妻帯者達の日常 SとN編
「ネームレス殿、釣れたかい?」
「いや・・・、当たりが全然。」
防波堤に座り、軽装に救命着をつけて潮風と直射の太陽光を浴びながら二人の釣り人は水面に糸を垂らしている。
一人は朱色の羽、もう一人はネームレスだ。
赤い嫁さんに活きのいい魚で一杯やりたいといわれて、青い嫁さん達から弁当をもらい、血を吸う嫁さんから釣果を期待され。
臍だしの嫁さんから一緒に行けないことに文句を言われ、緑の嫁さんや乳のデカイ嫁さんと乳のない嫁さんが鼾をかいて寝ている姿を見ながら朝早くに家を出発させられたのが全ての始まり。
一人では流石につまらないので、片っ端から携帯で連絡を取るのだが、時刻は四時を過ぎた当たりで迷惑を省みずにやった行為は熟睡者を起こし、営みを邪魔し、怒りを買い。
友情と信頼に僅かにヒビを入れていき。
唯一好反応を返してくれたネームレスが彼の犠牲をなってしまったという訳だ。
そして暗いうちから釣り針を沈めて魚を待ち始めたのだが、最初はよかった。
小ぶりながらも鯵や鯖が飽きない程度に釣れて会話も続いたのだが、日が完全に昇ってからだろうか、当たりがこなくなってしまい辺りから魚が消えてしまったかの様な空気が流れ始める。
そして最初の台詞が出てきたわけだ。
「潮の満ち引きではないみたいだし、どうなってるんだろうか?」
「ふむぅ・・・、そうなると場所を変えた方がいいのかもしれないな。」
「それもまた有りかもね。」
「どうします?」
「俺はここでもう少し粘りますよ。朱色さんは?」
「私は移動してみますわ。見える場所にいますんで、何かあったら来て下さいな。」
「了解。」
そういうと朱色の羽はリールを巻き糸を引き上げて、クーラーボックスを担ぐと別のところへと移動していく。
それを見送りつつネームレスは水面を見つつ、魚の当たりを待った。
この時、二人は気付いていなかった水の中でじっと見詰めている影があったのだ。
たゆたう水面から一人の男を観察し、ポッと頬を染め機会が訪れるのをじっと待つ影。
男は気が付かないまま時間は流れていき。
暇そうに蒼を眺めていると静かな湖面に波紋が波打ち、獲物が掛かったことを知らせてくれるのだが・・・。
「んっ?引いているのか・・・?前の鯵や鯖より手応えが違うぞ!?」
餌に食いついた魚は進む方向へ行けない引力と混乱する事により起こる自己防衛本能で釣り人と引き合いとなるのだが・・・。
これは何かが違うらしい。
定石では、暴れる魚はなすがままに泳がせて糸を伸ばし。
疲れてきたところを引き上げるのだが、この獲物は暴れるということをせずに釣り上げられる事をまっているような節がある。
「大物や根掛りって訳ではなさそうだけど・・・。」
不思議な感覚のまま糸を巻き、釣りに掛かった獲物を引っ張り出すと・・・。
「・・・。」
背中の水着、いや鱗に釣り針が刺さっているサハギンがそこにいた。
掛かった獲物をジッと見るネームレス。
目と目が合い、見詰め合っていると彼女の顔が赤くなり両手を頬に付けて恥らうように目を逸らす。
「・・・。」
そして彼は・・・。
何事もなかったかのようにサハギンを水の中へと戻して目の前で起きた事を忘れようとするが、糸からは当たりを知らせる引きが今も竿に届いてくる。
仕方なしにもう一度引っ張り上げるが、そこには同じ結果しかない。
「・・・。」
やはり彼は・・・。
海へと彼女を戻そうとするが、当のサハギンはネームレスの行動に慌てふためき。
彼に水の中へと返されないうちに空を蹴って振り子を作り防波堤の上へと上がろうとしていた。
だが、現実は非常なもので弧を描き、飛んでいった先には消波塊であるテトラポットが積まれており、彼女は勢いよくその塊へとぶつかってしまう。
物と物が衝突する音が辺りに響き、サハギンは気絶したのか海へと落ちピクリともせずに仰向けで波に身を預けて漂っている。
