連載小説
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交易都市エル・ラルドール
 この世には勝ち組と負け組というものがある。勝ち組というのは王族や貴族に産まれたりそれらに関り合いのある者、または有力な商家の養子に迎えられたりなど世間体、将来性に輝かしい未来がある者である。そして負け組とはそうでない者、望まずして産まれた者や絶望的なまでに金銭が乏しい家庭、階級で言うところの最下層に位置する者たち。この格差が善であるか悪であるかを問うならば三日三晩語りつくしたところで結論は出ないだろう。この格差は人間によって構築され、人間とともに発展してきた言わば軌跡なのである。
 私が今向かおうとしている地もまた、人間の軌跡が色濃く残り、姿かたちを変えながら時代と共に発展してきた場所である……らしい。地底の彼女曰く、相当歴史の古い都市であり、ここら地方一帯の中では一番大きな都市なのだという。
 あれから私は10日ほど彼女の元で体を癒していた。実のところ、体中いたるところの部位が複雑骨折しており、身動きすらままならなかったのだが猪の栄養と彼女の糸による矯正、そして毎日注入される魔力(毒でもある)によりほぼ完治してしまったのである。複雑骨折が僅か10日で完治してしまうとは……まるで彼女にとっては人間の医学など赤子のままごとの如く幼稚なものなのだろうか。魔物の医療というのは実に興味深くあるものだ、いずれ時間があれば調べてみようと思う。
(しかしこの道で合っているのか……?)
 彼女の巣を出発し丸3日が経過しようとしていた。あの怪我からほぼ休むことなく歩き続けていられるのは人ならざる治療のおかげなのだろう。むしろ3日歩き続けているのにほぼ疲れることなく歩けていることが自分の身体ながら気味が悪いと思うほどである。
 古く寂れた石壁の隙間から苔がむしている。じめじめとした地下水路、足首ほどまで浸かる水をかき分けながら私はひとり突き進む。
「ニンゲンがこんなところで一人!!珍しい!!イタダキマスしてもいいか」
「もし……差し控えなければ精液を少しいただければ……あわよくば妻として」
「んっん〜イイニオイしてる貴方、アタシとどっちが香しいか勝負しない?」
道中すれ違うスライムやワーバットがいつ襲いかかってくるか気が気でなかったが奇跡的にも私は難を逃れている。何故かはわからないが彼女らは私を狙いこそすれど、襲いかかろうとはしてこなかった。
(……ここまでくればあともう少し、だったか)
 彼女から教えてもらったことを思い出つつ私は足を進める。


   ◇


「よもやお前自ら危険を冒すとは思わなんだ。お前のような人間は危険からいち早く遠ざかる気質かと思っていたが」
「私自身もそう思う。しかしここで立ち止まっていては限り少ない時間を浪費させるだけだ」
私は記憶の手がかりを少しでも多く集めるため地上へ戻ろうと準備をしていた。手記の復元を待ち続けていたら私の記憶が戻るのはいつになるかまるで分らないからだ。明日突然思い出すかもしれないし、数十年先、あるいは死ぬまで思い出せないかもしれない。それではだめだ、遅すぎる。私の成すべき偉業を待っている人がいるかもしれないと思うとこのまま首を長くして待ち続けているのはあまりに愚かである。故に私は危険を冒してでも地上へ戻る選択を取った。
「私は既に追われている身。それは常に念頭に入れて活動を行う」
「できるのか? 丸腰、人脈も無し、しかも土地勘のない見知らぬ地だ。使命感を無謀で塗り潰されるな」
「無謀か……確かにお前にとっては無謀極まりないのだろう。だが、私はそれでも知らなければならない。一刻も早く記憶を取り戻し、偉業を完遂しなければならないのだ。わかってくれ」
 失笑を織り交ぜながらため息をつく彼女。人間とは異なる感性を持った彼女には私の信念は理解できないのだろう。人間と魔物とは本来そういうものなのだ。
「ただの人間ごときであるお前に我輩からしてやれることは何もない……とは言わん。何せお前はもう我輩の下僕だ。血肉を分け精を塗り込み交わし合った、我輩の血液とお前の右腕が契約の証としてそれを物語っている」
「……というと?」
「我輩自ら特別に、汚物で石ころで虫けらのようなお前に選別をくれてやろうということだ。特別にな!!」
「そこ強調するところなのか……」
「おお、下僕の為に身を挺する我輩はまさに主人の鑑」
