連載小説
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執行の罪
「……時間だ、起きろ」

 夜なのか朝なのか、判断もつかぬ暗い物陰で低いロズの声が響き渡った。
 その言葉を言われた対象は独房の隅で蹲りながら一度だけ小さく頷くと、か細い体を引きずるように持ち上げ立ち上がる。
 白と黒の囚人服。両手両足には鎖と鉄球。その容姿はこの地下牢に投獄された時から一度たりとも変容していない。
 しかし肌理細やかで艶のある毛髪はかなり傷んでおり、さらに枝毛が増えている。
 表情も僅かながら疲れの色を見せているのだろう、目の下にはあるはずのなかった隈ができていた。

「おはよう、ロズ。いよいよだな」

 さほど変わり映えのしない外見だと思われたが、ただ一点において明らかに依然と異なる部分ができているのは明白であった。
 
 首。
 
 彼女の首に刻まれた首輪のような一輪の紋様。
 確かにあの時はなかったのだ。
 彼女が投獄されて、ロズとミックの目の前にグリドリーと共に並べられ、顔にかけられた袋を取り外したとき首にこのような文様は刻まれていなかった。
 それが今はどうだ、首面積の半分を覆い尽くさんとする紋様は自己主張をするようにドクドクと脈打っているのが傍から見ても視認できるのである。

「……眠れたか、昨日は」

「私が寝れたか寝れなかっただなんて、今更聞いたところで意味があると思うか?」

「……ないな。これから死ぬヤツの安否なぞ気にしている暇はない」

 ロズの目からでも薄桃色の煙が噴出しているのがはっきりと確認できた。
 ユラユラ、ユラリと振れて舞って、儚く消える薄桃色。
 それはまるで今にも消え去るカティアの命の灯から焚きつけられた煙のようでだった。
 その煙から発せられるニオイというのもまた独特なニオイだ。今まで甘い甘いと感じていた香りは、今は香水のような甘さから腐臭のような甘ぐささ香りに変貌していたのだ。鼻を突き刺すようなニオイに思わずロズは手で鼻を覆い、そしてもう一度ニオイを嗅ぐがやはり嗅ぎ間違いではなかった。
 退廃的で決して良いニオイとは言い難いその香りに、ロズは困惑を覚える。

「もう、いいんだ。早くすべて終わらせてしまおう」

 ロズが甘い腐臭に顔をしかめていると、ニオイの発生源からそのような言葉が発せられた。
 そうだ、カティアの言う通りだ。
 今更こんなニオイを気に留めたところで意味なんてものはないのだから、早く終わらせるしかないのだ。
 カティアを執行室に連行し、台座にはめて、切断し、麻袋に詰め込む。
 それだけでいいのだ。
 それをすることによりロズもカティアも、胸のわだかまりが解消されると信じ切っているのだから。

「……午前9:03、死刑囚カティアを死刑執行室へと連行する」

 すべてに決着をつけ、いつも通りに処刑する。
 その瞬間が始まろうとしていた。




―――――





 カツン―
 カツン――

 錆水とネズミの死骸が跋扈する通路を二人は進んでいる。
 以前ロズとカティアが斧の手入れをしに一度だけ入ったあの部屋にもう一度入るため、二人は会話を交わすことなく黙々と歩いていた。
 前回は斧を研ぐという名目のもと特別に部屋に入っていただけであり、本来死刑囚がこの部屋に入るときは例外なく処刑されるときのみである。そして今回、今まさしく本来の目的通りに事が進んでいるのだ。
 その一歩一歩が自らの命を絶つ歩みだとしても、彼女は引くことなくロズの後ろにぴったりとついていた。

