No.07 真意
パチッ
「・・・・・・」
まもなく朝日が昇る時刻。
屋敷の客室にて、一晩眠りについていたシンヤが目を覚ます。彼は目の前に映る天井を見て、安心した表情になる。
「・・・そうだったな・・・今は別世界だったな・・・」
彼はそう呟いた後、ベットから立ち上がり、屋敷の外が眺める窓に向かった。そこからは屋敷の中庭があり、庭の右端には竹に囲まれた茶室が見える。彼は椅子の背もたれに掛けてあった学生服の上着を手に取り、羽織って部屋から出て行った。
「・・・・・・ん・・・朝ですね・・・」
ベッドで寝ていたレンジェが上半身だけ起こし、羽をぶるぶるさせるほど背伸びをする。ベットから立ち上がった彼女は、洋服ダンスの前へ行き、ピンクのネグリジェから普段着の黒服へと着替えた。その次に化粧台の方へ行き、鏡を見ながら黒い髪飾りで耳近くの髪を左右対称に束ねる。
「ちょっと早いですね。散歩でもしましょうか・・・」
彼女はバルコニーのある窓へ行き、そこから屋敷の正門がある庭を眺めた。
「・・・・・・?」
ふとここで、レンジェはある何かの気配を察知する。それは中庭から漂うかのように感じ取れた。しかもそれは最近感じ取ったばかりの力の気配である。
「もしや・・・」
彼女は目の前から日の光が差し込んでくるのを気にせず、ふわりと浮かび上がった。出来る限り音を立てず、屋敷の屋根を飛び越える。中庭が見える位置までやって来ると、そこには見知った顔の人物が佇んでいた。
(シンヤさん・・・・・・何をしているのでしょうか?)
青年の様子をもっとよく見るため、彼女は上空の手頃な位置で魔力によって創り上げた黒い座布団に正座する。
(あれは・・・魔法陣?)
直立で目を瞑っているシンヤの足元には、青く光る五芒星の魔法陣が出来上がっていた。それはいつも以上に大き目の円陣となり、五芒星のそれぞれ五つの端に何かが出来上がっている。
1つ目は、地面から蔓のように生える小さな樹木
2つ目は、赤く燃え上がる激しい炎
3つ目は、五角形の長い柱を形作る茶色の土
4つ目は、煌めき輝く光球の黄金
5つ目は、小柄なつむじ風の形になる水流
それらの中心に居る青年は、まるでそれぞれの力を順番通りに送るかのように見える。レンジェはその不思議な光景に見とれてしまう。しばらく続いた力の循環のような儀式は、朝日が照らされると同時に消失した。
「・・・・・・ふぅぅ・・・」
「・・・」
「・・・もう近付いても構わんぞ」
「!」
どうやら彼はいつの間にかレンジェの存在に気付いていたようだ。彼女は浮遊する座布団から飛び降りるように地面へ着地する。そして、青年の元へ近付き、先程の儀式に付いて尋ねた。
「先程のは、何なのでしょうか?」
「陰陽道による五行思想だ。ぃ・・・いや、書物に精神統一するための術があったからな。瞑想するときによく使う」
「五行思想・・・」
レンジェは術に興味を示すが、それ以上に気になることがあった。
(何かを言い掛けた・・・)
「どうした?」
「いえ、何も・・・」
昨日もそうだった。彼の言うことの一部に不自然なところが見られる。それはまるで何かを隠しているような感じだ。しかし、その理由は全く分からない。彼は一体何を隠しているのだろうか。レンジェの頭の中は疑問だらけになってしまう。
「・・・」
「おい」
「・・・はっ!・・・すみません。ちょっと、ぼ―っとしていました・・・」
「なら、いいが・・・」
「じゃあ、そろそろ朝食を食べに行きましょう」
「そうしよう・・・」
屋敷内にある広いダイニングルームで、レンジェはシンヤ、夢乃とともに大きなテーブルの椅子に座っていた。そこへメイドと一緒に紺が朝食の乗ったトレーを持ってくる。
「お待たせしました。今日は、白飯・焼き魚・味噌汁・おひたしの朝御飯です」
「美味しそう♪」
「おお、紺殿。これは鰆(さわら)ですな?」
「ご名答です」
喜ぶ二人に対し、シンヤは表情を変えず、朝食を眺めていた。
「いい出来の料理だ」
「お褒めに預かり光栄です♪」
「では、早速いただこう・・・」
「いただきます♪」
「いただきます!」
3人は手を合わせて箸を手にして食べ始める。
「ずずぅぅぅ・・・ぷはぁ、いいお味噌汁です♪」
「がつがつがつ・・・んぅ! おかわり!」
「夢乃殿は、相変わらず白飯の消費が激しいですね」
「白米は某にとって不可欠な存在! これがないと生きていけません!」
「夢乃・・・あなた、サキュバスでしょ?」
「・・・もぐもぐ・・・いい味をした焼き魚だ」
「あら、シンヤ殿。お気に召しましたか?」
「うん・・・料理人として、なかなかの腕前だな」
「そう言われると照れますね♪」
青年の褒め言葉に、紺は身体をくねくねしながら頬を赤らめた。その様子を見ていたレンジェと夢乃は面白くなさそうな顔をしてしまう。
(わ、私も料理を勉強しなくちゃ・・・)
(シンヤ殿の焼き魚はそれほど美味しいのか・・・紺殿、隠していたな・・・)
食べ終えた後、シンヤは夢乃に手合せしたいと頼まれ、再び中庭へ訪れた。レンジェも二人に付いて行き、彼らの稽古を見学する。夢乃は真剣を抜くが、対するシンヤは木刀を創り上げて構えた。
「まずは準備運動・・・」
「シンヤ殿、木刀だと・・・」
「心配いらん。これが只の木刀でないことは知っているだろう?」
「そ、そうでしたね・・・では、参ります!」
二人が手合せを始めると同時に、セシウがレンジェの隣へやって来る。彼女も二人の模擬戦に興味があるようだ。
「あら、セシウ。おはよう」
「レンジェ様、ごきげんよう・・・夢乃に先を越されたようです」
「あなたもシンヤさんと?」
「ええ・・・見たところ、あの青年の剣術はかなり出来るようです」
「いえ、かなりじゃないわ」
「えっ?」
レンジェの否定にセシウは彼女の方へ顔を向けた。
「どういうことですか?」
「見た目以上に経験を積み重ねているかもしれない・・・」
「し、しかし・・・今、見た感じでは、並みの兵士より上のように見えますが・・・」
「彼は勇者を無傷で倒しています。それも相手を死なせず・・・」
「例のスリップス領にいる勇者をですか!?」
「ええ・・・」
セシウには、レンジェと町の兵士たちで勇者たちを撃退したと伝えられていたので、昨日の戦闘について余り詳しく聞いていなかった。彼女が驚愕するのも無理はない。
「並みの魔物や戦士ですら相手にならない“あの勇者”を・・・」
「光剣を持っていたにも関わらず、それでもあの人には勝てませんでした」
「光剣!? 教会の限られた者が持つ御使いの武具ですよ!」
「彼にはその刃すら、苦にならなかったようです」
「信じられません・・・一体、彼はどれだけの能力を・・・」
二人が話している内に、シンヤと夢乃は一旦距離を取り、自身が持つ武器を下ろした。
「ふぅ・・・流石です。動きが速すぎて、先読みができませんね」
「まぁ、これでも身体に限界があるからな・・・次はこれの相手が出来るか?」
キィィィィィ・・・
「!」