 さも大げさな身振り手振りでアピールする彼女。身体こそ小ぶり、華奢であるが、背中の巨鉤爪をぶんぶんと振り回すその姿はさながら回転鋸のようだ。無意識のうちに削り掘られる岩盤を尻目に私は苦笑いをする。
「ではまずは服だ。襤褸雑巾じみたその服ではあまりにもみすぼらしい、我輩の下僕として恥である。我輩の魔力と繊維を織り込んだ特別製の衣服だ、着て行け。然るべき時、然るべき法でお前を守るだろう」
「あ、ありがたい」
 想像していた以上にまともな選別で正直なところ一瞬反応に困ってしまった。彼女のことだからきっと「汚物用の消臭剤を用意してやったわククク」とか「”選別”とだけ書かれたガラクタ」を持たされるかと身構えていたのだが少し考えを改めるべき……なのだろうか。
「後は古銭でも持っていけ。いつの時代に使われていたのかもわからん物故、換金すればそれなりの価格で売れるだろうよ。我輩には必要のない物だ」
「何から何まですまない。私の記憶が正常でなおかつお前が魔物でなければ最上の謝礼を支払っていただろう」
「下僕のクセに減らず口は達者なやつめ。だがそうでなければな。何せ偉大なる我輩の原初にして永遠なる下僕なのだから。それにお前は……クククッ、似ているのだ」
「似ている?」
 錆びついて捩じれた古銭を数枚手に取り、手のひらで泳がせてながら彼女は不敵に笑う。
「ああ似ているとも。この世全てを恨み、憤怒し、絶望し尽した果てのない怨恨をお前から感じる。それは我輩が長年思い募ってきたものと同類の復讐心に他ならない。今は忘れているだけだろうが、な」
「私が……復讐……?」
 全く、これ以上ないくらいに身に覚えがなかった。今の私にあるのは記憶を取り戻したい、その一点のみである。何かを恨んでいるとか復讐したいだとかそんなこと少なくともこの場所に落ちてからは一度たりとて想起したことはなかった。
「我輩はお前のその復讐心が気に入っている。その身を燃やし尽くさんとするほどの怒りと怨みは視ているだけで心地良い」
「冗談はよしてくれ。私にはそんな大層なことを想う余裕なんてないぞ」
「冗談ではない。まだ思い出せていないことを幸福に思うか不幸に思うかお前次第だが、その身に宿す復讐はたとえ忘れたとしても消えたわけではない。お前は歩き方を忘れたことはあるか? 言の葉の発し方を忘れたことがあるか? つまりはそういうことよ」
 全く身に覚えがないのだが、彼女にそう論ざれてしまっては返す言葉がなかった。記憶を失くした私が何を言っても確固たる証拠がない以上どうしようもないのだから。
「頭の片隅には入れておこう」
「片隅で足りればいいがな」
「まったく――――ではそろそろ私は行くとする」
 彼女から貰った衣服一式を身に着け、必要最低限の道具と古銭を懐にしまいこみ一通りの準備を終えた私は洞窟の外れにある無数の穴の前に立つ。そのいずれにも彼女の糸が一本それぞれ入り込み穴の暗闇に吸い込まれていた。
「上から3番目、左から24番目、そう、その穴だ。その穴が一番都合がいいだろう。その穴を上へ上へ歩き続けると古い地下水路にたどり着く。かつて人間が使用していた水路らしいがかれこれ数百年は人間が入った痕跡がない。”人間”はな」
「待て、お前はここから出られないのだろう。なぜそんな細部まで知り尽くしている」
 ハン、とさも私に聞かせるかのような強い鼻息が私の胸元をそよぐ。恐らく私の顔に吹きかけたかったのであろう鼻息は悲しきかな私の胸元辺りで衣服を揺らしただけだった。尤も彼女自身はあまり気にしていないようだが。
「我輩は出られずとも、我が糸は目となり手となりいたる所を監視し続けている。ここら一帯の地形は全て頭に入っているのだよ」
 彼女が私に協力的で本当に助かった。この上なく頼もしい。と、口に出して言うのが下僕たる私のすべき対応なのだろうが、そう言った場合また敬えだとか勢いに任せて搾り取ってきそうな気がしたのであえて言葉に出すことはなかった。
「水路をしばらく進むと途中で木の根が水路の壁を突き破っている区画がある。次いでその根をよじ登ると幹の内側に出る。後は隙間を這いずり外に出るだけだ。理解したか? その小さな糞溜めのごとき脳に叩きこめ」
 額を指ではじかれ鈍痛が走る。ケタケタと笑う彼女の姿を見て少しだけ気持ちが緩んだような気がした。


  ◇


