LOVE GAME
太陽が地面を焼き、熱風が大気を薙ぐ。形ある物は須らく砂に帰る、生きるにはあまりにも過酷な黄金の砂漠。
空気が揺らぎ遠景が陽炎で霞む中、それでもなお砂に埋もれず、ただ不動の存在感を持って聳え立つ存在があった。砂漠の支配者である太陽に迫らんとする、その威風堂々たる姿は、まさに王が天に昇る階段という使命を課せられた者の立ち姿だった。
「遠路はるばるお疲れ様、だにゃ」
ピラミッドの前までやってくると、小麦色の肌をした青い瞳の少女が出迎えてくれた。
頭頂部には三角形の尖った耳、猫を思わせる肉球の付いた金色の毛に覆われた肢体を見るに彼女はきっとスフィンクスと呼ばれる魔物だろう。ワーキャットの亜種とされ、ファラオが眠る遺跡の守護者であると同時に、知識と機転に富む者を好み、王に相応しい者か試すという。
「大方、このピラミッドに眠る“天に至る座”の噂を聞いてやってきたんだろうにゃ?」
彼女の問いに頷くと、ニヤッと鋭い牙を見せて笑いピラミッドの中へと至る扉へと視線をやった。入るのであれば、止めはしないという事だろうか。
「墓荒らしをするというのにゃら、力尽くで止めさせてもらうけどにゃ。 お前さんは、別に墓荒らしが目的じゃにゃいんにゃろ? それなら、別に興味にゃいにゃ。 よーっぽど嫌な奴でもにゃければ、誰が王ににゃろうとどうでも良いにゃ。 ファラオ様も“我が領土を土足で犯す者でなければ、自由に見て回るが良い”にゃんて言ってたからにゃ」
大きく伸びをして欠伸を噛み殺しながら言う。
何か嘘を言っているようであれば、嘘をついているという後ろめたさが不自然な態度として表れるが、のんびりと寛いでいる様子を見る限りどうやら偽りは無さそうだ。
「間違ってもピラミッドを傷つけたりするにゃよ? 盗賊紛いにゃ事でもしにゃい限り、誰もお前に危害を加えたりしにゃいからにゃ」
「分かった」
扉を開けて入ろうとすると背後からスフィンクスが声を掛けてきた。
裏を返せば、不躾な事をしなければ襲われたりしないということだろう。その程度で命の保証がしてもらえるのであれば安いものだ。
一つ、深呼吸をする。
命の保証をしてもらえるとはいえ、中に何があるのか分からない。今まで何人もの人間が“天に至る座”を目指し、その半ばで諦めたのだ。それこそ、気を引き締めて掛からなければ何が起きてもおかしくはない。
扉には鍵がかかっていた。扉の向こうに罠の様子も無く、恐らくはちょっとした腕試しのようなものだろう。簡素な錠で大して苦労も無く開けられそうではある。針金を差し込んで少しいじると、案の定、錠はカチリと小さな音を立てて開いた。
扉を開く。
薄暗い内部は、目が照りつける太陽に慣れていたせいで中がほとんどと言っていいほど見えない。だが、それもすぐに慣れるだろう。一歩踏み出した所で――
――背後から強い力で押し倒された。
GAME OVER
青臭い湿り気を帯びた土の香りと緑の絨毯の感触、それから後頭部に感じる柔らかさ。急激に戻ってきた現実の感覚に、何が起きたのか呑み込めないまま目を瞬かせていると、柔らかく微笑みを浮かべて覗き込んでいる女性の顔が飛び込んできた。
「はい、お疲れ様」
彼女はそう言いながら、そっと頬を撫でた。
「なんで……?」
宿屋でしっかりと休息も取ったし、酒場で必要な情報もちゃんと集めたし、砂漠に盗賊が居ないことも確認した。必要な道具と食糧も買い込んで、キャラバンも雇って砂漠だってちゃんと無事に乗り越えたはずだ。それでやっとの思いで遺跡を見つけて、これから調査して“天に至る座”を手に入れるはずなのに。それなのに、なんで“今ここに”自分が居るのかが分からない。
「ねぇ、お姉ちゃん、なんで!? なんで、ゲームオーバーなの?」
思わず身体を跳ね起こして女性に向き合うと、そのまま両肩を掴んで揺さぶった。
為すがままに揺さぶられ、白く長い髪が遊ぶ。
女性は穏やかな表情を浮かべたまま、手で優しく少年を制すると。その表情に相応しい優しい声で問うた。
「ちゃんと入るための許可は取りましたか?」
「……! で、でも、土足で犯す者でなければ、自由に見て回るが良いって!」
指摘され少年は一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに自分の非を認めまいと抗議をした。
だが、それが良くなかったようだ。少年の言葉に反応して、その穏やかな表情に底意地の悪い色を加えた。
「百歩譲って許可を取ったとしましょう。では、訊ねますが。錠前の下ろされた部屋に勝手に錠を開けて入るのが、果たして歓迎される客のすべき事でしょうか?」
「……」
それだけ言うと女性はゆっくりと立ち上がり、服に付いた葉を払った。