シンヤは木刀を消失させ、自身の目の前に青白い光球を出現させる。それは人型へと変化して、夢乃と同じ姿をした幻影が出来上がった。その“夢乃”も刀を鞘から抜いて、本人である夢乃と対峙する。
「す、凄い・・・某自身と戦う日が来るなんて・・・参ります!」
一時は戸惑いを見せた夢乃だったが、気を高ぶらせて自分自身に走り向かった。レンジェとセシウも驚きながらその光景を眺める。
「まさか・・・相手そのものすら創り上げるとは・・・」
「夢乃の羽や尻尾まで綺麗に複製していますね・・・」
「これが“万物の式神”・・・恐ろしい術・・・これなら、あの女にも・・・」
「そうね・・・対等に戦えるのも納得がいけるわ・・・・・・対等・・・?」
「レンジェ様?」
その後は、セシウも彼に頼んで、自身の幻影と対決することになった。レンジェは夢乃とセシウが行った自身との模擬戦であることに気付く。
戦闘時に幻影が取る行動。最初は、本人とは違う剣術で受け流すか、防御をとる。それからしばらくすると、相手と同じような剣技を行うようになる。次節、複製した本人の動きでない剣術を披露するときもあった。
それはまるで、相手を観察しながら相手の動きを覚えていくかのように・・・そして・・・。
(・・・・・・その最中に、見たことのない剣術で場を凌いでいる・・・)
ジパングの刀術にも見えるが、それは臨機応変に多種多様な動きや技を見せる。まるで複数の流派を合わせたような動きだ。
(これは彼自身が知っている剣術?・・・いえ、知っていて出来る事じゃない・・・)
朝の運動を終え、レンジェは領主として、ヴィーラとともに手紙や書類の整理をし始める。
一方のシンヤは、セシウ、夢乃と一緒にある場所へ向かっていた。それはギルドと言われる場所で、傭兵や旅人も訪れる場所である。彼がそこへ向かった理由、それは“妖”の情報を得るためだった。
「熱心ですね・・・あの方は・・・」
「他の方から見れば異常かも知れませんが・・・」
「もしかして、領主様・・・あの女に嫉妬していますか?」
「・・・・・・一つもないです」
(でも・・・執着するほど追っているのも不自然です・・・)
考えてみれば、彼自身だけでなく、その行動にも不可解な点はいくつか存在する。
一つは、別世界に訪れたことや魔物との遭遇に対し、かなり冷静な態度で驚きもしないこと。最初に出会った際、彼は術が効かなかったことには驚いていたが、魔物を見ても動じたりはしなかった。まるで見慣れているかのように・・・。
次に、行方不明となった肉親を捜さず、“妖”の殲滅を優先していること。例え、酷い仕打ちをしてこようが、産み育ててくれた親に変わりはない。それなのに青年は探しもせず、危険を承知であの人外の女へ挑んでいた。かなり胆が据わってないとできないことである。
「領主様?」
「・・・・・・」
「領主様!」
「はっ!? な、何?」
「・・・紅茶が零れています」
「あっ・・・スカートが濡れちゃった・・・」
昼食も皆で食べ終えて、シンヤは再びセシウ達の案内で情報収集に回る。
一方のレンジェは残った書類整理を終えて、紺と一緒に茶室でくつろいでいた。茶を飲み干した彼女は、紺とあることを話し始める。
「紺・・・お聞きしてもいいですか?」
「シンヤ殿についてでしょうか?」
「ええ・・・」
「さぁて・・・」
少し思いつめた表情で彼女は考え込んだ。
「あんなにいい殿方は初・・・」
「紺さん・・・」
「失敬♪・・・ごほんっ!・・・・・・確かに、普通の御方とは違いますね・・・」
「紺さんから見て、何か解ることはないでしょうか?」
「そうですねぇ・・・」
狐の魔物が握った右手を顎に当てる。しばらくしてから、彼女の口が開いた。
「私が思うに・・・彼の精神力は相当なものだと思われます」
「そんなに?」
「実際に彼の力の源を見た訳ではありませんが、あの“万物の式神”普通の人間では扱えないはずです」
「普通の人間では?」
「物や生き物を具現化させるのにどれだけの魔力を扱うか、レンジェ殿もご存じのはず・・・それこそ、魔王の娘くらいか、膨大な魔力持ちのダークマター、または神に近い存在でなければ扱えませんよ」
紺の言うことにレンジェは納得する。実際に彼女はリリムだ。魔力の扱いに長けた彼女は、魔力による具現化の魔法を当然の如く知っている。現在、彼女が出来る具現化の魔術は“魔刀”と“触手”ぐらいだ。まだ、彼女自身の分身を創るほどの技術は会得していない。
「彼は一体・・・」
「直接聞いてみてはいかがでしょうか?」
「確証も無しに教えてくれるのでしょうか・・・」
「それもそうですねぇ・・・」
悩んでしまう二人。その時、紺はあることを思い出す。
「そう言えば、レンジェ殿はシンヤ殿と接吻されたと聞きましたが・・・どんな味でしたか?」
「い、いいいい、いきなり何を言い出すのですか!?」
「初めての接吻はどれほどのものかと思いまして♪」
「もう・・・・・・接吻・・・?」
ここで彼女はあることを思い出す。
(あの時・・・・・・そうだ・・・これなら・・・)
「レンジェ殿?」
日が落ち、月明かりが照らす闇夜が訪れる。
今夜の月は半分以上満ちた辺りまで輝いていた。
夕食を過ぎた辺り、屋敷のレンジェの一室にて、二人の人影が存在した。
一つはその部屋の主人であるレンジェ。
もう一つは・・・。
「・・・確認したいこととは?」
「その前に・・・一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
彼女は目の前に立っているシンヤと話していた。部屋の灯りは、ベットの横にある小さなテーブルの上に乗ったランプだけ。少し、薄暗い部屋の中で二人は話をする。
「出来る範囲なら・・・」
「あ、あの・・・あなたと、もう一度・・・き、キスしてもいいですか?」
「・・・・・・」
彼女から口付けしたいとの申し出に、シンヤは相変わらずの無表情のままでいた。しばらく考え込んだ彼はレンジェに理由を聞いた。
「何故する必要がある?」
「私自身、納得のいかないことがあります。あの夜、私にキスしたあなたから力を増幅されました。その原因が知りたいからです」
「・・・・・・」
「駄目ですか?」
「・・・やるなら少量だけだ。それ以上は保障ができん」
「!」
予想より早い彼からの了承の言葉に、レンジェは内心喜びに満ちた。
「大丈夫です。私もそんなに力が欲しい訳ではありません。理由を知れる程度で十分です」
「そうか・・・・・・今すぐか?」
「え・・・あ、はい! そのために此処へ呼びましたから♪ そ、それと・・・」
「?」
「シンヤさんから来てください・・・わ、私・・・少し、恥ずかしいので・・・」
「・・・」
付け加えの要求に、彼は無言で彼女の両肩をやさしく掴む。レンジェは両手を自身の胸辺りで組んだ。少し間を置いてから、シンヤは彼女の口元へ軽い口付けを行う。
「・・・ん・・・」
「・・・」
レンジェの口から小さな声が漏れる。そして、シンヤから流れ込んできた僅かながらの力が彼女に注がれた。