「……おい、近いぞ」

「ん、あぁ、すまない」

「……」

「……」

「…………」

 またしても沈黙である。
 この状況で気軽に談話してみせよという方が無理難題なのだが、それにしても二人は口を開くことがなかった。
 外では激しい雷雨が降り注いでいるのだろう。落雷と思しき地鳴りが時折地下牢にまで響き渡ると、錆びついた配管からパラパラと赤茶色の粉が降り注ぐ。
 投獄された瞬間から今に至るまで、一度たりとも外の様子を伺っていないカティアにとってたとえ雷が降り注ごうとも季節外れの雹が落ちてこようとも、まったくもってどうでもいい情報であった。
 ましてや、もうすぐで死ぬのだ。
 隕石が落ちてこようとも、火山が噴火しようとも彼女にとっては無意味そのものである。
 すべてを諦め、悟ったその瞳はただただロズの背中だけを見つめていた。

 一方そのロズはというと、背後のカティアに気を取りながらもすでに執行への準備を始めていた。
 それは道具を準備したりという物理的な準備ではない。彼が、執行官たらしめるための、執行への精神統一という内面的な準備である。
 断頭という手法は一見手軽に見えて、実のところかなりの技量を有する処刑方法だ。少しでも力加減がずれると、死刑囚の首は中途半端に切れることになり見るも無残な状態になるのは言わずもがなである。
 そして、今回の対象はカティアだ。
 もし、万が一という可能性も無きにしも非ず、ということもある。留意しておかなければならなかった。

「……ひとつ忠告しておく」

「なんだ今更」

「……断頭に100%は存在しない。もしかするとお前に苦痛を与える可能性があるかもしれん」

「知ってるさそんなこと。でも私は信じてるからな」

「……俺なんかを信じてもロクなもんじゃない」

「信じるさ。信じさせてくれ、もう私には何も残されていないのだから」

「……」

 あくまで淡泊に。
 執行人と死刑囚、その関係を崩してはならない。幾度となく心の内で言い聞かせた言葉だ。
 そうは思いつつも、どうにもカティアの調子に狂わされそうになるロズであった。
 信じているという彼女の言葉には嘘偽りはないのだろう。恐らく彼女自身本気でそう思っているに違いない。
 しかし、体の反応というのは正直なもので死刑執行室に近づくにつれ彼女の手は冷や汗で湿り、顔色は徐々に青ざめているのはロズに筒抜けであった。
 視ていなくともわかるのだ。何十回、何百回と執行をしてきたロズにとって死刑囚の様子を把握することなど容易であった。



 ゴゴゴゴ……



 死刑執行室の重苦しい扉がついに開かれた。
 地下牢の最深部、最も暗く、最も広く、そして最も冷たい場所。ともすれば、吐く息が白くなるほど異常なほどに冷え切っている場所。
 綺麗好きで几帳面なロズが管理しているのにもかかわらず床には赤黒い血糊が染みついている。その血糊はいかに大量の人物がここで処刑されたかというのを物語っているようであった。
 物言わぬ事実は痕跡という形をもってカティアに証明している。

「……午前9:16、死刑執行室入室」

「よし、入れ」

 ロズはいつも通り、慣れた様子で部屋の中へと入っていくと、その後ろをカティアがやや遅れて入ってくる。
 張り詰めた空気に気圧されたのか、それとも死の実感をひしひしと感じているのか。不気味なほど静寂に包まれたこの空間の中で、二人の足音と自分の心拍音だけが聞こえていた。
 明らかに以前とは違う雰囲気に身じろいでしまうカティア。
 彼女は薄暗い部屋を見渡すと、先日ロズと一緒に入った時にはなかった”あるモノ”が部屋の真ん中に設置されているのに気が付く。それは木製で組み立てられた縦長のナニカなのだが……カティア自身初めて見る器具なものだからそれがいったいどんな用途で使用されるものなのかわからなかった。
 その器具に自分が固定されることも知らずに。

「……カティア、お前はそこで待機していろ。逃げ……るわけないよな」

 死刑執行室の出入り口はすでに閉じられているとはいえ、ただ手枷足枷をつけられただけの状態のカティアをそのまま縛り付けもせずに距離を取ったロズ。不用心極まりないと自分で思いつつも、彼女は逃亡の素振りを微塵にも見せないのでそのままにしておいても大丈夫だと踏んだのだ。
 仮にカティアがグリドリーのような危険人物であったならば厳重に拘束したうえで無力状態にし、そこから距離を取るだろう。それをしなかったということは、ロズもロズなりに彼女のことを信じていたのかもしれない。
 そしてなにより、拘束するという苦痛を必要最低限に抑えたかったのであろう。