 迫り来る魔物たちを適当にあしらいながら水をかき分け進み続けていると、彼女の言っていた木の根のある区画に到着した。しかしこれは木の根というにはあまりに巨大である。根のひとつひとつが巨木と見まごう雄々しさでありそれを束ねる木本体はどれほどの巨大樹なのだろうかと思わざるを得ないほどだ。堅牢に積み重ねられた石材を容易く崩し堂々と鎮座しているその姿は自然の驚異そのものである。圧倒的自然はヒトの築き上げた軌跡などものともせず、ただそこにあり続ける。理屈では説明しきれない力強さがそこにはあった。
(ようやくここまで来たか)
 彼女の言うことが正しければ、外への道のりはこの根を登るのが最後の工程である。私が彼女から聞いた道のりは外に至るまでの経路のみだ。これより先に何が待ち受けているかは完全な未知であり、それは即ち何が起きてもおかしくはないという裏付けでもある。獰猛な野生生物、夜盗、そして魔物。ほぼ丸腰の私が対処できるものなど何一つなく、特に夜盗に襲われでもしたら生きて帰れる保証すら危うくなるだろう。
そして忘れてはならないことがもう一つ。それは私が何者かに追われていた、ということである。奴らは私が穴に落下したということは知りつつも、私が死んだということを確認したわけではない。未だ私が生存している可能性を捨てていないだろう。あるいは私の死体を探している可能性だってある。もし私が奴らに見つかってしまえばそれこそ私の人生の幕が閉じるときだ。絶対に見つかってはならないということは常に意識しなければ。
「ふっ……ぐっ……っしょ、っと」
自慢出来たものではないが私の身体は相当貧弱である。青白く骨ばった腕を必死に伸ばしよじ登るだけでもかなりの苦労を有するものだ。というかむしろ良く登れるな、と自分でも思う次第である。これも彼女の治療の甲斐あってのことなのだろうか。
筋肉が悲痛を訴え始めたころ、私の外への探索は終わりを迎えることとなる。根を登り、大木の幹の内部へと入ると、その隙間から外の光が漏れて差し込んでいるのが見えたからだ。
(太陽の……光)
今まで当たり前のように浴びてきた日光という存在がこの上なく偉大なものと感じられるようになったのはひとえに地下の生活が続いていたからであろう。枝をかき分け進むたびに差し込む光が強まってくるのがわかり、つい急ぎ足になってしまう。それと同時に私は今現在が昼であるということに安堵した。もし仮に今が夜だとしたら危険な存在に出会う確率が高くってしまうからだ。
そして私は最後にひときわ大きな枝をへし折り、泥まみれの靴を一歩前に踏みしめた。

「スゥゥー…………ふぅ」
 
ひとつ、大きな深呼吸。洞窟や地下水路のような湿った空気とはまるで違う、涼しくて清々しい空気が私の肺を満たす。鳥のせせらぎが聞こえ、木漏れ日がチカチカと光り、葉が風に揺れる。私は外、それも鬱蒼とした密林ではなく適度に開けた森林らしき場所に出たのであった。すかさず辺りを警戒するも人影や動物の気配は感じられず、ひとまず胸をなでおろす。
ずっと薄暗い洞窟にこもっていたせいか、森の中でさえめまいがするほど眩しく感じてしまう。私は薄目を開け、周囲の明るさに少しずつ慣れながら視界を明らかにしていく。
(さて、どうしたものか)
 外に出て私の目的は終わりではない。むしろ今ようやくスタート位置についたと言っていいだろう。私の記憶を取り戻すための探索がこれから始まるのだから。
 ともかくまずはこの森を出て例の街を探さなくてはならない。宿と食事を過ごせる場所を見つけなければ記憶を探すなどもってのほかだ。彼女曰く、ここら一帯を取り巻く都市がこの出口の付近にあるのだという。
(……どうやら私はツイているようだ)
 私は独り頭の中で小躍りした。というのも、むやみやたらに散策していては体力を無駄に浪費してしまうと考えた私は、とりあえず今この場がどのような場所かを確かめるため辺りを観察し始めたときだ。ふと私の視界にある一点、不自然に草木がなぎ倒され土がむき出しになっている場所を発見したのである。所謂、轍というものであった。
 轍があるということは何者かが車輪で何度も通過しているという証明になる。この先をたどっていけば人里、あるいは軍事基地等といった人のいる場書に出る可能性が見えてくるだろう。私は今更になって自らの幸運さが末恐ろしく感じられた。奇跡的に洞窟に落ちて追手から逃れ、奇跡的に糸に絡まり落下死せず、奇跡的にそこを根城にしている魔物が妙に協力的だったり……悪運というものなのだろうか。この際幸運でも悪運でも何でもいい、すがれるものなら何にでもすがってみようではないか。