何気ない、ただただ普遍的な動作にも関わらず、その所作はどこか艶やかさを湛えていて、見る者の胸中を僅かに波立たせた。
少年が言葉を失ったのは、彼女の言葉が正論だったからか、はたまた間近で見て心を奪われたからだろうか。
「帰りますよ?」
女性はそっと手を差し出す。
「待って、あと一回! あと一回だけやらせて!」
「駄目です。泡沫の夢は一日一回だけの約束でしょう?」
少年はもう一度と泣きついたが、女性はそれを拒んだ。少年も女性が譲らない事はよく知っていたし、最初に約束した以上はその約束を違える気も無かった。どちらかといえば、単なる儀式。また、明日挑戦してみせる。次こそは攻略してみせるという決意表明だ。
少年は、彼女の手を取ると立ち上がった。
「でも、お姉ちゃん毎回毎回ずるいよ。 あんなの気付きっこないって」
帰り道、少年は女性に文句を言いながらも、次は一体どんな手で来るのだろうか。少年の頭は彼女の紡ぐ物語をどうやったら攻略できるかを考えていた。
―――
少年は、ある時は姫を救い出す勇者だったし、ある時は王様の圧政に反旗を翻す革命者だった。
勿論、その物語は全て夢の中での話だし、その物語を用意したのは自分だ。
物語の大筋を考え、資料を揃え、少年の予想外の行動に柔軟に対応していくのは大変な労力ではあったが、少年が浮かべる笑顔を考えればそれに見合うだけの対価であった。だからこそ、隣で歩く少年が夢中で夢の中で紡がれる物語について語るのを聞いているのはとても幸せだ。その時ばかりは、少年の自由な心が自分の事でいっぱいになるのを実感できるから。
少年の時折言う文句には、自分の自分の理不尽さに関しては苦笑するしかなかったけれど、それもまた少年と少しでも一緒に居たいと思うからこそだった。
だからこそ、彼女は少しだけ後ろめたさを感じている。
夢の中で少しずつ少年が自分に好意を寄せる様に暗示をかけていることを。
人として判断が未熟である以上は手は出さないと自らを律し選択権を与えるようでいて、その実、彼の選択権を奪うように仕向けている。自分の傍らで笑う少年を見る度に、胸の奥に針で突き刺される様な痛みを感じる。
ならば、それを告白し、懺悔する事ができようか。
それは土台無理な相談だ。少年に嫌われ、少年を失うのは何よりも恐ろしい。きっと、それは、信仰を失った時以上の喪失だろう。
あぁ、だからこそ……私は狂った愛を振りまく魔物なのだ。
空気が揺らぎ遠景が陽炎で霞む中、それでもなお砂に埋もれず、ただ不動の存在感を持って聳え立つ存在があった。砂漠の支配者である太陽に迫らんとする、その威風堂々たる姿は、まさに王が天に昇る階段という使命を課せられた者の立ち姿だった。
「遠路はるばるお疲れ様、だにゃ」
ピラミッドの前までやってくると、小麦色の肌をした青い瞳の少女が出迎えてくれた。
頭頂部には三角形の尖った耳、猫を思わせる肉球の付いた金色の毛に覆われた肢体を見るに彼女はきっとスフィンクスと呼ばれる魔物だろう。ワーキャットの亜種とされ、ファラオが眠る遺跡の守護者であると同時に、知識と機転に富む者を好み、王に相応しい者か試すという。
「大方、このピラミッドに眠る“天に至る座”の噂を聞いてやってきたんだろうにゃ?」
彼女の問いに頷くと、ニヤッと鋭い牙を見せて笑いピラミッドの中へと至る扉へと視線をやった。入るのであれば、止めはしないという事だろうか。
「墓荒らしをするというのにゃら、力尽くで止めさせてもらうけどにゃ。 お前さんは、別に墓荒らしが目的じゃにゃいんにゃろ? それなら、別に興味にゃいにゃ。 よーっぽど嫌な奴でもにゃければ、誰が王ににゃろうとどうでも良いにゃ。 ファラオ様も“我が領土を土足で犯す者でなければ、自由に見て回るが良い”にゃんて言ってたからにゃ」
大きく伸びをして欠伸を噛み殺しながら言う。
何か嘘を言っているようであれば、嘘をついているという後ろめたさが不自然な態度として表れるが、のんびりと寛いでいる様子を見る限りどうやら偽りは無さそうだ。
「間違ってもピラミッドを傷つけたりするにゃよ? 盗賊紛いにゃ事でもしにゃい限り、誰もお前に危害を加えたりしにゃいからにゃ」
「分かった」
扉を開けて入ろうとすると背後からスフィンクスが声を掛けてきた。
裏を返せば、不躾な事をしなければ襲われたりしないということだろう。その程度で命の保証がしてもらえるのであれば安いものだ。
一つ、深呼吸をする。
命の保証をしてもらえるとはいえ、中に何があるのか分からない。今まで何人もの人間が“天に至る座”を目指し、その半ばで諦めたのだ。それこそ、気を引き締めて掛からなければ何が起きてもおかしくはない。