「・・・んん・・・・・・」
二人の足元で、ピンク色に輝く五芒星の魔法陣が出現する。その心地よい快感にレンジェは酔いそうになるが、それ以外にするべきことを思い出した。
「・・・・・・」
「・・・・・・っ!?」
異変に気付いたシンヤが、口付けのために近付けていた顔を離す。魔法陣が消失し、二人とも何かに驚いていたが、シンヤは微笑を浮かべた。
「なるほどな・・・何気ない頼みに隙をつかれたよ」
「申し訳ありません。でも・・・はっきりと、あなたのことを知りたかったから・・・」
レンジェは謝罪とともに自らの本音を言う。そして、彼に対してあることを問いただした。
「シンヤさん・・・・・・いえ、“あなた”は・・・何者ですか?」
「何者?」
「キスをして・・・あなたから力を送られた際、私はあなたの魂を感じ取りました」
「・・・」
「それはまるで・・・人の魂に何かが交わった輝く力・・・とても眩しいです」
「・・・」
「でも・・・器に収まっているとは思えないです。下手をすれば、肉体と魂が外れてしまいそうな状態・・・」
「・・・」
「なのに・・・正常に保たせている。普通の人間には出来ないことです。そこで思いついたのが・・・・・・その・・・」
「構わない・・・言ってくれ・・・」
「肉体は人間・・・つまり、“シンヤさんの肉体”に“別の存在”が乗り移っているとしか・・・」
「・・・」
「答えてください・・・“あなた”は一体、何者ですか?」
「・・・」
レンジェの推測した結論を聞かされ、シンヤは両手を彼女の肩からゆっくり離す。その後、彼は深呼吸をして話し始めた。
「そうだな・・・・・・まずは何処から話そうか・・・」
「!」
「かなり、長話になるかもしれん。覚悟はしておけ」
「セシウの長い説教で慣れていますから、心配ご無用です♪」
「そういう意味で言った訳ではないが・・・まぁいい・・・」
青年は左手を腰に当ててバルコニーが見える窓へ振り向き、静かに語り始める。
「今より遥か昔・・・気が付けば、自分はそこに居た。そう、意識がはっきりした状態で・・・」
「魂だけの状態と言った方が解り易いだろう」
「魂だけの状態?」
「そうだ・・・何故、自分が魂だけなのか・・・そして、赤子とは言えないはっきりとした意識を持っているのか、正直解らなかった・・・」
「自分自身の正体すらな」
「!?」
「だが、そこに自分は存在した。肉体がなく、生きているのか、死んでいるのか、自問自答しながら彷徨い続けた」
「どれだけ彷徨ったかは、分からなかったが、そこで自分はあるものを見つけた・・・」
「人間・・・それも若すぎる少年だ。そいつは息絶えそうになっていた」
「何者なのか解らない自分が何をすればいいのか、瀕死の少年をどうしたらいいのか分からず・・・そこで何か出来ないだろうかと思い、少年に近付いた」
「ふと手を伸ばすような感覚で彼に触ろうとした時、それは起きた」
「気が付けば・・・自分が“少年”となっていた」
「まるで己が肉体となったかのような感覚だった・・・しかもそれだけではない」
「少年の持つ記憶、知識、経験がまるで自分にもあったかのように刻まれていた」
「それはまさか・・・」
「そこではっきりと自覚した。少年の魂を吸収し、己自身のものにしたのだと・・・」
「魂を吸収・・・そんなことが・・・」
「そのおかげで少年は命を取り留めたが、同時に少年の生涯を奪ってしまった。初めて自分自身に罪悪感が芽生えたよ」
「嘆いてもその少年の意志はなく、どうしようもなかった・・・」
青年は右側へ少し回り、レンジェを見つめた。
「肉体を持った自分は、魂のときと同じで彷徨い続けた」
「そうして、あるものと遭遇した・・・」
「物の怪と呼ばれる存在・・・時代によっては、妖怪や邪鬼、化け物といった輩だな・・・」
「悪意を持つそいつらをどうすればいいのか、無意識の如く分かった」
「それが・・・あの力?」
「そうだ、最初は何のかは分からなかったが、上手く扱えるのに時間は掛からなかった」
「襲い掛かる物の怪は全て浄化した。たまに他の人間に襲い掛かるものを退治するときもあったな」
「しかし、いくら力があったとしても、肉体は人間だ。いつかは朽ち果てる運命・・・」
「自分が意識を失い、肉体の感覚も無くなると、そこで初めて“死を迎えたのだ”と分かった」
「死を迎えた・・・えっ、何故分かったのですか?」
「よく気付いたな。そうだ、自分は死んだはずなのに、“死んだ”という感覚があった」
「そこで自身はある体験をした。“輪廻転生”という言葉は知っているか?」
「この世に生きる生物全てが死を迎え、別の存在として生まれ変わることですね」
「どうやら自身はその輪へといざなわれたらしい。別の存在になるのだろうと思っていた・・・」
「そして、目を覚ますと・・・同じだった・・・」
「同じ?・・・まさか・・・」
「そう、そこには同じ魂の存在だった自分が居た・・・自分は生まれ変わらないどころか、消滅すらしていなかった」
「そんな生き方を何度も繰り返し続けた。もう何度この世とあの世を行き来したか・・・分からんな・・・」
「そんなに長くということは・・・あなたはそれだけ、長い時を・・・」
「君より長く生き続けているのは確かだ・・・歳すら数えるのも難しいな・・・」
少し、面倒くさそうに首を少し振る青年。
「取り入れた知識と経験は、その長き人生で会得したものだ。その中で最も印象深いのが・・・」
「陰陽道・・・ですか?」
「ご名答・・・物の怪を退治する際に、数人の陰陽術師と出会った。彼らは自分が何なのか、詳しく診てくれた」
「結果、自分は陽の力で溢れた存在だと言った。そこから“陽なる存在”と呼ばれるようになった」
「“陽なる存在”・・・それが・・・あなたの正体・・・」
「それをきっかけに、彼らから自分の持つ術を名付けられ、魔を祓う存在と付き合うことが多くなった。独り身の方が楽ではあったが・・・」
「呉服屋で言っていた土蜘蛛や、紺さん達を見て動じなかったのは・・・」
「それらを見たことがあるからだ。稲荷といった強大な物の怪は生きた心地がしなかったよ」
「そんな中、あいつと出会ったのさ・・・“奴”と・・・・・・」
「・・・“妖”・・・ですね?」
「ああ・・・奴は全ての常識を覆すと言えるほど、馬鹿げた物の怪。あいつのせいで都が一つこの世から消滅した」
「!」
「そこを統治する巫女の弟を使って、都に居た人間全てを支配した。後は巫女を喰って滅ぼしたそうだ。や〜何とかという場所だったな・・・かなり昔だから忘れたよ」
「あいつと出会ったとき、自分はあいつを・・・ただの物の怪とは思わなかった。むしろ、こいつは滅ぼさなければならない存在だと確信した」
「いろんな術者と協力して奴を討伐しようとしたが・・・全て無駄に終わっている」
「今、存在しているというのがその証拠ですね?」
「そうだ。“討伐した”にも関わらず・・・」
「えっ?・・・それってどういうことですか?」