「・・・。助けないといけないよな。」
竿をコンクリートの床に置いてネームレスは彼女の所へと向かっていった。
一方・・・。
「うーん。こっちも外れ臭いなぁ〜。」
場所を移して糸を垂らしていた朱色の羽だが、釣果は上がらずにいた。
そう易々と場所を変えただけで釣れるのなら誰もが名人である。
ただ海に向かって伸びる糸を眺めつつ視界の先にいる友人へと目を向けると彼が防波堤の下へと降りていく姿が目に映った。
「根掛りでもしたから糸でも切りに行くのか?いやいや、だったら竿近くの方を切った方が安全だろう。」
どうしてその行動をとっているか理解できないが、万が一に備えて携帯に手を伸ばそうとしたその時。
彼の竿に当たりを知らせる引きがきた。
「こんな時にか、しかもなんかデカイぞ。」
深い青の中に見える黒い影。
朱色の羽の中にある天秤が揺れ動く。
目も前の大物か、危機か分かってないが友の命か。
「ええい、迷ってる場合かよ。バラしてあっちの確認が先決だろうが、私。」
力いっぱい竿を引き、針が外れるか糸が切れるかを試してみる。
すると案外あっけなく獲物は上がってきて水上へと姿を現す。
それは・・・。
「水・・・、着・・・?」
そう、水着だ。
しかも帆立貝に穴を開けて紐を通した簡素だが男性の誰もが自分の彼女や嫁に着て貰いたい衣装十本指の中に入る代物。
それが海から上がり、朱色の羽の顔の上に落ちた。
そして貝殻と貝殻の間から見えたのは小さな少女を抱きかかえて防波堤に戻ってくるネームレスの姿。
「無事そうでなによりだが・・・。これはどうするべきなのだろうか・・・。」
水着を顔からとって針に引っかかってるのを見て言葉を漏らす。
海に還すべきか?
自分で始末するべきか?
じっと見詰めながら考えている内に彼の脳内で会議が行われ始めた。
傍から見たらただの変なおっさんです本当にありがとうございます。
『おいおい、変なおっさんはないだろう。紳士だろ?し・ん・し!それにこれは落し物だろ?いいじゃねえかこっちが有効に
使えば。嫁の青鬼に着せてみ?夜が激しくなるぜ!』
などと耳元で囁く朱色の羽の本能であるダークエンジェル。
『待ちなさい。』
それに待ったをかけたのは善の良心であろうか、エンジェルが意見を挟んでくる。
『なんだぁ?素直に海に戻すか、警察にでも届けろって言いたいのか?善良な天使さんよぉ?』
『この!大馬鹿者が!!』
黒い天使の頬に鋭いコブシが飛び、目標を捕らえると肉に減り込んでいき彼女を殴り飛ばして壁に叩き付ける。
『使用済み水着なのですよ!!し・よ・う・ず・み!!まずは嗅ぐ!そして舐める!これが基本でしょうが!!』
この天使、善良な良心なのではなかった理性すらもこんな状態のエンジェルだったのだ。
『わ、私が間違ってたぜ!それが!それが雑食系紳士としてのたしなみだった!』
『そうよ!さあ、手を貸してあげるわ。』
『ありがとう!マイフレンド!』
『よし、朱色の羽!結論は出たわ!!』
『思う存分ハァハァしてクンカクンカしてぺろぺろして!』
『賢者してもいいのよ!』
がっちりと肩を組み、親指を立てて白と黒の天使が微笑みながら啓示を出して脳内会議は幕を閉じた。
もうヤダこの天使たち・・・。
っていうかこの作者の脳みそ・・・。
「OK!でも、お楽しみは後にとっておいてあっちはどうなってるんだ?」
目を細めて見てみるが、寝かせた少女になにやらしているのが見えるだけだ。
顔を上に上げ、下に下げ。
どうにか見ようとするが視力云々の問題には限度がある。
そして、少女が起き上がったとき朱色の羽は背後から声を聞いた。
「何を見てるのかしら?」
「ん〜?友人が少女を消波塊から抱きかかえて出てきたからその行く末を・・・。」
ハタッと声が消える。
彼は一体、誰と話しているのだろうか?
