Crème de Cacao
瑞穂県の南部にある小さな町、東星町。
隣にある如月市のベッドタウンのような存在である一方、保守的な政策の如月市とは対照的な魔物の受け入れを積極的に受け入れているを
結果、人口減少問題に悩む瑞穂県内では珍しく人口が増加傾向にある。
町内にあるバー、クオーツ。
普段は人魔問わずいつも誰かが盃を傾けているののだが、今日は2月14日。
レコードの音楽だけが店内を支配している。
「ま、そりゃ今日はみんな家でよろしくやってるよね。
あの子も去年まではここに愚痴りに来てたのに…もう今年からは来ないからな…。」
バーのマスターでオーナー、エキドナの湊敦子は暇そうに頬杖をつきながら小さく欠伸をした。
何もやることがないと寝てしまいそう、冷蔵庫から瓶入りのコーラを取り出して栓を抜き、ミックスナッツをつまみながら一口ずつ喉に押し込む。
生憎今日は食欲が湧かない。
からん、とドアベルが鳴る。
慌ててコーラを飲み干し、ごみ箱に投げ入れた。
「いらっしゃ…あら、お久しぶり。」
以外そうな顔をした敦子の視線の先、オールバックに整えた明るい焦茶色のやや長い髪と中性的な顔。
高山戒斗、如月市内にあるバーで働くバーテンダーである。
「今日は店が休みになったから暇潰しに来た…ルシアンで。
スポーツカーからSUVに車変えた?」
クレーム・ド・カカオとウォッカとドライジンをシェイカーに入れてシェイク、飲みやすさの割にアルコール度数の強烈なカクテル。
「あれは義弟…一番上の妹の彼氏の車。
車検に出すとき代車に、って貸してくれたの。」
しかし、敦子にとって水平対向エンジンと四駆の組み合わせは好みではないらしい、少し不満そうに鼻を鳴らした。
「一番上の妹さん…種族は何だっけ。」
「ドッペルゲンガー、バリバリのキャリアウーマン。」
戒斗の前に皿を置き、ミックスナッツと革製品の欠片のようなものを乗せた。
普段はチャーム――普段酒肴は口にしないが、臍を曲げて突っぱねる訳にもいかない。
それに、今日は少し多めの金を懐に忍ばせている、試しに欠片のようなものを手に取った。
見た目だけでなく手触りや硬さも革に似ている…少しむしって口に運ぶ。
最初にやってきた微かな魚の風味、一瞬遅れて塩気を引き連れた強烈な燻香がそれを跳ね飛ばし、遅れて旨味と胡椒の風味と辛味が通り過ぎる。
ルシアンを一口入れると、意外とあっさりと立ち退きに応じる素直さもある。
「…うまいな、これ。」
「でしょ〜、その義弟特製のタラのスモーク。
めちゃくちゃ釣れるんだって。」
新鮮なタラをたっぷりの胡椒と一緒に数日間塩漬けしてから燻製し、しっかりと乾燥させたもの。
もう一口、この燻香はどこかで嗅いだ事がある。
「なんかバーボンの焦がしたオーク樽みたいな風味がある…ナラで燻したのか。」
ウイスキーの熟成に用いられるオーク(ナラ)の樽、特にバーボンでは内側を焦がした樽を用いる。
戒斗の予想通り、ナラ材で燻したものであった。
「さて…次はグラスホッパーを頼もうかな。」
クレーム・ド・カカオにミントリキュール、生クリームを合わせてシェイク。
その名の通り、バッタの体色のような少しくすんだ緑色のカクテルが注がれた。
口に含むとミントの鮮烈な香りが通りすがり、喉と鼻の境目付近で甘苦いカカオの香りとすれ違う。
もったりした甘さとクリームの乳脂肪が緩衝材のように舌の上を覆っていつまでも残る。
チョコミント味のアイスクリームという形容は言い得て妙である。
「で、何で急にここに来たの?」
敦子も戒斗と同じ店でバーテンダーとして働いていた。
華のある整った顔立ちに気さくな性格、そして確かな腕前…店一番のバーテンダーと呼ばれるのは当然であった。
しかし、3年前のある日、敦子が魔物である事が知られてしまい、店をクビにされてしまった。
店のオーナーは反魔物主義者であった。
結局、敦子は東星町内の空き家を買い取って今のクオーツを開いた。
店を開いて最初の客が戒斗であった。
その時、思い切ってこのひとつ歳下の元同僚に想いを伝えた。
『悪い…ごめん。』
かなり遅い初恋の結論は、予想以上に予想通りの返答。
振られたショックで次の日は丸一日泣いていた。
「実はさ…近いうち店辞めようと思ってて。」
元々反魔物志向の強いものがいる如月市、2代前の市長は法律で禁止されるまで魔物を差別・弾圧する政策を推し進めていた。