レンジェの疑問に、青年は瞼を閉じてしゃべり続ける。
「転生した先々で奴と遭遇している。しかもこちらのことも覚えていた。恐らくあいつも・・・転生している可能性がある」
「も、もしかして・・・」
「似たような存在・・・だと最初は思った。だが、ある陰陽術師が言うには、奴は“陰なる存在”だというらしい・・・」
「“陰なる存在”・・・それが・・・あの女の正体?」
「“妖”か“陰なる存在”か・・・どちらで呼ぶにしても、害を撒き散らす存在に変わりない」
「絶対に“奴”を滅ぼす」
「それが・・・自分が決めた使命だ・・・」
「使命・・・あっ、そういえば・・・行方不明の母がいるとおっしゃっていましたが、もしやそれは・・・」
レンジェが言い掛けたことに、彼は目を開けて話す。
「この身体の記憶だ・・・嘘ではない」
「・・・・・・シンヤさん本人は・・・」
「生きることに絶望し、自ら命を絶とうとしていた」
「そんな!?」
「自分は最初の肉体を手に入れたとき、再度肉体を得る機会が訪れたら、理不尽にその者から肉体を奪わないと誓った」
「だから・・・転生し、肉体を得る際は、その者に問い尋ねる。その身を捧げる覚悟があるか・・・」
「この“玉川 シンヤ”は、ある建物から飛び降りようしていた。生気のない瞳で、何かに絶望し、自らの死を願っていた」
「それを止めるかのように、自分はシンヤの耳に語り掛けた“お前の捨てようとしている人生、ある輩を滅ぼすために使わせてくれないか?”とな・・・」
「彼はすぐに承諾の言葉を口にした。最終確認で、乗り移る理由と“妖”を滅ぼす目的を話すも、彼の決意に変わりはなかった」
「彼はある言葉を呟き、自分の魂に吸収されていった」
「彼は・・・なんと?」
「・・・“この身体がまだ役立つなら、喜んで差し上げます”・・・」
「・・・」
「迷いのない言葉だった・・・何故そうまでして自身を捨てたかったのか・・・」
「彼の記憶を見て判断せざるをえなかった」
「悲惨な体験をしたのでしょうね・・・」
「彼の捨てたかった過去だ。最早、“シンヤ”となった自身に、それをどうこうする理由はない・・・」
長く続いた彼の話がようやく終わり、レンジェは青年の目を見つめていた。
「つまらぬ話だったろう?」
「・・・」
「姫君?」
彼女の様子に不審に思う青年。その瞬間、レンジェは青年の胸元へ素早く抱きついた。突然の抱き付きに青年は表情を変えず、彼女に問いかける。
「どうした?」
「・・・・・・あなたの本当の姿を話してくれたことに、嬉しくて・・・・・・」
「・・・自分自身が何者かは把握しきれていないがな・・・」
「それでも・・・あなた自身の経緯を教えてくれた・・・」
レンジェの目に涙が溜まり始める。青年はどう対応していいか解らず、自身の胸元にうずくまる彼女の頭を撫でた。
「・・・もう一つお願いしてもよろしいですか?」
「ああ・・・」
「今晩、一緒に寝てくれませんか?」
「・・・」
「添い寝程度で結構です。それ以上は望みません」
「いいだろう・・・だが、その前に・・・」
「?」
「そこの式神で覗いている輩をどうにかしないとな・・・」
「っ!?」
青年の言葉にレンジェは驚愕した。彼の指差した方向の壁に微量の魔力を感じ取る。それは先程のやり取りを他人に全て見られたも同然である。レンジェは顔を真っ赤にするが、青年は相変わらずの無表情でしゃべり続けた。
「ここの稲荷が使う術だな?」
「い、いいい、稲荷!? 紺さん!!」
『あららっ、ばれてしまいましたか・・・』
「寝たきりだったときに、妙な視線を感じた。そこから数回同じことがあれば、いやでも監視されていることに気付く」
「あ、あの時から!?」
彼女は恥ずかしさと同時に、覗きに対する怒りも膨れ上がる。
『これは・・・まずいですね』
『れ、れれれ、レンジェ様! こ、これには訳が!』
『セシウ殿! 今しゃべったら、我々まで・・・』
式神から紺以外の人物の声が響いてきた。その声の主に、レンジェはさらに怒りを増幅させる。
「ヴィーラ! セシウ! 夢乃! あなたたちまで!!」
『『『あっ!』』』
『余計に怒らしちゃったじゃないですか・・・』
「もう、許さな・・・」
「ふんっ!」
レンジェが怒りの言葉を言い切る前に、青年が式神のある壁に向かって何かを投げつけた。それは茶色のヤモリで壁に隠れた白紙の人型を食べ始める。紙を食したヤモリが消え去った後、細切れになった紙がバラバラと舞い散った。
「これでいいか?」
「え・・・あ、その・・・・・・ありがとうございます・・・」
「俺もいい気はしないからな・・・」
「え―と・・・こっちへ・・・」
少し照れながらレンジェは青年をベットへと連れて行く。寝転がったレンジェの右隣に青年が添い寝するように横たわった。
「・・・その・・・これからは、なんて呼べばいいのでしょうか?」
「・・・・・・これまで通り、シンヤで構わんよ」
「じゃあ・・・シンヤさん・・・」
「ん?」
「私のことは、レンジェと呼んでください・・・」
「分かった、レンジェ」
「はい♪」
しばらくしてから、レンジェは心地よい眠気に襲われる。彼女は静かな寝息を立てて眠りについた。
レンジェが寝た後、シンヤは彼女の寝顔を見ながら思い悩む顔をする。
(話してよかったのだろうか・・・だが、何れは知るべきだろうな)
「すぅ、すぅ・・・」
「シンヤか・・・・・・そうだな。今はシンヤとして生きよう・・・」
「・・・・・・」
まもなく朝日が昇る時刻。
屋敷の客室にて、一晩眠りについていたシンヤが目を覚ます。彼は目の前に映る天井を見て、安心した表情になる。
「・・・そうだったな・・・今は別世界だったな・・・」
彼はそう呟いた後、ベットから立ち上がり、屋敷の外が眺める窓に向かった。そこからは屋敷の中庭があり、庭の右端には竹に囲まれた茶室が見える。彼は椅子の背もたれに掛けてあった学生服の上着を手に取り、羽織って部屋から出て行った。
「・・・・・・ん・・・朝ですね・・・」
ベッドで寝ていたレンジェが上半身だけ起こし、羽をぶるぶるさせるほど背伸びをする。ベットから立ち上がった彼女は、洋服ダンスの前へ行き、ピンクのネグリジェから普段着の黒服へと着替えた。その次に化粧台の方へ行き、鏡を見ながら黒い髪飾りで耳近くの髪を左右対称に束ねる。
「ちょっと早いですね。散歩でもしましょうか・・・」
彼女はバルコニーのある窓へ行き、そこから屋敷の正門がある庭を眺めた。
「・・・・・・?」
ふとここで、レンジェはある何かの気配を察知する。それは中庭から漂うかのように感じ取れた。しかもそれは最近感じ取ったばかりの力の気配である。
「もしや・・・」
彼女は目の前から日の光が差し込んでくるのを気にせず、ふわりと浮かび上がった。出来る限り音を立てず、屋敷の屋根を飛び越える。中庭が見える位置までやって来ると、そこには見知った顔の人物が佇んでいた。
(シンヤさん・・・・・・何をしているのでしょうか?)