辺りには誰もおらずに一人釣りをしていたのだが・・・。
声の主の方へ顔を向けると、大きくたわわに実った乳房を腕で隠して額に怒りの四つ角を作って朱色の羽を見据えているメロウの姿があった。
場面はネームレスの方へと戻る。
彼に何があったかは察してあげてください。
硬いコンクリートの床に寝かせているサハギンに応急処置を施して様子を見るネームレス。
ぶつけた箇所を水で拭き消毒して絆創膏を貼っていく。
処置をしている間も目を回して倒れていたのだが、終わりに近づくにつれて方がピクリと動き、目が覚める予兆が出てきている。
「ふぅ・・・、こんなものか持ってきておいて良かった。」
全ての処置が完了したところでパチッと目を開けて起き上がり辺りを見回して、彼と目が合う。
「・・・。」
無言の中で見詰め合う二人。
(なんだろう、よく見ると嫁さん達と同じで可愛いな・・・。)
頬を染め、モジモジとする半魚と見惚れて言葉の出ない釣り人。
そこから暫く経ちようやく釣り人が言葉を発する。
「だ、大丈夫?」
「うん・・・。平気・・・。」
「そう、良かった。」
気丈に振舞うサハギンだが、まだ痛みがあるのか上半身を左右にぶれてまたコンクリートの床に頭から倒れそうになった。
「おっと、無理しちゃ駄目じゃないか。」
「ご、ごめんなさい・・・。」
落ちる身体を優しく抱きとめて縮まる二人の距離。
腕の中にいる彼女の顔は真っ赤になり、ネームレスも変に意識をしてしまう。
「だ、大丈夫。それより打ち付けなくてよかった。」
「あ、ありがとう。」
甘酸っぱい空気が流れ始めて、口から砂糖が流れ出しそうだ。
しばらくの間そのままの体勢で時間が過ぎ、サハギンが彼の身体から離れる。
「・・・、もう大丈夫。」
「そう。」
「隣に居ていい・・・?」
「構わないよ。」
少ない会話だが互いの思っていること、感じていることは分かり彼女が立ち上がるとネームレスの隣に座り、男は釣りを再開し始めた。
「ねぇ・・・。」
「ん?」
「奥さんいるの?」
「あぁ、ドッペルゲンガーとネコマタ、リビングドールの嫁さんが居るよ。」
「やっぱり・・・。」
竿を投げる姿を見ながらサハギンの表情は曇り始めていく。
分かるということは辛い事でもある。
ネームレスには妻達が居た。
小柄で健気なドッペルゲンガーと少し大人びていて姉さん風を吹かせるネコマタ、幼い外見ながらふくよかな身体を持つリビングドールだ。
今回の釣りも新鮮で活きの良い魚を嫁さん達に食べさせたいという彼の思いやりからの参加だった。
「・・・、私ね。貴方に一目惚れしたの。もう一人の男の人と釣りをしてる姿を見て・・・。
気が付いたら貴方だけをじっと見てた。」
「・・・。」
俯き加減で零す様な告白を始めるサハギン。
「それで、一人になった時この機会しかないと思って釣り針を鱗にかけて・・・。後はそのまま・・・。」
浮かんでいる浮きに目線を向けて彼女の話に耳を傾けて聞き続けるネームレス。
「抱きとめてもらった時に影と猫。それに人形の匂いが染み付いてるのに気が付いて・・・。」
泣き出しそうな声を漏らすサハギンに彼はそっと手を伸ばし頭の上におくと優しく撫で始める。
「人を好きになるのは自然なことじゃないのかな。悪いことじゃないよ。」
「でも・・・。」
「好きになっちゃったものはしょうがないじゃないか。後で電話入れとくから。」
「・・・。」
「ははっ、この事だったのかな・・・。大物が釣れても怒らない・・・、ボウズはないだろうって・・・・。」
どうやら今回の釣りにいく事で嫁が増えると彼の妻の誰かが予見していたのだろう。
苦笑いしながら竿をしならせて餌に疑似行為をさせて魚を誘うネームレスだった。
