連載小説
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後編:幽閉と望み
 ニースの帰還、そしてエンジェルによる彼の告発から3日。教会の地下、暗く湿った牢獄に彼の姿はあった。
突然の告発に人々は戸惑ったが、主神の使途たるエンジェルの発言を疑うこともできなかったためニースにその場で縄を打ち、閉じ込めたのだった。

 ニースの両腕は壁から伸びた鎖で、両足は鉄球つきの足枷で動きを制限され、体にはこの3日で受けた尋問――否、拷問による傷が刻まれていた。
容疑の内容は、以前から魔物と内通していた、斥候部隊の情報を流して全滅させたなど。
その容疑のどれもニースにはまったく身に覚えのないことだったが、彼が実際にそれをしたかどうかは問題ではない。
この国のように教団の力が強い土地では、それが真実か虚偽かに関わらず、教団の言うことこそが正しい。
『尋問の結果、やったことを白状した』として公表してしまえば、それが真実となるのだから。

「気分はどうです、穢れた騎士よ」
「……いいとは言えませんね」

 鉄格子の向こうに現れた神父に、かすれ声でニースは答える。
ろくに休息も食事も与えられず、ただ拷問という理不尽な暴力を受け続けた3日間。彼は肉体・精神ともにかなり消耗していた。

「明日、あなたの罪が裁かれます」
「……そうですか」

 その言外に込められた意味を、彼はすぐに理解した。
今はもう除名されているだろうが、とはいえ教団の騎士であった以上は教団の決定は絶対だと知っている。
すぐに思考を切り替え、自分に残された時間で何ができるか、何をしたいかを考える。
 そしてわずかの沈黙の後、彼は口を開いた。

「……遺言は、残せるんでしょうか」
「天使様のお慈悲で、あなたが最期にしたいことをさせてくださるとのことです」

 ニースは驚いて顔を上げる。と、神父は彼に苦々しい表情を向けていた。

「……というより、実は天使様にレノアさんが頼み込んだからこそ実現したのです。あなたは彼女を裏切り、魔物と通じたというのに」
「レノアが……」

 そう話す神父の目は、ニースを蔑み、同時にレノアを哀れがるそれ。
そしてその内容は、この3日間でニースが受けたどんな仕打ちよりも彼の心を締め付け、彼の精神を揺さぶった。
彼女の行動がどんな思いで行われたものかはわからないが、少なくともレノアはまだ自分のことを考えてくれているという安心感。
そして、無理やりとはいえ魔物に犯されたことは事実であり、結果として自分は彼女を裏切っているという罪悪感。
 葛藤のなか茫然自失としてうつむいたニースに、神父はやれやれといった様子で面倒そうに言う。

「それで、あなたの望みはなんですか? 当然、逃がすことなどはしませんが。最期のワインでも飲みますか?」

 無論、ニースはそんなもの欲しくはなかった。
彼が望むものなど、この世界にただひとつしかなかったのだから。

「僕の、望みは――」


  * * * *


 そして翌日、ニースは手枷と足枷をつけたまま牢から出され、広場へと連れ出された。
広場の周囲は柵で囲われており、その外側には大勢の人々が押しかけている。
たとえ名ばかりの審問でも、それは神の名のもとに行われる。ゆえに神の信徒である人々はその儀式を穢さぬよう、罵る声もあげず、暴れる者もいなかった。
そのかわりにニースに浴びせられるのは、人々の感情が込められた視線。
すでに彼が魔物に情報を流したというように流布されているのだろう、その視線には憎しみ、蔑み、怒りなど様々な負の感情が込められていた。
特に一部の人々――斥候部隊の身内だろうと彼は思った――のそれはすさまじく、ニースは殺気という表現すら生ぬるく感じるほどだった。
 彼らが怒り狂うのには、彼の姿も関係していたのかもしれない。
 ニースは今、彼自身の物だった聖騎士用の鎧を身に纏っていた。
牢から連れ出される際、執行人から着るように強要されたものだったが、彼にはなぜそんな必要があるのかわからなかった。
むしろもう2度と着ることは許されないだろうと、彼自身がそう思っていたのだから。
 しかし、聴衆の感情を煽り、彼への憎しみ、ひいては魔物への敵対心を強めるには意味があったのかもしれない。
教団はなかなかどうして人心掌握が上手いものだな――そう思うと、ニースはなにか可笑しくさえ思えた。

「罪人、ニース・アバーリン。汝は聖騎士という誇りある立場にありながら魔と繋がりを持ち、あまつさえ我ら神の軍の情報を流し、果てに数多くの聖騎士たちを魔のモノへ売った。間違いないな」
「いえ、私は魔のモノなど――」
「ゆえに、汝はその裏切りを裁かれなければならない。その命を神へ捧げることをもって、神に許しを請うべきと――」
「っ……!」

 わかっていたこととはいえ、ニースは歯噛みせずにはいられなかった。
神父は彼の言葉を聞くことなく、ただ形式的に言葉を並べるのみ。
ニースへの宣告ですらない、周囲を囲む人々に対するパフォーマンス。
 それに気づいたニースは途中からその言葉を聞くことをやめ、目だけを動かして観衆の中にレノアを探していた。

