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1.近くて遠く |
助骨が軋む痛さで意識は覚醒し、それと同時に小さな悲鳴を上げた。
顔をあげて辺りを見渡すと一面焼け野原で、色んな人が倒れていく。 飛沫を上げる人や、力なく倒れる人。 為す術もなく地に伏せてゆく人々。 建物が緩やかに倒壊していく様を──はただ見つめていた。 正面を見れば人が死ぬ様、後ろを振り返れば人が死ぬ様。 ……助けを呼ぶこともできず、縋りつくところもなく、ただ死を待つばかりでここにいては助からない。 穴の空いた小さな体に千切れそうな手足を引きずって、比較的無事な教会に避難する。 教会の中はいたって傷ついておらず、誰もいなかった。 小さな国同士の争いで巻き込まれた人々。 同族殺しを否とせず、是非とする人間。 ──は立ち上がって、歩いているつもりなのだろうが、地面に倒れた。 呼吸がうまくできない。 手足が動かない。 目がよく見えない。 頭がぼうとして、何も考えることができない。 教会で死ねるのなら、と少年は思った。 だって、カミサマの下で死ねるのだから。 血みどろの体で、千切れそうな手足を引きずって、この痛みを背負って生きていく世界ならば、死んだほうがましだ、と。 「──ぅ」 小さな悲鳴をあげながらも、地を這いつくばりながらも前へと進む。 神は信仰していないが、全知全能の神なら叫び位は聞いてくれるだろう。この無様な人間の。 「カミサマ、あなたは、何を望んでい、るのです、か」 まともに呼吸ができない体で精いっぱい声を上げる。 なんでもいい、私が生まれながらに罪を背負っているのならば、それも背負います。 懺悔でもいい、私の命はもうすぐ消えるのだから、消えるまでにせめて聞いてほしい。 「──カミサマ、僕は、あなたが、憎いです」 這いずりながら、気力を振り絞って声を出す。 ──は懸命に進んだ。 この体に残るものは主に対する憎悪のみ。 にくい。ニクイ。憎い。 そんな言葉しか頭には思い浮かばず、他の言葉は考えられない。 やっと手に入れた平和な日常。 やっと手に入れた優しい家族。 やっと手に入れた心からのトモダチ。 すべてを奪ったアナタが憎い、同じ世界にいるのならば絶対に許さない。 でも、カミサマなんて人々の精神の拠り所、在処、最後の楽園。 そんな夢想に憎しみを募らせても、自分はどうすればいいのだろう。 「ごふっ」 主の足を両の腕で掴んだまま──は吐血した。 主の足にかかる赤い血は、虚ろな世界にとてもよく映え、美しかった。 罪を背負って死ぬなんて滑稽だ。 憎しみを抱いたまま死ぬのなんて虚しいだけだ。 ……こんなのは、望んでいない。 もう、よく見えない。 この世界に執着すればするほど、ココロが悲鳴を上げる。 血で染まった口を袖で拭いて、体に力を入れた。 ──まだ、過ごしていたい。 平和な日常を ──まだ、一緒にいたい。 抱きしめてくれる家族と ──まだ、話していたい。 心から語り合える友達と。 でも、この世界は歪んでいて、思い通りにはいかなかった。 暗転する世界。 痛みだけが鮮明に主張して。 無垢な心が流した血の意味を、何も知れずまま。 姉様は教えてくれた、泣きたいときは泣いていいものなんだって、姉様だけが教えてくれた。 唯一、血のつながった姉さんが教えてくれて、本当によかった。 「諦めるのか?」 ふと、声がした。 「お前は終わりか?」 暗転した瞳で、必死に声の元を探したけど、この目では何も見えないのだとわかった。 ──は必至に体を動かして声の方向に体を向ける。 「まだ生きていたいなら、逃げればよかったんだ、──は」 あぁ、と心の中で呟く。 もし、願いが叶うのなら、そうしたい。 なんでそんなことに気がつかなかったんだろう、簡単なことなのに。 ──大切な物を守りたいだけなのに、わかってくれなかった。 小さく微笑んで、体の力を抜いた。 ゆるやかに憎しみや想いなどどうでもよくなってくる。 体が浮く感覚もどうでもいいや、と ***************************** ふと目を覚ますと、見慣れないところに寝ていた。 窓からは心地よい風が吹いて、程よく潮風の香りがする。 賑やかな喧騒がメロディーのように奏でられていて、今まで自分がいたところではないとよくわかった。 「起きたか」 見計らったように女の人が入ってきた。 緑の尾の生えた、流し目の似合いそうな女の人だ。 掠れた視界に移るのは、パンと水、コンソメの匂いがするのでスープもあるのだろう。 食欲をそそる視覚的刺激と匂いで、お腹が小さくなった。 「食べるといい」 その言葉を聞きたかったといわんばかりに、僕は手を伸ばした。 パンは香ばしくて、外はぱりぱりなのに中はもちもちとしてて、お水はとても澄んでいる。 スープは体の芯から温めてくれるようで、知らず知らずに涙を流しながら食べていた。 女の人も優しく微笑んだままで、よく見えない目を合わせると嬉しそうに頷いてくれる。 「……うぅっ、ひぐっ」 僕は小さく嗚咽を漏らしてしまった。こんなに温かいのは久しぶりで、忘れていたような気がしたから。 女の人はそんな私を優しく抱きしめてくれた。お母さんや姉様のようにふわふわでいい匂いはしないけど、ぶっきらぼうでも優しく包んでくれた。 甘えるように僕は泣いてしまった。 どのくらい泣いたのかもわからなくて、気がついたら部屋が夕日色に染まっていた。 「体がよくなったら、外を見て回るといい。ここは何よりもきれいだから」 ちょうど涙を拭いたときにそう言われた。 優しく微笑んだままの女の人は、ちいさく私の頭を撫でて出て行った。 * |