青年の様子をもっとよく見るため、彼女は上空の手頃な位置で魔力によって創り上げた黒い座布団に正座する。
(あれは・・・魔法陣?)
直立で目を瞑っているシンヤの足元には、青く光る五芒星の魔法陣が出来上がっていた。それはいつも以上に大き目の円陣となり、五芒星のそれぞれ五つの端に何かが出来上がっている。
1つ目は、地面から蔓のように生える小さな樹木
2つ目は、赤く燃え上がる激しい炎
3つ目は、五角形の長い柱を形作る茶色の土
4つ目は、煌めき輝く光球の黄金
5つ目は、小柄なつむじ風の形になる水流
それらの中心に居る青年は、まるでそれぞれの力を順番通りに送るかのように見える。レンジェはその不思議な光景に見とれてしまう。しばらく続いた力の循環のような儀式は、朝日が照らされると同時に消失した。
「・・・・・・ふぅぅ・・・」
「・・・」
「・・・もう近付いても構わんぞ」
「!」
どうやら彼はいつの間にかレンジェの存在に気付いていたようだ。彼女は浮遊する座布団から飛び降りるように地面へ着地する。そして、青年の元へ近付き、先程の儀式に付いて尋ねた。
「先程のは、何なのでしょうか?」
「陰陽道による五行思想だ。ぃ・・・いや、書物に精神統一するための術があったからな。瞑想するときによく使う」
「五行思想・・・」
レンジェは術に興味を示すが、それ以上に気になることがあった。
(何かを言い掛けた・・・)
「どうした?」
「いえ、何も・・・」
昨日もそうだった。彼の言うことの一部に不自然なところが見られる。それはまるで何かを隠しているような感じだ。しかし、その理由は全く分からない。彼は一体何を隠しているのだろうか。レンジェの頭の中は疑問だらけになってしまう。
「・・・」
「おい」
「・・・はっ!・・・すみません。ちょっと、ぼ―っとしていました・・・」
「なら、いいが・・・」
「じゃあ、そろそろ朝食を食べに行きましょう」
「そうしよう・・・」
屋敷内にある広いダイニングルームで、レンジェはシンヤ、夢乃とともに大きなテーブルの椅子に座っていた。そこへメイドと一緒に紺が朝食の乗ったトレーを持ってくる。
「お待たせしました。今日は、白飯・焼き魚・味噌汁・おひたしの朝御飯です」
「美味しそう♪」
「おお、紺殿。これは鰆(さわら)ですな?」
「ご名答です」
喜ぶ二人に対し、シンヤは表情を変えず、朝食を眺めていた。
「いい出来の料理だ」
「お褒めに預かり光栄です♪」
「では、早速いただこう・・・」
「いただきます♪」
「いただきます!」
3人は手を合わせて箸を手にして食べ始める。
「ずずぅぅぅ・・・ぷはぁ、いいお味噌汁です♪」
「がつがつがつ・・・んぅ! おかわり!」
「夢乃殿は、相変わらず白飯の消費が激しいですね」
「白米は某にとって不可欠な存在! これがないと生きていけません!」
「夢乃・・・あなた、サキュバスでしょ?」
「・・・もぐもぐ・・・いい味をした焼き魚だ」
「あら、シンヤ殿。お気に召しましたか?」
「うん・・・料理人として、なかなかの腕前だな」
「そう言われると照れますね♪」
青年の褒め言葉に、紺は身体をくねくねしながら頬を赤らめた。その様子を見ていたレンジェと夢乃は面白くなさそうな顔をしてしまう。
(わ、私も料理を勉強しなくちゃ・・・)
(シンヤ殿の焼き魚はそれほど美味しいのか・・・紺殿、隠していたな・・・)
食べ終えた後、シンヤは夢乃に手合せしたいと頼まれ、再び中庭へ訪れた。レンジェも二人に付いて行き、彼らの稽古を見学する。夢乃は真剣を抜くが、対するシンヤは木刀を創り上げて構えた。
「まずは準備運動・・・」
「シンヤ殿、木刀だと・・・」
「心配いらん。これが只の木刀でないことは知っているだろう?」
「そ、そうでしたね・・・では、参ります!」
二人が手合せを始めると同時に、セシウがレンジェの隣へやって来る。彼女も二人の模擬戦に興味があるようだ。
「あら、セシウ。おはよう」
「レンジェ様、ごきげんよう・・・夢乃に先を越されたようです」
「あなたもシンヤさんと?」
「ええ・・・見たところ、あの青年の剣術はかなり出来るようです」
「いえ、かなりじゃないわ」
「えっ?」
レンジェの否定にセシウは彼女の方へ顔を向けた。
「どういうことですか?」
「見た目以上に経験を積み重ねているかもしれない・・・」
「し、しかし・・・今、見た感じでは、並みの兵士より上のように見えますが・・・」
「彼は勇者を無傷で倒しています。それも相手を死なせず・・・」
「例のスリップス領にいる勇者をですか!?」
「ええ・・・」
セシウには、レンジェと町の兵士たちで勇者たちを撃退したと伝えられていたので、昨日の戦闘について余り詳しく聞いていなかった。彼女が驚愕するのも無理はない。
「並みの魔物や戦士ですら相手にならない“あの勇者”を・・・」
「光剣を持っていたにも関わらず、それでもあの人には勝てませんでした」
「光剣!? 教会の限られた者が持つ御使いの武具ですよ!」
「彼にはその刃すら、苦にならなかったようです」
「信じられません・・・一体、彼はどれだけの能力を・・・」
二人が話している内に、シンヤと夢乃は一旦距離を取り、自身が持つ武器を下ろした。
「ふぅ・・・流石です。動きが速すぎて、先読みができませんね」
「まぁ、これでも身体に限界があるからな・・・次はこれの相手が出来るか?」
キィィィィィ・・・
「!」
シンヤは木刀を消失させ、自身の目の前に青白い光球を出現させる。それは人型へと変化して、夢乃と同じ姿をした幻影が出来上がった。その“夢乃”も刀を鞘から抜いて、本人である夢乃と対峙する。
「す、凄い・・・某自身と戦う日が来るなんて・・・参ります!」
一時は戸惑いを見せた夢乃だったが、気を高ぶらせて自分自身に走り向かった。レンジェとセシウも驚きながらその光景を眺める。
「まさか・・・相手そのものすら創り上げるとは・・・」
「夢乃の羽や尻尾まで綺麗に複製していますね・・・」
「これが“万物の式神”・・・恐ろしい術・・・これなら、あの女にも・・・」
「そうね・・・対等に戦えるのも納得がいけるわ・・・・・・対等・・・?」
「レンジェ様?」
