使い魔の触手がテンタクルになった日の朝
目が覚めると女の子が私の顔を覗き込んでいた。
思わず私は体を起こしてベッドの上で後ずさる。
だってそうでしょう。家のなかに見慣れない子が居て、寝ている間中ずっと顔を覗き込んで居たのだとしたら誰だって驚くし、警戒もする。私は指先に魔力を集めて突きつけた。
私は魔術師ではあるが、占いとまじないで生計を立てるような極めて牧歌的な暮らしをしている。魔法具や魔法薬の材料を取りに多少は危険な場所に入ることもあるが、獣を追い払うくらい本格的な戦闘はすることはまずない。実のところ、指先に込めた魔術はせいぜい人を気絶させる威力しかなかったし、そうでなくても人に向けて魔術を行使するのは抵抗があった。
「貴女、何者? どこから入ってきたの?」
「・・・」
照準を合わせたまま彼女に問うと、最初は驚いたような表情を浮かべたものの、その顔はすぐに戸惑ったような悲しそうな表情へと変わった。無邪気で手放しの笑顔で私の寝顔を覗き込んでいただけあって、そんな表情を浮かべられてしまうとやりにくい。
見る限り彼女は無断で部屋に侵入しているものの、危害を加える素振りもなければ、部屋を荒らした様子もない。考えてみれば寝ている間に呑気に寝顔を覗き込んでいる時点で、少なくとも何かしようという気はないのだろう。
「・・・そんなに怯えなくても良いわよ。貴女に悪さしようっていう気がないなら、私も部屋に入ってきたのは大目にみてあげるから」
どんな形であれ、強硬的手段に訴えるよりも平和的交渉ができるのであれば、その方が良いに決まっている。溜め息を一つついて腕を下ろし、自分でも甘いなと思いつつ彼女と対話する姿勢を作ってやると彼女はパッと顔を輝かせた。
「くっ・・・! くーっ・・・!」
「く?」
「あー・・・」
「えーっと?」
「うー・・・」
彼女は一生懸命喉を震わせてを自己紹介をしようとするが、発声が上手くいかないらしい。今度は身ぶり手振りで何かを伝えようとするのだが、軟体生物のような踊りでは残念ながら何が言いたいのかやっぱり伝わらない。
私が首を傾げると拗ねたように唇を尖らせ、どうすれば分かってもらえるだろうかと考えるように唸り始めてしまった。
「ん♪」
「わっぷ・・・」
そんな姿を見ていたからだろうか、私もいつの間にか彼女に対する警戒心が薄れていた。無意識のうちに手を伸ばせば触れ合える場所まで近づいてしまったようだ。
そのことに気がついた時には既に遅かった。
私よりも僅かに早く気がついた彼女は笑顔のまま両腕を伸ばすと、そのまま私の方に体を預けてきた。
剥き出しの敵意なら振り払えるが、純然たる好意を邪険にすることはできない。結局、唐突に投げ掛けられた好意には咄嗟に対応できず、そのままベッドの上に押し倒されてしまった。
「こら、ちょっと・・・」
「んー・・・」
軽く頬に唇を触れさせると首筋に顔を埋める。
流石に貞操の危機を覚えて慌てて引き剥がそうとするが、彼女の身体から生えた触手がしっかりと巻き付いていてそれも叶わない。彼女に主導権こそ握られてしまったが、幸いにも彼女は甘えられれば満足らしく、頬擦りして顔を埋める以上のことをする素振りはみせなかった。
けれど、この人懐っこくて甘えん坊な相手には一人だけ思い当たる人物が居た。
いや、正確には人物ではないのだけれど・・・・・・
「もしかして・・・・・・ 貴女、クロ?」
恐る恐る自分の使い魔の名前を口にする。
すると一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに心底嬉しそうな表情に代わりコクコクと首を縦に振り始めた。それから、もう遠慮する必要はなくなったと言わんばかりに更に触手を巻き付けると、そのまま抱き締めて顔を埋めて甘えてくる。