轍を歩き始めて数分、徐々に周りの木々の密度が薄くなってきている気がする。そう思いながら歩いているとものの数秒後に急に視界が開けてきた。轍が終わり、舗装された道に出たのである。それもかなり大きめな、所謂街道というのが正しいだろう道に出た。
(馬車……それに人もいるな)
 道の立て札を見るにどうやらこの道は【ラル街道】と言うらしい。その名前を見て彼女から教えてもらった町と一致することを確信した私は、行商らが向かうその先へ向かうのであった。
 今この時、まだ私は知る由もなかった。この地で起こる騒動、そしてその結末を。私の存在理由であり生涯の全てを昇華すべき場所がこの地であると。
 その地の名は【交易都市エル・ラルドール】。古き歴史と商人のカネが混雑し、常日頃人間と魔物が往来する中立都市である。


  ◇


 街の西部に位置する【ラル大門】を通り抜け、私はエル・ラルドールの中へと足を踏み入れた。右を見れば見たこともない野菜や香辛料が所狭しと並び、左を見れば夥しい数の畜肉、食用の虫なども売り出されている。恰幅の良い髭面の男性が宝石を自慢気に紹介し、大声を張り上げ見事な手腕で客を捌く刑部狸、値切り交渉する婦人など、この街は私が想像していた以上に活気があふれているようだ。往来する人々はみな一分一秒すら惜しいほど右往左往行き交い仕入れ、商談、世間話をしている。
 当然私はそのような人々と会話をするためにここに訪れたわけではない。まず始めに私が向かうべき場所は換金所である。今現在、一文無しの私がこの街でできることなど何一つとしてない。カネだ、とにかくこの街を活動拠点とするためのカネを調達しなければならないのである。
「いらっしゃいませ。本日はどのような用件で……」
「これを頼みます」
 換金所を見つけた私は彼女から貰った古銭を懐から取り出し査定を申し込んだ。その数全部で5枚。錆びつき捻じれ拉げており、何らかの文字が描かれているがその文字を読むことは叶わないほど風化している。一見すると子供が泥をこねて作ることもできそうなほどの質感だが果たしていくらほどになるか。
「……!!お客様、つかぬことをお聞きしますがこれを一体どこで入手いたしましたか?」
「え、あぁ、友人から譲り受けたものです。幾らほどになりますかね」
「少々……お待ちください」
 そう言って換金商は店の中に入っていった。何やら様子がおかしかったような気がするが……何か気に障ることでも言ってしまっただろうか。
 査定が終わるまでの間、私はこれからのことについて考えてみることにした。私の記憶を探す手がかり……あの手記とは別の方法で探すとなると実に骨が折れることになるがそれは覚悟の上である。何せ私はどこの国にいて何が原因でここまで追いやられることになったのかすらわかっていないのだから。まずはそこから始めるとしよう。くれぐれも、私の素性を深く知られることなく穏便にしなくてはならない。恐らく……いや、十中八九あの追手たちもこの街に潜伏しているだろうから。
「お客様、査定が終了いたしました。いやぁまさかあんな代物に出会えるとは思ってもみなかったです」
 そう言って手渡されたのは金貨10枚という驚くほどの大金だった。ずしりと重みを感じる重量感に思わず私も聞き返してしまう。
「こんなに貰ってもよろしいのですか? 何かの手違いじゃ……」
「いえいえとんでもありません。あの古銭はこの地ゆかりの古代文明の硬貨でありまして、出土されるものが少なく極めて珍しい品物なのです。むしろ状態も極めて良質、こちらとしても久しぶりに換金し甲斐がありました」
 やはり私は運が良い。金貨10枚もあればこの地に滞在するならば十分すぎるほどだ。多少贅沢しても釣銭がくると考えると幸先はとても良いスタートを切れたのではないだろうか。
「ありがとうございました。今後ともごひいきに……」
「こちらこそ」
 私は換金所を後にして次の目的地へ向か――――
「ちょーーっと待ったァ!!」
 向かおうとした瞬間、突然割り込んできた男に肩を掴まれ行く手を阻まれてしまった。まずい……顔を見られたか?あるいは金貨10枚の取引を見られたか……どちらにせよこれは厄介だ。
「兄ちゃん、パっと見たところこの街の人間じゃねぇだろ。ナニ取引したんだ?随分大金持ってるじゃねぇか」
「……貴方には関係のないことだ」
「あーそうだ俺には関係ねぇ。だけど、兄ちゃんには関係あると思うぜ」
