烏の行水
「晩御飯はいい時間になったらお持ちしますので、ごゆっくり」
「ええ、ありがとうございます」
そう言って仲居さんが襖の向こうへ消えると、部屋には俺と妻の２人が残される。その妻はと言えば、部屋の奥にある掃出し窓の前に立ち、そこからの景色に目を輝かせていた。紅色の瞳に傾き始めた太陽と色づいた山肌が映り込み、赤系のグラデーションが燃える炎のように揺らいでいる。
「いい景色ねー。周り一面紅葉づくし」
ほうとため息をつく彼女の両腕は二の腕から毛に覆われ、肘から先は鳥のような翼になっている。足もヒザから下は逆関節の鳥脚で、腰のあたりからは凸型の尾羽が伸びている。彼女の全身を覆うそれらの毛や羽は、髪まで含めてやや紫がかった黒で統一されていた。
ブラックハーピー、それが妻の種族。普通のハーピーよりも賢く凶暴で、男を連れ去って夫とし、生涯解放されることはない。その一方で、仲間や家族を何より大切にするという――まぁ、種族の一般的特徴としてはそんな感じらしい。
俺たちの場合、会社の宴会で酔っ払ったところを同期で同僚だったコイツの家に「持ち帰られた」ことがきっかけで現在に至る。起きたら知らない部屋とベッドで、隣に裸の同僚（女）が寝てることに気づいたときには目も二日酔いも一瞬で覚めた。女の側が魔物ってこともあって後の展開はお察し、週明けに出社したら職場の全員から「おめでとう」言われました。
そんな感じで唐突にスタートした夫婦生活だけど、彼女も甲斐甲斐しく尽くしてくれるし、家事も並以上にこなすし、美人だし、床上手だしで、俺としてもケチのつけどころはない。……ある１点を除いては。実は今回の旅行も、その１点があるからこそ提案したようなものだったりする。
「さて、どうするよ？ けっこうかかったし、もう出かけるには微妙な時間だけど」
「んー……そうねぇ、こう着いてすぐだと荷解きする気にもなれないしね」
「だよなー」
座布団に腰を下ろし、仲居さんが置いて行ったお茶を飲む。妻も卓の向かいに座ればいいのに、すぐ隣に座ってしなだれかかって来るあたりはさすが魔物というところか。時計の針は４時を回ったところでまだ夕飯まで時間があるし、出かけるのは明日にして部屋でゆっくりするのもアリだと思う。畳の部屋なんてずいぶん久しぶりだし。
しかし、だ。
「じゃあ、温泉でも行くか？」
そう、この旅館は部屋からの景観もウリの１つだが、それと並んで評判なのが温泉。かなり唐突に湧いたもんでどこぞの精霊使いがやらかしたんじゃないかって噂もあるけど、とりあえず天然は天然らしい。どうせ同じゆっくりするなら、普段と同じようにゴロゴロするよりも温泉に入りたい。
「え、あ、あぁー。おんせんね、いいんぢゃない？」
「見事な棒読みだな、オイ」
ところがどっこい、妻の反応は芳しくない。いや、旦那の俺にはそんなことわかってたけども。これこそが、俺が夫婦性活もとい生活を送る上で気になる『ある１点』。この黒鳥人さんはお風呂とかプールとか海とか、水に浸かることが大嫌いなのだ。知り合いの魔物娘に話を聞いてみても、ヴァンパイアが真水に弱いみたいな特別な理由があるわけではないらしい。そもそもお義母さんが『このコは小さいときからお風呂が嫌いでねー』と言っているので、完全にコイツ個人の問題なのは確定。
別に、臭うとかそういうことはない。魔物の魔力という不思議パワーのせいなのか、いつもササッとシャワーを浴びるだけ（本当にサッとだけ。ラーメンのゆで具合でいう『湯通し』みたいな）でシャンプーリンスどころか石鹸すら使わないのにいい匂いがするし、肌も髪もツヤツヤ。でも、俺は２人一緒に風呂に入って洗いっこしてそのままイチャイチャみたいなプレイができないのをちょっと残念に思っていたのだ。
「ここ、混浴だから一緒に入れるんだけどなー」
「えッ!?」
俺がそうつぶやくと、俺に摺り寄せるようにしなだれかかる妻は身体がビクッとさせて驚いた。ここの旅館を選んだのは俺だし、混浴だと教えてなかったのも当然ワザとだ。まあ、魔物に配慮してか混浴ＯＫにしてる旅館やホテルはチラホラあるけど、実はこの旅館はそんなレベルを超えていたりする。
