連載小説
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サボり魔
「さて、今日も世間話で済めば良いんだけどな」
「駄目だよ、ディアン。 キチンと仕事しないと」
「でも、そうだろ? 兵隊と医者は働かない方が良いに決まってるんだから」
「まぁ、そうだね」

 兵隊は「犯罪者を捕まえた」と誇ってはならないし、医者は人を治しても「人の命を救った」と誇ってはならない。
 むしろ、兵隊と医者は仕事がない方が良い。兵隊が働く時は人が血を流す時で、医者が働く時は誰かが病魔に魅入られている時だ。どちらも人に不幸が訪れている時に働く職業の人間だ。兵隊と医者が必要ない世界というのが最も尊く、活躍の場の無い兵隊と医者が最も素晴らしいのだ。
 そういう世の中が来たら良いね、とイルは楽しそうにクスクスと笑った。
 それからチョコンと膝の上に座ると、腕の中に納まって悪戯っぽくコチラを見上げた。

「でも、ディアンはどうする? ディアンだって、診療所の収入がないと生活できないでしょ? 食べていけないと、僕は困るよ〜?」
「それは・・・」

 確かにそうだ。日々の生活に困らず、いざというときのために蓄えがあれば良い、という発想で仕事をしているためにそれほど豊かな生活をしているわけではない。できれば価格はあげたくないので、薬を商うだけでは、そのときには本当に暮らしていけないかもしれない。

「うー・・・ そのときは、新しい仕事を考えよう」
「ディアン。 薬師の仕事は別に人が苦しんでいる時ばっかりじゃないよ」
「え?」
「ふふ、おかしいな。 ディアンの方が薬師の仕事が長いのにね・・・ 新しい命を取り上げるのは、薬師の大事な仕事だよ」
「・・・あ」
「それとも、僕との子供は要らないって事なのかな? んん?」

 苦し紛れに答えると、引っ掛かったとばかりにケタケタと声を上げた。それから悪戯っぽい表情を浮かべ、ずぃと顔を近づける。イルの頭の花が機嫌良さそうに甘い芳香を放った。なんて大事な仕事を失念していたのだろう。顔から火が出そうだ。

「そんなわけ、ないだろ・・・」
「じゃあ、証明してもらわないとなぁ〜・・・」

 ニヤニヤと膝の上でイルは笑い、指先でそっとお腹を弄くりはじめる。
 この流れは非常にまずい、そんな事を考えた瞬間に診療所に来客を告げる鐘が鳴った。強引に立ち上がるようにしてイルを降ろし、救い主を迎えに行く。

「おはようございます・・・ あら、なんだかイルちゃんが不機嫌みたいだけど?」

 ドアを開けるといつも通りの黒い法衣に身を包んだストナが立っていた。

「えぇ、気にしないで下さい。 いつもこんなもんです」

 頬を膨らませて、じぃっと恨みがましい瞳で見上げてくるイルを無視しつつ頭に手を置いて発言権を剥奪する。イルは手の下で噛み付こうとカチカチと躍起になり、時折「ふしゅ!」などと鳴き声を上げている。

「いつも通りの常備薬と・・・ それから、軟膏ですね?」
「えぇ、お願いします。 冷たい水は手が荒れますから・・・ あれがないと辛いんですよ」
「少しでもお役に立てるのでしたら嬉しいです。 すぐに準備しますので少々お待ちを」
「もう、ディアン!」

 奥の調剤室に逃げ込むと、イルは後ろの方で少しだけ怒ったように声をあげた。楽しげにストナは笑う。調剤は一人でも問題ないけれど、少しだけ時間が掛かる。ストナに待ってもらう間、イルは丁度良い話し相手になってくれるだろう。

・・・

「まったく、ディアンったら・・・」
「仲が良いですね」
「そうでもないよ。 いっつもあんな調子だもん」
「そうですか? 私の目にはとても仲睦まじく映りますよ」
「だーかーら、そう見えるだけだって。 いっつも僕のことを子供扱いしたりするんだ」
「ほぅ。 では、私がディアンの事をもらっても良いですか?」
「駄目!!! 絶対駄目!!!」