 正直今すぐにでも振り切って逃げだしたいところだ。しかしここは人通りの多い街中、下手な行動を起こせばかえって目立ってしまうだろう。人知れず情報を集めなければならない私にとってそれは避けるべきである。
「古銭。古代文明の古銭5枚を金貨10枚と換金した。これでいいか?」
「古銭5枚で金貨10枚ィ? ハハッ、悪い冗談はよせよ、ゼロが一ケタ足りないぜそりゃ!!」
「なんだと……」
「この街を生業としてる者なら誰しも古銭の貴重さは知ってるモンさ。数年に1枚出土されれば御の字ってこともな」
 私はそれを聞き、すぐに理解した。つまりは吹っかけられたのだ。私が古銭の価値を良く知らないよそ者であるがゆえに不正な取引をさせられたといって良い。
 すかさず私は換金所へ戻り、見ず知らずの男と共に換金商を問い詰めると換金商は悪態をつきながらも潔く正当な金額で残りの金貨も支払ってくれた。換金商としても面倒ごとは起こしたくないのだろう。金貨百枚……正直これほどの大金は使い道が思いつかない。
「ありがとう。危うく大損するところでした」
「なーにいいってモンよ。俺だってたまたま珍しい古銭の取引を盗み見しちまったんだ。お互いさまよ」
 色黒で軽装、がっちりとした体格で声が大きい。まるで私と正反対のような男であるが……警戒はし続けた方が良いだろう。今の私にとってはどんな輩も厄介ごとになりうる可能性がある。
「んっん〜でもそうだなぁ、俺がいなきゃアンタは今頃大損してたことにすら気がついてないわけだし、残りの金貨90枚は実質俺の手柄って言ってもいいよな?」
「……なるほど、結局そういうことですか」
「ああっ!! 待て待て、それは例えだ例え。そこまで俺はがめつくねぇ。そうだな…………んじゃ一杯おごってくれよ、酒!!」
 金貨90枚の貸しが一杯のおごりで済むならどれほど楽なことか。どうせこういった類の者は後々何かしらの理由をつけて私の懐を探ってくるに違いない。だが、まぁ確かに彼がいなければ私は今頃損をしたことにすら気がつかないまま過ごしていたというのも事実である。
私は渋々承諾しながら、彼に言われるまま酒場へと足を運ぶのであった。そもそも私が換金所の次に向かおうとしていた場所もまた酒場であったので都合が良いと言えば良かったのがまた腹立たしくもある。


  ◇


 カラン、コロン――
 品質ある木製の扉を開き私と色黒の男は店内へと入る。薄暗い照明、多種多様に並べられた酒、香る酒と煙草の匂い。酒場の中でも客層がまともな酒場であることは一目見渡しただけでわかる雰囲気だった。私たちが入店すると既に常連らしき客は数名カウンターに座っており、それぞれが酒と煙草を味わっているようだ。
できるだけ私はフードで顔を隠しつつ、色黒の男と共にカウンターに座り込む。
「お客様、どうぞ」
 角の生えたバーテンダーの女性から温まった手拭を受け取り一息つく。そういえば地底を出発してから今の今までずっと歩き続けだったということを思い出し、今にして疲れがどっと押し寄せてきたのか急激な疲労感が私を襲った。
「イェキシーちゃん今日も来たぜ〜俺ァいつもので。アンタは何飲む? というか酒イケる口か?」
「では果実酒を一つ」
「かしこまりました」
 イェキシーと呼ばれたバーテンダーは私たちの注文を承諾すると、慣れた手早い手つきで酒を造り始めた。【グラキエス製】と印字された箱の中から冷えたグラスと握り拳大の氷を取り出しゴロリと氷がグラスに入る。よく見るとその氷は中に気泡が全く含まれておらず頻度の高いものだと思われる。次に、棚に並べられている夥しい種類の酒から一つを取り出すと固く閉じられた蓋を外し、琥珀色の液体がグラスの中に注がれてゆく。液体が氷を半面浸したところで彼女は瓶を棚に戻し、完成された琥珀色の酒を隣の男に渡すのであった。
 私の目の前にもいつの間にか果実酒が立てられていた。私が琥珀色の酒を作る作業を見つめている間にどうやら出来上がっていたらしい。恐るべき手腕の速さだ。
「んじゃ乾杯!!」
 ついさっき知り合ったばかりの赤の他人と隣り合わせで乾杯するなど誰が想像できただろうか。恐らく地下の彼女ですらこれは予知できなかったであろう。
 色黒の男はその体格の良さから酒も豪快に飲むのだろうと思っていたが、予想に反し、ちびりちびり小鳥の水分補給のように、良く言えば品良く飲んでいる。
「う〜ん、やっぱいつも飲んでるヤツだが他人のカネだと思うとより美味しく感じるぜ」
「そいつはどうも」
「このすばらしき出会いにもう一度乾杯!!」
 こういうノリは正直苦手である。