オーナーの反魔物的な行動・言動が近頃どんどん強硬化していた。
それに嫌気した従業員が続々と店を去っていた。
「そっか…頑張れよ。」
暫くの沈黙の後、敦子は皿の上にあったタラのスモークの最後の一切れを横取りした。
鹵獲したスモークを口に運ぶ。
やはり塩気と燻香がきつい。
「最後はアレクサンダーを貰おうかな。」
「で、バレンタインデーにクレーム・ド・カカオが入ったカクテルばっか頼んでるのは、私への当て付け?」
口を尖らせながらもクレーム・ド・カカオにブランデー、生クリームをシェイカーに入れてシェイク、グラスに注いだ。
「まだ…僕のこと好きでいてくれたりする?」
不意に敦子の動きが止まる。
一瞬のうちに耳が赤くなり、まるで油が切れて塩が噛んだギアのように動きがかくかくしている。
「そんなの…まあ…3年経った今でもしっかりがっつり思いっ切り引きずってますけど何か!?」
やけくそになり、3年越しのふたたびの告白。
思いっ切り口をへの字にしてそっぽを向き、腕組みをして仁王立ち。
――もういいやこれで
――何がロマンチックな恋だちくしょう
――恋なんて一生しなくていいや
――パートナーはお見合いで決めよう
――叔父さんに頼んでみようかな
「じゃあ3年前のあの返事、撤回できないかな…男に二言は無いのは承知の上なんだけど。」
戒斗の顔も耳まで真っ赤になっていた。
「なんでこうなるかなぁ…はい。」
敦子が戒斗のそばに寄って、カウンターの裏に隠し置いていたものを照れ隠しで少し乱暴に投げ渡す。
ピンクであちこちにハートがあしらわれたデザインの包み紙を解くと、中から高級チョコレートが出てきた。
毎年戒斗が来るんじゃないか、と淡い期待を抱いて買っている。
結局は店へ愚痴りにきた妹に食べさせていたのだが、今年から大好きな彼氏と一緒に過ごす事となってもう買うのは最後にしようと決めていた。
「ありがとう、いただきます。」
チョコレートを口に放り込んだ瞬間、敦子は戒斗の唇に思い切りキスをした。
その一部始終はカウンターの上のクレーム・ド・カカオがしっかりと捉えていた。
隣にある如月市のベッドタウンのような存在である一方、保守的な政策の如月市とは対照的な魔物の受け入れを積極的に受け入れているを
結果、人口減少問題に悩む瑞穂県内では珍しく人口が増加傾向にある。
町内にあるバー、クオーツ。
普段は人魔問わずいつも誰かが盃を傾けているののだが、今日は2月14日。
レコードの音楽だけが店内を支配している。
「ま、そりゃ今日はみんな家でよろしくやってるよね。
あの子も去年まではここに愚痴りに来てたのに…もう今年からは来ないからな…。」
バーのマスターでオーナー、エキドナの湊敦子は暇そうに頬杖をつきながら小さく欠伸をした。
何もやることがないと寝てしまいそう、冷蔵庫から瓶入りのコーラを取り出して栓を抜き、ミックスナッツをつまみながら一口ずつ喉に押し込む。
生憎今日は食欲が湧かない。
からん、とドアベルが鳴る。
慌ててコーラを飲み干し、ごみ箱に投げ入れた。
「いらっしゃ…あら、お久しぶり。」
以外そうな顔をした敦子の視線の先、オールバックに整えた明るい焦茶色のやや長い髪と中性的な顔。
高山戒斗、如月市内にあるバーで働くバーテンダーである。
「今日は店が休みになったから暇潰しに来た…ルシアンで。
スポーツカーからSUVに車変えた?」
クレーム・ド・カカオとウォッカとドライジンをシェイカーに入れてシェイク、飲みやすさの割にアルコール度数の強烈なカクテル。
「あれは義弟…一番上の妹の彼氏の車。
車検に出すとき代車に、って貸してくれたの。」
しかし、敦子にとって水平対向エンジンと四駆の組み合わせは好みではないらしい、少し不満そうに鼻を鳴らした。
「一番上の妹さん…種族は何だっけ。」
「ドッペルゲンガー、バリバリのキャリアウーマン。」
戒斗の前に皿を置き、ミックスナッツと革製品の欠片のようなものを乗せた。
普段はチャーム――普段酒肴は口にしないが、臍を曲げて突っぱねる訳にもいかない。
それに、今日は少し多めの金を懐に忍ばせている、試しに欠片のようなものを手に取った。
見た目だけでなく手触りや硬さも革に似ている…少しむしって口に運ぶ。
