を察し足を止めるロズとカティア。

「あ、ああ危ないところだった……危うくロズ執行官殿の拳で鏖殺されるかと……」

「おい、どういうことだ。お前たち、あの警報を聞いてないわけじゃないだろう。俺らは脱獄者だぞ」

 正確に言えば脱獄者はカティアのみであり、ロズは職務放棄なのだがここまで大ごとになってしまえばほとんど変わらないものだろう。

「あ、ハイ。もちろん聞いてます。そしてロズ執行官さんらが西門じゃなくて東門に逃げているというのも把握済みです。ミック執行官殿からそう聞かされていたので」

「ミックから、だと?」

「ロズ執行官殿たちを無事逃がせたら可愛い女の子を紹介してくれるってんで俺ら3人とも西門に行かずここでロズ執行官殿たちを待ち構えていた、というわけであります」

 一人の兵士がそう言うと、徐に懐に手を突っ込み、一枚の紙を取り出した。
 その紙をロズに手渡す。

「ミック執行官からロズ執行官宛へ手紙を預かっています。どうぞ」

 煩雑で乱雑でミミズがのたうち回ったかのような小汚い字。間違いなくミック本人の筆跡に間違いなかった。
 後ろから覗き込むようにカティアも手紙を見る。

『お前がこの手紙を読んでいるということは、俺はお前を打たなかったということだ。折れたのだろう。誇れ、そして逃げ延びろ。
国境を越えて遥か南の地に安息の地があると聞く。人も魔物も平等に暮らし教団の監視や国の追っ手も来ることがない地だ。お前たちがそこに行くかどうかは勝手にしろ。俺はただそういう場所があるとだけ言っておく。
達者に暮らせ。カティアちゃんを悲しませるなよ』

「ミック……彼はまさか最初から」

「さぁな。アイツの真意など誰にもわからんさ。俺ですらわからなかったのだから。
お前が首を外した時アイツは動揺していた。それが演技だったのか本気だったのか……それすらもわからん」

 ロズは手紙を几帳面に折りたたむと、自らの懐に大切にしまい込んだ。
 たとえどうしようもないクズで最低の男だったとしても、彼はロズの同僚であり、上司であり、そして悪友だったのだ。

「ロズ執行官殿、カティア殿、そろそろ見張りの交代の時間になります。他の兵士に見つからぬよう早めに出た方がよろしいかと」

 根回しされた兵士たちの忠告を受け入れる二人。
 カティアは会釈し、ロズは3人の兵士たちに向かって敬礼した。

「脱獄犯を逃がすという賄賂、もし発覚した場合お前たちは重罪人になるだろう。にもかかわらず俺たちを逃がしてくれて本当にすまない。ありがとう」

「我々はうまくやりますよ。ミック執行官の入れ知恵があればどうにかなります。
どうか良い旅路を。我々はこの遠い地でお二人の無事を祈っております。お達者で」

 兵士たちもまた敬礼を返しロズ達を見送る。
 薄暗い夜明けの、しかし栄光ある門出であった。
 ロズとカティアは手を取り合い、門を出る。もう二度とこの国に戻ることはないだろう。ロズは故郷に今生の別れを告げ、一歩、また一歩踏み始めた。





―――――





「はぁ……はぁ、ここまでこればひとまずは大丈夫だろう」

 門を出て、しばらくの間は知り続けていた彼らは、後方を振り返り追手の姿が見えないことを確認する。

「思えば昨日の夜から休んでなかったんだよね……流石に疲れたよ……」

 ロズはカティアを労い、カティアもまたロズを労った。
 もはや二人に執行人と死刑囚という隔たりは存在しない。ただの人間とデュラハンという人と魔物の関係性だけだ。
 人と魔物であり、男と女であり、互いに愛する者たちである。

「南の果て、か。長い旅になりそうだ。そこにたどり着いたら、お前は何がしたい」

「どうしようかな。義賊の技を生かしてトレジャーハンターとかしてもいいかもしれないね。ロズは……うーん、木こりでもどう?」

「木こりってお前……ま、いいか。向こうについてから考えても遅くはないだろう。俺たちには時間はたくさんある」

「そうだね。たくさん……本当にたくさん。死ぬまで、いいや、死んだその後だって私はロズと共に……」
『子供は最低でも4人は欲しいよ。あ、あと大きなマイホーム買って、魔界のペットも買ってゆったり暮らすの。夜はロズと毎晩……うふふ♥♥』

「……おい、首とれてるぞ」

「ふぇあぁぁ!?いけないいけない。何か言ってた私?」

「ハハッ、さぁな。お前の本心が一番知ってるんじゃないのか」

「……♥」

「おい、どうした。何か言えよ」

「ふふっ。やっとロズ、笑ったな、って」




 二人は歩く。
 
 共に手を取り合い、夜明けの空を仰ぎながら。

 山の谷間から日が昇り、いつもと変わらぬ日が始まるのだ。

 彼らにとっては新たな一歩の始まりの日が、

 これから始まる。

 気が付けば雨は上がっていた。



 ――罪を償い、懺悔の時は終わった。罰は祝福となりて未来を照らす。罪は免れ、罰は寸断される。悔い改めたその先に奇蹟はあるのだから――
17/03/08 00:02更新 / ゆず胡椒
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