「エイドンさんが人を連れて来るなんて珍しいですね。ご友人ですか」
 バーテンダーが色黒の男……エイドンという男性に話を振る。彼はもう一度酒をちび、と飲み口を開いた。
「ああいや、ちょっとした商談ってヤツでさ。な?」
「え、ええ、はい」
 私は咄嗟にそう答え彼と話を合わせる。確かに商談と言えば商談なのだが、やはり釈然といかない部分もあり、しかしこれ以上話を拗らせるわけにもいかないのでこう答えるしかなかった。
「そうですか。では何か注文がありましたらどうぞ……」
 彼女はそう言い、別の客の前へと移動し世間話をし始めた。独りで優雅に雰囲気を楽しんでいる年配の客には上品に対応し、若いカップルらしき男女の客には気さくに、店の印象を損なわぬよう真摯に対応する彼女の接客はまさしくこの店の品格の高さと雰囲気を醸し出している。
「イイ店だろ、俺の行きつけさ」
「そうですね。掛け値なしに」
「ところでアンタ、いやアンタって言うのも失礼だな。名前は?」
「……アトロ。そう呼んでくれれば」
 記憶のない私には真の名前もわからない。地底から上がる際、こうなることは容易に想像できていたため偽名を考えていておいてよかった。
「アトロ、お前さん見るからによそ者ってナリだが何の目的でこの街に来たんだ?」
「……」
「ハハーン、なるほど。公に言えない仕事ってヤツだ」
「……なぜわかりました」
「『詮索するな』って顔に書いてるぜ。わかったわかった、深くは追及しねぇ。俺は酒さえ奢ってもらえればそれでいいんだからよ」
 苦手なタイプの男ではあるが、話はわかるらしい。空気も読まずこちらの素性を根掘り葉掘り聞いてくるのだけは御免だ。とりあえずのところ、私は人様には言えないような仕事の為この街に来ている、という体で話を進めておこう。
「この街には色んなヤツがいる。まだ冒険を始めたばかりの新米から熟練の勇者、起業しに故郷を出てきた商人。中には逃亡してきた元奴隷や国境越えした脱走兵なんてのもいる。人の出入りが激しい街だから旅の身支度を整えたり、身を隠すにはうってつけなわけさ」
「流石は交易都市と言ったところですね」
「そーいうこった。表向きは普通の交易都市だが、ウラでは汚いカネが動き回り法で触れられないようなことが日常茶飯事で起きている街だ。ここで活動していくというなら気をつけろよ」
「忠告感謝いたします」
 交易都市という名からしておおかた予想はついていたことだが、改めてその街に足を踏み入れてしまったのだと実感させられる。依然として私を追っていたヤツらの正体は掴めぬままであり、最大限の注意を払わなければいけないな。
「と、辛気臭い話はここまでにして……イェキシーちゃんもう一杯!!」
「あ、すみません果実酒をもう一つ。同じので」
「かしこまりました」
 彼とほぼ同じタイミングで飲み終わった私は追加で注文することにした。そういえば彼は一杯だけ奢りということは覚えているのだろうか。私にはこれ以上関係のないことなので気にしないことにする。
「ヒョロっとしてるわりには意外と酒強いじゃねぇかアトロ」
「いやいや。ここのお酒があまりに美味しくてつい酒が進んでしまいますね」
「それは一理ある」
 隣で相槌を打つ彼は既に出来上がりつつあり、頬と耳がほのかに赤みを帯びている。見るからに酒好きで強そうな男であるが実際はそうではなかったようだ。まだ一杯目なのに、である。
「お気になさらないでください。エイドンさんはいつもそんな感じですから」
「ちょ、そりゃひどくね? 俺一応常連さんよ? 店の売り上げに結構貢献してると思うんだけど」
「毎回毎回数杯飲んだだけで酔い潰れるような人はちょっと……」
 果実酒を注ぎ終えたバーテンダーは苦笑しながらそう語り、真に受けた男は意外とショックだったのか無理をして酒を注文し始めた。私はそんな二人の光景を見つつ、最後にゆっくり酒を飲んだのはいつ以来だっただろうかと未だ思い出せぬ記憶を探るのであった。
 ふと私は店内を見渡し、彼女以外の従業員の姿が見えないことに気がついた。私はそれとなくバーテンダーへ話しかける。
「ここは貴女一人で経営しているのですか」
「本来はマスターがいて私と共に営業しているのですが、本日は飲食店街の会合がありまして留守にしております。何かご用件でもありましたか?」
「いえ、特には。仮にここを一人で経営しているのだとしたらさぞ経営上手だと思いました」
 私は他愛も無い話を装いそう語る。横からにやけ顔をしながら覗きこむ男を視界の端に捉えた頃にはすでに隣から茶化しの言葉が発せられていた。
