連載小説
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Phase 3:Follow-through
晩夏のある雨の夜、由美のディストレスコールを受けた一馬は由美の自宅に駆け付けた。
メールの画面を開き、大きな単眼にこれでもかと涙を溜めていた。

「こんなひどい事を書いてくるなんて…」
わずか数時間のうちに何十通も届いたレビューメール、内容は揃って最低評価であった。
コメントは実際にロッドを使っての感想とは到底思えない悪口やクロップワークスに対する暴言、更にはサイクロプスという由美の種族に対する差別的発言。
いわゆるアンチレビュー、荒らしレビューの類である。

「うわっ、これはタチが悪い。」
まるで害虫を見るかのような目でメールを見る一馬。
釣りに限らず、クロップワークスのように熱狂的なエンスージアストのいるところは必ず、熱狂的なアンチも存在している。
普段なら鼻で笑う所だが、これまでエンドユーザーの声を聞いた事も、況や理不尽な悪意を喰らったこともない由美からすれば心を抉り取る発言なのは想像に難くない。

「だいぶ悪辣だな、また来たら弁護士つけて開示請求に動こう。」
荒らしレビューを大量に投稿しているIPアドレスのアクセスをブロックし、そこから投稿された悪質なレビューは全て削除した。
その旨をクロップワークスのサイトのトップに出し、その場は一旦収まった。

「もう…この仕事やめようかな…」
由美が部屋の奥に立て掛けてあるブランクスを手に持った。

「こんな事になるなら…釣り竿造りなんて…カーボンに出逢わなきゃ良かった!」
やめろ。
叩き折ろうとした手を両手で掴み、押さえ込む。
巨人の末裔たる種族のサイクロプス、その中でも一際大柄な由美をただの人間である一馬が抑え込むのも必死。
振り払われたら吹き飛ばされたりしないようにするので精一杯である。

「お前さん、自分の作ったロッドを子供達って言ってたよな。
一時の感情の衝動でてめえのガキ殺すやつがいるか!」
一馬の叫びにはっと我に返った。
声を殺して静かに、そして激しく涙を流した。

「なあ、そいつ…いつまでもそのままにする訳にいかんだろ。」
暫くして、落ち着いた由美に紙袋からチョコレートバーを取り出して渡す。
ロッドのベースとなるブランクスは一本の細長い無垢の筒、いくらカーボン製で軽いとはいえ2.5mを超える長さ。

「ベイトロッドにすると曲がりが変になるからさ…」
もそもそとチョコレートバーを頬張り、豆乳でくっと流し込む。

「ベイトロッドだったら、か…じゃあさ





こいつでスピニングロッドを組んでくれよ。」

紙袋からガイドやリールシートといった部品、そしてセルテートLT 4000-CXHを取り出した。


―――――――――――――――――――――――――――

1ヶ月半後、プロトロッドが完成した。
初めてのスピニングロッド、何もかも勝手が違った。
最初に用意されたガイドではセッティングの何もかもが噛み合わず、結局すべてのガイドを買い直す結果となった。
それでも由美のカーボンに対する想いが途切れる事なく、遂に8フィート8インチのロッドとして形になった。


晩秋の月夜に一馬はまた河岸に立っていた、ラインの先には大型のリップレスミノー。
ロッドが唸り、やや派手な着水音が響く。
邂逅から凡そ半年、狙いは川の主のように居座る巨大なシーバス。

落ち鮎の時期も終わり、シーバスの餌は水温の急な変化で弱ったボラに切り替わっている。
着水音を意図的に派手にしてボラの跳ねる音を再現し、時々竿を煽って病気でまともに泳げなくなったボラの動きを真似る。
一馬にとって一番得意なシーズン、これまでこのボラパターンの釣りを駆使して全国のあちこちでシーバスを手にしてきた。

プロトロッドは7g前後の軽いルアーでもしっかり曲げて飛ばせるしなやかさ、40g近い重いルアーでもしっかりと張り抜ける強さを持ち合わせている、ブランクスの性能面は申し分なし。
更には製造方法の見直しでコストも抑えられるというおまけ付き。

「こい…食え…俺と闘ってくれ…!」
月明かりに照らされて幽、と黒い影が川面に現れる。
リップレスミノーが手前まで寄ってきた、少し時間を置いてから上流にロングキャスト。
流芯に誘導し、再びロッドを煽る。
竿先にルアーの重みと水の抵抗を受け、ルアーの泳ぎのバランスを僅かに崩した。
その刹那、黒い影が躍り出た。

