連載小説
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Phase.1:帰るぜ!実家!
金曜日の夜、風呂上がり姿で脱衣所からふらふらと出てきた当真啓介。

仕事でとんでもないクレームが発生し、謝罪に行った先でクライアントから延々と罵声と暴言を浴びせられた挙句、契約を打ち切りを通告された。
更に、そのクレームを起こした張本人たる先輩社員はクレームを長年に渡って放置していた挙句、当日に雲隠れをしたために前の担当者だった啓介が謝罪に行く羽目になってしまった。

おかげで心身ともに疲労困憊、口から魂が垂れ下がっているのではないかと思えるほど消耗している。
普段の就寝時間より少し早いが、ベッドの上に倒れ込んだ。

「啓介…今日は大変だったね。」
少し遅れて風呂上がり姿の小石川恵がやってきた。
啓介と同じ会社に勤めるリリム、啓介の同僚であり恋人、そして幼馴染み…文字通りの『腐れ縁』である。
生まれた時の病院の保育器は隣同士、実家は斜向かい、恵の母親と啓介の父親は同じ町議会議員。

「いくら蛭川さんのやらかしとはいえ、余りにも情けないところ見せたな…。
昔から相変わらずのダメ人間を恋人にするって、こんな事さ。
だから俺は元カノに捨てら…」
自虐に走る啓介を掴み取り、強引にその胸に抱き寄せる。
背中の翼や尻尾も啓介の体に括り付けてがっちりホールドする。

「ばーか、ありゃどう考えても蛭川が100パー悪いじゃん。
自己嫌悪で自分傷付けてる暇あるなら、大人しくおっぱいに甘えてろっての。」
啓介は言い返さなかった、物理的に言い返せなかった。
ふっくらとたわわな胸の谷間に顔を埋められて言い返せなかった。
キャミソール越しとはいえ、どこまでももっちりと柔らかく潰れながらも確かに押し返すぷるりとした弾力。
3個入り本体価格498円の石鹸の清潔な香りと恵の身体から出ているミルクのような甘いフェロモンの合わさった、うっとりするような匂い。
天鵞絨のようにしっとりと滑らかで吸い付くような肌、どこまでも優しく包み込む少し高めの体温。

「私はリリム、魔物オブ魔物。
そんな私を恋人にしたってどういう事か分かってんの?」
「えぇ…な…」
奔流のようにとめどなく押し寄せる悦楽と多幸感、全身の力は完全に抜け、意識も思考も大量の砂糖で煮た果実のように甘くぐずぐずとろとろに蕩けきっている啓介。
なんとか恵にしがみついて声を出すのがやっとであった。

「あんたの事は一生絶対に捨てないし、なんならあの世の果てまで絶対に逃がさない。
リリムの、魔物の恋人になるって事はそういう事、徹底的に追っかけてくっついてやるから永遠に覚悟しとい…っておい。」
すう、すう、と等間隔に寝息を浮かべる啓介、その表情は完全に安心しきって無防備でだらしないもの、口元からは涎が垂れていた。
職場では冷静・冷淡・冷酷と評されがちな啓介、こんな姿を見せるのは病院の保育器からの付き合いである恵ぐらいである。

「寝てるんなら、好き放題めちゃくちゃ言ってやろ。」
覚悟を決めて深呼吸。


私と同じ世界に生まれてきてくれてありがとう。
私と出逢ってくれてありがとう。
なんか途中の流れはちょっとヘンテコだったけど、私と恋人になってくれてありがとう。
啓介、本当に大大大好き。
貴方のことを永遠に愛してます。
一生一緒に…あの世に行っても、生まれ変わっても、ずっとずっとずっと一緒にいて下さい。
おやすみ、大切で大好きな私だけの勇者様。



幸せそうな寝息を立てる幼馴染みを改めて優しく抱き締め、恵も睡魔の世界に飛び込んだ。

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「え、お互いの実家に?」
トーストを食べる手を止め、恵がうっかりライムをそのまま齧ったような顔になった。

「そう。
俺、メグと交際してるって親父お袋にきちんと話してないんだよ、ちょっとしたドッキリってやつさ。」
けろりと答える啓介に対して恵は心底面倒臭そうに柳眉を逆立て、美しい眉根を歪めた。

「うゎ…母ちゃんに啓介の事言ってないんだよ。
耕司おじ…じゃなくてお義父さんの事絶対色々言われるから、って父ちゃんに緘口令喰らってるんだよ。」
町会議員をやっている恵の母親は厳しい性格、家出して当真邸に転がり込んではすぐ強制送還される…という流れはもはや見飽きた光景ですらあった。
しかも相手は同じ議員、それも議会で対立することの多い議員の子息である。
うっかり口を滑らそうなものなら尋問されるのは目に見えている。