「お、ナンパか? そいつぁ難易度が高ぇよアトロ。そのマスターってのがイェキシーちゃんの夫だから悪いことは言わねぇ、諦めな」
「ハァ、そういうつもりではないのですが」
「あはは……お気になさらないでください。エイドンさんの悪い癖ですから。店の騒音だと思って聞き流してください」
「辛辣ー!!」
男の悲観が静かさを保つ店内を少し騒然とさせる。まさしく騒音そのものじゃないかと思いつつとりとめもない談話をし、こうして私の地上進出初日は更けていくのであった。肝心の情報収集はというと有益なものを聞き出すことができなかったのが唯一の心残りである。


  ◇


「随分と長居してしまいました……会計をお願いします。あぁ釣銭は結構です、良い酒を飲ませてもらいましたので」
 既に色黒の男は酔い潰れており、店内の客も私たちだけになっていた。私は懐から百枚あるうちの一枚の金貨を取り出し、バーテンダーへと手渡しをする。
「……お客様。金貨はありがたくお受けいたしますが、できればカウンターに置くか左手で渡してもらえないでしょうか」
「ん、ああ……すみません(右手、汚れてでもいたのか?)」
「ありがとうございます…………あの、あまりお客様の詮索はしたくはありませんのですが、一つだけお聞きしてもよろしいでしょうか」
 やや小さめの声で、隣の男には聞こえないよう彼女は言う。といってもすでに酔い潰れて目を覚ましそうな気配はないのだが。
「答えられる範囲でなら……何でしょうか」
「右手に履いている手袋を脱いで……袖を捲ってくれないでしょうか。他のお客様は気がついてなかったでしょうが、お客様が店内に入った時からずっと右腕に違和感がありまして……無理にとは言いません」
「…………バーテンダーさん、そういう方面に詳しいのですか」
「いえ、ただ余りにも異質と言いますか、寒気がしまして……」
 隠し通すだけ無駄だと思い、私は手袋を脱ぎ袖を捲る。眼前に露わになったのは、蜘蛛のような模様が刻まれ薄暗く発光する右腕だ。時折胎動しまるで生き物かのように皮膚を侵食する様を彼女は視た。
「ッッ……!!お、お客様もう結構です、わかりました。どうぞ元に戻してください」
 先ほどまで平然と営業していた彼女の顔には大粒の汗がいくつも流れているのが確認できた。紛れもなく冷や汗というものだろう。私自身でさえ、この腕が自分の腕なのかと自問したくもなる、が、これは正真正銘私の腕なのだ。その事実が曲げられることはない。
「こういうのは詳しくないのですが一目見ただけで凶悪な呪いだということはわかりました」
「付与した者は”契約”と言っておりましたがやはり……」
「それを契約と言えるのならば、我々が普段行っている契約行為は口約束よりも軽いものとなってしまいます。あまりにも重く、あまりにも悪意に満ちた……」
 薄々感づいてはいたがやはりそういうモノで間違いない様だ。人間である私よりも魔物のほうが余程理解が早い。
「できれば内密にお願いします」
「勿論です。お客様の個人情報は他言してはなりませんので。それに、これほど恐ろしいものをそう易々と語ることなど……」
 カタカタと震える手で食器を片付ける彼女を見て、少し負い目を感じてしまったがこればかりは仕方がないと思いながら袖を戻し手袋を履く。隣で酔い潰れている男は出会ったときから終始私の腕に気をかけなかったことからやはり魔物にしかわからない気配というものがあるのだろうか。
「ではこれで失礼します。また、機会があれば飲みに来ますので」
「またのお越しをお待ちしております。できれは今日のように右腕を隠した服装でご来店をお願いします」
「覚えておきます」

 深夜を回り、夜明けにはまだ少し時間がかかりそうな頃。私は会計を済まし、店の外の適当な場所に酔い潰れた男を放り投げ独り夜道を歩いている。深夜を回ったこの時間帯で宿を探すのは流石に無計画と言わざるを得ないが、この街に着いてから今まで宿を探す暇さえなかったのも事実。面倒な男に絡まれはしたが、その代わり大金が手に入ったと考えれば得をしたと言えるだろう。
 年甲斐にもなく飲んでしまい酔いを醒ましながら夜道を歩いていたが、どうやら見知らぬ路地に出てしまったようだ。大通りとはうって変わって、薄暗い街灯と怪しげな雰囲気が跋扈するいかにもな裏通りに突き当たってしまった。所謂、娼婦街というところだろうか。