「しかもいくつも浴場があって、お金払えばそのうちひとつを貸切にできたりするんだけどなー」
「え」
経営者が刑部狸なこともあって温泉ソープ旅館と呼んでも違和感のないこの旅館、大きさに応じた料金を払えば浴場を貸し切れるシステムがある。今はまだＴＶや雑誌で取り上げられるほど話題にはなってないけど、遠からず魔物の嫁や恋人を持つ人々で賑わい、温泉イチャエロスポットとして名高い場所になる……ってサイトの代表者あいさつに書いてあった。
妻も俺が何を言ってるのか分かったらしく、頬が少しずつ赤くなってきた。意識してるのか無意識なのか、腰がもぞもぞと動いて身体をもっとくっつけようとしてきてる。それでもまだ襲ってこないのは、「エッチしたい」のと「お風呂ヤダ」の２つの思いの間で葛藤してるんだろう。
「俺、お前と一緒に風呂入りたいなー」
「ちょ、あ……っ！」
肩に手を回して抱き寄せ、もう一方の手を顎に添えて上を向かせる。すでに興奮状態の妻は息も荒いし目も潤んできてるように見えたけど、まだ最後の一押しが足りないか。とは言え、あんまりやり過ぎてもこの場で襲われるしなあ。賭けに出るしかないか。
「……なんてな。お前が風呂嫌いなのは知ってるよ、意地悪言ってゴメン。１人で男湯行ってくるよ」
手を離して立ち上がり、荷物の中から替えの下着とかを探す。ついでに妻の分も探す。押してダメなら引いてみろというか、風呂が嫌だと言っても目の前にエッチというエサをぶら下げられたら食いつくだろうという、とどのつまりは完全に賭けだ。手では荷物を探りながら、意識は背後の様子を窺うことに集中する。これでダメなら、俺は本当に１人で男風呂に行かなきゃならなくなる。なんのために夫婦で来たんだよ。お願いです魔王様、どうか俺にご加護を！
「……ね、ねぇ」
（っし、かかった！）
＊ ＊ ＊ ＊
俺の願いは無事に聞き届けられたようで、妻は一緒に風呂場まで来てくれた。ベッドの上では見慣れた気がする一糸まとわぬ姿も、夕焼けに照らされる屋外で見るとなると目新しい。空を飛ぶハーピー種だからということもあってか女性的な肉付きは薄めだけど、その細身が描く曲線美はそれを補って余りあるほどだ。
肝心の温泉とは言うと、２人で貸切にできるとは思えないくらいの広さがあった。フロントにいたゴブリンの仲居さんが『お嫁さんがハーピーさんなら、２人用の一番安い浴場でも充分な広さだよー』と言ったのは嘘じゃなかったらしい。１０人用とか団体用とか、どこのハーレム王が借りるんだって広さの浴場もあったし。
「あら、何コレ？ お風呂に浮かべるの？」
妻はあらかじめ置いてあるソープベッドを見つけると、空気の弾力を楽しむようにポンポンと叩いて遊び始める。まぁ、初めて見たらそういう遊び道具に見えても仕方ないだろうな。ラミア種とかの体が大きい種族にも対応しなきゃいけないからか、湯船もかなり大きいし。
「いや、それはここで大人がアソビをするためにあるんだな」
「……へえ、これの上でするの？」
かけ湯をしながら答えると、妻はすぐに用途を察してマットの上に女の子座りしてみせた。……うん、裸でのぺたん座りは腕でいろんなところが隠れて逆に色っぽい気がする。妻はブラックハーピーで身体を隠すのが黒い羽だから余計にそう見えるのかも知れないけど。
そして使い方を理解した瞬間、その瞳が獲物を狩る猛禽のものに変わったように見えたのはたぶん気のせいじゃない。妻が嫌がるのは『湯につかること』であって、別に風呂場だろうがどこだろうが、スるのに場所は問題じゃないだろうから。
「じゃあ早速――」
「ちょっと待った」
「っぷぁ!?」
飛び上がって襲いかかってきた妻の動きに合わせて桶を降り、お湯の砲弾を発射。突っ込んできた勢いそのままに顔からカウンター気味にクリーンヒット、妻はその動きを止めた。俺はその隙に急いで湯船に入り、そのど真ん中に位置どる。淵から手を伸ばしても絶対に届かない場所だ。
「っつう……何するのよ」
「そこで始めたらほとんど温泉に入らずに終わりそうで」
「……もとはと言えばそっちが誘ってきたくせに」