私の記憶の中では、純粋な触手であってテンタクルなどという魔物娘ではなかったと思うのだが、その全身で感情を表現する姿を見ているうちにクロなのだと妙に納得してしまった。
昨晩と随分と姿形が違う原因については考えまい。魔法生物が姿形を変えてしまうのはよくある話だし、実害がなくて本人が満足そうならとやかく言うようなものでもないだろう。大方、この手の変化というのは元々持っていた「こうなりたい」という理想像に彼女の中を循環している魔力が応えた結果なのだから。
「・・・とりあえずクロ、重いから離れてもらっていい?」
「むにゅ? んー・・・」
私の胸に顔を擦り付けてご満悦の表情を浮かべていたのだが、声を掛けると名残惜しそうにクロはノロノロと私の上から降りた。ぷくっと頬を膨らませて喉を鳴らしている姿はどこか猫を思わせた。もうちょっとだけこのままでいたかったけれど、このまま乗っかられていると何もできない。
私だって名残惜しいのだから、少しくらいクロも我慢してほしい。
頭に手をのせてポンポンと撫でてやると少しだけ機嫌を直してくれた。
「ねぇ、クロ。喋れそう?」
「あー・・・ うー・・・」
改めて尋ねてみるとクロは何度か声を出そうと唸ってみるものの、それ以上言葉らしい言葉は発することはできないようだった。
他の魔物娘のことも考えればテンタクルだって発声するだけの声帯はもっているだろうし、唸り声は出せているので声帯にも問題はないのだろう。単純に急激な自分の身体の変化に順応できておらず、声の出し方がわかっていないだけなのだろう。
「ゆっくりで良いよ、私が話すのを真似して自己紹介してみて?」
「ん」
ゆっくりと自己紹介をしてみせる。声の出し方を教えるためとはいえ大袈裟に発声するのは少し恥ずかしかったし、そんな様子をジッと見られるのはなんともこそばゆい。
「・・・わーたの、なまーは、くろでー! しゅぞーは、てーたくる!」
「よくできました」
もともと触手だったときから人語は理解していたし、一度こつを掴んでしまえば後は早い。二、三度練習するだけで、すぐにクロは辿々しい発音ながらもきちんと自己紹介をしてみせた。彼女も声が出たのが嬉しいらしく、口のなかで言葉を転がしてみてはキャッキャッと声をあげて笑った。
その様子は我が子の成長を見ているようで、私まで嬉しくなってくる。
我慢できずにクロの頭を抱き寄せるとクロは驚いたように胸の中で呻いたけれど、すぐに抱擁に応じるように触手を私の身体に絡めてきた。ご褒美代わりに頭を撫でて褒めてやっていると、しばらくは為すがままにされていたのだが、唐突になにかを思い出したかのように手の下からひょっこりと顔を出した。
「ねー シーラ、なんかねー すっごくねー お腹すいたきがするー」
一夜にして急激な変化を起こした彼女は、それだけ大量の魔力を消費しているに違いない。いつ変化したかは定かではないけれど、私の寝顔を眺めていたことを考えればずっと我慢していたのだろう。
使い魔の学習能力の高さについつい教育に熱が入ってしまったが、健全な成長とは健康な身体なくしてありえない。唇を尖らせながら甘えた声で空腹を訴える彼女を見て、私もようやくそんな当たり前なことを忘れていた自分の不徳に思い至る。
これでは使い魔の主人として失格だろう。
「ごめんね、クロ。すぐ朝ご飯にしよう。食べてみたいものをなんでも言って?」
「ほんとー?」
「もちろん。今日はクロが魔物娘になった記念日だからね。なんでも作ってあげる」
分からなかったとはいえ最初の態度はあまりにも冷たい反応だった、お詫びと言ってはなんだが初めて口にする食事くらいは彼女の思い出に残るようなものにしてあげたい。
二つ返事で返事をしてやるとクロは顎に手をやり、眉間に皺を寄せてウンウンと考え始めた。