 思わず反射的に声を張り上げる。
 ストナの事は大好きだし尊敬している。結婚式の時に二人の司祭にお願いするという僕のわがままにも嫌な顔一つせず笑顔で引き受けてくれたことは、それこそ言葉にならないくらい感謝している。
 けど、それとこれとは話が別だ。
 ディアンは僕の獲物だ。誰にも渡すつもりはない。もし、僕から奪うというのならそれこそストナが相手でも戦うつもりだ。そんな鉄の意思を込めて睨みつける。

 だが

 ストナの表情は肩透かしを食らうほどに柔らかかった。
 口元を押さえて我慢するようにクスクスと喉を鳴らす。けれど、耐え切れなくなって声が漏れ始め、やがて悪びれた様子もなく軽やかな笑い声を発し始める。

 僕が、ストナを睨む視線は変わらない。
 ただ、その視線に込める意味合いは全く違う。

 緩みきった空気のなかで、拗ねた子供の機嫌を取るようにストナは僕の肩を抱いた。ストナまで一体なんなのだ。怒ってみせると、より一層楽しそうに声を立てて笑い始めた。

「貴女もディアンも、こんなに互いを信頼しているじゃありませんか。 これ以上、何を求めるんです?」
「むぅ・・・」


・・・


「お疲れ様」
「まったく・・・ ストナの相手は全部僕に押し付けるなんてずるいよ」
「随分と楽しんでいたようだけど?」

 ストナに薬を渡したイルは待合室で待っているのも退屈だったらしく、診療所に入ってきた。労いの言葉を掛けると不満げに唇を尖らせる。それでも、自分の仕事を認められるのは嬉しいらしく少しだけ表情は綻んでいた。
 そもそも、イルだってストナの事を嫌っている訳じゃない。むしろ好きな部類に入るはずだ。カーテン越しに笑い声と黄色い声が聞こえてきたのだから、それは間違いない。
 指摘してやるとジッと二つの瞳がコチラを睨んだ。

「あー こわいこわい」
「絶対恐がってないでしょ!」
「そうかい? 人間は魔物に睨まれたら恐怖を感じるのは普通だろう?」
「笑ってるじゃん!」

 もとより気性の優しい子だ。本気で睨むなんてできやしない。駄目なものは駄目とは言えるが、誰かを怒ることは中々できずにいる。くしゃりと頭を撫でる。やがてイルは諦めたような表情を浮かべた。

「・・・っと、患者さんだな」
「え? ほんと?」

 よっこらせ、と言って立ち上がるとイルもクルリとドアの方を向いた。おずおずと誰かが入って来る。
 あまり関係の無い話ではあるが、診療所の入り方によって、患者がどのような症状を抱えているかがわかる。医療に携わる者としては、極力、自分の目で見て患者を迎えるべきだ。
 医者が「命の恩人」などと傲慢な思想を持つ事は問題ではあるし、逆に患者の事を「助けなければいけない弱者」と決め付けることや、「お客様」などと必要以上に崇めることは問題ではある。あくまで対等な立場で「真に患者のために、できうる限りの事をする」という誠意を持ち、そして患者側も医療行為を行う者に信頼できる、というのが理想だと思う。

「あの・・・ 魔物でも診てもらえるお医者さんって・・・ ここですか?」
「出来る範囲であれば人や魔物だけじゃなくて、動物や植物、道具だって診るよ」

 半分冗談めかして答えると、彼女は安堵したようにクスリと笑みを零した。
 診療室に入るように促すとどこか遠慮がちに入って来る。もしかして初診だから緊張しているのだろうか。魔物でも初めての場所というのは緊張するものなのだろう、そう考えると思わず顔が綻んでしまう。