その後は、セシウも彼に頼んで、自身の幻影と対決することになった。レンジェは夢乃とセシウが行った自身との模擬戦であることに気付く。
戦闘時に幻影が取る行動。最初は、本人とは違う剣術で受け流すか、防御をとる。それからしばらくすると、相手と同じような剣技を行うようになる。次節、複製した本人の動きでない剣術を披露するときもあった。
それはまるで、相手を観察しながら相手の動きを覚えていくかのように・・・そして・・・。
(・・・・・・その最中に、見たことのない剣術で場を凌いでいる・・・)
ジパングの刀術にも見えるが、それは臨機応変に多種多様な動きや技を見せる。まるで複数の流派を合わせたような動きだ。
(これは彼自身が知っている剣術?・・・いえ、知っていて出来る事じゃない・・・)
朝の運動を終え、レンジェは領主として、ヴィーラとともに手紙や書類の整理をし始める。
一方のシンヤは、セシウ、夢乃と一緒にある場所へ向かっていた。それはギルドと言われる場所で、傭兵や旅人も訪れる場所である。彼がそこへ向かった理由、それは“妖”の情報を得るためだった。
「熱心ですね・・・あの方は・・・」
「他の方から見れば異常かも知れませんが・・・」
「もしかして、領主様・・・あの女に嫉妬していますか?」
「・・・・・・一つもないです」
(でも・・・執着するほど追っているのも不自然です・・・)
考えてみれば、彼自身だけでなく、その行動にも不可解な点はいくつか存在する。
一つは、別世界に訪れたことや魔物との遭遇に対し、かなり冷静な態度で驚きもしないこと。最初に出会った際、彼は術が効かなかったことには驚いていたが、魔物を見ても動じたりはしなかった。まるで見慣れているかのように・・・。
次に、行方不明となった肉親を捜さず、“妖”の殲滅を優先していること。例え、酷い仕打ちをしてこようが、産み育ててくれた親に変わりはない。それなのに青年は探しもせず、危険を承知であの人外の女へ挑んでいた。かなり胆が据わってないとできないことである。
「領主様?」
「・・・・・・」
「領主様!」
「はっ!? な、何?」
「・・・紅茶が零れています」
「あっ・・・スカートが濡れちゃった・・・」
昼食も皆で食べ終えて、シンヤは再びセシウ達の案内で情報収集に回る。
一方のレンジェは残った書類整理を終えて、紺と一緒に茶室でくつろいでいた。茶を飲み干した彼女は、紺とあることを話し始める。
「紺・・・お聞きしてもいいですか?」
「シンヤ殿についてでしょうか?」
「ええ・・・」
「さぁて・・・」
少し思いつめた表情で彼女は考え込んだ。
「あんなにいい殿方は初・・・」
「紺さん・・・」
「失敬♪・・・ごほんっ!・・・・・・確かに、普通の御方とは違いますね・・・」
「紺さんから見て、何か解ることはないでしょうか?」
「そうですねぇ・・・」
狐の魔物が握った右手を顎に当てる。しばらくしてから、彼女の口が開いた。
「私が思うに・・・彼の精神力は相当なものだと思われます」
「そんなに?」
「実際に彼の力の源を見た訳ではありませんが、あの“万物の式神”普通の人間では扱えないはずです」
「普通の人間では?」
「物や生き物を具現化させるのにどれだけの魔力を扱うか、レンジェ殿もご存じのはず・・・それこそ、魔王の娘くらいか、膨大な魔力持ちのダークマター、または神に近い存在でなければ扱えませんよ」
紺の言うことにレンジェは納得する。実際に彼女はリリムだ。魔力の扱いに長けた彼女は、魔力による具現化の魔法を当然の如く知っている。現在、彼女が出来る具現化の魔術は“魔刀”と“触手”ぐらいだ。まだ、彼女自身の分身を創るほどの技術は会得していない。
「彼は一体・・・」
「直接聞いてみてはいかがでしょうか?」
「確証も無しに教えてくれるのでしょうか・・・」
「それもそうですねぇ・・・」
悩んでしまう二人。その時、紺はあることを思い出す。
「そう言えば、レンジェ殿はシンヤ殿と接吻されたと聞きましたが・・・どんな味でしたか?」
「い、いいいい、いきなり何を言い出すのですか!?」
「初めての接吻はどれほどのものかと思いまして♪」
「もう・・・・・・接吻・・・?」
ここで彼女はあることを思い出す。
(あの時・・・・・・そうだ・・・これなら・・・)
「レンジェ殿?」
日が落ち、月明かりが照らす闇夜が訪れる。
今夜の月は半分以上満ちた辺りまで輝いていた。
夕食を過ぎた辺り、屋敷のレンジェの一室にて、二人の人影が存在した。
一つはその部屋の主人であるレンジェ。
もう一つは・・・。
「・・・確認したいこととは?」
「その前に・・・一つお願いしてもよろしいでしょうか?」
彼女は目の前に立っているシンヤと話していた。部屋の灯りは、ベットの横にある小さなテーブルの上に乗ったランプだけ。少し、薄暗い部屋の中で二人は話をする。
「出来る範囲なら・・・」
「あ、あの・・・あなたと、もう一度・・・き、キスしてもいいですか?」
「・・・・・・」
彼女から口付けしたいとの申し出に、シンヤは相変わらずの無表情のままでいた。しばらく考え込んだ彼はレンジェに理由を聞いた。
「何故する必要がある?」
「私自身、納得のいかないことがあります。あの夜、私にキスしたあなたから力を増幅されました。その原因が知りたいからです」
「・・・・・・」
「駄目ですか?」
「・・・やるなら少量だけだ。それ以上は保障ができん」
「!」
予想より早い彼からの了承の言葉に、レンジェは内心喜びに満ちた。
「大丈夫です。私もそんなに力が欲しい訳ではありません。理由を知れる程度で十分です」
「そうか・・・・・・今すぐか?」
「え・・・あ、はい! そのために此処へ呼びましたから♪ そ、それと・・・」
「?」
「シンヤさんから来てください・・・わ、私・・・少し、恥ずかしいので・・・」
「・・・」
付け加えの要求に、彼は無言で彼女の両肩をやさしく掴む。レンジェは両手を自身の胸辺りで組んだ。少し間を置いてから、シンヤは彼女の口元へ軽い口付けを行う。
「・・・ん・・・」
「・・・」
レンジェの口から小さな声が漏れる。そして、シンヤから流れ込んできた僅かながらの力が彼女に注がれた。
「・・・んん・・・・・・」