「たべたいものー たべたいものー たべたいものー?」
食べてみたいもの、と言われても今まで食事らしい食事といえばミルクぐらいなものだ。基本的に触手は魔力が豊富な土地に住んでいれば残りは水と光合成だけで身体を維持できる。食事という概念が希薄だったのに、食べたいものを突然問われても難しいだろう。
「それじゃあ、たくさんの種類の料理を少しずつ作ってみるから好きなものを食べてみることにしよっか」
自分で決められないのなら選択肢を提示してあげて、その中から選んでもらおう。
我ながら冴えたアイディアである。
食料庫でどんな料理が作れるか考えながら立ち上がろうとすると手首にクロの触手が巻き付いてきた。
「どうしたの?」
もしかして朝食の手伝いをしてくれるということだろうか。それなら、クロはまだ身体に慣れてないだろうから無理して手伝ってくれなくても大丈夫だ。
振り返って声を掛けてあげようとすると、クロは少し恥ずかしそうに俯いたまま落ち着かないように小刻みに左右に揺れていた。
「もしかして、食べたいもの思い付いた?」
確認の為にもう一度訊いてみるとクロは僅かに顎を引いてうなずいた。
「何を食べたいの?」
「なんでもいーんだよ、ね?」
「もちろん。できるだけ期待に応えるつもりだよ?」
おずおずと確認するクロが微笑ましい。人懐っこい割にちょっぴり引っ込み思案な可愛い使い魔の珍しいおねだりだ。私だって全力で答えてあげよう。しばらくモジモジしていたが、クロはようやく決心がついたらしく真っ直ぐに私の顔をみた。
「・・・シーラ! シーラがほしー!」
「・・・は?」
言葉の意味を理解するよりも早く、クロの触手が緩やかに伸びてきて私の身体を絡めとる。完全に油断していた私はあっさりとベッドに引き倒されてしまった。慌てて起き上がろうとしたけれど、触手で自由を奪われた身体では上半身を起き上がらせることすらままならず、そのままクロに覆い被さられてしまった。
「わ、私なんか食べても美味しくないよ!」
咄嗟に出てきた言葉はそんな命乞い。こんな台詞が出てくるのは創作の中だけだと思っていたけれど、人間というのは切羽詰まるとありきたりな台詞が出てくるものらしい。
ただ、この状況で命乞いするのは大抵助からないのがお決まりの流れだ。
「そんなことなーよー? シーラ、とってもおいしーよー?」
私の上に跨がったままニヘラと無邪気な笑みを浮かべて笑った。全く嬉しくない賛美をありがとう。
どうにか抜け出そうともがいてみるけれど、どうにも抜け出せそうにない。一つ一つの拘束は決してキツいものではないけれど、幾重にも巻き付いた触手はやんわりと自由を狭めてくる。
「それじゃー いただきまーす」
敵意どころか好意さえ感じるクロの態度と、緩やかな拘束は力業で追い払うのを躊躇わせた。だが、その躊躇を是と取ったのか彼女は私の頬を両手で覆い顔を近づけてきた。
「ちょ、まっ・・・・・・ んっ!」
唇が押し付けられる。潤いのある温かくて柔らかい唇だ。クロの吐息に混じって僅かに甘い香りがする。乳飲み子のように唇を求めてくる仕草は、魔物娘になる以前のクロが御褒美に魔力のおねだりを思わせた。
魔物から魔物娘へと姿を変えても本質は変わらないのだろう。
「シーラァ・・・・・・ なんでもいーっていったー・・・・・・」
「わかった・・・・・・ わかったから・・・・・・」
「やたー」
心底悲しそうな表情を浮かべ、ゆさゆさと身体を揺すってくる。
流石にこれは断れない。私もため息をついて覚悟を決める。今日は使い魔に一日中搾られることになりそうだ。身体の変化の分まで魔力で補うとなるといったいどれ程求められることやら・・・・・・
寝起きで朝食も食べていないのに、主人としての威厳もへったくれもない。