 いけない

 診療所に来るのは困っているからだ。笑ってしまうのは失礼だろう。気を取り直し、居住まいを正して向き合うと先方も少しだけ笑っていた。

「あ、すみません・・・ その、なんだか・・・ 優しそうな人だったので、安心してしまって」
「優しいというより、甲斐性なしって言った方が良いかもしれないよ?」
「え、そうなんですか? 昼間は羊の皮を被っていて、夜は狼とかになるとかではなく?」
「ないない、羊の皮を被った鼠だよ。 人畜無害ここに極まるって感じ。 そうじゃなかったら、僕もこんなに苦労しなかったよ」
「コラ、イル。 いきなりなんて事を言うんだ」

 コツンとイルの額を小突くと、イルはべっと舌を出して反抗し、それから調剤室へと引っ込んで行った。はぁ、と溜め息を吐くと患者は楽しそうな笑みを浮かべながら「大変ですね」と労ってくれた。

「あはは・・・ ところで名前を窺ってもよろしいですか?」
「あ、ゴメンナサイ。 私ったら・・・ あの、初めまして。 ドッペルゲンガーのフェイって言います」
「俺はここでしがない薬師をやらせてもらっているディアンって言います。 それでは、フェイさん。 今日はどのような御用向きで?」
「先ほど申し上げた通り、私はドッペルゲンガーなんですけど・・・ 丁度一ヶ月ほど前から、上手く変身ができなくなってしまったんです・・・」
「ふむ・・・ 今回はその件で相談ですか?」
「はい」
「それ以外に変化は? 例えば、好きな人のイメージを抽出できなくなったりとか?」
「いいえ、そういうことはありません・・・ 誰かの好きな人のイメージは分かりますし・・・」
「なるほど・・・ その頃に生活の変化はありましたか?」
「そうですね・・・ その頃ですかね、ファフに引っ越してきたのは」
「それが原因ですね」
「え? って事は、生活環境が変わったストレスか何かですか?」
「んー まぁ、ファフに原因があるといえば原因はあるのですが、ストレスではないと思います。 生活環境が変わったことでストレスを受けても、ファフに住んでいることで意識するようなストレスはほとんど無いでしょう?」

 フェイは不思議そうな表情をしながらも、確かにと頷いた。
 ファフは基本的にあらゆる人間や魔物を受け入れる。向き不向きによる人と魔物の区別はあったとしても、差別はしない。不向きでも「やりたい」と言えば背中を押して手伝ってくれるし、向いていても「他の事でやりたい事がある」といえば無理強いはされない。
 だから役者になったサイクロプスも居るし、逆に、作家となったアカオニも居る。

「逆に言えば、誰でも受け入れる・・・ どんな魔物や人でも受け入れる、そういう思想が広がっているから、ドッペルゲンガーである貴女自身も“ありのまま”として受け入れるのが当たり前と思っているんじゃないかな?」
「・・・へぇ」

 ファフでは、ドッペルゲンガーが変身できないという話を良く聞く。
 誰かの嗜好を読み取り変身しようとしても、町全体の人間の「ありのままの自分で十分」という思考が上書きしてしまうために結果として変身できなくなってしまう。

 ファフに根付いている思想は魔王の思想とは若干異なる。魔王の目的は魔物と人間を一つの種族として統合することによって争いを無くし、平和な世界をもたらそうという思想だ。対し、ファフという町は、魔物は魔物、人は人でありながら、それを互いに認め合いつつ良き理解者として歩むという思想だ。
 魔王の思想よりも、ジパングの思想に近いと思う。

 もっとも「共存」という一点においては、アプローチの仕方が異なるだけで魔王の思想と変わらない。魔王にとってもファフを攻めるメリットというのはほとんど無いし「共存への面白い試み」という事で、この一帯の魔物を統括するバフォメットであるクロムに基本的に任せ、不可侵を決め込んでいるのだ。