「……午前9:17、武器庫解錠」

 ロズは無数の鍵が括り付けられた鍵束の中から武器庫の鍵を取り出し、扉の鍵穴へと差し込んだ。
 ガチャリ、という音を立てて扉が開かれるとその中には色とりどりの武器や道具、それも全て死刑執行に使われるものと思しき物たちが姿を現す。
 以前、一度だけ目を通しただけでは見られなかった道具が奥の方まで見えるようになると、カティアは身の毛もよだつような凍えを感じて鳥肌が立ってしまった。
 武器はロズが手入れしているはずである。であるのにもかかわらず、武器の先端に付着した血糊は柄の部分まで染みわたり、赤黒く変色した品々がそこかしこに掛けられていたからだ。いったいどれほどの血液を浴びればああなるのだろうか。
 そう思えば思うほど、死の吐息が耳元で囁いてくるような気がして耳をふさぐカティア。
 もちろんそんな音は何も聞こえない。幻聴だ。
 逆に言えば、幻聴を幻聴であると知覚できなくるほど彼女は死に近づいているということでもある。
 確実に、着実に。

「……よし」

 ロズはいつも通り、自分が一番使い慣れた断頭用の斧を手に取ると、その斧を軽々しく持ち上げ、武器庫から出てきた。
 ロズが使うのは今も昔も変わらず、この斧だけだ。
 もはや柄はロズの手形に変形し握りやすいように歪曲している。まるで自分の腕の一部であるかのように、最も扱いやすく力の込めやすい形になっていた。
 
 …………かに思えた。

「ロ、ロズ、それを使うのか」

 ロズが持つ斧を指さして、カティアはそう言った。
 まるで恐ろしい化物を眼前に捕らえた童のように。尊敬でも謙遜でもない、圧倒的な畏怖がそこにあった。

「……それ、だと?何のことだ、俺はいつもこの斧で――」

 何をいっているのかわけのわからない様子でロズは自らの腕を見渡してみた。
 そこには何の変哲もないただの腕しかない。いつもの死刑執行用の斧を持った自分の……
 死刑執行用の斧を……

 …………

 ………………??
 

「なっ……!?」

 ロズは確かに、死刑執行用の斧をこの手に取った。
 掴み慣れたあの触感、握り心地、重さ、いつもの斧に違いない。そう思っていたのだが、ロズは全く別のものを掴んでいたことに今ここで気が付いたようだった。


 『免罪斧』


 あの、規格外の大きさで、刃面だけでロズの伸長よりも大きいあの斧が、ロズの片手に掴まれていたのだ。
 木材をゆがませ、床を凹ませるほどに重たい斧をロズは軽々しく片手に持っている。その光景こそがすでに規格外といっても差し控えないだろう。
 旧時代のドラゴンの尾すらも一刀両断できてしまいそうなほどの業物が、いまここに現出していた。

「な、なぜ俺はこれを……」

 さすがのロズもこれには動揺を隠すことができない。
 ロズは確かにいつもの使い慣れた死刑執行用の斧を持ったはずだったのだ。握り心地も、重さも、全てがいつも通りであった。それがどうしたことか、かの巨斧『免罪斧』も死刑執行用の斧と全く同じ重さ、握り心地、感触に変化していたのである。
 唯一変化していないところは刃先だけであろうか。それ以外は全てが類似していた。