まさに烏の濡羽色になったショートヘアからボタボタと水滴を垂らしながら、怒りと悲しみの入り混じった視線を向けてくる妻。俺はＨしたくないんじゃなくてただのんびり風呂に入りたいだけなんだけど、Ｍっ気の弱い妻にはお預けされるのはかなりこたえたっぽい。俺もＳとかリョナとかの趣味ないから、泣きそうな目で見つめられるのはただただ決まりが悪い。
「違うって、お前と一緒に入りたいんだよ。せっかくの温泉だし、ウチと違って湯船も広いしさ」
「うぅ……」
岸に寄って手を差し出すけど、温泉の揺れる水面と湯気を見てたじろいでいる。一応チラチラと俺にも視線を向けてくるから、葛藤するだけの猶予はあるってことだ。何が何でも絶対に無理ってわけではないんだろう。
「頼むよ……美沙希」
妻の名前を呼んで懇願する。普段は「お前」「アンタ」で用が済んでしまうので、いつの間にか名前を呼ぶのは特別なとき、みたいな夫婦の不文律ができていた。俺たちには恋人期間なんて無かったから名前を呼ぶ機会なんてなおさらのこと無く、そのほとんどがベッドの上で繋がるときくらいだったからかもしれない。とにかく俺たち夫婦の間では、名前を呼ぶことは何か頼んだりするときの最後の手段なのだ。
「……ズルい」
そう小さく文句を言うと、ようやく妻は俺の手を取って恐る恐る足を湯の中に入れていく。顔には恐怖とも嫌悪ともつかないネガティブな色がありありと浮かんでおり、繋いだ手からも震えているのが伝わってくる。どうにか片足を底につけると、そこで少しためらった次の瞬間には湯船に飛び込むようにして俺にしがみついてきた。冷たい空気にさらされていた妻の肌は少し冷えていて、それでいて柔らかかった。
「は、離さないでよ！」
「はいはい」
耳のすぐ横で落ち着きなくわめきながら、妻はかなり力をこめて抱き着いてくる。何度も抱きしめ直すせいで背中では羽がわさわさしてくすぐったいし、前は前で小ぶりな胸がぷにぷにと押し付けられて気持ちいい。俺も回した腕で背中と髪を軽く撫でてやって、少しでも安心できるようにしてやる。
でも、それはそれとして。
「……なぁ、もう座っていいか？ 湯冷めしそう」
「ゆ、ゆっくりだからね」
うん、寒いんだ、露天風呂で一度お湯に浸かった体を外気にさらすのは。
妻をきつく抱きしめたまま、ゆっくりと腰を下ろしていく。腰が底につくころには対面座位でのだいしゅきホールドの体勢になってたけど、妻にはそんなこと気づいてないどころか、気づけるだけの余裕もないらしい。そうしていなければ命に関わるとでも言うかのような必死さで俺にしがみついてくる。Ｈなネタより優先されるあたり、お風呂嫌いが並じゃないことを改めて思い知らされる。
「なぁ、なんでそんなに風呂とかがダメなんだ？」
「……笑わない？」
「たぶん」
「……小さい頃にね、水辺から怪物が出てくる映画があって」
「あー、よくあるよなそういうの。パニックホラーってんだっけ？」
「うん」
「……」
「……」
間。
「……それだけ？」
「それだけって何!? ダメなのよ、今でも！」
小さい頃から植えつけられたトラウマはいくつになっても引きずるものらしい。地元の人は老若男女に関係なく、なまはげ見ると恐怖を感じるって話も聞くし。妻の場合、それが怪物じゃなくて水辺そのもので、しかもその気になれば避けて通れるものだったってのが未だに克服できてない原因なんだろう。……なら。
「うがー、怪物だぞー」
「ちょ、いきなり何……っ！」
アホなことを言いながら妻の首筋にかぶりつき、そのまま歯型が残る程度に甘噛みする。さらに背中に回していた片手を下に降ろし、水面下でお尻の柔肉を撫でまわす。
お風呂プレイでトラウマの上書きをできれば、家でも風呂場で恐怖を感じないようになるかもしれないという、かなり単純な思いつきだ。
「ん……あっ……」
「お前は温泉の怪物に襲われて大変だなー」
「っ、そういう……バカ……っ!?」
たいがいの魔物は、旦那から責められると本能的にヘロヘロになってしまうらしい。それはウチの妻も例外ではなく、抱き着く力が弱まってきたことで拘束が緩くなり、同時に俺に身体を押し付けるように背を反らせてくる。俺の肩口から妻の頭が浮いたことで口撃のターゲットを尖った耳へと移せるようになり、その先端をくわえこんでチロチロと舌を這わせる。エルフ耳というか、この尖った耳は妻の弱点のひとつだ。