「・・・って事は、私。 ここに居る間は変身できないんですか!?」

 感心したように頷いていたフェイだが、はたと気がついたように訊ねた。
 いくら魔物を受け入れると言っても、ドッペルゲンガーにとって変身できないというのは存在意義を奪われるような死活問題である。“折角、皆優しくて住みやすい場所を見つけたのに・・・”と今にも泣きそうな表情を浮かべ始めてしまった。

「大丈夫、変身はできますよ。 ただ、考え方を変えて下さい。 変えられるではなく、変わりたい。 他人のイメージを借りたとしても、これが自分だ、と胸を張って言える位に強く自分でイメージをして・・・ 少しやってみてください」
「本当に・・・ できますかね?」
「ファフは変化も一緒に認めてくれます。 さ、力を抜いて」

 促すと、小さく頷いて目を閉じた。
 緩やかな魔力の流れが部屋を満たす。魔力を無理矢理に従わせるような流れではなく、水が流れるべき場所を自然と選んで流れるような、ある種の美しさを湛えた魔力の流れだ。
 アドバイスをしたとはいえ、こんなにも簡単な助言だけで本来ある姿を取り戻すことができるのは最早驚嘆せざるを得ない。

 ゆっくりと闇が優しくフェイの身体を覆っていく。

 中では彼女の理想の自分自身が構築されているのだろう。時折、闇の中から覗く先ほどの彼女と違う体の一部がそれを物語る。

「すごい、できました!」

 待つこと数分。
 闇の中から現れたのは一人の少女だ。

 どこか幼さを残す表情が印象的で、薄い緑の肌をしている。それは、まるで木の精霊のようだ。その場でクルリと回って見せると、フワリとスカートが舞った。

「勝手に貴方のイメージをお借りしてしまったのですけど・・・ 気に入って頂けましたか?」
「あぁ、すごく上手だよ。 とても可愛らしくできている」
「本当ですか! やったぁ!」

 無邪気に跳ねると、そのまま嬉しそうに抱きついた。可愛らしい姿の少女に喜んでもらって悪い気はしない。ましてや、その子が自分好みの子であれば尚更だ。

「・・・ディアン、フェイに僕の格好させて何してるの?」

 それが自分の妻にジットリとした目で見られているのでなければ。


・・・

 フェイが僕の姿をしているのを見ても、実はあまり驚かなかった。
 ディアンの事は信頼しているし、それにフェイのこの上なく嬉しそうな表情を見たら誤解なんかをするほうが野暮だ。僕だって自分の身体に悩んだことぐらいある。まだ背は伸びず、胸もそれほど成長していない。
 けれど、いつの間にか気にならなくなってしまった。
 ディアンの所には様々な悩みを持つ人や魔物が訪れる。僕にとってはサキュバスの姿はとても羨ましい体型だと思っていた。けれど、サキュバスにとっては逆に僕の体型の方が羨ましいそうだ。
 サキュバスだって誘うばっかりじゃなくて、純粋に甘えたい時があるというのは思いもしなかった。

「紅茶とコーヒーどっちが良い?」
「紅茶」
「分かった、茶葉のミイラのお湯出しね?」
「ちょ、なんだその飲む気をなくさせる言い方・・・」

 あまりにも予想通りの反応で思わず笑ってしまった。台所に戻り、すぐに準備してもって行くと、まだ微妙に苦い顔をしてまっていた。冗談なのに本気にしないでよ。

「イルが言うと、冗談に聞こえないんだよ」
「あはは、ごめんね。なんなら、僕の根っこでも煎じて飲む? 愛情タップリだよ?」
「阿呆。 まったく・・・」

 コツンと額を小突かれる。

 二人で診療所で紅茶を飲んでいると、仕事がないのも、悪くないな

 不謹慎にもそんな事を思ってしまった。
11/06/18 00:52更新 / 佐藤 敏夫
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■作者メッセージ
ネタが溜まっていたので読みきりSSを消化していたら
薬師の更新が一ヶ月ほど止まっていたので、急遽更新

そして、キャラクターの性格を忘れかける orz
イル、あんた大分性格変わってない?

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