水面が吹き飛び、手元に凄まじい衝撃。
悲鳴にも似たセルテートのドラグ音が月夜の河口に響き渡る。

「よし!よし!よっしゃ!」
2回ロッドを強く振り、フックをしっかり食い込ませる。
足元は不安定な上に灯りは月の光のみ、そんな中でも縦横無尽に動き回る。

凄まじい水音を上げて躍動する。
月明かりに照らされたその魚体は、一馬がこれまで考えたよりも遥かに大きい…もはや別の魚ではないかと思える程の姿である。
跳び上がりながら巨大な尾鰭で水面を歩くかのように激しく叩くテイルウォーク、着水してもまるで鰓を洗うかの如く頭を激しく振り回す鰓洗いを何度も何度も繰り返す。
並の釣り人ならばとっくに針を外されて逃げられていてもおかしくない、そこはしなやかに曲がり込みしなやかに反発するロッドとセルテートのドラグ、そしてそれを制御する一馬の経験と技術が許さない。

暫くの抵抗の後、諦めたのか動きが大人しくなる。

「流石に観念したか…?」
ロッドの弾力・反発力を活かして落ち着いてリールを巻き、魚を寄せる。
10mごとに色分けされたPEラインの色がひとつ、またひとつと変わってゆく。
残り5mを切った、フローティングベストの背中のループにフックで引っ掛けていたネットを左手で取り、慎重に魚を寄せる。

それが相手の策と気付いた瞬間にはもう、再びセルテートのドラグが激しい悲鳴を上げて一気にラインを引き出されていた。
一気に魚が下流へと走り出す。

「まずい!あそこには…!」
半年以上も通い込んでいたから分かる、シーバスが向かおうとする先には数十年前に不法投棄された軽トラックが沈んでいる。
そこに潜られたらあっという間に糸を切られてゲームオーバー。

もしドラグを締めたらフック、ライン、ロッドのどれかがやられて逃げられかねない…或いは川に引き摺り込まれるか。

『背は腹に変えられん、やるしかない。』
一馬はセルテートのスプール前面のドラグノブを一気に締めた。
当然ながら凄まじい力が襲い掛かった、相手は自らの力に加えて川の流れすらも味方に付けている。
単純な引っ張り合いでは圧倒的不利な状況。
ぐっと膝を曲げて重心を下げ体重を後ろに移し、相手の動きを読みながらゆっくりとロッドを立てて引き寄せ、ロッドを倒すのと同時に一気にハンドルを回して糸を回収する。
ポンピング――魚とのファイトにおいてかつて基礎とされていた手法、力加減やタイミングを誤ると逃げられるリスクが極めて大きくなるため、リールやロッドの性能が上がった今では非推奨とすることが多い。
しかし、そこは長年の経験と知識、感覚がしっかりとリンクした一馬、一気に魚との距離を詰めてゆく。

「大丈夫!?」
「良いところに来た、いよいよクライマックスだぞ!」
バイクを降りた由美がゆっくり一馬の元へと駆け寄る。
勝負が始まってから10分が過ぎ、シーバスは勢いを失って足元近くの水面をふらふらと泳いでいるばかりであった。
竿を巧みに捌いて魚をゆっくりと誘導し、足元の浅瀬に擱坐させた。

くるぶしほどの深さの川に入り、フローティングベストの胸の特大のポケットからビニールシートで出来たメジャーを取り出して魚体の下に敷く。

「115cm、とんでもない記録だ。」
携帯のカメラで写真を撮り、口に刺さったフックをプライヤーで引き抜く。
メジャーを太巻きほどのサイズに巻き取ってポケットに戻し、ゆっくりと魚を深場に戻そうとした。
しかし、魚の体力が回復する兆しは見られない。

「どうしたんだ…?」
スズキのような白身魚は短時間の激しい運動に向いた魚、彼らにとって10分少々という時間の格闘は余りにも長過ぎた。
長時間の無酸素運動によって生じた乳酸と熱は魚体を内側から蝕み、最早回復の余地すら与えず再起不能になるほどのダメージを与えていた。

「おい冗談だろ…ふざけんなよここまで来て…死ぬんじゃねぇよ。」
腰まで冷たい川に浸かり何度も何度も口の中へ手で水を送り込むが、どんどんと体表の色味が、その命が褪せてゆく。
最後まで弱々しく鰓と口を動かしていたが、ついに静止した。

うおおおおおおおおおおおおおお
一馬の慟哭が晩秋の冷たい川面に虚しく反射していた。
25/02/19 06:37更新 / 山本大輔
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■作者メッセージ
ご一読ありがとうございました。

全然筆が進まず半年以上放置プレイかましてました。
数日前に何かがイメージの中に入ってきて書き進める事になり、一気に書き上げました。

以前にも触れた通り、作中で主人公の井崎一馬が使っていたロッドのモデル、およびリールはいずれも使用経験のあるものだけにしています(借り物だったり既に手放したものも含む)。
このシチュエーションにはこのリール、このロッド…って感じであれこれ思案するのって、楽しいですね。

今週末は大雪でどえらい事になってる義実家にヘルプで出撃します。
独身の頃特別豪雪地帯住みで、毎年冗談みたいな量の積雪と闘って以来、久々に腕が鳴ります。

大雪になった地域の皆さん、お気をつけてください。

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