「なんか甘酸っぱい空気が流れてるわね。」
「存外落ち着いてるから帰って修羅場にはならないのだろうな・・・。」
出歯亀よろしくな状態で別の防波堤から他人様の様子を見ている男女。
両頬に手形の腫れとキスマークが付いた朱色の羽とメロウだ。
何がこの二人にあったのやら・・・。
「えっ?修羅場ってどういうこと?」
「私達は妻帯者だからな。あれだけべったりされてるのだからお持ち帰りは確定だろう。でも、ネームレス殿に慌てた素振りはないから嫁さんの事前了解がされてたんだろうな。」
細めた目を戻しながら彼は魔法瓶を取り出して、コップにお茶を注ぎながら過程を眺め、彼女もずっと見ているのに疲れたのか目を離して目頭を押さえている。
「なるほどねぇ・・・。貴方もちゃんと責任取ってくれるんでしょうね?」
「水着釣り上げて、盗んだ云々で平手打ちくらって。誤解が解けてお詫びで頬にキスしてきて、乳首見られたって喚いてもう一発追加で平手打ち・・・。なんの責任を取れって言うんだよ。」
「乙女の純情を見た責任よ。貴方の桃色な話、余すことなく聞かせてもらうんだから。」
「勘弁してください・・・。っと、それはそうとお茶飲むか?」
「頂くわ。って、あの子達良い雰囲気ね・・・。キスでもしそうじゃない?」
メロウの言葉に目線をネームレスの方へと戻すと、防波堤に座って寄り添いあう男女の姿があった。
「いいわね。あんな空気・・・。」
「・・・、しないからな。妻帯者的に考えて。」
「ぶぅ・・・。ケチ〜。」
頬を膨らませて拗ねる彼女を頬っておき、朱色の羽はお茶を啜りつつあの甘酸っぱい空間を眺め始める。
もはやその姿はやり手爺とやり手婆そのものであった。
「ふぅ・・・。もう無理かな?」
「魚?」
「そうそう。釣果としては十分だし、朱色さんと合流しようか。」
「・・・、私。捕ってこようか?」
「大丈夫、いっぱい食べれる分あるから。ありがと。」
気遣いをしてくれる彼女の姿が嬉しくて、ネームレスはまだ湿り気のある蒼い髪へと手を伸ばして優しく撫で回す。
「んっ・・・。」
サハギンは最初少し驚いたのだが、掌から感じる暖かさを感じ彼に身を委ねていく。
「それじゃあ、行こうか。」
「あっ、ちょっと待って。」
立ち上がろうとする彼の腕を掴んで静止させ、顔を自分の方へと向けさせるサハギン。
「どうしたの?・・・、んっ!?」
「・・・。」
ふいに振り向かされて驚くと、次にやってきたのは暖かい感触。
ネームレスの目には幼顔だけが映り、そして息遣いも聞こえてきていた。
「・・・。」
「・・・。」
互いに伝わるぬくもりと唇の肌触り。
潮の香りと波がコンクリートへぶつかる音だけが辺りに漂っている。
深い口付けではなく浅く、何かを確かめるようなもの。
ただ無言で欲望を燃やさずにゆっくりと感じ合う。
そして、しばらくすると彼女の方から離れていった。
「・・・。ありがとう。不束者ですがよろしくお願いします。」
「うん・・・。」
頬は朱色に染まり、胸の動悸は激しくなる。
サハギンにとっては初めての経験。
ネームレスにとっては久しぶりに味わう、初々しい恋の感覚。
「じゃあ、道具を直して。合流しようか。」
「・・・、うん。」
どこかギクシャクしつつ、道具を片付けると朱色の羽がいる防波堤へと歩き出す。
この後、両頬に手形をつけた男とメロウを見てネームレスが驚いたのは言うまでもない。
そして、サハギンの彼女が無事ドッペルゲンガーとネコマタ、リビングドールに迎え入れられ意気投合するのはまた別のお話。
「いや・・・、当たりが全然。」
防波堤に座り、軽装に救命着をつけて潮風と直射の太陽光を浴びながら二人の釣り人は水面に糸を垂らしている。
一人は朱色の羽、もう一人はネームレスだ。