「おてやわらかに・・・・・・」
思わず私は体を起こしてベッドの上で後ずさる。
だってそうでしょう。家のなかに見慣れない子が居て、寝ている間中ずっと顔を覗き込んで居たのだとしたら誰だって驚くし、警戒もする。私は指先に魔力を集めて突きつけた。
私は魔術師ではあるが、占いとまじないで生計を立てるような極めて牧歌的な暮らしをしている。魔法具や魔法薬の材料を取りに多少は危険な場所に入ることもあるが、獣を追い払うくらい本格的な戦闘はすることはまずない。実のところ、指先に込めた魔術はせいぜい人を気絶させる威力しかなかったし、そうでなくても人に向けて魔術を行使するのは抵抗があった。
「貴女、何者? どこから入ってきたの?」
「・・・」
照準を合わせたまま彼女に問うと、最初は驚いたような表情を浮かべたものの、その顔はすぐに戸惑ったような悲しそうな表情へと変わった。無邪気で手放しの笑顔で私の寝顔を覗き込んでいただけあって、そんな表情を浮かべられてしまうとやりにくい。
見る限り彼女は無断で部屋に侵入しているものの、危害を加える素振りもなければ、部屋を荒らした様子もない。考えてみれば寝ている間に呑気に寝顔を覗き込んでいる時点で、少なくとも何かしようという気はないのだろう。
「・・・そんなに怯えなくても良いわよ。貴女に悪さしようっていう気がないなら、私も部屋に入ってきたのは大目にみてあげるから」
どんな形であれ、強硬的手段に訴えるよりも平和的交渉ができるのであれば、その方が良いに決まっている。溜め息を一つついて腕を下ろし、自分でも甘いなと思いつつ彼女と対話する姿勢を作ってやると彼女はパッと顔を輝かせた。
「くっ・・・! くーっ・・・!」
「く?」
「あー・・・」
「えーっと?」
「うー・・・」
彼女は一生懸命喉を震わせてを自己紹介をしようとするが、発声が上手くいかないらしい。今度は身ぶり手振りで何かを伝えようとするのだが、軟体生物のような踊りでは残念ながら何が言いたいのかやっぱり伝わらない。
私が首を傾げると拗ねたように唇を尖らせ、どうすれば分かってもらえるだろうかと考えるように唸り始めてしまった。
「ん♪」
「わっぷ・・・」
そんな姿を見ていたからだろうか、私もいつの間にか彼女に対する警戒心が薄れていた。無意識のうちに手を伸ばせば触れ合える場所まで近づいてしまったようだ。
そのことに気がついた時には既に遅かった。
私よりも僅かに早く気がついた彼女は笑顔のまま両腕を伸ばすと、そのまま私の方に体を預けてきた。
剥き出しの敵意なら振り払えるが、純然たる好意を邪険にすることはできない。結局、唐突に投げ掛けられた好意には咄嗟に対応できず、そのままベッドの上に押し倒されてしまった。
「こら、ちょっと・・・」
「んー・・・」
軽く頬に唇を触れさせると首筋に顔を埋める。
流石に貞操の危機を覚えて慌てて引き剥がそうとするが、彼女の身体から生えた触手がしっかりと巻き付いていてそれも叶わない。彼女に主導権こそ握られてしまったが、幸いにも彼女は甘えられれば満足らしく、頬擦りして顔を埋める以上のことをする素振りはみせなかった。
けれど、この人懐っこくて甘えん坊な相手には一人だけ思い当たる人物が居た。
いや、正確には人物ではないのだけれど・・・・・・
「もしかして・・・・・・ 貴女、クロ?」
恐る恐る自分の使い魔の名前を口にする。
すると一瞬だけ驚いたような表情を浮かべたものの、すぐに心底嬉しそうな表情に代わりコクコクと首を縦に振り始めた。それから、もう遠慮する必要はなくなったと言わんばかりに更に触手を巻き付けると、そのまま抱き締めて顔を埋めて甘えてくる。