「それで私を……裁くのか?」

「……いや、手違いだ。今取り換える」

 不安と動揺に駆られるロズであったが、伊達に彼とて長年死刑執行官をやっていないわけではない。これくらいのアクシデントは慣れたものであった。
 ある時は直前になって死刑を免れたいがために死刑囚と死闘を繰り広げたこともあったし、またある時は奇術かの如く死刑囚がいなくなってしまったことなんてのもある。それに比べればただ斧を持ち間違えたぐらいなんてことはなかったのだ。
 ロズは再び武器庫へと戻ろうとした。
 しかし、その後ろからぐい、とロズの背中を弱く引っ張るものがあった。足を止めてみると、カティアがロズの服を掴んでいたのだ。
 そして彼女はこう言う。

「ロズ。別にそれでも構わない。いや、むしろそれで私を切ってくれ」

「……正気か?」

「私も何をいっているのかよくわからない……けれどそれの方が良いような、気がしたんだ」

「……」

 ダメだ、とは言うことができなかった。
 何故かはわからないが、ロズもまたこの斧でもいいんじゃないかと思うようになっていたからだ。
 いや、むしろこの斧でなければならないという錯覚に近い感情を抱いている。まるで斧自信が自らを使用せよ、と直接語りかけているようにも感じ取れた。
 異様な気配であると理解していながらも、心の奥底では否定することができず、ロズは『免罪斧』をぎりり、と握りしめる。

「……お前の最期の願いくらいは聞き入れてやる」

 ロズとカティアは気が付いていなかった。
 『免罪符』の刃面、銀色の部分。以前は黒ずんでおり、元の色に戻すため修正作業をしていた段階なのにいつの間にか全面が銀色に光輝いていることに。
 銀色の金属光沢は不自然なほどに光沢し、よく目を凝らしてみると薄ぼんやりと発光しているようにも見える。斧の側面は磨きたてであるかの如く美しい鏡面を描いていた。
 そしてその斧の発光の陰では薄桃色の煙が立ち込めており、ロズの指の傷口とカティアの首の紋様とそれぞれ共鳴しているようで、それぞれの部位からも微々たる煙が噴出されているようであった。
 しかしそれらの事象にも彼らは気付きはしない。
 カティアは来たる死への道のりへ、ロズは巨大な斧を用いての処刑によるプレッシャーによりそれどころではなかったのだ。

「……臭うな」

 充満する煙の臭いに耐え兼ね、つい口をこぼすロズ。

「ニオイ?やっぱりロズも気が付いていたのか」

「……お前もか、カティア」

「甘くて饐えたようなニオイだろう」

 死臭。
 そのニオイはまごうことなき、そのものであった。
 腐り果て、肉となり、骨だけになり、その果てに発せられる不快なニオイ。悲哀と荒廃の象徴たるニオイが今、死刑執行室に充満し、二人を包み込んでいた。
 不快であり、神秘である。
 生物の残骸が微生物により分解され、発酵され発せられる死臭というものは決して良きニオイではなく鼻をしかめてしまうようなものだろう。しかしそれは逆に生命の循環、還るべき結果の運命でもあり必ず行きつく場所でもあるのだ。
 だからなのだろうか。
 ロズもカティアも、不快なニオイであるとは理解しつつも、どうすることもなくただただ普遍的に呼吸し死臭を感じていた。
 ましてやそのニオイが、生きている人間二人と、無機物である斧から発せられているときたものだ。
 この状況において冷静に分析することなどできるわけがなかった。

「……全く話題に尽きぬ女だ、お前は」

「それは褒め言葉と受け取っていいのか?」

「……どっちも、だ」





―――――





「……そろそろ時間か」

 ロズは『免罪斧』を担ぎながら、部屋の中央へとカティアを誘導し始めた。
 部屋の中央には木製で縦長の機器が鎮座している。これは、ロズが死刑囚を固定するために準備しておいた処刑台である。外見はギロチンの見た目に類似しているが、その刃は上に固定されておらず厳重な拘束具がぶら下がっているだけだ。肝心な刃はロズの斧ということになる。
 人間一人分が横になるスペースがあり、頭部の部分だけが台座の外側に露呈する形となる典型的な処刑台であろうか。頭部の固定部には、先ほど武器庫で見たような血糊の跡が色濃く染みついていた。