しばしの沈黙、啓介は恵の嫌いな納豆が、恵は啓介の嫌いなカマンベールチーズの乗ったトーストを齧り始めた。
互いに相手が嫌いなものを目の前で躊躇なく食べ、それに一言も文句を言わない辺りは伊達に幼馴染みをやっている訳ではない。

「じゃあ車よろしく、3時間半も運転したくない。」
数秒の沈黙、啓介は一気にコーヒーの入ったマグカップを煽る。
喉に軋むような苦味、インスタントコーヒーを入れすぎた。

「運転中寝るなよ。」
「どうしてさ?」
「性欲を持て余す。」
「襲えばいいじゃん。」
「事故るだろ。」
再び数秒の沈黙。

「ぷふっ。」
我慢できず恵が吹き出す、それが信管として作動して一気に爆発的な笑いに包まれた。
双方腹を抱えたり頭を振ったり机を叩いたりと必死に笑いを制御しようとするが、全て失敗に終わる。

「…はあ、はあ、食器洗ったら行くか。」
「くふふふふ…そうだね…ふひははは…」

爆発の余波はその後10分以上も続いた。
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高速道路のインターチェンジ、開いたETCのバーから姿を顕したガンメタグレーのスポーツカー。
でろでろでろでろ…と禍々しさすら漂う豪快なエンジン音を奏でながら入口ランプを駆け上り、走行車線へと合流した。

「こないだふらっと寄ったバーでさ、めっちゃレアなスコッチ見付けたんだよね。」
出先からの戻り、遅くなって直帰する際に立ち寄ったバーで極めて珍しい18年物のウイスキーを見付けた話に興じていた。
しかし、その一方で啓介は何度もちらちらとバックミラーを睨み付けていた。
後ろを走る白いコンパクトSUV、ナンバープレートに打たれた地名が他県のものである事と、純正よりやや車高を落としているところを除けば車体に不自然なところはない。

しかし、先程から車線を変えると何度も何度もそれに追随して同じルートを走る、それにどんどん車間距離を詰めてきている。
少し栄えているとはいえ、土曜の地方の高速道路はそこまで混んでいるわけではない。

「たまたまエキドナのオーナーさんに頼み込んで、ボトルキープしてもら
「悪い、ちょっと静かにしてくれ…煽られてる。」
直後、後ろから耳障りなクラクションと執拗なパッシング。
スピードメーターは法定速度をやや上回っている、これ以上速度を上げたら警察にスピード違反で咎められかねない。
SUVが追越車線に乗り出した、大事を取ってシフトダウンしながらブレーキを踏む。
案の定、無理やり前に出て一気に速度を落としたSUV。
じわじわと効くエンジンブレーキのお陰で車間距離はある程度保っているが、更なる妨害行為を仕掛けてくるのは明白。
一般道と同じ速度でのろのろと走るSUV、大きく一呼吸。

「捕まってろメグ。」
「もう、またガソリン代上がったのに…リッターいくらか分かってる?」
「俺に質問するな…振り切るぜ。」
一旦速度を下げて車間距離を開け、一気にアクセルペダルを踏んだ。

スーパーチャージャー付きの超大排気量エンジンが咆哮を上げ、後輪がホイールスピンしながらも激烈な力と破滅的なトルクを路面に伝える。
前の迷惑車両と比べてエンジンの排気量で4倍以上、ハイブリッドではないのに最高出力では6倍近い値を叩き出し、サーキットでは新幹線並みの最高速度を叩き出す。
まさに最強最速、SUVに返り討ちを仕掛ける隙をも与えず抜き去ると、あっさりとバックミラーから消し去り、すぐに落ち着いて巡航速度まで減速した。

「…次のサービスエリアで少し休むか。」
ハンドルを握る両手はじっとりと汗で湿っていた。
目には目を、とは言うがあれは些か過激なやり方ではあった…できる事なら二度とあそこまで飛ばしたくない、もし警察がいたら一発で免許取消しばかりか刑事罰も免れなかった。
隣の恵もうっすら涙を浮かべて両頬を膨らませている。

「…じゃあ、和牛カレーパンと海鮮中華まんとはちみつ柚子サイダーとミルク抹茶ソフト買って。」
カーナビによると、路肩の緑の看板に次のサービスエリアまで48キロ。
ほんの少しアクセルペダルを踏み、追い越し車線に出て青いコンパクトセダンを追い越した。
24/11/26 12:23更新 / 山本大輔
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■作者メッセージ
ご一読ありがとうございました。
煽り運転はやめましょう(震え声)
独身の頃、深夜に釣り場を移動する途中、シャコタンの軽が山道でしつこく煽って無理矢理追い越した直後、にエンジンルーム潰れて前輪吹き飛んで路肩に寄ってた…なんて事がありました。
多分ぬんっ、と現れた鹿とぶつかったんでしょう。

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