向こうもさっき一度鎮火した情欲にまた火がついてきたようで、吐息や雰囲気が湿っぽくなり、肌も紅潮しているのがはっきりわかるようになってくる。調子に乗って陰部を直接いじろうと手をもっと深く差し入れたとき、その目が猛禽の輝きを取り戻した。
「いつまでもっ、いい気になって……！」
「うおっ？」
「さっきからこんなにカタくして……わざと押し付けてきて……っ」
一度体を浮かせたかと思うと俺の肉棒の上に座り直し、そのまま腰を前後に揺すり始める。対面座位での素股は初めてだけど、温泉の中で浮力が働いてるからなのかあまり重いとは感じず、むしろ体重がいい感じの圧迫感を生み出して肉棒を刺激してくる。妻はだいしゅきホールドの体勢で足を大きく広げているので既に口は開いており、ちょっと腰をくねらせて誘導してやれば簡単に入れられるだろう。しかしその期待が顔に出たのか、俺の表情を見ると深く腰掛けなおし、今度はゆっくりと円を描くように腰を回しはじめる。緩急をつけてみたり止まってみたり、はたまた逆回転してみたりと、明らかに焦らしにかかってきた。
「はぁ、はぁ、どう？ もう入れたい？」
「どっちが、だ……お前こそ、息が切れてるぞっ……」
挑発してはくるものの、向こうだって限界なのは一目瞭然なので強気で返してやる。真正面から至近距離で見た妻の眉は一応Ｖの字を保ってはいたが、目が「早く入れたい早く入れたい早く入れたい」と連呼していた。
猛禽化して襲う側の思考と嗜好になった妻はそんな俺の反応が気に入らなかったのか、小さく唸ると即座に唇を重ねてきた。頭突きもかくやというその速度に俺の反応は遅れ、その隙に舌の侵入を許してしまう。
「ちょ待っ、ん、んんー！」
「んっ……ちゅ……っふぁ。……だいたい人のこと誘っておいて……襲うのはわたしなんだからぁ！」
「ちょ、いきなり入れ……っく！」
「……！……っ、〜〜〜〜!! ……っは！ やっと、キタぁ……」
そうして上の口に集中させられて、腰の前後運動の勢いが激しくなったと思った次の瞬間にはそれこそ丸飲みするかのように根元まで挿入された。妻は長いことお預けされていたからか入れただけで軽くイったようで、ナカも外も黙って小刻みに震えていたが、やがて大きく息を吐いて再起動する。
「ふふっ、なんかいつもよりもあったかい」
「そりゃ温泉の中だからな……っく、お前だっていつもより熱いぞ」
いったんトんだからか妻の猛禽モードは解除されており、湯に浸かっている恐怖も忘れたように甘えてきた。温泉のせいでいつも以上に火照っているからだろう、妻の体がいろんな意味でアツく感じた。それでもまだ入れただけだ、妻はイったが俺はまだ――
「……なんか満足しちゃった。しばらくこのまま、ぎゅってしててもいい？」
「……だな。たまにはゆっくりするのもいいか」
「ん〜♪」
再度の反撃に移ろうかというところで、その言葉と緩んだ表情に毒気を抜かれる。温泉に来たそもそもの目的を思い出して頭を撫でてやると、妻は幸せそうな声を漏らしてにへらと笑った。
＊ ＊ ＊ ＊
その後も繋がったままゆったりしているうちに辺りは真っ暗になり、長い長い一回戦だけで温泉から上がることに。部屋に戻ると少しすると仲居さんが来て、そのまま夕飯になった。その配膳が向かい合せじゃなく横並びだったあたりは、さすがに魔物経営で魔物ターゲットの旅館だと思う。
「料理もおいしいのね、この旅館」
「経営者が刑部狸だしなー、客が見るところは力入れてるんだろ。ところで、これ何だ？」
俺が持ち上げた小皿には、絡みつくようなツルの先に青い小さな実と赤い大きな実がついた果実が乗っていた。見覚えがなかったので妻にそれを見せるとひょいと皿を奪われ、俺の手が届かない机の端っこに置かれる。
「夫婦の果実って言う魔界の果実。食べ方は……後で、温泉で教えてあげる」
「あー、魔界の……え、温泉？」
「……なんだかんだで、まだ１回しかしてないじゃない。また温泉でしてあげるんだから、付き合いなさいよ……悠人」
箸で料理を持ち上げ食べさせようとしてくる妻の瞳の端に、またしても猛禽の眼光がちらりと輝く。どうやら今夜は、お風呂で獰猛な怪物に襲われることになりそうだ。