二人の足元で、ピンク色に輝く五芒星の魔法陣が出現する。その心地よい快感にレンジェは酔いそうになるが、それ以外にするべきことを思い出した。
「・・・・・・」
「・・・・・・っ!?」
異変に気付いたシンヤが、口付けのために近付けていた顔を離す。魔法陣が消失し、二人とも何かに驚いていたが、シンヤは微笑を浮かべた。
「なるほどな・・・何気ない頼みに隙をつかれたよ」
「申し訳ありません。でも・・・はっきりと、あなたのことを知りたかったから・・・」
レンジェは謝罪とともに自らの本音を言う。そして、彼に対してあることを問いただした。
「シンヤさん・・・・・・いえ、“あなた”は・・・何者ですか?」
「何者?」
「キスをして・・・あなたから力を送られた際、私はあなたの魂を感じ取りました」
「・・・」
「それはまるで・・・人の魂に何かが交わった輝く力・・・とても眩しいです」
「・・・」
「でも・・・器に収まっているとは思えないです。下手をすれば、肉体と魂が外れてしまいそうな状態・・・」
「・・・」
「なのに・・・正常に保たせている。普通の人間には出来ないことです。そこで思いついたのが・・・・・・その・・・」
「構わない・・・言ってくれ・・・」
「肉体は人間・・・つまり、“シンヤさんの肉体”に“別の存在”が乗り移っているとしか・・・」
「・・・」
「答えてください・・・“あなた”は一体、何者ですか?」
「・・・」
レンジェの推測した結論を聞かされ、シンヤは両手を彼女の肩からゆっくり離す。その後、彼は深呼吸をして話し始めた。
「そうだな・・・・・・まずは何処から話そうか・・・」
「!」
「かなり、長話になるかもしれん。覚悟はしておけ」
「セシウの長い説教で慣れていますから、心配ご無用です♪」
「そういう意味で言った訳ではないが・・・まぁいい・・・」
青年は左手を腰に当ててバルコニーが見える窓へ振り向き、静かに語り始める。
「今より遥か昔・・・気が付けば、自分はそこに居た。そう、意識がはっきりした状態で・・・」
「魂だけの状態と言った方が解り易いだろう」
「魂だけの状態?」
「そうだ・・・何故、自分が魂だけなのか・・・そして、赤子とは言えないはっきりとした意識を持っているのか、正直解らなかった・・・」
「自分自身の正体すらな」
「!?」
「だが、そこに自分は存在した。肉体がなく、生きているのか、死んでいるのか、自問自答しながら彷徨い続けた」
「どれだけ彷徨ったかは、分からなかったが、そこで自分はあるものを見つけた・・・」
「人間・・・それも若すぎる少年だ。そいつは息絶えそうになっていた」
「何者なのか解らない自分が何をすればいいのか、瀕死の少年をどうしたらいいのか分からず・・・そこで何か出来ないだろうかと思い、少年に近付いた」
「ふと手を伸ばすような感覚で彼に触ろうとした時、それは起きた」
「気が付けば・・・自分が“少年”となっていた」
「まるで己が肉体となったかのような感覚だった・・・しかもそれだけではない」
「少年の持つ記憶、知識、経験がまるで自分にもあったかのように刻まれていた」
「それはまさか・・・」
「そこではっきりと自覚した。少年の魂を吸収し、己自身のものにしたのだと・・・」
「魂を吸収・・・そんなことが・・・」
「そのおかげで少年は命を取り留めたが、同時に少年の生涯を奪ってしまった。初めて自分自身に罪悪感が芽生えたよ」
「嘆いてもその少年の意志はなく、どうしようもなかった・・・」
青年は右側へ少し回り、レンジェを見つめた。
「肉体を持った自分は、魂のときと同じで彷徨い続けた」
「そうして、あるものと遭遇した・・・」
「物の怪と呼ばれる存在・・・時代によっては、妖怪や邪鬼、化け物といった輩だな・・・」
「悪意を持つそいつらをどうすればいいのか、無意識の如く分かった」
「それが・・・あの力?」
「そうだ、最初は何のかは分からなかったが、上手く扱えるのに時間は掛からなかった」
「襲い掛かる物の怪は全て浄化した。たまに他の人間に襲い掛かるものを退治するときもあったな」
「しかし、いくら力があったとしても、肉体は人間だ。いつかは朽ち果てる運命・・・」
「自分が意識を失い、肉体の感覚も無くなると、そこで初めて“死を迎えたのだ”と分かった」
「死を迎えた・・・えっ、何故分かったのですか?」
「よく気付いたな。そうだ、自分は死んだはずなのに、“死んだ”という感覚があった」
「そこで自身はある体験をした。“輪廻転生”という言葉は知っているか?」
「この世に生きる生物全てが死を迎え、別の存在として生まれ変わることですね」
「どうやら自身はその輪へといざなわれたらしい。別の存在になるのだろうと思っていた・・・」
「そして、目を覚ますと・・・同じだった・・・」
「同じ?・・・まさか・・・」
「そう、そこには同じ魂の存在だった自分が居た・・・自分は生まれ変わらないどころか、消滅すらしていなかった」
「そんな生き方を何度も繰り返し続けた。もう何度この世とあの世を行き来したか・・・分からんな・・・」
「そんなに長くということは・・・あなたはそれだけ、長い時を・・・」
「君より長く生き続けているのは確かだ・・・歳すら数えるのも難しいな・・・」
少し、面倒くさそうに首を少し振る青年。
「取り入れた知識と経験は、その長き人生で会得したものだ。その中で最も印象深いのが・・・」
「陰陽道・・・ですか?」
「ご名答・・・物の怪を退治する際に、数人の陰陽術師と出会った。彼らは自分が何なのか、詳しく診てくれた」
「結果、自分は陽の力で溢れた存在だと言った。そこから“陽なる存在”と呼ばれるようになった」
「“陽なる存在”・・・それが・・・あなたの正体・・・」
「それをきっかけに、彼らから自分の持つ術を名付けられ、魔を祓う存在と付き合うことが多くなった。独り身の方が楽ではあったが・・・」
「呉服屋で言っていた土蜘蛛や、紺さん達を見て動じなかったのは・・・」
「それらを見たことがあるからだ。稲荷といった強大な物の怪は生きた心地がしなかったよ」
「そんな中、あいつと出会ったのさ・・・“奴”と・・・・・・」
「・・・“妖”・・・ですね?」
「ああ・・・奴は全ての常識を覆すと言えるほど、馬鹿げた物の怪。あいつのせいで都が一つこの世から消滅した」