辺りを見回すと飲んだくれ足取りがおぼつかない酔っ払いや屈強な店番、そして客引きを行う娼婦がところどころに点在している。生憎私はこういう場所には用事がない。早々に踵を返し大通りへ戻ろうとした……が、既に遅かったようだ。
「ねぇお兄さん、溜まってないですかぁ」
振り返った先には若い薄着の女性がひとり、私の道を塞いでいた。
「生憎そういうのではありませんので、失礼」
「お兄さんイイ服着てる。アタシわかるんだぁ、こういうの着てるヒトってお金いっぱい持ってるの。ね、お兄さんならトクベツなサービスしちゃうよ」
厄介なのに絡まれてしまった。右へ足を出せば彼女は右側へ寄り、そのまた逆も然り。かといって下手に手を出せばさらに厄介なことになる。これはどうしたものか。
「急いでいますので通してください。それに私はそこまで大金を持っているわけでは」
「ウソ。お兄さんからはお金と性欲のニオイがプンプンするんだぁ〜。アタシたち娼婦ならみ〜んなわかるよ」
「そんなデタラメな……」
グイグイ押してくる彼女。気がつけば私は路地裏の突き辺りまで追いやられてしまい、背後の壁に背中を寄せてしまう。逃げ場がない。
「お兄さん見てたらなんかエッチな気分になってきちゃった……ねえ、お店まで戻るのめんどくさいから今ココで、シちゃおうよ」
「店で行為をするのが貴女の仕事では?」
「そうなんだけさぁ、なんかお兄さん、ムラってするの。やらしーニオイがさ」
私を壁際まで追い詰めた彼女はするりするりとその薄着を脱ぎ始めた。特別豊満でもない、むしろ肋骨の浮かせ具合からして痩せすぎでもある裸体を顕わにし私を追い詰める。この狭い路地で強引に彼女の包囲を突破すれば間違いなく彼女の体に怪我を負わせてしまうだろう。そうなれば売り物に傷つけられた店側が黙っていないのは明確である。
「えいっ」
「う、おおっ!?」
どうしたものかと思慮を巡らせている隙に、彼女は私の右腕を抱きかかえるようにして密着してきた。振り解け……そうで解けない。一見するとただ抱き着いているように見えるが、しっかりと固定されてしまっている。
「んふふ〜お兄さんいくら持ってるのかな? お金はどこ〜?」
「だから金は無いと何度言えば……」
私の衣服を弄りながら、さり気なくボディタッチで攻めてくる。恐るべき手腕、とは感心しつつもさすがにこれ以上は限界だ。無理を言わせてでも振り解くしかないか……そう思った瞬間である。
「あ、あれ、お兄さん? お兄さんドコ、どこ行っちゃったの。あれ、あれあれあれ、ねえ、真っ暗だよ、怖い……お兄さんどこ……」
 突然彼女が狼狽え始めた。その隙に私は彼女の拘束を逃れ彼女から距離を置く。そのまま走って逃げても良かったのだが、なにやら彼女の様子がおかしいようである。
「ねえ、おにいさ……ヒッ!!!! い、いや、嫌だ!! 来ないで……来ないでェェーー!! い、いやっ、ヤダ、ヤダヤダ、ああああああああああああああああ!!!!!!」
 突然絶叫し始め、もがき苦しみ始めたではないか。私は一歩離れた場所から彼女を見ていたが彼女の身には何も異常はなかった。しかし彼女は血眼になりながら衣服を叩き見えない何かを懸命に追い払っているようである。
「ああああああああああ!!!! やめてやめてやめっ、虫ッ、気持ち悪いキモ……いやだっ!! 私のナカに入ってこな…………いっ……いやっ……ア゛ア゛ア゛ッーー!!」
 涙を流し地面に倒れ込むと、四肢がちぎれれんばかりにのたうち回る姿を見て私は客観的に血の気が引いていた。私は正真正銘何もしていない。突然彼女が発作のようにうなされ始めたのだ。常用していた薬物の禁断症状か? 持病の癇癪か? 彼女の目には何が映っている?
「いや、だ……ア…………ガっ………………」
爪で自らの身体を掻きむしり血だらけになる娼婦の姿を傍観しながら思考に耽る。だが次第に彼女の叫びは静かなものになり、のたうち回る姿は痙攣する姿へと移り変わってゆく。それとは別に他人の声と駆け足が聞こえきたので私は厄介ごとに巻き込まれる前にその場を後にした。不思議と娼婦を助けようという気は起きなかった。
18/08/06 21:56更新 / ゆず胡椒
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■作者メッセージ
仕事の都合上冬コミケに行ける可能性が限りなくゼロになってしまったので細々と書きます

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