【完】
「ええ、ありがとうございます」
そう言って仲居さんが襖の向こうへ消えると、部屋には俺と妻の２人が残される。その妻はと言えば、部屋の奥にある掃出し窓の前に立ち、そこからの景色に目を輝かせていた。紅色の瞳に傾き始めた太陽と色づいた山肌が映り込み、赤系のグラデーションが燃える炎のように揺らいでいる。
「いい景色ねー。周り一面紅葉づくし」
ほうとため息をつく彼女の両腕は二の腕から毛に覆われ、肘から先は鳥のような翼になっている。足もヒザから下は逆関節の鳥脚で、腰のあたりからは凸型の尾羽が伸びている。彼女の全身を覆うそれらの毛や羽は、髪まで含めてやや紫がかった黒で統一されていた。
ブラックハーピー、それが妻の種族。普通のハーピーよりも賢く凶暴で、男を連れ去って夫とし、生涯解放されることはない。その一方で、仲間や家族を何より大切にするという――まぁ、種族の一般的特徴としてはそんな感じらしい。
俺たちの場合、会社の宴会で酔っ払ったところを同期で同僚だったコイツの家に「持ち帰られた」ことがきっかけで現在に至る。起きたら知らない部屋とベッドで、隣に裸の同僚（女）が寝てることに気づいたときには目も二日酔いも一瞬で覚めた。女の側が魔物ってこともあって後の展開はお察し、週明けに出社したら職場の全員から「おめでとう」言われました。
そんな感じで唐突にスタートした夫婦生活だけど、彼女も甲斐甲斐しく尽くしてくれるし、家事も並以上にこなすし、美人だし、床上手だしで、俺としてもケチのつけどころはない。……ある１点を除いては。実は今回の旅行も、その１点があるからこそ提案したようなものだったりする。
「さて、どうするよ？ けっこうかかったし、もう出かけるには微妙な時間だけど」
「んー……そうねぇ、こう着いてすぐだと荷解きする気にもなれないしね」
「だよなー」
座布団に腰を下ろし、仲居さんが置いて行ったお茶を飲む。妻も卓の向かいに座ればいいのに、すぐ隣に座ってしなだれかかって来るあたりはさすが魔物というところか。時計の針は４時を回ったところでまだ夕飯まで時間があるし、出かけるのは明日にして部屋でゆっくりするのもアリだと思う。畳の部屋なんてずいぶん久しぶりだし。
しかし、だ。
「じゃあ、温泉でも行くか？」
そう、この旅館は部屋からの景観もウリの１つだが、それと並んで評判なのが温泉。かなり唐突に湧いたもんでどこぞの精霊使いがやらかしたんじゃないかって噂もあるけど、とりあえず天然は天然らしい。どうせ同じゆっくりするなら、普段と同じようにゴロゴロするよりも温泉に入りたい。
「え、あ、あぁー。おんせんね、いいんぢゃない？」
「見事な棒読みだな、オイ」
ところがどっこい、妻の反応は芳しくない。いや、旦那の俺にはそんなことわかってたけども。これこそが、俺が夫婦性活もとい生活を送る上で気になる『ある１点』。この黒鳥人さんはお風呂とかプールとか海とか、水に浸かることが大嫌いなのだ。知り合いの魔物娘に話を聞いてみても、ヴァンパイアが真水に弱いみたいな特別な理由があるわけではないらしい。そもそもお義母さんが『このコは小さいときからお風呂が嫌いでねー』と言っているので、完全にコイツ個人の問題なのは確定。
別に、臭うとかそういうことはない。魔物の魔力という不思議パワーのせいなのか、いつもササッとシャワーを浴びるだけ（本当にサッとだけ。ラーメンのゆで具合でいう『湯通し』みたいな）でシャンプーリンスどころか石鹸すら使わないのにいい匂いがするし、肌も髪もツヤツヤ。でも、俺は２人一緒に風呂に入って洗いっこしてそのままイチャイチャみたいなプレイができないのをちょっと残念に思っていたのだ。
「ここ、混浴だから一緒に入れるんだけどなー」
「えッ!?」
俺がそうつぶやくと、俺に摺り寄せるようにしなだれかかる妻は身体がビクッとさせて驚いた。ここの旅館を選んだのは俺だし、混浴だと教えてなかったのも当然ワザとだ。まあ、魔物に配慮してか混浴ＯＫにしてる旅館やホテルはチラホラあるけど、実はこの旅館はそんなレベルを超えていたりする。
「しかもいくつも浴場があって、お金払えばそのうちひとつを貸切にできたりするんだけどなー」
「え」
