Phase.3:実家・恵の場合
「ひぃ…ひぃ…ふう…」
込み上げる吐き気を抑え込み、何度も何度も深呼吸を繰り返す恵。
結局、大盛りの鴨せいろそばとかき揚げふたつ、えび天3本を食べる羽目になった。
決して未来の嫁姑バトルの予行ではなく、関係性が変わっても気を遣わせたくないという光太郎と杏子の心遣いが空回りした結果の悲劇である。
「車はここに置いて歩いてこう、少しでも胃を動かしたほうがいい。」
「そうする…いま車に乗ったらエンジン掛けなくても酔う。」
とはいえ、当真邸と小石川邸は道路を挟んで斜向かい。
ゆっくりふたりで手を繋いで歩き、車が来ないかしっかり確認するプロセスを挟んでも到着までかかった時間は47秒。
「ちょっと待って、少し落ち着きたい。」
「無理すんな。」
恵の背中をゆっくり摩り、最後の攻勢となる吐き気の第8波を抑え込み、小石川邸のチャイムを鳴らした。
―――――――――――――――――――――――――――
「どういう了見なのかしら。
啓介くん、説明してちょうだい。」
案の定、恵と啓介の交際を知った恵の母・加那は髪を逆立てんばかりに目を見開いていた。
保守系会派に所属する政治家である加那にとって、中道左派的な立ち位置で一応は政敵の当真光太郎。
その息子が目の前に現れ、愛娘と付き合っていると言い出した訳である。
分かっているとはいえ、昔はずっと優しかった幼馴染みの母親が見た事ない表情で凄む様は、若い啓介に恐怖を抱かせるのに十分な威圧感を与えていた。
「言葉通りです、お嬢さんと…恵さんとお付き合いしています。」
気圧されながらもはっきりと言い放つ、まるで魔王と対峙する若き勇者のように。
「同じ職場なのは知ってたけど、どういう経緯でこうなったの?」
「失恋してヤケ飲みしてた彼女に説教かましたら襲われて、ただ今は惚れているのは事実です。」
加那がぎろりと目線を娘に向ける、猜疑心と敵愾心の標的にされた恵はフリーズドライにしたカップ麺の卵のように縮こまっていた。
だから言いたくなかったのに…そんな愚痴すら聞こえてきそうな目付きになっている。
「ただどうしても引っ掛かるものがある、証人がいれば少しは…
「私が証人になろう。」
客間の襖ががらりと開き、恵の父親の耕司が姿を現した。
英雄と対峙する巨悪の首魁のような加那の面持ちが、大好きな男の子が遊びにきた時の少女の面持ちに一気に切り替わった。
るんるん気分で夫のブルゾンを受け取ると、鼻歌交じりでハンガーに引っ掛けて鴨居に吊るした。
「やあ啓介くん、久しいね。」
「ご無沙汰しています。」
笑顔で右手を軽く上げる耕司に、啓介は恐縮して深々と頭を下げた。
耕司は地方銀行の本店長を務める傍らで柔道の道場の師範もやっており、啓介ほか多くの弟子を育ててきた。
今日は柔道大会の審判員として、近くの高校の体育館に行っていた。
「この前恵のとこに行った時、日が昇ってるのにピロートークの真っ最中だった。
知り合いの店でお赤飯と鯛と海老を買って持ってったらまあ…がたがたぎしぎし凄いこと凄いこと、ふたりともこの世のそれとは思えない喘ぎ声を上げて二次会の真っ最中だったよ。』
耕司がこっそりと置いていった赤飯と鯛と海老の塩焼き、結局夕方まで行為を続けた結果、加那特製の白菜漬けと一緒に夕食に供される事となった。
しかし、蛙の子は蛙とはよく言ったもの…耕司と加那もなかなかのものである事は、ふたりの娘である恵がよく知っている。
「お願い信じてよ、母ちゃん…」
「その呼び方はやめなさい、将来の旦那様の目の前でみっともない。」
苦笑交じりに口調を嗜める加那、そのひと言に恵の表情がぱっと明るくなり、戦いを終えた英雄のように啓介は大きな安堵のため息を吐き出した。
「これからもよろしく頼むよ、勇者さま!」
耕司は啓介の肩をばしばしと叩いたあと、大きな箱の入った袋をテーブルに置いた。
「ところで、帰りの途中に鯛焼きをたくさん買ってきたんだ。
ふたりとも、温かいうちに好きなだけ食べなさい。」
顔を見合わせる啓介と恵、一気に表情が絶望に染まるのに10秒も掛からなかった。
込み上げる吐き気を抑え込み、何度も何度も深呼吸を繰り返す恵。