赤い嫁さんに活きのいい魚で一杯やりたいといわれて、青い嫁さん達から弁当をもらい、血を吸う嫁さんから釣果を期待され。
臍だしの嫁さんから一緒に行けないことに文句を言われ、緑の嫁さんや乳のデカイ嫁さんと乳のない嫁さんが鼾をかいて寝ている姿を見ながら朝早くに家を出発させられたのが全ての始まり。
一人では流石につまらないので、片っ端から携帯で連絡を取るのだが、時刻は四時を過ぎた当たりで迷惑を省みずにやった行為は熟睡者を起こし、営みを邪魔し、怒りを買い。
友情と信頼に僅かにヒビを入れていき。
唯一好反応を返してくれたネームレスが彼の犠牲をなってしまったという訳だ。
そして暗いうちから釣り針を沈めて魚を待ち始めたのだが、最初はよかった。
小ぶりながらも鯵や鯖が飽きない程度に釣れて会話も続いたのだが、日が完全に昇ってからだろうか、当たりがこなくなってしまい辺りから魚が消えてしまったかの様な空気が流れ始める。
そして最初の台詞が出てきたわけだ。
「潮の満ち引きではないみたいだし、どうなってるんだろうか?」
「ふむぅ・・・、そうなると場所を変えた方がいいのかもしれないな。」
「それもまた有りかもね。」
「どうします?」
「俺はここでもう少し粘りますよ。朱色さんは?」
「私は移動してみますわ。見える場所にいますんで、何かあったら来て下さいな。」
「了解。」
そういうと朱色の羽はリールを巻き糸を引き上げて、クーラーボックスを担ぐと別のところへと移動していく。
それを見送りつつネームレスは水面を見つつ、魚の当たりを待った。
この時、二人は気付いていなかった水の中でじっと見詰めている影があったのだ。
たゆたう水面から一人の男を観察し、ポッと頬を染め機会が訪れるのをじっと待つ影。
男は気が付かないまま時間は流れていき。
暇そうに蒼を眺めていると静かな湖面に波紋が波打ち、獲物が掛かったことを知らせてくれるのだが・・・。
「んっ?引いているのか・・・?前の鯵や鯖より手応えが違うぞ!?」
餌に食いついた魚は進む方向へ行けない引力と混乱する事により起こる自己防衛本能で釣り人と引き合いとなるのだが・・・。
これは何かが違うらしい。
定石では、暴れる魚はなすがままに泳がせて糸を伸ばし。
疲れてきたところを引き上げるのだが、この獲物は暴れるということをせずに釣り上げられる事をまっているような節がある。
「大物や根掛りって訳ではなさそうだけど・・・。」
不思議な感覚のまま糸を巻き、釣りに掛かった獲物を引っ張り出すと・・・。
「・・・。」
背中の水着、いや鱗に釣り針が刺さっているサハギンがそこにいた。
掛かった獲物をジッと見るネームレス。
目と目が合い、見詰め合っていると彼女の顔が赤くなり両手を頬に付けて恥らうように目を逸らす。
「・・・。」
そして彼は・・・。
何事もなかったかのようにサハギンを水の中へと戻して目の前で起きた事を忘れようとするが、糸からは当たりを知らせる引きが今も竿に届いてくる。
仕方なしにもう一度引っ張り上げるが、そこには同じ結果しかない。
「・・・。」
やはり彼は・・・。
海へと彼女を戻そうとするが、当のサハギンはネームレスの行動に慌てふためき。
彼に水の中へと返されないうちに空を蹴って振り子を作り防波堤の上へと上がろうとしていた。
だが、現実は非常なもので弧を描き、飛んでいった先には消波塊であるテトラポットが積まれており、彼女は勢いよくその塊へとぶつかってしまう。
物と物が衝突する音が辺りに響き、サハギンは気絶したのか海へと落ちピクリともせずに仰向けで波に身を預けて漂っている。
「・・・。助けないといけないよな。」
竿をコンクリートの床に置いてネームレスは彼女の所へと向かっていった。