経営者が刑部狸なこともあって温泉ソープ旅館と呼んでも違和感のないこの旅館、大きさに応じた料金を払えば浴場を貸し切れるシステムがある。今はまだＴＶや雑誌で取り上げられるほど話題にはなってないけど、遠からず魔物の嫁や恋人を持つ人々で賑わい、温泉イチャエロスポットとして名高い場所になる……ってサイトの代表者あいさつに書いてあった。
妻も俺が何を言ってるのか分かったらしく、頬が少しずつ赤くなってきた。意識してるのか無意識なのか、腰がもぞもぞと動いて身体をもっとくっつけようとしてきてる。それでもまだ襲ってこないのは、「エッチしたい」のと「お風呂ヤダ」の２つの思いの間で葛藤してるんだろう。
「俺、お前と一緒に風呂入りたいなー」
「ちょ、あ……っ！」
肩に手を回して抱き寄せ、もう一方の手を顎に添えて上を向かせる。すでに興奮状態の妻は息も荒いし目も潤んできてるように見えたけど、まだ最後の一押しが足りないか。とは言え、あんまりやり過ぎてもこの場で襲われるしなあ。賭けに出るしかないか。
「……なんてな。お前が風呂嫌いなのは知ってるよ、意地悪言ってゴメン。１人で男湯行ってくるよ」
手を離して立ち上がり、荷物の中から替えの下着とかを探す。ついでに妻の分も探す。押してダメなら引いてみろというか、風呂が嫌だと言っても目の前にエッチというエサをぶら下げられたら食いつくだろうという、とどのつまりは完全に賭けだ。手では荷物を探りながら、意識は背後の様子を窺うことに集中する。これでダメなら、俺は本当に１人で男風呂に行かなきゃならなくなる。なんのために夫婦で来たんだよ。お願いです魔王様、どうか俺にご加護を！
「……ね、ねぇ」
（っし、かかった！）
＊ ＊ ＊ ＊
俺の願いは無事に聞き届けられたようで、妻は一緒に風呂場まで来てくれた。ベッドの上では見慣れた気がする一糸まとわぬ姿も、夕焼けに照らされる屋外で見るとなると目新しい。空を飛ぶハーピー種だからということもあってか女性的な肉付きは薄めだけど、その細身が描く曲線美はそれを補って余りあるほどだ。
肝心の温泉とは言うと、２人で貸切にできるとは思えないくらいの広さがあった。フロントにいたゴブリンの仲居さんが『お嫁さんがハーピーさんなら、２人用の一番安い浴場でも充分な広さだよー』と言ったのは嘘じゃなかったらしい。１０人用とか団体用とか、どこのハーレム王が借りるんだって広さの浴場もあったし。
「あら、何コレ？ お風呂に浮かべるの？」
妻はあらかじめ置いてあるソープベッドを見つけると、空気の弾力を楽しむようにポンポンと叩いて遊び始める。まぁ、初めて見たらそういう遊び道具に見えても仕方ないだろうな。ラミア種とかの体が大きい種族にも対応しなきゃいけないからか、湯船もかなり大きいし。
「いや、それはここで大人がアソビをするためにあるんだな」
「……へえ、これの上でするの？」
かけ湯をしながら答えると、妻はすぐに用途を察してマットの上に女の子座りしてみせた。……うん、裸でのぺたん座りは腕でいろんなところが隠れて逆に色っぽい気がする。妻はブラックハーピーで身体を隠すのが黒い羽だから余計にそう見えるのかも知れないけど。
そして使い方を理解した瞬間、その瞳が獲物を狩る猛禽のものに変わったように見えたのはたぶん気のせいじゃない。妻が嫌がるのは『湯につかること』であって、別に風呂場だろうがどこだろうが、スるのに場所は問題じゃないだろうから。
「じゃあ早速――」
「ちょっと待った」
「っぷぁ!?」
飛び上がって襲いかかってきた妻の動きに合わせて桶を降り、お湯の砲弾を発射。突っ込んできた勢いそのままに顔からカウンター気味にクリーンヒット、妻はその動きを止めた。俺はその隙に急いで湯船に入り、そのど真ん中に位置どる。淵から手を伸ばしても絶対に届かない場所だ。
「っつう……何するのよ」
「そこで始めたらほとんど温泉に入らずに終わりそうで」
「……もとはと言えばそっちが誘ってきたくせに」
まさに烏の濡羽色になったショートヘアからボタボタと水滴を垂らしながら、怒りと悲しみの入り混じった視線を向けてくる妻。俺はＨしたくないんじゃなくてただのんびり風呂に入りたいだけなんだけど、Ｍっ気の弱い妻にはお預けされるのはかなりこたえたっぽい。俺もＳとかリョナとかの趣味ないから、泣きそうな目で見つめられるのはただただ決まりが悪い。