私の記憶の中では、純粋な触手であってテンタクルなどという魔物娘ではなかったと思うのだが、その全身で感情を表現する姿を見ているうちにクロなのだと妙に納得してしまった。
昨晩と随分と姿形が違う原因については考えまい。魔法生物が姿形を変えてしまうのはよくある話だし、実害がなくて本人が満足そうならとやかく言うようなものでもないだろう。大方、この手の変化というのは元々持っていた「こうなりたい」という理想像に彼女の中を循環している魔力が応えた結果なのだから。
「・・・とりあえずクロ、重いから離れてもらっていい?」
「むにゅ? んー・・・」
私の胸に顔を擦り付けてご満悦の表情を浮かべていたのだが、声を掛けると名残惜しそうにクロはノロノロと私の上から降りた。ぷくっと頬を膨らませて喉を鳴らしている姿はどこか猫を思わせた。もうちょっとだけこのままでいたかったけれど、このまま乗っかられていると何もできない。
私だって名残惜しいのだから、少しくらいクロも我慢してほしい。
頭に手をのせてポンポンと撫でてやると少しだけ機嫌を直してくれた。
「ねぇ、クロ。喋れそう?」
「あー・・・ うー・・・」
改めて尋ねてみるとクロは何度か声を出そうと唸ってみるものの、それ以上言葉らしい言葉は発することはできないようだった。
他の魔物娘のことも考えればテンタクルだって発声するだけの声帯はもっているだろうし、唸り声は出せているので声帯にも問題はないのだろう。単純に急激な自分の身体の変化に順応できておらず、声の出し方がわかっていないだけなのだろう。
「ゆっくりで良いよ、私が話すのを真似して自己紹介してみて?」
「ん」
ゆっくりと自己紹介をしてみせる。声の出し方を教えるためとはいえ大袈裟に発声するのは少し恥ずかしかったし、そんな様子をジッと見られるのはなんともこそばゆい。
「・・・わーたの、なまーは、くろでー! しゅぞーは、てーたくる!」
「よくできました」
もともと触手だったときから人語は理解していたし、一度こつを掴んでしまえば後は早い。二、三度練習するだけで、すぐにクロは辿々しい発音ながらもきちんと自己紹介をしてみせた。彼女も声が出たのが嬉しいらしく、口のなかで言葉を転がしてみてはキャッキャッと声をあげて笑った。
その様子は我が子の成長を見ているようで、私まで嬉しくなってくる。
我慢できずにクロの頭を抱き寄せるとクロは驚いたように胸の中で呻いたけれど、すぐに抱擁に応じるように触手を私の身体に絡めてきた。ご褒美代わりに頭を撫でて褒めてやっていると、しばらくは為すがままにされていたのだが、唐突になにかを思い出したかのように手の下からひょっこりと顔を出した。
「ねー シーラ、なんかねー すっごくねー お腹すいたきがするー」
一夜にして急激な変化を起こした彼女は、それだけ大量の魔力を消費しているに違いない。いつ変化したかは定かではないけれど、私の寝顔を眺めていたことを考えればずっと我慢していたのだろう。
使い魔の学習能力の高さについつい教育に熱が入ってしまったが、健全な成長とは健康な身体なくしてありえない。唇を尖らせながら甘えた声で空腹を訴える彼女を見て、私もようやくそんな当たり前なことを忘れていた自分の不徳に思い至る。
これでは使い魔の主人として失格だろう。
「ごめんね、クロ。すぐ朝ご飯にしよう。食べてみたいものをなんでも言って?」
「ほんとー?」
「もちろん。今日はクロが魔物娘になった記念日だからね。なんでも作ってあげる」
分からなかったとはいえ最初の態度はあまりにも冷たい反応だった、お詫びと言ってはなんだが初めて口にする食事くらいは彼女の思い出に残るようなものにしてあげたい。
二つ返事で返事をしてやるとクロは顎に手をやり、眉間に皺を寄せてウンウンと考え始めた。
「たべたいものー たべたいものー たべたいものー?」