扉には鍵がかかっていた。扉の向こうに罠の様子も無く、恐らくはちょっとした腕試しのようなものだろう。簡素な錠で大して苦労も無く開けられそうではある。針金を差し込んで少しいじると、案の定、錠はカチリと小さな音を立てて開いた。
扉を開く。
薄暗い内部は、目が照りつける太陽に慣れていたせいで中がほとんどと言っていいほど見えない。だが、それもすぐに慣れるだろう。一歩踏み出した所で――
――背後から強い力で押し倒された。
GAME OVER
青臭い湿り気を帯びた土の香りと緑の絨毯の感触、それから後頭部に感じる柔らかさ。急激に戻ってきた現実の感覚に、何が起きたのか呑み込めないまま目を瞬かせていると、柔らかく微笑みを浮かべて覗き込んでいる女性の顔が飛び込んできた。
「はい、お疲れ様」
彼女はそう言いながら、そっと頬を撫でた。
「なんで……?」
宿屋でしっかりと休息も取ったし、酒場で必要な情報もちゃんと集めたし、砂漠に盗賊が居ないことも確認した。必要な道具と食糧も買い込んで、キャラバンも雇って砂漠だってちゃんと無事に乗り越えたはずだ。それでやっとの思いで遺跡を見つけて、これから調査して“天に至る座”を手に入れるはずなのに。それなのに、なんで“今ここに”自分が居るのかが分からない。
「ねぇ、お姉ちゃん、なんで!? なんで、ゲームオーバーなの?」
思わず身体を跳ね起こして女性に向き合うと、そのまま両肩を掴んで揺さぶった。
為すがままに揺さぶられ、白く長い髪が遊ぶ。
女性は穏やかな表情を浮かべたまま、手で優しく少年を制すると。その表情に相応しい優しい声で問うた。
「ちゃんと入るための許可は取りましたか?」
「……! で、でも、土足で犯す者でなければ、自由に見て回るが良いって!」
指摘され少年は一瞬だけ言葉に詰まったが、すぐに自分の非を認めまいと抗議をした。
だが、それが良くなかったようだ。少年の言葉に反応して、その穏やかな表情に底意地の悪い色を加えた。
「百歩譲って許可を取ったとしましょう。では、訊ねますが。錠前の下ろされた部屋に勝手に錠を開けて入るのが、果たして歓迎される客のすべき事でしょうか?」
「……」
それだけ言うと女性はゆっくりと立ち上がり、服に付いた葉を払った。
何気ない、ただただ普遍的な動作にも関わらず、その所作はどこか艶やかさを湛えていて、見る者の胸中を僅かに波立たせた。
少年が言葉を失ったのは、彼女の言葉が正論だったからか、はたまた間近で見て心を奪われたからだろうか。
「帰りますよ?」
女性はそっと手を差し出す。
「待って、あと一回! あと一回だけやらせて!」
「駄目です。泡沫の夢は一日一回だけの約束でしょう?」
少年はもう一度と泣きついたが、女性はそれを拒んだ。少年も女性が譲らない事はよく知っていたし、最初に約束した以上はその約束を違える気も無かった。どちらかといえば、単なる儀式。また、明日挑戦してみせる。次こそは攻略してみせるという決意表明だ。
少年は、彼女の手を取ると立ち上がった。
「でも、お姉ちゃん毎回毎回ずるいよ。 あんなの気付きっこないって」
帰り道、少年は女性に文句を言いながらも、次は一体どんな手で来るのだろうか。少年の頭は彼女の紡ぐ物語をどうやったら攻略できるかを考えていた。
―――
少年は、ある時は姫を救い出す勇者だったし、ある時は王様の圧政に反旗を翻す革命者だった。
勿論、その物語は全て夢の中での話だし、その物語を用意したのは自分だ。
物語の大筋を考え、資料を揃え、少年の予想外の行動に柔軟に対応していくのは大変な労力ではあったが、少年が浮かべる笑顔を考えればそれに見合うだけの対価であった。だからこそ、隣で歩く少年が夢中で夢の中で紡がれる物語について語るのを聞いているのはとても幸せだ。その時ばかりは、少年の自由な心が自分の事でいっぱいになるのを実感できるから。
少年の時折言う文句には、自分の自分の理不尽さに関しては苦笑するしかなかったけれど、それもまた少年と少しでも一緒に居たいと思うからこそだった。
だからこそ、彼女は少しだけ後ろめたさを感じている。
夢の中で少しずつ少年が自分に好意を寄せる様に暗示をかけていることを。
人として判断が未熟である以上は手は出さないと自らを律し選択権を与えるようでいて、その実、彼の選択権を奪うように仕向けている。自分の傍らで笑う少年を見る度に、胸の奥に針で突き刺される様な痛みを感じる。
ならば、それを告白し、懺悔する事ができようか。
それは土台無理な相談だ。少年に嫌われ、少年を失うのは何よりも恐ろしい。きっと、それは、信仰を失った時以上の喪失だろう。
あぁ、だからこそ……私は狂った愛を振りまく魔物なのだ。
14/02/23 04:27更新 / 佐藤 敏夫