一方・・・。
「うーん。こっちも外れ臭いなぁ〜。」
場所を移して糸を垂らしていた朱色の羽だが、釣果は上がらずにいた。
そう易々と場所を変えただけで釣れるのなら誰もが名人である。
ただ海に向かって伸びる糸を眺めつつ視界の先にいる友人へと目を向けると彼が防波堤の下へと降りていく姿が目に映った。
「根掛りでもしたから糸でも切りに行くのか?いやいや、だったら竿近くの方を切った方が安全だろう。」
どうしてその行動をとっているか理解できないが、万が一に備えて携帯に手を伸ばそうとしたその時。
彼の竿に当たりを知らせる引きがきた。
「こんな時にか、しかもなんかデカイぞ。」
深い青の中に見える黒い影。
朱色の羽の中にある天秤が揺れ動く。
目も前の大物か、危機か分かってないが友の命か。
「ええい、迷ってる場合かよ。バラしてあっちの確認が先決だろうが、私。」
力いっぱい竿を引き、針が外れるか糸が切れるかを試してみる。
すると案外あっけなく獲物は上がってきて水上へと姿を現す。
それは・・・。
「水・・・、着・・・?」
そう、水着だ。
しかも帆立貝に穴を開けて紐を通した簡素だが男性の誰もが自分の彼女や嫁に着て貰いたい衣装十本指の中に入る代物。
それが海から上がり、朱色の羽の顔の上に落ちた。
そして貝殻と貝殻の間から見えたのは小さな少女を抱きかかえて防波堤に戻ってくるネームレスの姿。
「無事そうでなによりだが・・・。これはどうするべきなのだろうか・・・。」
水着を顔からとって針に引っかかってるのを見て言葉を漏らす。
海に還すべきか?
自分で始末するべきか?
じっと見詰めながら考えている内に彼の脳内で会議が行われ始めた。
傍から見たらただの変なおっさんです本当にありがとうございます。
『おいおい、変なおっさんはないだろう。紳士だろ?し・ん・し!それにこれは落し物だろ?いいじゃねえかこっちが有効に
使えば。嫁の青鬼に着せてみ?夜が激しくなるぜ!』
などと耳元で囁く朱色の羽の本能であるダークエンジェル。
『待ちなさい。』
それに待ったをかけたのは善の良心であろうか、エンジェルが意見を挟んでくる。
『なんだぁ?素直に海に戻すか、警察にでも届けろって言いたいのか?善良な天使さんよぉ?』
『この!大馬鹿者が!!』
黒い天使の頬に鋭いコブシが飛び、目標を捕らえると肉に減り込んでいき彼女を殴り飛ばして壁に叩き付ける。
『使用済み水着なのですよ!!し・よ・う・ず・み!!まずは嗅ぐ!そして舐める!これが基本でしょうが!!』
この天使、善良な良心なのではなかった理性すらもこんな状態のエンジェルだったのだ。
『わ、私が間違ってたぜ!それが!それが雑食系紳士としてのたしなみだった!』
『そうよ!さあ、手を貸してあげるわ。』
『ありがとう!マイフレンド!』
『よし、朱色の羽!結論は出たわ!!』
『思う存分ハァハァしてクンカクンカしてぺろぺろして!』
『賢者してもいいのよ!』
がっちりと肩を組み、親指を立てて白と黒の天使が微笑みながら啓示を出して脳内会議は幕を閉じた。
もうヤダこの天使たち・・・。
っていうかこの作者の脳みそ・・・。
「OK!でも、お楽しみは後にとっておいてあっちはどうなってるんだ?」
目を細めて見てみるが、寝かせた少女になにやらしているのが見えるだけだ。
顔を上に上げ、下に下げ。
どうにか見ようとするが視力云々の問題には限度がある。
そして、少女が起き上がったとき朱色の羽は背後から声を聞いた。
「何を見てるのかしら?」
「ん〜?友人が少女を消波塊から抱きかかえて出てきたからその行く末を・・・。」
ハタッと声が消える。
彼は一体、誰と話しているのだろうか?