「………………」

「……カティア、時間だ。横になれ」

 誘導し、ここに寝れということを示すようにロズは台座の方を指さした。
 それを見たカティアは自らの悟り、決断しゆっくりと足を歩み始め……るかと思えたが、彼女の足は動きはしなかった。
 足枷が重いのではない。彼女の足全体が石のように固くなってしまい、動くことができなかったのだ。

「くそっ、どうして……もう、決めただろう、私よ……ッ」

「……時間だ」

「ッッ……」

 ロズの目には見えていた。
 あれほど決意して自らが死ぬということを理解し、諦めたカティアはようやく初めて”死の恐怖”というものを実感していたのだ。
 自分が、自分でなくなり別の所に行ってしまう無限の恐怖。生あるものが必ず訪れる終着点。
 すべてが終わりに向かう場所。
 
 それが”死”。
 
「……お前もやはり同じだったか」

 ロズは恐怖に怯える彼女の目を見て、彼女に聞こえないぐらいの大きさでそう呟いた。
 いくら特別視していたといっても、やはり彼女もまた普通の人間だったのだ。彼女の目は今まで処刑してきた死刑囚と同じ目をしていた。
 ”死の恐怖”にはあらゆる人間も抗うことはできないのである。

「……午前9:25、執行準備開始」

「ロ、ロズ、私を動かしてく……きゃっ!」

 そう言い終えるよりも早く、ロズは彼女を抱きかかえると台座へと運んでいった。
 その抱え方は決して女性を抱きかかえるというような優しい仕草ではない。しかし彼女にはロズの肌から言い表すことのできぬ感情が流れ込んでくるようで、文句など言うことはできなかった。

「……痛くはないか」

「大丈夫、大丈夫だ。私は」

 大丈夫と強調して言うことにより、彼女は自分へ語りかけていた。
 恐怖に呑まれてしまわないように、別れを惜しまないように、自らの心に言い聞かせ感情が溢れるのを抑えていたのだ。
 少しでも気を緩めると決壊してしまいそうだったから。

 カチャリ、カチャリ
 ガキンッ
 キリキリキリ……

 右腕が縛り付けられ、左腕が固定され、腰を拘束され、右脚が施錠され、左脚が括り付けられ。
 彼女の四肢と胴体は完全に動かすことはできなくなった。あと動かすことができるのはせいぜい頭と口だけだろうか。
 ロズは『免罪斧』を抱えるとカティアの頭部の方へと移動し、そばに置いてあった椅子に座りこむ。
 そうして何も語ることなく、ただただじっとカティアの方を見つめていた。その瞳の奥底に彼は内を思うのだろうか。
 在りし日の死んだ妹の幻影を見ているのかもしれない。
 死にゆくカティアの最期の姿を己が瞳に記憶しているのかもしれない。
 あまりの真剣さと張り詰めた空気にカティアは何も喋ることができなかった。唯一動かすことのできる頭と口を動かすこともせず、彼女もまたロズを見つめていた。

「カティア。いや、カティア死刑囚、最期に何か言いたいことはあるか」

「最期、か……ふふ、はははっ」

「……遂に気でもふれたか」

「いや、違うさ。私はいつだって私だ。孤高に生きてきた義賊さ」

 ロズは椅子から立ち上がり、『免罪斧』をしっかりと握りしめる。
 斧の光沢がよりいっそう増し始めた。

「孤高、そうさ孤高で孤独で……独りぼっちだった」

「なぁロズ。最期にひとつだけ、いいだろうか」

「……ああ」

 そうして彼女は最期の語りを始めた。
 生涯最後の言葉を、ぽつりぽつりと、消え入るように語り始めた。

「私は自分の気持ちに嘘をついたまま死にたくない。だから……これから言うことは全てまごうことなき私の本心だ。聞いてくれるか」

「……手短にな」

「私は孤独だった。義賊をやっている間も人々のためを思って生きていたが、心の底から満たされたことなど家族と別れたあの日から一度たりともなかった」

「だけど……だけどな。大臣を殺してしまって、投獄されて、ロズと出会って……ロズと会話しているうちに初めて気が付いたことがあったんだ。この感情は本来、年頃の女なら誰しもが感じ得た感情なのだろう。でも私は、孤独であった私にはそれを感じることができなかった」