「違うって、お前と一緒に入りたいんだよ。せっかくの温泉だし、ウチと違って湯船も広いしさ」
「うぅ……」
岸に寄って手を差し出すけど、温泉の揺れる水面と湯気を見てたじろいでいる。一応チラチラと俺にも視線を向けてくるから、葛藤するだけの猶予はあるってことだ。何が何でも絶対に無理ってわけではないんだろう。
「頼むよ……美沙希」
妻の名前を呼んで懇願する。普段は「お前」「アンタ」で用が済んでしまうので、いつの間にか名前を呼ぶのは特別なとき、みたいな夫婦の不文律ができていた。俺たちには恋人期間なんて無かったから名前を呼ぶ機会なんてなおさらのこと無く、そのほとんどがベッドの上で繋がるときくらいだったからかもしれない。とにかく俺たち夫婦の間では、名前を呼ぶことは何か頼んだりするときの最後の手段なのだ。
「……ズルい」
そう小さく文句を言うと、ようやく妻は俺の手を取って恐る恐る足を湯の中に入れていく。顔には恐怖とも嫌悪ともつかないネガティブな色がありありと浮かんでおり、繋いだ手からも震えているのが伝わってくる。どうにか片足を底につけると、そこで少しためらった次の瞬間には湯船に飛び込むようにして俺にしがみついてきた。冷たい空気にさらされていた妻の肌は少し冷えていて、それでいて柔らかかった。
「は、離さないでよ！」
「はいはい」
耳のすぐ横で落ち着きなくわめきながら、妻はかなり力をこめて抱き着いてくる。何度も抱きしめ直すせいで背中では羽がわさわさしてくすぐったいし、前は前で小ぶりな胸がぷにぷにと押し付けられて気持ちいい。俺も回した腕で背中と髪を軽く撫でてやって、少しでも安心できるようにしてやる。
でも、それはそれとして。
「……なぁ、もう座っていいか？ 湯冷めしそう」
「ゆ、ゆっくりだからね」
うん、寒いんだ、露天風呂で一度お湯に浸かった体を外気にさらすのは。
妻をきつく抱きしめたまま、ゆっくりと腰を下ろしていく。腰が底につくころには対面座位でのだいしゅきホールドの体勢になってたけど、妻にはそんなこと気づいてないどころか、気づけるだけの余裕もないらしい。そうしていなければ命に関わるとでも言うかのような必死さで俺にしがみついてくる。Ｈなネタより優先されるあたり、お風呂嫌いが並じゃないことを改めて思い知らされる。
「なぁ、なんでそんなに風呂とかがダメなんだ？」
「……笑わない？」
「たぶん」
「……小さい頃にね、水辺から怪物が出てくる映画があって」
「あー、よくあるよなそういうの。パニックホラーってんだっけ？」
「うん」
「……」
「……」
間。
「……それだけ？」
「それだけって何!? ダメなのよ、今でも！」
小さい頃から植えつけられたトラウマはいくつになっても引きずるものらしい。地元の人は老若男女に関係なく、なまはげ見ると恐怖を感じるって話も聞くし。妻の場合、それが怪物じゃなくて水辺そのもので、しかもその気になれば避けて通れるものだったってのが未だに克服できてない原因なんだろう。……なら。
「うがー、怪物だぞー」
「ちょ、いきなり何……っ！」
アホなことを言いながら妻の首筋にかぶりつき、そのまま歯型が残る程度に甘噛みする。さらに背中に回していた片手を下に降ろし、水面下でお尻の柔肉を撫でまわす。
お風呂プレイでトラウマの上書きをできれば、家でも風呂場で恐怖を感じないようになるかもしれないという、かなり単純な思いつきだ。
「ん……あっ……」
「お前は温泉の怪物に襲われて大変だなー」
「っ、そういう……バカ……っ!?」
たいがいの魔物は、旦那から責められると本能的にヘロヘロになってしまうらしい。それはウチの妻も例外ではなく、抱き着く力が弱まってきたことで拘束が緩くなり、同時に俺に身体を押し付けるように背を反らせてくる。俺の肩口から妻の頭が浮いたことで口撃のターゲットを尖った耳へと移せるようになり、その先端をくわえこんでチロチロと舌を這わせる。エルフ耳というか、この尖った耳は妻の弱点のひとつだ。