結局、大盛りの鴨せいろそばとかき揚げふたつ、えび天3本を食べる羽目になった。
決して未来の嫁姑バトルの予行ではなく、関係性が変わっても気を遣わせたくないという光太郎と杏子の心遣いが空回りした結果の悲劇である。
「車はここに置いて歩いてこう、少しでも胃を動かしたほうがいい。」
「そうする…いま車に乗ったらエンジン掛けなくても酔う。」
とはいえ、当真邸と小石川邸は道路を挟んで斜向かい。
ゆっくりふたりで手を繋いで歩き、車が来ないかしっかり確認するプロセスを挟んでも到着までかかった時間は47秒。
「ちょっと待って、少し落ち着きたい。」
「無理すんな。」
恵の背中をゆっくり摩り、最後の攻勢となる吐き気の第8波を抑え込み、小石川邸のチャイムを鳴らした。
―――――――――――――――――――――――――――
「どういう了見なのかしら。
啓介くん、説明してちょうだい。」
案の定、恵と啓介の交際を知った恵の母・加那は髪を逆立てんばかりに目を見開いていた。
保守系会派に所属する政治家である加那にとって、中道左派的な立ち位置で一応は政敵の当真光太郎。
その息子が目の前に現れ、愛娘と付き合っていると言い出した訳である。
分かっているとはいえ、昔はずっと優しかった幼馴染みの母親が見た事ない表情で凄む様は、若い啓介に恐怖を抱かせるのに十分な威圧感を与えていた。
「言葉通りです、お嬢さんと…恵さんとお付き合いしています。」
気圧されながらもはっきりと言い放つ、まるで魔王と対峙する若き勇者のように。
「同じ職場なのは知ってたけど、どういう経緯でこうなったの?」
「失恋してヤケ飲みしてた彼女に説教かましたら襲われて、ただ今は惚れているのは事実です。」
加那がぎろりと目線を娘に向ける、猜疑心と敵愾心の標的にされた恵はフリーズドライにしたカップ麺の卵のように縮こまっていた。
だから言いたくなかったのに…そんな愚痴すら聞こえてきそうな目付きになっている。
「ただどうしても引っ掛かるものがある、証人がいれば少しは…
「私が証人になろう。」
客間の襖ががらりと開き、恵の父親の耕司が姿を現した。
英雄と対峙する巨悪の首魁のような加那の面持ちが、大好きな男の子が遊びにきた時の少女の面持ちに一気に切り替わった。
るんるん気分で夫のブルゾンを受け取ると、鼻歌交じりでハンガーに引っ掛けて鴨居に吊るした。
「やあ啓介くん、久しいね。」
「ご無沙汰しています。」
笑顔で右手を軽く上げる耕司に、啓介は恐縮して深々と頭を下げた。
耕司は地方銀行の本店長を務める傍らで柔道の道場の師範もやっており、啓介ほか多くの弟子を育ててきた。
今日は柔道大会の審判員として、近くの高校の体育館に行っていた。
「この前恵のとこに行った時、日が昇ってるのにピロートークの真っ最中だった。
知り合いの店でお赤飯と鯛と海老を買って持ってったらまあ…がたがたぎしぎし凄いこと凄いこと、ふたりともこの世のそれとは思えない喘ぎ声を上げて二次会の真っ最中だったよ。』
耕司がこっそりと置いていった赤飯と鯛と海老の塩焼き、結局夕方まで行為を続けた結果、加那特製の白菜漬けと一緒に夕食に供される事となった。
しかし、蛙の子は蛙とはよく言ったもの…耕司と加那もなかなかのものである事は、ふたりの娘である恵がよく知っている。
「お願い信じてよ、母ちゃん…」
「その呼び方はやめなさい、将来の旦那様の目の前でみっともない。」
苦笑交じりに口調を嗜める加那、そのひと言に恵の表情がぱっと明るくなり、戦いを終えた英雄のように啓介は大きな安堵のため息を吐き出した。
「これからもよろしく頼むよ、勇者さま!」
耕司は啓介の肩をばしばしと叩いたあと、大きな箱の入った袋をテーブルに置いた。
「ところで、帰りの途中に鯛焼きをたくさん買ってきたんだ。
ふたりとも、温かいうちに好きなだけ食べなさい。」
顔を見合わせる啓介と恵、一気に表情が絶望に染まるのに10秒も掛からなかった。
24/12/10 23:21更新 / 山本大輔
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