(いない、か……?)
「貴様、何をしている」

 後ろを振り返ろうとした瞬間、横に立つ執行人に頭を掴まれ、無理やり前を向かされる。
しかし、その一瞬の間に彼の目はとらえていた。自分のななめ後ろ、4時の方向に立っているレノアの姿を。

 『処刑場でいい、死ぬ前にレノアにひと目会いたい』
それが彼の、最期の望み。
天使様の慈悲としての扱いだからだろうか、どうやらこの約束は反故にされずに済んだようだった。

「……それではこれより、罪人を処断する」

 ちょうどパフォーマンスの文言も終わり、ニースの足元に一振りの剣が転がされる。
何事かと周囲をうかがうと、1人の聖騎士が神父の後ろから進み出た。
ニースの元上官、街の聖騎士団の団長。要するに、街で最強の戦士であった。
 続いて執行人がニースから離れ、柵まで下がる。
 そしてこれも神父の後ろにいたエンジェルが進み出ると、ニースに人差し指を向けた。
すると、いままで彼を拘束していた手足の枷がはずれ、地面へと落ちる。

「罪人とはいえ仮にも騎士であった汝への、天使様のお慈悲である。死ぬときはせめて、華々しく戦って散るがいい」

 それが足元の剣の、そして枷を外したことの理由だと悟る。
 ニースは弱くはなかったが、騎士団の中では並程度の力だった。
訓練でも団長を相手にして勝ったことはおろか、有効打を当てたことすらない。
 つまり、この状況が示すことはひとつ。
『人々の目の前で、無様に殺されろ』

 ニースはゆっくりと腰をかがめ、剣を拾った。彼が構えると、団長も腰から剣を抜く。
煽るような声はなかったが、周囲の人々も興奮気味な様子なのはニースにも分かった。

「それでは、始めよ!」

 神父の開始宣言。
それとほぼ同時に、団長はニースに向かう。
しかしニースは構えを解いて剣を下ろし、叫んだ。

「みなさん、聞いてください!」

 その言葉に、団長の足が止まる。
ニースが辺りを見回せば、人々も突然の出来事にわけがわからない様子だった。

「……確かに、僕は主神に背いたのかも知れない……いや、無理矢理だったとはいえこの身が魔物に穢されたのは事実、背いたことになるのでしょう」

 そう言ってニースが俯くと、我に返った人々から彼を罵る声が上がった。
波が広がるように、連鎖的にその声は大きくなっていく。

「だがっ!!」

 しかし、ニースはその声を上回る声とともに剣を天に向ける。
その気迫に気圧され、人々のざわめきはピタリと止まった。

「ああ、神よ!! この身を穢されようと、私は魔物に魂を売ってなどいない!! その証明、今ここでしてみせよう!」

 言うやいなやニースは剣を逆手に持ち替え、その切っ先を自らの胸に突き付ける。
そのまま後ろを振り返ると、そこに立つレノアの顔を見た。

「あ、あなた……?」

 レノアは涙を流し震えながらも、そんな彼の姿を見つめていた。

「レノア」
「……は、はい」

 ニースは彼女に、驚くほど穏やかな声をかける。
その声はどう聞いても、死を目前にした者のそれには思えなかった。

「愛してる。もし僕の罪が許されるならば、いつか再び君と一緒になれんことを」
「っ……!!」

 彼はゆったりと彼女に微笑みかけ、剣を振り上げながら願いの言葉を述べた。
それを聞いたレノアは崩れ落ち、もう見ていられないと両手で顔を覆う。

 そうして、ニースの剣は彼自身の体を貫いた。
その傷口からは嘘かまことか、純白の血が流れ出たという。


  * * * *


 ――その数日後、レノアは夫の後を追うように自害。
彼女の遺言によって、彼女はニースの墓のすぐ横に並んで埋葬された。
ニースが罪人として死んだこともあり、場所は町から少し離れたところであったが。

 ――そしてさらに数年後、この国は魔界へと堕ちた。
どこからか流れてきたダークマターによるものとされているが、詳しい原因はわかっていない。

 そして、それから数十年がたった今でも、ニースとレノアの墓の周り数十メートルだけはなぜか魔界化していない。
天には穴が開いたように青空が見え、青々とした芝が地面を覆う。
 魔界植物の中にポツンと存在するそこを、知る人ぞ知る純愛夫婦の聖地として訪れるカップルも多い。
が、なぜかその周辺ではシているカップルはおらず、どんなに激しくてもせいぜいディープキス止まりだという。
どんなに好色な魔物も、この場所ではまったりとライトなスキンシップのほうが魅力的に思えるのだそうだ。
魔物たちの間では、ここに眠る夫婦が『ただ一緒にいられることの幸せ』を教えようとしているのではないかと言われているとか、いないとか。

 ――『魔界各地に伝わる民話 第5巻』より――
11/11/03 00:26更新 / かめやん
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■作者メッセージ
「無実の罪で処刑され、白い血を流した」という民話を読んで思いついた話でしたが、難産でした…
「教団にだって愛に生き、愛に死んだやつはいるだろう」っていうテーマでしたが、はてさて。

あ、上の民話だと処刑されるときに凄まじい呪いを残したりしてるんですが、まさかあのリゾート地にそんな呪いがかかってたとはねぇ…(汗

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