「悔しかったよ。平凡な人生を送っている者は皆こんな感情を感じていたのか、ってね。悔しくて虚しくて……でも私だって感じることができたんだ。少し遅すぎたけれど、私もみんなと同じだった。お前に出会うことができたからさ、ロズ」

「だからこれから言うことは私の本心だ。ロズ、私はお前のことが……」

「……言うな」

 ロズはカティアの言葉を制止した。
 威圧を込めた視線でカティアを制しようとするも彼女の口は止まることはない。
 これが、彼女が背いた最後の執行人命令だった。

「言わせてくれ。この短い生涯において初めて感じることができた感情なんだ。ロズと出会って、ロズだからこそ見つけることができた」

「……言うな。言ってはいけない。それはお前の心の内に秘めておけ……」

「い、いやだ。嫌だ……!言わせてくれ、最期に、この命尽きるその前にせめて一言……」

「……午前9:30、死刑囚カティアの死刑を……執行、する」

 『免罪斧』が持ち上がり、みるみるうちに上へと昇ってゆく。
 ロズは足と腰をしっかりと構え、狙いを定めぬようにしっかりとその対象を目で捕らえる。
 カティアの顔からは涙が流れ、弱みを見せてこなかった彼女がロズにすべてをさらけ出した瞬間であった。

「くそぉ、くそぅ……どうして、どうして私なんだ、どうして私が死ななきゃならないんだ……嫌だ、いやだよう……ロズぅ……死にたくないよ……」

 ロズは唇を強く噛みしめた。
 噛みしめすぎて血が流れてもなお、強く強く噛み続けた。
 全身を台座に固定されてむせび泣く彼女の姿をロズは苦悶の表情を浮かべながら見下ろしている。
 できることなら姿を視ずに綺麗な姿のまま別れを告げたかった。
 しかしそれは無理なのだ。
 ロズはカティアの首を断たなければならない。
 そして切断し終えたカティアの姿を処理するのもまたロズの仕事なのだ。カティアを視ない、といいうことはできなかった。
 胸の内をえぐられるような感覚に浸りながら、柄を握りしめる。
 せめて痛みなく。一瞬で。

「……俺とお前が出会ったその瞬間から、こうなる運命だったんだ。もう、黙って……俺に殺されてくれ……」

「ロズ、私はお前のことが……好きだ。好き好きでたまらないぐらい好きで、殺されたいほど好きだ」

「……言ったな。言いやがったな……」

「ぐすっ、私は、自分の人生を恨んでいた……けれど最期の最期に、女らしいことをできてよかった……出来ることならこのまま死なずにお前と一緒にいたかった。けどそれはもう無理、だもんな……」

「……うるせえよ。お前は勝手に死ぬんだ、誰にも看取られることなく独りぼっちで死ぬんだ。だから……」

「だから……?」

「俺がお前の死にざまを記憶してやる。俺が、俺だけがお前のすべてを知ったまま殺してやる。カティアという孤高な義賊がいたことも、死刑囚でありながら執行人を愛してしまったどうしようもない馬鹿野郎だったってこともだ。そんなヤツ、忘れられるかよ」

 その言葉を聞いた彼女は、最期に泣きながら笑っていた。
 これから死ぬというのにもかかわらず、その笑顔は屈託なく幸せに満ち溢れていた。

「そっか。それなら……本望だ」

 直後、彼女の首の紋様が発光し始め、ここを切れといわんばかりに目印を作る。
 ロズは彼女の笑顔を確認しすると、その目印めがけ『免罪斧』を振り下ろした。
  
 別れと断罪の想いを載せて――






バヅンッ





16/07/10 14:52更新 / ゆず胡椒
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