向こうもさっき一度鎮火した情欲にまた火がついてきたようで、吐息や雰囲気が湿っぽくなり、肌も紅潮しているのがはっきりわかるようになってくる。調子に乗って陰部を直接いじろうと手をもっと深く差し入れたとき、その目が猛禽の輝きを取り戻した。
「いつまでもっ、いい気になって……！」
「うおっ？」
「さっきからこんなにカタくして……わざと押し付けてきて……っ」
一度体を浮かせたかと思うと俺の肉棒の上に座り直し、そのまま腰を前後に揺すり始める。対面座位での素股は初めてだけど、温泉の中で浮力が働いてるからなのかあまり重いとは感じず、むしろ体重がいい感じの圧迫感を生み出して肉棒を刺激してくる。妻はだいしゅきホールドの体勢で足を大きく広げているので既に口は開いており、ちょっと腰をくねらせて誘導してやれば簡単に入れられるだろう。しかしその期待が顔に出たのか、俺の表情を見ると深く腰掛けなおし、今度はゆっくりと円を描くように腰を回しはじめる。緩急をつけてみたり止まってみたり、はたまた逆回転してみたりと、明らかに焦らしにかかってきた。
「はぁ、はぁ、どう？ もう入れたい？」
「どっちが、だ……お前こそ、息が切れてるぞっ……」
挑発してはくるものの、向こうだって限界なのは一目瞭然なので強気で返してやる。真正面から至近距離で見た妻の眉は一応Ｖの字を保ってはいたが、目が「早く入れたい早く入れたい早く入れたい」と連呼していた。
猛禽化して襲う側の思考と嗜好になった妻はそんな俺の反応が気に入らなかったのか、小さく唸ると即座に唇を重ねてきた。頭突きもかくやというその速度に俺の反応は遅れ、その隙に舌の侵入を許してしまう。
「ちょ待っ、ん、んんー！」
「んっ……ちゅ……っふぁ。……だいたい人のこと誘っておいて……襲うのはわたしなんだからぁ！」
「ちょ、いきなり入れ……っく！」
「……！……っ、〜〜〜〜!! ……っは！ やっと、キタぁ……」
そうして上の口に集中させられて、腰の前後運動の勢いが激しくなったと思った次の瞬間にはそれこそ丸飲みするかのように根元まで挿入された。妻は長いことお預けされていたからか入れただけで軽くイったようで、ナカも外も黙って小刻みに震えていたが、やがて大きく息を吐いて再起動する。
「ふふっ、なんかいつもよりもあったかい」
「そりゃ温泉の中だからな……っく、お前だっていつもより熱いぞ」
いったんトんだからか妻の猛禽モードは解除されており、湯に浸かっている恐怖も忘れたように甘えてきた。温泉のせいでいつも以上に火照っているからだろう、妻の体がいろんな意味でアツく感じた。それでもまだ入れただけだ、妻はイったが俺はまだ――
「……なんか満足しちゃった。しばらくこのまま、ぎゅってしててもいい？」
「……だな。たまにはゆっくりするのもいいか」
「ん〜♪」
再度の反撃に移ろうかというところで、その言葉と緩んだ表情に毒気を抜かれる。温泉に来たそもそもの目的を思い出して頭を撫でてやると、妻は幸せそうな声を漏らしてにへらと笑った。
＊ ＊ ＊ ＊
その後も繋がったままゆったりしているうちに辺りは真っ暗になり、長い長い一回戦だけで温泉から上がることに。部屋に戻ると少しすると仲居さんが来て、そのまま夕飯になった。その配膳が向かい合せじゃなく横並びだったあたりは、さすがに魔物経営で魔物ターゲットの旅館だと思う。
「料理もおいしいのね、この旅館」
「経営者が刑部狸だしなー、客が見るところは力入れてるんだろ。ところで、これ何だ？」
俺が持ち上げた小皿には、絡みつくようなツルの先に青い小さな実と赤い大きな実がついた果実が乗っていた。見覚えがなかったので妻にそれを見せるとひょいと皿を奪われ、俺の手が届かない机の端っこに置かれる。
「夫婦の果実って言う魔界の果実。食べ方は……後で、温泉で教えてあげる」
「あー、魔界の……え、温泉？」
「……なんだかんだで、まだ１回しかしてないじゃない。また温泉でしてあげるんだから、付き合いなさいよ……悠人」
箸で料理を持ち上げ食べさせようとしてくる妻の瞳の端に、またしても猛禽の眼光がちらりと輝く。どうやら今夜は、お風呂で獰猛な怪物に襲われることになりそうだ。
【完】
12/12/29 00:46更新 / かめやん