「!」
「そこを統治する巫女の弟を使って、都に居た人間全てを支配した。後は巫女を喰って滅ぼしたそうだ。や〜何とかという場所だったな・・・かなり昔だから忘れたよ」
「あいつと出会ったとき、自分はあいつを・・・ただの物の怪とは思わなかった。むしろ、こいつは滅ぼさなければならない存在だと確信した」
「いろんな術者と協力して奴を討伐しようとしたが・・・全て無駄に終わっている」
「今、存在しているというのがその証拠ですね?」
「そうだ。“討伐した”にも関わらず・・・」
「えっ?・・・それってどういうことですか?」
レンジェの疑問に、青年は瞼を閉じてしゃべり続ける。
「転生した先々で奴と遭遇している。しかもこちらのことも覚えていた。恐らくあいつも・・・転生している可能性がある」
「も、もしかして・・・」
「似たような存在・・・だと最初は思った。だが、ある陰陽術師が言うには、奴は“陰なる存在”だというらしい・・・」
「“陰なる存在”・・・それが・・・あの女の正体?」
「“妖”か“陰なる存在”か・・・どちらで呼ぶにしても、害を撒き散らす存在に変わりない」
「絶対に“奴”を滅ぼす」
「それが・・・自分が決めた使命だ・・・」
「使命・・・あっ、そういえば・・・行方不明の母がいるとおっしゃっていましたが、もしやそれは・・・」
レンジェが言い掛けたことに、彼は目を開けて話す。
「この身体の記憶だ・・・嘘ではない」
「・・・・・・シンヤさん本人は・・・」
「生きることに絶望し、自ら命を絶とうとしていた」
「そんな!?」
「自分は最初の肉体を手に入れたとき、再度肉体を得る機会が訪れたら、理不尽にその者から肉体を奪わないと誓った」
「だから・・・転生し、肉体を得る際は、その者に問い尋ねる。その身を捧げる覚悟があるか・・・」
「この“玉川 シンヤ”は、ある建物から飛び降りようしていた。生気のない瞳で、何かに絶望し、自らの死を願っていた」
「それを止めるかのように、自分はシンヤの耳に語り掛けた“お前の捨てようとしている人生、ある輩を滅ぼすために使わせてくれないか?”とな・・・」
「彼はすぐに承諾の言葉を口にした。最終確認で、乗り移る理由と“妖”を滅ぼす目的を話すも、彼の決意に変わりはなかった」
「彼はある言葉を呟き、自分の魂に吸収されていった」
「彼は・・・なんと?」
「・・・“この身体がまだ役立つなら、喜んで差し上げます”・・・」
「・・・」
「迷いのない言葉だった・・・何故そうまでして自身を捨てたかったのか・・・」
「彼の記憶を見て判断せざるをえなかった」
「悲惨な体験をしたのでしょうね・・・」
「彼の捨てたかった過去だ。最早、“シンヤ”となった自身に、それをどうこうする理由はない・・・」
長く続いた彼の話がようやく終わり、レンジェは青年の目を見つめていた。
「つまらぬ話だったろう?」
「・・・」
「姫君?」
彼女の様子に不審に思う青年。その瞬間、レンジェは青年の胸元へ素早く抱きついた。突然の抱き付きに青年は表情を変えず、彼女に問いかける。
「どうした?」
「・・・・・・あなたの本当の姿を話してくれたことに、嬉しくて・・・・・・」
「・・・自分自身が何者かは把握しきれていないがな・・・」
「それでも・・・あなた自身の経緯を教えてくれた・・・」
レンジェの目に涙が溜まり始める。青年はどう対応していいか解らず、自身の胸元にうずくまる彼女の頭を撫でた。
「・・・もう一つお願いしてもよろしいですか?」
「ああ・・・」
「今晩、一緒に寝てくれませんか?」
「・・・」
「添い寝程度で結構です。それ以上は望みません」
「いいだろう・・・だが、その前に・・・」
「?」
「そこの式神で覗いている輩をどうにかしないとな・・・」
「っ!?」
青年の言葉にレンジェは驚愕した。彼の指差した方向の壁に微量の魔力を感じ取る。それは先程のやり取りを他人に全て見られたも同然である。レンジェは顔を真っ赤にするが、青年は相変わらずの無表情でしゃべり続けた。
「ここの稲荷が使う術だな?」
「い、いいい、稲荷!? 紺さん!!」
『あららっ、ばれてしまいましたか・・・』
「寝たきりだったときに、妙な視線を感じた。そこから数回同じことがあれば、いやでも監視されていることに気付く」
「あ、あの時から!?」
彼女は恥ずかしさと同時に、覗きに対する怒りも膨れ上がる。
『これは・・・まずいですね』
『れ、れれれ、レンジェ様! こ、これには訳が!』
『セシウ殿! 今しゃべったら、我々まで・・・』
式神から紺以外の人物の声が響いてきた。その声の主に、レンジェはさらに怒りを増幅させる。
「ヴィーラ! セシウ! 夢乃! あなたたちまで!!」
『『『あっ!』』』
『余計に怒らしちゃったじゃないですか・・・』
「もう、許さな・・・」
「ふんっ!」
レンジェが怒りの言葉を言い切る前に、青年が式神のある壁に向かって何かを投げつけた。それは茶色のヤモリで壁に隠れた白紙の人型を食べ始める。紙を食したヤモリが消え去った後、細切れになった紙がバラバラと舞い散った。
「これでいいか?」
「え・・・あ、その・・・・・・ありがとうございます・・・」
「俺もいい気はしないからな・・・」
「え―と・・・こっちへ・・・」
少し照れながらレンジェは青年をベットへと連れて行く。寝転がったレンジェの右隣に青年が添い寝するように横たわった。
「・・・その・・・これからは、なんて呼べばいいのでしょうか?」
「・・・・・・これまで通り、シンヤで構わんよ」
「じゃあ・・・シンヤさん・・・」
「ん?」
「私のことは、レンジェと呼んでください・・・」
「分かった、レンジェ」
「はい♪」
しばらくしてから、レンジェは心地よい眠気に襲われる。彼女は静かな寝息を立てて眠りについた。
レンジェが寝た後、シンヤは彼女の寝顔を見ながら思い悩む顔をする。
(話してよかったのだろうか・・・だが、何れは知るべきだろうな)
「すぅ、すぅ・・・」
「シンヤか・・・・・・そうだな。今はシンヤとして生きよう・・・」
12/05/27 09:53更新 / 『エックス』
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