最初にやってきた微かな魚の風味、一瞬遅れて塩気を引き連れた強烈な燻香がそれを跳ね飛ばし、遅れて旨味と胡椒の風味と辛味が通り過ぎる。
ルシアンを一口入れると、意外とあっさりと立ち退きに応じる素直さもある。
「…うまいな、これ。」
「でしょ〜、その義弟特製のタラのスモーク。
めちゃくちゃ釣れるんだって。」
新鮮なタラをたっぷりの胡椒と一緒に数日間塩漬けしてから燻製し、しっかりと乾燥させたもの。
もう一口、この燻香はどこかで嗅いだ事がある。
「なんかバーボンの焦がしたオーク樽みたいな風味がある…ナラで燻したのか。」
ウイスキーの熟成に用いられるオーク(ナラ)の樽、特にバーボンでは内側を焦がした樽を用いる。
戒斗の予想通り、ナラ材で燻したものであった。
「さて…次はグラスホッパーを頼もうかな。」
クレーム・ド・カカオにミントリキュール、生クリームを合わせてシェイク。
その名の通り、バッタの体色のような少しくすんだ緑色のカクテルが注がれた。
口に含むとミントの鮮烈な香りが通りすがり、喉と鼻の境目付近で甘苦いカカオの香りとすれ違う。
もったりした甘さとクリームの乳脂肪が緩衝材のように舌の上を覆っていつまでも残る。
チョコミント味のアイスクリームという形容は言い得て妙である。
「で、何で急にここに来たの?」
敦子も戒斗と同じ店でバーテンダーとして働いていた。
華のある整った顔立ちに気さくな性格、そして確かな腕前…店一番のバーテンダーと呼ばれるのは当然であった。
しかし、3年前のある日、敦子が魔物である事が知られてしまい、店をクビにされてしまった。
店のオーナーは反魔物主義者であった。
結局、敦子は東星町内の空き家を買い取って今のクオーツを開いた。
店を開いて最初の客が戒斗であった。
その時、思い切ってこのひとつ歳下の元同僚に想いを伝えた。
『悪い…ごめん。』
かなり遅い初恋の結論は、予想以上に予想通りの返答。
振られたショックで次の日は丸一日泣いていた。
「実はさ…近いうち店辞めようと思ってて。」
元々反魔物志向の強いものがいる如月市、2代前の市長は法律で禁止されるまで魔物を差別・弾圧する政策を推し進めていた。
オーナーの反魔物的な行動・言動が近頃どんどん強硬化していた。
それに嫌気した従業員が続々と店を去っていた。
「そっか…頑張れよ。」
暫くの沈黙の後、敦子は皿の上にあったタラのスモークの最後の一切れを横取りした。
鹵獲したスモークを口に運ぶ。
やはり塩気と燻香がきつい。
「最後はアレクサンダーを貰おうかな。」
「で、バレンタインデーにクレーム・ド・カカオが入ったカクテルばっか頼んでるのは、私への当て付け?」
口を尖らせながらもクレーム・ド・カカオにブランデー、生クリームをシェイカーに入れてシェイク、グラスに注いだ。
「まだ…僕のこと好きでいてくれたりする?」
不意に敦子の動きが止まる。
一瞬のうちに耳が赤くなり、まるで油が切れて塩が噛んだギアのように動きがかくかくしている。
「そんなの…まあ…3年経った今でもしっかりがっつり思いっ切り引きずってますけど何か!?」
やけくそになり、3年越しのふたたびの告白。
思いっ切り口をへの字にしてそっぽを向き、腕組みをして仁王立ち。
――もういいやこれで
――何がロマンチックな恋だちくしょう
――恋なんて一生しなくていいや
――パートナーはお見合いで決めよう
――叔父さんに頼んでみようかな
「じゃあ3年前のあの返事、撤回できないかな…男に二言は無いのは承知の上なんだけど。」
戒斗の顔も耳まで真っ赤になっていた。
「なんでこうなるかなぁ…はい。」
敦子が戒斗のそばに寄って、カウンターの裏に隠し置いていたものを照れ隠しで少し乱暴に投げ渡す。
ピンクであちこちにハートがあしらわれたデザインの包み紙を解くと、中から高級チョコレートが出てきた。
毎年戒斗が来るんじゃないか、と淡い期待を抱いて買っている。
結局は店へ愚痴りにきた妹に食べさせていたのだが、今年から大好きな彼氏と一緒に過ごす事となってもう買うのは最後にしようと決めていた。
「ありがとう、いただきます。」
チョコレートを口に放り込んだ瞬間、敦子は戒斗の唇に思い切りキスをした。
その一部始終はカウンターの上のクレーム・ド・カカオがしっかりと捉えていた。
25/02/14 12:47更新 / 山本大輔