食べてみたいもの、と言われても今まで食事らしい食事といえばミルクぐらいなものだ。基本的に触手は魔力が豊富な土地に住んでいれば残りは水と光合成だけで身体を維持できる。食事という概念が希薄だったのに、食べたいものを突然問われても難しいだろう。
「それじゃあ、たくさんの種類の料理を少しずつ作ってみるから好きなものを食べてみることにしよっか」
自分で決められないのなら選択肢を提示してあげて、その中から選んでもらおう。
我ながら冴えたアイディアである。
食料庫でどんな料理が作れるか考えながら立ち上がろうとすると手首にクロの触手が巻き付いてきた。
「どうしたの?」
もしかして朝食の手伝いをしてくれるということだろうか。それなら、クロはまだ身体に慣れてないだろうから無理して手伝ってくれなくても大丈夫だ。
振り返って声を掛けてあげようとすると、クロは少し恥ずかしそうに俯いたまま落ち着かないように小刻みに左右に揺れていた。
「もしかして、食べたいもの思い付いた?」
確認の為にもう一度訊いてみるとクロは僅かに顎を引いてうなずいた。
「何を食べたいの?」
「なんでもいーんだよ、ね?」
「もちろん。できるだけ期待に応えるつもりだよ?」
おずおずと確認するクロが微笑ましい。人懐っこい割にちょっぴり引っ込み思案な可愛い使い魔の珍しいおねだりだ。私だって全力で答えてあげよう。しばらくモジモジしていたが、クロはようやく決心がついたらしく真っ直ぐに私の顔をみた。
「・・・シーラ! シーラがほしー!」
「・・・は?」
言葉の意味を理解するよりも早く、クロの触手が緩やかに伸びてきて私の身体を絡めとる。完全に油断していた私はあっさりとベッドに引き倒されてしまった。慌てて起き上がろうとしたけれど、触手で自由を奪われた身体では上半身を起き上がらせることすらままならず、そのままクロに覆い被さられてしまった。
「わ、私なんか食べても美味しくないよ!」
咄嗟に出てきた言葉はそんな命乞い。こんな台詞が出てくるのは創作の中だけだと思っていたけれど、人間というのは切羽詰まるとありきたりな台詞が出てくるものらしい。
ただ、この状況で命乞いするのは大抵助からないのがお決まりの流れだ。
「そんなことなーよー? シーラ、とってもおいしーよー?」
私の上に跨がったままニヘラと無邪気な笑みを浮かべて笑った。全く嬉しくない賛美をありがとう。
どうにか抜け出そうともがいてみるけれど、どうにも抜け出せそうにない。一つ一つの拘束は決してキツいものではないけれど、幾重にも巻き付いた触手はやんわりと自由を狭めてくる。
「それじゃー いただきまーす」
敵意どころか好意さえ感じるクロの態度と、緩やかな拘束は力業で追い払うのを躊躇わせた。だが、その躊躇を是と取ったのか彼女は私の頬を両手で覆い顔を近づけてきた。
「ちょ、まっ・・・・・・ んっ!」
唇が押し付けられる。潤いのある温かくて柔らかい唇だ。クロの吐息に混じって僅かに甘い香りがする。乳飲み子のように唇を求めてくる仕草は、魔物娘になる以前のクロが御褒美に魔力のおねだりを思わせた。
魔物から魔物娘へと姿を変えても本質は変わらないのだろう。
「シーラァ・・・・・・ なんでもいーっていったー・・・・・・」
「わかった・・・・・・ わかったから・・・・・・」
「やたー」
心底悲しそうな表情を浮かべ、ゆさゆさと身体を揺すってくる。
流石にこれは断れない。私もため息をついて覚悟を決める。今日は使い魔に一日中搾られることになりそうだ。身体の変化の分まで魔力で補うとなるといったいどれ程求められることやら・・・・・・
寝起きで朝食も食べていないのに、主人としての威厳もへったくれもない。
「おてやわらかに・・・・・・」
16/11/23 23:48更新 / 佐藤 敏夫