辺りには誰もおらずに一人釣りをしていたのだが・・・。
声の主の方へ顔を向けると、大きくたわわに実った乳房を腕で隠して額に怒りの四つ角を作って朱色の羽を見据えているメロウの姿があった。
場面はネームレスの方へと戻る。
彼に何があったかは察してあげてください。
硬いコンクリートの床に寝かせているサハギンに応急処置を施して様子を見るネームレス。
ぶつけた箇所を水で拭き消毒して絆創膏を貼っていく。
処置をしている間も目を回して倒れていたのだが、終わりに近づくにつれて方がピクリと動き、目が覚める予兆が出てきている。
「ふぅ・・・、こんなものか持ってきておいて良かった。」
全ての処置が完了したところでパチッと目を開けて起き上がり辺りを見回して、彼と目が合う。
「・・・。」
無言の中で見詰め合う二人。
(なんだろう、よく見ると嫁さん達と同じで可愛いな・・・。)
頬を染め、モジモジとする半魚と見惚れて言葉の出ない釣り人。
そこから暫く経ちようやく釣り人が言葉を発する。
「だ、大丈夫?」
「うん・・・。平気・・・。」
「そう、良かった。」
気丈に振舞うサハギンだが、まだ痛みがあるのか上半身を左右にぶれてまたコンクリートの床に頭から倒れそうになった。
「おっと、無理しちゃ駄目じゃないか。」
「ご、ごめんなさい・・・。」
落ちる身体を優しく抱きとめて縮まる二人の距離。
腕の中にいる彼女の顔は真っ赤になり、ネームレスも変に意識をしてしまう。
「だ、大丈夫。それより打ち付けなくてよかった。」
「あ、ありがとう。」
甘酸っぱい空気が流れ始めて、口から砂糖が流れ出しそうだ。
しばらくの間そのままの体勢で時間が過ぎ、サハギンが彼の身体から離れる。
「・・・、もう大丈夫。」
「そう。」
「隣に居ていい・・・?」
「構わないよ。」
少ない会話だが互いの思っていること、感じていることは分かり彼女が立ち上がるとネームレスの隣に座り、男は釣りを再開し始めた。
「ねぇ・・・。」
「ん?」
「奥さんいるの?」
「あぁ、ドッペルゲンガーとネコマタ、リビングドールの嫁さんが居るよ。」
「やっぱり・・・。」
竿を投げる姿を見ながらサハギンの表情は曇り始めていく。
分かるということは辛い事でもある。
ネームレスには妻達が居た。
小柄で健気なドッペルゲンガーと少し大人びていて姉さん風を吹かせるネコマタ、幼い外見ながらふくよかな身体を持つリビングドールだ。
今回の釣りも新鮮で活きの良い魚を嫁さん達に食べさせたいという彼の思いやりからの参加だった。
「・・・、私ね。貴方に一目惚れしたの。もう一人の男の人と釣りをしてる姿を見て・・・。
気が付いたら貴方だけをじっと見てた。」
「・・・。」
俯き加減で零す様な告白を始めるサハギン。
「それで、一人になった時この機会しかないと思って釣り針を鱗にかけて・・・。後はそのまま・・・。」
浮かんでいる浮きに目線を向けて彼女の話に耳を傾けて聞き続けるネームレス。
「抱きとめてもらった時に影と猫。それに人形の匂いが染み付いてるのに気が付いて・・・。」
泣き出しそうな声を漏らすサハギンに彼はそっと手を伸ばし頭の上におくと優しく撫で始める。
「人を好きになるのは自然なことじゃないのかな。悪いことじゃないよ。」
「でも・・・。」
「好きになっちゃったものはしょうがないじゃないか。後で電話入れとくから。」
「・・・。」
「ははっ、この事だったのかな・・・。大物が釣れても怒らない・・・、ボウズはないだろうって・・・・。」
どうやら今回の釣りにいく事で嫁が増えると彼の妻の誰かが予見していたのだろう。
苦笑いしながら竿をしならせて餌に疑似行為をさせて魚を誘うネームレスだった。
「なんか甘酸っぱい空気が流れてるわね。」
「存外落ち着いてるから帰って修羅場にはならないのだろうな・・・。」
出歯亀よろしくな状態で別の防波堤から他人様の様子を見ている男女。
両頬に手形の腫れとキスマークが付いた朱色の羽とメロウだ。
何がこの二人にあったのやら・・・。
「えっ?修羅場ってどういうこと?」
「私達は妻帯者だからな。あれだけべったりされてるのだからお持ち帰りは確定だろう。でも、ネームレス殿に慌てた素振りはないから嫁さんの事前了解がされてたんだろうな。」
細めた目を戻しながら彼は魔法瓶を取り出して、コップにお茶を注ぎながら過程を眺め、彼女もずっと見ているのに疲れたのか目を離して目頭を押さえている。
「なるほどねぇ・・・。貴方もちゃんと責任取ってくれるんでしょうね?」
「水着釣り上げて、盗んだ云々で平手打ちくらって。誤解が解けてお詫びで頬にキスしてきて、乳首見られたって喚いてもう一発追加で平手打ち・・・。なんの責任を取れって言うんだよ。」
「乙女の純情を見た責任よ。貴方の桃色な話、余すことなく聞かせてもらうんだから。」
「勘弁してください・・・。っと、それはそうとお茶飲むか?」
「頂くわ。って、あの子達良い雰囲気ね・・・。キスでもしそうじゃない?」
メロウの言葉に目線をネームレスの方へと戻すと、防波堤に座って寄り添いあう男女の姿があった。
「いいわね。あんな空気・・・。」
「・・・、しないからな。妻帯者的に考えて。」
「ぶぅ・・・。ケチ〜。」
頬を膨らませて拗ねる彼女を頬っておき、朱色の羽はお茶を啜りつつあの甘酸っぱい空間を眺め始める。
もはやその姿はやり手爺とやり手婆そのものであった。
「ふぅ・・・。もう無理かな?」
「魚?」
「そうそう。釣果としては十分だし、朱色さんと合流しようか。」
「・・・、私。捕ってこようか?」
「大丈夫、いっぱい食べれる分あるから。ありがと。」
気遣いをしてくれる彼女の姿が嬉しくて、ネームレスはまだ湿り気のある蒼い髪へと手を伸ばして優しく撫で回す。
「んっ・・・。」
サハギンは最初少し驚いたのだが、掌から感じる暖かさを感じ彼に身を委ねていく。
「それじゃあ、行こうか。」
「あっ、ちょっと待って。」
立ち上がろうとする彼の腕を掴んで静止させ、顔を自分の方へと向けさせるサハギン。
「どうしたの?・・・、んっ!?」
「・・・。」
ふいに振り向かされて驚くと、次にやってきたのは暖かい感触。
ネームレスの目には幼顔だけが映り、そして息遣いも聞こえてきていた。
「・・・。」
「・・・。」
互いに伝わるぬくもりと唇の肌触り。
潮の香りと波がコンクリートへぶつかる音だけが辺りに漂っている。
深い口付けではなく浅く、何かを確かめるようなもの。
ただ無言で欲望を燃やさずにゆっくりと感じ合う。
そして、しばらくすると彼女の方から離れていった。
「・・・。ありがとう。不束者ですがよろしくお願いします。」
「うん・・・。」
頬は朱色に染まり、胸の動悸は激しくなる。
サハギンにとっては初めての経験。
ネームレスにとっては久しぶりに味わう、初々しい恋の感覚。
「じゃあ、道具を直して。合流しようか。」
「・・・、うん。」
どこかギクシャクしつつ、道具を片付けると朱色の羽がいる防波堤へと歩き出す。
この後、両頬に手形をつけた男とメロウを見てネームレスが驚いたのは言うまでもない。
そして、サハギンの彼女が無事ドッペルゲンガーとネコマタ、リビングドールに迎え入れられ意気投合するのはまた別のお話。
13/08/27 23:08更新 / 朱色の羽